2022/4/9, Sat.

 テロルの大規模な発動に対する人々の不安が高まるなかスターリンは脳の発作で倒れ、一九五三年三月五日に死去した。これによりテロル発動の危機は去ったが、スターリンは、テロルの恐怖で人々を支配しただけの暴君ではなかった。スターリンの死が報じられると、多くの国民がその死を嘆き悲しんだのである。首都モスクワでは、スターリンとの最後の(end87)別れを求めて告別会場へ詰めかけようとした人々が将棋倒しとなる事故も起こった。
 当時モスクワ大学の学生だったゴルバチョフは回想に記している。教師が「悲しみにうち震え、涙ながらに学生に伝えた。『偉大な指導者は七十三歳の生涯を閉じた』」。学生には親類縁者が弾圧された人も少なくなく、政権の独裁的本質をすでに見抜いていた人は多かったが、「ほとんどの学生はスターリンの死を心底悲しみ、国にとっての悲劇であると考えた。正直に告白すれば、当時は私もそれに近い感情を抱いていた」。「この指導者のことをどう思っていたかに関係なく、国民は誰もが一様に『これからいったいどうなるのだろうか』という思いにとらわれた」。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、87~88)



  • 「英語」: 454 - 472
  • 「読みかえし」: 634 - 638
  • 九時台に覚め、一〇時台にも覚めたが、最終的に一一時二〇分の起床。おきあがってティッシュで鼻のなかをぐりぐりやって掃除し、水場に行くとアレグラFXを一錠服用した。起床時に一錠飲むだけで症状もほぼ出ずにいちにちどうにかなっている。花粉症おそるるにたらずである。便器にこしかけて小便をはなってもどってくるときょうもまず書見した。トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(新潮文庫、一九六九年)下巻。ショーシャ夫人が旅のともとしてつれてきたメインヘール・ペーペルコルンという恰幅の良い富裕なオランダ人が一座を指揮してみんなであそんだり酒を飲んだり宴会に興じている。この人物は金持ちでまさしくこれこそ「人物」だという王者のような威厳や風格があるらしいのだが、へんなにんげんで、堂々たるふるまいで手をうごかしひとびとの注意をあつめておきながら、きれぎれのよくわからないあいまいな言辞でほとんどなにをもいわないような発言をする。しかしそれでもひとびとはその風格に魅了されて、ことばの内容にかかわらずかれの発言をきいたあとには満足感をおぼえる、という調子で、トーマス・マンはユーモアのセンスがすぐれているというか、『魔の山』もほとんどつねにというようなふんだんさで妙な喜劇性が記述のはしばしにしこまれているし、へんなにんげんを書くのがうまいなあとおもった。この小説にでてくる人物はだいたいなにかちょっとへんなにんげんである。キャラが立っているということだろうが、たんにそれだけでなく、類型的なキャラクターのきわだちをこえた奇矯さとおもしろみと、かれらのおりなすこの山のうえのゆたかさがある気がする。470あたりまで。
  • それから瞑想。しかし一七分くらいでみじかく切り、上階へ行った。両親は家のそとで食っているらしい。フライパンにひき肉と菜っ葉などを混ぜた炒めものがあったり、汁物もあったのでそれぞれ用意して食事。新聞。編集小欄は「花疲れ」という季語を紹介していた。歳時記というのもおもしろそうだ。ウクライナにかんしては、住民の虐殺はロシアの意図的な行動であるとの見方がつよまっているとのことで、そうでないわけがないとおもうのだが、たとえばドイツの諜報機関は自転車に乗ったひとを撃ちころしたということをべつの兵に説明する兵士の通信を傍受していたというし、ブチャの市長がドイツの公共放送とのインタビューで述べたことには、三二〇人の遺体のうち九割には砲撃による負傷ではなく銃創があったという。ロシア軍兵だけでなく、民間軍事会社「ワグネル」の雇い兵も主要な役割をはたしたとみられると。きのうの新聞に出ていたが、この会社はアフリカはマリでも影響力をもって活動しているらしい。また、ロシア軍が市民をウクライナ軍との戦闘の前線で「人間の盾」として利用していたという証言もあるらしい。やっていることがISISなどと変わらない。
  • 食後、ちょっとだけ椅子にとどまったまま南窓のそとをながめて息をついた。きょうは相当にあたたかい初夏の陽気で気温は二〇度を超えているようだが、空は雲混じりらしく陽射しはそこまで明晰でなく、おだやかなあかるみが空間の全面にひろがり浸透して、山はみどりをたもったまま冬をこえた濃色の樹々にくわえて若緑の地帯が生じそのなかに山桜の薄ピンクも湧いていくらかまだら、それらがすべて段差をならされて希薄につらなりわずかにこもったような空気となっている。とおくでうごく粒となった鳥のすがたがおおくみられ、鳴き声も近間でたくさん散っていた。
  • 食器を洗う。乾燥機のなかのものを棚にもどし、ながしに溜まっていたものもすべてではないがある程度いっしょにかたづけ、それから風呂洗い。さくばんはいったときに浴槽内の左右壁と底面との境あたり、カーブのぶぶんがすこしぬるぬるしていて、よく洗えていないようだったので、きょうは念入りにこすっておいた。出るときょうは白湯ではなくて緑茶を飲みたい気になっていたので支度し、下階へ。Notionを用意して茶を飲みながらウェブをちょっとみると「英語」記事を音読。「読みかえし」も。いぜんやっていたときもそうだったが、音読するとなると日本語よりも英語のほうが圧倒的になにかきもちよかったりおもしろかったりして、英文のほうを優先するとともにそれだけで満足してしまいがちで、「読みかえし」のほうがなかなかすすまなくなる。
  • そのあと部屋にもってきていた新聞を読んだ。四月七日のもので、いろいろメモしておきたい情報はある。あとゼレンスキーが演説した翌日の三月二四日のものなんかも持ってきているのだが読めていない。二時半くらいからここまで記して三時。きょうあしたと休日。あしたは正午から髪を切りにいくのできょうはすこしはやめに寝たほうがよいが、どうせまた夜更かしするに決まっている。きょうで六日以降の日記を終わらせたいとおもっているがどうか。(……)

