2022/5/8, Sun.

 一九九一年三月一七日、連邦の維持をめぐる国民投票が、ロシア、ウクライナベラルーシ(ベロルシアが改称した)、カザフスタンウズベキスタンキルギスタントルクメニスタンタジキスタンアゼルバイジャンの九共和国で実施され(独立を目指すバルト三国アルメニアグルジアモルダヴィアはボイコットした)、いずれの共和国でも賛成多数、全体では七六%が連邦の維持に賛成票を投じた。後述のようにこの年の末には連邦解体を主導することになるロシア、ウクライナベラルーシでも約七割が賛成した。この投票で賛否が問われた「平等な主権共和国の刷新された連邦」がいかなるものかは必ずしも明確ではなかったが、ともかくも七割以上の賛成票を得たことは、連邦維持を目指すゴルバチョフには大きな得点となった。
 これを受けて、一九九一年四月には、連邦の権限を大きく削減することで「九プラス一合意」(「国民投票を実施した九共和国の首脳」プラス「連邦首脳」の合意)が実現したが、ゴルバチョフの譲歩は連邦の政府と議会の諒承を得ないものだったため、連邦政府の要人たちはこの合意に強い不満を示した。合意に基づく新しい連邦条約は八月二〇日に調印される予定であったが、不満と危機感を抱いた連邦の副大統領、首相、国防相らが、ゴルバチ(end228)ョフを拘束し、八月一九日に国家非常事態委員会を組織して非常事態を宣言するクーデタ(八月クーデタ)を起こした。
 国家非常事態委員会の宣言はもっぱら秩序維持を訴えるもので、社会主義やソヴェト体制維持を主張したものではなかったが、国民の多くは、クーデタはペレストロイカ以前への回帰を目指すものと受け止めて強く反発した。首都モスクワでは、ロシア共和国大統領エリツィンらロシアの政府・議会関係者が、共和国最高会議ビルを拠点としてクーデタに徹底抗戦する姿勢を示し、多くのモスクワ市民がこれを支援した。国家非常事態委員会は軍隊を掌握し切れていなかったこともあって、クーデタは三日で失敗に終わった。
 ソ連共産党はこのクーデタに直接関与したわけではなかったが、エリツィンがロシア国内での活動を停止させたため、ゴルバチョフも党書記長を辞すとともに党中央委員会に解散を勧告し、共産党の政治的な力は失われた。
 八月クーデタにより新連邦条約の調印は流れ、共和国の独立宣言が相次いだが、国家連合形式での連邦条約締結を実現させようという努力をゴルバチョフはなおも続けた。「九プラス一合意」に加わった共和国の首脳たちにはこれに応ずる動きもあった。しかし、一九九一年一二月におこなわれたウクライナ国民投票において、独立を求める票が約九割となったことがゴルバチョフの努力に事実上終止符を打った。ロシアは一貫して、ウクラ(end229)イナ抜きの連邦はあり得ないとの態度をとっていたからである。
 一九九一年一二月八日には、一九二二年に連邦を結成する条約に調印した四者のうちの三者、ロシア、ウクライナベラルーシの首脳が会談し、一九二二年の連邦条約の無効と独立国家共同体(CIS)の創設を宣言したことによって、情勢は連邦解体へと一気に動いた。カザフスタンなどは、この三国のみによるCIS創設宣言に反発を示したが、結局これに合流することを決め、一二月二一日にはバルト三国グルジアを除く一一カ国がCIS結成で合意した。一二月二五日にはゴルバチョフソ連大統領の職務停止を宣言するテレビ演説をおこなった。ソ連という国家は、連邦を構成していた共和国によって解体される形で消滅したのである。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、228~230)



  • 「英語」: 156 - 200
  • 「読みかえし」: 733 - 739


