2022/4/12, Tue.

 一九五五年にはフルシチョフとブルガーニンは、インド、ビルマアフガニスタンを歴訪した。今やブルガーニンはマレンコフに代わって首相となっており、党と政府のトップが揃って一カ月もアジアへ外遊したのである。中国がアジアで独自の外交を展開し始めたことに対抗して、アジア重視の姿勢を示したものと言われるが、実際、ソ連はインドと中国が合意した「平和五原則」への同意を示すとともに、訪問した各国に経済・技術援助の約束をした。特にインドに約束した援助の規模は大きく、インドはこれ以後、非同盟の立場ながらソ連と長く友好関係を持つことになる。
 外交における「雪どけ」の兆しはヨーロッパでも見られた。ドイツの英米仏占領地区に西ドイツ、ソ連占領地区に東ドイツが一九四九年に成立していたが、西側の軍事同盟であるNATO北大西洋条約機構)に西ドイツが加わることが一九五四年一〇月に決定された。西ドイツの再軍備を恐れるソ連は、強い危機感を持ってこれに反発を示した。一九五五年五月にソ連は、中立化を条件にオーストリアの独立回復を承認し、ドイツも中立化する可能性をぎりぎりまで模索したが、一九五五年五月に予定通り西ドイツはNATOに加盟した。これに対抗するため、東ドイツを含むソ連東欧八カ国は相互安全保障機構としてワルシャワ条約機構を結成した。こうして、東西ドイツを最前線として東西両陣営の軍事機構が直接に対峙することとなった。しかし、その一方で一九五五年九月にはソ連は西ド(end109)イツと国交を樹立し、ヨーロッパにおける戦後処理は基本的に終わった(もっとも、東西ドイツには国交はなく、東ドイツ領内にある西ベルリンの地位と扱いは国際的な懸案であり続けた)。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、109~110)



