2022/5/7, Sat.

 独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づきソ連の勢力圏とされ、まもなくソ連に併合されたバルト三国では、その歴史的経緯に加え、多くのロシア人が移住していたことによって現地の民族が危機意識を強め、反連邦の急先鋒となった。一九八八年六月、エストニア、ラトヴィア、リトアニアの各国で人民戦線が結成された(リトアニアではサユディスと称した)。いずれも民族的価値を尊重し、グラスノスチによる民主化を進め、共和国の権限を強化することを目指すものであった。バルト三国の共和国共産党内でも、これに同調する「改革派」の動きが活発化し始める。
 一九八八年一一月、エストニア共和国最高会議は主権宣言を採択するとともに共和国憲法の改正を決定し、連邦の法令は共和国最高会議の批准によって効力を発すると定めた。共和国側の拒否権を定めたのであるが、この時点では、エストニア最高会議内でも独立を追求する者と、連邦内での主権国家を求める者とが入り混じっていたと言われる。ソ連最(end226)高会議幹部会は、この決定は連邦憲法に違反し無効であると宣言したが、翌一九八九年にはリトアニアとラトヴィアも主権宣言を採択した。この年の一二月に連邦の最高権力機関であるソ連人民代議員大会が、それまで存在しないとされてきた独ソ不可侵条約付属秘密議定書の存在を確認して非難したことは、バルト三国ソ連加入自体の正当性と合法性を疑わしいものとした。バルト三国は一九九〇年には独立を宣言するに至った。
 とはいえ、これによって独立が達成されたわけではない。最も急進的なリトアニアに対しゴルバチョフは独立宣言の取り消しを求め、拒否されると経済封鎖に踏み切った。一九九一年一月にはリトアニアとラトヴィアで、連邦の治安部隊と独立派市民たちとが衝突する事態も起こった。
 他の共和国においても一九八九年から一九九〇年にかけて同種の憲法改正や主権宣言が次々となされていき、一九九〇年には連邦の中心的存在であるロシア共和国までが主権宣言を発するに至った。主権宣言は、連邦の存在を一応前提としていたが、連邦法に対する共和国法の優位が主張され、両者が矛盾した内容を持つ「法の戦争」とまで呼ばれる状況となったことは、この時進められていた市場経済化への取り組みの混乱と困難を増大させた。そのためゴルバチョフは、新たに連邦と共和国との関係を規定する「新連邦条約」の締結によって、連邦を維持し、共和国との関係を整序することを目指したが、共和国が自(end227)立性を高めることによって連邦中央はその存立基盤を掘り崩されていき、国家連合的な性格を強いられていく。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、226~228)


 八時のアラームを受けるよりまえにめざめていた。六時台にもさめた記憶があるし、七時台にはもうわりとはっきり覚醒していて、しかし睡眠がすくないからアラームまでからだをやすめようと、七時半を確認すると布団のしたであおむけになり両手をからだの脇に置いて静止し、気泡がぷつぷつ割れていくように肌がじわじわほぐれていくのをかんじていた。そうしてアラームをむかえるとおきあがって携帯をとめ、洗面所に行ってきてからふたたび臥位に。カーテンをひらけば空は青くて空気はあかるく、ひかりが、太陽はまだ東だから顔のほうにはかからないものの、鋭角をなして窓と交差し太もものあたりにやどりぬくもった。クロード・シモン平岡篤頼訳『フランドルへの道』を読む。やはり括弧付きの独白をはさんで、もしくはそれを媒介にして時空を転換させるやりかたがおおい印象。ただひとつひとつの場面や時空の滞留は比較的ながく(この朝は110からはじまって128の一行目まで読んだが、そのあいだに時空がうつったのは二回だけだったとおもう)、ある場面での時系列的に順当な推移がしばらくつづいたあと、ながい独白にうつってそのうちいつのまにかべつの時空になっている。とはいえ転換点はわりとわかりやすいし、そんなにせわしなく入り乱れているというかんじはうけない。各時空がそれまでに出てきたなかのどこなのかというのもほぼ同定できる。せわしなさやめくるめくような感覚でいったら『族長の秋』のほうがよほどつよいとおもう。ただシモンの転換のやりかたはガルシア=マルケスよりはやはり融解的で、ぬるっとしたかんじの移行をしている。