2022/6/2, Thu.

 若い大胆な研究者は、胎生学の本を鳩尾に当てて、有機体の成長を追求した。彼は、多数の精虫の中の一つだけが群を抜いて、尾の顫毛 [せんもう] 運動によって前進し、頭のさきを卵子の膠状被膜へぶつけ、卵膜の原形質が迎合するように膨らませている受胎丘へ突入する瞬間から始めていった。この単調な過程に変化を与えようと、自然はあらゆる茶番、滑稽を演ずるのである。ある動物の雄は雌の腸内でぶらぶら暮しをしている。またある動物では、雄が雌の口腔から胎内へ腕を入れ、そこへ子種を置くとその腕が嚙み切られる。やがてその腕は吐きだされ、指で立ってすたこら逃げだすのである。これに一杯食わされていた科学は、その腕にギリシア語やラテン語の学名をつけ、それを独立した生(end578)物として取扱うべきだと長い間考えていた。ハンス・カストルプは、二つの学派、卵源論者と精虫論者の論争を読んだ。前者が、卵子こそ小さいが完全な蛙、犬、人間の元であり、精虫はたんにその生長を刺激するだけであると主張するのに対して、後者は、頭と腕と脚を有する精虫を未来の生物の原形と考え、卵子はその培養基にすぎないという。――しかし結局両派は妥協して、卵子細胞も精液細胞も、元来区別しがたい生殖細胞から発生したものとして、両者のいずれにも同等の功績を容認することにした。ハンス・カストルプは、受精した卵子の単細胞有機体が、卵割、分裂によって多細胞有機体に変ずる道程を追求してみた。また、細胞体が結合して粘膜葉をなし、この胚胞が陥没してひとつの杯形の空洞を形づくり、この空洞が栄養を摂り、消化の作業をはじめることも研究してみた。これは腸蛹 [ちょうよう] 、つまり原生動物あるいはガストルラとも呼ばれるもので、あらゆる動物生命の原形であり、肉を素材とする美の原形でもある。その内外の表皮層、つまり外胚板と内胚板は原始的器官であって、これが陥没と外翻とによって、腺や組織や感覚器官や体突起になる。外胚葉の一片は凝固し、溝状の皺を作り、閉じて神経管を形成し、脊柱や脳細胞になる。ハンス・カストルプは、膠質細胞が粘液素の代りに膠質物質を作りだし、それによって胎膜粘液が凝固し、それが結締組織や軟骨となり、さらにある結締組織細胞が、周囲の体液中から石灰塩と脂肪を吸収し、骨化することを知った。人間の胎児は、母胎内に丸くなってうずくまり、尾を有し、豚の胎児とまったく同(end578)じで、長い腹腔茎を持ち、切株のように不格好な四肢を有し、醜悪な顔を大きな腹の上に伏せている。真理に対して真摯で陰鬱な胎生学によれば、この胎児の成長は、系統発生史の小規模な反復である。胎児はしばらくがんぎえい [﹅5] のように、腮囊 [えらぶくろ] を持っていた。胎児が辿る成長段階から、原始時代に完成した人間が示していたあまり人文的とはいえない風貌を想像することは、許されるし、それが当然とも思われた。当時の人間の皮膚は、昆虫類を防禦するために痙攣的筋肉を有し、密毛に包まれ、大きな面積の嗅覚粘膜を持ち、耳は突っ立って、よく動き、顔の表情とも密接な関係を持ち、今日よりも音を捉えるのに適していた。またその眼は、垂れ下がった第三の目蓋に保護され、頭の側面についていた。今日松果腺としてその痕跡をとどめている第三の眼は、上空を監視できた。その他に当時の人間は、非常に長い腸管と多くの臼歯を有し、喉頭に咆哮用の音響嚢を持ち、腹腔内に男性生殖腺を備えていた。
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、577~579)



