2022/7/30, Sat.

[ジョン・E・ウェブ [*] 宛]
1960年8月29日


 […]経歴紹介が必要な場合は……この書き散らかしたものをうまく纏めていただきたい。1920年8月16日、ドイツ、アンデルナッハ生まれ、ドイツ語は喋れない、英語もひどい。編集者たちは理由もなく言う、ブコウスキー、スペルもめちゃくちゃなら、タイプもちゃんと打てなくて、同じインクリボンを延々と使う羽目になる。そう、彼らはそのリボンがわたしのへその緒と絡まり合っていて、それでわたしがずっと母親のもとへと戻ろうとして(end42)いることを知らない。そしてわたしはスペルをちゃんと綴る気になれない……スペルが間違っている方が言葉はより美しくパワフルな砲弾になると思う。それはともかくとして、わたしはもう年老いている。四十歳だ。十四歳の時よりも絶叫の迫撃砲と混乱した状態とが強く混ぜ合わされるようになっていて、クラシックではないさまざまな音楽に合わせて尻を鞭打つ父親。どこまで書いたのかな? またビールを一口飲ませていただこう……今朝『Targets/ターゲッツ』から連絡があった。12月号に詩が六編掲載されると……「Horse on Fire /燃える馬」、「Pull Me Thru the Temples /教会を切り抜けさせておくれ」とそのほかのできそこない。9月号には「Japanese Wife /日本人の妻」という別の詩が。とてもいいことで、これで三週間か四週間、長く生き延びられる。わたしなりにしあわせな気分になれるから言っておくまでのことで、今はビールを飲んでいる。出版されて有名になれるのかどうかということはあまり大したことではなく、それよりも自分が多分狂っていないとか、自分の言っていることが多少なりともわかってもらえるということの方がいい気分になれる。このビールはやたらとうまく、日が照りつける窓越しに外を見れば、ほほう、あたりにはいまいましい女たち、配当の低い馬たち、癌、梅毒に冒されたランボーやデマスの気配はまったくなく、蜂が近寄らないオレンジの花と腐敗したカリフォルニアの骨を覆う腐敗したカリフォルニアの芝生が目に入ってくるだけ。ちょっと待って。お代わりのビールの栓を開けよう。わたしはこれから三、(end43)四日、デルマーに出かけ、借金をして、配当の低い馬たちの新たな必勝法を見つけ出す。
 次の段落に移ろう。ガー[トルード]・スタインならわたしにそう言ったことだろう。しかしガー・スタが何者なのかはまた別の話だ。わたしたちは自分たちのやり方で何の問題もなく、わたしたちのうちの何人かだけが、蜂やいろんな神やいくつもの月やセルゲ[イ]・ラフマニノフセザール・フランクやワインをこぼしながら[D・H・]ローレンスに話しかける[オルダス]ハクスリーの何枚もの写真でいっぱいの、とんでもなく暗い洞窟の中であくびをする虎たちの助けを得ている。いまいましい。経歴紹介、経歴紹介、経歴紹介……わたしは自分が大嫌いだ、しかし続けなければならない。ブクは酔っ払っていて、さてと、ちくしょう、よくわからない、ある夜酔っ払ってわたしは父親を殴りつけた、十七歳の時で、町を出て家に向かった。父親は殴り返してはこなくて、わたしは気分が悪くなった、わたしはそいつのタネで生まれたわけで……カウチに座って睨みつける、弱虫の臆病者め。わたしはこの腐りきった合衆国のいたるところを旅して回り、仕事をしても何一つ手に入れることはなく、そのおこぼれにあずかったのは全部ほかの者たち。わたしはアカではないし、政治的でもないが、それはよくない姿勢だ。働いた場所ややった仕事のようなものはといえば、屠畜場、犬のビスケット工場、マイ(end44)アミ・ビーチのディ・ピンナズ、ニューオリンズの『Item /アイテム』でのコピー係、フリスコの血液銀行、ニューヨークの空の下四十フィート〔十二メートル〕の地下鉄での酔っ払って金色に美しく光る第三軌条を跳び越えながらのポスター貼り、ベルドでコットン、トマト、発送係、トラック運転手、並みの競馬狂、なまくらな目覚まし時計のようなこの国のいたるところでのバースツールのねじ締め屋、同棲した売春婦のヒモ、ニューヨークのアメリカン・ニューズ・カンパニーでの主任、シアーズ・ローバックの商品陳列係、ガソリンスタンドの従業員、郵便配達人……何もかも全部は思い出せない、つまらなくてありきたりのものばかりで、失業者の列に加わった時にたまたま隣にいる男も絶対に同じことをやっていたに違いない。[…]
 どこまで書いたのかな??? ちくしょう。とにもかくにも、こういったことをしながら、わたしは詩を一編か二編書いて、それが『マトリックス』に掲載され、それから詩への興味を失った。短編小説に手を出し始めた。ところで、もっと気まぐれで古典的なわたしの詩を数多く出版してくれている[イヴリン]ソーン(『エポス』の編集者)から、わたしがひどい言葉を使っていると罵倒する手紙を受け取った。そうだ、ちくしょうめ、わたしはどんな古いスタイルでも書けるのだ、うまくはないが。ちょっと待って。何の話だったっけ。そう、短編小説だ。懐かしき雑誌『ストーリー』のホイット・バーネットが1944年にわたしの最初の作品を掲載してくれた。わたしはその時二十四歳の若造で、グリ(end45)ニッジ・ヴィレッジで暮らしていて、ヴィレッジは死んでいて、かつて誰かがいたという案内標識にしかすぎないということに最初の日に気づいた。くそっ、まがいものだ。一緒にランチを食べて飲みませんかと女性のエージェントから誘いの手紙が届いた……わたしと話がしたくて、わたしの作品のエージェントになりたいと。会えない、まだ準備万端ではない、書けない、さようならと彼女に伝え、ベッドの下でワイン・ボトルのかたちになって自分の酒を飲んだ。気がつけば朝の六時にファーザー・ディヴァインの場所にいて、酔っ払って、部屋から締め出され、ワイシャツ姿で凍えきっていた。経歴紹介など頼んだりしていなかった、そうだよね、ウェブ? 実際の話、何てこった、あなたはわたしの詩を一編も採用していないではないか。
 さてと、いずれにしても、短編小説は書いたものがあちこちにいっぱいあって、それほど採用されたわけではない。『Atlantic Monthly /アトランティック・マンスリー』にエアメールで送ってみて、採用されなかったら、ビリビリに破いてやる。いったいどれほどたくさんの自分の傑作をわたしはビリビリに破ってしまったのだろうか。支持者は一人もいない。いろんなやつらが近づいてきてわたしに長編小説を書かせようとする。みんなくそくらえだ。わたしはフルシチョフのために長編小説を書くつもりなどない。しばらくは何もかもすべて忘れよう、書かなかった十五年、十五年。軍隊に入ろうにも精神科医の面接で〔原文は(end46)Cichristarist だが Psychiatrist のことか?〕にパスしなかった。いい気分。バルビツール剤で下痢していて、それは意図的ではなく四週間飲み続けたからだ。こいつは正気ではない、変なくそったれ野郎だとわたしは思われたのだ。
 さてと、いいでしょうか、ウェグ、いやウェブだ、ビールのお代わりをさせてください。あなたが酒を飲まずに二十一日間も過ごせるってどんな感じなんだろう、これはやめなければならない。かつて気がつけば総合病院の慈善病棟にいたということがあった……尻の穴からも口からも噴水のように血が吹き出していた……二日間放置された後でようやく診てもらえて、こいつはもう黄泉の国に行く寸前だと診断され、血液を七パイント〔三・三リットル〕とブドウ糖を八パイント〔三・八リットル〕、ノンストップで注射され続けた。また酒を飲んだら死ぬと言われた。十三日後、わたしはトラックを運転し、五十ポンド〔二十三キロ〕の重さの荷物を抱え上げ、亜硫酸がいっぱい入った安ワインを飲んでいた。医者たちは勘違いしていた。わたしは死にたかった [﹅6] のだ。そしていくつかの手段で自殺を試みてもみた。人体は鋼鉄よりも強かったり [﹅5] する。
 あれ、ちょっと待ってください、ウェブ、いったい何の話でしたっけ?
 いずれにしても、酒浸り、同棲相手たち、恐怖、シーツの中のクルミクルミの殻、二日酔いで夢うつつ、三週間も家賃を滞納してしまっている部屋の中をネズミたちがロケットのように勢いよく動き回り、緑色のジャガイモ、紫色のパン、デブで白髪の女たちに悲鳴をあげ、彼女たちのジャガイモのように膨らんだ巨大な腹、干からびた愛、枕の下のロザリオ、そして不潔な子供たちの写真……ただただ自分の首を締めたい気持ちだけで何があったとしても獰猛にも豪胆にもなれない……何もかもが終わってし(end47)まっていたこの十年、十五年のブラックアウト状態、そこからわたしは抜け出した。女たちはわたしたち男よりもましだった。最後に付き合った相手は誰もが。売春婦は無二の存在。わたしはそういった連中に金を奪われ、だらだらと共に時間を過ごし、悪態をつかれ、要するに、売春婦は無二の存在。女たちはそんなたちではない。男たちはそうだ。売春の話だ。わたしはそうだった。今もそうだ。しかし先に進もう。
 いずれにしても、十年か十五年後、わたしはまた書き始めた……三十五歳で、しかしこの時はしか書かなかった。いったいどういうことなのか? わたしのものの見方が、言葉を節約するようになっていった……ガーなら気に入ったことだろう、ここではやたらとたくさんの言葉を費やしているが、それは許されるだろうとわたしは確信している……というのも誰かが自分の動力芝刈り機のスイッチをオンにすると、ブワワワワーカチャカチャブワワワー、太陽の光が降り注ぎ、ラジオからは何かが流れ万事言うことなし……何が流れているのかはわたしにはわからない……一度か二度聞いたことがあるかもしれないが、いつものやつにはもううんざり……ベートーヴェンブラームス、バッハ、チャイコフスキー、などなど……
 それはともかく、自分でも気に入っていたし、うまくいっているように思えたので、わたしはちょっとした詩を書き続けた。今(end48)わたしは飽きてうんざりし始めていて、自分が何をやっているのかよくわからない。
 いずれにしても、あちこちに掲載され、本来ならシャツが入っているべき引き出しの中はリトル・マガジンがぎっしり。
 わたしには何人か神様がいる、もしくはいたと言っておきたい。わたしが彼のかつての愛人[シェリ・マルティネッリ]と文通を始める前のエズラ・P……何があっても、今もそうなのが、[ロビンソン・]ジェファーズ。わたしにはエリオットは日和見主義者のように思える、おべんちゃらがいちばん上手な神々がいちばん控えめな、それでも偉大で非ユダヤ人への贈り物をしてくれるところなら彼はどこにでも行くが、人々のもとへは、血の咆哮が聞こえるところ、あるいはドヤ街で息を引き取る四週間も洗濯していない下着を身につけたどこかの浮浪者のもとへは決して行かないだろう。わたしは正確にはエリオットを扱き下ろしてはいない、教育やそれが生み出す総入れ歯を扱き下ろしている。わたしはT・S、あるいはもっとはっきり言えば、ジョン・E・W、あなたに語りかけることで得られるよりももっとたくさんの人生の知恵をごみ収集人に語りかけることで得てきたし、今も得るこ(end49)とができる。さてと何の話だったかな?[…]
 ほら、ジョン、あなたが詩を見つけられますように。いまいましい調べの中に……よくわからないが、もうくたびれた……いたるところで人々が芝生に水を撒いている……たっぷりと。さあ、ほら、これが経歴紹介だ。
 ペンを見失ってしまった、
 アルカトラズのとりとめもない話でやつらをぶったまげさせてやろうぜ……


