2022/5/18, Wed.

 「アルビンさん、アルビンさん、ピストルをお離しになって。顳顬からピストルを。なんていうことをなさるの。アルビンさん、まだお若いんですから、きっとご丈夫になってよ。下の世界へお戻りになって、誰からも愛されるようにおなりになるわよ、本当よ。だからちゃんと外套を着て、横になって、毛布もかけて、養生なさいよ、ね。アルコールでからだをふいてくださる先生が見えても追い返したりするんじゃありませんよ。煙草もおやめになることよ、ねえ、アルビンさん。私たち、心からあなたのおからだ、あなたの大切な大事なお若いおからだのことを心配して、こんなにお願いしていますのよ」
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、170)


 一〇時二〇分に起床。ゆめをふたつ。ひとつめは図書館らしき施設が舞台で、書架のあいだで本をみているさいちゅうになんだかよくわからないが緊急事態が発生した。モンスターだか暗殺者だかわからないがなにかそういうかんじのものが出たということだったとおもう。しかもそのなにかは目にみえない存在だったのではないか。それで書架の区画から出て、シャッターもしくは結界的なものが降りて区画が封鎖されるのをそのそとでながめる。区画内にはまだひとがけっこういて、早急な対応を優先するためにかれらは犠牲にされた。書架区画とそのそとにはもともと区切りはなく、フロアのなかに四角い空間がもうけられて自由に行き来できるようになっており、だから結界的な境界はすぐ目の前である。ちかくには(……)がいた。またもうひとり(……)もいて、かれのところに行って(……)さんが怪我をしただったかなかにとりのこされたとつたえようとすると、こちらのことばをほとんど待たずにかれは、ここにいるのみえる? みたいなことをきいてきた。それは少年の幽霊がすぐ横にいるということで、その存在をまったく感知していなかったがみてみると足の先か、ほんのすこしだけ瞬間的にみえるものがあったので、そのようにこたえる。(……)さんについてはそのあとおしえたはず。書架区画との境界のべつの辺、じぶんがさいしょにいてふたりと会ったのを右辺とすれば下辺にあたるぶぶんだが、そこに(……)さんがいて、身を低く、ほとんどたおれこむようになっている。(……)さんと仲の良かった女子である。もうひとり、(……)さんもいた。(……)さんはおそらく(……)さんがとりのこされて犠牲になったことに打ちひしがれていたのだとおもう。区画内をみると(結界は透明なのでなかのようすがみえる)、そこにはすでに書架の要素はなく棚もみえなかったが、ひとがなんにんかいるなかに(……)さんの生首があって、からだが地面(というか床か)に埋まってあたまだけが生えたようになっている。みているうちにその色がどぎつく変わるだったか、金属のように、あるいは絵のようになるだったか、端から作用がわたっていくようなかんじで丸ごと様相を変化させた。
 もうひとつは街道北側の歩道をあるいているとちゅう、(……)のあたりで(……)が前方から来て、すれちがいざまに腕をつかんで、(……)、と呼びかける。何年かまえの生徒である。二〇一七年か。とうじ中三で、勉強もぜんぜんできないし、不登校気味だったとおもうのでやっていけるのか心配していたが、たしかこちらの体調が悪くなってはたらけなくなり、行く先をみることができなかったのではなかったか? (……)は無言ながらなんらかの反応をみせ、すぐそこにある建物にいっしょにはいることになる。入り口をくぐるときにはもうひとり、少女の同行者が増えているが、かのじょは幽霊なのだという。しかしおどろおどろしいかんじはまったくないし、足もあるし、幽霊らしいところはなくてただのにんげんにしかみえない。建物内にはいると、さいしょの部屋は壁をつたうようにして移動しなければならないのだが、この建物も幽霊の場かなにかで、ルールにしたがわないと悪いことが起こるみたいな設定になっていた気がする。すこしだけ不安をおぼえた記憶がある。
