2022/5/27, Fri.

 (……)セテムブリーニ氏はそこで話を中断して「ところであなたは」と尋ねた。「その後いかがでいらっしゃる。たとえば気候に慣れる(end499)ほうは、だいぶ進歩しましたか。こんな質問が滑稽に響くほど長くは、まだあなたは私たちのところに滞在なさってはおられないと思いますので、こんなこともお尋ねするのです」
 「ありがとうございます、セテムブリーニさん。その点は相変わらず巧 [うま] くいかないのです。最後までこんなふうじゃないかと思います。くる早々いとこ [﹅3] から、慣れないで終るひともいるといわれましたが。しかし慣れないことに慣れるということもあるでしょうし」
 「これはまたややこしい慣れ方ですね」とイタリア人は笑った。「風変わりな帰化の仕方です。さよう、ご説のとおり、若いひとにはなんでも可能です。慣れなくても根はおろしますよ」
 「それにここは、結局のところシベリアの鉱山ではありませんしね」
 「そうですとも。ああ、あなたは東洋との比較がお好きのようですね。それも決して不思議ではない、アジアが私たちを呑みこもうとしていますからな。どっちを向いても韃靼人の顔ばかりだ」 そういってセテムブリーニ氏はそっとうしろを振返った。「ジンギスカン、ステップ狼の眼、雪とウオトカ、革の鞭、牢獄の町、ロシアのシュリュッセルブルクとキリスト教。私たちは、ここの玄関に叡知の神パルラス・アテネのために祭壇を設ける必要がありますな――防禦の意味で。ごらんなさい、前のあそこで、シャツを着ないイワン・イワノーヴィッチが、パラヴァント検事と口喧嘩をはじめましたぜ。ど(end500)ちらも、自分のほうが郵便物を受取る順番がさきだと主張しているのです。どちらの言い分が正しいかわかりませんが、わたしの気持からいえば、検事のほうが女神の寵愛を受けているようですな。あれは単なる驢馬にすぎないが、少なくともラテン語は知っています」
 ハンス・カストルプは笑った。――しかし、セテムブリーニ氏が声をだして笑ったことは一度もなかった。彼が心から笑うということなどは想像もできなかった。彼は口の隅をかすかに、冷静に緊張させて浮べる微笑以外には決して笑わなかった。(……)
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、499~501)



  • 「英語」: 587 - 609


 七時台にいちどさめたがそれだとみじかすぎるのでやりすごして寝つき、つぎに目がひらいて携帯をみたのは九時台だった。きのうの余波らしくからだがけっこう不安に浸食されていた。覚醒時というのはまだ意識がかたまりきらず無意識があらわになりやすいものなのか、不安を生じていることがたまにある。二度寝という調子でもなかったのであおむけのまま両手をからだの左右に伸ばし、じっととまってただ呼吸するだけの時間をつづけた。ヨガでいう死体のポーズである。そうすると瞑想とおなじでしだいに心身がほぐれてくるから不安もながれてわりと楽になったのだが、その後起きたあともおりにあたまをもたげるときがあり、午後一時半現在でもなごっていてからだはけっこうそわそわしたかんじになっている。ちょっとおちつかない。きょうもまた出かける用があるから、電車内でまた苦しくなりはしないかという予期不安があるのだ。死体のポーズいがいに深呼吸したり耳のまわりを揉んだりして、起床したのは一〇時一五分。たちあがると消毒スプレーをティッシュにかけてコンピューターを拭き、洗面所に行って洗顔。きのう髭と顔を剃ったので肌がめちゃくちゃつるつるしている。トイレで用を足してもどるとホッブズリヴァイアサン』の書見。コモンウェルスの部にはいって、主権者がもつ権利の内容とか政体の三分類について論じられている。ホッブズの国家観もしくは主権観はだいぶ強権的で、いまの世界でいえば中国やロシアをおもわせるというか、すくなくともそれと相性がよいようにみえるのはたしかだとおもわれる。たとえば主権者の権利の説明の第一として、「国民は統治の形体を変更できない」という小見出しがあり、「すでにコモンウェルスを設立した人々は、主権者の行為、判断を認めることを契約により義務づけられているのだから、彼の許可なしには、いかなるばあいであれ、他の何者かに新しく服従する契約を彼らのあいだで合法的に結ぶことはできない」(242)という説明があるのだが、こういう主張は専制的な国家のありかたに容易につながりうるだろう。第三の小見出しは「大多数によって宣言された主権の設立にたいして抗議することは不正である」となっていて、だから多数決がいちばんつよくてそれにたいする少数派の抗議はみとめられないということになるだろう。ここにもポピュリズム専制のにおいがある。ホッブズがそのような強権性を主張するのは、ピューリタン革命というかイギリス内乱を目撃したかれにとってはそういう戦争状態を避けるのがだいいちだからであり、かれにとっては主権が分裂して内乱が起こることこそがもっともおそれるべきことがらなのだ。だから主権は単一で、分割しえず、強力なものでなければならない。ホッブズじしん、じぶんが主張する政体の強権性にむけられる反論を予想して、「しかし、人はここで異議を唱えるかもしれない。国民の状態はあまりにも惨めだ、無制限の権力をその手中におさめた人間、あるいは人間たちの情欲、そして乱れた情念に、私たちは甘んじて服さなければならないのか、と」(255)と言及している。そして、それにたいするかれのこたえは、「それは、人間のどんな地位にもなんらかの不都合はつきものであり、また、政治形体のいかんを問わず、一般に人間が受ける最悪の不都合も、内乱に伴う悲惨や恐るべき災害とくらべれば大したものではないことについて、そして、法にたいする服従も、強奪や復讐に向かわぬよう人々の手をしばる強制力も存在しない、支配者なき人々の分裂状態にくらべれば大したものでないことについて、人々が考えていないからである」(255)というものだ。とにかく内乱をふせぐことこそがかれのかんがえの眼目で、どんな強権的な政体であってもそもそも政体が存在しないアナーキー、すなわち各人の各人にたいする戦争である自然状態よりはましだというわけだが、そもそもそうした「自然状態」なるものは理論上の仮定にすぎないわけだし、二一世紀に生きるわれわれからするとこうした言い分はやはり全面的には受け入れがたいだろう。中国とロシアの擁護につながってしまうようにみえる。とうじのイギリスの状況、すなわちいわゆるピューリタン革命については、「かりにイングランドの大部分で、これらの権力が、国王、上院そして下院のあいだに分割されるという見解が受けいれられていなかったならば、人民が分割され、こんにちの内乱に陥ることはけっしてなかった」(253)とか、「ところが、これほど明白な真理 [人民の代表者たちが、主権をもった合議体や君主よりも絶対的な人民の代表とみなされるとすれば、それはまったくばかげているということ] が、どうして最近ほとんど認められないのか私にはわからない。すなわち、ある王国で、六百余年の世襲を経て主権を持ちつづけ、ひとり主権者と呼ばれ、臣下のすべてから陛下の称号を受け、疑いもなく王と見なされていた者が、それにもかかわらず、彼らの代表者とはけっして考えられず、それにひきかえ、王の命令によって、人民の請願を差しだすよう、また〔王が許すならば〕人民からの助言を提出するよう、人民から送りだされた者たちが、彼らの代表という名称を与えられ、それが、なんの矛盾もなく通用したということである」(259)とかいう言及がある。人民の代表者、すなわち主権者はイングランド王と王室であるはずなのに、議会がその地位を僭称しているというわけで、したがってホッブズからすればここで主権は事実上分裂してしまっており、それが内乱につながったわけだ。ここにかんしても、王とその一族が主権者だったとして、ではかれらの主権者としての正統な地位を担保する要件はいったいなんなのか、という問いがすぐさま出てくるだろう。その回答のうちもっともゆうめいなものはいわゆる王権神授説だろうが、ホッブズはこの著作のなかではいまのところそれに言及はしていなかったとおもう(一箇所あったような気がしないでもないが)。ホッブズの論からするとすべてのひとびとがみずからの意志で同意した権利譲渡の契約が主権者の正統性のみなもとであるということになるだろうが、かれの説明を読むと、いちどそのような契約が成立してしまえば、人民はその後それを変更したり破棄したりするすべがないようにおもえる。そうするとこんどは、ながくつづくということそれじたいが主権としての正統性とみなされるようになるだろう。うえの文中の、「ある王国で、六百余年の世襲を経て主権を持ちつづけ」というぶぶんにはそういう観念が反映されているかもしれない。だがそれは、既成事実と化した絶対権力の擁護そのものであり、そしてジョン・アクトン卿のゆうめいなことばどおり、権力はおのずから腐敗する傾向をもつし、絶対的な権力は絶対的に腐敗する。