 ロシアのウクライナ侵攻を受けて日本が対ロ制裁を科す中、ロシアの政党党首が「一部の専門家によると、ロシアは北海道にすべての権利を有している」と日本への脅しとも受け止められる見解を表明した。プーチン政権は欧米と連携してロシアを非難する日本への反感を強めており、こうした考えが一定の広がりを見せる恐れがある。
 見解を表明したのは、左派政党「公正ロシア」のミロノフ党首で、1日に同党のサイトで発表された。公正ロシアは政権に従順な「体制内野党」。ミロノフ氏は2001~11年に上院議長を務めた。
 発表によると、ミロノフ氏は北方領土交渉に関し、日本は第2次大戦の結果の見直しを求めたが、「明らかに失敗に終わった」と主張。その上で「どの国も望むなら隣国に領有権を要求し、正当化する有力な根拠を見いだすことができる」と明言した。ロシアが権利を持つ根拠は明らかにしていない。
 一方で、ミロノフ氏は「日本の対決路線がどこに向かい、ロシアがどう対応しなければならないか現時点では言えない」と指摘。「日本の政治家が第2次大戦の教訓と(大戦末期にソ連軍の侵攻で壊滅した)関東軍の運命をすっかり忘れていないことを望む」と語り、「さもなければ(日本側の)記憶を呼び起こさなければならないだろう」と警告した。

 エリート傭兵部隊であるワグネル――「リーガ」の名前でも知られる――は2014年に結成され、同年のクリミア侵攻やドンバス地方での戦闘に参加。2014年から2015年にかけて、親ロシア派の分離主義勢力がドンバス内でドネツク民共和国・ルガンスク人民共和国の創設を一方的に宣言するのを手助けしたことで、注目を集めるようになった。