 天気はようやくの晴れ。水場に行ってくると書見。ホッブズリヴァイアサン Ⅰ』。やはり分析哲学的なおもむきがつよい。49では、「 [名称が無意味になる場合の] もう一つはその意味が矛盾していたり、一貫していない二つの名前から一つの名称をつくるばあいで、たとえば「無形の物体」また〔同じことであるが〕「姿なき実体」その他数多くの名称がある。すなわち、ある断定が誤りであるばあい、その断定を構成するために結合され、一つにされた二つの名称はともにまったく意味を持たない。たとえば、かりに「四角はまるい」というのが誤った断定であるとしたとき、「まるい四角」はなにものをも意味しない。それはたんなる音である」とあって、この「まるい四角」の例はラッセルが論理学方面の著作でまったくおなじことを言っていた記憶がある。といってもじっさいにそれを読んだわけではなく(ラッセルは岩波文庫の『幸福論』だけ読んだことがある)、蓮實重彦が『「ボヴァリー夫人」論』のなかでもろもろのフィクション論者を批判しているそのうちのひとつとして「論理実証主義」を取り上げ、引用しているのを読んだだけだが。とおもって「読みかえし」ノートを探ってみると、以下のような記述があった。

 では、語られていることがらの真偽を確かめえない言説とは何か。かりにそれが「フィクション」だというなら、その言説はどのような言葉として組織され、現実の世界とどのようにかかわっているのか。その問題に直面して最初に困惑したのは、ゴットローブ・フレーゲ Gottlob Frege やその英国への紹介者であるバートランド・ラッセル Bertrand Russell をはじめとするいわゆる「論理実証主義」の哲学者たちである。彼らが、その困惑――それを間違っても「困惑」とは意識していなかったろうが――を、「論理」の世界からフィクションを「非在」として排除することによって解決しようとしたことはよく知られている。実際、ラッセルは、その名高い論文「指示について」(ラッセル 1986)で、ハムレットのようなフィクションの作中人物を、「『円い四角』、『2を除いた偶数の素数』、『アポロ』」(同書 71)などと同様に「非 - 実体的な存在者」(同前)とみなし、その語を含む命題を、その指示対象が「存在していない」という理由で、ことごとく「偽」とみなしている。したがって、「論理実証主義」によるなら、シャルルやエンマというフィクションの作中人物を含む『ボヴァリー夫人』のテクストは、「偽」の命題の連鎖にほかならないと結論される。その理論にしたがうなら、「ご自分をボヴァリー夫人に比較なさってはいけない。まったく似てはおられないのです」というルロワイエ・ド・シャントピー嬢に向けたフローベールの言葉もまた「偽」ということになろう。だとするなら、「論理実証主義」なるものは、そうした「偽」の言葉なしにこの矛盾にみちた世界が成立しているとでも主張しているのかと真摯に問わざるをえない。いったい、彼らは、「真」と判断される命題だけで、この世界の曖昧さや複雑さが記述しうると本気で信じているのだろうか。
 (蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房、二〇一四年)、482)

 やはり「円い四角」である。これは例としてわかりやすいし、たぶんこういう方面の学問で定型句のひとつになっているのだろう。また、ラッセルは「非 - 実体的な存在者」をふくむ命題、いいかえれば指示対象が存在しない語をふくむ命題を「偽」とみなしているが、ホッブズは、それを無意味としている。もっとも厳密には、ホッブズは「命題」単位ではなく、ここではあくまで「名称」、すなわち語のレベルでかんがえているので、ラッセルのいう「非 - 実体的な存在者」が、ホッブズにとっては「まったく意味を持たない」「たんなる音」となるだろう。これをさらにいいかえると、「不条理」となる。それは「誤謬」すなわち「欺き」ではなく、あくまで「不条理」「無意味」だとホッブズは強調している(57~58: 「そしてことばが音声以外のいかなる概念も与えないときには、「不条理」「無意味」「ナンセンス」ということができる。(……)それは誤謬ではない。彼のことばは意味を持たない。つまり不条理なのである」)。
 ホッブズの言語論やそこからみちびきだされる推論についてのかんがえは、論理学的なおもむきがつよく、だからいまでいえば科学者(自然科学方面の学者)のいろあいが濃い。かれは推論を要素や部分(ことばであるならば「名称」)の「加算」「減算」による「計算」として数学的(あるいは幾何学的)にとらえている。したがって、推論によってただしい結論にいたるためには、まずさいしょに数をきちんと数えることができなければならないのと同様、ことば(名称)をただしく定義することが必須だということになる。「キケロがどこかで、哲学者の書物に見いだされるものほど不条理なものはない、といっているのはまさに真実である。その理由は明白である。すなわち哲学者にはだれひとりとして、自分が使おうとする名称の定義あるいは説明から自分の推論をはじめるものはない。この方法を用いてきたのはただ幾何学のばあいだけであった。