 一一時一〇分くらいから瞑想。三〇分ほど座った。これよりいぜん、かなり烈しい雨が降っており、窓をうちつけるおともよくひびいていたし、このときもまだ降っていたとおもうのだが、しだいにやんだ。上階に行ってジャージにきがえ、トイレで糞を垂れて、食事はチャーハンやきのう煮込んだ素麺ののこりなど。ウクライナ東部ルハンスクはその九五パーセントが制圧されたらしい。読みながら、母親がむかいではなす職場のことをきいたりする。あとは引っ越しでもっていくものの相談など。本をいくらかはもっていきたいので、段ボール箱がないかときくとあとでひとつもってきてくれたが、ちいさめなのでいくらもはいらない。もうすこし運びたい。本のほかは布団と服が主で、あとは必要そうな小間物、なんかハンカチとか、鋏とか、ハンガーとか、そういうもろもろのちいさなものを持っていけばそれでよいだろうとおもう。あとアンプ。スピーカーはおおきいやつをもっていったところでながせないだろうし、アンプだけもっていって音楽は基本ヘッドフォンで聞くことにするつもり。食後に皿と風呂を洗って帰室。ウェブをちょっとみてから音読をしたが、そのあいだも緊張がなごっているのをかんじる。きのうの電車内での不安の高まりが原因で、その直接的な要因は嘔吐恐怖なわけだけれど、これはやはりひとり暮らしをはじめるということにたいする不安がいくらかあるのではないかという気もする。自覚的にはそれを感じていないが、おそらく意識できないところで心身がストレスをこうむっているだろう。統合失調症なんかも父的な主体性をもとめられる人生のターニングポイントで発症しやすいというし。きのうの電車内でもおもったが、じぶんはやはりまだかんぜんに寛解とは行かず、パニック障害がこのさき再発してもべつにおかしくはない。ひとり暮らしの負荷やストレスでそうなることもわりとかんがえられる。そうなったらしょうがないからまた精神科にいってヤクをもらい、それを飲みながら生きていくしかあるまい。


 そのあとはなにをしたのかわすれたが、たぶんごろごろしながら足で脚を揉んだりして、四時台後半の電車で行くことにした。待ち合わせは(……)に一八時半だが、(……)で一回おりて、(……)への餞別でもないがなにかしら菓子のたぐいを買っていこうとおもっていたので。さらにせっかくなので全員分、ひとり二つとか三つずつくらいわけられるようなものももう一品買うつもりでいた。もろもろの身支度を済ませて出発へ。服装はPENDLETONの薄褐色のこまかいチェックのシャツに、したはひさしぶりにオレンジ一色のズボンを履いた。これは丈がややみじかいものなので、靴下はカバーソックスにすることに。それで上着はNicoleの紺色のジャケットをはおった。家を出ると西方向へ。みちの右側、林縁の石段上の草が刈られていた。あの青々しい穂の垂れ下がりがひとつもみえない。そのさきの柑橘類の木のある付近ではきょうもクロアゲハが一匹ひらひら宙をすべっているのをみかける。公団の敷地前までくるとさきのほうで(……)さんがみちに出て、ガードレールのきわにしゃがみこみ、草をとっているすがたがみえる。ちかづいていき、こんにちはとあいさつ。行ってらっしゃいというのにご苦労さまですとつけくわえてすぎると、よかったね、雨がひどくならなくて、とあとから放られてくるので、ねえ、やみましたね、あたたかくなって、とちょっと声を張っておき、坂道にはいった。木の下坂の路上には湿り気がまだたくさんのこって路面はおおかた濡れているが、晴れきらぬ空のひかりは弱く、陰のあいまにほそいひらきがさしこむところもあるものの、水気をちらちら震えさせるほどのちからはない。それでも左の斜面のなかには白さをになった葉っぱもみられ、沢のあたりは微光につつまれ底で増水したみずのおもてが曇天をうつしてゆれている。坂道を出たあたりで、たぶんからだにかけているバッグの位置をなおしたのを機にジャケットの内ポケットがあいていることに気づき、ここに手帳をいれればよかったのにバッグに入れてしまったとおもうと同時に、そういえば財布を入れ忘れたんじゃないか? と気づいて、確認してみるとやはりそうだったのでしまったなとおもった。電車まではあと二、三分だったので家までもどると間に合わず、これに乗れないとだいぶ遅くなってしまう。しかし財布がなければどうしようもないのでもどることにして、母親に(……)まで送っていってもらおうと当て込んだ。それでもと来た道をそのまま帰るのもなんなので街道を東にむかい、(……)さんの家と肉屋のあいだにある坂から林のなかを降りていき、自宅へ。暑い。ジャケットやシャツのしたの肌がじわじわと、しかし確実に汗ばんでいる。玄関の鍵をあけて扉をひらくと母親がすぐそこに座っていてびっくりしたが、あちらも不穏げな、なにかとおもったというような、あるいは不幸のしるしをみたかのようなかたい顔つきでなに、どうしたの、ときいてくるので、財布をわすれたとこたえ、車で送っていってくれるよう頼んだ。それで部屋にもどって財布をバッグにいれ、家のそとに出て母親が車を出すのを待つ。そのみじかいあいだは沢のみずが増えていつもより厚くながれているようすや、水路のとちゅうに緑の草がおおきく張り出しているさまなどをながめた。後部座席に乗って瞑目。横の扉にもたれると車のゆれがつたわって静止しづらいので横にはよりかからずに座り、じっとする。BGMはRoberta Flackだがこれはもうけっこうまえからずっとそうである。そうして母親がなんとかいっているのを聞き流しつつ(……)駅前まではこんでもらい、礼を言っておりると駅内へ。ホームにあがって停まっていた電車の一号車にはいり、座席につくと瞑目。(……)までの道中にめだった記憶はない。ややねむけがちな静止だったとおもう。不安のかけらがときおり、高まるなどというほどではまったくなく、チッ、とこすれる程度に生ずる瞬間があった。到着すると三・四番線に降り、近場の階段にはひとが殺到していたのでその横を悠々ととおりすぎて反対側の階段口へ。四番線に停まっている電車が立てている機械的な稼働音やもろもろのざわめきによってあたりがさわがしいのをよいことに”バックビートにのっかって”をマスクのしたでひそかにちいさく口ずさみながらぷらぷらあるき、階段をのぼると改札を抜けた。人波についての印象はない。北口のほうにあるいていって広場に出るまえで右に折れ、横幅のひろい階段をくだって(……)の地階のまえへ。時刻は五時半である。あたり、ビルをむこうに立てた駅前ロータリーの周辺には薄いひかりのかんじがただよい、高架歩廊にさえぎられてわずかにのぞく空は白だが雨の去っておだやかな夕方のあかるみだった。ビルにはいる。手の消毒をして、となりの器具での体温測定はパスし、フロアにはいって見分しながら通路を行く。レモンケーキが目につきつつもひとまず過ぎ、なんかゼリーとかがいいかもしれないなとなんとなく当たりをつけ、そうしてDOLCE FELICEのところまで行くとまさしくカラフルなフルーツゼリーの一〇個入りがあったので、(……)にあげるのはこれでいいんじゃないかと早々に決めにかかった。そうして全員にあげる分をもとめてショーケースをみればフィナンシェとマドレーヌのセットがあるからこれでよかろうとやはりさっさと決め、六人だからひとり二個とかんがえて一二個、一四個入りのがあったからこれだと決定し、さきほどのゼリーの箱をひとつ取ってガラスケースに寄り、お願いしますと声をかけた。しかしそのときいた男性店員はケースからちょっと奥でなにかの作業をしており、こちらの声がちいさくて気づかれなかったので、すみませんともうすこし声を高くしてもういちど呼び、それで存在をおしえることができた。男性は接客が得意ではなさそうな、緊張したようなかたい顔の、ちょっとおずおずとした雰囲気のひとだった。お手提げはというのでほしいと言い、こっちのゼリーをひとにわたしたいので、これが入るくらいのを入れてもらって、というと、ふたつともそれぞれ紙袋にはいるかたちになった。こちらのイメージでは二品を紙袋にいれて、もう一枚わたすとき用の袋をつけてくれるというつもりだったのだが、まあなんでもよろしい。それで会計し、きちんと礼を言って場をはなれた。紙袋は品に比しておおきめなので片手にふたつまとめてもっているとちょっとバランスが妙だった。ビルを出て階段をあがり、コンコースを行く。待ち合わせスポットである壁画前の端、NewDaysだか売店のすぐ横あたりにギターを背負った男がおり、そのケースが島村楽器で買ったおれのアコギのケースとおなじだなとみていると、かれをふくんだ三人くらいが場所をはなれて人波の一片としてあるきだし、ちょうどこちらもそのうしろにつくかたちになった。改札をくぐって(……)線へ。五時五四分の電車に乗ればわりとちょうどよく(……)につくということを事前に調べてあり、買い物がすみやかに済んだのでそれよりもいっぽんまえがまだ停まっていてまもなく出るところだったのだが、そちらはすでに混んでいて嫌だったので五四分のほうに乗るべくホームをいちばん端までたどる。一号車に乗って着席。瞑目。目を閉じてじっとしているうちにあたりにひとの気配がどんどんふえてくるのがわかる。その気配にせよ、ざわめきにせよ、乗っている電車のもののみならず背後かどこかに停まっている電車が立てる蒸気噴出をおもわせる駆動音にせよ、あたりにはおとがあふれかえっていて、ふだんそんなに自覚はしないがこういうもろもろの外圧から心身は着実にストレスを受けているのだろうし、だから外出して街に出るというのはそれだけでけっこう圧迫されるものだよなとおもった。座っているこちらの目の前ではなく、一席分ずれた左の前に女子高生がふたりやってきて会話しているのを聞くともなしに盗み聞きした。練習がどうのとかいっていることから軽音楽部らしいと察せられ、というかそもそもその声があらわれた時点では声だけなので女子高生ということは確定ではなかったのだが、やはり女子高生だろうというかんじの声や喋り方というのはあるもので、あとで一瞬だけ目をあけて確認してみるとやはりそうで右のひとりがギターを背負っていた。