それもそうで、『族長の秋』のあれはやはりいちおう叙事の作法なのだ。だから個人の記憶や意識を語る語りのそれとはおのずからちがう。歴史や神話を語るもののそれにちかい。『族長の秋』の語りはめちゃくちゃ高度で高速でありカバーする時空の範囲もひじょうに広大ではあるものの、あくまで大統領というひとりの他人の生と事績を語るもののそれであって、「われわれ」を基盤としながらそこにさまざまな民衆の声が召喚されて、いわば証言録のおもむきもいちぶ盛りこまれてある。あの作品は散文の形態をとった叙事詩だということで(マルケスじしん、あれは散文詩として書いたとインタビューで言っていた)、そこで叙事詩人、吟遊詩人となっているのは総体としての不特定多数の民衆全員だということになる。ひとりひとりの民衆それぞれがうたう叙事詩文としての声がつなぎあわされ一体となり、ひとりのにんげんの生から死までを(大統領の誕生時のことが書かれていたかどうか記憶にないのだが――とおもったが、「ふいごのようなおならをした」みたいな赤ん坊の描写があった気がする――とおもったが、これは大統領じしんではなくその子どもについての一節だったかもしれない)、ならびに国の歴史をひたすら追いかけ描く物語となるのだ。めちゃくちゃおもろいやん。あの作品においてできごとの時系列はなぜみだされ、なぜ語りは編年体をとらないのか? 話者が単一の存在ではないからである。つまり、すべての民衆が権利上平等に語りに参入する資格をもっており、かれらがそれぞれ見聞きし知っているのは大統領の断片でしかなく、かれらかのじょらの存在には順序がないからである。寄せ集められた声の複数性と、語りにおける無秩序(ただし統制された無秩序)は対応している。


 この日は昼前から出かけて(……)、(……)くん、(……)の三人と東中野をあるき、その後(……)の(……)家で夜一〇時半ごろまですごした。なんだかからだがすこしざわざわしていた日で、往路の電車内ではさいしょのうち、けっこう緊張をおぼえて嘔吐恐怖がうすくあった。体内の感覚がうごきすぎているようなかんじ。瞑目してじっとやりすごしているうちにだんだんとからだが安らいでくるのでおちついたが。東中野についたのは一時ごろ。中野でおりてのりかえたのなんてだいぶひさしぶりだ。津田沼行きは五番線だったが、大学時代はよくこの五番線から東西線に乗って大学に行ったものだ。それでつくと雨が降り出していた。改札にむかい、三人と合流。(……)が会うなりなんか気づかない? とききながら髪をみせるようなそぶりをするので、ああと気づいて笑いつつ、髪染めた? といった。しかし見た目ではほとんどもとの黒と変わらないので、まえにLINEでとつぜん髪を染める気になった、つぎに会うときには茶髪だといわれていなかったらわからなかっただろう。改札を抜け、雨が降っているのでどうするかとしばらくはなしたのち、次第におさまってきているようすだったのでともかく出ることに。駅を抜けるとまだたしょう降っていたが、もともと行こうかと話題に出ていたロシア料理屋まで数分のようだったので、濡れるのをいとわずあるくことになり、コンビニで傘も買わず通りを行った。頬につめたいもののたいした降りではなかった。あるくあいだは(……)とならんでたしょう雑談。いくらかまえにこちらの日記をひさしぶりに読んだことをおもいだしたと(……)はまえ置き、Jack DeJohnetteへんだよねといってきたので、ってことはKeith Jarrett Trioきいた日だなと受けて、そう、なんかわからんけどちょっとへんだよね、と同意した。まだ若いときにBill Evans Trioのライブで、モントルーでやったやつがあるんだけど、スイスの、そこではふつうにガンガン叩いてるかんじなんだけど、Keith Jarrett Trioでやってるときはなんかよくわかんないね、繊細ではあるんだろうけど、というと、(……)も、裏でちょこまかやってるけどそんなに目立つでもないし、どういうアプローチなのかはっきりしないし、ドラムやってるひとでもないと気づかないというかおもしろくないだろう、というようなことをかんじていたらしき返答があった。こちらはけっこう嫌いではない。気づかれないところで好きに遊んでいるというか、わりとわが道を行っているようなかんじがないでもない。ときおりシンバルのつかいかたで美しい瞬間もあるのだが。