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 ニューヨーク・タイムズ紙によれば、ワグネルという組織名は、ロシア軍参謀本部情報局(GRU)の元メンバーで同組織を設立したドミトリー・ウトキンのコールサイン(呼出符号)に由来する。ウトキンは、ナチスの指導者アドルフ・ヒトラーが好んだ作曲家「ワーグナー(ワグネル)」を自らのコールサインに選び、ナチス関連のタトゥーを複数入れているらしい。

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 西側の複数の国の政府や活動家らは、ワグネル・グループがアフリカでの人権侵害や、リビアおよびシリアでの戦闘に関与したと非難してきた。マリやモザンビークスーダンに派遣され、代理戦争を戦ってロシアの影響力を行使し、油田などの戦略的利益を奪取したこともあるという。

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 国際行動規範協会のジェイミー・ウィリアムソン事務局長は、ワグネルはロシア軍の元兵士たちを雇い、「軍事請負組織」の機能を果たしていると指摘した。
 「ワグネルとロシア政府との間には、支配権と資金の出処という点において、明らかなつながりがある」とウィリアムソンは本誌に語った。「ロシア政府はその存在を認めていないが、ワグネルは軍事請負集団と見なされている。冷戦初期にみられたような傭兵集団に等しい存在であり、アフリカの南部、東部や西部の複数の企業がワグネルに関与しているとみられる」

 【ロンドン=深沢亮爾】フランス外務省は4日、西アフリカのマリで、マリ軍とロシアの民間軍事会社「ワグネル」の合同作戦により多数の市民が死亡した情報があるとし、重大な懸念を表明した。ワグネルが活動を本格化させた1月以降、人権侵害行為が横行しているとして、マリで平和維持活動を続ける国連主導の調査を求めた。
 マリ政府は1日、先月下旬に中部で行ったイスラム過激派に対する掃討作戦で戦闘員203人を殺害したと発表した。だが、仏メディアなどは直後から、死者には相当数の民間人が含まれている可能性を報道している。過激派が主要民族と結びついて土着化し、戦闘員と民間人の区別が困難とも指摘されてきた。
 クーデターで親仏政権が倒れたマリでは、新たな軍事政権が親ロシアの立場を取り、プーチン政権に近いワグネルが治安対策名目で活動しているとされる。仏紙ル・モンドによると、マリ軍関係者に対して拷問など違法な尋問の方法を教えているとの疑惑もある。ワグネルは親露政権を支援するために派遣された中央アフリカでも人権侵害を非難され、露軍が侵攻中のウクライナ東部でも活動していると英国防省が確認している。

 親ロシア派との戦闘が続くウクライナ東部ドネツク州で、政府軍が支配するクラマトルスクの鉄道駅に8日、弾道ミサイルが撃ち込まれた。民間人に多数の犠牲者が出たと分かると、ロシアのメディアは「ウクライナ軍のミサイル」と報道。ただ、主張には早くもほころびが見える。

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 ウクライナ側の発表によると、クラマトルスクの駅は女性や子供など避難民約4000人で混雑。そこに短距離弾道ミサイルが着弾した。現地からの映像や写真によると、人々は倒れ、大きな荷物が散乱していた。ミサイルの残骸にはウクライナ語ではなくロシア語で「子供たちのために」と書かれていた。
 「ウクライナ軍が集結しているクラマトルスクの駅を10分前に攻撃した」。着弾当初、複数の親ロシア派ニュースは通信アプリ「テレグラム」でこぞって戦果として伝えた。しかし、避難民に死傷者が出ているのが判明し、不自然な形で削除。ロシアのメディアはウクライナ軍の仕業であると宣伝し始めた。
 地元記者の間では、2014年にドネツク州の親ロシア派支配地域上空でマレーシア航空機が撃墜され、乗客乗員298人が死亡した事件との類似性を指摘する声が上がる。この時、旅客機と判明するまで、親ロシア派幹部は「ウクライナ軍機を撃墜した」と誇り、これが間違いだと分かると、ウクライナ側への責任転嫁を図った。

