2022/4/28, Thu.

 こうした例は、他にも様々な局面で見ることができる。社会主義計画経済の原則からは、(end192)私的な生産やサービスの提供は限定的なものにとどまるべきであり、住民への商品やサービスの提供は主に公営サービス企業や協同組合によって担われることになる。しかし実際には、公営サービス企業や協同組合の活動は住民の必要を満たすことができなかった。
 このため政権は、本来の業務は別にある工業企業、コルホーズソフホーズ、そして地域社会や住民に対して一定の役割を担わせることで生活サービス網を拡充しようとしたが、少なくとも一九六〇年代まではそれも十分ではなく、人々は私営の手工業者などに頼ることも多かった。ロシア共和国のノヴォシビルスク州の例では、公営の各種修理所は日曜定休で、交換部品や原材料の不足から修理ができないこともあったため、住民は私営の手工業者を利用することが多かった。料金は公営の修理所より二~三倍高いが、補修・交換用の材料や部品も揃っていることから、特に日曜には私営手工業者が繁盛しているとの報告がなされていた。
 私営手工業者を利用する住民が高い料金の支払いを余儀なくされていることもあって、公営の修理所のサービス改善が急務とされていたのであるが、とはいえ現に公営のサービスが十分でなかったこともあって、私営手工業者の活動は課税と引き換えに合法とされていた。しかし、先のノヴォシビルスク州に関する報告によれば、登録せず、税を納めていない私営手工業者も多く、現地の財務機関はそれを把握することができないか、把握する(end193)意欲に乏しかった。業者は公然と活動し、多くの住民がそのサービスを利用しているにもかかわらず、である。ここにも統制が及ばない故の「自由」を見ることができようし、現地の財務機関が私営手工業者の活動を把握していないことが能力の限界や怠慢によるのではなかったならば、その「自由」は暗黙裡に認められていたとも言えるだろう。
 政権の努力にもかかわらず、この時期のソ連では社会秩序も労働規律も売買契約も守られないことが多かった。そのことが規制を一層強化させる方向に働いて、他国ならば法的規制にはなじまないとされるであろうことまで規制したのであるが、厳しい規制の多くは「紙の上のもの」にとどまっていた。現に規制が存在している以上、違反者が処罰された例も少なからずあったが、それは「氷山の一角」に過ぎず、秩序や規律の侵犯は跡を絶たなかった。政権が統制できる範囲は社会の全域には及ばなかったのであり、だからこそ社会団体の引き入れが繰り返し求められたと言えよう。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、192~194)



