2022/4/30, Sat.

 ソ連では自由な言論などあり得ず、新聞雑誌には政権を礼賛する記事ばかりで不都合なことは一切書かれていなかったというオーウェルの『一九八四年』そのままのイメージもあるだろう。しかし、このイメージはソ連の実情に即していない。確かに時代を下るに連れて検閲が網羅的に整備され、公的なマスメディアで検閲を免れていたものはなかった。内戦期や「大テロル期」には、不満の表明は相当に危険であった。しかしスターリン時代でさえ全般的には批判的否定的な記事は数多く書かれていた。とはいえ、制約があったことも確かであり、だからこそ、後述のようにゴルバチョフの奨励したグラスノスチは大きな反響を引き起こしていったのであるが、それでも、少なくとも「雪どけ」以後のソ連は、人々が不満や苦情を一切口にすることができないほど雁字搦めに統制された国であったわ(end200)けではなく、生活に関する不満や苦情を人々は公然と表明していた。
 ソ連の人々は、不満や困難を訴え要望を伝える手紙を、様々なレベルの政治指導者や党・ソヴェト機関、新聞雑誌の編集部へと驚くほど多く寄せている。裁判所に対してさえ多くの苦情が寄せられていた。他には要望を伝える経路がなかったためでもあるが、ソヴェト政権や指導者に対する信頼が人々に多少なりとも存在していなければ、こうしたことはなされないのではなかろうか。たとえそれが「わらにもすがる」ような一縷の望みによるものであったとしても、なんらかの成果を得る可能性は意識されているはずである。そして、政権の側にも人々の手紙や投書に応えようという意識は確かに存在したし、実際、こうした手紙や投書が政権側の対応を呼び起こすこともあった。
 これは、やや具体的には次のような関係であった。ソ連では政治・経済・社会生活のほぼあらゆる局面に公的な機関が関わったため官僚機構は肥大し、官僚主義と事務遅滞がはびこって人々の不満は高まった。このため中央の指導者は、一般大衆を鼓舞し動員することによって、中下級の様々な指導者や機関の官僚主義汚職、腐敗、職権濫用などを暴かせようとキャンペーンを組織した。ブレジネフの下でもフルシチョフの下でも、スターリンの下でもこうした取り組みはなされていた。これは、日常的に人々が自らの要望を指導部に訴える回路ともなり得たのであり、人々は、物不足やサービスの欠陥の訴え、中下級(end201)の機関や指導者に対する批判と救済の訴えなどの手紙を、地区から連邦中央に至る様々なレベルの指導者、党機関・国家機関に対して常日頃から送るようになっていた。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、200~202)



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 いま午後一一時半まえで、きょうは昼過ぎから出かけて(……)さん(……)さんと会い、有楽町で映画をみてかえってくると(……)さんはのぞいて兄とその子ふたりが来ていたのだが、外出もしていろいろと見聞きしたこの日のことをおもいかえすに、これは書いておきたいとおもうのがやはりどうしても風景なのだ。とにかく風景を書きたい。風景をみて書かないわけにはいられない。風景を書きつづけよう、ただずっとひたすらに。
 往路に出たのは一二時半直前。この日は快晴でひかりがよくとおり大気はあかるく空も青かったが気温はおもいのほかにあがらず、あかるさに比して不似合いなように涼しい昼だった。みちに接した石段のうえ、林の外周をなす草むらは背丈を伸ばしてボリューミーに繁茂してきて、織りかさなって一帯を埋め尽くしたみどりがひかりを撒かれて白さをはじいており、とくにカマキリの鎌のように細長く先端が収束した葉の垂れ下がりが目立つ。それらが編みこまれた髪の毛のようにうねりながらひろがっている。みちはしずかだった。ひと気がみえず、沿道の家から気配も立たず、風のながれもみちばたの小さ草をゆらしながらもおとを湧かさず、ときいているうちに公団まえまでいたると前方に数人、こちらに来るふたりと坂をくだっていくふたりとみえて、風もいくらか速さを増して耳の穴のまえにひびきを置いたり、家かなにかにあたっておとを立てたりした。十字路からいつもどおり木の間の坂に折れてのぼっていくと足もとにひろがったあかるみのなかに葉影が入り混じりながらゆれて路面が波打ちたわんだようで、うわ、みなもだ、とおもった。木々を縫って投射されたひかり溜まりのうえにうつった天蓋の影は蜂の巣状というか、なかをいびつにくりぬかれたその外周線が無数につながりつらなって、へんな比喩だが不格好なかたちの手裏剣が敷き詰められたようでもあり、落ちている植物の屑をきらめきでかくす白さのうえで、いちまいの影はすずしく希薄なのだろうがいくつもかさねられて黒くなったものもありそれらが揺動におうじて濃淡を微妙に交雑させてうみだす影絵の、川のおもてに陽射しがやどって銀色をまきちらしながらうねるときの波打ちとおなじくみえて、みずはひかりに、ひかりは影に転じたかたちでここはみなものあらわれだった。
 坂を越えて最寄り駅まで来るとトイレに寄って用足し。出ると正面に立ったカエデの木の明緑の葉が空に映え、じつにさわやかで、ほとんど野菜のような、みずみずしいメロンのような、まるで食べられそうなみどりのあざやかさだった。ホームにわたってさきのほうへ行き、線路をむくと視界の奥は丘で、そのもとの一軒の脇にあれはおそらく竹だろうが上下にながい葉叢が数本分風にかたむいているのはこの春おりおり見た光景だが、そのいろがやや鈍く地味なのに比して背景をなす丘の低みにはいつのまにかここも若やいだみどりがふくらんで、あかるく横にならんでいた。
 いちにちを街にすごしもどってきた帰路は八時すぎ。空気はいくらか冷え冷えとなった。最寄りの駅を抜けて暗がりの坂をおりながら、あっというまに夜になったなという感が立ち、数時間まえにみたはずのみなもはとうぜんながらもはやなく、そこを踏むのはふしぎなようで、路上にひかりの白さはあるけれどそれは太陽や月を僭する気もない人工器具のひろげるもので、街灯は樹冠よりもしたにあるから影絵はうまれずのっぺりと薄く塗られるにすぎない。しかし坂を抜けてしたのみちに出るとおおぶりの、道幅を越えて横切る影が、乗っていた子の去ってまもないブランコのようにはげしくはなく鷹揚にふれて推移しているのは公団付属の見捨てられたかにわびしい公園の桜が街灯のあかりに射抜かれたもので、大縄のごとく這う影に足もとを通過されながら、そうかこれほど葉が育ったのだ、みちをいっぱい横切るほどに葉のつらなりがおおきくなったのだとその気づきに目を枝にやり、肌寒い風で影はゆれまじわって、ここはここでまたひとつのみなものささめきだった。


 書きたかった風景というのはとくに往路のみなもで、うわみなもだ、とおもって撃たれたのでこれは書かねばならんとおもったわけだが、こんなふうに書いちゃっていいのかな? という、あるいはこんなふうに書いちゃっているだけでいいのかな? という疑問もある。おれが書いているこれは風景なのかな? という疑問もある。イメージつかいすぎだし。
 しかし、これは風景描写なのか? という点はひとまず不問に付すとして、noteにためている風景の記述はいまこれで171をかぞえているし、こんなにまいにち風景ばかりやたらこまかく書いているにんげんしょうじきほかにほぼいないとおもうし、この種の記述をあつめただけで『風景集』としていっさつ本にして出版できるのでは? とおもう。


 起きたのは九時。アラームをしかけておいたのでそれで無事に。水場に行ってきてからきょうもまず書見。クロード・シモンの『フランドルへの道』を読みながら脚をもみほぐす。瞑想のはじまり終わりをわすれたのだがたぶん三〇分ほどで、一〇時すぎくらいまでだったとおもう。上階へ。さくばん(……)のおばあさんが亡くなったということでこんかいの訪問はとりやめとあったのだが、そのおなじ晩の深夜一時ごろだったか母親が部屋に来て、あしたやっぱり来てくれっていうから行ってくるね、八時ごろには出ちゃうとおもうから洗濯物よろしく、と知らされていた。そういうわけで両親はすでに不在。天気はよくて居間の南窓から近所の屋根のかがやきがみえるが、さきにも記したように気温は意外と低めで、起きたときから空気の質感は肌寒いかのようだった。ジャージにきがえて洗面所に行き、洗顔。いつもはあたまなどたいしてととのえもせず放置しているが、きょうはいちおう女性と会うわけだし整髪料くらいちょっとつけておくかとおもって髪を濡らして乾かしたあとにたしょうととのえた。といってセットというほど格好良くできるスキルをもっていないのだが、ともかくつけるだけはつけた。そうして手指を洗い、ハムエッグを焼いて食事。新聞一面にはKAZU Ⅰの件の続報。海底一二〇メートルに沈んだ船体を発見したと。海上保安庁がソナーをつかって調べていたところ反応があったので、海上自衛隊が水中カメラを沈め、船体と、その側面にKAZU Ⅰの文字が書かれているのを確認したと。行方不明者が船内にいるのかはまだわかっておらず、捜索には時間がかかるみこみだが、船体引き上げよりもそちらを優先する予定だと。ほか、ウクライナまわりでは東部ドネツクの親露派武装集団のトップが、戦闘は五月なかばをこえて長期化する可能性があるというみとおしを述べたと。プーチンは五月九日の対独戦勝記念日を節目にしたくてそれで国内向けのはっきりした戦果をほしがっているとまえから新聞上で言われているのだが、親露派トップはそこまでに切りがつくとはかんがえていないということだ。