幾何学の結論だけがそのために争う余地のないものとされてきたのであった」(58)。哲学と呼ばれるにんげんの思考が論証の数学的厳密さや真理につくのか、それとも詩的なことばの性質やレトリックにつくのかという点にはおそらく一種の緊張関係があって、ソクラテスいぜんの哲学者にとって哲学と詩はひとしいものだったのだが、プラトンの詩人批判からこれが分離され、詩すなわち文学は虚偽の言述であるとおとしめられ、真理を志向する哲学や教育のことばが優位に置かれたというのがこちらの理解である。その後、デカルトスピノザなども、哲学的な記述というのは数学に似て厳密かつ純粋に抽象的なものでなければならない、という理想を提示したというふうにもききかじっている。そこではしたがって文学的な要素はしりぞけられるか、すくなくともできるだけ混ざらないほうがよいノイズとみなされるはずだが、ホッブズもいっぽうではそのたちばをとっている。すなわち、比喩は真理にそぐわない、ということだ。ことばのつかいかたが不条理になってしまう原因を列挙する段で、かれはつぎのように述べている。「第六の原因は、そのことばに固有なもののかわりに、隠喩、比喩、ことばのあやなどを用いることにある。〔たとえば〕ふつうのスピーチでは、「その道がどこそこへ行く、あるいは導く」「諺はこうこういう」という表現は正当である。〔とはいうものの、道はけっして自分で行くことはなく、諺が話すこともない。〕 しかし、真理について計算し探求するばあいには、このような表現は許されるべきではない」(60)。したがって文学的言語に真理追求の役割をになわせることはできないということになるが、だからといってホッブズが文学の魅力をみとめていないということはありえない。なにしろかれはフランシス・ベーコンのもとではたらきその『随想集』をラテン語にするのを手伝ったらしいし(川出良枝による冒頭の解説、10)、著述のキャリアはトゥキュディデス『歴史』の英訳からはじまっており(11)、そしてなによりも最晩年には、『イリアス』と『オデュッセイア』の英訳に熱意をかたむけていたらしい(22)。ホッブズじしんうえの記述で、「ふつうのスピーチでは」比喩的な表現も「正当」だけれど、「真理について計算し探求するばあいには」適切ないいかたではない、と留保をつけているとおりだ。
 一一時半から瞑想。わりとよい。解放的。三〇分ほど。中学校のものだとおもうが、一二時らしきチャイムが聞こえたのでそれが鳴り終わったのを機に姿勢を解いた。上階へ。母親は出勤前の食事を終えたあたり。父親は山梨に行ったと。ジャージにきがえ、瞑想の余波で脚がしびれていたので台所でうがいをしながら麻痺がなくなるのを待ち、それから洗面所であらためて顔を洗ったり髪を梳かしたり。食事はきのうのスンドゥブをつかったおじや。それを電子レンジであたためているあいだ、居間に出て屈伸をしながらテレビのニュースをながめたが、ロシアがマリウポリを完全掌握した可能性とのこと。製鉄所で抗戦していた兵士や戦闘員の二六五人が「投降」したといい、ウクライナ側も、かれらは戦闘任務を遂行し終えたと発表したという。東部ぜんたいではロシア側の進展はない。その後食事をとりながら新聞一面でおなじ内容をふくんだ記事を読んだ。ゼレンスキーが「英雄」たちの生還を優先し、退避を指示したと。二六五人のうち重傷の五〇人だか六〇人くらいは親露派占領地域の病院にうつされたという。兵士たちは当初、身の安全の観点から第三国へ逃れることをもとめていたというのだが、果たせず。あつかいが大丈夫なのかなとおもう。ロシア国内のある議員だかは「裁きにかけるべきだ」と言っているらしいし、ほかの政治家とかもたぶんだいたい同様だろう。ウクライナ側は捕虜にしたロシア兵との交換をかんがえているというが、ロシアがそれに応ずるかもわからない。いずれにせよマリウポリはこれで完全に掌握されるみこみ。これはニュースでいっていたことだが、米国に観測によれば港に沈んでいるウクライナの船をロシア側が引き上げにかかっているらしく、航路を確保しようとしているのだろうとのこと。ほか、岡田利規三島由紀夫賞をとったという報をきのうみていたが、それで文化面に小欄がつくられていて、「ブロッコリー・レボリューション」というくだんの作についてすこし紹介されていた。タイに行ったときの「経験」を小説にしたかったという。なんだったかな、恋人に去られたひとが、タイにわたったあいての行く場所とか体験とかをこまかく想像しながら二人称で語っている、という形式だとか。選考委員の多和田葉子は、「小説の盲点をついている」とかいう評を述べたらしい。