 なんどもさめながら、最終的に一一時すぎにおきあがった。天気は曇り。からだの感覚はけっこうよい。ぜんじつながく出かけていちにちの終わりにはほとんどくたくただったわりに、そこまでその疲労がのこっておらず、肌の感覚もざらついていない。帰路の電車内は立っていようがすわっていようがずっと目を閉じてじっとしていたから、その休息のおかげなのかもしれない。また、けっきょくのところやはりじぶんは最低でも六時間、できれば七時間くらいの睡眠をとらなければコンディションをよくととのえられないからだなのだとおもった。世のなかのたいはんのひともそうだろう。きのうは五時間くらいの睡眠ながらさめたときはけっこう冴えていたし、からだじたいはこごっていなかったのだが、往路で最寄り駅に立ったときなど視界があまりクリアでなくいつもより周縁からせばまっているようなかんじだったし、外出してあそんでいるあいだもたびたびあくびが出た。あれはやはりたんじゅんにねむりがすくなかったことによるのだろう。睡眠時間をみじかくしてそのぶんやりたいことをやり、活動しようなどというかんがえは捨てたほうがよい。きちんとねむって心身をしっかりやすめることのほうが健康にかんしてもパフォーマンスにかんしても大事だ。それでいえばほんとうはもちろん早寝早起きをしたほうがよいのだろうが、いつまでたってもそれは実現できない。
 水場に行って顔をあらったりトイレで用を足したりしてくると、ねころがってクロード・シモン平岡篤頼訳『フランドルへの道』を読んだ。一〇ページくらい。なにしろ改行がすくなくながながとつづく多層的な文体なので、読みすすめるのにもなかなか時間がかかる。しかしこのくらいの文章だったらふつうに読むだけならとくに苦にはならない。なにしろおれは『族長の秋』を七回読んだおとこだ。邦訳とはいえ、そんな日本人はこの国にほぼいないだろう。一一時四〇分から瞑想した。からだのかんじはすでにそこそこやわらかだった。二五分ほどすわり、上階へ。ジャージにきがえ。上着は部屋に置いてきたのでうえは肌着のみ。母親はなんかちょっとさむいよねといって、たしかにわからなくもないが、肌寒いとかんじるほどでもない。洗面所であらためて顔をあらったりうがいをしたりのあと、フライパンで煮込んだうどんで食事をとる。きのうナスを炒めたようだが、それなんかがはいっている。卓にはこんで新聞をみながら食事。日曜日の正午すぎなのでテレビは『のど自慢』がはじまるところだった。新聞一面にはウクライナ東部でウクライナ軍が反撃という報があった。ハルキウ(ハリコフ)で五つの集落を奪還したという。ロシア軍のほうも米欧からの支援を断つため補給拠点などを攻撃しているが、アメリカは補給には支障がないといちおう断言してはいる。バイデンは一億五〇〇〇万ドル分だったかわすれたが追加支援を表明し、絶え間なく武器弾薬を援助すると。そのあとページをめくってめぼしい記事をさぐっていたところ、いちばんうしろの社会面に、日本でも反ワクチンの陰謀論グループが活動を活発化させているという記事があり、なんでもQアノンの日本支部を自称するという「神真都 [やまと] Q」なる団体があるらしい。モノホンのにおいを如実にただよわせるなかなかの当て字センスだが、昨年の一二月に設立されてすでに一般社団法人としての登録もすませているというこの団体は、今年の一月のなんにちかにはなんと全国すべての都道府県で反ワクチンのデモを実行し、捜査当局によれば総計で六〇〇〇人が参加したとみられるという。けっこうな動員力。主張としては反ワクチンのほか本家アメリカのQアノンをだいたい踏襲するかんじらしく、だからひかりと闇のたたかいみたいなスターウォーズ的二元論で世界をみているようで(本家Qアノンによればひかりはドナルド・トランプであり、闇はいわゆるディープ・ステートである)、いまどきライトノベルでももうすこし世界に複雑さを導入しているのではないかとおもうが、とうぜんドナルド・トランプを信奉し大統領選挙は不正だったのでやりなおすべきだとかんがえており、またウクライナ侵攻にさいしてもプーチンは救世主であり正義だととなえているらしい。そのほか、「龍神天王」なる存在もあがめているらしく、なかなかすさまじいモノホンのスピリチュアリストたちのようだ。組織は執行管理部とか広報方面とかいくつかの部署にわかれており、港区白金台に本部をもっていて、幹部になんとかいう元俳優がいて、このひととほか四人は渋谷区のクリニックに押し入った容疑で逮捕されており、それで一時活動は停滞しているようだが五月中旬には再開するということを予告しているという。いまさらではあるけれど、ほんとうに漫画のなかに出てくるような組織がそこそこの勢力をもって現実化してしまう世なのだなと。