 食後は食器のかたづけと風呂洗い。きょうも浴槽の内側下端にぬるぬるした感触がのこらないよう、念入りにこすった。それから一二時半ごろに家を発つまでは、二時半ごろ着くよう行くと(……)さんにメールをおくったり、二回目の瞑想をしたり。(……)さんのブログをほんのすこしだけ読む時間もあった。歯磨きのあいだだろう。そこで二〇一一年三月三日からひかれたボツになった小説の書き出し案を読んだのだが、これは記憶にあって、うわこれおぼえてるわ、なつかしい! とおもってちょっとおどろいた。そのまえのふたつはぜんぜんおぼえていなかったのだが。まあじっさい過去に読んでいるわけなのでおぼえていてもべつにふしぎではないのだが、この林のやつは冒頭からなんとなくみおぼえがある気がされ、「極彩色」でこれまえに読んだのでは? という気配がつよまり、「孟宗竹」と猿の登場で確信した。
 往路ちゅう、最寄り駅までのことはうえに書いた。電車に乗ると席について目を閉じながらしばらく待ち、(……)に着くと乗り換え。客はけっこうおおい。降りると同時にむかいの乗り換え先にむかってひとびとがながれはじめるそこを縫って横切るようにしてまず垂直方向に折れ、ひとのあいだをぬけるとそのままホームのさきのほうへ。ひかりはまぶしい。いちばん先頭の車両に乗って席につくと、きょうはひさびさに出先で音楽をきいてみようというわけでとりだしたスマートフォンにイヤフォンを挿し、Amazon MusicのアプリをひらいてBill Evans Trioを検索すると『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』をながした。それで基本的にずっと瞑目しつづけたまま、じっとして音楽をきくともただやすむともつかない時間をすごした。とはいえいっぽうできょうは緊張に淡くさいなまれる時間もあり、さいしょはからだのうちがわ、腹のあたりなどにかけらが散っているだけなのだが、目を閉じてじっとしていると心身がおのずと集中的なかんじになって、気をそらす外界の情報がないままじぶんの体内感覚とむきあうことになり、そうすると緊張がよくみえるからだんだんとそれがそだちはじめるわけである。やや苦しくなって、動悸がからだにひびくいっときもあった。とはいえこれにかんしてはじぶんはもうベテランだし、動悸緊張といってもその規模程度はかつてとくらべれば比較するべくもなくちいさなものだから、その場からにげだしたいほどのパニックにつながらず、からだのなかでちょっとさわいでいるのを冷静にうけとめそれがじぶんの輪郭をはみださない範囲におさまっているのもあきらかにみてとれる。だからすこしビビりながらもそれをそのままにしてしぜんとしずまるのを待つかんじだ。たぶんレベルとしては尋常のひとがたとえばはじめての受験とか就職面接とか、人生の大事をまえにしたときにおぼえる緊張とおなじ程度のものではないか。それもすぐにおさまりはするのでもう日常をすごすに支障はなく、じぶんは寛解したと言ってなにも問題ないだろうが、そうはいってもパニック障害のなごりが、いまだにこういうかたちで根強く残存しているのもたしかだなとおもった。じぶんはいつまで経っても不安からかんぜんに解放されはしないようだ。
 すさまじくひさしぶり、何年ぶりで、電車内で音楽をきいたのだが、まあおもしろいかおもしろくないかでいえばわるくはないけれどそんなにおもしろいわけではなく、いちおうカナル型イヤフォンなのだがアナウンスは容易に耳の塞ぎをつらぬいてくるし、走行音などもあってもちろんそんなに明瞭にきこえるわけでないから、とりわけジャズをながしても細部がみえきらずにうんまあまあまあそうね、という感触にはなる。ノイズキャンセリングの品をつかえばまたちがうのだろうが。しかし反対にいえばかなりの程度きこえているとも言え、Bill Evans TrioでいえばなぜかMotianのシンバルがきわだったし、こまかいフィルの質感もあわせて家できいたときよりもドラムが迫るかんじすらあり、”All of You (take 1)”にかんしてはピアノソロの終盤がやはりすごくてひきこまれたのだけれど、ぜんたいとしてじゃあ電車内で音楽をきいておもしろいかというとそこまでではないというのがひさしぶりの実感である。あとにはFISHMANSLed Zeppelinなどもきいて、こういう歌もののロックポップスならジャズよりはまあ行けるかなという気もしたが、外出時にかならず音楽をききたいとはもはやおもわない。
 いっぽうでは緊張しつつも、睡眠がすくなかったのでいっぽうではねむたくて、睡眠がすくないのも緊張要因のひとつなのだとおもうが、それでそんなに明晰な意識でもなかったので余計にBill Evans Trioははいってこない。(……)で立って特快に乗り換えることにした。立てばまだしも血がめぐるかという思惑である。それで降り、特快が来るあいだ線路をまえに立ち尽くして、正面の沿道に初心者向けのガールズバーをうたった店があるのをみたり、自転車に乗ったおとなこどもがなんにんもおもてのほうから走ってきて、そこにたぶん地下通路があったのだとおもうがそのあたりにはいっていくのをみていると、いかにも町だなという感をえた。特快に乗り換えて扉際に立ち、手すりを左手でつかみながら目を閉じて佇立。新宿を越えてちょっとしたところでスマートフォンをとりだしてGmailをみると(……)さんからメールがきていて、集合は上野でそれいぜんに動物園をぶらつこうというはなしが出ていたのだが動物園はいま予約制になっていたということで、(……)さんとはなして映画でもみたらとなったので急ですまないが有楽町に来てくれるかとあった。了承をおくり、ちょうど四ツ谷のまえだったのでYahooの路線情報にアクセスして有楽町までのルートをしらべた。これもスマートフォンに変えてできるようになったことで、ガラケー時代だったらいったん降りて路線図をみるなり駅員にきくなり、もうすこし手間がかかっていたはずである。しかし四ツ谷からだと乗り換えねばならずめんどうだなとおもったので、それではもともと経由するつもりだった神田からならどうかとみれば山手線で二駅なのでそちらで降りることにした。そもそも有楽町が山手線上の駅だということすら知らなかった。四ツ谷御茶ノ水についたあたりで音楽をFISHMANSの”バックビートに乗っかって”に変えたのだが、ひらいたドアのむこうに草のみどりがやや混ざりながらひかりがとおって空間を満たし、ホームにもかかって面を発光させているそのあかるさにあの曲の浮遊的な、酩酊的な空気がよくそぐうて、”バックビートに乗っかって”はそとできくときもちのよい異化効果があってこれはけっこういいなとおもった。神田で降りたころには”WALKING IN THE RHYTHM”にうつっており、山手線外回り(東京・品川・渋谷方面)のホームをさぐってむかうと階段の脇にちょうどトイレがあったので寄り、小便を体外に出しながら音楽をきいたが”WALKING IN THE RHYTHM”ももちろんよく、まさしくおどるようにあるくためにあるような曲だなとおもった。
 ホームにあがると来た山手ラインに乗って扉際で二駅。有楽町で降りると音楽をきくのはもうやめてイヤフォンをしまい、どの口に行けばよいかわからなかったがとりあえず中央口とあるほうに行ってみるかと階段をくだり、改札を出るまえに横のほうにそれて(……)さんに電話をかけた。すぐに出たのであいさつをし、有楽町についたがどの改札に行けばよいのかたずねると、きょうなんとか口と言い(ききとれなかったのではなくて(……)さんほんにんが「きょうなんとか口」といったのだ)、たしかにさきほど看板できょうなんとか口の文字をみたような気がしたのでともかくそっちにむかいますねと電話を切ってまわりをみれば、京橋口だった。その表示があるほうにあるき、まっすぐな通路をたどっていくとまもなくその正面にくだんの改札があったので抜け、出て右とかいっていたなとそちらをむいて折れようとしたとたんにまえを行く男女が目的のふたりではないかとみえたので、とおりすぎようとするところにちかづいて手を振るとあちらも気づいた。痩せました? といわれた。なんも変わってないですよと笑ったが、痩せたという印象は(……)さんにも(……)さんにものちにも言われ、かんがえたところまえに会ったのは二〇一九年だったので、一八年ちゅうにオランザピンの副作用で太ったその肉がとうじはまだすこしのこっていたのだろうとおもわれた。それはあとではいった喫茶店でしたはなしだ。この出会い頭にはほか、まえよりもおしゃれになってるといわれたが、こちらはむろんまえからずっとレベルのたかいおしゃれである。それは冗談としてもここ三年で服飾などひとつふたつくらいしか買い足していないわけなので、この日着ていた服もまえからもっていたもので服装が変わったわけではない。ちなみにこの日の衣装はPENDLETONの褐色のシャツにしたはいつものブルーグレーのズボン(じぶんはいつまで経ってもボトムスを「パンツ」と(「パ」にアクセントを置いておとを高くするのではなく三音ともおなじ高さで平板に)いうことができないので、これだけでガチのおしゃれ勢でないあかしにはじゅうぶんである)、上着はなんだったかたしかnicoleとかいうメーカーの濃紺のジャケットで、このジャケットはたしか一万円くらいで買ったはずだがけっこうよい品だとおもっている。PENDLETONのシャツはやわらかい質感のもので襟もややゆるく、襟元の第一ボタンもないから肌着の黒がしたに見えてしまってそれはちょっとなんかなあとおもうし、くわえてやわらかい質感のシャツなのでジャケットをはおってバッグをからだにかけるとけっこうかたよって均整がくずれたりするのもフォーマル風スタイルのわりにあんまりパキッとしないなとおもったのだが、着替えるのがめんどうだったしこれはこれでいいかとゆるく落とした。