 そうこうするうちに店に到着。「(……)」という、ロシア語なのだろうか、どういう意味かまったくわからないなまえ。入店。まあなんというかイメージでしかないが、ロシアの場末の居酒屋とか田舎食堂みたいな雰囲気をかんじないでもない。最奥、店内隅のテーブルにとおされ、こちらは壁を背にしたがわのひだり、となりは(……)くんでむかいに(……)、みぎななめまえが(……)という席取りになった。中年の女性店員(このひとの顔や雰囲気がどこかでみたような気がするものだったのだが、既視感のみなもとがわからない)がメニューというかセットがいくつか書かれた看板をもってきて注文をきく。(……)と(……)くんがボルシチに魚のグラタンのセット、(……)はピロシキボルシチのセット、こちらはチキンカツレツのセットと全種類コンプリートされた。どのセットにもコーヒーがついてくるのだったが、(……)がカフェインがだめなのでお湯でいいです、といったのにじぶんもそうするかとおもい、ぼくもそうなんで、とたのんだが、いったんさがったあとにすこししてから女性はまた来て、いつもできるわけじゃないんですけど、いまはルイボスティーが用意できるので、それにしましょうかと提案してきた。それでふたりともこの茶を飲むことに。
 (……)くんと(……)いわく、グラタンはよくある日本風の味つけとはなにかちがっていたらしい。チキンカツはけっこうおおきなものが二枚あってなかなかボリューミーであり、揚げられた肉のうえにはトマトとあとタマネギだったかをこまかく刻んだ酸味のあるソースがたっぷりかけられていた。うまそうだったが、まだ胃のあたりがなんとなくざわつくような気がしたので、ぜんぶだとおおいかもしれないとおもい、無理はせずにほかの三人にわけることにして、ナイフで肉をきりわけていちまい分をみなに配った。腹の調子があまりよくないからといって(……)におおめに恵んでやった。食えばうまい。マッシュポテトがたくさんそえられているのもよい。しかしやはり万全のコンディションで食べればもっとうまかっただろう。
 こちらと(……)くんの背後の壁には「Ramen egg」なる直截な題の、卵のなかにラーメンがはいっているというややシュールレアリスティックな絵がかかっていて、むかいがわ、(……)の席の脇の壁、つまりこちらからみて右側の壁にもなんらかの絵がかかっており、背後のラーメンエッグとそちらの絵柄は雰囲気がちがうようにおもわれたが、どちらもおなじ作者だったのかどうか。また、店を出るまえにトイレに行ったがそのとき便器のむこうの壁にもちいさなものだがやはりシュールレアリスティックな絵があって、それは海のうえでザクロから真っ赤な魚(タイ?)が飛び出し、さらにそこから虎が(たしか二匹)飛び出しているというもので、記憶が不確かだけれどみぎがわには船の甲板も描かれていたかもしれない。シュール度でいうとこれがいちばん高かった。印象的だったのでその後(……)くんや(……)がトイレに行ってからもどってきたあと、トイレにあった絵みた? へんなおもしろい絵だったよ、とおしえたくらいだ(ふたりともみにいっていた)。
 食事中に交わした会話はほとんどおぼえていないが、実家を出るつもりで物件も決めていま審査中だということをつたえた。不動産屋につとめている(……)に相談してしらべてもらって、という経緯もたしょうはなす。(……)はえらいとか行動力があるとかやたら称賛したが、そもそも行動力があるにんげんだったら三二になるまで経済的に依存しながら親元にとどまってなどいない。とはいえ(……)のそうしたことばはお兄さんのことを念頭において発されたものだったようで、かのじょの兄は統合失調症をわずらいながらもいまはたぶんけっこうよくなって、作業所を出たあと家のちかくではたらいているのだけれど、お兄ちゃんもまえから家を出るって言ってるんだけど、ほんとに出るかな? って疑問があって、わたしはべつにそれでもいいんだけど、ただいまはたらいてるところが家から五分くらいなのね、だからしょうじき出る必要ないのよ、というはなしだった。