 うどんをよそったときに、タケノコを湯がくのにつかった巨大な鍋を移動させてほしいといわれてうつしていたのでながしはせまくなっている。そのすきまで食器を洗い、風呂も洗って、出てくると大阪のお母さん((……)家の母、すなわち(……)さんの母親)にもらったというほうじ茶を飲んでみることにした。一保堂というメーカーのもので、母親がいうにはゆうめいな店でけっこう高い品だろうという。つくって部屋にもちかえり、飲みながらNotionを用意したりウェブをちょっとみたりして、そのあと音読。あいまに、新聞一面下部の出版広告に『天才たちの習慣 女性編』みたいな本があったのをおもいだして、ちょっと気になってしまったので検索し、女性編ではないが類似の本についてしるされた記事を瞥見した。みるとやはりみんな散歩してたよねというはなしがひとつにはあって、『ウォークス』でも読んだがキルケゴールコペンハーゲンの街をひたすらにあるきまわっていたらしいし、ディケンズはまいにち昼食後だったかに三時間あるくことを習慣にしていたらしい。チャイコフスキーも二時間。あるきすぎでしょとおもうが。エリック・サティもパリから労働者地区にあった家まであるいて帰る習慣で、そのとちゅうでアイディアがおもいつくとたちどまってメモをとっており、だから戦時統制で灯火が制限された時期は生産性が落ちたという分析すらあるらしい。二時間三時間はあるきすぎとしてもやっぱり散歩を習慣化できたほうがいいのだよなあとおもった。生産性だのクリエイティヴィティだのの側面はおいても、じぶんの日々の書きものの充実はまあだいたい外出して風景をみたか否かによっているし、たんじゅんにやはり健康、からだをととのえるという面の考慮がおおきい。その記事の下部に関連記事のリンクで、すわりつづけているのは喫煙とおなじようなものかもしれないと示唆しつつ「散歩会議」をすすめるようなタイトルがあったのでそれも読んでみたが、長時間すわるのが常態化するとやはりやばいと。それに触発されて立つ時間をつくろうとおもい、だからいまこの文は立位でつづっている。ここまで記して二時四七分。とはいえ立ったまま作業をするのは、下半身がほぐれていないとなかなかたいへんではある。きょうはやわらかくなっているのでいまのところ苦がないが。そしておれは気づいてしまったのだが、本だって脚と腰がゆるすのなら立ったままで読んだほうがよいのではないか?
 うえの記事を読んであるきたいきもちが生じており、なんとなく図書館にでもひさしぶりに行こうかなというおもいがないでもないのだが、記すべきことがらもおおいはおおいのでどちらつかずの状態。図書館に行っても、いまシモンを読んでいてそれを終えたら読書会のためにホッブズを読むので借りることはできない。ただなんとなく棚の本を見分しておこうかなというきもちがある。

 
 血流と健康のために立位の時間をより確保しようというあたまがあり、また書抜きをしたい気にもなっていたので、白いデスクにコンピューターを置いて書抜きにとりくんだ。トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)。BGMをながすことにして、ディスクユニオンのフリージャズの新譜紹介ページをみるとHermeto Pascoalの名がまずあり、この作品はまだ入荷していないというのでAmazonにもないだろうとおもいつつ検索し、『Hermeto Solo: Por Diferentes Caminhos (Piano Acustico)』というアルバムをえらんだ。Hermeto Pascoalってピアノソロアルバム出してたのかと。なかなかよい。それで書抜きをすすめていま四時まえ。図書館にはやはり出かけることに。あしたからまた労働だしそんなに余裕があるとはいえないが、そとをあるきたいというきょうのきもちをきょうはころさないことに決めた。