  • 「英語」: 483 - 500
  • 「読みかえし」: 639 - 645
  • 一〇時まえに覚めて、一〇時一〇分ごろ離床。皓々とした陽の快晴。水場に行って鏡のまえでアレグラFXを服用し、うがいもおこなったあと、トイレで用足し。もどってくるとねころがって書見した。トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山(下)』(新潮文庫、一九六九年)。510くらいから。のちにも読んでいま600すぎ。メインヘール・ペーペルコルンのはなしがつづいていたが、かれは死に、ショーシャ夫人もふたたびこの地を去る。ハンス・カストルプはこのふたりとそれぞれ独立の対話をして、その両方と、もうひとりのために「同盟」や「盟約」をむすぶ。ショーシャ夫人とはペーペルコルンのためによいお友達になり、ペーペルコルンとはショーシャ夫人のために「兄弟」になる。後者との対話のときにはじぶんがかのじょのいぜんの「愛人」(といってもじっさいには謝肉祭の夜にいちど、ハンス・カストルプが熱情に暴走して乱痴気的にはなしをしたにすぎないのだが)だったことをペーペルコルンに看破され、ことの経緯をはなすにいたる。おなじあいてをめぐる恋敵であるふたりが「兄弟」の盟約をむすんで和解したあとそのいっぽうが死ぬというのは、それじたいとしてはありがちな、予想される物語のはこびである。このそれぞれの対話においてペーペルコルンとクラウディアは、おなじことがらについてほぼ同一のことばづかいをしており、対称的(「対照的」ではない)なえがかれかたをしている。ふたりとも、もうひとりが不在のところであいてについてはなしをするのに気が引けている(529: 「ねえ、こんなふうにあのひとの噂をするのは、いけないことじゃないかしら」 / 556: 「あのひとのことをこんなふうにして噂するのは、いけないことではないでしょうか」)。ふたりとも、「同盟」もしくは「盟約」にかんしておなじかんがえをもっている(532: 「あたしたちもお友だちになりましょう、あのひとのために同盟を結びましょうよ、普通なら誰かを向うに回して同盟するんだけれど」 / 564: 「(……)あなたにお与えすることのできない償いを、私はあなたにこういう形で、兄弟の盟約という形ではたさせていただきたい。盟約というものは、普通は第三者、世間、あるいはある人間に対抗して結ばれるものですが、私たちはそれをあるひとに対する気持の上で結ぶことにしましょう」)。ハンス・カストルプからみたこのふたりへの関係には、対照的な側面もまたみうけられる。カストルプは、ショーシャ夫人には「あなた」ではなく「君」と呼びかけたいものの、夫人じしんにはそれをいやがられており、また恋心がばれていなかった段階ではペーペルコルンのてまえそうすることができなかった。いっぽう、兄弟の盟約をむすんだペーペルコルンはたがいに「君」呼ばわりをするようもとめるが、カストルプのほうではそれに気が引けている(568にその対照は明言されている)。ペーペルコルンはみなで滝の見物に遠乗りしてでかけたその夜に自室で自殺するのだが、かれの死は、自殺とは予想されないにせよ、病状の悪化への言及によってまえもって用意されており、またその当夜においても、「その夜、ハンス・カストルプの眠りが浅く短かったのは、自分ではまったく意識してはいなかったのに、何事かを心の中で待ち設けていたからであろうか」(586)と入り口をあきらかに舗装されている。ペーペルコルンが死んだところまでで説話としてはひとくぎりし、節がかわるとともに終演にむけてあらたな幕がはじまったというおもむきになって、ショーシャ夫人もいつのまにか去っているのだが、その別れは、「クラウディア・ショーシャがあの偉大なる敗北の悲劇に打ちのめされて、パトロンの生き残った親友ハンス・カストルプと慎み深く遠慮がちに「さようなら」をいい合って、ここの上のひとたちのところからふたたび去っていってしまって以来」(599)と、事後的に、ことのついでといった調子でわずか四行にまとめられているのみであり、ロマンティックな調子は皆無である。のこりは二〇〇ページ弱である。これいこうにかのじょへの言及があるのかどうかわからないが、カストルプをあれほどながいあいだ動揺させてきた恋と欲望の幕引きはじつにあっさりと、冷酷なほどにあっけらかんとしており、そのことには好感なのかなんなのかわからないが、なにがしかの印象をのこされる。
  • 一一時二三分から瞑想。暑い。花粉がやばいかなとおもいながら窓をあけたが、なんともなかった。みじかく一五分ほどで切って上階へ。ジャージにきがえ、食事はうどんや天麩羅のあまりなど。新聞でウクライナ情勢を追う。すでにきのうかおとといみていたが、シリアで市民の無差別殺害を指揮した人物がウクライナ侵攻作戦の総司令官に任命されたと。ウクライナ検事総長によれば、キーウ近郊ではいまのところ一二〇〇人超の犠牲者が発覚している。また激しい市街戦がつづけられているというマリウポリでは、市議会がSNSに発信した情報によれば、ロシア軍が市民を殺害しており、その被害はすくなくともブチャの一〇倍いじょうにのぼるだろうということ。三五〇〇人は超えるということである。プーチンオーストリアの首相と会談。オーストリアは軍事的には中立をたもっている国だというが、侵攻にかんしてはやめるべきだと明言している。
  • フランス大統領選の第一回投票が一〇日におこなわれたが、事前の予想どおりマクロンが首位でル・ペンが次点。決選投票は二四日で、接戦が予想されており、このあいだ新聞でみたときには五二パーセント対四八パーセントくらいでマクロンが上回っているということだったが、ル・ペンが大統領になる可能性もふつうにある。前回も同様にこのふたりで決選になりつつもマクロンが六六パーセントだかをとって圧勝だったというから、ル・ペンはれいの「脱悪魔化」などと呼ばれているハード路線封印によって着々と支持をあつめており、今回マクロンが勝つとしても次回どうなるかはわからない。フランスで国民戦線(いまは国民連合だが)の大統領が生まれれば、ハンガリーやらポーランドやら東では右傾化している欧州のなかで、西にもおおきな楔がうちこまれることになる。
  • 食事を終えると母親のぶんもあわせて食器を洗い、風呂も。緑茶をもって帰室。(……)さんからさくばんおくったメールの返信がきていた。Notionを用意するとFISHMANS『Oh! Mountain』をながし、「英語」記事と「読みかえし」を音読した。そのあとまた臥位になって書見。『魔の山』をすすめつつ、三時まえくらいにねむけが来てすこしだけまどろんだ。その後、おきあがってきょうのことを記述しはじめたが、とちゅうで母親がベランダに来たので干してあった兄の部屋の布団をいれるのをてつだい、それからまた日記をしるしていま四時四三分。おとといの記事はもうほぼ終わっている。ところがきのうの日記はまだ一文字も書いていない。通話もあったし、労働中のことをかんがえても書くことはおおそうで、きょうじゅうに始末できるかどうか自信がない。