その女子はこのふたりのうちではわずかに声が低く、やや詰まったような声色で、左のひとりはもうすこし高く細めの声であり、歌をうたえば透明感がありそうだなとおもわれるような音色だった。アンプ家にあるの? と左の子がきき、あるけど、家だとやる気出ない、なんかいいかなって、とかえる。ギターを背負っているにもかかわらずその女子は、ピアノはたまに弾くとつづけ、弾けるの? すごい、と高めの声がかえすのに、左手はぜんぜん、左手はリズムをちゃんとするのむずかしくてぜんぜん……できないんだけど、右手は、右手はきいてこれガチですごいんだけど、右手は曲きいてそのメロディを、なぞるみたいな、できる、YouTubeとかながしながら、ということだった。この場にはいない部員らしい「アカリ」という子は「ガチ」だといい、あそこまではできない、と右の子がもらすその調子は、尊敬や称賛というよりは、わたしたちとはちがうよねみたいな、よく漫画とかであるしじっさいの世界にもあるだろうが、お気楽にたのしくやりたい運動部員が本気でストイックに努力している同僚についていけないとかんじるときのような雰囲気が支配的だった気がする。その後話題はバイトのことにうつり、会話は右の子が主導していて左の子はだいたいかのじょがはなすことに相槌を打ったりたしょうさしはさむくらいだったが、右の子はいまパン屋でバイトをしているところ、もうひとつやりたいということなのか変えたいということなのかあたらしいバイトも探しているようで、四時からやりたいがそうすると(……)か(……)で探すしかないじゃん? といっていた。学校が終わったらすぐにはたらけるようなところでやりたいということだろう。(……)ということは(……)高校かもしれないなとおもった。なにをかくそう(……)高校とはこちらが高校受験のときに滑り止めとして受けた私立高校であり、受験の日だったか見学の日だったか(たぶん後者だとおもうのだが)、とうじ向かいの家に住んでいた(……)とともに行って、なぜそうなったのかまったくおぼえていないのだけれど、帰りに(……)駅まで歩くことになったことをおぼえている。こんな記憶をおもいだしたのはいつぶりかわからないほどだが、(……)駅前にパン屋があったのはおぼえている。(……)に行ったのは見学のときと受験当日の二回だけだとおもうのだが、しかしなぜかそのあとにもう一回くらい行ったことがあったような気もして、その記憶の感触に(……)とか(……)とかがかかわっているような気もするので、高校時代かそれ以後にバンド関連ででむくことがあったのかもしれないが、詳細をまったくおぼえていない。ちなみに(……)高校にはとうぜんながら受かった。こちらは学業成績が優秀だったからである。面接が嫌なので推薦入試をとらなかったのだが、(……)高校は一般でも面接があってめんどうくさかったのをおぼえている。集団面接で、たしか四人か五人一組で受けるものであり、こちらいがいはぜんいん女子だったような記憶もある。ひとりずつじゅんばんに質問をしていくタイプのそれだ。とうじはまだグループディスカッションをやらせる高校はすくなかったのではないか。じぶんが見学に行った高校はこの(……)高校と、あと(……)高校の文化祭に同級生の(……)と、あともうひとりいたような気がするが、三人くらいで行った記憶もある。しかしけっきょくこちらが進学したのはいまはなき都立(……)高校であり、ここには見学に行ったことはなくて願書提出のさいにはじめて行った。願書提出は午前から行って、その後なんどもそこを行き来することになる昇降口までのスペースで事務室にむけてながくならび、昼までかかったおぼえがある。学校見学なんてめんどうくせえし行かねえわという姿勢は大学のときも変わらず、(……)大学も(……)大学も受験当日にはじめてでむいた。行き方がわからなかったのでどちらも同行するあいてがいて、(……)のほうは(……)なんといったかしたのなまえをわすれたけれど(おもいだした、たしか(……)だ)、バスケ部だった三年H組の男子と行き帰りいっしょにモノレールに乗ったがなぜかれといっしょに行くことになったのだったかまるでおぼえていない。そこまでの接点はなかったはずだ。しかしバスケ部とは、六月四日に軽トラを出して引っ越しを手伝ってくれる(……)がキャプテンだったし、おなじクラスにはさらに(……)と(……)のふたりがおり、また女性のおっぱいを合法的にもみたいと言ってレントゲン技師をめざした愛すべき馬鹿である(……)もたしかとちゅうで辞めていたはずだがもともとバスケ部だったし、(……)はそのへんと絡みがあってとりわけ(……)と仲が良かった気がするので、そのへんで接点をもったのだろう。それにしてもよくいっしょに行くことになったなとおもうが。(……)大学文学部の日本史の問題では豊臣秀吉朝鮮出兵のときに拠点にした土地をこたえよみたいな問いが出て、しかもそれが選択問題ではなく、数少ない名称を書かせる問いとして出題され、こたえは名護屋なのだけれど、じぶんはこれをみごと解答した。これは高校日本史のなかではだいぶマイナーなほうの知識だったはずで、じぶんがこたえられたのは山川出版社の用語集で各社の教科書のうちどれくらいにこのことばがとりあげられているかという頻度をあらわす星の表示があるのだけれど(星ではなかったか? ただの数字か)、それが三くらいのマイナーな用語もきっちり確認していたからで、帰りの電車のなかで(……)がそれがわからなかったといい、こちらは名護屋だとわかったと答えて、すげえなとおどろかれたことがあったようにおぼえている。(……)が(……)に受かったのかどうだったかはおぼえていない。こちらは(……)も(……)も両方受かった。学業成績が優秀だったからである。(……)のときはおなじクラスにいたギャル四人組のうちのひとりである(……)という女子と(ちなみにほかの三人は(……)、(……)、(……)である)、おなじくクラスメイトで「(……)」というあだなでみんなから呼ばれていた((……)もそう呼んでいた)(……)なんとかいう男子といっしょに行った。たしかバスに乗った記憶があるから、たぶん(……)からそうしたのではないか。これもけっこう何回か書いているとおもうが、受験時、こちらはさいしょの英語だったか国語だったかわすれたがそれをやっているとちゅうで気持ちがわるくなり、いまからかんがえるとパニック障害の前兆というか傾向とみえるのだが、どうも気負いすぎたらしいとおもってつぎの科目は姿勢を楽にすることにして、さいしょのときはほかの大概の受験者もそうしていたように真剣に、背を丸め前傾して顔を紙にちかくしてもてるちからをすべてそそぐみたいなかんじでやっていたのだけれど、それで気持ち悪くなったから二科目目はちからを抜こうとおもい、まあ余裕ですわ、こんなのは楽勝ですわみたいな、姿勢からしてもう余裕の感じをだそうとおもって前傾せず、椅子に浅めにこしかけて背中もうしろにあずけ、偉そうなかんじで問題を解くという方策をとったところ、無事気持ち悪くならずに済んだのだった。昼食はふたりと合流して建物のそとのベンチで持ってきていた弁当をともに食った。(……)こと(……)はたしか落ちたのだったとおもう。(……)は受かり、在学中駅などでなんどか顔をあわせることがあった。かのじょは高校時代はたまに体調をわるくしていたというか、休んだりとちゅうから来たりということがあったはずだし、授業中とかに気持ち悪くなったりして出ていくこともあったような気がする。かのじょもまたパニック障害かなにかもっていたのかもしれない。なにかの自由時間のときに廊下に出て通路の脇にしゃがみこんでいたかのじょのところまで行って、こちらもそのまえにしゃがみこんでなにかはなしたことがあったのだが、そのときにかのじょの息がかなりくさかったのをおぼえており、いまからみればあれは胃とかをわるくしていたのかもしれないなとおもう。ちなみにギャル四人組のひとりである(……)も過呼吸を起こすことがけっこうあった。高校時代の同級生でほかに(……)大学に行ったにんげんとしてこちらが知っているのは三年A組バレー部の(……)だけであり、かれはたしか政経学部に行って、いまは弁護士だったか会計士だったかをやっているはず。たぶん後者だな。なんかいかまえに(……)とはなしたときにかれがそのへんをおしえてくれたのだが忘れてしまった。