 ともあれ映画館のチケットを買いに行くことに。いちおう東京都住まいのじぶんなのに福岡から出てきた(……)さんがスマートフォンの地図をみながら先導するのにかんぜんに依存しつつあるく。有楽町という土地に来たのも二回か三回目程度ではないか。いったん駅を抜けたのだがそちらはまちがいだったようで通路をもどり、反対側に出るといちどみちをわたってなんらかの商店集合ビルみたいなもののなかを抜け、それでひだりてにむかうと行く手に銀座インズというオレンジ色の案内看板をそなえたビルがあらわれ、そのあいまの通路をとおったところで横に折れるために横断歩道を待っているときにそれまで正面だったみちのかなたをじっとみとおして、よごれやみだれの皆無なみずいろの快晴天や、そのしたで果てのビルのかたちがよくうつっているのや、もっとてまえ、車道をわたったむかいのそこにオレンジっぽいいろの花かなにかを髪飾りめかせてゆたかに茂った濃緑の木が風にゆれているのを短時ながめた。みちをわたるとまた横に折れてその車道もわたり、そこからみぎに行くと映画館である丸の内TOEIのまえについた。みるというのは『ハッチング ―孵化―』という映画で、なんかまえにどこかで広告を目にしたような記憶があったのだが、気のせいかもしれないが、そこにあった表示をみるとホラーもしくはスリラーみたいなやつらしいので、というかあるいているあいだにそういうはなしはきいていたかもしれず、いずれにしてもホラー映画などみつけないのでホラーですか、と苦笑した。四時四〇分から。時間は二時四〇分くらいだったはず。ほかの作品もみてみたがおおかたエンタメ方面とみえたし島崎藤村の『破戒』の映画化があったがべつにそんなにみたいわけでないし、時間的にちょうどよい作品が『ハッチング』しかないようだったし、どれをみたいというこだわりもなかったのでこれをみましょうと決めてチケット購入へ。三人分まとめてこちらが払い、再会記念に(?)おごりとした。おとなひとり一九〇〇円。(……)
 それで映画の開始まではまだけっこう時間があるわけなのでどうする? と問い、まあとりあえずどこかにはいろうということでみちのさきにてきとうにあるきつつ、さっきの銀座インズに店がたくさんあるようだったと車道をわたってもどり、あいまの通路に接したオレンジ色の案内看板をみるに銀座インズは123とわかれたビルで、はいっているのは服屋などもあっただろうが飲み食いどころとしてはだいたいが飯屋、カフェという種はあまりないとみえて、インズ1の二階にはたとえばカフェレストランをうたったガストがあったり、あとCAFEという文字がついた店はあったがどちらかというとこのフロアは飯を食うばしょとおもわれ、インズ2にはめぼしいものはなく、インズ3の一階に瑠之亜珈琲なる店があって字面からしてカフェなので、どうしますインズ1の二階に行くか、それかこの瑠之亜珈琲に行ってみるか、と問うて後者に行くことになった。銀座インズ(というかそもそも有楽町という土地は銀座の範疇だったのか?)の三兄弟的なビルは横にならんでおり案内看板には現在地がインズ1の脇であることも示されており、ふつうに道沿いにあるいて3まで行けるようだったのでふつうに脇の歩道をあるいていった。天気はよくひかりはただよって空はどこでもみずいろだったが空気に熱はとぼしくて風がながれると夜のつめたさがおもわれた。インズ3につくとはいり、目のまえはマクドナルドかなにかだったのでせまい通路をたどって瑠之亜珈琲のまえまでいったが、フロア内からはいれるドアはいま出口専用になっているという表示があり、右側の入り口からともあったので右側ってこっち? とそとに出ると、そこにたしかにちいさな入り口があったのではいり、瑠之亜珈琲とはルノアール系列だということをそこで知ったのだが、女性店員がこちらをみとめて何名かきいてくるので三人だと指を立てると、かのじょは首を左右に振ってフロアをみまわして、こちらもおうじるともなく視線を左右に振ってフロアをみると入り口付近にいるこちらのばしょからみてひだりがわの壁際(というか店のそちらがわはビル内に面してガラス張りだったとおもうのでガラス際だが)にふた席客が去ったばかりで卓上にまだ食器類ののこったテーブルがあり、かたづけたあとすぐにご案内できるとおもいますと女性店員が言ったのをじぶんはそこだとおもったのだがじっさいにはしばらくしてからべつの、レジカウンターそばの円卓にとおされることになる。おかけになってお待ちくださいと店員は言ったので入り口の扉のほうに数歩もどるとそこにたしかに座席があったのだが、こちらは座らず(……)さんに譲ったところが(……)さんもすわらず、(……)さんがひとりすわったが(席は)通路がせまいのでその位置はガラス戸が開いて客が出入りするのにけっこう邪魔なので、(……)さんもそのうち立つかなにか通るひとを避けて身をちぢめるようにしていたとおもう。立ちながらいくらかはなし。しかしこのときはなした内容はおもいだせない。
 しばらくして卓にとおされた。丸テーブルのまわりに四席。こちらのむかいに(……)さん、右側に(……)さんでひだりの一席は(……)さんがバッグを置くのにつかった。店員がみずといっしょにもってきたメニューをみて、(……)さんがまず早々にシトラスジンジャーソーダに決め、こちらもチョコレートドリンクとまよいつつも甘ったるいものを飲みたい気分ではなかったのでおなじ品にし、(……)さんもいちどそれにしようかなと言ったのでぜんいんおなじですかと笑いつつも、かのじょはもうひとつのなにかのソーダに変えた。はこばれてきたドリンクのしたに置かれたコースターは桜をおもわせるような花などを切り絵めいてかたどったおそらくゴム製のもので、さんにんそれぞれいろがちがっていた。シトラスジンジャーソーダにはレモンかなにか黄色い柑橘類の輪切りがしこたま詰めこまれていた。まあまあうまい。そうして会話。(……)さんの近況をきいたが、この三月で大学を卒業し、いまはフリーターだという。大阪の企業に内定をもらっていたものの行くのがいやになってやめたとのこと。それでいまは(……)に滞在しており、この日でいったん地元福岡に帰るのだけれどここのところしばらくそこで短期バイトをしていたという(あとで国際フォーラムにむかうみちすがら、バイトってどんな? とたずねると、ホテルの受付のたぐいで住み込みだといった)。(……)という町についてはなにも知らないがまえに会ったときにもなにか模試の採点のバイトが(……)でありそのために東京に来たといっていたおぼえがあった。(……)治安がわるいという。夜にひとりでみちをあるいているとたびたび声をかけられると。そんなにも女性に飢えた男たちの巣窟みたいな町なのかとおもったが、おどろくことに(……)さんは夜にコンビニに行ったときに店内でじろじろみてきたあいてが帰り道で声をかけてきて、そこではなして仲良くなってしまったのだという。友だちになったと言っていた。それでそういうひともいるし、フリーターの身分でもあるので(……)とか、あるいは東京や神奈川の郊外らへんの住みやすそうなところに出てきて暮らすのもよいかもしれないとかんがえているとのことだった。(……)さんの家は(……)である。それなので、紹介してあげてくださいよ、いい土地、とむけると、鎌倉、というのでぜったい高いでしょ、と笑った。(……)さんはほかに大船という地名をあげていた。いずれにしてもそのへんは海がちかいわけだからロケーションはよさそう、海岸を散歩できるのはよさそう、とこちらはもらした。きいてみると(……)さんもけっこうむかしから海は行って散歩の場にしていたという。
 こちらの生活については三年前に会ったときから変わりがないわけである。あいかわらず本を読み文を書く日々だとつたえる。(……)さんはさいきんではもう本をあまり読んでいないし、読むとしてもかるいものをすこしだといった。読書が好きだったまわりの友人たちもはたらきはじめるとその余裕がなくなって、だんだん読まなくなったと言っていたと。疲れちゃうとむずかしいやつとか読めないですもんね、とこちら。(……)さんは遠野遥のような「文体がかるい」ものでないと読めなくなったと。遠野遥というひとはたしか文藝賞をとったときに磯崎憲一郎が好評していたひとではなかったかとおもうが、こちらは読んだことがないし、すこしの情報もイメージもなにもない。じぶんの変化としてかろうじていえるのは職場でまあ中心的なポジションみたいなかんじになってしまったので、それでいろいろやることが増えていそがしくはなった、と言った。ひとり暮らしとかかんがえないですかときかれたので、もう家を出ようとはかんがえていて、そのあした会う友人が((……)さんはあるいているあいだ、さきほどこちらのブログをのぞいたらあしたも出かけるってありましたけど、と言ってきたので、そう高校時代の友人と会うんですよとこたえてあった)不動産屋なんで相談することになってます、と回答。まあこのままやってても埒が明かないですから、とりあえずもう出るだけ出ちゃってあとはまあまたかんがえようと。日記も、これはあるいているあいだのことだったが、しごとがいそがしくなったら日記書けなくならないですかと問われたので、そうですね、けっこう書けなくて、でもまあそこもまえよりもうゆるくなってて、そんなにぜんぶ書かないでいいっていうか、書けるだけ書けばいいやってかんじになってますね、とこたえた。こちらはすわってはなしをしているあいだ、だいたい両手をくみあわせて股間のうえあたりに置きつつうしろにもたれる姿勢をホームポジションとし、飲み物を飲むときにはそれを解いて前傾しつつストローに口をつけ、飲み終えるとまたホームポジションにもどる、というかんじだった。意識してそうしていたわけではない。(……)さんはさいしょに出されたお冷やも一瞬で飲み干して空にしており、シトラスジンジャーソーダもかなりはやく飲み終えていたが、しかもべつにいきおいよくゴクゴクと飲んでいたわけではなく、気配がないまま気づけばコップやグラスが空になっているのだった。
