2022/5/9, Mon.

 旅をするのが必ずしも好きというわけではない私にも、少年時代から、「予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊のおもひやまず」という余りにも有名な言葉が耳について離れない。この漠然たる旅へのいざないはそれ自身美しいものだ。新しい風物に接したり、何の目的もなく未知の街の暗い路地を亡命者のように歩いたり、また予期しない歓待にむかえられて王侯貴族の気分になったりする旅は市民社会に蠱惑的な自由のかおりを運びこむ怪しげな客人のものである。それはクヌルプの姿であり、時に心貧しい寄食者であったり、また時に誇り高く御しにくい自由の民でもあろう。
 けれど、旅は前もって完全に計画された時には旅でなくなってしまうだろうし、心を杖とし、心の山野をもまた歩むことがなければ旅が啓示となることもないだろう。どのようにジェット旅客機という文明の利器にのろうと、私の旅はいつも西国巡礼のそれに似ており、明日という未来 [﹅2] を怖れつつそ(end25)の怖れを踏破してゆく小さな覚悟とともに進行してゆく。だから旅はまた怖ろしいものでもある。不帰の旅人として、異国の土地に血の一滴となって倒れることもあろう。そこに萩の原があるとは限らない。だからこそ、見知らぬ宿の一部屋へ扉をあけて入って行く時、厳しい瞬間がとりかこみ、人間は常に異邦にいるという古代人の信仰が現前するのだ。そんな風にベッドや閉ざされた窓が示している厳しい刹那を追体験するたびに、日常生活に狎 [な] れようとする傾向を疑わしく思うのだ。いずれにもせよ、人はいつの日か暗い未知の彼方へ、それが味方なのか敵なのかさえ判らず、ただひとり立ち去ってゆかねばならないのだから。
 (井上輝夫『聖シメオンの木菟 シリア・レバノン紀行〈新版〉』(ミッドナイト・プレス、二〇一八年/国書刊行会、一九七七年)、25~26; 「Ⅰ 聖シメオンの木菟――シリア紀行――」)