 (……)にむかっている電車のなかにはなしをもどすと、女子高生ふたりが楽器やバイトのはなしをしているときにはすでに走行中だったのだけれど、かのじょらはわりとはやく去っていき、ほとんど入れ替わるようにしてまた女子高生らしい声色があらわれて、このときもやはりひとりが会話の主導権を握っており、やはり比較的低めの声の、しゃべりのペースもはやく、まあギャルっぽいと言ってよいのだろう女子が好きなアイドルだかモデルだかの画像をみながらはなしをしているようで、マジ天使! 信じられない、おなじ人間って信じたくない、一六二センチ四一キロって書いてあるわ、一日一食しか食べないんだって、一日一食は天使の食事、一日二食は人間の食事、と興奮したようすで称賛をつらね、一日三食は~~の食事、ともつづけて定式化を完成させていたのだけれど、そのぶぶんは電車のゆれなどでちょうどよくききとれなかった。会話にはもうひとり主に聞き役をつとめて頻繁に反応をしめしている女子がいたのだが、それにくわえてもうひとりいるようにもおもえ、しかしその声はあまりきこえないのでぜんぶでふたりなのか三人なのかがあいまいだった。かのじょらはさいしょのうちはさきほど女子高生ふたりが立っていたのとおなじあたりにいたのだが、じきに席があいたらしく、こちらの左におそらくひとりをはさんでそのむこうにならんでかけたようだった。そうすると声がより断片的なものになって内容をそんなにききとれなくなったのだが、たしか(……)でひとりが降りるようでギャルっぽい女子がじゃあね、気をつけてね、と別れのあいさつをしているのがきこえ、そのすこしあとに、だれかのことを悪口めいていいあっているらしき内容やトーンがつづき、あ、これたぶんいま降りていった子のことを言ってるんだな、とおもった。声が断片的なので確定はできなかったのだがそういう雰囲気だったし、しばらくあとになって、やばい周りのひとにおもわれる、ふたりきりになったとたん、と言っていたのでそういうことだろう。三人目の発言がすくなく声がきこえなかったのもそういうわけだ。ギャル的女子は、あの子一二月からあたしのはなしぜんぜんきいてないと評しており、そんなにながく? とおもわざるをえないが、この三人目とかのじょのあいだには齟齬とか隔たりがあるようだ。そんなあいてとなんでいっしょにいるのかともおもうけれど、まあいろいろあるのだろう。ギャル風女子はよくしゃべっていたし、ちからがありそうで、かのじょはべつに三人目がちかくいようがはなれていこうがどちらでもよさそうな気がするが、三人目のほうはほとんどしゃべっていなかったわけだから、ギャル的女子のことを冷ややかにみたりあまり興味がなかったりするのかもしれず、なぜわざわざそんなあいてとともにいるのかわからないが、なんだかんだ友だちづきあいがつづいてしまっているのでいまさら解消しづらいとか、居場所がなくなると困るとかいう事情があるのかもしれない。それにしても半年もはなしをきいていないというのは笑う。そのあとギャルはこないだアヤがいってた焼肉屋こんど三人で行こうよ、などとはなしていたが、この三人がアヤといまいるふたりでということなのか、それともさきほどの女子もいれた三人でということなのか、そもそもアヤが三人目の子なのかべつの友だちなのかはわからない。そもそもこちらは終始目を閉じていて、情報は声だけなのでほんとうに女子高生だったのかわからない、とおもったところでおもいだしたが、ギャルはまた学校の教師についてもはなしていたので女子高生であることは確定だったのだ(「職員室」というワードも出てきたし、声色からして女子中学生ということはなさそうだった)。先生のひとりが結婚したらしく、それでなまえを変えたらしいのだが、なまえ変えるのやめてほしいんだけど、とギャルはいい、いまさら呼びづらいみたいな理由だとおもうけれど、結婚したのがそんなに嬉しいのか! なまえが~~になったのがそんなに嬉しいのか! とやたら批判していた。選択的夫婦別姓制度の支持者か? 学校で先生がアピールしていてうざかったのだろうか。
 (……)に着いて降車。その直前だったか携帯を見ると(……)からメールがはいっており、やっぱり(……)にこれる? (……)から小田急! と行き方があったので、もう着くから乗り換えて行くわと返答。その後、降りて小田急にうつったあとやりとりをつづけたが、(……)に合流するように言っとくわ、とあったあとに、やっぱりおれが行くまで待ってて! とハートマークつきの訂正がきたので、返信せずに了解した。(……)駅に降りて階段をあがり、改札にむかうあいだ、あれ、ここ来たことあるなとおもった。改札を抜けて左折し、小田急のほうにむかう高架歩廊からのながめや小田急の駅のようすも記憶にあり、なんのときだったかな、「(……)」のみんなで(……)に行ったときだったかな、とおもったのだが、あとで電車内で路線図を見たときに(……)の文字を見つけて、あ、これだな、(……)と(……)くんと(……)のボーカルスタジオに行ったときがあったからそのときだなと判明した。小田急線のホームにあがるエスカレーターの左右の壁にドラえもんの絵が描かれているのも記憶通りである。(……)までは一駅。乗ってすぐ到着。二分もかからなかったのではないか。降りてホームを行きながら、若い女性がいると(……)たちではないかと見てしまい、しかも眼鏡をつけておらずよくみえないのでけっこう似ているように見えてしまい、あれそうでは? とおもうことがあったが、視線をむけても反応が返らないので素通りして階段をのぼる。南口と北口があった。左右どちらに行けばよいのかわからないので、階段をあがってすぐ脇の壁にもたれながら(……)にどちら口かとメールを送り、返信を待った。目の前の細い通路をひとびとがとおりすぎていくわけだが、大学生くらいの若くさわがしい連中が多い。あとで(……)さんにきいたが、このへんは大学が多いらしい。じきにメールが来て南だというのでそちらにむかい、改札を出るときょろきょろあたりをみながら知った顔を探す。切符売り場のまえにふたりで立っている女性が(……)と(……)さんのようにもみえたのだが、けっこうちかくで視線を送って目があっても反応がなかったので、どうやら違うなと判断してロータリーの縁に立った。しばらく立ち尽くして待っていたのだが、まあ座るかとおもって植込みの段に腰掛け、曇り空をみあげたり、駅から出てくるひとびとをながめたり、首を回したりしながら(……)が来るのを待った。じきに登場。無言で手をあげ、会釈し、たちあがる。行くか、というと、ドラえもんの像あるよ、ドラえもん、と(……)がそこにあった像をゆびさし、写真撮る? 写真撮るか、というので笑って撮らないといいながらさきを行こうとしたのだが、(……)はついてこずにそこにとどまっているので、え、撮るの? と苦笑でもどり、像のまえに立って真顔で撮影された。LINEにあげられたようだ。
 店についてなどなにもきいていないので(……)が携帯で地図をみながらあるくのにまかせ、横にならんではなしながらみちを行った。どう? みたいなことをきかれたので、まあなんとか生きてる、死なないように生きてる、と笑って答え、行きの電車内で女子高生が死なないように生きてる、って言ってたんだわと引用元を明かすと(ギャルっぽい女子がどこかのタイミングで口にしていたのだ)、それいいなと(……)は賛同していた。そのまま、女子高生おもしろいね、はなし盗み聞きしてるとけっこうおもしろいね、三人いたんだけどひとりが降りたあとにあとのふたりがその子の悪口言ってたっぽくて、と報告すると、うわー、いやだな、怖い怖いと(……)は笑い、あの子一二月からあたしのはなしぜんぜん聞いてないって言ってたというのもおしえると爆笑していた。こちらも同じておおきく笑う。そのうちにみちは高架にとおった線路沿いの通りに出て、そこに飲み屋とかカラオケとか店がいくつもならんでいて、なかには「大衆食堂」という文字をかかげながらシャッターをおろしてしまっている店とか、古びた木造りの建物とかもあって、なんとなく昭和のような、古い時代の場末のような雰囲気をかんじた。われわれの行き先もそのあたりらしいのだがなかなかそれらしき店が見つからず、地図をみていた(……)が行き過ぎたっぽいというのでもどり、それでも見つからないのでちかくの建物に寄ってはいっている店の表示をみていると、これじゃないかというのを発見したので知らせ、それで正解だった。「(……)」という店。(……)通りからちょっとはいってエレベーターに乗り、降りて目のまえの狭い扉をくぐる。はいるとすぐ目のまえには仕切りがあって、そのうえに消毒アルコールがあったので手につけた。店内は狭い。入り口を左下として俯瞰すると、右の壁沿いにしたからうえまで掘りごたつ式のテーブルがおそらく四つだったとおもうがもうけられ、左の壁のほうは座敷になっていてこちらがテーブル二席。その二席のむこう、平面図で見て左上のあたりが厨房などで、それで終わり、トイレも店外にあるくらいのこじんまりとした一室だった。だからやはり昭和感のようなものを感じないでもないが、仕切りらしい仕切りもなく、室内で煙草も自由に吸えて、のちにこちらの左にはいった(……)も吸っていたし、右の席でもワイシャツにネクタイを締めたすがたの、宴席にいながらちっとも楽しそうでなく仏頂面のしかし短髪でそこそこ精悍な顔立ちの若い男性が、おりにくわえたものに火をつけ、その煙がゆるやかにひろがってこちらのほうまでただよっていた。(……)と(……)さんふたりがすでに来ており、平面図でいうと右の壁沿いのしたから二番目の席についていた。通路側。こちらと(……)はそこの壁側にはいる。テーブルはちょうど六人分のサイズで、席取りはこちらが壁側の一辺のまんなか、右に(……)が入り、こちらのむかいは(……)さんで、(……)のまえが(……)である。あとから来た(……)はこちらの左、(……)さんはそのまえとなった。こちらの位置からみて左の一席はややちいさめのテーブルで、よくみなかったがたしか三人客だったのではないか。大学生くらい。右側はそこそこ団体っぽかったが、二席がいっしょのグループだったのか否か不明。あとで右隣の席とのあいだ、掘り部分に嵌められた足場かなにかとテーブルが取り替えられていたようだったので、人数にあわせてたしょう卓のおおきさと距離を調整しているということだろう。こんな調子の店なのでコロナウイルス感染者がなかにいたらたぶん終わりなわけだが、事前になにも情報をきいていなかったしあとの祭り、六月一日現在では胃がわるいことをのぞいて体調に変化はない。あとできいたはなしでは今回この店をとったのは(……)さんで、大学時代によくきていたのだという。このへんは大学がおおいから、駅前だともっと大学生でいっぱいみたいなかんじだろうと。かのじょはいま日本橋ではたらいているらしいのだが、日本橋に何年かいてそこそこ食べまわってきたし、あっちと比べるとこのへんじゃどこもこんなもので、きれいで洒落た店なんてないよね、とのことだった。