 (……)
 (……)さんはいま御茶ノ水のカルチャースクールのフランス語講座にかよって勉強しており、今年の秋に大学受験があるのだという。学期とちゅうから編入するばあいのシステムを理解していないのだが、科目はフランス語だけで、あと面接で済むという。(……)大学を受けるとのこと。なぜそこをえらんだのかはきかなかった。なんか好きな先生いるんでしたっけ? ときいたが、べつにいないとのこと。(……)あとで国際フォーラムにむかうみちのとちゅうできいたところでは、講座はいま週二だったか週三だかでかよっており、内容はふつうのフランス語の授業というか、文法をやったり会話をやったりだという。講師はNHKのラジオとかにも出ているというので、界隈ではゆうめいな人物なのだろう。なまえはきかなかったしたぶん知らない。カルチャースクールの講座なので参加している年代ははばひろく、七〇代のひともいるとかで、七〇歳からフランス語ってすごいなとこちらは受けた。フランス語もいつか読めるようになりたいですけどねえ、と口にすると、なにを読みたい? とかえったので、まあプルースト、と破顔すると、めちゃくちゃ長そう、と(……)さんは言った。
 喫茶店での会話はあとおぼえていないのでこのへんにして、映画がはじまる四時四〇分までけっこう時間があり、あと一時間くらいになったところでどこかほかに行こうかという雰囲気がかもされはじめ、(……)さんが、(……)さん、本屋行かなくていいですかとか、服とかみますかときいてくれたが、本屋はきょうはいいかなという気分だったし、服もわざわざここで買おうという気も起こらない。どうすっかなとおもいつつよい案をおもいつけずにいると、それかさっき国際フォーラムで沖縄の展示やってて、と(……)さんは言い、とりあえず出てそのへんぶらぶらしてみましょうかとこちらも言って、それで退店することに。さきほど映画のチケットをこちらがまとめて払ったのだが、(……)さんが千円札を出しここでは(……)さんが一挙に会計することになったので、じゃあここの飲み物おごってくれたらそれでチャラでいいですよとこちらは言って合意をえた。出るまえにトイレへ。すわっていた席からひだりての壁に扉があってそのさきにトイレがあるらしかったが、トイレ行ってきますねと(……)さんに言うとさきほど行ったかれは意外ととおいとこたえたので、そんなに? と笑って店外の通路に出た。たしかにちょっと距離をはさんで、べつの通路のとちゅうにあった。男女いがいに多目的トイレもたしか通路の行き止まりに一室あったが、そこでは男児が親にたいしてなにかいやがるような声と、扉をたたくようなおとがきこえており、こちらが用を足し終えて出てきたときにもその親子のたたかいはまだつづいていた。店にもどってはいってきた口から出て、お待たせしましたとふたりに言ってみちをあるきだした。あまり明確な決定がないまま(……)さんが先導して国際フォーラムにむかいはじめた。さきほど行ったときには並木道がきれいだったという。(……)さんが言ったのがそれだかわからないがたしかに道中、こずえが豊富に茂りならんだ街路樹とそのしたで盛りをむかえて群れているピンクいろのツツジの一画があって、めっちゃ咲いてる、ツツジが、とこちらは指をさしてとなりの(……)さんに言い、そんな子どものようなたんじゅんさによって示された視覚的事実はかのじょもいわれるまでもなく視認していただろうが、しかしこれはたんなる認識された事実の指摘をおこなう言語の用法ではなく、ツツジがめっちゃ咲いてるということを口にだして言うことでじぶんがそれになにかしらの印象をえたことをつたえようとしたり、ばあいによってはささやかな感銘めいたその情をあいてと共有し二者関係につかのまの共同性の場をひらこうとするのかもしれない、そういうコミュニケーションの一用法なのである(ということはすなわち、叙述的・記述的(descriptiveあるいはdeclarative?)ではなくパフォーマティヴな言語ということだろう)。ほか、住み込みでホテルの受付バイトをしているということをきくなど。(……)さんにプルースト、とにやにや破顔してこたえたあたりではみちがひだりに折れ、そこはひだりがわがひろい敷地でいま消防団員だか救急隊員みたいなかっこうのにんげんがたたずんでおり、みぎがわはやはり街路樹がならんでいたとおもうがすこしずつ暖色をはらみだしている陽射しが宙にななめにかかってまぶしく、天気がいいなみたいなことをこちらは口にしたとおもう。そこからすこしだけ行ったところに国際フォーラムがあった。なまえはきいたことがあり、なにかしらアニメのイベントとかをよくやっているイメージ。敷地にはいってすぐの口からなかへ。太田道灌江戸城みたいな説明書きつきの看板があったので、なんで太田道灌、とちょっと笑いつつ階段のほうにちかづき、そのてまえで手をアルコール消毒するとえらいといわれたので、とりあえずやっときゃいいだろみたいな、と笑って段をくだった。沖縄の展示と喫茶店でいわれたときにこちらはなぜか物産展を想像してしまい、いろいろ食品とか売っているのかなとかばくぜんとおもっていたのだが、そうではなく、沖縄が日本本土に復帰して五〇年を記念した報道写真の展示で、おおこんなやつだったのか、これはけっこうおもしろそうじゃないかとおもった。フロアに仕切りでかこんだ展示区画がもうけられており、その壁の内側に沖縄史の文脈でさまざまに歴史的な日付やできごとのおおきな写真パネルがならべて展示されているかたち。仕切りの外側にもたしょうの写真や説明書きのパネルがあった。展示スペースはそこそこひろくもうけられており、出入口は三箇所、ひとつが入り口専用でふたつが出口専用。そとをちょっとみてからなかにはいって順番に写真をみていったが、印象にのこっているのはまずサンフランシスコ平和条約が発効した一九五二年の四月二八日のもので、これは沖縄の写真ではなく銀座だかどこかをうつしたもので、政治的文脈でというよりはとうじの風俗や街のようすがうつっていたのがおもしろかったということなのだが。銀座の通りで女性たち、というか少女三人が、「平和のお花を」みたいな文言つきの小宣伝板をもちながら通行人に花をくばっているところをうつしたもので、かのじょらのうしろにはとおりがかりの軍服姿の米兵ふたりもいた。写真ひだりうえのほうで建物のうえになんとかマーガリンという広告が出ていて、そんなものでマーガリンつくるの? とおもったのだったがそれがなんだったのかわすれてしまった。というわけで検索してみたところ、これはたぶん条約発効の四月二八日ではなくて調印日である九月八日のまちがいではないかとおもわれるが、その日の銀座通りの写真として、「祝講和成立 銀座通りに日の丸」というタイトルの、共同通信社のページが出てくる。その左上にみきれてしまっているのだが、おそらく「タマゴ」の文字がみられるので「タマゴマーガリン」だ。これは戦後すぐに高級人造バターとよばれていた品らしく、もしかしたらこちらの印象をひいたのは「タマゴマーガリン」よりも「人造バター」の文字のほうだったかもしれない(元写真の広告にそのことばがあったかさだかではないが)。検索して出てくる写真は展示されていたものとおそらくはおなじばしょで、少女らもおなじ人物ではないかとおもうが、細部で記憶とちがいがあり、おなじ写真ではない(米兵もいないし)。ほか、序盤にあった写真は沖縄に上陸した米兵が壕から母子を出すところや(無理やりではなくて民間人としてふさわしくあつかっている)、屋良朝苗や瀬長亀次郎のものなど。ふたりともなまえだけは知っているがそれいじょうはなにも知らない。琉球さいごの高等弁務官が民衆にみおくられて去っていくところや、あとあれだ、佐藤栄作ニクソンが会談しているところや、沖縄の本土復帰に反対するデモのようすや、あとあれも沖縄復帰への反対だったのかわすれてしまったが、沖縄からきた代表団のひとびとが国会前でハンストをやっているという写真もあった。一ドル三六〇円だった固定相場制が変動相場に変わることで一ドル三〇六円まで落ちてしまったということに反対している看板もどこかでみた。沖縄からやってきた集団就職の高校生らが埠頭でならんでいる写真もあり、中央になんにんか横一列でうつっているのは女性たちで、みないちようにきびしいというか気乗りのしなさそうというか、苦味をかんじさせる表情をしており、まわりやうしろにいるそのほかの男女も、明確にあかるい顔をしている者は皆無で無表情かやや暗い顔つきがたいはんだった。あと印象にのこっているのは沖縄が本土に復帰した一九七二年五月一五日の写真。これはふたつあった。ひとつはその日の午前零時の国際通りをとらえたもので、夜なので車もあまりないし沿道にひともすくなかったが、道路のかんじからして雨が降っているようにおもわれた。もういちまいはおなじ五月一五日、日中の国際通りで、この日は沖縄返還をことほぐ集会と反対する集会との双方が原因で道路はひじょうに渋滞したといい、いまだ右側通行だった車道はたしかにせまく接したバスや車で埋め尽くされているぐあいで、そしてやはり路面のかんじをみるに雨が降っているようにみえて、さきほど目にした一枚目も雨の印象だったわけだがじぶんはなぜか天気がつねに気になるにんげんらしく、ほんとうに雨かなとすこしもどって再確認した。