  • 「英語」: 823 - 836, 691 - 700


 八時五〇分に覚醒した。さくばんははやめに、二時半すぎには消灯して寝ることができたのだ。よいことだ。天気は文句なしの快晴で、カーテンをあければ窓のむこうに雲は一滴もなく、まっさらな水色がガラスを満たしてひろがっており、ひかりもベッドのうえにあたたかく宿る。布団のしたでしばらく深呼吸しながら腹を揉んだり、こめかみや頭蓋を揉んだり首を伸ばしたりした。それで九時半に起床。ティッシュと消毒スプレーでコンピューターを拭いておき、洗面所に行くと顔を洗ってみずを飲んだ。トイレで小便をするともどって読みもの。きょうはすぐにサリンジャーを読むのではなく、部屋にもってきていた新聞をまずすこし読んだ。これはきのうの夜に読んだ分だったとおもうが、五月二六日木曜日の国際面には、ミチェル・バチェレ国連人権高等弁務官が訪中して習近平とオンライン会談したものの、ウイグル族の状況改善にはつながらずという記事(「国連訪問 ウイグル冷淡/人権侵害「実態わからない」/習主席 抑圧を正当化」という見出しの記事)があり、つぎのような情報が記されていた。「 [新疆ウイグル] 自治区では「親戚関係を結ぶ」と称し、党幹部らがウイグル族の各家庭の貧困対策などを担当する制度もある。各家庭の生活にまで入り込んで監視や政治教育を行うことが目的とみられる。中国メディアによると、党幹部ら少なくとも約一一〇万人と、ウイグル族約一七〇万世帯が「親戚」となっているという」とのこと。
 そのあとサリンジャーライ麦畑でつかまえて』。このタイトルはゆうめいでむかしから耳にする機会がよくあったもののその意味はわからず、いまのところライ麦要素がなにもないのだが。ニューヨークのホテルについてストリッパーだとかいう女性に電話しながらも会合をとりつけられなかったホールデンは、ホテルのロビーに下りて「ラヴェンダー・ルーム」というバンド演奏をやっているクラブだかバーみたいなところに入り、みんな「ブス」だという三人の女性客(となりのテーブル)に目をつけてダンスに誘い(そのうちのひとりのブロンド女性はまだ良い女だといって、主にかのじょを目当てにしている)、踊ったりはなしたり交流しているが、そのうち女性らは三人そろって席を立ち、あしたラジオ・シティのミュージック・ホールの早朝興行に行くと言って去ってしまい、それいじょうなんの関係も生まれない。うだうだやってんなあ、という感じ。そのあとまた女友達ジェーンのことが気になって、かのじょは寮で同室だったウォード・ストラドフォードとデートしたあいてで、車のなかでかのじょはストラドフォードとさいごまでやったんだろうか、いやジェーンのことだからそんなことはないとおもうが、みたいな調子でやや煩悶している。帰ってきたストラドフォードがそのへんをはぐらかしたのにホールデンは怒り、殴り合いの喧嘩になって、それでもう水曜日を待たずに学校を去っちまおうというわけで出てきたのだった。
 一〇時二五分にいたると書見をやめ、本にしおりをはさんで枕元に置き、起き直って瞑想をした。窓外で鳥がじつににぎやかにしている。ききわけられる範囲ですくなくとも三種だろうか。摩擦感のつよい鳴き声の鳥が二匹おり、ピヨピヨやっているそのうちのいっぽうは明確な音程をもった声をときおりはさみ、全音間隔の二音をくりかえすので、ペンタトニックスケールのルート・短七度・ルートという往復で解決するときのおもむきである。それと同時にすこし奥のほうで三連符をひたすらにくりかえすものが一匹いて、みんなそろって飽きもせずにおなじパターンを反復して一時間でもつづきそうな調子だが、じきに飛び立ったらしく葉のガサガサいうおとが聞こえて声も散開した。座っているうちに例によって便意が生じてきたので二〇分もできず。
 上階へ。母親は友人の(……)ちゃんと会いに行っている。父親はきのうから山梨に行っているので居間は無人。家にじぶんひとりということほど良いことはない。ジャージにきがえてトイレで糞を垂れ、洗面所で顔を洗ったりうがいをしたり。食事は昨晩の餃子や汁物ののこり。サラダもすこしのこっていたがキャベツをもうすこし食べたかったので包丁で薄く削ぎ落とすように切って、合わせて大皿に盛った。食卓につくと新聞をみながら食事。ブチャのある市民の体験談など。コロナウイルス感染者はいちおう順調に減っている向きで、すこしまえまでわが(……)でも一日三〇人とか四〇人とかそれいじょうだったがいまは一〇人ほどの増加になっているし、ほかの地域をみてもあきらかに減少、東京都では二三〇〇人とかそのくらいで、全国でも二万二〇〇〇人ほど。これはきのうもおなじくらいの数字だったが、一週間前には三五〇〇人とか三万人超えだったので、数字だけみるなら新規感染者は減っておりウイルスの勢力は弱まっているとみえる。ただオミクロン株の新型変異がまたみつかっており、それがやはり感染力がよりつよいとかいうはなしもあるようなので、またそのうち拡大するのかもしれない。後遺症の問題もある。そういえばきのう書いた二七日の記事は帰路の電車内のことを面倒くさくなって省略してしまったが、病院の精神病棟につとめている(……)さんは職場ではやはりそのあたりかなり敏感な空気が醸成されているといい、たとえばきょうこうやって飲み会に出てきたとかぜったい言えないし、ひとりでどっか出かけたっていうこともぜったい言えない、といっていた。もうみんな慣れてきちゃってるよね、韓国なんかではインフルエンザとおなじ扱いになってるらしい、というと、でもそうなってほしい、感染したとしてもふつうっていうか、そうなってほしい、という返答があった。上海のロックダウンも解かれるという報が一面にあったが、これはまだ読んでいない。林真理子が日大の理事長になるかもという報もあった。文化面には瀬戸内寂聴の晩年をうつしたドキュメンタリーについてとか、四一年から四五年くらいまで昭和天皇の侍従武官をつとめていた坪島文雄の日記について。きのうの夜に読んだ数日前の新聞でも記事になっていた。昭和天皇の戦況についてのかんがえとか、特攻隊の映画を見て涙したとかそういうことが記されているという。質問にきちんとこたえられるように数字などをかなりこまかく正確に記録しているので、天皇やそのまわりがどういう情報を得ていたのかという点からも研究の価値があるとのこと。
 食後は皿を洗い、風呂も洗い、白湯を持って帰室し、Notionを用意してウェブをちょっとだけみると、音読をはじめた。「英語」。一二時半すぎくらいまで。「読みかえし」のほうは措き、きょうはもう日記を書きはじめることに。白湯をおかわりしに上階にあがったさいに屈伸とか開脚とかしてからだをたしょうほぐした。あときょうは音読のさいにもダンベルをもった。胃の感じはよくなってきている。逆流の感覚はほぼない。内臓じたいはまだちょっと敏感な感じもあり、腹の付近に点状のノイズが生じることもあるが。油断せずに太田胃散は飲んだ。しょうじき効果があるのかわからんが。ここまで書くと一時半前。ほんとうはきのうまでで日記をかたづけてきょうとあしたで(……)にでむき家電などを買い、あさって四日に(……)の軽トラで家から荷物を運搬、それでもう引っ越し完了とするあたまだったのだけれど、けっきょく日記もできたのは二七日まででぜんぜん終わっちゃいないし、インフラ方面の手続きもなにもしていないし、もう正式にうつるのは来週でいいかなという気分になってきている。ガスは立ち会いが必要だとかいうからすぐに通らないだろうし。とりあえずきょうでなんとか日記をかたづけ、きょうあしたで荷物をまとめておき、四日に運搬、その日と五日((……)および(……)くんと会う)で家電などを揃えられるだけは揃え、いちおう暮らせるようにはしておいて来週転居という感じか。あと役所のほうにも届け出を出したりしなければならないのか。そのへんちっともわからんが。