 席についてどうもどうもとあいさつ。(……)の見た目は変わっていなかった。たぶん一〇年ぶりくらいかな? という。こちらも変わっていないといわれたし、ほかの四人についても同様で、みんな変わってないねという結論がくだされていたが、それこそ六年前、(……)の結婚式のあとの二次会帰りに(……)が口にしたそのことばについて、変わっただの変わってないだのというのはじつのところどちらでもよくてたいした意味はもたず、そういうことばの真の機能はただ時が過ぎてしまったものですねというあいまいな感傷を漠然と共有するところにあるのだと、そういうふわっとした感傷を共有しようとする無自覚の魂胆にたいする反感をいくらかにじませながら書いたことがあったが、今回それは生じず、それはまあいちおう三〇歳を超えてこのくらいの歳になるともう時が過ぎてしまったものですね、歳を取ってしまいましたねということはいまさら言うまでもない暗黙の前提と化しているから、そこにことさら感情性が生まれないということなのかもしれないとおもった。
 で、ものを食いながらいろいろはなし。きのう電車内で発作的なことになったし、胃もひりひりしていたしでふつうにものは食いづらく、サラダとかちょっとしたものをつまんだりするだけでこちらは満足し、たいして食いはしなかった。ただ終盤になって出てきた焼きうどんは塩気がつよくてうまかった。サラダと焼きうどんが来たときはこちらが率先して各人にとりわけた。いちおうレディーファーストぶってむかいの(……)や(……)さんの皿から取り、その後(……)や(……)に分けてじぶんをさいごにした。サラダを分けたときには(……)さんがまだ来ておらず(かのじょは九時をまわってから来た)五人だったのだが、分け終わるとぴったりなくなって、すごいね、ちょうど五等分、うまいね、と(……)に称賛された。
 さいしょに話題にあがったのはお決まりのことで、それぞれ前回会ったのいつだったかな? というはなしであり、(……)と(……)とじぶんは昨年末に(……)の結婚式で会したわけだが、そのまえは、(……)とは鬱病様態から回復した一八年末の大晦日にいちど会い、それいぜんはかれの結婚式だったはずである。(……)も昨年末をのぞけばそのとき。おまえが結婚したの二〇一七年だった? と(……)にたずねると、一六年だという。七月だったよね、小池百合子が当選した都知事選のまえの日で、というと、よくおぼえてるねとむかいから来たので、(……)とはなしたのをおぼえてる、ほら、あいつ都職員だから、と返したのだが、いや、(……)が都職員だからって都知事選のはなしって、やっぱり話題の格が違うよ、などと(……)さんから称賛を受けた。
 そのあとはもろもろてきとうにはなし、こちらはまんなかの席だったし、集団のなかでそんなにはなしに行くタイプではないので、左右の対面ではなしがなされてひとり宙吊りになるような時間もあったが、ときに応じて両側の双方に耳をかたむけたりちょっと口をはさんだりしつつ、たぶん右の(……)と(……)のほうにはいっている時間が多かったかな。(……)が結婚に失敗したというはなしは風のうわさできいていたのだが、そのへんのことがたしょうはなされたりもした。いちどめの結婚では旦那の地元である愛知にうつったのだが、そこがもろに村社会というか、近所の家には自由に出入りできて仲間らが飲みに来まくるみたいな感じで、まえにたぶん(……)からもきいていたけれど、(……)が夜勤明けで(かのじょは看護師もしくは助産師をしている)帰ってきて寝ようとおもったらじぶんのベッドに旦那の男友達が寝ていたということがあったのだという。だからたぶんほぼ全員男連中だろうが、みんなで集まっては飲み、そのまま家中いたるところで雑魚寝みたいな感じで、ひじょうにホモソーシャルな共同体が形成されていたのだろう。村じゃん、といわざるをえないが、いちおう区分としては(……)市にあたる地域で、ただそのなかでもだいぶ田舎なほうだったという。それでじぶんのベッドを占領されたうえに、そうして友だちがいるものだから起きれば夜勤を済ませてきた疲労体に鞭打ってじぶんは寝ないままおさんどんをしなければならないというわけで、そんな環境に耐えられなくなったというわけだ。あとでおなじく離婚者である(……)が、二度目に結婚したとき、一度目とおなじきもちでもう一回プロセスを踏めた? と質問していたが(かれはこのあいだ会ったときも今回も、おれはもういい、もう一回あれをやりたいとはおもわない、と漏らしていた)、一度目の結婚のときはさんざん悩みに悩んでいたのだという。それでも決心して愛知にうつったわけだけれど、ああ、じゃあもうそこで確信がなかったんだな、迷いがおおきかったんだな、不安はだれもあるだろうがそれいじょうに不穏な予感みたいなのがあったんだろうな、それじゃあなあ、とこちらは内心おもった。それでも離婚するか否かという点はなかなか決心がつかずにいたらしいのだが、姉(次女)にあるときこういう感じで、というのをはなすと、それはもう離婚していいんじゃない? といわれて、それできもちが楽になったのだと。それまではやっぱりいけないんじゃないか、という自己抑圧があって、かんがえないようにしていたのだが、姉にいわれたことで、いいんだ、とおもうことができたと。姉との関係、また(……)の兄弟関係についてものちほど話題にあがったが、それはいまは措く。あとでおもいだせばまた。ただし(……)が離婚を決めたときにはもう家を買うというところまで来ていたらしく、その契約破棄で借金を負わされることになったのだが、そのときに旦那の母親、つまり姑が、とれるだけとってくださいねみたいなことを弁護士だかわからないが関係者に言ったらしく、だからあちらとしては全面的に嫁が悪いという認識なのだろう。そもそも結婚式のときもすごくたいへんで、(……)が主役のはずだが村社会だから親戚がおおく、だれの着物はこういういろで、だれのはこういうのは駄目でみたいなことをいちいち決めたり手配したりしなければならなかったというから、じぶんの着物どころではなかったんじゃないか。それで何百万だかわからないが借金があったのをいまは完済したというからめちゃくちゃすごい。そんな体験をしてきたにんげんが変わっていないわけがないのであって、また一〇年も経てばなんらかの意味で変わらないにんげんなどほぼいないとおもうが、それが変わらずに堅固で安定した人格的同一性を保っているようにみえるというのは、われわれがその人物にたいして抱いているイメージの範疇からはずれたことばや行為をそのひとが見せないからで、そのひととのかかわりのなかで生まれるさまざまなできごとや経験的観察をつなぎあわせることでわれわれは意味の体系をかたちづくり、それがそのひとのイメージとして漠然と統合されるわけだが、その体系のかたち、構成は、あらたな観察によって細部において絶えず微妙に更新され、マイナーチェンジしているはずである。だからこの日、(……)と一〇年ぶりに会ったときにもこちらが(……)にたいしていだいている認識の像はなにがしかの変容を来たしたはずだが、その変容が一定の範囲におさまっていれば、イメージの構成や全体的な統一性の面ではおおきな変化は起こらず、そのひとは変わっていないと判断される。いまはあるひとが他人にたいして抱く認識のはなしをしていたが、それが絶えずマイナーチェンジしていくのと同様に、そのひと自身も日々に微妙に変容しつづけているはずである。その変容が一〇年も積み重なればそのひとじしんとしてなにか変わらないということなどありえないはずだが、この日(……)と会っても、たしかにかのじょは見た目の面でも性質の面でもさほど変わったようにはみえなかった。つまりこちらのかのじょにたいするイメージに動揺をもたらすようなあらたな経験的観察はなかったわけだが、だからといって(……)じしんにおいてそれが内在していないということにはならず、むしろ内在していてとうぜんだとおもう。ただそれがこういう場では他人に知覚できるようなあきらかなかたちであらわれなかったというだけだ。それにはわれわれのこれまでの関係というものが下敷き的な文脈として機能しており、関係における習慣性とか傾向性というものが、その場でいわれなされることや発露される性質をある程度まで拘束し、規制するだろう。たとえば高校時代に物静かで暗く見えていたような男子が大学デビューしてチャラ男になり、女遊びに耽るようになったとして、高校のときに仲が良かった数少ない女子と再会したときに、いきなりチャラチャラあいてを口説きはじめるということはしづらいだろう。あるひとが他人にたいして抱くイメージはさまざまな意味的要素の体系であり、ある程度までははっきりとした構成をもつネットワークなわけだが、あるひととその他人との関係にもおなじようにネットワーク的な体系性があるのではないか。したがって、こういう場で変わった変わらないが口にされるときそこで確認されるのは、そのひと自身の変化というよりも、観察者のイメージならびにあいてとの関係のほうだろう。変わらないね、という発言は、直接的にはあなたは変わらないね、とあいての性質そのものについて言及しているのだが、じつのところそれは、わたしたちの関係は変わらないね、という、あまり意識されない意味をはらんでいるだろう。