―ヨーガや瞑想はここ数年、とくに注目されていると思いますが、そもそもどんなものと解釈すればいいのですか。

 ひとことでいうと自分を知ることです。ネット社会になりキーワードを検索するとなんでも答えが出てくるけれど、「自分」と入れても何も出てこない。世の中のいろいろなことは知ることはできるけれど、いちばん知ることができないのが自分です。知ることができないから知ろうとする。人生というのは自分を知る作業です。死ぬまでずっと「自分はなんなのか」「生まれてきたのはなぜなんだろう」「生きることはなんなのか」「自分の仕事はこれでいいのかしら」と自問し続けるのは、全部自分を知る作業でしょう。「死ぬのは怖い」とか「死んだらどうなるんだろう」というのも、自分にまつわる「はてな」なんですよね。それをひとつずつ解決し、「こういうことなんだろうな」と答えを見つけていくのが自分を知る作業であり、ヨーガなんです。生きているからには絶対に必要なことで、よりよく生きる力をつけるためにはヨーガをやるといい。もちろんヨーガだけでなく、たとえば日本舞踊をやっていて人生の真髄がつかめる人もいるし、陸上競技でつかめる人もいる。人間の存在ってなんだろうという「はてな」を、ほかのことでつかむこともできるけれど、ヨーガはストレートに本質へ迫ることができる直線の道といえます。

―それはどうしてですか。

 ヒンドゥー教には、人は生まれ変わるもので、その輪廻をなんとか抜けだしたいという「解脱」の考えがあります。僕の解釈でいうと「人間を卒業したい」ということです。生まれ変わるというのは、例えば小学5年生が6年生になるようなもので、つまり小学校は卒業できない。人間はもう一度生まれ変わって、違う職業に就いたりして、いろいろなことを勉強する。その「人間を卒業する」ためのノウハウがストレートに詰まっているのがヨーガです。
 ただ、ヨーガは宗教ではありません。ひとりの人間が人間を卒業するためのテクニックであり、ヨーガをする人のなかにはキリスト教徒もいるし仏教徒もいる。言ってみれば個人教みたいなものです。要は個人が完成すればいいだけのことなのです。

―あくまで自分で自分を知るために実践していくのがヨーガ、人間はずっと人間を卒業する旅を続けているみたいなものですね。実際にヨーガを始めたとして、自分とはなにかという答えにたどり着けるのでしょうか。

 はっきりとはわからないのですが、インダス文明モヘンジョダロの遺跡から瞑想していると思われる人の遺物が出てきたといわれています。つまり、そのころから「人間はどうしたらいいんだろう」と考える人たちがいたということです。
 最初は自分を知りたいと思うんだけど、ヨーガをやっているうちにだんだんと、たどり着けてもたどり着けなくてもいいや、となってくるんですよ。そういう執着がなくなってくる。なくなってくるけれど続けていく。死ぬまでたどり着けないくらい遠いかもしれないけれど、それでもいいわけです。旅でいちばん楽しいのは旅行を計画しているときでしょう。同じようなものです。目的地にたどり着いたからいいというものではないじゃないですか。その前にどうしよう、こうしようと考えているのがいちばん楽しいわけですから。