道路上のひかりの反映のかんじは雨とみえるのだけれど、沿道の人影は傘をさしていない。だから降ったとしてもこの午前零時にはちょうどやんでいるところだったのかもしれない。たいして二枚目はひだりがわの沿道にひとつ傘がみえ、それはひとがかぶっているのではなくなにかのもののうえに置かれていたようなのであいまいだが、さらに植物かなにかが邪魔してよくみえないもののもうひとつみちを行っているらしき傘もみられたので、この日中には雨が降っていたのはたしかだとおもう。国際通りの車道のうえには沖縄の本土復帰を祝す横断幕がかけられており、車道と歩道の境あたりには「沖縄県」としるされたちいさな看板が等間隔でひたすらつづき、そのうえにはおなじ趣向でなぜかサンヨーの電機製品の広告がやはりずらりとつづいていた。ほかにあったとおぼえているのは沖縄県ではじめて国会議員選挙がおこなわれたときのようすで、ある候補者が市場で老婆と握手をしているのだけれど、その老婆はあたまのうえに荷物を乗せて、あやまたずささえていた。横からとらえられた顔の目尻の皺の、粘土に小刀できざまれたような濃さ。あと、あれはたぶん本土復帰をうったえるほうの運動だったか、沖縄から東京まで徒歩でたどってアピールをする団体が東京入りして町を行っているときの写真も。たしかこのパネルの説明書きに、何年何月何日に沖縄県祖国復帰協議会が設立されたと書いてあった気がする。この団体のなまえはいちおう知っている。関連運動の最先鋒で、アイゼンハワーが沖縄に来たときに県庁までの道は抗議者や市民や学生が大挙して埋めたらしいのだが、なにかの英文記事でこの団体の一員(か長?)だったひとが、大統領をまもらなければという政府側の懸念もわかるが喉をつかんだり銃剣で突いたりするのはあきらかにやりすぎだったと回顧証言しているのを読んだことがある。
 すべてみている時間はなかった。じきに四時一〇分くらいになったときに(……)さんが寄ってきてそろそろと言ったので、そろそろ行きましょうか、余裕をもって行きましょうと受けつつもそのあとまたちょっと見て、それから(……)さんと合流して映画館へもどることに。展示区画を出たところでこちらはなぜかまた小便がしたくなっていたのでトイレに行ってくると告げてみえていた表示のほうへ。トイレへつづく通路の入り口脇には中華料理店「東天紅」の看板があった。用を足してもどってくるとそとへ出て、また(……)さんの先導で来たときとはちがうルートをあるいたのだが、そうするといつのまにか駅前に出てきて、それがさいしょに京橋口からまちがえて逆に駅を抜けたその地点だったので、どういうルートでさっきのところに来たのかぜんぜんわからない、いつの間にかはじめの地点にもどってきていたとつぶやいた。そうしていちどたどったみちをふたたびたどりなおして映画館にむかい、着くとTOEI2のほうに入館。チケット売り場からみぎての地下につづく階段。職員にチケットをわたして確認してもらうとともに体温計で手首のあたりをはかられ、もう一階おりるとホールがある。(……)さんがトイレに行っているあいだにわれわれふたりははいってしまい、当該のK列まんなかあたりの席にはいった。ひだりから(……)さん、こちら、(……)さんという位置取り。映画みにくるのマジでひさしぶりですわとか言っていたが、すぐにさまざまな作品の宣伝がはじまってしゃべりづらくなったので、はなさずそれをみて時間を待った。宣伝作品のなかには『ワンピース』のREDとかいうやつとか、『ドラゴンボール』の最新映画があった。『ドラゴンボール』はあれはCGだったのか絵がやたらぬるぬるしているかんじだったので、いまこんなふうになってんのかとおもった。実写作品はなぜかちっともおぼえていない。とおもったがあれだ、『ハケンのとりかた』みたいな題だったとおもうが、吉岡里帆主演で覇権アニメをめざすアニメーターの苦闘をえがくみたいな作品がひとつあった。あと水谷豊が監督脚本だという、衰退してしまった地方楽団のさいごの公演をえがくみたいな作品も紹介された。エンタメではあるだろうがそんなに雰囲気わるくはなさそう。
 そのうちに開始。『ハッチング ―孵化―』という映画である。監督は検索したところ、ハンナ・ベルイホルム(Hanna Bergholm)というひとで、フィンランドの映画。ホラーというかスリラーというかそういうたぐいだが、かたちのないなにかみたいなものが家族に巣食って、というかんじなのかなと想像していたところそうではなくて、ふつうにものというか具体的な存在としてエイリアンじみたグロいモンスターが出てくるもので、あ、そういうやつなのね? とおもった。舞台はフィンランドで、映画は開幕、いかにも瀟洒で樹木もおおく風光明媚といった地域の住宅地からはじまり、家のなかで体操の練習か、上体をうしろにめちゃくちゃそらすストレッチをやっている少女がうつるとともにそこに何者かの手がしのびより、というホラー的意匠からはじまるのだが、この手は母親のもので、かのじょはYouTubeだかなんだかSNSにじぶんの家庭生活の動画をあげて熱心に紹介している人物で、その動画をとっているところなのだった。それから夫やもうひとりの子どもである男児もうつされ、うつくしく小綺麗な家であかるく暮らす仲の良い家族みたいな理想的イメージとしてそれが提示されている、というさまが提示される。母親の動画チャンネルのタイトルはたしか「素敵な生活」というもので、「ふつうのフィンランド人家族」の素敵な生活をおとどけしますみたいな紹介をかのじょはいうのだが(はじまってしばらくは何語がはなされているのかよくわからず、「生ゴミ」というところで「ビオ」なんとかと言っているのしかききとれず、ドイツだろうか、しかしなんかちがう気もするし、雰囲気からしデンマークあたりだろうかと推していたところ、ここでフィンランドだということが確定する)、じっさいにはもちろんそんなものではなく、さまざまな問題や不和や齟齬があるわけで、冒頭からしばらくは不吉なしるしがつづけざまに提示される。まずはじめにカラスのたぐいらしい真っ黒な鳥が室内にはいってきてギャアギャア鳴きわめきながら飛び回り、部屋のなかにあるものをめちゃくちゃに乱してついには天井についていた小シャンデリアまで落としてしまう、という事件が起こる。このときさいしょになにかが窓ガラスにぶつかったおとがして、主人公の少女であるティンヤが寄っていって窓をひらくのだが、このさいの鍵をはずすおととか窓があくおとが細部まではっきりきこえて、ああ映画のいいところってこういうおとだよな、ふだんはそんなに明瞭にきこえないおとをこうやってはっきりきけることだよな、とおもったのだけれど、ところが直後にカラスが飛び込んできてじつにけたたましく鳴きさけびながらバサバサ飛び回るわけで、そちらに移行すると音響は耳に痛いくらいのものになり、めちゃくちゃうるさかった。カラスは最終的に床におりたところをティンヤがタオルかなにか布をかぶせてとらえるのだが、このときの視点は布をかぶせられるカラスのものになっており、これはのちにティンヤの分身であるモンスターの視点がなんどか導入されるそのさきぶれになっているのかもしれない。つつみこんだ鳥を母親にわたすと、母親は即座に布のうえからその首をひねって殺してしまい、理想的にあかるい家族を提示していた母親の残酷さが観客にかいまみえるとともに、ティンヤはショックを受ける。生ゴミ捨て場に捨ててきてとティンヤはいわれて捨てにいき、おおきなドラム缶みたいなもののなかに捨てるのだが、そこにはすでにさまざまな生ゴミが捨てて溜められておりなかは黒々としているのだが、このとき発生している蛆虫のたぐいがたてるおとがウジュルウジュルときこえるのだけれど、この音響はわざとらしい、あざといものとかんじられた。こんなふうにきこえねえだろうと。不吉なしるしのさいしょはそれで、ほか、隣家に越してきた一家(その娘はたしかレータというなまえで、のちほどティンヤと友人になるが、体操の才能が抜群であり、それにたいする妬みをもったティンヤの心理によってモンスターに襲われて大怪我をすることになる)の犬にティンヤが柵ごしにさわろうとすると噛まれたり、あとティンヤのおとうとであるマティアスが母親に子守唄(「水鳥の子よ」、母のいない水鳥の子よ、とかなんとかうたう、子守唄にしては歌詞も旋律も辛気臭いような歌なのだが、この「水鳥」はフィンランド語で「アッリ」というらしく、ティンヤはのちにそれをモンスターのなまえとしてつけることになる)をうたってもらいながらぜんぜんきこえないよ! といってぐずり、母親はなにもいわないけれどストレスをかんじていることが察せられる、というあたりが不穏さとして散らされた細部である。物語のながれをそのまま追っておくと、生ゴミ場に捨てられた鳥はじつは死んでおらず、夜になってティンヤが寝ているととおくでまたけたたましい叫び声が立ち、目をさましたティンヤが声のもとをもとめて林のなかに行くとくだんの鳥が死にかけで地面のうえに横たわりながら叫んでいて、ティンヤはいちどはたすけてあげるねといいながら鳥を手にとろうとするのだけれど、ふれようとすると鳥が叫んで拒否するので、逡巡しながらもついには手近にあった石をとってそのあたまをはげしく殴打し、殺してしまう。殴打の調子は必死で感情的なものであり、殴打されて血にまみれながらぐしゃぐしゃにつぶれた鳥のあたまがそのあとみじかくうつされるのはちょっとグロいというかショッキングだった。ちなみにティンヤが林にはいって以降、かのじょをうつしているその背景には霧が湧いて、ゆっくりとうごめき、木と木のあいだの、すでに夜明けがちかくほのかに白んだ空気のなかに混ざるのがたしょうの効果を発揮しているのだが、あれもたぶん演出なのだよな? なんとなくふつうにああいう霧が発生してもおかしくなさそうな地方や土地にもみえなくもないのだが。