 個別で会計して退店。チキンカツレツセットは九〇〇円。そとに出るとまだたしょう雨はあった。きょうの企画は東中野のまちをてきとうにぶらぶらあるいたのち短歌をものしようというもの。それでいきあたりばったりでてきとうに行く方向を決めつつぶらついた。とちゅう、「KAZE」という演劇グループの稽古場みたいな建物があり、そのまえには公演のようすをうつした写真がいくつも掲示されていて、『ハムレット』があったり、ブレヒトの作品をとりあげたりしていた。そのなかのひとつに字幕つきのものがあったのだけれど、そこに書かれていたセリフが、「要するに、おれが愛した女は町の衛生を気にしていたんだ」みたいな文言で、(……)くんがそれをみてどういうこと? とわらっていた。そこからみちぞいにすすむ。まもなく小学生女子三人がわれわれを抜かしていったのだったか前方にあらわれたのだが、(……)がそのうしろすがたをみて、さいきんの小学生脚ほそくてながいね、と評し、たしかにみぎのふたりは細身のジーンズかなにかおとなっぽいようなズボンを履いていて腰の位置がたかくみえる。(……)としてはいちばんひだりの子がいちばんほそい、とこちらはハーフパンツ的なみじかい履き物から脚を露出させている女子が目にとまったようだった。そのうちにかのじょらとの距離がすこしちぢまり、小学生たちは通りのむかいにわたっていったのだけれど、(……)がそこでまたなんだったかかのじょらに言及して、その発言がけっこうふつうにしゃべるおおきさだったので、あいてに聞こえるぞとおもった(べつにわるく言うような内容ではなかったが)。のちほど線路の北側にうつって沿線をあるいていたときも、背のひくくてこじんまりとしたような体躯の高年女性がすたすたあるいてわれわれを抜かしていったさいに、からだはちいさいけど意外と背すじが立っててきれいにあるくね、かわいらしい、ホビットみたいな、とか評していて(たしかホビットだったとおもうのだが)、このときは声をたしょうひそめてはいたけれどやはりばあいによっては聞こえるかもしれないという距離だったので、かのじょはそのへんあんまり気にしないんだなとおもった。
 演劇集団の拠点をすぎてしばらくすると川のうえにさしかかり、神田川らしかったので、これが神田川なのか、あのうたになってる、といったがみな知らないという。南こうせつ知らない? ときいても知らないと(……)がいうので、あなたはもおお、わすれたかしら、たらら、たららら、とあまりきれいな音取りではないがメロディをうたうと、ああそれ? 知ってる、という反応があった。それで橋をわたって上り坂をすすむと行く手に看板が出てひだりにはいると北新宿公園とか図書館があるとあったので、そちらに行ってみることになった。すぐに公園があらわれて、そのまえにつらなっている並木をみた(……)はいいね、あの木がいいねと肯定の言を投げ、なんの変哲もない針葉樹たちを褒めてみせるのにちょっとわらってしまったのだが、あんまりああいうおおきい木がならんでるのみないから、みたいなことをいっていた。たしかに、こちらの家だったらまわりにいくらでもあるが、(……)だの(……)だのにいれば公園にでもいかないかぎりまちなかでは目にしないかもしれない。北新宿公園では少年野球がおこなわれているところで、子どもたちの声とともに応援したり檄を飛ばしたりするおとなの声も飛んできて、縁に沿うようにみちをすすんでいってみぎに折れると私服すがたの子どもが歩道との境あたりになんにんか立って、野球をみるというよりはただそこにたむろしているような気ままさでいるそのむこうにグラウンドがのぞいて試合のようすがみえるのだが、ユニフォームに身をつつんだ少年たちはみなまだまだからだのちいさいあどけないようなすがたで、背丈からして小学校一年から三年、低学年の子たちとみえた。公園をすぎると公民センターみたいなものと一体化した北新宿図書館があり、われわれがそのまえに来て子育て支援掲示をみたりしているとき、二階からなにやら怒声がきこえていた。裏路地をそのまますすむ。おおぶりのピンクのツツジがさきほどの雨の水滴を花の表面にのせながら群れて咲いている角があり、(……)がそれをみてオオムラサキかといったのを、こちらはいっしゅんちょうちょがいるのかとおもったのだが、(……)は花についていっているらしかったので、ツツジオオムラサキという品種があるのかとここではじめて知った。ツツジだということしかわからん、種類とかぜんぜんなにも知らないと言い、コムラサキもあんのかな、蝶となまえのつけかたおなじじゃんと笑った。曲がってさらにすすんでいくととちゅうで圓照寺という寺があったのではいることに。