[*] ジョン・E・ウェブ(1905~1971) 1960年代初めにニューオリンズで妻のジプシー・ルー・ウェブと出版社ルージョン・プレスを設立し、1961年に雑誌『アウトサイダー』を創刊。雑誌にブコウスキーの作品を掲載し、1963年に『我が心、その掌中に』、65年に『死の手の中の十字架像』とブコウスキーの詩集を二冊出版した。若い頃に強盗団の一味として宝石店に押し入り、三年間の鑑別所送りとなって、そこで新聞の編集をしたり、小説を執筆したりして文学に対する情熱を燃えあがらせた。


 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、42~50; ジョン・E・ウェブ宛、1960年8月29日; 全篇)




 いちどさめたのは八時。しかし起きられず、あいまいな状態で過ごし、じきに意識がはっきりしてきたので布団をからだの脇に押しのけて深呼吸をはじめ、こめかみを揉んだり腹を全体的に揉んだり、足の裏をあわせながら太ももの内側を揉んだりした。そうしてからだを起こし、紺色のカーテンをあける。レースはそのままだが、空がきょうも青く充実して雲もほとんどないのは見てとれる。ところがいま、午後四時四〇分現在だと窓にひかりのいろがなく、寄ってレースを分けてのぞけば空はむしろ雲がちで、左右のとおくに青さもみえるがそれも雲まじりの淡青、というかおそらく雲じたいのいろあいで、なだらかにおおわれておだやかな夕方となっている。寝床から起き上がったあと携帯をみると九時三二分だった。洗面所に行って顔を洗ったり、うがいをしたり水を飲んだりするのはいつもどおりである。冷蔵庫にはいっている二リットルのボトルからそそいだ水はよく冷えていて、起き抜けのからだには刺激がつよく、さっさと飲み干すことはできない。それから電子レンジでつくった蒸しタオルを額や目のうえに乗せてしばらく、そうして布団のうえにもどった。きょうもChromebookでじぶんのブログにアクセスし、一年前の日記と二〇一四年の日記を読む。読みつつ、二〇一四年のほうはEvernoteからNotionにインポートしただけで体裁が整理されていないので、ひとつずつ記事をひらいて改行や一字空けをととのえる。たまにブログには載せていない欄外コメントがあったりもする。日記の読み返しは食事中にかけてつづいたが、過去にたいする注釈はしたにまとめて記す。寝床を去ったのは一一時ごろだった。屈伸をしたり背伸びをしたりとからだを少々うごかしたあと、一一時一〇分から椅子に座って瞑想した。目を閉じてじっとおのれを持続させる。なにもせず、ただ外界とからだの境目を感じつづけたり、外界を浴びてとりこむようなイメージ。そうしながらもしかしあたまのうちには思考がまわって、したに書いたようなじぶんの文章のはしたなさについての考察が断片的に生起する。ひとつの分析、あるいはひとつの段落というべきかもしれないが、それを構成するための材料となるようなフレーズや印象がいろいろ浮かんでは去るのだが、しかしこの時点ではそれらが統合的なつながりを得てはおらず、どういう順序でならべればよいのかということはあまりこまかな見通しがついていない。あたまのなかでそこまでできれば、つまりながい文章を書ければ、じっさいに記述するときにも楽なのだが。
 二七分座っていた。そうして食事の用意。洗濯機のうえでキャベツを切り、昨晩と同様、豆腐とキュウリをそれに混ぜる。サラダに豆腐を混ぜるのはなかなかよい。シーザーサラダドレッシングがわずかしかのこっていなかったのでかけてしまい、くわえてさらにすりおろしタマネギドレッシングもまわしかけてシーザーの存在を無意味にした。そのほか冷凍のコロッケ二つと「サトウのごはん」。いいかげんそろそろなにかべつのおかずや食品も導入したい。もうすこし肉っぽい肉食いてえな。あとうどんとかも食べたいのだが。冷凍食品もいまのところハンバーグとメンチとコロッケとパスタくらいしか試していないので、そのへんべつの品に手を出してみてもよいかもしれない。あとコロッケとかメンチを買ったのになぜかソースを買っていなかった。もうあまり食い物がないので今夜買い出しに出ようかとおもっているが。セロリはもういちど買いたい。あとあれだ、トイレットペーパーとティッシュがそれぞれとぼしくなっているので、それも買っておかないと。マヨネーズも買うか。まえのがもうほぼないし。煮込みうどんが食いてえ。
 食事中は二〇一四年の日記を読み、コロッケや米を食い終えるとロラゼパムを一錠服用した。洗い物はしばらく水に漬けておいて、きょうは過去の日記にたいする注釈から書きはじめる。とちゅうで流しをかたづけて、また書き、そのあとシャワーも浴びた。昨夜、浴びなかったので。べつにそれでもよいのだけれど、なんかもうすこし生活をきちんとしたいな。部屋の整理や必要なものを揃えることも一向にやりださないし。床のうえも髪の毛やこまかなゴミでけっこう汚くなっており、やはり雑巾だと疲れるし追いつかないしやる気にならない。クリーナーか、せめて箒とちりとりを買わないと。実家では自室の掃除ということをマジでぜんぜんやらず、埃が溜まったなかでも意に介さず暮らしていたし、窓のよごれに午前の陽射しがやどってにせものの星屑みたいにかがやくのとかむしろ好きだったのだけれど、このアパートではなるべく掃除をするようにしてきれいに保ちたいとおもっていたところ、予想通りぜんぜんそうできていない。
 2014/1/16, Thu.にまつわってじぶんの文章のはしたなさについて述べた部分まで書いていちど切りとし、寝床に逃げた。カフカ全集一〇巻を読む。カフカマジで手紙ほぼまいにち書いていて、いちにちに二通いじょう書くことすらあるのだけれど、くわえてフェリーツェの手紙が来ないのに、なぜぼくをこんなに苦しめるのですか? とか催促を送っていて、クソウザそうで笑ってしまう。したの一通とか、不安になりすぎだろ、動揺しすぎだろ、おまえはストーカーかい、依存症患者の禁断症状かい、とおもってしまった。

