2022/3/23, Wed.

 ドイツは、東部戦線でのロシアとの戦いを終結させたいとは考えていたが、「平和に関する布告」の原則通りに無併合・無償金での講和に応ずる気はなく、領土の事実上の割譲を要求した。この条件でのドイツとの講和をめぐって、ソヴェト政権内では激しい対立が起こった。
 政権を率いるレーニンは、休戦の成立後戦列を離れる兵士が続出して軍隊は崩壊しかかっており、ロシアにはもはや戦争を継続する力はないと指摘し、領土を割譲しての即時講和を訴えたが、政権内にも党内にも、領土割譲を認めず、ドイツでの革命を実現させるた(end18)めの「革命戦争」を訴える人々が多数いたのである。講和交渉団の長トロツキーは、戦争状態を終わらせるが、講和条約には調印しないとの案を示し、ソヴェト政権はこの案を採用した。しかし、戦争という冷徹な現実においてはこうした「革命の論理」は通用せず、一九一八年二月にはドイツは戦闘を再開すると決定し、ソヴェト政権に通告したのち実際に戦闘を再開した。このためソヴェト政権は、一九一八年三月にドイツおよびその同盟国との講和条約の締結を余儀なくされた(ブレスト・リトフスク講和)。これによって戦争は終わったが、当初の講和の案より多くの領土を事実上割譲することになった。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、18~19)



  • 「英語」: 184 - 211
  • 九時に覚醒。しばらくまどろみ、一〇時すぎに意識があきらかになった。布団のしたでさらにしばらくすごす。ひらいたカーテンのむこうは青い空で太陽もまぶしく浮かんでいたが、ひかりの奥をよくみると空にはかすかな雲がもやもやと混ざっているらしきいろあいだった。トンビが一羽、窓枠のそとからあらわれて、おおきなすがたでちょっとまわってからまた消えていった。一〇時四六分に離床。ペットボトルからコップに水をそそぎ、アレグラFXを一錠服用。ティッシュで鼻のなかを掃除するとたちあがって部屋を抜け、洗面所に行って顔を洗ったりした。もどってくると瞑想。わるくないが、左足のさきのほう、くるぶしや足首以降が、起き抜けのかたさであぐらの姿勢に圧迫されてやや痛くなり、そうながくつづけられず。揉んでからやったほうがよいのだがいつもわすれている。たぶん二五分に満たないくらいだったのではないか。
  • 上階へ。父親は洗面所で髭を剃るなど外出の身支度をしていた。ゴミを始末し、南窓のむこうをみながらジャージにきがえて、屈伸や開脚などをしながら洗面所があくのを待つ。父親が来るとあいさつ。歯医者に行ってそのまま山梨にでむくということだった。鏡のまえに行って髪を梳かし、うがいもしていると父親は出かけていった。食事は冷蔵庫をみるときのうの天麩羅とかチャーハンとかがのこっており、あと鍋のうどんもけっきょく食べなかったようでコンロ上にのこっていた。いちど天麩羅を食べようとおもってとりだしたのだが、これは夕食にまわしたほうがいいなとおもいなおし、米が炊かれてあったのでいつもどおりハムエッグを焼き、あとはうどんを食べることにした。チャーハンは出勤前に食べればよい。それでフライパンでハムと卵を熱して丼の米のうえに乗せ、うどんとともに卓へ。新聞一面からウクライナの報をみた。クリミアから東部親露派地域へとつながる「陸の回廊」をロシアがおさえたと。ウクライナ国防省がみとめた情報。東南部地域は掌握され、ウクライナアゾフ海に接続することができず、黒海からの有力な輸送路が絶たれたということになる。同地域にあるマリウポリはロシア軍が包囲しており、数日前から戦闘もはじまって、それがはげしくなっていると。市民の犠牲は三〇〇〇人に達しているらしい。ほか、電力逼迫や、ロシアが日本の制裁参加にたいして北方領土にまつわる平和条約交渉を打ち切ると通告してきた、という報。
  • 食事を終えるといつものように皿を洗い、風呂も洗い、魔法瓶から白湯をそそいで帰室。Notionを支度し、ウェブをちょっとみてから「英語」ノートを読んだ。きょうはそんなにながくは読まず、一二時半くらいで臥位へ。(……)くんの授業であつかう(……)を読んでおく。きょうはたぶんまだあたらしいところにはすすまないだろうが、余裕をもって予習しておいた。その後トイレに立ち、一時二〇分かそのくらいからまた瞑想をした。窓外のちかくからは小鳥たちの鳴き声がいくつか散るのがきこえ、すこしさきからは地面をこするような、土を搔いているようなおとも立っていた。三〇分はすわらなかったとおもう。きのうよりはねむくなかったが、このときはめずらしく、さいごのほうでちょっとねむくなってきた。だいたいいつもねむいときはすぐにねむくなり、それに耐えていると晴れてくることがおおいのだが。