ほそい参道にはいると山門(というほどでかいものでもなく、そもそも山でもないが)から出てきて帰る女性が三人むこうから来て、ひとりは高齢でもうふたりは中年、そのうちのひとりが老女に介添えするようにしながら、あらあらあら! まあ! みたいなあかるくかしましい調子でお姉さんがどうのこうのとか老女にきいており、そのようす(おそらく主に声のトーン)を見聞きして(……)はわらっていた。みちの左右には植え込みがつくられてあり、なかに葉っぱがところどころぐじゅぐじゅと変形したような、化膿して畸形的にめくれもりあがった皮膚がそのままかたまってしまったかのようになっている木があって(ゴッホの絵画にあるが、厚塗りしまくってキャンパス表面から絵の具がもりあがり皮が剝がれたかのように乾いているあれをちょっとおもいおこさせなくもない)、なんだろこれ病気なのかなと(……)くんと言い合ったのだが、その脇に寺の由緒を説明した掲示があり、真言宗で、だから空海弘法大師)の名がみられ、総本山は奈良桜井の長谷寺とあった。門をくぐって寺庭へ。ひとはおらず、しずかななかに鳥の声が散ったり走ったりひらめいたりして、微風のささめきが回遊する。門をはいって左方には鐘があって、説明掲示をみるに江戸時代のもので新宿区の有形文化財に登録されているらしかった。門からすぐ正面には大樹を中央に据えた草木の一画があり、樹のまえには横向きに段層的なすじのはいった岩があって、のちほど(……)がこれについてこのすじはなんなんだろうどうやってついたんだろうと疑問を口にしたので、地層みたいだよね、やっぱりみずのながれで削られたんじゃないか、川か海のなかからとってきたんじゃないか、あるいはいまは山になってても太古のむかしに海だったところにあったんじゃないか、などとみなではなした。奥には本堂があり、(……)は賽銭をいれて参っていたようだ。けっこうおおきめの階段が一〇段いじょうはあって年寄りには賽銭箱のまえまでのぼるのもたいへんそうだが、こちらはその階段のとちゅう、頂上のすこししたにこしかけてあたりをみまわし、(……)もこちらからみて右下、はんぶんほどの地点にはさまれた段のくぎりスペースのあたりに腰をおろしていたが、(……)くんがそんなわれわれを写真におさめていた。しばらく滞在して退出。参道をふちどっている草の葉のうえに水滴がたまっているのを(……)くんが葉をさわってゆらしていたのでこちらも葉っぱをぺしぺし人差し指でたたくようにすると、撥水効果がはなはだしくみずの粒はにぎやかにうごいてまとまるとともに跳ねあがって葉のそとへ身投げしていくほどだったので、すげえなこれ、スライムみたいになってるとわらった。
 寺を出てみちにもどると鳥の声がひとつしきりにあたりに降っており、みなでみあげてじきに電線のうえにとまっているすがたがみつけられた。(……)だったか、オウム? といって、さすがにオウムはないだろうとわらったところが、曇天を背景に影となったシルエットの尾がながく、たしかにオウム(というかインコか)のかたちにみえなくもなく、影のなかにみどりっぽいいろもふくまれているような気もしたので、野生化したのかなとつぶやいた。そこから小坂をのぼってひだりに折れ小学校の脇にはいるあいだ、(……)の家でむかしヒヨドリを飼っていて(どうもそのへんから勝手につかまえてきたらしいが)、それが二度脱走しながらどちらのときもみつかってもどすことができたというはなしが語られた。いちどめはわりと苦がなかったらしいが、二度目のときは奇跡的で母親があてずっぽうにさがしにいったらちかづいても逃げずにのろのろしているやつがおり、たぶんあれだなとおもって呼びかけると確保できたと。そんなことある? とわらい、わかんないよそのときべつのやつといれかわってるかもよとむけたが、怪我だか傷だかがからだのどこかにあって個体識別はまちがいないとのことだった。
 線路にいきあたった。オレンジ色がさしこまれた中央線の電車がとおりすぎていくのがみえた。Google Mapをいまみてみると、これは東中野から大久保へむかう線路である。高架というか壁のうえを行くようなかたちになっており、そのしたをくぐって北側へぬけたあと、北新宿ということなのでもしかすると落合とかがちかいのか? と大学時代にいきかえりでとおりすぎた地名をおもったが(降りたことはたぶんいちどもない)、Mapをみるとぜんぜんそこまでではない。東中野駅からまっすぐ北にむかうと落合があるが、われわれがこのときうろついていたのは駅から東の方面である。時刻は三時半くらいだったはずだ。