 最愛のひとよ、そんなに苦しめないで! そんなにぼくを苦しめないで! あなたは今日土曜日も手紙なしで、ぼくを放っておきました。夜のあとに昼がくるのと同様確実に来ると思っていたその今日。しかしだれが一体手紙を要求したでしょうか、ただ二行、一つの挨拶、一つの封筒、一枚の葉書でいいのです。四通の――そしてこれが五通目ですが――手紙に対して、ぼくはまだあなたの一言も見ていない。なんということ、これはいけない。どういうふうにぼくは、長い昼を過し、働き、語ったらいいのか、そして人がぼくから要求することをしたらいいのだろう。なにも起らなかったのかもしれない。あなたはただ時間がなかっただけなのだ。芝居の稽古が、下相談があなたを引きとめた。しかしサイドテーブルに行って、鉛筆で一切れの紙にフェリーツェと書き、ぼくに送るのを妨げることのできる人間は一体だれか言って下さい。そうして貰いさえすれば、もうぼくは十分なのだ! あなたの生命の一つのしるし、生きたものに寄りすがった冒険のなかの一つの落着き。あすは手紙がくるでしょうし、くるにちがいない。でなければ、ぼくはどうしていいか分らない。そうすれば、また万事よくなり、もうあなたにたびたび書くよう頼んで悩ますことはないでしょう。しかしあす手紙がくれば、月曜日の朝こんな訴えで、あなたにオフィスで挨拶することはないのです。しかし、ぼくはそうせざるをえない、あなたが答えない場合、あなたがぼくから顔をそむけ、他の人々と話し、ぼくを忘れたのだという、理性では除去できない感情をぼくは抱くのです。それなのにそういうことを黙って、ぼくは我慢しなければならないのでしょうか? また、ぼくは始めてあなたの手紙を待つわけではないのです(ぼくの確信に従えば、それはあなたの罪ではありませんが)、同封した古い手紙がそれを証明しています。
     あなたの

 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、84; 一二年一一月一五日〔一九一二年一一月一六日〕)


 とこういう調子で訴えながら、一八日にはフェリーツェの手紙が来ないのに耐えられず、「アナタハビヨウキデスカ」という電報まで送っているので(89)、ちょっと落ち着けと。フェリーツェのほうの手紙はうしなわれたので収録されておらず、ことの消息があまりよくはわからないのだが、この時期はフェリーツェが書くと言った手紙がぜんぜん来ないみたいな状況がつづいたようで(フェリーツェは体調がわるくて書けなかったみたいなことを言ったり、ほかにも理由があったりしたようなのだが、じつのところふつうに、カフカがこんなにしばしば手紙を送ってくるのに辟易して困っていたのではないかという気もする。どういう内容かわからないがブロートにたいして相談もしたようだし。また、郵便局の手違いで手紙が紛失したみたいなはなしもカフカの文中によく出てくるのだが、それもフェリーツェの言い訳じゃないかという感じがある)、カフカはたびたびそれにたいする訴えおよびそのことによる悲嘆と(ときには、もう手紙を待つことはしない、と文通の終わりを示唆するところまでも行っている)、ともかくも手紙が来たことの安心とよろこびのあいだを極端に揺れ動いている。カフカの小説は、すくなくともすこしまえに過去日記から引いた『城』の感想によれば、意味と意味とのあいだの絶えざる闘争的な揺動であり、書き足しによってつぎつぎと矛盾が出てきて、対立のあいだで揺れ動きながら真実がなんなのかどちらなのかわからない不安定な中間領域に人物も読者もおとしこまれざるをえないとおもうのだけれど、もうカフカじしんの実存的な性質からしてそうなっているじゃないかと。またこのころ、カフカ上着のポケットから出ていた手紙を母親が盗み読んでフェリーツェに一通送り、ふつうとはちがっていて不健康としかみえないカフカの生活習慣(食事や睡眠や一日の区分)を変えるようはたらきかけてくれないかと頼んでおり、フェリーツェはじっさい忠告したようなのだが、カフカはさすがの察知力でブロートとはなしているときにことを察して、母親が手紙を見たのだということに気づいている。マックス・ブロートもフェリーツェから手紙をもらって相談を受け、カフカの性質について説明したり、ふたりのあいだをとりなす意思を示したりしている。ブロートはカフカの才能を心底から信じていたようで、かれのことをひじょうに高く評価することばを手紙に書きつけている。たとえば、「彼は元来体が弱く、彼の外的生活状況(オフィス!!)は大変好都合というわけでないので、これほど独自ですばらしい人間が、十把一とからげの、平凡な数百万の人間とは別に取扱われるべきだという意識のなかに、葛藤が生じます」(83)などとその人間的独自性を断言しているし、「両親には、フランツのような例外人 [﹅3] は、その繊細な精神性が萎縮しないためには、例外的な条件 [﹅6] も必要であることが分らないのです」(100)とも言っている。両親がカフカを愛しているならかれに金をあたえて、たとえばイタリアは「リヴィエラのどこか、物価の安いところで、神が彼の頭脳を通じて生み出させようとしている作品」(100)を好きに書けるような状況を用意してやるべきだともブロートは主張しており、両親が無理解からかれの妨害をすることには、「私はほんとうに苦々しくならざるをえません」(100)と心情を吐露している。かんぜんに惚れこんでいる、カフカはなにをおいても文を書くべきにんげんだということをゆるぎなく確信している、という印象。カフカと両親、ことに父親との敵対的であったり疎遠であったりする関係についてはゆうめいだが、かれじしんも手紙のなかで、「ぼくへの母の愛情は、ぼくへの彼女の無理解とまったく同じように大きく、この無理解から愛情へと移行する無遠慮さは、あるいはさらに一層大きいものであるかもしれず、ぼくには時々まったく理解しがたいものです」(97)とか、「ぼくは両親をいつも迫害者と感じてきました。一年前まではあるいは彼らに対して、世間全体に対してと同様、命のない物とおなじように無関心だったかもしれませんが、いまわかったように、それはただ抑圧された不安、心配、悲しみだったのです。両親というものは、ひとを自分の方に、ひとがほっとしてそこから抜け出したいと思う古い時代に、引きおろすことしか望みません。もちろん愛情からそれを望むのですが、それこそ恐しいことなのです」(97)などと言っている。父親との関係については、「ただ父と私、我々はおたがい勇敢に憎みあっています」(74)。本人の証言によれば、カフカは家族との食卓で口をきかなかったらしい(73: 「私の母が泣きながら、泣き崩れながら(……)ここに入ってきて、私を愛撫し、どこが悪いのか、なぜ食卓で口をきかないのか(しかし、もうずっと前から私はそうなのです、気を散らさないようにするため)その他いろんなことを訊ねます」)。その点は実家にいたときのこちらもおなじで、そもそも先般家を出たそのしばらくまえからは、食卓をともにすることすらなくなって自室まで膳を持っていって食っていた。家を出たのもいつまでも甘ったれてらんねえとか、このままここにいても埒が明かねえとおもったのもあるが(アパートに来たからといって埒が明くわけではないのだが)、たんじゅんに、いいかげんそろそろひとりになりたかったということに理由は尽きる。距離を置くとうっとうしさがなくなり、おとなになるので、両親にたいするやさしいきもちをいくらかは取り戻せるようになった。
 しばらく読んで起き上がり、またデスクにむかったのだが、どうもからだがまだあたたまりきっていない。それで前日分をみじかく足して投稿したのみでまたしても約束の地である布団に逃げ、(……)さんのブログを読んだ。それで四時過ぎくらいだったかな。出しておいたバスタオルと座布団をとりこむ。また屈伸したり、スクワットをちょっとやったり、収納スペースの壁の外側に両手を握ってつきつけて、からだを前傾させながら押すようなかたちで腕の筋肉をほぐしたりして、それからきょうのことを記しはじめた。そうするとこんどはからだがまとまっていて椅子に座っていても苦でなく、打鍵も楽にすすむ。ここまで書いてもう六時直前。