  • 「英語」: 24 - 60
  • 「読みかえし」: 698 - 709


 一一時四五分に起床。やや遅い。布団のしたで胎児のポーズをとって肉をやわらげからだに血をめぐらせる。おきあがると水場へ。顔をよく洗い、口もゆすぐとトイレで放尿。部屋にもどってくると、なにを読もうかなあときのうからまよっていたわけだが、クロード・シモンの『フランドルへの道』を読むことにした。シモンはなんだかんだいって『路面電車』しか読んだことがなかったはず。それでも一冊読んだわけなので、内容はぜんぜんおぼえていないもののあの長大な文体は知っているし、こちらじしんああいうのがわりと好みな人種でもあるわけだが、『フランドルへの道』も書き出しからしてなかなかおもしろくて興をそそられた。改行なしでながながとつづく文章のなかで時空がどんどん転換していくさまにガルシア=マルケスの『族長の秋』をおもいださないでもない。こういうタイプの作品がどういうふうにして時空を移行したり飛躍させたりいるのかをこまかくくわしく調べれば、かなり勉強になるだろう。
 ほんのすこし、数ページだけ読んで一二時二〇分くらいに上階へ。父親は山梨に行っているらしい。ジャージにきがえ、洗面所であらためて顔を洗った。食事は冷凍のたらこパスタなど。新聞をみながらものを食っているとむかいの母親が(……)のお兄さんも山梨にいってたんだってと言い、また蜂がどんなふうになっているかスマートフォンをさしむけて動画をみせてきたが、ミツバチがめちゃくちゃたくさん群れて飛び回っているようすがうつっていた。箱だかなんだかがあるのでこれどこにあんの? ときくと、あの居間のこっちがわ、と言ったが、そんなに家のちかくにあってはなかに蜂がはいってこないのだろうか? 行ったら刺されないかなと母親ももらしていた。新聞一面は知床沖で観光船が行方不明になった件で運営会社の社長が会見をひらきなんども土下座して謝罪したとの報。注意報が出ていたことは知っており波の高さも運行をとりやめる規定をこえていたものの、午前八時時点ではさほどでもなかったので、船長とはなしてばあいによっては引き返すという条件付きで出航を許可したと。ウクライナ関連ではアントニオ・グテーレス国連事務総長プーチンと会談したもののやはりあゆみよりはなくめだった成果はえられなかったとの報。文化面に浜由樹子という静岡県立大学准教授が「ネオ・ユーラシア主義」について述べた記事があったのでそれも読んだ。ユーラシア主義というのはもともと一九二〇年代から三〇年代あたりにヨーロッパに亡命したロシア人らがアジアでもヨーロッパでもない独自のアイデンティティとしてロシアを位置づけたものだと。近年それが再解釈されて「ネオ・ユーラシア主義」として一定の勢力をえているようだ。プーチンもおそらくそれを信奉しているのだとおもうが、かれにイデオロギーがあるとしたらそれは「反リベラリズム」だとも准教授は述べていた。もともとロシアも欧州との関係構築を模索して、アジアとヨーロッパをつなぐみたいな役割をかんがえていたらしいのだが、欧州的リベラリズムの「押しつけ」や旧ソ連諸国へのその浸透(プーチンにしてみれば「浸食」ということになるかもしれない)にたえられなくなりいまにいたっているということなのだろう。
 食器を洗う。母親のぶんもあわせて。パスタのはいっていたフライパンにはみずをそそいで火にかけておいたので皿をあらい終えたころには沸騰しており、湯を捨てるとキッチンペーパーで掃除。それから風呂場に行って浴槽をこすった。きょうはひさしぶりに緑茶を用意したのだがそれはきのう(……)さんが父親にくれたからで、きのう昼過ぎに瞑想しているときにこちらも窓外に声をきいていたが、となりの(……)さんの葬儀にこんかいだれも呼ばなかったわけだけれどほんらい来るはずだったようなしたしいひとにはQRコードで写真などがみられるようになっておりそれをくばってまわっていると言っていた。納骨は六月二日だといっていたはず。そのときに茶ももらったらしい。狭山茶とパッケージにしるされてありながらもほかにメーカーや期限などなんの情報もないので、たぶんこれもたいしてうまい茶ではないだろうとおもいながらもいま家にある茶がどれもあまりうまくないものばかりなので一抹の期待にそそのかされて開封したのだが、やはりこれもあまりうまい茶ではなかった。もうあんまり茶を飲まなくてもよいはよいのだが。飲めばカフェインかなにかの作用でからだもみだれはするし。たまに苦味がほしくなるけれど。
 室にかえるとそうして一服しながらウェブをみたり、その後音読したり。きょうは休みだし、というかかんがえてみるときょうから五月八日の日曜日までずっとやすみなのか? やばいな。このまま一生やすみつづけたい。休みということもあり、また胎児のポーズをよくやってからだに血がめぐっているということもあり、音読にやる気がでて「読みかえし」のほうをけっこうたくさん読んだ。読むと二時半すぎくらいだったか。きょうは起床がおそくなって瞑想をはぶいてしまったのでさっさとやりたかったのだがさきに臥位になって英文記事を読む気になり、せんじつ読んでいたDavid Robson, “The reasons why exhaustion and burnout are so common”(2016/7/23)(https://www.bbc.com/future/article/20160721-the-reasons-why-exhaustion-and-burnout-are-so-common)(https://www.bbc.com/future/article/20160721-the-reasons-why-exhaustion-and-burnout-are-so-common%EF%BC%89)をさいごまで読み、さらにMichael S Jaffee, University of Florida, “How do politicians get by on so little sleep?”(2016/7/29)(https://www.bbc.com/future/article/20160729-how-do-politicians-get-by-on-so-little-sleep(https://www.bbc.com/future/article/20160729-how-do-politicians-get-by-on-so-little-sleep))も読んだ。
 そうしてきょうのことをとちゅうまで書いて、三時四七分くらいから瞑想した。三〇分弱か? そこからまた書いてここまで。四時半ちょうど。(……)からは一日はどうかときていたのでだいじょうぶ、時間はそちらにあわせると返信し、(……)さんからはきのう、三〇日の午後から合流しようとあったので二日つづけて出かけることになる。もともと二八日といわれていたが、こちらがGmailをみないで返信せずにいるあいだに二七日にかわっていたらしく、しかしきのうはこちらが労働だったのでわざわざ三〇日に予定を変えてくれたようだ。


 いま夕食をとった直後の午後八時。れいによって(……)さんのブログを読みながらものを食べたが、冒頭の梶井基次郎の引用の書きかたがすこしおもしろく、ちょっとすごいようにもおもった。

 彼らの借りている家の大家というのは、この土地に住みついた農夫の一人だった。夫婦はこの大家から親しまれた。時どき彼らは日向や土の匂いのするようなそこの子を連れて来て家で遊ばせた。彼も家の出入には、苗床が囲ってあったりする大家の前庭を近道した。
 ――コツコツ、コツコツ――
「なんだい、あの音は」食事の箸を止めながら、耳に注意をあつめる科(しぐさ)で、行一は妻にめくばせする。クックッと含み笑いをしていたが、
「雀よ。パンの屑を屋根へ蒔いといたんですの」
 その音がし始めると、信子は仕事の手を止めて二階へ上り、抜き足差し足で明り障子へ嵌めた硝子に近づいて行った。歩くのじゃなしに、揃えた趾(あし)で跳ねながら、四五匹の雀が餌を啄(つつ)いていた。こちらが動きもしないのに、チラと信子に気づいたのか、ビュビュと飛んでしまった。――信子はそんな話をした。
「もう大慌てで逃げるんですもの。しとの顔も見ないで……」
 しとの顔で行一は笑った。信子はよくそういった話で単調な生活を飾った。行一はそんな信子を、貧乏する資格があると思った。信子は身籠った。
梶井基次郎「雪後」)