 いま帰宅後、七時まえ。また書抜きをしている。こんどは井上輝夫『聖シメオンの木菟』。手帳にメモしておいたちょっとしたぶぶんのほう。詩人だけあって細部のささやかなことばのつかいかたでもこれはいいなとおもうものがおおい。冒頭の創作的なみじかい篇では、砂漠に住んでいる熱病で錯乱したおとこの、「見えるぞ、見えるぞ、愛らしい野の花が春風にゆれているのが、薄いまるで夕べの雲の一片のような花弁だ。雪花石膏 [アラバスター] のような茎だ。沈黙した天使の後姿のように美しい花だ」(21)というセリフの、「沈黙した天使の後姿のように」という比喩がよい。紀行篇にはいってからは、「翌朝、四十度を突破する灼熱の太陽に容赦なく発 [あば] かれたダマスカスの市街は砂ぼこりにまみれた石の褐色の堆積だった」(33)という一節中で、「発く」という書きかた読みかたをはじめて知った。表現としてもなかなかよい。じぶんでもつかいたい。

 そういえばいま唐突におもいだしたが、ほうじ茶を飲み終えたあと昼過ぎに白湯をそそぐため階をあがったさい、テレビは『開運! なんでも鑑定団』をうつしていたのだが、木をえがいたいちまいの絵がいまとりあげられており、暮れがたのような黄色みをちょっとはらんだほの暗いような背景のなか木のこずえがややそよいでいるふうにもみえるその絵に、カミーユ・コローではないか? となまえをおもいだしたのだけれど、白湯をついだあとにテレビにちかづいて右上のテロップを確認してみると、まさしくそうだった。コローの絵をみた機会などほぼないし、美術展に行ったことのある回数もぜんぜん豊富でないのに、わかるもんだなとおもった。

 四時ごろになると外出の支度。歯を磨き、上田正樹とありやまじゅんじの『ぼちぼちいこか』をながしつつちょっと屈伸したり開脚したりして、そうしてきがえ。だれに会うわけでもなしそんなに着飾らなくてよいだろうとおもい、ジャケットはパスして上着は灰色チェックのスプリングコートみたいなやつにすることに。したはブルーグレーのズボンを履き、うえはわりと安かった白いシャツ。Tシャツにブルゾンのスタイルをとりたい気もしたのだが、曇りの日だしそれではまだ寒いかなとおもったのだ。モンドリアンの配色を意識したらしいPOLOのちいさなショルダーバッグをからだにかけた。そうしてうえへ行き、真っ赤な靴下を履いてハンカチをとり、玄関であかりをつけて雑多なものの整理かたづけをしていた母親に出かけると告げる。トイレで小便をして出発。徒歩なのでみちに出ると東へ。父親が林縁の土地の草を機械で刈っていたので手をあげてあいさつ。曇天の大気にいま風はなく、みちを行きながら首を横にまわして近間の家並みに目をやると、(……)さんの家の鯉のぼりも何匹ともわかたれずだらりとたれさがって竿にまつわっているばかり、坂にかかりながらみぎて下方にみえる建設中の建物はもうだいぶかたちができて壁かシートか白いよそおいにかこまれていた。ひだりの林をふちどる樹々のしげみからおとが立つのは風のながれではなく声を散らす鳥がいるのだが、諸所で散発的に葉がうごくのみでそのすがた軌跡をとらえられない。みちの両側には葉っぱがゆたかに落ちて枠線を塗り、地面の幅をせばめているが、地になじんですでにながく生気をうしなったそのいろは、みどりは仮借なく抜かれかといって落ち葉によくある香ばしげな茶色をあたえられるでもなく、白っぽく褪せてはいるけれどなんといったものかどうにもつかめない、もちろんうつくしくもないしといってきたなくもなく、だれも目にとめないような、絵画の対象にもあえてえらばれないような、とにかくこれといったいろみをもたない無実質なくすみいろで、葉というよりも実を捨てて役目を終えたあとの殻に似たような、ある種のうすい砂のようないろかもしれず、もしかするとああいうものを土気色と呼ぶのかもしれない。坂を越えて街道にむかうとちゅう、ゆるいカーブの角にあたる一軒のよこ、ガードレールのそとに生えたコデマリは、小毬の球はたもっているものの白さのなかに褐色の粉もまじって饐えはじめており、それをみていると柵の足もとにスズメが一羽あらわれて、脚をすこししずかにしたこちらの気も知らず、目をはずしているうちにいつか消えていた。