     *


 過去の日記にたいする注釈のつづきをやった。いっぺんに何日も読んでしまうと、言及したいことがたくさん出てきてたいへんなので、一日につき二日分、一年前のものと古いものを一日ずつにしたほうがよいかもしれない。七時半くらいまでかかった。それからまた寝床に避難し、このときはChromebookをもって、あるいはからだの脇に置いた枕のうえに置いたりして、進行中の詩篇にとりくんだ。ゴロゴロねころがりながら詩をかんがえるというのはよいかもしれない。小説とか散文だとたくさん文を書かなければいけないから、きちんと打鍵できる態勢でないとやりづらいけれど(プルーストはベッドのなかで『失われた時を求めて』を書いていたというはなしを聞いたおぼえがあるが、どういう姿勢でやっていたのだろう)、詩なら臥位でもあたまのなかでかんがえて、メモって、みたいな感じでできる。進行中の詩は番号をつけるならいちおう四番ということになり、それはたんにいままで三つしか完成させていないというだけなのだが、題はない。もう昨夜終わりかたはできていて、あとは終わりのまえにある列挙のパートをもうすこし増やしたいというくらいで、それもじつのところ昨晩中にだいたいネタはそろっていて、このとき増やした素材はあまりなく、どちらかといえばどうならべるかの調整になった。列挙羅列の箇所なのでわりとてきとうにおもいつくフレーズを出していったかたちで、しかもそんなにおおきく順序をいじってはいないのだけれど、そのわりになんかながれができてしまったな、みたいな感じがある。いちおう各部である程度のまとまりをつけようとはしたが。ほんとうはもっと羅列的に、バラバラにやりたかった気もするし、どちらかといえば事物というか物体的なものをもっとならべたかったのだけれど、おもいつくフレーズがそうはならず。さいしょの数行だけ。それで昨夜のを組みこんで、口をうごかして読みながらたしょう調整し、列挙から終わりに向かう部分もうーんこれだとなんか足りないしもういくつかなんかほしいな、という感じで足して、つなげかたも入れ替えたのち、さいしょからさいごまで読んでみると、あれ、完成したんじゃないか? という感覚になった。これでいいんじゃないか? と。その時点で八時五〇分だった。しかしいちおう買い物に行ってきてからもういちど読み返してみるかとおもい、まだ仕舞いとはせず、寝床から起き上がって服をきがえた。Tシャツと黒ズボン。靴下も履く。Mobile Wi-Fiは電源を切って、充電器につないでおく。エアコンは停める。デスクライトも消す。リュックサックにはビニール袋と財布のみ入れ、左の手首に腕時計をつけた。収納スペースうえに放置されていたいちど使用済みで折れ目がついたマスクを顔につけ、クラフトコーラの缶と、書きわすれていたがきょうの昼間に買ったサイダーのペットボトルを持って靴を履き、電灯のスイッチを切って扉のそとへ。鍵を閉め、階段を下りて夜空のもとに出ると自販機脇のボックスにふたつを捨てておいて路地を南へ行った。つまり公園のほう。空にはあいまいな白さ淡さの雲の影がみられて青みは薄いものの、それなりに晴れており、星のすがたも、地元のそれをおもいだせばほとんど気のせいのようなひかえめさだがかろうじて目に映る。あるきだした瞬間から、土のものか草のものか、なにかにおいを感じていた。保育園の園庭から来るものだろうか? とおもいながら数歩あるくとそれがすぐにもポテトのような、周りの家のどれかから出てくるらしい夕食のにおいにかわり、道のうえには絶えず大気がうごき、ひとのすがたがひとつもない公園まで来るとこずえがわずかに鳴るとともに、夜のセミがジッ、とかチッ、とかチュッ、みたいな音を発しながら木から飛び立ったのがわかった。右折するとここではパンを焼いているようなにおいがただよって、気温のたかい夏の夜なので夜気もなんであれかおりに馴染んで受け入れてはらみやすいのか、なにかしら鼻にふれるものがないときがむしろなく、アパートからここまであるいてきたあいだに微風に混ざったそれらのにおいが明確な境もなく流動的にうつりかわるそのなかにもう、わずかばかりの官能性があった。道のとちゅうの一軒の塀のうえに、猫がいた。からだを低くして足をたたみ、溜まるように休んでいる。目のまえに来てもこちらを見るばかりで逃げようとしないので、さわれる猫かなとおもってちょっと視線をあわせたのち、右手をそろそろあげて顔のまえに持っていってみると、鼻をちかづけてようすをうかがい、おどろきはしない。人馴れしているようだった。それで無事さわってあたまをなでたり背中をちょっとふれたりすることができた。顔はあたまから目のあたりまで茶色が降りるようにかかってその下は白、なんだか祭りの屋台で売っている面をかぶってでもいるような、典型的な猫の顔の配色だったが、背中もおなじように茶色に染まりながらそのなかにより黒みのつよい焦げ茶がちらほら散っていた。きわだっていたのは目だ。ひじょうに丸く、巨峰でもおもわせるような、くりくりとして澄んだ目つきをしており、美猫と言ってよかった。首には輪がまわっていたので、たぶんその家の飼い猫なのではないか。しばらくなでてふれあったあと、別れてすすみ、おもてに出ると通りを渡ってコンビニ方面へ。八月分の家賃の払込書が先日届いていたので、それで払う必要があったのだ。歩道には植込みがもうけられているが夏のことでやや無造作に成長していて、輪郭もでこぼこ気味だし、足もとからちょっとはみ出しているのは、植物のかたまりが溶け出したかのようだった。見栄えのせず地味な街路樹も立っており、そのもとにも区切られた植込みというか放置されたような草むらがあって、ネコジャラシなどが顔を多方向につきだして繁茂している。ローソンに来るとスポーティーな軽装で自転車に乗った若い女性らがみられたが、これはちかくの(……)大学の学生だろう。入店。ちょうど女子のひとりが会計をしているところだった。置いてあるスプレーで手を消毒し、所定の位置につくべく通路にはいって、財布と支払い用ハガキをとりだして待ってまもなく、店員はやや大柄の女性で、こちらを呼ぶ呼び方とか、やりとりの口調とかがちょっとおもしろく、なんというかラーメン店出身ですか? みたいな印象なのだけれど、ただしラーメン屋になじんでいないラーメン店員みたいな感じで、うごきかたもなんだかカクカクとしたような、独特のすばやさをもっていた。店々のスタッフにはときおり、奇妙なおもしろいひとがいるものである。むかし(……)のロッテリアによくかよって書きものをしていたときにも、忍者の末裔であるかのような、片脚をうしろに伸ばし身を低くして、どれだけすばやくうごけるかというおのれとのたたかいによろこびを見出しているかのような女性店員がいた。背は高めでからだは細く、やや中性的で、やたらはきはきとしており、見た感じでは陸上部とかの出身かという印象のひとだった。
 三三三三〇円の支払いを済ませて退店。これではやくも今月の家計が赤字になってしまった。そうしてスーパーのあるほうへ。女子学生らもそちらに向かうが、かのじょらが暗い裏をえらんだのにたいして、こちらは車道に面したおもてを行く。とはいえさしてあかるくもない。さいしょのうちは街灯がとぼしいつなぎ目みたいなばしょがあり、そこだと道端の草木も薄暗がりになって、車がとおるさいのライトが街灯のかわりをつとめたくらいだ。そのまえにはお好み焼き屋があって、客がそこそこはいっていた。道沿いにすすみ、いきあたるとそこがスーパーのある通りなので、ちょうど青だった横断歩道を向かいに渡って右折。道脇の建物を見ながら(高齢者や子どものケア施設や、不動産屋のたぐいなど)てくてく行ってスーパーまで行く。着く直前に自転車に追い抜かされたが、やはり女子学生であるその主もスーパーに停めてはいっていた。こちらも入店。籠をもち、果物のところからみるが果物は高い。このあいだなにもかんがえずにキウイを買ってしまったがキウイも高かった。リンゴを買おうかなともおもっていたのだけれど、バナナくらいしか安いものがない。さすがバナナだ。スイカやメロン食いたいが、カットでも五〇〇円とかして高い。あきらめて野菜へ。キャベツをえらび、大根もえらび、セロリもえらび、トマトもえらび、きょうはさらにタマネギとパプリカも買ってみることにした。タマネギはまあスライスすればサラダのひと味になるし買っても良いんだけど、とまえからおもっていながらなぜか買う気にならなかったのだが、きょう二玉買った。パプリカは見回っているあいだに目にはいって、パプリカね、とおもい、一二〇円くらいだし、あざやかな色味になるしいいんじゃない? とおもって買うことに。黄色いやつをえらんだ。赤よりそちらのほうがおおきかったので。その他またソーセージのはさまったナンとか、ハーフベーコンやサラダチキンとか。トイレットペーパーも。ティッシュもさいしょソフトパックのやつを選んで籠に入れていたのだけれど、どうも荷物がおおくなりそうだったので、ティッシュはまだ一箱あるからだいじょうぶだと棚にもどし、トイレットペーパーのみ籠とはべつの手でもちはこぶ。だから両手がふさがった。冷凍食品はまたメンチとか。きょうよく見てみたら安めの価格帯のコーナーもあったのだけれど、それらはひとつがちいさかったり数がすくなかったりして、けっきょくあまり変わらんのではという気がする。メンチカツ食うのでソースも買った。あとシーザーサラダドレッシング。キットカットと、チョコチップメロンパンもなんとなく。それで会計。豆腐を買い忘れたな。会計はいつもの髪に白さが混ざった眼鏡の男性で、さきに女子学生が会計しており、このひとはときおり学生らとすこしカジュアルな調子でやりとりしているが、このときもそうで、学生が領収書をほしいらしく、こちらの品物の読み込みが終わって支払い機にデータがおくられたあと、店員は整理台のほうにいた女子に声を放って領収書の宛名をきき、すると学生は「(……)」で、とかこたえたのだが、ええ? ながいね? とかおっさんは言って笑うからこちらもレジにちかづいていた女子の横でちょっと笑ってしまった。会計をすませて籠を台にはこび、リュックサックとビニール袋に整理。女子はたぶんちいさな菓子のたぐいをたくさん買っていたようだったが、部費で落ちるのだろうか。
 退店して通りを渡り、裏道にはいる。マスクを口からはずし、両手はそれぞれビニール袋とトイレットペーパーでふさがれている。家を出たときには夜気が暑くもなく涼しくもなく、肌とおなじ温度とおもえるただ触感だけのうごきだったのだが、予想通りあるいているうちに汗はかいていて、この帰路でも大気は風にまではいたらず微風のレベルでとまることなくうごきつづけ、からだのまわりに絶えずそのまつわりがあり、ほとんど摩擦をふくまないやわらかななまぬるさが肌をつつみこむ。とちゅうの小公園に猫をみたがちょっと止まって目をあわせただけでちかづかず。携帯からなにか音を出しながらあるく者がいる。両手をおおきく振ってウォーキングに励む中年の夫婦がある。こちらの歩調はかなり遅い。いそぐこころがなく、意識がこのばしょのじぶんに定位される。裏から出てまた裏にはいりつつみあげると夜空は往路のはじめよりも靄がかったように見え、雲がけっこうこすりつけられたりすじが引かれたりしていた。きょうは土曜日である。あしたは日曜日。しかし平日も休日もないような暮らしをしているな、とおもった。休みの日だ、という感覚がまったくない。むしろ、日記をおおく書けるのは休みの日なのだから、そちらのほうがかえって仕事日であるかのような感じすらあるかもしれない。週日はたらきつづけて、あーきょうやっと休みだわー、なにしよっかなー、みたいなこころの弛緩がない。労働/余暇というリズムをじぶんは信用していない。ということばはロラン・バルトのパクリだが。日記を現在時に追いつけることに追われている日々だが、追いついたら追いついたで、じゃあなにをしようかな、と立ち迷うこともある。またちょっと過ごせばすぐ記述の要が生まれるのでつづかないが。公園のまえに来て折れるとアパートのほうから対向者があったのだが、そのひとが急に小走りになって道からそれ、公園のなかにはいっていき、なかばで減速しながらザッザッとだれもいない砂のうえをあるいて向こうへ横切っていくようだったが、なぜとつぜん走ったのかわからない。まるでこちらとすれちがわないうちに公園にはいってしまいたいかのようだった。
 部屋に帰るとエアコンをドライでつけ、上半身を裸にし、手を洗い、マスクを捨て、冷蔵庫に買ってきたものを整理。そのあと食事。なんかあまり腹が減っておらず、サラダだけで満足した。キャベツにさっそくパプリカを刻んで混ぜ、その他キュウリとトマト。シーザーサラダドレッシングにした。シャリシャリ食いながらLINEを見て返信したり。食後に流しをちょっと放置してさきにさきほどの詩篇を読み返した。そこでまたマイナーチェンジをしたが、読みとおしてこれでいいなとなったので完成とすることに。noteに投稿しておいた。したにも置いておく。

