2022/5/1, Sun.

 一党支配であり、選挙には政権選択の機能がなかったにもかかわらず、ソヴェト政権と共産党にとって選挙は極めて大きな意味を持っていた。先に強調したように政権は人々の理解と協力を求めていたのであり、そのために党と政権が最も重視したのが選挙であった。故に、政権選択の機能のない選挙の実施に政権と共産党は膨大な労力を注ぎ込み、選挙運動では大規模に説明活動を組織し、人々の意見を吸い上げようとした。
 平等な選挙権を実現するため、一票の格差が生じないように選挙のたびに選挙区画の見直しがおこなわれていた。三交代勤務の労働者への便宜のため、投票時間は六時から二四時まで設定され(一九六六年の選挙以後は二二時まで)、投票所に隣接してビュッフェが設けられた。投票所がクラブなど文化啓蒙・娯楽施設であれば、選挙の日にコンサートがおこなわれたり、書物が増やされたりした。身体障害その他の理由で投票所に来られない有権者に対しては、送迎を手配したり、自宅に投票箱を運んだりする配慮がなされた。
 これらは投票率を高めるための方策であり、その狙いはソヴェト政権の正統性を主張することだと捉えることもできる。確かにそうした面はあり、選挙のたびに、九九%を超える投票率・得票率が「政権と党に対する国民の信頼の証し」として誇らしく語られた。しかし、こうした数字をもってソヴェト政権が正統性を主張し、「ソヴェト民主主義はブルジョア民主主義より民主的」と宣伝しても、それだけでは、一党支配の下で定数通りの候(end205)補者しかいない選挙を現に経験している国民には実感されることはなかったろう。実際、定数より多い候補者を立てるべきだとの要望、選挙も議会も形式化・形骸化しているとの批判は、選挙のたびに投票用紙に書き込まれたのである。
 そのことに留意しつつ、筆者が注目するのは、政権と党が選挙を「祝祭」と捉えていたことである。有権者が選挙という「祝祭」に参加し、地域の人々と交流し、音楽や書物を楽しむ時間を共有することで、大きく言えば国民統合の一助とし、より身近には地域社会の一員であることを意識させようとしたのではないかと考えるからである。そして、朝六時に投票所が開く前から詰めかける人々や、選挙権を手にして以来数十年にわたって毎回投票所に一番乗りを果している人物など、選挙に参加することに特別の意義を感じている人々がいたことからすれば、党と政権にこうした狙いがあったとすれば、それはかなり成功していたと言えるように思う。
 そしてまた、確かに党機関が主導して、「地域住民や勤労集団の代表」として定数通りの候補者が立てられるのだが、推薦された候補者が、住民や職場の同僚から不適当と見られる人物であった場合、候補者選出の集会において多くの批判が浴びせられたのであり、その結果として候補者が差し替えられた例も少なくなかった。そして、党と政権はこうした事例を「好ましい現象」と捉えていた。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、205~206)


 この日は(……)で(……)と会って物件をしらべてもらい、決めた日。一時すぎから集合した。そのまえ、朝起きて飯を食っているあいだ、たぶん一〇時すぎくらいだったかとおもうが、居間では兄といっしょに滞在中の(……)ちゃんや(……)くんがうろつきまわってあそんでいるなか、だれもたいして目をむけていないテレビはニュースをうつしているわけである。ウクライナの報道がながれた。砲撃のようすや、ヘルソンで広場にあつまってヘルソンはウクライナであると、ロシアの占領支配に反対するひとびとのすがたがうつされるのだが、そのときこたつテーブルとソファのあいだにはいってテーブルに寄りながら、マクドナルドのハッピーセットでもらったらしいミニカーをうごかすかなにかたぶんしていた(……)くんがテレビをみて、あ、いっぱいだね! といい(おそらくひとがということだろう)、青と黄色、とも口にして、かたわらでよりそいながら世話をしていた父親は孫煩悩のあまい祖父の破顔に表情をくずしつつ、あ、国旗のいろね、ほんとによくわかるなあ、などと褒めことばをかけていた。このいちれんのようすをみながら、なにかしらの印象が生じた。それをあえてことばにしないほうがよい気もするのだが、しかしある程度まで言語化してしまうと、まずたんじゅんにテレビにうつった情報の苛烈な政治性と居間で起こっているできごとの平穏さの対比、ほぼ命がけといってもよいだろう政治的抗議のようすが、あるいは幸福と称してもよいかもしれない子育てのささやかな一情景にくみこまれてしまうその対照が印象的だったのだろう。もうひとつには、これもまた歴史の一場面なのかもしれないな、というようなおもいが生じたようだ。歴史の一場面というと語弊があるとおもうのだが、歴史のある一場面にまつわって方々で展開される無数の情景、小場面のうちのひとつというか。より具体的には、(……)くんはこの日この朝このときのことをわすれてしまい、こういうことがあったというのを成長してもとうぜんおもいだすことはないだろうけれど、しかしかれもいずれかの未来に学校の教科書や本などで、このいまにウクライナで戦争があったのだということを、もしかしたらヘルソンがおとされて抗議したひとびとがいたのだということまで、知ったり学んだりすることがあるのかもしれない、というおもいをえたようだった。