で、鳥を殺したあとそのそばに卵がひとつ落ちているのを発見したティンヤはそれをもちかえり、じぶんの寝室でぬいぐるみのしたやその腹にかくしながらそれを育てる。すると孵化して鳥型のエイリアンじみたモンスターがうまれて、さいしょはおそれをいだくのだけれどしだいにティンヤはそのモンスターに母性じみた情をいだいたらしく、みずから育てるうちにモンスターはすがたかたちがティンヤにだんだんちかくなっていき、というわけでグロいホラーだったものが分身譚のおもむきもえることになるわけだ。このモンスターはティンヤの負の感情に反応してその対象を襲うという習性をもっており、このあたりは象徴的にきわめてわかりやすい設定になっている。つまりモンスターがティンヤのこころのなかの負の側面を具現化したものとして読まれてしまうというか、この映画をみたほぼだれもがそういう理解をおもってしまうだろうということで、これはひじょうにつまらないことなのだがそれはひとまず措く。それでなんどかモンスター関連の事件が起こったり、母親の不倫関係というべつのすじ、またティンヤの体操の大会などのすじがからみつつ進行していき、最終的にモンスターの存在はバレて、ティンヤは母親といちおうは和解し、母親はモンスターを殺そうとする。しかしさいごのところで母親はあやまってモンスターをかばったティンヤを刺してしまい、ティンヤが死ぬとともにモンスターがかんぜんにティンヤのすがたになり、「マ……マ……」と鈍く低い声でつぶやいて終わる、とめちゃくちゃおおまかにたどればそういう説話になっている。さいご、モンスターであるアッリが「ママ」と発したあと、ティンヤのすがたであるアッリはすっくとおきあがって毅然ともいえるようすで立ち、後光めいた白さを背景に負いながら、どういうニュアンスなのか意味深ともみえるような、あるいはなにも意味しないともおもえるようなまっさらに超然的な無表情で母親をみおろし、いまは倒れ伏している母親が涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をあげて床からアッリをおどろきか困惑のような表情でみつめるカットがはさまれたあと、もういちど毅然としているアッリの無表情がうつって終幕なのだが、ここの無表情は二回あわせてだいぶながくうつされており、そこそこ印象的だった。というか全篇をとおして端的に画として印象的だったのはこのさいごだけである。だからこの作品は画とか描写で攻めようというよりは、物語的な結構や設定を緊密につくってさまざまなすじや細部を有機的につなげて対応させ、ぜんたいとしての理解しやすい統一をかたちづくろうというおもむきでできており、したがって作法としてはエンタメのものであり、ロラン・バルトのことばをかりれば「読みうるテクスト」だということになる。その範疇でいえばけっこう緊密にできているような気はした。ただ、そういう線で行くならば、アッリが「マ……マ……」とつぶやいて、いわばティンヤとの入れ替わりというか置き換わりを完成させたあと、家族がティンヤと置き換わったアッリといっしょに動画にうつって「素敵な生活」を演じているところで終えれば、物語の構成としてはより完結的なものになったのに、とおもった。ありがちではあるが、さいしょとさいごの対応もとれて、終幕で冒頭にもどって終わり、というきれいな構成にもなる。ある種の「狂気」を描くのならそうしてこそ効果があがるとおもったのだが、そこまでやってしまうとやはりいかにもがすぎるということなのか、あるいはこの監督が描きたかったものやメッセージ(があるのかどうか知らないが)からはずれてしまうということなのかもしれない。
 概略的にはそんなかんじで、これは作品の要約的な説明だが、この映画をみたこちらの体験という側面を述べれば、これはもうとにかくめちゃくちゃ疲れたということに尽きるもので、なにがつかれたといって音である。ホラー映画だから観客を怖がらせにかかるわけだけれど、その恐怖の提示方法は日本的なホラーによくあるといわれる(がこちらはホラー映画も映画もぜんぜんみない人種なのでそれをじっさいに体感したことはない)しずかな恐怖というか、おおげさな演出はないのだけれど背すじがぞーっとするといわれるような(そういうふうに形容される気がするのだが)、いわば繊細な怖がらせかたではなく、とにかくもう音響と、とつぜんの登場みたいな古典的・伝統的テクニックでごり押しするみたいなやり口なわけである。だからそれはもちろん怖いは怖いのだけれど、恐怖というよりはびっくりするというおどろきの技法なのであって、怖がらせるというよりはショックをあたえる、というやりかたなのだ。これがとても疲れた。みていながらびっくりして心臓に悪い、からだに悪いとおもったし、ショックがそのあとちょっと尾を引いてからだがドキドキするもんだから、行きの電車内で起こった緊張もふまえてばあいによっちゃパニック障害を再発するぞとおもったし、とつぜんの登場はまだしも、とにかくおとのおおきさ、それがからだに響くかんじに疲労して、終わったころにはわりとぐったりしていて(……)さんにわらわれたくらいだ。
 あとべつに興味深かった点というのもたいしてないし、読み解いておもしろいというタイプの作品でもないようにおもうのだが、ただそれでもみてみればけっこうおもしろかったというか、二時間だかそこらじっと座ってうつしだされるものを追いつづけるということをふだんやらないにんげんなので、それだけでもなにか満足感があるようではあった。この作品も、全体的な構成としてもまとまっているとはいえ物珍しいものではないし、あまりにもわざとらしくはなくとも細部の紋切型もいろいろあるとおもうのだけれど、ただなんか言語としてそれを読むよりも、映画だと紋切型でもあまり気にならないというか、ありきたりなやりかたでもひとが映ってものが映っていればなんかもうそれでそこそこおもしろいみたいな感触を受けた気がする。それはじぶんが映画を習慣的にみないので比較的新鮮だという事情もあるのだろうが。なんかたまに映画をみるとまいかいこのおなじ感想を書いている気もするが。
 べつに興味深くはないのだけれど象徴的な面についても記しておくと、まずティンヤがもちかえってきた卵は時間を追うにつれておおきく成長していき、さいしょはぬいぐるみのしたに隠していたのだけれどちょっとおおきくなるとそこにおさまりづらくなるのでぬいぐるみの腹を割いてそこに入れておく隠しかたになり、モンスターが生まれる直前はもう相当におおきくなって、母親の不倫を知ってというか、正面から、わたし恋をしてるみたい、テロ(不倫相手)を愛してるの、とかいわれた直後にはなみだにくれるティンヤがそのうえに突っ伏しておおいかぶされるくらいになっており、だからみたかんじはバランスボールくらいのおおきさで、この急激な成長にはあ、そうなの? というシュールさというかファンタジックな滑稽味をちょっとおぼえるのだが、この卵はどうやらティンヤが悲しみとか負の感情をおぼえるとそれにつれて成長するらしいということがみてとれるわけである。で、そのうえにのしかかるようにして泣きまくっていたティンヤのなみだが卵の表面に垂れてつたい、それが殻のなかに吸収されると脈動がはじまって孵化が起こる、という経緯なので、だからやはりティンヤのかなしみを吸ってモンスターは誕生した、と読めるようになっている。その後もティンヤが負の感情をいだいたものをモンスター(アッリ)は襲うというのはうえにも触れたとおりで、そのいちばんさいしょは隣家のレータが飼っていた犬である。夜ティンヤが寝ているときに犬がうるさく吠えているのになかなかねむれず苦しんでいると、このときはまだモンスター然としたアッリが庭伝いに隣家に忍んでいって犬を食い殺し、その死体をティンヤの枕元にもってくる、というながれが起こる。そのとき寝苦しくなっているティンヤがうつったあとに視点はアッリのもの、つまり部屋の窓から出て低く地面を這うようなようすで隣家の庭まで行く視点になり、犬を襲った直後にティンヤは目を覚ましてアッリが(この時点ではまだアッリとなづけていなかった気がするが)じぶんのからだのうえに乗っているのを見、横をむくと惨殺された(たしか首がなくなっていたとおもうのだが)血まみれの犬の死体がある、というかたち。ほか、未遂もふくめて襲われるのは隣家の娘レータと、あと母親の不倫相手であるテロの連れ子の赤ん坊(なまえをわすれた)だけだったとおもうが(さいごの戦いでの母親はのぞく)、いずれにしてもティンヤがあいてにたいしてなんらかの負の感情を増幅させたとみえたその直後に襲撃が起こる。そしてティンヤはそのときの視点をアッリと共有するわけなので、それは分身的な要素になっている。したがってティンヤはアッリがだれかを襲うということを察知することができ、というかもっと直接的にかのじょにはそれがじぶんの視点でみえているということだろうが、だから体操の練習後にアッリが友人のレータを襲うときなどは、送ってもらう必要はないと別れてひとりで木の間の夜道(暗くておどろおどろしいようなかんじで、ここでなかばにんげんの様相になったアッリがとつぜん登場するのはなかなか怖い)を行くレータが襲撃されるのを予見したティンヤは、憑依的にこわばった表情で車を運転している母親にもどるようにつよくもとめ、その果てに叫び声をあげて錯乱する。未遂に終わるもののテロの赤ん坊が襲われるときにはこの視点のかさねあわせがより活用されており、ティンヤは体操の大会で演技にいどんでいるとちゅうなのだけれど、その演技の推移と、アッリがテロの家で赤子の部屋に行って鉈みたいな武器で子どもを襲おうとする一連のながれが交代交代にうつって対応させられており、演技のさいごで鉄棒のうえでとまったあと回転して飛び着地するという段で、ティンヤは棒をはなしてうしろむきに落ち、怪我を負うのだが、かのじょが棒をはなした瞬間とアッリが鉈を落とした瞬間だかわすれたが対応していて、ともかくアッリの襲撃は失敗に終わる(物音を聞きつけたテロがようすを見に部屋に来て窓から逃げるアッリと遭遇するのだが、かれはそれをティンヤだとおもい、それまで境遇に同情してやさしく接していたかのじょにたいし一転してつらくあたり、もうかかわりたくないと宣言するので母親とかれの蜜月的な不倫関係も終わることになる)。