 さしあたり 何だっていいのだけれど
 たとえば
 これはあくまでたとえばの話だが
 自分がいまそれに指を触れているというだけの理由で
 キーボード
 とひとまずここに打ちこんでみる
 キーとは鍵のことだろう
 ただ
 玄関の扉を閉ざし、まもっているあの鍵
 すなわち錠前とも呼ばれるものと
 キーボードのひとつひとつのボタンとは、一見
 似ても似つかない
 鍵盤楽器の鍵 [けん] と鍵 [かぎ] が
 なぜ どちらも同じ漢字で
 なぜ どちらもキーと呼ばれるのか
 その由来をぼくは知らないが
 わざわざ知ろうとする気もない
 さしあたり それはどうでもいいことだ
 ところでボードのほうはといえば
 これはもちろん 板のことで
 たとえばサーフボード
 スケートボード ホワイトボード などがある
 濁点をひとつ取ってボートにしてみてもよいし
 そこからさらにコート
 とかソード とかノート を連想してもよい
 ノートは言語と親和性がつよいから
 多少惹かれる気持ちがないでもないが
 でもここはひとつ、しりとりで行ってみようか
 つまりキーボードのドを取って、はじまる言葉を繋げてみるということで
 すると即座に土管 という語が思い浮かぶ
 あるいはドラゴン であってもいいけど、いずれにせよ
 もし世界がしりとりだったらいまここで世界は終わってしまったわけだ
 とはいえこの世はしりとりではないし
 そもそも、ん がついたら負けというのは
 たぶん日本語のなかでだけ通用しているルールに過ぎないのだから
 (外国にしりとりがあるのかどうか知らないが)
 ん からはじまる言葉があったって 何もいけないことはない
 たとえば、チャド
 だかどこだかわすれたけどアフリカ
 のある国には、
 ンジャメナ
 という名の都市があったはずだ
 その国についてぼくが知っているのはたったそれだけで
 このことからもあきらかだろうが
 ひとりの人間がこの上なく真摯に一生を費やしたところで
 この世界のことを塵ひとつ分も知ることができないのはまちがいない
 それはぼくの兄貴がむかし言っていたことだ
 もちろん、だからといって
 絶望する必要などあるわけがなく
 そうでなければ人間など 生きていられないに決まっている
 退屈があっという間に彼らを殺しにかかるだろう
 何しろ退屈
 というやつは神をも殺しかねないほどに強力なので
 人の身で打ち克てるはずもないし
 神さまだって要するにきっと
 その退屈をなぐさめるために人を生み出したのだろう
 だからぼくらは せいぜい愉快に踊りまわって
 ひとりぼっちの創造主さま
 を楽しませてやらねばならないが
 そういうぼくらだって手なぐさみに
 たとえば鍵盤楽器を弾いたり
 あるいはしりとりをして遊んだり
 ときにはこんな言葉の連なりをつくってみたりもするわけで
 こうして退屈しのぎの創造は反復される
 ところで一応言っておくが
 こんなものはもちろん詩
 なんてものじゃあまったくない
 ある詩人に言わせれば
 詩 なんてものには詩 でないことが書いてあるらしい
 ということは ほんとうの詩は
 詩 でないもののなかにあるのか?
 どちらにしてもこんな言葉は
 もちろん詩 ではないわけなので
 だからタイトルをつける必要もぜんぜんない
 詩に題をつけるのは俗物根性
 べつのある詩人もそう言っていた
 それでももしつけるならすべて とつけるか
 それかこんなところだ今のところ とか
 そんなはなしをしていたけれど
 「詩」 という言葉もひとつの題さ
 言葉はすぐに、やすやすと捺しつけられて
 捺されるものがすべてそうであるように
 呪いと祝福 ふたつの風をはらむ
 風のなかにはいつでもなにかのにおいがあって
 春の夜道みたいにさめざめと
 涼しく薫ればよかったのにね
 肌から去りつづけることで愛着を
 ほどいてくれればよかったのにね
 こんなたんなる言葉のながれは
 ただのながれでよかったのにね
 でもたぶんこれは詩 だっていわれるんだろうし
 ぼくもだんだんそんな気がしてる
 不出来か 上出来かは わからないけれど
 ここでやめたほうがいいのかな?
 まだ進めるのかそうでないのか
 誰もおしえてくれやしないし
 遠くで川の音がきこえるけど
 そのなかに比喩も見つかりゃしない
 つづけねばならぬ理由もないが
 止まる気配も見当たらない
 これはまだ たいした長さじゃないけれど
 もう終わるのか 終わらないのか
 締めくくり方はいつも難儀で
 不可解で 神話じみている
 ほんとうに終わることなどできないのだろう
 主題はなくても言葉はあるし
 ましてや 存在はつねにあってしまう
 たとえば 蛍光灯が
 たとえば 鉛筆が
 たとえば トイレの換気扇が
 たとえば 路傍の石ころが
 たとえば ユリの花のひと揺れが
 たとえば 電線にのこった雨粒が
 たとえば ビルの上のパラボラアンテナが
 たとえば 夜空にかくれた飛行機の音が
 たとえば 明日の天気の前触れが
 たとえば 宇宙のかなたの星の死滅が
 音楽が
 たとえば 蠟燭と炎の接触点が
 たとえば たそがれの道に埋まった顔が
 たとえば テールランプの真っ赤な群れが
 たとえば 雨とアスファルトの混合物が
 たとえば 都市の下水の腐ったかおりが
 たとえば 猫のふりをしたビニール袋が
 たとえば ねむりを覚ます子どもの声が
 たとえば 朗々とひびく追悼のうたが
 風が
 花粉にまみれたフロントガラスが
 暮れきる前後の空の緑が
 嘘と不幸と三日目の月が
 右肩上がりの労働時間が
 酒に呑まれて懲りない勇者が
 道徳知らずのハシブトガラス
 炎天の下の屋根の苦労が
 あたまのおかしい創造主さまが
 生を支えてくれる不安が
 占いだよりの自己決定が
 毎日おなじ朝のメニューが
 床に散らばったポテチのカスが
 戦争が
 クレーンの先の赤色灯が
 二階建てバスの上の景色が
 工業地帯を照らす朝陽が
 堂々巡りの自殺志願が
 行方知れずの折り畳み傘が
 動物園から逃げ出した熊が
 ロックンロールの申し子たちが
 希望押し売りの第一人者が
 疑心暗鬼の国際平和が
 いまはむかしの楽天主義
 休み知らずの神の悪意が
 千年前からつづくさだめが
 金が
 本屋を介して生まれる恋が
 事実か夢かわすれた記憶が
 放蕩息子の半端な挫折が
 寿司と涙の午前一時が
 公園を歩くだけの休暇が
 返ってくるのが困るメールが
 路上にころがるサッカーボールが
 恨みばかりの家庭事情が
 髪の毛のせいで汚れた枕が
 インターネットの果ての隠者が
 まがいものの思い出どもが
 笑顔が
 ヘッドライトの切りとる雨が
 水たまりを舞う妖精たちが
 野良猫だらけの朝焼け路地が
 こずえをたずねる風のにおいが
 かがやきを知った白サルスベリ
 恥ずかしいほどの真っ青な空が 
 夕陽を愛する横顔たちが
 街灯の向こう見えない雲が
 真っ赤に狂った月の破片が
 誰の耳にも聞こえぬことばが
 墓穴よりも深い孤独が
 夜の招待が
 夢が
 鳥の声が
 君やあなたやぼくやわたしが
 キーボードが
 こうしてここにもどってきたのだ
 (ぜんぜんたいした長さじゃなかったが)
 このままこの世のすべての名詞をここにならべて心中したいが
 夜はあまりにもみじかくて
 そうできるのは人類史だけだ
 どうせそのうち性懲りもなく
 また はじめてしまうし また はじまってしまう だから
 夜はいつでもこのいまのこと
 朝ははかないあこがれの国 そして
 どんな言葉も終わりになれる
 どんな言葉からもはじめられるように
 この一篇を その証言として
 この一行を その証拠とする