 (……)とは会うとまず飯を食いに行った。(……)のうえ。感染者も減ってきて連休ということで人出はおおく、レストランフロアの店はどこも混んで待ち客がたくさんならんでいた。そんななかで寿司屋だけあきらかに空いていて待っているすがたがなかったのでそこにはいろうということに。なまえを書いてすぐに呼ばれてカウンターへ。握りセットを注文。うまい。寿司をひさしぶりに食った気がした。しごとのはなしや近況報告などをここでは。
 その後喫茶店。ビルを出ると雨がだいぶ降っていた。ルノアールに行くかと言って駅から東にむかったのだが、なんとルノアールがはいっていたビルがまるごとなくなっていた! マジか。(……)くんとの会合にまいかいつかっていたのに。これでは再開しても(……)ではやりづらいぞ。べつにほかの町でもむろんかまわないが、ただ(……)は書店が充実しているのでつぎの課題書を決めるのに便利だったのだ。こちらもほかの会合もあり、また日記に追われ読書もそんなにできていない現状、そしてあちらの状況やきもちからしても再開できるかもわからないが、こちらじしんはできればまた月一であつまってはなしができたらいいなとはおもっている。じぶんが大学に行ってえたなかで真に価値あるものは(……)くんとの友人関係だけである。
 それで高架歩廊とちゅうのエクセルシオールに行くことに。移動して一階の奥のカウンター席にならんですわり、またしばらく雑談したあとに物件探し。そろそろ家を出ようとおもっているので相談させてもらえればというのがきょうの本題だったのだ。(……)は不動産屋で、(……)支店の店長をつとめている。パソコンをもってきてくれたので、それで検索してくれた。こちらは事前にまったくなにもしらべていなかった。すこしはじぶんでしらべろよというはなしだが、興味がわかないことがなかなかできないタイプだし、金もないから最低ランクのなかからえらぶしかないわけで、そのなかでまあまだましだというものを(……)にたよってえらんでもらおうという腹だったのだ。ただし(……)内に住むという条件ははずせない。(……)図書館がきわめて充実しているからである。それで(……)の最低ラインを検索してもらうと、三万円くらいだった。めちゃくちゃむかしに地元(……)で検索したときはたしか二万にみたない物件がいくつかあったおぼえがあったから二万円くらいの部屋もあるのかなとおもっていたがそうでもないようだ。その(……)でいちおう検索してもらっても最低で二万五〇〇〇円くらいで五〇〇〇円しか変わらないので、それならやっぱり(……)に住むしかねえと。で、(……)がPDFファイルをつぎつぎにひらいて間取り図や写真などをみていってくれたりこちらもみたりするなか、三万ラインだと洗濯機を室内に置ける物件がそもそもとぼしく、ふたつしかなかった。洗濯機はやはりできればじぶんで持てたほうがよいだろうとおもっていたので、実質もうそのどちらかにするしかない。ひとつは(……)、(……)駅の最寄りで一階にクリーニング屋がはいっているそのうえ。もうひとつは(……)だった。そのふたつをみてみたかんじなんとなく前者のほうがよさそうで、築は一九七一年とかあったか、だから古いが、この部屋はリフォームもはいっているらしかったし、Google Mapをみてみてもちかくにスーパーやコンビニもふつうにあるし駅からも七分というからこちらの足なら一〇分くらいだろう。余裕。楽勝。クリーニング屋が家のしたというのも都合がよい。こちらはスーツにワイシャツをつかうしごとである。もうここでよくね? とおもった。というか経済力的にえらべる身分でないからそれしかないわけである。もうほぼこころ決まりしていたがいちおう見には行って感触をえておきたくもあるわけで、(……)があしたなら行けるというので、とりあえずもうあした見に行っておこうと同行をたのんだ。物件名は「(……)」で部屋は(……)。
 (……)のはなしでは保証会社に審査をたのむ物件なのだが、審査がとおるかどうかというのはうーんまあどうかなーというかんじらしく、家賃が収入の四〇パーセントをこえるとまずいという基準が業界にはあるらしい。(……)の家賃は共益費ふくめて三三〇〇〇円で、それが四〇パーセントということは四で割って八二五〇円が一〇パー、したがってまいつき八二五〇〇円は最低でもかせいでいないといけないわけだが、いまじぶんの月収はだいたい七、八万くらいなのでややきびしい。どちらにしても家を出て七、八万でやっていくのはきついとおもうので、いまのところでもうすこししごとを増やすか、なにかべつのことでたしょう金をかせがなければならないだろうが。まあとりあえず生存できて読み書きができればだいたいなんでもよい。そんなに立派に生きようとおもっていない。