内田 7月の参議院選挙のとき、僕は、立憲民主党の候補者の推薦人になっていたので、大阪の駅前で三回、街頭演説をやったんですが、そのとき「今の日本人は、デモクラシーの考え方が間違っているんじゃないか」ということを申し上げました。
 10年ぐらい前からでしょうか、日本の有権者たちが、民主制というのは個人の剥き出しの欲望をぶつけ合って、多数を取り合うゲームだと思うようになったのは。勝負なんだから、格好つけることはない。包み隠さずに自分の偏見や利己心や欲望を露出して良いのだ、と。それが人として誠実で正直なマナーであって、偽善に対して、本音をぶつけることに批評性がある、と。そういうふうに思い始めたんじゃないかと思います。
 だから、議員や首長の選挙でも、自分たちの代表者がとりわけ徳性や知性において卓越していることを求めなくなった。それよりはむしろ、自分たちと同じ程度にエゴイスティックで、了見が狭くて、偏見に満ちていて、意地の悪い人間こそが自分たちの代表にふさわしいのではないか……、そういうふうに思うようになった。
 それは与党も野党も一緒で、いつの頃からか、「お茶の間の感覚を国会へ」「生活者の目線で」というようなスローガンをどこの政党も掲げるようになりましたね。僕も最初の頃は、そういう考え方にも一理あると思っていたのです。でも、ある時期から、特に大阪で、「お茶の間感覚」とか「生活者目線」というのが、「市民的常識を踏みにじってでも剥き出しの本音を語ること」と解されるようになった。
 「NHKから国民を守る党」という政党が出てきましたけれど、以前ならあの政見放送では議席を得ることなんかあり得なかったはずの政党が国会に一議席を獲得した。投票した人たちは、その綱領や政策に特別に共感したというわけではないと思うんです。NHKを潰すことが現代日本において優先的な政治課題だと思って投票した人はごくわずかでしょう。おそらく投票した人の多くは、ふつう人前では抑制するはずの非常識な態度をテレビカメラの前で示し得たことには「鋭い批評性がある」と思った。こういう仕方で、世の中の偽善や欺瞞を叩き壊すことは端的に「いいこと」なんだと思った。政策は評価しないが、ろくでもない良識を破壊する力は評価する……というロジックで投票した人が多くいると思います。
 でも、これは昨日今日の話じゃなくて、大阪に維新が出てきた時から、ずっとそうなんです。きれいごとを言うな、空疎な理想を語るな、現実の実相はこうなんだ、と。「公的な人間としては心ならずも守るべき建前」を片っ端から破壊していった。そのあげくに、今、僕たちの目の前には救いのない荒涼たる風景が広がっている。
 道徳的な歯止めがもうほんとに効かなくなった。刑事事件で立件されないことなら、何をやっても構わないという道徳的なアナーキーに今の日本はあるわけです。それが日本社会全体を覆っている殺伐さ、非寛容、底意地の悪さの原因だと思います。
 メディアで垂れ流される「嫌韓言説」がまさにそうですけれども、あれは政治的主張のような外見をとってはいますけれど、その本質は幼児的な攻撃性、暴力性を吐き出しているんだと思います。今なら、韓国批判という文脈なら、どんな下品なこと、どんな非道なことを言っても処罰されないから。ある種の人間たちは「処罰されない」という条件が付くと、日頃抑制していた、差別意識や憎悪を剥き出しにすることにきわめて熱心になるんです。

     *

成瀬 ヨーガ行者は、現世に対する執着がなくなっていくものです。財産や家族、名誉だとか、そういったものにしがみつかない、執着をなくす生き方は理想ですが、そうは言っても、なかなかなくならないものです。食欲などは、死ぬまでなくならいでしょう。
 「なくせ」と言っても、なくならないんです。
 だから、「なくす」のではなくて「離れる」んですよ。
 「離れる」というのは、あってもいいし、なくてもいいと思えること。
 そうすると、死の瞬間、もしかして氷山・氷河でアクシデントがあって死を迎えたとしても、「ああ、今、人間卒業なんだな。これはよかった、卒業証書が来た」と思えるわけです。でも、死にたいわけじゃないですよ。その逆で、一生懸命生きたいんです。
 一生懸命生きた結果、今、死が来るのだったらウェルカムなんです。

     *

内田 世の中を一気によくしようと思ってはいけません。若いときに学生活動にかかわっていて、一番身にしみた教訓はそれですね。一気に社会正義を実現しようと思ったり、一気に万人の幸福を実現しようとすると、そのための手段として、粛清と強制収容所が必要になる。最初は善意なんですよ。世界が公正なものであってほしい、愛に満ちた場所であって欲しいと願うのは人間として自然なことなんです。でも、その理想を「一気に」実現しようとすると、そのプロセスで暴力がふるわれ、憎しみが生まれる。戦争にしても、大虐殺や政治的粛清も、どれも駆動しているのは「忍耐力のない善意」なんです。
 成瀬先生は「バランス」とおっしゃったけど、僕も一番大切なのは「バランス」や「適度」ということだと思います。
 過剰な善意が、巨大な破壊を生み出す。しけた悪意も破壊をもたらしますけれど、「しけた悪意」がもたらす破壊は「しけた破壊」なんです。過剰な善意がもたらす巨大な破壊とは比すべくもない。