 他人についてのイメージはまずは帰納的に、つまり具体的な観察からかたちづくられると仮定してみよう。たとえば友だちの家に遊びに行ったとき、玄関で靴を脱いだあとにしゃがみこんでそれを整然とそろえ、またお邪魔しますとかきちんとあいさつをする少年は、几帳面だとか丁寧だとか礼儀正しいという印象をあたえるだろう。つまり、経験的な事実から、「几帳面」「丁寧」「礼儀正しい」というような一般的な性質の語彙を観察者はみちびきだすということだ。この時点ではあるひとつの行為から生じた印象にすぎず、まだそれは確定的な性質とはいえないかもしれないが、ともかく具体性から抽出され転化された一般性は観察者の抱くイメージの一要素となり、こんどはべつの機会にそれがもとになって演繹的な再認がなされる。この少年が、たとえば借りたハンカチを洗って返してきたり、授業前に教科書やノートを机上にきっちりそろえて置いているところをみれば、過去の事実からみちびきだされた一般的性質の語彙が強化される。やっぱり几帳面なひとなんだ、というわけだ。そういうことが繰り返されるうちにイメージのなかで「几帳面」という要素がそのひとの性質の一部として確定される。そして一般的に、にんげんの性質はある程度まで首尾一貫しているとみなされている。これがどうしてなのか、あらためて意識すると不可思議なようでもあるのだが、首尾一貫性とはいいかえれば、はっきりとしたかたちや構成をもっているということでもあるだろう。体系や秩序といってもおなじことだが、ひとはひとを(あるいはものごとすべてを)認識するときに、かたちに頼らざるをえない。ということは空間性や幾何学性に頼らざるをえないということでもあるだろうが、いわばにんげんの認識はつねに形象を志向するわけだ。性格の首尾一貫性が前提されることで、ある他人の行動を予測したり想定したりできるようになる。それまでに形成されているイメージの体系からはずれるような行動はまずしないものとかんがえられ、あのひとだったらこういうときにはこうするだろうということが想像されるようになるのだ。これが物語の二次創作を支えている原理である。反対にもちろん、既存の意味的体系からおおきくはずれるような行動をあるひとが取ったばあい、それを見た者はおどろき、あたまがおかしくなったとか、なにか特別な事情があったとか、じぶんの知らない一面があったとか、そのように解釈し、失望したり、おもしろがったり、思いやったり、なにかしらの感情的反応を来たすだろう。そしてそのひとについてもっていたイメージのかたちはおおきく動揺し、組み直しとあらたな統合を余儀なくされる。それがうまくできなければ、異常だとか得体の知れなさのような感覚を抱くはずである。ここからおもうに、あるひとりの人間のなかにまったく違う性質の体系(性格のかたち)が二つある、という小説を書ければおもしろいかもしれない。ただそういうことを試みたとしてまちがいなく、それは「二重人格」とか「二面性」ということばに回収されるかたちで理解されてしまうだろう。そのような回収を避けるかたちで二つの性格体系を並行的に共存させることが可能なものなのか、ちょっとわからない。
 具体的な観察からえられた印象を保持しそれをべつの観察にあてはめて調整するという帰納と演繹の往還によって他人のイメージはかたちづくられる。この点で認識と理解のコストを大幅に削減しようとするのが人種主義者であり、おそらくすべての差別主義者も同様である。かれらにおいてはあることがらについての演繹が絶対的なちからを持っており、それと矛盾する経験的事実がえられたとしてもそれは捨象され、無視され、切り捨てられる。たとえば黒人差別主義者だったら、「黒人」という概念にむすびついたさまざまな悪のイメージがあらかじめ強固に保持されており、それがおおきく動揺することはない。だれかが「黒人」であるという認識はさまざまなかたちでなされうるかもしれないが、もっともありがちなのは見た目、肌のいろから来るものだろう。黒人差別主義者は「黒人」とみなせる外観をもっているひとを見たとき、その観察を即座にじぶんの「黒人」観念にむすびつけ、そのひとの性質をさらなる観察によらず決定してしまう。そして、もしそのひとがじぶんの「黒人」観念と矛盾するような行動を取ったとしても、それは例外的な一事実とみなされたりして、観念じたいをゆさぶることはない。つまり差別主義者においては帰納が失効する。帰納と演繹の往還をたどろうとせず、つねに片道通行ですませようとするという意味において、差別主義者は認識におけるなまけ者であり、かれらにとってそのひとがどういうひとかということは、大方あらかじめ決定されている。その観念を動揺させる経験的事実をかれらは見ようとしない。そこにはもしかしたら、ものごとの複雑さにたいする忌避感や不安があるのかもしれない。ひとの認識はかたちに頼らざるをえないとうえに書いたが、もっともかんたんなかたちにすがり、それを支えとして、世界観や実存の安定を得たいのかもしれない。これがきわまれば、「そのひとがどういうひとか」ということが、もはやまったく問題にならず、意味をもたない地点にまで至る。「ユダヤ人」であるというその一点においてかんぜんに悪であり、生存価値はないと判断されることになる。
 こんな抽象的な考察をつらつらやっているばあいではなく、この日とそれ以降の経験的事実を記録しなければならないのだが、(……)がうつる海外というのはマレーシアだということだった。詳しくきかなかったが、いま結婚している二度目の連れ合いの転勤についていくみたいなことらしい。子どももおり、(……)というなまえらしい。なかなか好きな漢字だ。旦那がさきに行って、そのあとしばらくしてから子どもといっしょに行くといっていたか。むこうでのしごとは、さいしょは旦那のビザで行くことになるのでそうすると就労できず、あちらで手続きしてはたらけるようになってから探すといっていた。学校も、ビザの関係でたしか日本人学校が駄目なのでインターナショナルスクールに通わせようとおもっているといっていた気がする。逆だったかもしれないが。ほか、助産師のボランティアでカンボジアではたらいたときのはなしもしてくれて、それはけっこう興味深かった。なんてところだったかときいても地名をおぼえていなかったが、わりと田舎のほうで、まだ地雷がおおく埋まっている地域だったという。そこで出産手伝いをしていたところ、あるとき赤ん坊が生まれても泣き声をあげなかったことがあった。日本人のスタッフはとうぜんたすけようと立ちはたらくわけだけれど、カンボジアのスタッフはそれに熱心ではない。なぜかというと、そんな弱い子をたすけても駄目だ、そだてる親の負担になるだけだ、みたいな言い分で、そこで価値観のちがいをおおきく感じたらしかった。また、カンボジアでは赤ん坊が生まれてすぐ戸外で日光にあてはじめるので、日本とくらべて赤子の黄疸がおおいだかすくないだか、そういうはなしもあった。太陽を浴びるとなんとかいう物質ができてなんとかかんとかみたいな黄疸になる機序も言っていて、すげえ、助産師だとおもったのだが、よくわからなかったしぜんぜんおぼえていない。
 (……)さんはさきほど書いたように日本橋勤務。もともと東西線でとなりの茅場町にいたが、あるときから日本橋にうつって、そうすると地下鉄から直接ビルにはいれるようになったので楽になったという。何年かまえの高校の同窓会で会ったとき、物資の流通を配分しているみたいなことをきいたおぼえがあったので、たしか物流だよね? ときき、そのことをはなすと、よくおぼえてるねと肯定があった。海外に輸出するような物資を、じゃあここはこれだけ、こっちはこのくらい、とかふりわけているらしい。海外勤務のひととのやりとりもしているとおもうが、じぶんでは海外には行かないの? ときくと、出張ですこしだけというのは過去にあったけれど、海外に赴任ということはなく、それは社員の区分のちがいによるものなのだという説明があった。なんという名称で言っていたかわすれてしまったが、転勤があって日本各地や海外にまわされる社員と、本社づとめをつづけるカテゴリとがあるのだという。(……)さんは後者で、もちろん転勤のほうにうつるかという提案も過去にあったものの、ぜったい海外に行けるわけでもないし、北海道とか僻地に飛ばされる可能性もあるから、それならいいかなって、とのことだった。かのじょはいま(……)に住んでいるというので千葉の民だが、あした、幕張メッセにライブを見に行くという。なんの? と周りがきくと、いやあんまりゆうめいじゃないっていうか、テレビとかあんまり出ないバンドだから、というこたえがあり、(……)がおしえてよともとめると(……)さんは、ちょっと斜に見るような視線をかれにおくりつつ、いやー、ぜったい知らないとおもう、と疑わしそうなそぶりをみせた。(……)さんと(……)は中学からいっしょなので((……)はかのじょを「(……)」としたのなまえで呼んでいる)、かのじょは(……)にたいして扱いがてきとうだったり当たりがつよかったりするのだ。あなどられてますよ、とこちらが左の(……)にさしこむと、まあ言ってみ言ってみということで、ポルカドットスティングレイというなまえが(……)さんの口からもれ、そうすると(……)は、あ、知ってるわとこともなげに受けたので笑った。こちらは初耳のなまえだった。わりとさいきんの日本のバンドらしい。(……)も知っていて、なんだったら携帯に音源をいれているくらいだった。どこで知ったの? と(……)にきいてみると、なんか何年かまえに、さいきんの邦楽ってどんなのがあんのかなあとおもって調べて、これから「あがってくる」日本のバンドみたいな記事で挙がってたひとつだった、とのこと((……)がこの「あがってくる」といういいかたをききとめて笑っていたが、それは(……)がすこしだけチャラいところがあるので、「アガってくる」という表記をしたくなるようなニュアンスを感じたのではないか)。