 母親は一二時二〇分すぎごろに出勤に向かっていった。食器を洗い、風呂も。きちんと洗ったとおもっていても、どうも入浴時にいつも浴槽内部の下端にぬるぬるした感触が断片的にのこっているので、きょうはさらに念入りにこすっておいた。出ると白湯をもって帰室。Notionを支度し、一時からきょうのことを記述。そんなつもりはなかったのにホッブズについてが長くなって、二時までに現在時に追いつけず。きょうは三時台後半の電車で行こうかなとおもった。それだと準備にやや余裕がなくなるのだが。ストレッチを軽くやり、瞑想もみじかめにしばらく。そうして二時二五分で上がり、洗濯物をとりこんで、とりあえずタオルだけたたんでおくとスンドゥブののこりをあたためて持ち帰った。食す。白湯を飲むと歯磨きもそのまますぐにしてしまい、食器をもってふたたびあがるとそれを洗って片づけて、スンドゥブのはいっていたフライパンに水をそそいで火にかけているあいだに洗濯物ののこりを始末した。空には雲が湧いてみずいろがかくれたり淡くなったりしており、ひかりも薄っぺらになったが爽やかさはつづいている。洗濯物をかたづけてもどってくると、ここまで記して三時半。なんとか現在時。あとは帰宅後に一六日と一七日の記事を書きたい。きのうほぼ書いたので記すことはすくなく、たぶん行けるはず。


 スーツにきがえて出発へ。上階に行って靴下を履いたりハンカチをもったり手を洗ったり。玄関に置いてあるパッケージからマスクをひとつ取って顔につけ、扉を抜けた。(……)さんが杖をついてゆるゆるとあるいているところだったのであいさつ。しかし玄関前の階段上からかけた時点では反応がなく、鍵を閉めて階段をおりるところでこちらを向いたので会釈を交わした。もうひとり、向かいの家に来ている(……)ちゃんの仲間のひとり(からだのおおきめな女性)が家のまえに立ってなにやら家屋を見るようにしていたので、こんにちはとあいさつをかけてみちを行った。雲はあるもののさわやかな空気はつづいており、林縁の石段上では草がおおいに繁茂して、キリンのようにまっすぐながい首を伸ばしたさきで穂をゆらりと垂れさげている若緑の植物がおおく、カマキリの鎌めいたそれが群れなして草むらの波を生んでいる。坂道に入ると風の鳴りが樹々をはさんださきから聞こえ、みちの左側を縁取るガードレールのさきは林だがなかにひかりがさしこんで明暗の絵が生まれている。近くにある手前の樹々はおおかた蔭に沈んで緑が鈍いものの下り斜面のとちゅうから葉のうえにひかりの粒を石のように貼りつけ散らして無数の象嵌細工と化したものがはじまり、あまり見えないが底にながれている沢のあたりはひかりがやすやす入りこんで落ち葉を巻きこみすべて日なた、そのうえに立ち上るあかるさの柱かかけ落とされた絹膜のごとくひろがっている光線の、その向こうの木の葉はことごとく黄をまぜられた新緑をつよめていっそう晴れ晴れしい。みちのうえにも樹々の影がうつってほんのりゆらぎながらあいまに霊性じみた木漏れ日をつつんでいる。坂を出て横断歩道にかかるとここではひかりにさらされて、ワイシャツをまくったベストすがたできたがさすがに暑い。信号を待つあいだ東へ視線を放って青白い空と丘をみたり、マンションの脇に立った八重咲きの桜の葉叢がやはり色をそのまま注入されたようにずいぶん濃くて、凛としたビリジアンでゆれているのをながめたりした。西空に雲は巨大にあるのだが太陽はいまそのそとに逃れてあたりは陽の水、雲はみずいろの空のなかで輪郭をほの白くくぎりながらそのなかにもうひとつみずいろの地帯をつくりだしてクジラの腹をみあげるおもむき、ホームにうつってさきのほうに出ると陽射しはやや重いくらいで肌に染みる熱に息苦しさをおぼえ、マスクをずらして風を吸いながら丘のみどりがかきまぜられているのを見た。陽はかげり、薄らぐだけで消えきりはせず、また射す。
 電車に乗って移動。駅で降り、ホームをとおって、階段をすこしだけ小走りに降りてそとへ。職場に移動して勤務。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)退勤。帰路は最寄りを降りるとコーラでも買おうかと自販機に寄ったのだが財布に小銭がなく、また札も五〇〇〇円か一万円しかなかったので買えず。しかしそのまませっかくなので遠回りで街道沿いをあるき、すずしい夜風に肌をさらされて自由と解放をいささかかんじた。帰宅後は特段のこともなし。労働のあった日の夜は基本疲労でつかいものにならないからベッドで休みつつ書見などしてはやめに寝ようというまえまえからの教訓を活かそうとしたのだが、休んでいると二時を待たず意識を失ってしまい、半端なことになった。寝るならきちんと寝たほうがよい。