内田 よい先生に出会えないというのは運不運の問題じゃないと思うんです。最終的には本人がそれを決めている。僕には先年亡くなった兄がいます。その兄にはとうとう生涯、「先生」と呼ぶ人がいませんでした。
 兄は懐の深い、頭のいい男で、性格も優しくて、僕は素直に尊敬していました。でも、兄には友だちがいなかった。彼はどこに行っても誰からも「兄貴」と呼ばれていましたけれど、それは「樹の兄貴」だから(笑)。僕の友だちの中にしか友だちがいなかった。自分で連れて来た友だちを僕に紹介するというようなことがなかった。
 兄には友だちも先生もいませんでした。それは彼が師匠や親友というものに設定していたハードルが高かったからだと思います。自分が「先生」と呼べるような人間であれば、これくらいのレベルであってほしい、自分が「友だち」と呼べるような人間であれば、これぐらいの器量の人間であってほしい……という条件をつけていて、誰もその条件をクリアーすることができなかった。
 ある時兄からしみじみと「樹はほんとうに“弟子上手”だよ」と言われました。「お前は先生をみつけるのがほんとうにうまい。オレからみたら、それほどでもないと思える人でも、すぐに『先生、先生』と慕っていって、結果的にはその先生からいろいろなものを学んで、人生を豊かにしているんだから」と言われました。そんなふうに考えたこともなかったけれど、言われてみて、なるほどそうかと思いました。
 質問にあった「先生という人に、なかなか出会えない」ことについてですけど、僕はそれは話が逆じゃないかと思うんです。理想の先生がどこかにいて、それを探し続けて、場合によってはついに生涯出会えませんでした……というのはなんかものを習う上できわめて非効率な気がするんです。「人間到る処青山あり」ですよ。そこの角を曲がったら師匠がいたって(笑)。いや、本気でそう思います。できるだけ多くの人を先生と呼んで、学んだほうがいい。
 「蒟蒻問答」という落語がありますね。こんにゃく屋の六兵衛さんという人が坊主のふりをして、そこに旅の雲水がやってきて禅問答をするという話です。雲水の方は次々と難度の高い質問をするんですけれど、六兵衛さんはそれを全部こんにゃくに関することだと勘違いして、こんにゃくの話で切り返す。でも、雲水の方は六兵衛さんのこんにゃくについてのコメントをすべて仏教の真理に関するものだと勘違いして、「ありがとうございました。よい勉強をさせていただきました。また修業し直して参ります」と去ってゆく。
 これはなかなか深い話だと思うんです。粗忽な雲水がこんにゃく屋の六兵衛さんに騙されたという話のように見えて、実は一番得をしたのは雲水なんですよ。こんにゃくをめぐる問答から、仏教の真理に触れたわけですから。
 師弟関係というのは、ある意味でそういう「勘違い」を必然的に伴っていると思うんです。師匠が何の気なしに口にした、どうでもいいような一言を「あれはオレだけに向けて師匠が告げた叡智の教えなのだ」というふうに勘違いして、「ありがとうございます。勉強させて頂きました」と涙ぐむ……というようなことは、師弟関係では日常茶飯事なんです。それでいいんです。師弟関係、習った者勝ちなんです。弟子になった者勝ち。
 でも、「弟子になった者勝ち」というふうに考える人は少ないですね。人に教える立場になるためには何か条件が要るように考えている人が多い。
 僕が大学の先生をやっていたころに、時々、学生に対して「僕は君たちに『先生』と呼ばれるほどたいした人間じゃありません」というような奇妙な謙遜をする人がいました。同僚に「何とか先生」と呼びかけると、「いや、俺は内田さんの先生じゃないから、先生と呼ぶのは止めてください」なんてね。うるさいこと言うんです(笑)。そんなのこっちの勝手じゃないですか。「先生」って呼びたいから呼んでいるわけで、こっちの都合なんですよ。自分を「先生」と呼べるのは、これこれこういう条件を満たした人間だけだなんていうのは、自分が「先生」と呼ぶのは、これこれこういう条件を満たした人間だけだ、というのの裏返しなんです。こういう人は誰かの先生にもなれないし、自分の先生を持つこともできない。こんにゃく屋の六兵衛さんだって先生になるんですから、「先生」と呼びたかったら、どんどん呼んでください。
 僕は誰からでも「内田先生」と呼ばれても全然構いません。「君に教えたことはないから『先生』と呼ばないでほしい」とか、「俺は人から『先生』と呼ばれるほどの器じゃない」とか言う権利が僕にはないと思っていますから。『先生』と呼ぶか呼ばないかは、僕の問題じゃなくて、先方の問題なんです。『先生』と呼びたければ、そう呼んで下さい。誰かを『先生』と呼びたいという気持ちって、ある種の向上心なんですよ。それに水を差すことないですよ。