 (……)については昨年末に会ったときいじょうの目新しい情報はなかったが、恋人についてなど周りからきかれていた。あと書き忘れていたけれど、こちらと(……)がついて四人になってからちょっとしたのち、入り口をくぐってきた男が(……)とみえてこちらはよう、という感じで手をあげたのだが、それがまったく(……)ではなかったというくだりがあった。眼鏡をかけていないのでそんなによく見えないという事情はあったのだけれど、それにしても(……)だと確信して疑っていなかった。しかもそのひとは眼鏡をかけていたものの、(……)はふだん眼鏡をかけていないのだ。なぜかかれのイメージとしてかなり前に会ったときの、眼鏡をしていたその像がおもい浮かんだようで、それと曖昧な視覚情報が一致したらしい。あちらでも困って、一瞬え? え? みたいな感じになっていたようだが、間違いだとわかったのだろう、とくに交渉はなく右手のテーブルのほうにはいっていった。それでわれわれの席では大笑いが起き、むかいの女子ふたりは爆笑して、ちょっと、ぜんぜんちがうじゃん、ぜんぜん似てないじゃん、と言い、(……)など「今日イチ」でおもしろかったと言っていたが、じぶんは入り口のほうを見ていたからその瞬間をとらえなかったものの、こちらが間違えて手をあげたのを受けて、右の(……)も誤りに気づいていながら乗っかったらおもしろそうだなともくろんで、おー、みたいな表情をみせていたらしく、女子ふたりはそれに騙されてほんとうに(……)が来たものだとおもい振り返ったところが、まったく違うひとだったので混乱したということだった。(……)は離婚していまはひとりみである。子どもにはコロナウイルスまえは定期的に会っていたらしいが、さいきんではそれも叶っていない。あと元奥さんもどこか地方だかの実家に帰ってしまったみたいなはなしではなかったか。そうすると距離も遠い。しかし子どもの入学祝いにランドセルは贈ったといい、それをきいた(……)はお父さんしてるじゃーん、と言っていた。恋人は二六歳だか。わか! と(……)は受け、六歳下? それくらい若いとやっぱりまいにち連絡したいみたいな? といわれのない偏見にもとづいてきいていたが、連絡はそこそこ頻繁にはとっているらしい。キャビンアテンダントだという。その事実を受けて(……)さんやらがまた(……)を腐すようなことをいうので笑ったが、あとあれだ、(……)が、都合がいいんじゃない? といい、なにが? なにが都合がいいの? と(……)がきくと、フライトのときは連絡が取れなくなるから、そのあいだにべつの女と、と人聞きのわるいことを言っていた。(……)は心外だというようすだったが、まあちょっとチャラいところがあるし、高校のときからだいたいいつも恋人がいたような調子だし、そう言われるような雰囲気はあって、じっさいにももしかしたら軽い浮気くらいは過去にしたことがあるかもしれない。(……)さんからも、離婚したときといまの恋人との交際はかぶってなかったの? と言われ放題だった(離婚はもうだいぶまえなので重なっていない)。恋人が二六歳だということが明かされた瞬間、(……)か(……)さんが、やっぱり年下なんだね、と声をあげたが、それは高校のときに付き合っていた彼女を踏まえたものだろう。三人目が後輩だったなとこちらがさしこみ、二人目が一個うえの先輩だったのもおぼえてる、なんつったっけ? なんかめずらしい名字のひとじゃなかった? と(……)にきくと、(……)、とかえったので、ああそうだ、そうだった、とおもいだした。ひとりめはよくしらないしおぼえていない。二人目、三人目とも吹奏楽部の同僚だった。卒業後は専門にすすんでそこで(……)さんと会い、バンドのボーカルとベースとして一時付き合っていたが(こちらも誘われてそこでギターをやっていた)、バンドが自然消滅したのと並行してかれらの関係も切れたのだった。(……)さんはプロデビューを目指してしばらく活動しており、ちいさなものだが映画の主題歌をもらったり、プロミュージシャンをバックにしてライブしたり、たしかニコニコ動画かなにかで弾き語りを配信したりしていたが、けっきょく芽が出ずに終わり、いまはどうしているのかまったくわからない。ドラムをやっていた(……)はプロとして活動しているようで、いま検索したらOfficial髭男dismの新曲にちょっとだけ参加したとかTwitterで言っていたのでおどろく。やりよるわ。
 (……)についてもそんなにあらたな情報はないが、しごとのはなしなどあらためてきく。駅からの往路でもたしょうきいており、さいきんは面倒くさいやつになってる、というのでどういうことかとおもえば、しごとがらひととはなしていてもものごとの本質を問うような態度を取ってしまい、だからそこまで深くかんがえていないひとにとっては面倒くさくおもわれるだろう、というようなこと。意識の高いビジネスマンって感じかとこちらは受けたが、他人に意見やアドバイスを言ってもらったり、悩みをかかえていながらじぶんではうまく整理できていないようなひとにとってはよいだろうとのこと。じっさいこの前日だかにも飲み会があって、その席で後輩だか部下だか年若のひとたちからいろいろ相談されたといい、とちゅうからおれの人生相談コーナーみたいになってた、といっていた。ベンチャー的な会社にあたらしくうつり、そこの社長がやり手で優秀で、いろいろまなばせてもらっておもしろいということは年末に会ったときにきいていたが、部署としては事業開発部に属しているらしい。しかし聞けば業務は多種にわたっており、いろいろな部門とかかわっているよう。社長が本をたくさん読むひとで社長室にある本を貸してくれるからそれでいろいろ読んでいるとは前回言っていたが、さいきんもそこそこ読んでいるようで、どんなの読んだ? ときけば、なんとか学園という学校を運営しているひとの本とか、自己啓発系とか、あとわすれたがいくらか挙がっていた。それでこちらもこのあいだ集英社新書プラスのページで読んだ教育関連の対談記事をおもいだし、おれもこういうの読んだわ、けっこうおもしろかった、と言った。(……)が(……)にしごとの説明をしているとちゅうだったかにこちらのこともきかれたので、大学を出てから文学なんてものにはまってしまって、読み書きをやりたいのでフリーターをしている、こんどちょうどここで実家も出て(……)に住むことにした、とはなしたが、わりとこういうときのお定まりで、書いたら読ませて! と(……)がいうので笑った。作品らしいものを書く気配は一向にない。こちらのことをそうしてはなしたのはさいしょのうちと(……)のはなしのとちゅうと二回くらいに分かれてあったとおもうが、後半のときには、そう、(……)さんはどんな本を読んでるのかときかれたのだった。(……)のその問いに(……)がにやにや笑いながら、それだいじょうぶ? 覚悟できてる? などと言い、べつにこのような席で文学なんかについて滔々と語るつもりもないのだけれど、こういうときのこれも手軽なお定まりで、芥川賞直木賞ってのがあって、直木賞はいわゆるエンタメで、ストーリーを重視しててストーリーのおもしろさで引っ張っていくようなやつなのね、で、芥川賞のほうの本はあんまりストーリーって感じじゃなくて、ことばの表現だったりとか、なんかそういうのをやる小難しいようなやつなのよ、おれが読むのはそっち、という感じの説明をした。(……)は芥川賞直木賞といわれてもあまりピンときていないようなようすだったが。(……)が横から、だからもう芸術っていうか、ことばの芸術みたいなもん、と補足するのに、まあそうだねと受けた。しかし(……)にもそんなにこちらが好きな文学とか、こちらがどういう文章を書いているかとか、過去に語ったおぼえはないのだが。