 それからとりあえずきのうの日記をかたづけ、そろそろ二時もちかいし洗濯物を入れてしまおうかなとおもっているとインターフォンが鳴るのをきいたので、これを機にあがることにしようとやや急いで部屋を出て階段をのぼり、はい、すいませんとかいいながら受話器ととると佐川急便だった。すいません、ありがとうございますと受けて玄関に行き、そこにあったボールペンを取って出ると、空気のまぶしさのために顔はあまりよくみえなかったがそこそこガタイのよい若い男性の配達員がちいさな箱を持って立っており、サインをするようだとおもっていたところがあ、大丈夫っすよ、ボックスにしといたんで、と、大学を卒業してまださほど経っていないような年ごろをおもわせる低めの口調と声色でいうので、礼を言って受け取った。扉をあけたままにしてちょっとそとに出て、ひかりのまぶしさをみつつポストを確認すると封筒がひとつあったのでそれも回収しておき、室内にもどるとベランダに行って洗濯物をとりこんだ。風がつよく、ベランダに出たときにも吹き荒れてタオルを吊るした集合ハンガーが遊園地のアトラクションのようにおおきくゆれ、物干し竿に洗濯バサミをつかってハンガーの掛け手をとめられている母親の上着も、縦に吊られてかかるのではなく横になって竿にまつわっているような状態だった。それらをなかに入れ、ひとまずタオルだけたたんでおく。たたみながら日記をさっさとかたづけなければとおもい、しかし現在時に追いついたところでまたつぎの瞬間から書くことが生じはじめ、このいとなみそのものをやめてしまうかそれか縮減しないかぎり、死ぬまでずっとつづくんだよなあとおもった。そこからビンビサーラのことをおもいだした。磯崎憲一郎『肝心の子供』のなかに、他国の王だったかわすれたがビンビサーラという人物が出てくるのだけれど、その人物についてつぎのような一節があるのだ。「このように考えてみることはできないだろうか? ビンビサーラは生まれてからこれまでずっと、ひとつの文を話しつづけている。途中で中断や転換はあるにしても、まるで永遠につづくかのようにながい、ただひとつのおなじ文をひたすら話しつづけている。だが、とゴータマは思い直した、これは人生が途切れなくつづくことの、単なる言い換えにすぎない」みたいな感じだったはず。じぶんの日記はこれに似ているかもしれない。
 それでじゃあこたえあわせをしてみるかということでEvernoteをひらいて過去の書抜きをみてみると、以下のような記述だった。けっこう合っているが、ブッダではなく、ラーフラだった。
 