     *

内田 僕も、学生にも門人にでも、人生相談されて、きちんとしたアドバイスをしたことはありませんね。でも、話はよく聞きます。「ああ、そうなんだ」と気のない相づちを打ちながら(笑)。ちらちら時計を見て、「あの、ちょっと次の授業があるから、もういいかな?」って。時間が許す限り聞きますけれど、アドバイスはなし。
 でもね、聞くのって大事だと思うんですよ。僕が右から左へ聞き流すのは、若い人が「本当のこと」を話す時は、かなり「毒」を出すからです。親に対する憎しみ、配偶者に対する憎しみ、上司に対する憎しみ……だいたい吐き出しに来る時はすごくどろどろしたものを出すんです。それをこちらがまっすぐに受けとめてしまって、「君、そんなふうに人を呪ったりしてはいけないよ」とか、そんなまともなことを言っちゃダメなんです。せっかく吐いたものを口の中に戻すみたいなことになるから(笑)。気持ちよく吐かせてあげないと。
 学生たちはけっこう頻繁に部屋に来るわけです。「毒を出し」に。それは彼女たちの成長に必要なプロセスなんだと思う。ある程度社会的に認知された大人に話を聞いてもらう。それに対して、こちらは「間違っている」とも「正しい」とも言われない。ただ、「なるほどそうか」「大変だったね」くらいしか言わない。で、「あ、もう授業が始まるから、またね」で終わる。それで十分なんです。

     *

内田 でも、僕は人の話は聞かないけど、お金は出します。若い人が困っている問題のかなりはお金で解決できることだから。若い人にはちょっと工面できないけれども、僕なら出せるくらいの額のお金で、若い人のトラブルはけっこう片づくんです。だから、話を切り上げて、「で、いくら要るの?」って聞きます。これだけ要りますと言われたら、四の五の言わずに出す。世の中に「説教はするが金は出さない」という人がいますけれど、僕は逆で、「金は出すが、説教はしない」。僕、お金の使い方、割とうまいんです(笑)。

成瀬 おおー。

内田 長く生きてわかったのは、お金って、人にあげるとすぐにあげた分以上に入ってくるんですよ(笑)。

成瀬 それはそうだね。

内田 貨幣の本質は運動性なんです。貨幣は運動したがっている。だから、流れているところに集まってくる。貨幣を抱え込んで退蔵するのは貨幣の本質にそぐわないことなんです。だから、それをやると貨幣に嫌われる。
 「お金で幸福は買えないが、不幸を追い払うことはできる」っていう台詞がありますけれど、たしかにこれは一面の真理を衝いていて、お金で解決できる問題、割と多いんです。お金では本質的な問題は解決できませんけれど、お金がないと、そもそも本質的な問題に取り組むことができない、ということはあります。
 例えば親と葛藤があっても、うちから出たいけれど、出られないという人がメンタルに傷つくということがありますけれど、これだって、お金があれば家から出られて、親から距離がとれる。職場がつらくて仕事を辞めたいけれど、辞めると暮らせないという人には、辞めてしばらく休んで、別の仕事を探したらどう? というような提案ができる。お金で問題は解決しないんだけれど、問題に取り組む余力が得られる。

     *

――また、歴史上の人物とか、身近な人でもいいんですが、理想的な死に方をしたなというモデルケースはございますか?