 (……)さんも看護師をやっており、ずっと(……)にある病院の精神病棟につとめているという。アルコール中毒のひとの、と(……)が言っていたが、そうではなくてアルコール依存症だとかのじょは来たあと訂正しており、そこはこだわりがあるらしいと(……)は受けていたが、たしかにことばの定義として違うだろう。中毒っていうと病気じゃなくて、というようなことを(……)さんがいうので、ああ、とこちらは理解し、そうだよね、急性アルコール中毒だよね、おれの兄貴が大学生んとき一回なったわ、とはなした。(……)さんとは帰りの電車もいっしょになり、そこでもいろいろはなしたのでそのとききいたことももう書いてしまうが、しごとはまあそんなに楽しくはないというか、充実という感じでもないという。精神疾患で入院する患者の世話をしているわけなので、かなりハードだろう。だからたまにこういう席に出てくると、別世界に来たような感じがして、ああ、そうだよね、ふつうの会話ってこういう感じだったよね、とおもってちょっと不思議な感覚をえるのだという。かのじょが来るまえに(……)が、(……)もまえは男の人が苦手だったけど、と言い、(……)も、このひとぜんぜん目合わないなっておもってた、と高校のときのことを言い、それに(……)が、目合うようになるまで一年くらいかかった気がする、と笑っていたが、(……)によればいまはもうぜんぜん大丈夫、ふつうにはなせる、ということだった。じっさいそうで、電車内でそのへんのことをきいてみたところ、いやいまも苦手ですよ、と返り、でもまあ職場でははなさざるをえないからそういうふうになるし、まあ成長したのかな、とかいっていた。(……)さんも昨年だかに結婚したというが、旦那はこちらと中学がいっしょで、二個上で卓球部だったというのでおれも卓球部だったよと言い、じゃあもしかして知ってるんじゃない? となった。(……)という名字らしい。それをきいて記憶を探ってみるに、たしかに(……)、「(……)」と呼ばれていた先輩がいたような気がしないでもなかったが、なにしろあいまいで、一個上ならいろいろおぼえているが二個上の先輩はほぼわすれた。電車内で写真を見せてもらっても、記憶にひっかかりはなかった。部活で過ごした時期がかぶっていたとしても、さすがにあちらもこちらももうおぼえていないだろう。おれがはいったときの二個上の部長は(……)というひとだった、とは伝えておいた。それで旦那がわかるようだったらおなじ時にいたことになる。宴席で記憶をさぐっているあいだ、いままでながいことおもいだすことがなかった卓球部当時の先輩の顔がけっこう出てきて、しかもなまえまでわかるのでわれながら驚いた。一個上の部長だった(……)先輩については何か月か前にもおもいだす機会があって日記に書いたおぼえがあるが、わりとイケてる方面の男子で、ほがらかで人当たりがよく、下ネタを言ってわれわれ後輩とコミュニケーションをとりながらもそれがいやらしい感じにならない爽やかさをもった好青年であり、女子ともけっこうはなしていたはずで、いまからおもいかえすとずいぶん格好良くおとなに見えた、素敵だったなというはなしだ。こちらが女子の後輩だったら惚れていたかもしれない。(……)先輩も過去に日記に一、二回綴った気がする。背は低かったが髪型をオールバック風に決めていて、やや乱暴なことばづかいをしがちだったものの高圧的な感じはなく、こちらとは住んでいる地区がおなじなので近所の公団にいた(……)(かれも一個上で(……)先輩、すなわち「(……)くん」の同級生)といっしょに三人で帰路をたどることがよくあった。(……)先輩は車とかオートバイが好きで、とうじすでに家でバイクいじりもしていたとおもうし、その後はそっちの方面に行って(……)だったか(……)だったかどこだかのイエローハットではたらいているということを、高校だか大学くらいの時分に出くわして聞いたことが一回だけあったはず。そのふたりにくわえてこの日おもいだしたのが(……)先輩と(……)先輩(あるいは(……)だったかもしれないが、いずれにしても「宮」の字がついたのはたしかだ)で、(……)先輩は背がかなり低くて小学生くらいしかなかったとおもうが、それにそぐうて声の高めでまあいたずら好きなやんちゃボーイみたいなところのあるひとで、顔は白く、ほとんど不健康なほどに白くて、そのなかで唇が、厚いとまではいかないけれどすこしきわだつような感じだった。スタイルはカット。(……)先輩もカットで、かれは背は高めだったが気の弱そうなひとで、カットをするときのなんというかある種の盆踊りみたいなうごき、そのすがたがいま脳内で視覚像となってあらわれている。かれのうごきかたはやわらかく、比較的なめらかだったが、(……)先輩のほうはもっとどたどたとしたような、ガニ股で歩幅をちいさくバタバタ踏むような感じだった。かれらふたりのことをおもいだしたのはいつぶりかわからない。ここ一五年はまずなかったのではないか。さらに(……)先輩や(……)先輩(このひととは小学校のときから面識があったので「(……)ちゃん」とかなんとか呼んでいたはずだが)の顔なんかも出てくる。
 そろそろかなり面倒くさくなってきているのだが、居酒屋をはなれてカラオケの段にうつろう。一〇時くらいに退店。ひとり二三〇〇円だった。(……)駅のほうへ。道中のことは省略気味に行くが、まえを行く(……)さんが片手に持っている傘にとなりの(……)が目をとめて、あれおもしろい傘だなというのでみてみると、たしかに、(……)さんが持っているほうが細くすぼまっていて、地面にちかいほうが厚くなっているのでつうじょうと逆にみえ、反対にもっているのか? とおもったのだが、それにしたって地面にちかいほうの先端には柄がなく、そのさきは皿型めいて平らになっている。(……)駅のそばまで来たところでそれにふれると、これは逆向きなのではなくてすぼまっているほうが柄で、ふつうの傘でいう内側の面がそとになり、外側の面が内にしまいこまれるようなかたちでたたまれるタイプの傘なのだった。そのようにして濡れた部分が露出しないようなしくみになっているらしい。そんな傘があるとはまったく知らなかった。カラオケは(……)がそとにいた店員と交渉してサービスをつけてもらえることになり、ポテトやらチキンやらたしょう運ばれてきたのだが、こちらはもちろんそんなものを食える腹ではなかったし、ほかのみんなもほとんど手をつけておらず、もったいないことになった。ビルにはいって受付を待っているあいだに女子らが(……)にどういうふうに交渉するのかときいていたが、(……)はその場で身を斜めにし、あいてのちかくに入りこむようなポーズを取って、お兄さんのちからで~、とか実演をやっていた。入室すると部屋は横に広く、ソファが壁際にながくつづいていたが、それはコロナウイルス対策なのかなと誰かが言い、なるほどとおもった。しかしおなじ部屋に感染者がいて歌なんかうたった日には、向かい合っていなかろうがマスクをつけていようがたぶんもうだめだとおもうが。カラオケという気分でもなかったのだが来たからには全力を尽くそうとおもい、とはいえなにを歌うかという持ちネタがおもいつかず、さいきん邦楽などFISHMANSくらいしか聞いていないし、そもそも音楽をたいしてきいていない。しかたがないのでミスチルの"Everything (It's You)"でもういいやとおもい、三番手くらいを引き受けた。「世間知らずだった少年時代から」の「か」でおとが一音だけルートであるGにあがるのがまあポイントと言って良い箇所で、出るかどうか自信がなかったがわりと問題なく飛ぶことができ、サビのステーイという長音もおなじGだけれどここもふつうに出せたので喉の調子はそこそこだった。せっかくなのでわりと熱唱した。うまいといわれる。こういう場でいちおうはうまいといわれるくらいの歌唱力はもっている。そのあとも二曲歌うことになったが、二曲目はthe pillowsの"Funny Bunny"でいいやと決めて、三曲目はマジでもうネタがなかったのだが、おなじthe pillowsの"Boat House"でいいやと歌い、三曲目のころにはもう疲れていたのでキーも下げてちからを抜き、間奏でからだを揺らしているうちに衝動が来たのでさいごだけがんばった。みなが歌っていた曲で印象深いものはべつになかったが、ただ(……)さんがうたっていた優里 "ドライフラワー" という曲だけそこそこ記憶している。優里ってだれやねんという感じで初見の名でありまったく知らなかったのだが、冒頭のギターがシャカシャカやっているのがJ-POPにしてはまあ、まあまあという感じで耳を惹き、曲や旋律としてもJ-POPの範疇ではけっこういいんじゃないのとおもわれた。いま検索したらこのひとは男性で、それで(……)さんがAやBでは低く歌っていたのだなとおもった。そういう音域をつかう女性のうただとおもっていたのだが。(……)さんの声は意外にもと言っては失礼だがけっこう凛々しいような感じで格好良かった。
 もうこの日のことは終わりにしよう。帰路のことは省略したい。(……)駅の駅舎内にのぼったところでみなで写真撮影((……)さんは一一時二〇分くらいでさきに帰っていたのでのこりの五人)。(……)は(……)なので小田急に行き、改札内で(……)と(……)は違う方向。こちらと(……)さんがいっしょ。帰りの電車内では(……)さんとはなしていたわけだけれどけっこうはなしはつづき、途切れる時間はあまりなかった。はなしながらしかしこちらはそこそこ苦しくなっており、嘔吐恐怖の緊張もたしょうあったが、むかしからこういう飲み会のあとなどよくなるもので胃から空気があがってくるような感じがあり、これはやはり逆流性食道炎というか、食道に炎症ができているかは措いても胃液やらが逆流しているのだとおもうが、それでちょっと骨だった。はなしているほうがむしろ楽なようだった。地元についたあたりでおさまるのではなくむしろ悪化しており、これも過去からよくあることだがみちをあるきながら喉に液体があがってきてしゃっくりが出そうになり、酸っぱくはないのだけれどあれも胃液なのだろうか? 間歇的にそれが来るのできもちもわるいし、からだが内から圧迫されたり突かれるような感じでもあり、胃だけでなく背中のほうも痛むし、なかなか難儀で、口内にたまる液体を飲みこむのもちょっと不快なので、深夜一時でひとがいないのをよいことにおりおり吐き出しながらすすんだ。帰るとベッドでしばらく休んで、なんとかおさまったかなというところで入浴へ。健康がなければなにもできん。