 こう仮定することはできないだろうか。ビンビサーラは物心ついたときから以降もうまもなく臨終を迎えるいまに至るまで、途轍もなく長い、ひとつながりの文章をしゃべり続けている。途中には話題の転換や逸脱、休憩が入ることはもちろんあるにしても、彼がいま語っている事柄は常に、なんらかの形でそれ以前の話を踏まえたものにならざるを得ないのだから、それは長い長い一本の文章を語っているのと同じことではないか。だが、そこでラーフラは思い直した。これは人生の時間が途切れなく続いていることのたんなる言い換えに過ぎない。彼はふたたび人間の人生が過去でできていることに思い当たった。どんな時間でも過ぎてしまえば、人間は過去の一部分を生きていたことになるのだけれど、ここで不思議なことは、今このときだっていずれ思い返すであろう過去のうちのひとつに過ぎないということなのだ。だから、という繋がり方はラーフラにもうまく説明はできないのだろうが、ビンビサーラもまた生き続ける、彼が話し続ける限り死ぬこともない。
 (磯崎憲一郎『肝心の子供』(河出書房新社、二〇〇七年)、79~80)

 この小説は二〇一三年にいちど読み、二〇一四年の三月に再読したらしい。たしかそのあともういちど読んだのではないかとおもうが、書抜きは六つしかなかったし、せっかくなのでNotionのほうにもうつし、「読みかえし」記事にも追加しておいた(過去に読んだ本の書抜きはほんとうはぜんぶNotionに移行したほうがよいのだが、面倒くさいのでやっていない)。したの記述が当時好きで、こういう風景描写書きたいなとおもってがんばっていたものだ。