 食器を洗い、ここまで綴ると零時四四分。疲労。しかしからだはあたたまっているので、打鍵はむしろはやく、スラスラしている。あしたは書店に行って英語長文のテキストとか、大学過去問とか買ってこないと。ついでに実家にも行って保険証の失効証明をもらっておいたほうが良い気もしている。あと食器の水切り台みたいなものや箒かクリーナーもほしいのだが、そこまでやる気になるかどうか。


     *


 べつにわざわざそんなことをしなくてもよいのだけれど、うえの詩行の部分部分について元ネタを記しておくと、まず二行目から三行目は蓮實重彦の文を拝借している。蓮實重彦『小説論=批評論』(青土社、一九八八年)の「文芸時評 1974」にあるつぎの箇所。「とりわけ、「文学」と過不足なく調和することしか目指していない「批評言語」の、その怠惰な発話行為へのもたれかかりには、驚かずにはいられない。たとえば、これはあくまでたとえばのはなしだが、プーレ、バルト、ジャン・ルッセといったフランスの名前を引きあいに出しつつ文学における言語のあり方を検討しようという渡辺広士の「小林秀雄と言葉の問題」(「審美」終刊号)といった「文章体験」の希薄さには、正直いってうんざりしているのだ」(187~188)というところ。
 「何しろ退屈/というやつは神をも殺しかねないほどに強力なので」は、中学一年か二年のときに読んだ電撃文庫の『ダブルブリッド』というライトノベルから(中村恵里加・作/藤倉和音・イラスト、二〇〇〇年)。これはたぶんぜんぶで一〇巻くらいで完結していた気がする。しかしこちらはたしか五巻くらいまでしか読んでいない。なんかアヤカシ的な存在との混血である主人公の女性が警察のなかのそのアヤカシを殺す部門にぞくしていて、そこに新任としてもうひとりの主人公である一本気で無骨なかんじの若い男がはいってきて、いっしょにたたかったり衝突したりして関係をつくったり恋をしたり葛藤したり、みたいなはなしだった。女性のなまえは片倉なんとかだった気がする。それでこの『ダブルブリッド』の一巻目の一章のタイトルが、たしか「退屈は神をも殺す」だったとおもうのだ。まあふつうに通有的にありそうな表現だが、こちらの記憶としてはそこから来ている。
 「ある詩人に言わせれば/詩 なんてものには詩 でないことが書いてあるらしい」は岩田宏「のぞみをすてろ」。ちょうどいま図書館で借りている『岩田宏詩集成』では224ページ。「団結しろ万国のまよなかの白痴ども/きみらのことは誰も詩に書かない/なぜかというときみらが詩だからだ/詩なんてものには詩でないことが書いてあるのだ」の部分。
 そのつぎの「詩に題をつけるのは俗物根性/べつのある詩人もそう言っていた/それでももしつけるならすべて とつけるか/それかこんなところだ今のところ とか/そんなはなしをしていたけれど」は谷川俊太郎。『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(青土社、一九七五年)より。

 題なんかどうだっていいよ
 詩に題をつけるなんて俗物根性だな
 ぼくはもちろん俗物だけど
 今は題をつける暇なんかないよ(end24)

 題をつけるならすべてとつけるさ
 でなけりゃこんなところだ今のところとか
 庭につつじが咲いてやがってね
 これは考えなしに満開だからきれいなのさ
 だからってつつじって題もないだろう
 (24~25; 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」; 「9」)


 列挙のさいごのほうにある「墓穴よりも深い孤独」は、わりと紋切り型的な表現だからあまり元ネタという感じでもないが、カフカが書簡のなかでそんなことを言っていたはず。正確には、ぼくが書きものをするためには夜、孤独が必要です、隠者のようにではなく、死者のような孤独が、このことは人間との関係と直接なんの関連ももたず、ぼくはただこうした厳しいやりかたでのみ書くことができるので、死者を墓穴から引き出そうとしないだろうし引き出すことができないように、ぼくも夜の書き物机からひきはがすことはできません、みたいな文言だった。そのつぎの「夜の招待」は石原吉郎の詩のタイトル。「朝ははかないあこがれの国」に元ネタはべつにないが、竹内まりやの"September"のサビにある、「September/そして九月は/September/さよならの国」をおもいだしていなかったとはいえない。
 零時四四分のあとはエロサイトを見て射精したり、メモしてある詩の断片的なネタを見返したり、進行中の散文を読み返すだけ読み返したり、シャワーを浴びたり。寝床にうつったのは二時過ぎで、カフカの書簡を読んでいるうちにねむけが満ちてきたので、二時四八分に消灯した。ねむりは容易だった。ドライでかけていたエアコンは夕食後あたりに切っていた。



  • 日記読み: 2021/7/30, Fri. / 2014/1/16, Thu. - 2014/1/20, Mon.