成瀬 僕のおじいちゃん。祖父です。世に聖者とか、素晴らしい人はたくさんいますが、祖父が一番です。聖者というのは、信者の前では素晴らしくても、一人になったときにもそうかはわかりません。祖父とは僕が十七になるまでずっと一緒に暮らして寝起きを共にしていましたが、その十七年間の間、一回も祖父が怒った姿を見たことがありませんでした。
 生涯一度も怒らないという人は、ほとんどいないと思います。
 無理をしているのではなくて、本当に怒らないのです。こういうふうにしなさい、と言われる時も「叱る」のではなくて、「説得される」。
 おふくろや親戚、いとこに聞いて回っても、誰も祖父が怒るのを見たことがない、と言いました。そのことを不思議に思った母が、ある日祖父に「どうして怒らないでいられるの?」
と聞いたら、「お天道様のことを考えると、怒る気持ちになれない」というようなことを答えたそうです。
 だから、どんな聖者よりも、祖父は僕にとっての「超えがたい存在」ですね。祖父のようにはなれないな。


 夕方に瞑想しているときになんとなくおもったのだけれど、箇条書き方式をやめてまたふつうの一字空けの段落方式にもどそうかなと。箇条書きにしたのがいつだかおぼえていないのだが、去年か一昨年くらいだったか? いちにちのあたまから終わりまで順番にくまなく書いていくのが負担になって、これでは維持できないとなったときに、断片性をたかめて、ぜんぶ書くのではなくことがらをしぼろうとおもって導入したはず。けっきょくその後も書きかたはそんなに変わらずあいかわらず現在に追いつけないで追われているまいにちだが、とはいえよほどこだわりもなくなったし、順序も時系列順にとらわれなくなったので、もう箇条書きでなくてもよいだろうと。ふつうの段落形式のほうがたぶんはてなブログにコピペして投稿するときに楽なのではないか。段落方式にするといっても、むかしみたいにぜんぶひとつながりにやるのではなく、行開けをはさんで断片性は確保できるようにするつもりである。一行や二行あけて断章にするか、それとも改行と一字あけだけでつなげておなじ断章内に段落をつくるか、という選択ができるようになる。それでまた書きかたやニュアンスにたしょうの幅がうまれるかもしれない。


 自室で夕食を食ったあとにギターを弾きたくなって、盆とつかった食器をスピーカーのうえに置いたまま隣室に移動して、ちょっとだけさわろうとおもって弾きだしたのだけれど、興が乗って一時間くらいやってしまった。ひさしぶりに充実した感があった。いつもどおり似非ブルースもやったけれど、インプロヴィゼーション的にやっている時間がながくて、それがなんかけっこうよかった。他人がきいてよいものになっているとはおもえないが、ずっと目を閉じたままおとを弾いては見て、追って、また弾いて、というかんじでやっていたので、だいぶ没入した感があってたのしかったのだ。やっぱり録っておいたほうがよかったかなとおもった。どういうふうにきこえるのか、きいてみたい。こんどやるときは録るかもしれない。録ったらnoteにあげてアーカイヴしておくつもり。
 弾くにあたって大事なのはけっきょくおとのうごきや指板上の配置をよくみるということで、目を閉じないとどうしてもそれがやりづらい。指が先行して弾いているうごきを追うようにみるということもあるのだが、そのときはだいたい手癖にながれがちであまりよいものにはならない。瞑目のうちにおのずから生じてくるつぎのおとのポジションをひろうようにやったほうが充実する傾向がある。ただテンポがはやくなったりこまかく詰めるながれになるとそれはむずかしいし、もちろんこの二種類のありかたはたえず入りみだれていて、瞬間的に交替する。指と表象がぴったり同期すると、うまく、よくながれるということになるのだろう。
 目を閉じたままでもほぼいまどこのフレットを弾いているのか認識できるようにはなってきた。たまにおおきく移動したときに一フレットだけずれてわからなくなったりもするが。