 思い返してみれば、確かにこの場所に一歩入ったときから、どこか奇妙に大袈裟な感じはあったのだ。野生の白い牛が三頭、野原のほぼ真ん中あたりに、前脚をきちんと折り畳んで寝そべっていた。彼らはブッダたち一行が近寄って来て傍らを通り過ぎようとしてもまったく動じることなく、三頭がそれぞれにどこか遠くの一点を凝視しながら、反芻する口を長い呪文でもつぶやくように、規則的にゆっくりと動かし続けているだけだった。牛の瘦せた背骨と皮のうえには、何匹もの蠅が留まっているのが見えたが、これらの虫でさえもじっと動かず、春の太陽を浴びて、黄金に光り輝いていたのだ。タマリンドの老木の、分厚いコケの生した大人の両手ふた抱えもある太い幹には、雪崩れるようなうすむらさきの藤の花が幾重にも巻きつき、そのむらさきが途切れるところから下は、桃色や赤や白(end39)の芝桜が流れ広がって、ブッダたちの座るまわりまでを囲んでいた。こぼれ落ちそうになりながらスズメバチが必死に、なんとかかろうじてひとつの赤い花にしがみついていたのだが、風に揺れて、とうとう花から振り落とされてしまうと、今度はあっさりと、何の未練も見せず橙と黒のまだらにふくれた腹を曝けながら、直角に、頭上の空へ飛び立って行った。そのまま上を見あげると、木の葉の深緑は強い日差しを受けて反射し、吹くすこしの風にも裏を返して緑の濃淡が混ざり合うそのさまは、まるで渦巻く青粉の沼面を見ているようだった。離れた川岸のほうへ目をやると、冬の間に朽ちた赤茶色の湿った枯葉の残る黒土の地面から、ところどころ新しい芝生が芽を出していた。雲雀の雛たちははじけるような甲高い声で鳴きながら、一瞬小さく飛び上がってはすぐまた芝のなかに隠れる遊びを繰り返していた。さらに向こうには銀色の春の川があった。その、全体として作(end40)りものめいた、神話絵巻に描かれた一場面のような光景に見とれているあいだも、ブッダは自分の息子のことを決して、一瞬たりとも忘れていたわけではなかった。水色の服を着たラーフラはすぐ横の芝の上に尻をついて、足を投げ出して座り、正面の何かに気を取られながら、口に苺をふくんでいた。と、口から唾にぬれた赤い実を取り出し、振り返ってブッダに微笑んだ。小さな子供はすでに風景の側の存在だった。
 そのとき何ものかが近づいてきた。音だった。それは最初、村から追い出されて山にこもった狂人の叫び声か、遠くの高い空で鳴る雷かとも思ったが、大きくなるにつれ頭上からふたりを包み込むように広がった。セミが鳴いていた。タマリンドの木の上のほう、姿は見えないがセミの鳴き声が低く、途切れることなく辺りに撒かれていた。それにしてもいったいこの季節にセミが鳴くものだろうか。(end41)しかし間違いなくセミは鳴いていた。音に色彩が伴うなどという、そんな経験はブッダにもいままで一度もなかったのだが、この音は黄緑がかっていた。黄緑に着色された靄のようなもので彼らのまわりを足元から埋めて行った。そのなかを、地面の花すれすれに低く、一羽の紅茶色のシジミ蝶がふたりの前を横切り、ふらふらとしかし何ものかに導かれるように通り過ぎて行った。ラーフラは立ち上がり、蝶を追いかけて、小さな子供には似合わぬ速さで走り抜けた。ブッダはその場にひざまずき、空に向かって両手を大きく広げた。三十年間生きてきた意味がいまようやく会得された。彼が愛してやまない子供は、確かに彼から生まれたことに疑いようはなかったが、しかし頭のなかであれこれつくられた思想や虚構などではなく、まったく別個の肉体をもって、現実の世界に生きている。ラーフラが生まれその姿を初めて見たとき、間違いなく誰かに似ていると思ったが、その(end42)誰かとは、ラーフラ本人に他ならなかったのだ。生まれてきた我が子を、自分はずっと以前からよく知っていた、これほどの世界の盤石さの証明がほかにあるだろうか。ブッダが一生を費やしても、これ以上の何かを作り出せるはずはなく、彼の人生で成すべき唯一最大の仕事はすでに終わっていることを悟った。まだ彼は幽霊ではなかったが、生の義務感から解放され、限りなく身軽な自分を感じていた。後ろめたいまでの幸福感が広がっていた。ということはつまり、みずからの死期は近いのかも知れないという予感はあったが、その恐怖心ではもはや彼をいままで通りの生に復帰させるには足らなかった。
 (磯崎憲一郎『肝心の子供』(河出書房新社、二〇〇七年)、39~43)


 (……)さんのブログ、五月九日。したのひとつめは檜垣立哉ドゥルーズ入門』の書抜き。たぶんこの本だったとおもうが(とおもって検索したがそうではない、NHK出版の「シリーズ・哲学のエッセンス」の一冊である『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』だ)、読み書きをはじめた二〇一三年ごろか、ことによるとそれいぜんにいちど読もうとしたことがあり、しかし「卵」(たしか「らん」という読みではなかったか)だったか「孵化」だったか、そんなような比喩的な概念をつかった説明がまったく理解できず、入門書なんだからもうすこしわかりやすく書けよクソがとおもって断念した記憶がある。