  • 三時四〇分くらいでうえにあがってはやくもアイロン掛け。たくさんあった。シャツやエプロンやハンカチやズボン。白湯を一杯コップにそそいでおき、衣服を物干し竿などからとったりそこにもどしたりするためにたちあがるさいにちびちび飲んだ。あいまにまた屈伸したり前後に開脚したり首をまわしたりと各所のすじをのばしながらつづける。おえると台所へ。煮込みうどんを食べたい気分になっていたのでその用意をすることに。くわえて母親がジャガイモを焼いてくれというのでそれも。まずうどん用にタマネギ、ニンジン、大根を切り分け、鍋に投入して麺つゆや醤油などで汁に味つけ、そのまま最弱の火にかけてじっくり煮ておく。つぎにジャガイモの皮を剝き、剝いた皮は排水溝にながして放置するのではなく一個ごとに生ゴミ用のちいさなビニール袋にいれ、包丁で芽もとって、そのように六個ととのうと輪切りにしてフライパンでしばらく湯がいた。母親は居間のほうで座布団をカバーのなかにいれていた。もういいかなというところでジャガイモをザルにあげて、フライパンをキッチンペーパーで拭き(デンプンなのか、すこしべたついた感触が縁のほうにたまっていた)、オリーブオイルを垂らしたうえからチューブのニンニクを少量落として、木べらでふれつつしばらく炙った。そうしてジャガイモを投入。ちょっとかきまぜたあと、最大火力にしてそんなにひんぱんにうごかさず、すこし時間をおいては振るかんじで焼いていった。蓋もしない。スパイスをつかってくれというので、コショウやバジル、ローズマリー、クミンなど、どれがどういう風味でどういう効果かも知らないがてきとうにふってフライパンもよく振る。スパイスはおそらくぜんぶS&B食品のものだったはず。よいかんじに焼き色がついて表面がかたくかわいたのをみてとると完成として、かたづけをして台所をぬけた。鹿肉を焼くというのは母親にまかせることに。
  • 下階にもどると五時半すぎか六時ちかくだったはず。部屋まで来たところでなんとなくちょっとだけギターをいじろうという気になり、白湯を自室に置いてとなりの部屋へ。そこで椅子にこしかけてアコギをてきとうにつまびいた。わるくはない。性懲りもなくAとかEで似非ブルースをやったり、下手くそなフリーインプロヴィゼーションみたいにてきとうに弾いたり。フリー風にやるときは、単音だとぜんぜんだめというか、ながれもできないし、だいたい手癖的に楽なほうにながれるのだけれど、コードでやるとそこそこおもしろい瞬間がうまれる気がする。まあどちらもたいして変わらないが。フリー的にできるほどの引き出しはないし、そもそもふつうのコーダルなやりかただってたいしてできない。それでもこの日弾いているあいだ、いぜんにいちどだけやったことがあるが、こういう遊びをやるたびに録っておいてnoteにあげておこうかなとおもったが、じっさいにやるほどの意欲はまだない。一年間やるたびに録りつづけて一年後にきいたらけっこうおもしろそうな気がするのだけれど、こんなもん録ってもしょうがねえというきもちのほうがまだつよい。
  • その後にたいした印象もなし。日記はぜんじつの八日の分をけっこうすすめて、勤務中のことをほぼさいごまで書くところまでいたったのだが、夜にはけっこう臥位でなまけてしまい、しあがりまでいかなかった。あしたは一二時に髪を切りにいく予定だったので九時半にアラームをしかけておき、三時半には寝て六時間を確保しようとおもったところがやはり夜更かししてしまい、五時間でよかろうと四時半の消灯になった。