  • 「英語」: 201 - 241
  • 「読みかえし」: 740 - 747


 九時半まえに目がさめた。滞在としてはみじかいのだが、なぜか意識はよく冴えており、からだもあまり濁っていない。だいじょうぶそうだったのですぐに起きてしまい、床にたちあがって背伸びをした。きのうのいちにちで理解したのだが、立位の時間を増やしたほうがやはり血流がよくなって心身に気力が湧き、ねむりの質もよくなるようだ。かんがえてみればとうぜんのことだ。だらだらねころがってばかりいるばあいじゃなかった。立ち、あるくことが二足歩行動物であるにんげんの健康のみなもとである。脚がつかれてきたら横になってやすみながらマッサージすればよいのだ。そうかんがえるとこんどは座位がむしろ半端な中間段階のようにおもえてくるな。独居をはじめたら部屋にはスタンディングデスクを導入することにこころを決めた。とはいえ集中してことばをつくるときはやはり腰をすえてじっとできるようにしないとだめかもしれない。しかしそれも、こちらの集中というのはようするに目をとじてからだのうごきをとめるということなので、立ったままできるようなからだやスキルをてにいれればいけそうな気もする。ヘミングウェイにならおう。
 水場に行ってきてながながと放尿し、下腹部の重さを消し去ってからもどると書見。クロード・シモン平岡篤頼訳『フランドルへの道』。ここでも立ったまま読んだりねころがって脚をほぐしたりと両方やった。140からはじめて156までいったのだが、この間二度時空の移行があり、それが流動的にいつのまにかするっと推移するというかんじだったので、なるほどこうやるのねとおもった。おもしろい。ながれのあとづけはのちに余裕があったら。文体としても、いままでにもそういうぶぶんはあったけれど、改行どころか句読点もまったくはさまずひたすら空きがなく文字が埋め尽くされてつづく地帯がけっこうながくあったりして、口に出して読んでみればよりそれがかんじられるがマシンガン的なおもむきがあっておもしろい。銃撃をうけてあわてふためく兵(ワック)の馬上のからだのうごきとか、池でカエルがもぐったり顔を出したり移動したりするうごきとか、時間としてはひじょうにみじかいあいだに起こっているはずのできごとを、これでもかというくらいに分割しまたイメージによる修飾などもふんだんに詰めこんで膨張的にえがくやりくちは、なにかしら執念深いようなものをおぼえてひきつけられる。ふつうに微視的というのとはちがう。スローモーションの感覚。
 一〇時半くらいまで読んで、瞑想。二五分ほど。やはり便意がきざしたので切った。コップとゴミ箱をもって階をあがり、ゴミを始末。ジャージにきがえてトイレに行くと糞を垂れ、洗面所であらためて顔を洗ったり口をゆすいだりうがいをしたり。髪を濡らして櫛つきドライヤーでかわかしもした。食事はきのうと同様煮込みうどんや、ゴーヤ炒め。それに米をちょっと添え、それぞれ卓にはこぶときょうは新聞がないようだったので、自室からきのうのものをもってきた。ミア・カンキマキという、清少納言についての著作を書いたフィンランド人作家のインタビューを読んだ。もともと出版社につとめていたが気づけば独身でアラフォーになっておりおなじルーティンがくりかえされるまいにちにうんざりして死にそうになり、大学時代にであって惹かれていた清少納言を理解したいと二〇一〇年から一一年にかけて四度京都に滞在し、帰国すると三八歳で会社を辞めてその経験を題材にしたエッセイを執筆し作家デビューしたと。清少納言には、恋愛における女心のゆれの記述を読んでじぶんの体験とおなじくかんじ、深い共感をおぼえていたのだという。かのじょの随筆は現代的だといい、その要素として三つくらいあげていて、ひとつは随筆的なこととか日記的エピソードとか目録とか多種のことがらがまざった形式で、これはさいきん流行りだとかいう「物語的ノンフィクション」と似たようなものだという。もうひとつは目録様式で、「~~なこと」というふうにテーマごとにことがらをとりあげて列挙していくやりかただと。あとひとつはわすれた。いや、おもいだしたが、たしか簡潔で軽快な記述ぶりということで、清少納言がもし現代にいたらSNSで大人気になっているだろうと(私見ですがとことわりつつ、清少納言の著作は平安宮廷の女官たちのあいだなどで朗読されたり共有されたりしていたかもしれない、もしそうだとすればかのじょはいまでいうところの「インフルエンサー」みたいな存在だったのではないか、とも氏は述べていた)。これらの特徴がほんとうに「現代的」なのか否かこちらにはうたがわしくよくわからないし、現代的であろうがなかろうがどうでもよろしいが、目録的な列挙という形式はこちらも好きである。それでいえばきのう図書館に行ったときに棚にみたが、ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』という本がおもしろそうで読みたいなと、新着図書の棚でその存在を知っていらい、けっこうまえからおもっているのだが、読めていない。ともあれ『枕草子』もさっさと読もうとおもった。あと、清少納言清原元輔という歌人のむすめらしく、「清」の字はそこからとったのではないかという説らしいが、この清原元輔の生没年は九〇八年から九九〇年で、たいして清少納言一条天皇中宮定子につかえたのは九九三年あたりからの一〇年くらいだといい、まず清原元輔平安時代のにんげんにしてはずいぶん長生きだなということにおどろかされるのだけれど、清少納言の生没年は不明ながら父親の年齢から推すに女房になったのはもうだいぶ歳がいってからでないの? という疑問をいだいた。仮に父親が三〇歳のときに生まれたとすれば九三年にはもう五五歳である。女房というのはもっと若くから宮仕えしているイメージなのだが。あるいは父の歳がいってからの子だったのか。
 食事を終えると食器を洗い、風呂も。白湯をポットからコップにそそいで帰室。Notionを用意して音読。一二時から一時くらいまで。前半はベッド縁にこしかけてゴルフボールを踏みつつ読み、後半はコンピューターをデスクに移動させて立った。そのあとここまで記していま一時半をまわったところ。きょうは労働である。あるいていく気になっているが、だとすれば五時直前くらいには出たい。それまでに五月二日の日記をしまえて、七日分もできればいくらかでも書きたいが。


 この日のことはだいたいわすれた。勤務中のことをすこしおぼえていなくもないが、そんなに書きたいというきもちもない。しかしほんのすこしだけ記しておくと(……)。