 アッリのすがたかたちがだんだんとティンヤに似てくること、またかのじょの感情のはたらきによって卵が成長したこと、さらにティンヤの感情におうじてアッリが襲撃を起こしている点からして、アッリはティンヤがこころの奥底に秘めて押し殺している負の感情を代替する存在であり、いわばその具現化であるという解釈はどうしたって生まれざるをえない。この理解はきわめてつまらないものだが、作品じたいがあからさまにそう読みそう理解するようなかたちになっているとおもうし、その解釈からはみだすような要素もこちらのみたかぎりではなかったとおもう。しかしともあれ読み取った構図の記述をつづけておくと、もうひとつ、母子関係というのがこの作品の主要な軸になっており、ティンヤはアッリを一種の子のようにしてあつかうわけである。つまり母親とティンヤの関係とティンヤとアッリの関係が、反復と差異をそれぞれはらみながら対照されているということだが、この点にうえに記した抑圧された感情説をつなげれば、スピリチュアル方面の用語でいう「インナーチャイルド」的な解釈のできあがりである。それもまたつまらないことなのだが、この母親がどういうにんげんなのかについてまず記しておくと、かのじょはさいしょのほうにふれたように、動画をつくってインターネット上に理想的な家庭生活の像を投稿することに熱心な女性であり、どうももとスケート選手であったらしい。ようすのおかしいティンヤにたいして、ストレスよね、わかるわよ、わたしもスケートの試合のまえにはそうなったものだわ、と語る場面があったし、またリンク上にいるむかしの写真をまえにして右脚にのこっている傷をみつめる場面もある。そういう母親はティンヤに体操をやらせており、大会のメンバーにえらばれるようみずからでもきびしく指導するのだが、ティンヤはそちらの方面の能力はなくてなかなかうまく行かず、母親にみとめてもらうことができないし、引っ越してあとからやってきたレータが才能を発揮してティンヤにできないことを軽々と完璧にこなすさまをみて、母親によるティンヤへの抑圧はいっそうはげしいものとなる。それもすべてティンヤのためというわけではまったくなく(母親当人はそういうふうにおもいこんでいるのかもしれないが)、じぶんの子が大会で活躍するさまを配信したいという欲望のためであり、だからかのじょは高度資本主義社会が生み出した承認欲求の(それこそ)かなしきモンスター的な女性なのだが、母親はそのようにネット上の不特定多数者からの承認をもとめることに取り憑かれ、しかしティンヤが大会でうまくいかないのでその実現に失敗したいっぽう、ティンヤはそんな母親からの承認と愛をもとめてがんばるもののやはりうまく行かないわけである。だから構図としては承認をめぐる反復がティンヤにおいて抑圧を生み、抑圧されたひずみが回帰して復讐するというありがちなものになっている。母親はまたいっぽうで不倫をする。不倫相手はテロという男性で、この男がはじめて登場するのは、冒頭で破壊されたシャンデリアのとりつけにきているときで、体操の練習だか学校から帰ってきたティンヤは(ところでこの作品ではティンヤが学校にかよっているあいだの時間はまったく出てこなかったとおもう。あれが学校なのかわからないが、そうだとして映るのは体操の練習をする体育館のみで、ちなみにこの体育館の壁は木のあたたかでやわらかな色合い風合いがあらわなもので、その質感はよく、そこに北欧の文化的風土をかんじた)、脚立にのぼっているテロに母親が身を寄せてその太ももに手を這わせながら口づけするさまを目撃してしまうのだが、その夜にティンヤの寝室にきた母親は、ティンヤが不倫現場を目撃したことを確認したあと、おとなにはときどきああいうことが必要なのよみたいな言い訳をして娘をいいくるめる。いいくるめるというか、ティンヤのほうではショックを受けたりいやだとおもっているにちがいないのだが、そういう本心を口にできないわけである。母親の不倫はエスカレートし、そのつぎにはさきにもふれたように、告白のかたちで娘にたいして、わたし恋してるみたい、いままで家族のためにとおもってがんばってきたけど、女性としてのよろこびを知ったわみたいなことをつたえるのだけれど、ここでもティンヤは笑みをよそおいきれずにあからさまにかなしみでゆがんだ半端な表情をするものの、母親はそれに気づいているのかいないのかともかく無視し、ティンヤはやはり本心を口にすることができない。その直後に寝室で卵におおいかぶさりながら泣いているティンヤのカットにうつり、モンスターが誕生するといういきさつだったはず。その後も不倫はさらにすすみ、ついにはティンヤをテロの家につれていくまでにいたるのだが、この段階にいたると父親も妻の不倫を知っており、黙認するというかかなしみとともにゆるしているというかんじになっている。それを知ったティンヤはまたショックを受けるのだが、場面は食卓で、飯を食っているときに母親が、テロの家に行くわよみたいなことばをあからさまにティンヤにかけ、とうぜんティンヤははっとして父親のほうをみるのだけれど、父親はそれにたいして顔をいちおう笑みのかたちにしながらも、かなしみを押し殺しているらしき動揺で表情をふるわせ、母さんのことを尊敬しているんだ、……かのじょの、……貪欲なところを、……テロはいい男 [﹅] だ、いいひとだ、とティンヤに告げる(字幕でも「男」にたいして傍点がつけられていた)。この悲しみの表情はなかなか切なる痛みをただよわせる演技だった。ついでに父親についてもふれておくと、かれの存在感はこの作品では比較的希薄なほうであり、ほぼかんぜんに受動的な存在というかんじで、妻に不倫されてもそういうかんじだし、娘とのコミュニケーションも得意ではないようである。というのも、母親の不倫を知って疎外をおぼえたティンヤが父親の部屋に行っても、ヘッドフォンをつけてあたらしく買ったギターで遊んでいたかれは、娘とちょっとやりとりしただけで気まずさに耐えられずというかんじでまたヘッドフォンをつけて遊びにもどってしまうし(ちなみにこのときかれがあたらしく買ったというギターはたしかSGだった気がする。ちがったかもしれないが、もういっぽん、その横にレスポールがあったのはたしかだとおもうのだが)、アッリがみつからないようにとティンヤがおとうとマティアスを寝室から締め出したあとも、叱りにきた父親はティンヤのベッドに血(アッリが殺してきた犬の死体によって付着したもの)をみつけると、おそらく生理がはじまったのだと理解した描写におもわれたが、動揺して、意味をなさないつぶやきをもごもごいっただけで引き下がってしまう。スローライフ的にわりと優雅な生活をしているこの一家の収入がいったいどこから来ているのか、それはよくわからないのだが、父親のしごとはたぶん建築家で、というのも冒頭で動画を撮っているあいだにティンヤが自室で建築模型をまえにしごとをしているようすの父親をうしろから不意打ちする場面があるからである。だからたぶんこの建築家としての収入で生計をまかなえているという設定なのだとおもうが、父親はどうも外出はせず、いつも家にいるにんげんのようだ。ついでにおとうとマティアスについても記しておくと、かれはやんちゃで威勢のよいわがまま坊っちゃんというかんじで、母親がティンヤばかり優遇してじぶんにかまってくれないのを不満におもってさわぐ幼児なのだけれど、ただティンヤに起こっている異変をただしく看破しているのはこの作品中かれだけである。まずもってティンヤが犬の死体を埋めるところを目撃して、それを居間にひきだしてきて姉が犯人だと告発するし、のちには家のなかになにかえたいのしれない存在がいること、お姉ちゃんは化け物だということをうったえる(両親はむろんそれを本気に取らず、母親はゆめをみたのよといってあいてにしない)。ティンヤが大会で失敗して帰ってきたときには、負けたね、と言ってやや意地の悪い笑みを浮かべてみせるし、最終的にアッリの存在があきらかになったときにも、ゆめじゃなかった、マティアスのいったとおりだったと母親にみとめられて満足げな笑みを浮かべる。この作品では母親 - 娘のふたりと父親 - 息子の対照がくっきりしている印象で、といってそれがどういう対照なのかはよくわからないのだが、たんじゅんなはなし外見の面で、母親とティンヤは似ており、父親と息子もかなり似ている。また母親はうえに記したようにわりと奔放とみえる女性で、感情表現もあからさまで、基本的に快活と言ってよいだろうが、娘のティンヤは鬱屈をかかえておりあまり快活にはみえず、みずからの感情を遠慮せずに発出できる子どもではない。父親は妻に不倫されてもどうにもできないほど受動的で、なにかをごまかすような笑みをいつも顔に貼りつけたような調子で、他人とのコミュニケーションが得意ではないようすだが、息子マティアスはわがまま放題のおさない男児である。こうしてみてみるとまあそれぞれのラインで親と子の性質が対照的になっているようにもおもえるし、母親は自覚してか否かティンヤをみずからの代理としてあつかっているわけだが、マティアスがしきりに母親からかまってもらいたがるのも父親の欲望の代理としてみえなくもない(おもしろい読みではないが)。