  • 二時まえでうえへ。排便。ベランダの洗濯物をとりこむと、台所にうつってチャーハンを電子レンジで熱するとともに、さきほどつかったフライパンにみずをそそいで火にかけた。チャーハンがあたたまると火を弱めておき、卓に行って食事。電力逼迫および停電のおそれとロシアの平和条約交渉打ち切りの件を読んだ。きのう、二二日はけっきょく東京電力管内で一時需要が供給を超えて一〇七パーセントに達し、夜間にくみあげた水を放水して発電する揚水発電なる方式でなんとかのりきったという。福島沖の地震で火力発電所がいくつか停まっているのがおおきいといい、不安定な状況は今後つづくかもしれないと。とはいえ、きのうは急に冷えこんで暖房需要が増したという事情もおおきかったわけだから、これからあたたかくなって暖房をつかう必要がなければだいじょうぶではないか。
  • 食べ終えると台所に行って沸騰していたフライパンの湯を捨て、キッチンペーパーで掃除。それから皿洗いをし、洗濯物に寄って乾き具合を確認すると、まあ許容できないわけではなさそうだったのでタオルをたたんだ。こたつテーブルの端、南窓のちかくに置かれてあった足拭きマットも洗面所にはこんで、白湯をまたもって帰室。ちびちびやりながらここまで書くともう二時三七分だから出勤が目前である。きょうはたぶん職場は空いているとおもうから徒歩で行かずに電車をとってもよいのだが、あるきたいきもちもある。汁物だけつくりたかったのだけれど無理そう。
  • 身支度。歯を磨き、スーツにきがえ。FISHMANS “感謝(驚)”がながれている八分ほどのあいだだけまたすわって目を閉じた。そうしてうえへ行き、うがいをしてからトイレに行って、台所で泡石鹸をつかって手を洗うと、下着類や靴下などは乾き具合があまりよくなかったので、あとでファンヒーターであたためるようにとハンガーからはずしてそのまえに置いておいた。居間のカーテンも東側の小窓と、その反対のベランダのほうだけ閉めておき、出発へ。玄関を出ると階段下の柵にビニール傘が干されてあったのでとりはずしてしまっておいた。徒歩をとる。林縁の土地にみなれない車がとまっており、むかいの家の横にある車庫的なスペースのなかにだれかいるようで物音が立っていたが、だれだか不明。昼頃から雲が増えて空はいちめん曇っており、空気はおもったよりもつめたく、マフラーをもってくるべきだったなとおもったがいまさらもどる気にもなれないのでコートのいちばんうえのボタンを留める。樹々にかこまれた坂道をのぼっていき、出口がちかくなって空がひらいたところでみあげると、影も差異もほとんどなく延べられた白さにけむり埋まった西のかたに太陽の刻印のみぽっかりあらわで、しかしそれがまぶしさやぬくもりをつたえてくるわけでもない。(……)さんの宅のまえをすぎると左側の道端にはススキがたくさん生えており、ゆるくL字に曲がるみちの角、カーブミラーの設置されている隅まで群れはつづいているが、それらの穂のわずかにくねった垂れかたばらけかたをみるに、きのうの雨に濡らされたときの水気がまだいくらかのこっているかにみえ、大気にも湿り気がかんじられるようでややさむざむしい。
  • 街道に出ると、みちのさきで歩道の拡幅工事をおこなっているのですぐに北側にわたった。すすむ。あたりには杭を打つようなおとがときおりひびき、それはむかいに掘られた溝のなかで人足がハンマーでなにかを打ちつけているおとである。そばにいるベテランらしきもうひとりの監督を受けているのか、なにかはなしながら、一気にどんどん打たず、けっこう間を置いておとはひびいていた。街道沿いの公園にはきょうはあそぶ子どものすがたはふたりのみ、つかまってまわることのできる網状球形の遊具にのぼっていたとおもう。