 街道は果てまでつづき、視界がひらく。みちを越えてさらにつづく空はみずいろのどこにもみえない一面の曇り、おおかたは練ったような白のなかに灰なり淡青なりたしょうは差して、とおくにすじやら襞やらほそながい段やら、うねりも浅くえがかれはするが、いずれ敷かれ詰めこまれ閉ざされた天である。それでいてなのかそれゆえになのか、風はとぼしい。みち沿いの公園には子どももおとなもひとりもいなかった。老人ホームのある角で裏にむけて曲がると、そこに立つ桜にとまっていたのがホームのうえに移動したカラスが、建物は四角くアパートのようで屋上もたいらのはずだがあるくとギシギシおとが立ち、カーカー鳴く声の鳥というよりは間の抜けたにんげんの声のような、あくびじみて吐かれた気息のような暢気さだった。いつであれどこであれ、おとはあるものだ。裏路地を行きながら耳が聞くのは、川面に落とされる小石のような絶え間なく散る鳥たちの声、老女ふたりのあるくあしおととその話、いえうちや庭にいるひとの気配、室外機の稼働音、車、耳の穴のまえをすぎていく微風のひびき、などだった。とちゅうで家がこわされたあとらしき空き地ができており、だれが植えたわけでもないはずのナガミヒナゲシが、健康的なオレンジ色で無償のいろどりをそえている。
 (……)駅まであるき、なかにはいってホームへあがると二号車あたりに乗車。席につくとむかいの壁に、「ライブ配信で一億円稼いだ話」とかいう広告板があるのをみて、一億円もかせげればいいよなあとおもった。それで目を閉じて到着を待っているあいだ、もしじぶんが宝くじとかなにかのまちがいで一億円を手にしてしまったらだれにいくらあげようという無益きわまりない夢想をしていた。これほど豪気な皮算用もあるまい。家族にはまあいちおうわけようかなとおもうし、もし大金がはいったらあげたい友だちもいくらかいる。仮に一億円あったら(……)さんにははんぶんの五〇〇〇万円をわけていいとおもっている。
 (……)について降り、ホームをあがって改札をぬけ、図書館へ。来るのはかなりひさしぶり。入館して手を消毒。雑誌のコーナーで『思想』の最新号の表紙の記事タイトルと『現代思想』の表紙をみてから上階へ。新着図書。そんなにめぼしい本はなかった。佐藤亜紀のなんとかいうあたらしい小説があった。タイトルがけっこうかっこうよかったのだけれどわすれてしまったが、なかをぱらぱらみるとベギン会とかみえたので、たぶんベルギーあたりを舞台にした中世物だろうか。ほかにもうひとつ海外のひとの本をてにとった気がするのだが亡失。『ベニー・グッドマングレン・ミラーの時代』みたいな題の本もあってちょっと気になったが確認はせず。それからフロアの端の総記のあたり、書評本があつまっている区画、ふりむいて中公新書(英文法関連の本をいずれ借りて読みたい)、棚の裏側にいって哲学、倫理学などと見分したが、たしょうあたらしい本はくわわっているもののもうほとんどは見知った顔である。そのうちじっさいに読めたものはほとんどないが。それから海外文学のほうへ。そのまえに英語の区画(ここにもたしょう借りて読みたいものはある)、詩のばしょなど瞥見し、そうして英米文学のコーナー。ウルフは『幕間』も『波』もあり、西崎憲訳の短篇集の復刊もある。エッセイのほうでは平凡社ライブラリーで『三ギニー』と『自分ひとりの部屋』もある。このへんはぐずぐずしていないでさっさと読まねばならない。そこからドイツフランス南米イタリアなどと移行していって、読みたいものはもちろんいくらもあるが、すごくおっ、となって印象にのこるほどでもない。ベルンハルトが四冊あったのは読みたい。家にも『消去』があるのでさっさと読むべきなのだが。