 そろそろめんどうくさくなってきたのでやめるつもりだが、母子関係の反復があるよという主筋にもどると、ティンヤは母親から髪をとかしてもらったように、アッリの髪というか体毛? をとかしてあげるし、まだモンスターの段階であるアッリのあたまに花の飾りをつけて、とてもかわいい、とうっとりとしたような目つきでつぶやいたりもする(ここはなかなかに狂気じみたものをかんじさせる場面だが、見た目としては双方きれいな金髪で、まあうるわしくととのっているといえるだろう母子が承認をめぐってゆがんだ関係をなしているのにたいし、外観はかなりグロテスクなモンスターにたいしてティンヤは母親としての真正な愛情をあたえているという対比があるわけだ)。のちにアッリの存在がバレたときには「わたしが育てちゃったの」ともいっていたし、ティンヤが母性的な情をもってアッリの世話をしたことは明白とみえる。だからアッリはティンヤの分身であると同時に子でもあるという二重の象徴的地位をもつことになる(そこからさきほど挙げた「インナーチャイルド」解釈が生じてくる)。アッリが食事をとり、成長してにんげんの(ティンヤの)すがたかたちになっていくのは、ティンヤが口から(というか体内から?)はきだしたものを摂取してのことであり、要するにアッリはティンヤがいちど食べて嘔吐したものしか食べない、という設定になっているようだ。さいしょにそれが発覚するのは枕元に置かれた犬の死体をみて床に嘔吐されたティンヤの吐瀉物をモンスターがピチャピチャすすっている場面で、そのあとも鳥の餌を買ってきたティンヤはじぶんでバクバク食べまくってから嘔吐するというかたちでアッリに食事をあたえる。ティンヤが体内から出したものによってアッリがはぐくまれるという設定はさいしょからさいごまで一貫しており、うえに書いたようにまずアッリが生まれてきたのはティンヤのなみだが卵に吸収された直後だったし、さいごも、母親にあやまって胸を刺されたティンヤがアッリのうえにたおれこみ、口から吐き出され垂れ落ちた血を口に受けるというかたちで、アッリのすがたはティンヤとおなじものとして完成する(正確にはそれいぜんにすでにティンヤとみわけがつかないくらいになっており、母親もまちがえてアッリのほうの髪を梳かすくらいだったのだが、ティンヤに拒絶されたことで口が裂け、モンスター的要素をいちぶとりもどしていたのだ)。
 おもいだせることもすくないのでもう終わりにするが、あとおぼえているのはティンヤの部屋の壁紙と、テロの家の赤ん坊の部屋の壁紙がもしかしたら対応させられていたのかなということで、ティンヤの部屋のものは緑色の地にバラだかなんだかわからないが赤い花が描かれたもので、赤子の部屋のものは真っ青な地にかたちやいろはわすれたがやはり花柄のものだった。ティンヤの部屋のそれをみたときには、なんかこんなガチャガチャしたもようの壁にかこまれて寝るのおちつかなさそう、疲れそう、とおもったのでよくおぼえている。ティンヤの部屋やその壁のもようが映るときというのは寝る時間がおおく、したがって明かりはとぼしく暗い状況が大半だったとおもうし、またベッドしたにアッリをかくしたりもしているわけで、なにかこう、部屋のそと(つまりほかの家族)から切り離されて閉じこもった空間としての密室感(それはもちろん象徴的には容易に秘密の内面性につうじる)がつよい。たいして赤ん坊の部屋は三回くらいしか映る機会はなかったとおもうが、おそらくそのどの場面でも時間は日中であり、窓があけられており、ときに真っ白なカーテンが風にはためいたりもしていて、開放感がつよい。そこもまた対照させられていたのかもしれない。この赤ん坊はテロの亡くなった奥さんがのこした子なのだが、テロと不倫して愛するうちにティンヤの母親はこの赤子をひじょうにかわいくおもうようになり、体操の大会をひかえてさいごにテロの家のまえでティンヤにきびしく練習させているさなかにちかくで寝ていた赤ん坊が泣き出すと、ごめんね、ティンヤがうるさくて泣いちゃった? とか言ったり、ママのかわいい赤ちゃんはだれ? だれかしら? みたいなことを歌うように言ったりしながらあやしだし、それをみたティンヤはとうぜん疎外やかなしみのような情をおぼえ、それでティンヤが大会に行っているあいだに赤子がアッリにねらわれることになる。直後にテロの家を出発する時点でティンヤは襲撃が起こることを予期しているので赤子もいっしょに連れていってほしいと懇願するが、ききいれられない。テロはティンヤの置かれた境遇を理解しており、かのじょにやさしく接して愛情めいたものをあたえ、出発の直前に母親にたいしても帰ってきたら大事なはなしがあると告げて状況の解決にむけてうごきだす気配をみせており、だからふつうにかなりいいひとなのだが、アッリの襲撃をティンヤによるものと誤解したかれも大会後には態度を一転させて、母親は家のなかにはいって夜までながくはなしていたもののけっきょく決裂に終わり、憤怒の表情にこりかたまった無言で車にもどってきて、狂ったようにハンドルにあたまをなんどかうちつけたすえ、横をむいて鼻血を垂らしながら、あなたくらいはわたしを幸せにしてくれるとおもってたわ、とティンヤに告げる。みているこちらとしてはめちゃくちゃクソなにんげんだなと、もうこいつを殺しちゃえばいいじゃんとおもうわけだけれど、そんなふうにあたられてもアッリの襲撃対象は母親ではなく、赤子のほうなわけである。だからティンヤは母親にたいしては殺意や憎しみをもてず、ただひたすらにその承認と愛がほしいのだという理解になるだろう。それにたいして母親のほうはモンスターの存在が発覚したあと、(母親はそれを知らないだろうがティンヤの分身であるはずの)アッリを殺そうとし、ティンヤのようだけどそうじゃないなにかが家にいる、それを殺せば解決よ、と口にする短絡ぶりをみせている。ティンヤはアッリを殺したくはないわけである。母親に告白したあと、いまはもう消えてほしい、といっているが、それはあくまで「消えてほしい」のであって、殺したいとおもっているわけではなく、だから母親が刃物をもってうろついているあいだにも制するようなことばをいちどかけている(母親はそれにたいして、「でも消えてほしいんでしょ?」とかえし、ティンヤは「そうだけど……」とこたえて煮えきらず困った表情を浮かべる)。しかしけっきょく母親はアッリを、ということはつまり(母親からすればおそらく)偽物のティンヤを殺そうとし、それでもって状況は「解決」されると信じ込んでいるのだが、ところが(母親からすれば本物の)ティンヤはアッリをかばって刃物を胸に受け、母親は我が子である(本物の)ティンヤをうしなうことになる。そのいっぽうでティンヤはさいごに血を吐いてアッリにあたえることでかのじょのすがたかたちをティンヤとおなじくするわけで、これをみずからの命を犠牲にすることで子ども(アッリ)の存在をある種完成させたとみるならば、ティンヤはある意味で殉教者というか、無償の愛をあたえることに死んだ「母」としての像を受けることになるだろう。これはちょっと読みすぎというか強引な気がするが、このあたりの解釈は「インナーチャイルド」説と相性はいいはずである。というのもそちらのほうの言説では、じぶんのなかにいる子ども(というのはおおかた負の感情とか、傷ついたこころとか、じぶんがむきあいたくない自己のいちぶ、みたいなイメージで理解しているのだが)を憎んではいけません、それを遠ざけようとしてはいけません、それを我が子のようにじぶんのいちぶとしてみとめ、愛情をもってゆるし、抱きしめてあげるのです、みたいなことがよくいわれている印象だからだ。そういうはなしとむすびつけて、この作品からLove is the only solution的なわかりやすい教訓的メッセージを読み取るひともいるだろう。
 映画本篇が終わり、真っ黒な背景のクレジットもながれおわってホール内があかるくなると、みぎの(……)さんが怖かった~といい、ひだりの(……)さんはぐったりとしているこちらをみて笑った。感想をきかれたので、マジでめっちゃ疲れました、心臓にわるい! みたいなことをこたえる。(……)さんはああいうグロテスクなやつがけっこう嫌いではないらしい。それで席を立ってそとに出て、建物からも出て、駅まで行って解散ということに。あるいているあいだ(……)さんとたしょうどうだったというはなしをする。とにかく音がおおきくてからだにひびいてまったく疲れたということをくりかえした。(……)さんも鳥の声めっちゃうるさかったですねと言っていた。有楽町の駅のまえであいさつ。(……)さんが写真を撮りましょうというので三人で撮って別れ。(……)さんは東京駅で乗り換えるというので一駅だけ一緒して、こちらは神田で乗り換え。その後の帰路や帰宅後はもう記憶が無いので割愛。とおもったが、帰りの電車内はLed Zeppelinのライブ盤であるところの『The Song Remains The Same』をめちゃくちゃひさしぶりにながしたのだった。しかし出先でスマートフォンでイヤフォンできいてもやはりそんなにおもしろくはなかった。(……)駅のホームで乗り換えを待っているあいだに立ち尽くしたまま"Since I've Been Loving' You"をきいて、やはりかっこういいですな、最高ですなとはおもったが。Jimmy Pageのギターも、まあやろうとおもってもあんなふうには弾けないよね、ヘタウマとかいわれてるけど、あのラフさをあのラフさとして成立させるのは狙って練習しても無理だよね、と。帰ったら兄とその子ふたりが来ていた。