 起きたあとの寝床から食事中にかけて過去の日記を読み返し。一年前と、二〇一四年を数日。なかなかおもしろい。
 まず一年前。起床後の瞑想中に、「暖気が窓のほうから肌のてまえまでちかづいてくるのをかんじるものの、すわっているだけで即座に汗が湧いてくるほどの暑さではない。セミは増えて、ジャージャージャージャー鳴き声を撒き散らしている。アブラゼミの拡散のなかにミンミンゼミがややうねるとともに、ツクツクホウシの声も今夏はじめてあらわれた。ホーシン・ヅクヅクヅク、ホーシン・ヅクヅクヅクと例のヘヴィメタルのギターとそっくりなリズムを刻んでいる」といっているが、ここ(……)では今年、いまだアブラゼミもツクツクホウシも聞いたおぼえがない。とうぜんながら地元にくらべるとセミの勢力は格段によわい。公園のまえを通ると樹々があるからセミの音は聞こえるが、鳴いているのはなんかわりとさらさらした感じの、うすく拡散的な声のやつである。あれってアブラゼミじゃないよな? アブラゼミはもっとなんかジュージューバチバチするとおもうのだが。
 日記については以下のように述べている。

瞑想をしながらおもったのだけれど、いつまでも実家に置いてもらってもろもろの雑事などを担ってもらっている現状でさえ日記のいとなみが満足に立ち行かないありさまなので、やはり書くことを減らしていかねばならんなと。そもそも、こんなものはいつやめたっていいのだという、投げやりな気持ちを積極的によそおっていくこころになった。毎日日記を詳細につづるということを大前提にするからなかなか生がひらけないのであって、そんなことはどうでもよろしいと投げ捨ててしまえばどうにでもなる。死ぬまで毎日生を記録するという野心をいぜんはおりおりよく表明していたが、そんな誇大妄想はさっさと捨てたほうがよろしい。こだわりをひとつひとつ捨てて解放され、楽に生きるのが吉だ。とはいっても日々を書くことをまったくやめる気にはいますぐにはならないが、こんなものはべつにやめたっていいのだというこころをあらためて認識して、多少重荷が減った気はした。とりあえずは書くことがらをすくなくしようとおもう。もうすこし断片的に、一日をつなげず、おおきく印象にのこったことだけを記すように。日記にさく労力を減らせば、そのぶんものを読んだり、ほかの文をつくったり、家事をこなしたりもできる。といってそういう意図もこれまでに何度か漏らしていて、それなのにけっきょく実現できていないので、どうせまた気づいたら詳しく書いているのではないかとおもうが。


 まあ日々の記述に追われてその他のことをあまり満足にできないというのはいまもおなじなのだけれど、けっきょく書くことを減らして簡易化していこうという意図は、ここで予想されているとおり実現していないし、さいきんはもう気にしていない。書けるときは書くし、書けないときは書かない。ときどきにまかせている。なるべくぜんぶ書きたいという欲求はうしなわれてはいないものの、よほどかるくなって、わすれたらわすれたんだからもうしょうがねえというくらいのこだわりのなさにはなった。「そもそも、こんなものはいつやめたっていいのだという、投げやりな気持ちを積極的によそおっていくこころになった。毎日日記を詳細につづるということを大前提にするからなかなか生がひらけないのであって、そんなことはどうでもよろしいと投げ捨ててしまえばどうにでもなる。死ぬまで毎日生を記録するという野心をいぜんはおりおりよく表明していたが、そんな誇大妄想はさっさと捨てたほうがよろしい」などと言っており、昨年中はけっこうしばしばそうおもっていた気がするけれど、この点もいまはこだわっていない。「こんなものはいつやめたっていいのだ」と、ことさらにおもうわけではないが、おもわないわけでもない。もちろんべつに、いつやめたっていい。生を綴ることだけが生ではない。とはいえさいきんはまた、できれば死ぬその日まで書きつづけたいなというきもちになっている。
 そのほか、したのことなど。

そういえば家を発つまえに三分間くらいだけソファにすわって瞑目していたが、そうするとわりと涼しげなながれが窓からはいってきて、それが、あれは雨後の大気のにおいなのか、なんらかのにおいをはらんだもので、なにともつかないのだが土か草か水か不快なかおりではなく、湿っていながらもさわやかみたいな感触だった。

     *

電車内、座ったむかいに高校生か大学生か、若い男性が五人ほどならんでかけていて、みなおもいおもいの姿勢で寝たり起きたりしていて、漫画の扉絵みたいでちょっとおもしろかった。両端とまんなかの三人が眠っていてあいだのふたりが起きていたとおもうが、左端のひとは片脚を、組むのではなくて足先をもう一方の膝のうえに乗せるようなかんじで不遜じみたポーズのまま眠っていたし、まんなかの者は足をひらいてややまえに出し、あたまもうしろにかたむけていかにも無防備にねむっているというかんじの堂に入った眠りようだったし、右端のひとりは上体を完全にまるめてまえに倒し、じぶんの膝のうえに身を投げ出すようにして顔もみせずに眠っていた。右からふたりめの携帯をいじっていたひとはたしか黒シャツで眼鏡をかけており、短髪気味のあたまだったとおもう。左からふたりめはよく見なかったので記憶にない。

     *

帰り道、最寄り駅で降りると、夜空がときおりシャッ、とあかるむ。それにつづいてうなりがきこえるので、かみなりがとおくで生まれているらしい。坂をくだって平らな道をいくあいだ、ほとんど切れかかっている蛍光灯がつかの間かろうじて復活するようにして間歇的に天一帯をあまねくはしるその微発光(あかるみのはじまりから終わりまで一秒もない気がするが、あかるむと消えるまでずっと平板にひかったままでいるわけではなく、一秒のあいだにも何度かふるえる痙攣性のひかりというべきうごきであり、ひかればそのときだけ、昼のようにとはさすがにいえないものの、宵前の暮れ方くらいにはたしかにあかるくなって夜空の低みにわだかまっている雲の白さがあらわに映る)に魅了されたようになり、ほとんどずっと空を見つめていまかいまかとつぎの発光(とそれにつづいて遠くからつたわってくる、巨大ななにかか空間そのものがつぶれて崖崩れのごとく崩壊しているかのような、ぐしゃぐしゃとした、ある種水っぽいかのような質感の鳴りひびき)を待ち受けながらあるいた。


 さいごの描写はじぶんにはめずらしい、あまりやらない書き方をしている。括弧をはさんでながい記述を挿入していることだが、クロード・シモン感、もしくは金井美恵子感がちょっとある(風景描写でなければわりとやるとおもうが)。これはべつにそうしようとおもってやったのではなく、書いていたらなんかそういうふうになったおぼえがある。まあこいつなかなかやってんな、というくらいの悪くない記述ではある。
 2014/1/16, Thu.は死のちかい祖母を見舞いにまた病院に行っている。ここにも日記についてのお悩み的な吐露がある。

 車中のラジオからはなんとかいうシンガーソングライターを招いたインタビューがかかっていたが、それが終わって流れはじめた彼女の曲を聞くと、質は高めにまとまってはいながらなんの食指も動かない、売れそうではあるがどこにでもあるような毒にも薬にもならないロック/ポップスだった。気にかかっていたのはこの日これまで本を六頁しか読んでいないことと、それにもかかわらず病院、仕事と間断なく続くタスクのために今日は寝るまでにこれ以上読書量を増やせないだろうことで、四時から、準備も含めれば三時半から九時過ぎまで働かなくてはならないことを思うと先取りした疲労が重くのしかかってくるような気がした。最近絶望的に日記が書けていないのは仕事が忙しいこともあるが、無邪気に楽しくなんでも書いていたころの気分を忘れてしまったようだった。自分でいい文章を書いた、よく書けたという実感を得ることがほとんどなくなってしまった。字数を書けなくなったのもひとつの気がかりで、量を書けばいいというものではないという当たり前の認識にいたって久しいものの、量による満足感というものもやはりあって、一日数千字、ときには一万字も書いていたころのことを思うと一抹のさびしさはあった。量を書けなくなったのは思考を書かないというルールをおのれに課したことが大きいのだろうが、例えば読んだ本の感想などを日記の一部として公開するということはもはやする気にはならなかった。自分語りこそがおもしろいのだと思いこんでいたころの気分はなくなってしまった。他人のそれは別だが、どのような思考を書きつけたところでおのれのそれは愚にもつかない駄言に思えてしかたがなかった。日記である以上自分語りであることは避けられないが、だとしたらなるべく自分を出さない自分語り、客観的な自分語りとでもいうようなものをしたいのだった。一人称をなるべく使わないようにしているのも、「僕は」「俺は」「私は」「自分は」どのようなものでさえ、一人称主格単数を示す代名詞を書いた途端にわきあがってくるおのれのにおい、存在感のようなものが鼻につくからだった。そうした基準からしてみれば今日のこの文章は自己言及をしすぎ、自分を出しすぎであることはちがいない。ともあれ本当に書きたいのは自分自身よりも身の回りの世界で、日常の具体性の襞のようなものに迫っていきたいのだったが、肝心の実力がこれではどうしようもなかった。すれ違う散歩中の犬や小学生や木々のざわめきや家々のきらめきや午後二時のゆるくほどけたような空気などを書きたかったがどのように書けばいいのかわからなくて車中で途方に暮れた。文章を書くにあたっては記録欲と描写欲とでもいうようなものが渾然としているが、ただ羅列すればいいというものではないはずだった。


