2022/4/11, Mon.

 スターリン批判は、ソ連の圧力を背景に社会主義陣営を形成し「小スターリン」的な指導者が統治していた東欧諸国にも大きな衝撃を与えた。一九五六年一〇月にはポーランドで新ソ政権を批判する集会が開かれ、暴動につながった。これを受けて、ソ連の指導部には行き過ぎと見える動きがポーランド政権内でも起こったため、ソ連の指導部はこれを放置できず、フルシチョフ自らポーランドへ乗り込んで、ソ連が許容できる範囲内で対応す(end106)るよう強く求めた。
 ポーランドでは、国民に信頼のあるゴムウカをトップに据えることで収拾が図られたが、やはり暴動が起こっていたハンガリーでは、政権が暴動を抑え切れず、ハンガリー駐留ソ連軍に出動を要請した。ソ連軍の出動後、ナジを首相とする新政権が発足して事態の収拾を目指したが、ソ連指導部は、ナジには混乱を抑えられないのではないかとの不信を強め、より大規模な介入の準備を始めた。これに対しナジは、ソ連軍の再度の介入を恐れてワルシャワ条約機構(後述。これに基づきソ連軍が駐留していた)からの脱退を宣言したため、ソ連は大規模な第二次介入に踏み切り、ナジ政権を打倒した。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、106~107)



  • この日はひさしぶりに一〇時から通話だったので九時にアラームをしかけており、無事それで起床した。しかし九時だと余裕はぜんぜんない。瞑想をするから。基本、いっかい三〇分くらいはしたいのだけれど、そんなにやっていると一〇時にまにあわないのでこのときは一五分くらいで切ったはず。そのまえにはティッシュを鼻につっこんで穴のなかを掃除したりトイレに行ったりしていただろうから、瞑想に切りをつけたときには九時半を越えていたとおもう。
  • 食事は天麩羅ののこりだったか? 新聞もみたとおもうがもはやおぼえていない。ウクライナ情勢やフランス大統領選あたりの話題だろう。とおもったがそうではない、この日はたしか朝刊がやすみだったのだ。したがって新聞はみていない。あるいはぜんじつのものをみた。そう、日曜日の書評面をみていたような気がする。しかしそれは日曜日とうじつの夜だったような気もする。いずれにしてもどうでもよい。ものを食べて皿をあらい、白湯をもって帰室すると九時五〇分ほどだった。ここのところいぜんよりもZOOMの接続速度がわるくなっているようにおもわれ、ZOOMで通話しながらウェブをみると音声がめちゃくちゃ遅くなったりするのだけれど、これはたぶんパソコンが劣化してきたということなのだろう。いつもバッテリーからはずしてつかっているからかもしれない。それでおもいついたのが、ほぼAmazon MusicをながすためだけにつかっているChromebookでZOOMにつなぎ、ウェブをみたいときなどは常用のパソコンも同時につかうのはどうかということで、一〇時まえのこの数分でその支度をしようとGoogle Play StoreからZOOMをインストールしたのけれど、アプリをふつうにはつかえずなんかよくわからなかったのでひとまずあきらめ、この日はうえの案と反対に、Chromebookを通話中のウェブ検索用にした。それでもまあよい。そもそもChromebookのほうがZOOMがなめらかになるかどうかもわからんし。次回またためしてみるつもり。
  • 通話中のことはあとにまわすとして、その後のことをさきに書くと、終了したのは午後一時。


 と書いたところで、箇条書き方式をやめようとおもっていたのをおもいだした。いま四月一三日の午前二時ごろなので、体感としては一二日の範疇なのだが、きょうの夕方に瞑想していたあいだになんとなくそういう気になったのだった。それで一二日の記事のしたのほうはすでに箇条書きではない段落方式でしるしている。


 この日のことにもどると、一時で通話を終えて自室にものをもちかえると、上階に行って洗濯物をとりこんだ。そのままタオルなどたたむ。そうしていったん下階にかえり、瞑想した。睡眠が四時間半ほどだったのでさすがにねむかったのではなかったか。よくおぼえていないが、意識があまり明晰でなかったのはたしかだとおもう。まえのようにねむすぎて上体が前後左右にふれて耐えられないということはもうあまりなくなってきたが。左右にゆれることはあるものの、ゆれながらもなぜか意識はそこそこたもたれている。
 ストレッチなんかもして二時になったおぼえがある。そして書見したのだったか? わすれた。いずれにしても出勤まえになにかしら夕食の支度をすこしだけでもしておこうとおもって、AJINOMOTOの餃子を焼くとともに味噌汁をつくったのだ。タマネギと卵の味噌汁にしようかなとおもっていたのだがタマネギがもうなかったので、どうするかと冷蔵庫をみて豆腐に決定。卵もいれようとさいしょはおもっていたのだが豆腐だけでそこそこの量になったし、かわりにネギを混ぜようというわけで、手のひらのうえで切り分けた木綿豆腐をしばらく煮たあと、ネギを鍋のうえにもち包丁ですこしずつ削ぐようなかんじでくわえた。麦味噌を溶かして完成したのが三時まえだったか? きょうは(……)さんが職場を開けるようだったし、準備時間がすくなくてもどうにかなるだろうと判断して電車で行くつもりだった。出るまえにまたも瞑想をしたのだった。一五分か一〇分かそのくらいでみじかく終えたが、一〇分一五分でもきちんとなにもしない時間を確保するのは大事だなとおもった。三〇分やろうとしなくてもよい。その後きがえたり身支度をして出発へ。調理中と出発直前でのこしていた洗濯物をそれぞれたたんだ。
 陽気はきょうも初夏、空気はやわらかで、服のうちで肌もほころびあるくあいだにふれてくる布地の質感がやけにさらさらとなめらかだった。公団付属のさびれきった小公園に立つ桜木ははや三色の混淆期にはいっており、といっても花はもうすくなくて、来たほうからみて正面にあたる東側はほぼ二色、葉の若緑と花弁の去った花柄の紅のとりあわせだが、それだとやや地味にうつり、花の白さがのこってみいろのいりまじったあの官能的なみだれぶりにはおよばない。木の間の坂を越えて最寄り駅にはいれば脇の広場ではこちらはピンク一色の、樹冠をまるくひろげふくらませた枝垂れ桜が満開で、すきまなく桃色をぬられたすじが何本も、ねじれた紐のように葡萄の房のように垂れさがって幹をかこんでいるさまの、下端から頂点までずいぶんながくたかいアーチをえがく傘のすがただった。


 帰路、最寄り駅で降りると自販機でコーラのちいさなペットボトルを買った。暑くなってきたのでさいきん品替えがなされて復活したのだ。夜気があるくにここちよい季となってきた。坂をくだって平ら道を東に行くと、どこかから虫の音がうすくつたわってきて、まだかさなりはなく一匹二匹にすぎないようだが、大気のなじみやすさにしてもすでに夏夜の気配がふくまれているなとおもった。


 勤務。(……)
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 あとは通話中のこと。(……)
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