 きょうは日中ずっとかなり暑くて、六月並みの陽気ときいたおぼえがあるが、たしかに空気の感触や外空間の気配は夏のてまえといった風情で、昼過ぎにねころがって書見しているあいだ、ベッドに接している南窓もベランダにでられる西窓もひらいて風をとりこんでいた。花粉の影響はかんじられなかった。読んでいるあいだにたびたびながれはうまれて、ときに風がそとのものにふれるひびきをともないながら二方のカーテンが、おおきくではなく半端なように、ふくらむまでいかずみじろぎ程度にもちあがって、左右にちょっとだけふりふりとひねるように襞のあいだの各所がぎこちなくうごいたが、カーテンがもちあがらないほどのながれでも、おそらく棕櫚の葉らしく窓外ちかくからパタパタとかるくたたくようなおとはきこえた。
 五時一五分ごろに上階へ行ってアイロン掛け。あいまにソファの側面に両手をつきながら前傾しつつ前後に開脚して脚のすじを伸ばしたが、そうしてみえる南窓のガラスのむこうの空は淡いみずいろ、みずいろとすらいえないようななめらかな淡さが一点の障害もなくただただひろがっており、夕刻をむかえてひかりを減らした青空はさらさらとしたむき身の風情、皮をはがれて果肉をあらわにしたくだもののように清らかだった。
 アイロン掛け後に台所にはいると、ハンバーグにしたと母親は言って、ボウルのなかにすでにタネがつくられてあった。それで薄いゴムの手袋をもらって両手につけ、こねる。こねているあいだに母親はあれもこれもというかんじで牛乳とかウコンとか片栗粉とかいろいろとくわえていった。そうしてじゅうぶんこねたとおもわれたところで成型。ある程度の量をつかんで手にのせ、右手から左手にむけてかるくなげてパンパンと打ちつけるようなかんじで空気を抜き、まんなか付近をへこませて皿に。ぜんぶで五個。さいしょのふたつがおおきめになってしまったが、それは空気の抜きが足りなかったなとおもってあとでもういちどやりなおした。焼くのは母親にまかせて、ゴム手袋をつけたまま流水で洗ったあと、ひっくりかえすようにして手からはずして始末すると洗い物。乾燥機のなかをかたづけてからながしにあったものたちを処理。タネをいれていたボウルも洗剤を泡立てて漬けておいた。そのころにはもうおおかた焼けていたのでしごとを終え、アイロンをかけたシャツと白湯をもって帰室。
 夕食まえの時間でひさしぶりに書抜きができたのでよかった。まいにち一項目ずつでもやっていかなければ溜まるいっぽう。


 うえに引いてあるウェブ記事は入浴後などに読んだもので、なぜか急にこの成瀬雅春のことをおもいだしたのだった。正確にはなまえはおぼえておらず、ただむかしパニック障害をどうにかしたいとおもっていろいろ調べていたときに、図書館で『ゆっくり吐くこと』という本を借りて読んだことがあったのだが、そのことをおもいだして検索したのだった。


 noteにはじぶんの記事を明朝体で表示するという機能があって、こちらもその設定をオンにしているのだけれど、なぜかこのパソコンでみるといっこうにそれが明朝体として表示されない。きのうChromebookのほうでみたときにはちゃんと明朝になっていた。いぜんからずっとそうだったのをまあいいかと放置してきたのだが、きょうおもいたって、ブラウザのフォント設定とかの問題なのか? と検索しつつGoogle Chromeの設定を変えたのだけれど、けっきょくそれでも変化はなくいまだに気の抜けたような字体で表示されている。編集画面だと明朝になっているのだが。しょうがねえ、まあいいかと落としたのだが、変えた設定は游明朝で、そうするとなにかを検索したときのGoogleの画面なども游明朝で表示されて、それはなんとなくおちつかない。あと、エロサイトをみたときにAVの卑猥なタイトルとかがかっちりとした字で書かれているので、こんなとこ格式高くしなくていいだろと違和感をおぼえて再変更し、いろいろみた結果として游ゴシックUIというのがみやすいのでは? とおちついたのだが、これがはてなブログに記事を投稿するときの編集画面がどうもせまく接しているようでみづらい。それでまた游明朝にしたところがダッシュボード画面の文字がぜんぶそうなっているのにやはりおちつかず、投稿時は目をつぶるかと最終的にまた游ゴシックUIにさだまっているのがいまである。フォント設定はもともとぜんぶ「カスタム」となっていたのだけれど、それにもどすにはなんかファイルをいじったりしなければならないようで、めんどうくさいのでやりかたをこまかくみてもいないしひとまずこのままでいく。あとついでにブログのフォントサイズもややおおきいような気がしたので、いくらかちいさくした。