  • 裏通りを行ってとちゅうの側道のところでおもてのほうをむくと、街道を越えたさきの(……)高校から保護者連れの制服姿があるいてくるのがみえて、入学式にはもちろんはやいから卒業式だろうかとおもいつつも、あまりそんな雰囲気にもみえなかった。子どものすがたが三年を過ごした高校生にしてはいかにもこなれない、おさないようなかっこうにみえたのだ。ひだりてで線路のむこうにそびえる丘のいろは曇天のためあざやかでもないが、裸木の闖入と鈍い緑がくみあわされてくすんだようなそのそっけなさにも、なにがしかの風情は生じる。風はないなと、いつも目をむける外縁部の茂った浅緑がとまっているのをきょうもみたが、すこしさきではながれがうまれて肌寒かった。白猫は不在。高校から出てきた母子のふたりづれがうしろではなしている声をあるきながら耳にしていたが、息子のしゃべりかたがやはりあどけなさをぬぐえていないような、あきらかに卒業生ではなくて入学生のものである。(……)あたりまで来るころにはきょうも小便がしたくなっていたので建物にはいり、用を足して出てくるとこんどは女子と母親の連れ合いをみたが、子どもはやはり高校ではなく中学校の制服でこれから入学するたちばらしく、それで、入学前の説明会、準備のイベントのたぐいかとおもいあたった。制服を注文したりとか課題をうけとったりとかそういうやつだろう。
  • 職場(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 退勤したのは八時四五分ごろ。(……)
  • 駅へ。改札を抜け、多目的トイレにはいって我慢していたクソを垂れる。腹の圧力が減ってすこし楽になると出てホームへ。電車に乗って瞑目。発車まぎわににぎやかなれんちゅうがはいってきて、なかに、ホッ、ウォッ、みたいな声が混ざっており、え、ゴリラ? チンパンジー? とおもったのだが、ふざけていたのだとおもう。目をあけなかったものの声から判断するに比較的若い男性三人で、その霊長類めいた声の主はそのあとも、そういうゴリラ的なしゃべりかたのおおきな声で、たぶん電話のあいてにたいしてみじかいことばできっぱりと断言的な受け答えをする、という、おふざけなのかもともとそういうキャラなのかいまいちよくわからないことをやっていた。ときおり噴出する笑い方とか口調のかんじとかはいかにも若い男というかんじで、その気楽さやあそびの調子は大学生らしいものでもあるが、ただ同時に大学生よりはすこしうえなのではないか、二〇代のなかばか後半くらいは行っているのではないかという気配もかんじとられて、はなしは温泉に行きたい、いやそんなにいきたいすか? みたいな、これから(……)まで乗っていってそこで温泉にはいろうみたいな、あきらかにいきあたりばったりの無計画な時間のとちゅうだということがうかがわれるもので、きょうは平日水曜日でしかも午後九時というこの時間に、学生でもなしにそんなすごしかたをしているとしたらなかなかのプータローぶりだなと感心したが、社会の大勢からのはずれかたと無為にまつわるレベルのたかさではおれもそうそう負けはせんぞ。
  • 最寄りで降りると雨がはじまっていた。あるいているうちに弱まってなんともなくなったが。かえりつくと室で休み、一〇時まえくらいから瞑想。一五分ほどしかすわれなかったと記憶している。なぜなのかはわからない。やはり空腹と疲労で持久力が足りなかったのか。食事は天麩羅ののこりや廉価の餃子、モヤシや菜っ葉的な野菜やニンジンなどをつっこんだ鍋的なスープなど。
  • 夜は入浴後にもどってくるとやはりからだの表面が疲労感にうっすらおおわれていて文を書こうとしてもすわっているのに耐えられず、ベッドに避難してけっこうだらだら休んでしまったが、この日のことをたしょうつづりはした。また、三時ごろから書抜きもすこし。上田正樹有山じゅんじの『ぼちぼちいこか』をYouTubeでながした。”俺の借金全部でなんぼや”はおもしろい。ブルースももっといろいろ掘りたいものだ。
  • 四時から一〇分ほどだけ座って、四時一〇分に消灯。寝るまえにも瞑想したほうがやはりよくはある。ただ深夜にやるとあまりにしずかすぎて耳鳴りか幻聴でもはじまりそうな気配もあり、耳にはなんだかわるそうな気はする。じっさい、耳鳴りでも幻聴でもないが、聴覚空間に全体的に敷かれている基盤的な持続音みたいなものはふつうにきこえる。ヘッドフォンをつけたり音楽をきいたりすると、機器や音源によってはサーみたいなそれ特有のノイズというか、機器だったらノイズのたぐいだし、音源だったら録音された空間の気配みたいなものがきこえるとおもうが、それの人体版みたいなイメージ。部屋のなかの機器とかがだしているひびきなのかもしれないが、どちらかというとからだじたいのひびきのようにおもえる。あと、慢性の耳鳴りもじっさいあって、左耳の奥でかすかなものがずっと鳴ってはいるのだ。一時期めだってきこえるようになっていたときはあり、さいきんはそこまでではなく日中はまったく気づかないし、深夜などのしずかなときに耳をすまさないときこえないくらいのものだが、ずっと鳴りつづけてはいるのだとおもう。