そろそろ短歌をつくりたいということで、ちかくに公園があればそこにいこうとの声に(……)くんが地図をしらべると、まぢかにあるようだったので裏にはいっていくと、鉢植えやら花がもう枯れてしぼんでいるツツジの茂みやら低めの木やら、やたらと植物にかこまれている公園にたどりついた。大東橋公園といった。なかにはいるとちいさな子と親の組があって幼児があそびまわったりしており、のちにはきょうだいなのかフリスビーをやる少女と少年がいたり、母親といっしょにシャボン玉に興じる女児などもいた。ここできょうの散歩をテーマとしながら短歌をものすることに。(……)がビニールシートをもってきていたので(……)くんが低木のしたにそれを敷いて、花は咲いていなかったがまるでひとり花見のようなかっこうでそこにすわり、こちらと(……)は地面に埋まってはんぶんつきだしたタイヤを尻の置き場にして、(……)はいくつかならんだブロック(表面に童謡かなにか書かれていたようだ)のひとつにすわっていた。それで作成。(……)がルーズリーフを配ったがこちらは手帳をつかうのでいいとことわり、目を閉じてかんがえてはかたちになると手帳に横書きで書いていった。五首。ほぼどれも即景というか、ひねりもなくみたものをだいたいそのまま(「そのまま」なんてほんとうは存在しないのだが)書いたようなもので、ふだんつくっているのは事物や経験をうたうものではなくイメージや意味のくみあわせでかんがえるものなので、こういう即物をやるとなるとかえってむずかしい。とちゅうでわれわれが黙りこくってそれぞれかんがえていると、黄色いジャケットを着た男性がちかづいてきて、こんにちは、いまちょっとおはなしよろしいですか? ときいてきながらその直後に、あ、お取り込み中ですか? と引こうとしたので、笑みであいまいにうなずくと、失礼しましたとはなれていった。家を売っているらしく、広告を手にもっており、ほかの親子連れのほうに行ってはなしかけていた。このひとのことも即座に題材にして一首つくった。
 みんなけっこう苦戦していて、(……)くんがルーズリーフにマインドマップめいた図をかきながらとりくんで、やっとひとつできたと息をついたのに、三つ、とゆびを立てるとかれは目をひらいておどろき、短歌界のスピードスターと評したが、(……)によると(……)氏((……)くんの大阪時代からの友だちで、たしか(……)という名字だったはず)といっしょにやったときもかれがはやいのにそう言っていたらしく、これはスピードスターということばを言いたいだけだという(Deep Purpleの"Speed King"と、ジョジョスピードワゴンと(とくに「スピードワゴンはクールに去るぜ」というセリフ)、やはりDeep Purpleの"Highway Star"をまとめておもいだす)。四時を切りとしてあつまってそれぞれ発表。(……)くんは二首、(……)も二首、(……)はきょうはなんだかつかれていてぜんぜんおもいつかなかったといって一首。(……)くんの一首のなかに「ハッチポッチ」ということばがふくまれており、ハッチポッチってハッチポッチステーションしかわからんというと、ごたまぜとかめちゃくちゃみたいな意味だという。つくった短歌を利用して歌詞にすればみたいなことも(……)がいっていたので、ハッチポッチ・ブルースいけるな、ありそう、といった。
 そうして駅にもどって(……)宅へむかうことに。公園を出るまえに公衆トイレに行ったのだが、小屋型のそれの扉をあけるとすぐ足もと、入り口とそとの境付近にちいさな蟻が大量にむらがってうようようようようごめいており、おもわずびっくりして、ちょっと気色がわるかった。室の奥にはぜんぜんおらず、蟻を引き寄せる蜜でも塗られているかのようになぜかそこにだけあつまっているのだ。それをまたぎこえてなかにはいり、和式の便器に小便をはなってもどると、みつけたものを親にはなす無邪気な少年のように喜々として蟻のことを報告し、そのあと行った(……)くんも扉をあけるとえ? マジ? みたいなかんじで足もとをしばらくまじまじとみおろしていたので、そのすがたをみてわらった。
 公園を出て以降、電車に乗って(……)まで行きマンションの一室にはいるまでのことは大胆にカットする。ながい距離とそこそこの時間をこの一文で瞬時に飛び越え、(……)家に行ってからもいつもどおりだいたいギターをいじってばかりでそんなに書くこともないのだが、(……)が相談したいことがあるといってはなしあいがされたのでそのへんのことだけすこし書いておこう。(……)
 (……)