 もともとなにも借りるつもりはなかったのではやくも帰ろうかとおもったが、さいごに映画や音楽らへんをみておくことに。セロニアス・モンクの伝記があったのでこれは読みたい。美術の区画をみると岡崎乾二郎の『抽象の力』もあってこれはねらいめである。よく買ってくれた。まえになんかネット上で読んだような記憶もあるのだが。あときょうの新聞広告でみてうえにもふれた『天才たちの日課 女性編』というのもなぜか美術のところにあってみてみたが、おもいのほかに自己啓発臭が濃くはないというか、このひとはこういうことをやってましたバーン! みたいなかんじではなく、そのひとのいちにちの過ごしかたとか生活についてのかんがえかたとか仕事ぶりとかを証言や典拠をきちんと引用しながら数ページに要約して紹介している趣向で、おもったよりもちゃんとしていて意外とおもしろそうだった。スーザン・ソンタグのところなど瞥見した。ほんとうに瞥見しただけなので内容が印象にのこっていないが。訳者のひとりは金原瑞人
 そうして帰ることに。たいして長居していないが、それでも五時四〇分ごろになっていた。館をぬけて円形の高架歩廊をとおり駅舎にはいる。改札をくぐってホームにくだり、だれもいないベンチについて電車を待って数分、来ると乗って席にしばらく瞑目し、降りると乗り換え。自販機で菓子でも買ってかえろうかなという気になっていたのでホームを行って当該のばしょをめざしたが、行けば電車待ちのひとがそのまえにいてきおくれしたので、まもなく来る電車を待つことにして立ち尽くし、着いてひとが去ると品をみて、チョコレートとちいさいポテトチップスのたぐいを買った。身につけているショルダーバッグにいれて袋をふくらませ、いちばんうしろの車両に乗って最寄りへ。ゆっくり帰路をたどった。
 かえりつくと立ったりあるいたりで血がめぐっているらしくやる気がじゅうぶんだったのでジャージにきがえてすぐに立位できょうの日記を記し、とおもったがそうではなくて書抜きをしたのだった。七時をまわるくらいまでやって、そうするとさすがに脚がつかれたので一時ベッドでほぐしながら休み、七時半をすぎると食事。うどんののこりやスンドゥブなど。(……)さんのブログを読みつつ。あがって食器をかたづけ、もどると日記を書いたのだったかな。そうだ。九時で入浴。束子でからだじゅうを念入りにこすった。きのうあらためて実感したのだけれどこれをていねいにやるとやはりからだはめちゃくちゃすっきりする。出てもどると菓子を食いつつまた(……)さんのブログを読んだ。四月二九日に一〇年いじょうまえのおじいさんとのやりとりが引かれていたがこれがよくて、「「恩賜」(当時でいうところの生活保護みたいなものらしい)を受けているものは手を挙げろと言われたとき、小学生当時の祖父は恥ずかしさから手を挙げることができなかったという。それを見とがめた担任教諭が祖父のそばにまでつかつかと歩みよってきて、尋問したあげくにビンタではり倒し、倒れ込んだ祖父の首根っこをつかんでふたたび起き上がらせたところで今度は拳骨で鼻血が出るほど殴りつけ、最終的に教室の後ろで立たされることになったじぶんのもとに教室全体からずらりと集めよせられた五十対のまなざしの矢、それを忘れることがどうしてもできない、五十年六十年経ってもじぶんの頭の中に焼きついていて貧乏の恥ずかしさ悔しさがいつになってもぬぐいきれない、と祖父はじぶんと顔をあわせるたびにその話をくりかえす」というぶぶんがすごかった。そのあとのドロドロしたはなしもすごいというかこれでもう小説じゃんというかんじなのだけれど、ドロドロしていて私的なので個人情報に配慮していちおうブログには引かずにおく。その後日記をつづり、ここまでで一一時。あしたから労働めんどうくさい。
 あとわすれていたが図書館からの帰りに(……)駅のベンチにすわってバッグのなかの携帯をみたところメールがはいっており、(……)からで家の審査通過したよということだった。よかったよかった。Gmailに転送しておいて帰宅後に添付されていた請求書のPDFをみたのだが、もろもろの費用で一三万くらいを一二日までに振り込むべしということで、やすくてせまい部屋に住むためにもなかなか金がかかるもんだ。(……)には礼をいい、こんど飯おごらせてくれと返信。


 その後は五月一日の日記を綴ってしあげ、投稿したくらいでおおきなことはなし。だらだら夜更かしして寝たのはおそかった。もう白みはじめて鳥の音がはじまっているころだった。