 潜在的なものとは、現実的(actuel)ではないが実在的(reel)なもののことを指す。潜在性と現実性という概念が対をなしていることが、ベルクソンの議論の根幹をなしている。そして潜在的なものがそれと混同されてはならないのが、まさに可能性(possibilite)の概念である。可能的なものとは、現実的なものの位相にあるにすぎない。これはどういうことか。
 ベルクソンにとって、実在は持続(duree)という、分割不可能な流れである。流れは、それを分断して切りとるならば明確なかたちをとるかもしれない。しかし実在は、そうした空間化において描ききることはできない。実在は時間のなかで、不可分の仕方で連続し、そのあり方を変容させていくものである(ベルクソンが、ゼノンのパラドックスにこだわって、時間的なものを空間的なものに還元してしまう思考を徹底的に排除したのは、この点による)。すっかり空間化されたものは、外延的(extensif)なものである。それは相互に独立した単位から成り立っていて、幾何学的な等質性を形成している(それはどれほど下位単位に分割されても、その性質を変えるものではない)。それに対して、実在するものは、流れとして時間的なものである。それらは、そのそれぞれが内側から結びつくような仕方で連関し、等質化されることはありえない(分割されるとそのあり方を変えてしまう。ばらばらにされたメロディーがもはやメロディーではないように)。これが、まさに内包的(intensif)と描かれる事象である。外延的で空間化された位相ではない、あるいはそこには回収されえない内包的な実在こそが、まさに持続である。潜在的とは、そのあり方を指し示す言葉である。
(…)
 この場合、流れの実在としての潜在性は、可能性として描かれうるものではない。「可能と実在」の記述に見られるように、流れにおいて、何か新たなものが創造されることが問題なのである。たとえば新しい文学が生みだされ、新たな潮流が形成されたとする。するとひとは、そうした新しいものは、過去に「可能的」に埋め込まれていたもので、そのひとつが実現されたのだと考えやすい。しかしそうした思考において、可能性とは、すでに実現したものを過去に投影することから成り立つものでしかない。ベルクソンはこれを、可能性にまつわる「回顧的」な錯覚と見なしている。つまり可能性とは、すでに過ぎてしまったことを後ろ向きに見直すことによって形成されるだけのものなのである。だがそれは、流れる時間を、流れた後で、空間化して捉えているにすぎない。
 ベルクソンは、最初の著作である『時間と自由』の議論において、こうした主張の原型を提示している。自由の議論は、往々にして、複数の選択肢のなかで、いずれを選ぶのかという状況において把握されやすい。だがそれでは、複数の選択肢があらかじめ定まっていて、そのなかで、どれを選ぶのかということに話が切り詰められてしまう。しかしそうした「複数の選択肢」とは、どこで誰が描いたものなのだろうか。それは時間が過ぎ去ってしまって、流れを空間化した後に捉えられるだけのものではないのか。流れている現場とは、つまりそこで自由が見いだされる(ベルクソンの言葉でいえば)「持続」的な場面とは、複数の選択肢そのものも形成される、そうした位相ではないのか。
(…)
 ではそのような、流れのあり方そのものとは何なのか。それは回顧的に見ればさまざまな可能性が埋め込まれているが、それ自身としてはいまだ何であるのかが決定されているわけではないものである。この流れを「かたち」にしてしまえば、それは現在において見えるもの、摑むことのできるものである。だが流れのなかにあるわれわれは、実際にはある「かたち」を形成することのできない流れそのものを、存在するという現場において見抜いている。「かたち」になりはするが、いまだに「かたち」として現出しえないものが、生きているということである。見えるものに潜んでいる見えないもの。そうであるがゆえに、現実が多層的で変化することを、つまり時間的に実在していることを成立させているもの。これが潜在性のモデルである