 信子が行一の質問にこたえた直後、「その音がし始めると」以下を読んでいるあいだは、このぶぶんの記述はまえの食事のシーンから地続きで、信子は食事中に席を立って二階にあがっていったようにおもえるわけである(とはいえ、「仕事の手を止めて」とあるのには、食事中に仕事ってなんなんだろうという疑問が湧いたので、ここでシーンがきりかわっていると気づくこともできるのだろうけれど、こちらは夫への給仕とかのことをいっているのかなと整合的に解釈してしまった)。ところが段落のさいごまでいくと「――信子はそんな話をした」とあるので、あ、このぶぶんはべつのときのエピソードをかたっていたのか、とわかるのだ。梶井基次郎がこういう錯覚的な時間の操作を意識的にやっているのかどうかはわからないのだが、ちょっとおもしろかった。しかしすごいとおもったのはそのあと、「しとの顔で行一は笑った。信子はよくそういった話で単調な生活を飾った。行一はそんな信子を、貧乏する資格があると思った。信子は身籠った」のながれ、とくにさいごのひとことである。「信子はよくそういった話で単調な生活を飾った」も、日常茶飯のつつましい穏和さをかんじさせ、「行一はそんな信子を、貧乏する資格があると思った」もありがちながらちょっとおもしろいいいかただなとおもうが、この終わりに「信子は身籠った」を置けるのはすごい。あざやかな飛躍がはさまっている。一読してはっとした。接続詞もしくは接続語の欠如がきいている。読みかえしてみるとこのぶぶんの記述で、そういうたぐいのことばではじまっている文はないわけである。ひるがえって我が身をおもうとじぶんはかなり接続的なことばをはさんでながれをなめらかに整地してしまおうとするなとおもった。それはたぶん、翻訳されたガルシア=マルケスの文体を手本に練習していたそのならいが基礎としてずっとのこっているのだとおもう。「そういうわけで」とか一時期よくつかっていた(「そういうわけで」は『百年の孤独』と『族長の秋』(たぶん、とりわけ前者)でたびたび活用されているのだ)。「それから」とか「そうして」「そして」、あるいは「その」「それ」「そういう」というふうに、じぶんの文章はたぶん「そ」のつく接続もしくは指示のことばがおおいとおもう。ながい描写をしているときなど、「それ」「その」でまえをうけつつつなげてしまうことがおおいなというのは書きながらじぶんでおもっている。

 夕食には麻婆豆腐と大根・ニンジン・タマネギの汁物。めんどうくさいので調理の詳細ははぶくが、そのまえにアイロン掛けもやった。で、またせっかくだからスマートフォンで音楽をききながらやるかという気になり、部屋からもってきてFISHMANSの『宇宙 日本 世田谷』をききながら作業した。よい。うたがいなくすばらしいのだけれど、FISHMANSがすごいのはすばらしさと同時にたびたび困惑をあたえてくるところだなとおもった。だいたいのところ佐藤伸治の歌詞についてそうかんじるのだが、かれの書くことばはふつうに詩的でいいじゃんとおもうものもありつつも、そのいっぽうで、なにそれ? とか、どういうこと? とか、あ、そうなの? とか、なにいってんのこいつ? みたいな反応がじぶんのなかで頻繁に起こる。それは意味深だということではないし、反対にナンセンスだということでもなく、どういうことなのかよくわからないのだけれど、とにかく、なにいってんの? というかんじを受けることがおおい。佐藤伸治のあの声でいわれるのでなおさらそうなるというのはあるとおもうのだが。FISHMANSの音楽のすばらしさとかよさの内実がどういうことなのかわからないということではなく(それもたしょうあるのかもしれないが)、ぜんたいとして、また個々のすばらしい箇所があきらかにすばらしくうたがいなくよいそのいっぽうでなんなんですかこれは? という困惑が混ざりこんでくるのがメタ的にすばらしい。


 David Robson, “The tragic fate of the people who stop sleeping”(2016/1/20)(https://www.bbc.com/future/article/20160118-the-tragic-fate-of-the-people-who-stop-sleeping(https://www.bbc.com/future/article/20160118-the-tragic-fate-of-the-people-who-stop-sleeping))を読むなど。夜は予想していたよりもあまりがんばれず、寝床にころがってウェブをまわりながらだらだらしている時間がおおかった。書抜きもしていない。