     *

19時から歓びなき労働。店内BGMはRicardo Villalobos『Vasco』とCarl Craig & moritz von Oswald『Recomposed』。ひたすら鼻をかみつづけるだけの7時間。店の備品のティッシュを使いきってしまった。仕方がないので途中からは手鼻をかんでは洗面所で手を洗うを繰りかえした。それさえもがだるくなってきたのでしまいには鼻水が垂れてこようがお構いなしにしていた。したら店の床に手のひら大の水たまりができた。塾帰りとおぼしき少年が入ってきて「ここってワンピースとかありますか?」と言うので、「あーごめん、そういう普通のはないんです」と答えた。ほんの十数秒のやりとりであったとはいえあの少年は店内を縦横無尽に彩るさまざまな裸体を目に焼きつけたに違いない。糧にせよ! 深夜には若いカップルがやって来た。やって来るなり性具を漁りだすのはだいたいいつものパターンなのだけれど、女のほうが懐から財布を取り出してそこから万札を引っこ抜きそれを男に手渡してじぶんの選んだバイブをレジに持っていかせるという一連の流れをカメラ越しに目撃してしまい、いったいこの男は何様なのだろう! 現代に貴族がいるとすればまさしくこいつ以外に考えられない! とおそれおののいた。男は顔がどことなく蠅に似ていた。

 「南門に向けて歩いている最中、いわゆる「駅弁」状態でやってくる学生カップルとすれちがう。こういう恥知らずの来世は良くてカナブン、悪くてフンコロガシといったところだろう」というのも笑う。すぐれた書き手はみな悪口がうまい。「モーメンツでだいたいの動向は追っているので彼女が寧波という都市で働いていることは知っていた」という文で寧波 [ニンポー] という地名も出てきたが、これたしか南京条約で開港した湊のうちのひとつじゃなかったっけとおもってWikipediaをみると、やはりそうだった。なぜおぼえているのかじぶんでもわからないが。ほかは広州、福州、厦門、上海。


 洗濯物を入れてもどってきたあとは日記を書いたり、休んだり、また日記を書いたり。四時半ごろに母親が帰宅。五時前にいたって瞑想した。二五分ほど。もうすこしみじかく、すこしだけやって切るつもりだったのだが、座りつづけてしまった。上階へ行ってアイロン掛け。母親はソファでタブレットか携帯をみながらくつろいでいた。(……)のものだとおもうがアウトレットモールに行ったとか。コーヒーを豆から挽いてもらって買ってきたといい、いいにおいがするとくりかえしていた。じきに台所にうつってカレーをつくりだす。アイロン掛けを終えるとこちらは手伝わずに下階におりてしまい、ここ数日の日記をがんばって進行。七時を越えて前日分まですべて投稿することができ、ようやくしごとがかたづいた。よかったよかった。これでやっと引っ越しのほうにうつれる。めんどうくせえなという感じであまりやる気も出てはいないが。そういえば七時すぎに(……)からメールがあって、四日は何時がいいかとおくって朝はやいほうがいいと返ってきてから返信をしていなかったのだが、あちらからつづけて八時ごろ行ってもいいかときたかたち。八時はきついなと苦笑のニュアンスで受け、一〇時からじゃ駄目かときいてみると、なにか用事があるのか一〇時じゃちょっと遅いなといいつつも了承されたので礼を言ってよろしく頼んだ。あしたじゅうに荷物を用意しておかなければならない。
 夕食はカレーほか。食後はまた腹がけっこう張って胃液逆流のかんじもあったのだが、腹を揉んでいるうちに、みぞおちのあたりを揉みほぐすのがいちばんよさそうだということに気づいた。いままではみぞおちと臍のあいだの地帯を揉むかんじだったが、もっとみぞおちそのものやその周囲、肋骨のきわとかそのうえとかを揉むのがよさそう。かなりすっきりして、逆流感もほぼなくなる。それでその後、入浴中もよくもみほぐしておいた。みぞおちからひろげて腹のほうだけでなく胸のうえももんでおく。目を閉じて感触を調べながらやっていると、ゆびで押すとピリピリした感覚を生む地点がいくらかある。皮や肉がすこしずつ骨からはがれているかのような感じなのだが、おそらくここに炎症ができているのではないか。風呂からもどってくるとウェブを見たり休んだり。それからここまで記して一一時半すぎ。やっとひとまずおちついた感がある。


 そのあとは休んだり、Sophie Hardach, “The languages that defy auto-translate”(2021/3/23)(https://www.bbc.com/future/article/20210322-the-languages-that-defy-auto-translate(https://www.bbc.com/future/article/20210322-the-languages-that-defy-auto-translate))をすこしだけ読んだり、ウェブを見たり。題のついていない散文をほんのすこしだけ書き足したりもした。三時四五分に消灯・就床。