 「一日数千字、ときには一万字も書いていたころのことを思うと」などといっているが、一三年一四年の時点でそんなに書いていたのか? とおもった。しかしたしかにこのあとの数日とかはけっこうながかったりする。そして、自分語りにならざるをえない形式をえらびながらなるべくあからさまな自分語りからははなれたいという矛盾にこの時期のじぶんのスタンスが集約されている。つまりこれは例の、日記で小説をやりたいという欲求で、そのきっかけとなったのは(……)さんのブログだが、モデルとなったのはガルシア=マルケスの文体であり、かれの文章が人物の内面にぜんぜん立ち入らず、世界や事物の具体性をバランスよく付与したものだったから、そういう文章で日記を、つまりじぶんじしんの生を書きたいとおもっていたのだ。「本当に書きたいのは自分自身よりも身の回りの世界で」というのは書きはじめてから数年のあいだはずっとおもっていた。というか正確には、さいしょの二〇一三年中はたぶん、ここにも言及されているように「自分語りこそがおもしろいのだと思いこんでいた」のだとおもうが、そうこうするうちにじぶんという存在のくだらなさに気づくわけですね。そこで自意識の重さやそれを垂れ流しにしたような語りを、いつか(……)さんがつかっていたことばを借りれば親のかたきのごとく憎むようになり、じぶんよりもこの世界のゆたかさのほうがはるかにはるかに尊き宝とより外界をみるようになり、そこでいう「世界のゆたかさ」というのはおおかた風景と事物とできごとなのだけれど、それで「記録欲と描写欲」がおのれのこととなる。そしてそれを、じぶんを書いていながらあたかもじぶんではないような、小説の架空の登場人物を書いているかのような感じでやりたい、とこころざすようになる。それにしても、「記録欲と描写欲」、記録と描写、じぶんの書きもの、いとなみはこの二語に尽きるな、とおもった。八年半前から、その根本は変わっていない。それだけにつかれてここまでやってきた。とはいえこの二〇一四年の時点やその後しばらくのあいだは、そのふたつは対立するものとしてとらえられている。ここでいわれている「描写」というのは、小説作品のなかに出てくるような、具体性やゆたかなニュアンスを宿されたかっこうよい記述、ということである。ガルシア=マルケスをモデルとし、そういう文体で日常のすべてを書きたかったわけだが、もちろんそんなことはできるものではない。いっぽうでまた記録に向かう欲求もあり、そうなるととうぜんながら、ちからのはいった描写文に適さない対象もある、というかむしろそれが大半である。だからそのときどきで、文体にこだわらず記録に向かうか、文章を締めてかっこういい記述をめざしてちからを入れるか、数年のあいだずっとそのあいだで揺れてきたわけだが、これはいまは記録のほうに一元化するかたちで統合された。わざわざがんばって描写しようなどとはもはやおもっていない。もちろんおのずから、そういう対象をみればそういうあたまになるし、そういうあたまで知覚したものをできるだけ書き取りたいとおもうから、注力の軽重は生じ、だから風景などあれだけつらつら書いてしまうし、そのときに文をつくるという感覚がまったくないわけではなく、ほかの部分よりもいくらかそれが生まれはするだろうが、風景描写もいまはけっきょく、見聞きしたものを十全に記述し記録したいという欲望の範疇にはいっている。だからおとといの記事に記したように、「こういう描写は日記のいちぶなわけで、つまり作品的な構成物ではなくて、趣味というか、ルーティンというか、生理のようなものなのだから」ということになる。
 記録と描写というふたつのことばが八年半前の日記に書きつけられているのにふれて、それいらいのじぶんの根本的な一貫性、頑迷ともいいたくなるようなあまりの変わらなさを目のあたりにしたときに、じぶんじしんでもなんと言って良いのかわからないような、呆れた笑いを浮かべてしまうようなこころになる。二〇一四年から見てじぶんのいまの文章はもちろん相当に発展した(それといくらかは対応しつつ、にんげんとしてもそこそこの変化や成長を遂げた)。描写的記述など、(良くもわるくも)一四年当時とは比べるべくもない質になっているとおもう。しかしそれらはまことに直線的な発展である。愚直というべき軌跡である。じぶんじしんむかしはおりおり、この路線で行くしかねえ、愚直さに賭けるしかねえとか、虚仮の一念とか、愚者がその愚かさにこだわりとおせばそれはいつか聖性にいたるだろうとか書きつけていたので、いまの事態はそういう過去のじぶんの言が相応に実現された結果だといえなくもない。それらはぜんぶ、記録の一事、なるべくすべてを、おおくのことを書きたいという願いによるものである。なぜならそれらは消えてしまうからなのだが、まさにほかならずこの点が、じぶんの文章にじぶんでいだいている疑念の因って来たるところなのだなとおもった。つまりおとといの記事に、風景描写をとりあげて、こういう書き方っていいんだろうか? と内実の不明瞭な漠然とした疑問を向けていた、そのことだ(おなじ疑問は過去にもなんどか表明している)。日記の読み返しをしながら、じぶんの書き方って、ちょっとつよくておおげさな、はずれているかもしれない比喩だけれど、世界にむかってひたすら強姦をこころみつづけているようなものではないかとおもったのだ。まいにちまいにち、言語でもって世界を犯そうとしているというか。強姦はいいすぎかもしれないが、そういうかたむきや、おおまかな方向性としてそういう感じはあるとおもう。言語化・形式化・形態化できないものへの不安からすべてを言語=ロゴスに回収し、把握しつくそうとするにんげんの欲望、みたいなはなしはわりと聞く気がするが、それとつらなることでもあるだろう。しかしじぶんとしては、もうすこしなまなましいものを感じる。つまりじぶんの文章は、はしたないのだな、とおもった。そのはしたなさに、どこか疑念をおぼえていたのだろう。ただ書くだけではなく、書き尽くそうとする、それがじぶんの文章の、よくもわるくも特異性なのだろう。トーンとしては、そんなにあからさまに下品ではない。じぶんの文章は、淡々としているとか、つねに一定であるとか、自己観察の度が冷静にすぎてじぶんじしんもほぼかんぜんに対象化しているとか、知人からはそういうことをいわれてきた。文調として淡々としているというのはまちがっていないとおもうし、じぶんでも、ただこの世界をひたすら記録しつづけるだけの自動機械になりたいという夢想をいだき、記したこともある。その点、いまや、機械的という印象をすらあたえうる文章になっているかもしれない。しかしとうぜんのこととして、機械は欲望をいだかない。にんげんではない機械のようになりたいという欲望は、どこまでもすぐれて人間的なものでしかない。そういう意味でじぶんの文章は、その総体において、生と世界を書き尽くしたいという記録的欲望がむきだしに露出したものになっている。それが、下品とまではいかないにせよ、ひとつのはしたなさである。とりわけ描写をするときにそれがきわだってあらわれている。過去の日記を読んでいても、なんでこいつこんなことこんなにこまかく書いてんの? と、じぶんでふしぎにおもうことあるもんな。そこにたぶん、なにほどかの異様さはあるのだとおもう。それはおそらく、むきだしの欲望が機械のふりをして、ばれようがばれるまいがかまうまいと平然とひらきなおっているというたぐいの異貌ではないかとおもう。その屈折した、すぐれて人間的な顔は、一面からみればある種類の倫理性であるか、すくなくとも倫理性の端緒であるかもしれない。もう一面からみれば、たんなる欲望である。
 一六日の日記にはまた、「スーパーでキャベツと豆腐を買い、路上に止めた車に戻って母に渡してから仕事へ向かった。一日三時限でしかも帰りが十時近くなるというのは重労働で、二つ終わった時点でまだひとつ残っていると思うとうんざりしかけた。中学生たちも毎晩のように遅くまで勉強させられているのを見るとまったく大変なものだと思われた。高偏差値の高校を目指すひとりの生徒などは一日四時限こなすこともあり、もともと物静かで口数も少ないから目立たないものの疲労しきっているようにも見えた。していないわけがなかった。何かしらがまちがっているような気がした」とある。一日三コマはいまは基本もうやらず、一日二コマまででたのんでいる。たまに引き受けることもあるが。ここにある「高偏差値の高校を目指すひとりの生徒」というのは、たぶん(……)くんのことではなかったかとおもう。その後大学に行ったのちに同僚の講師としてもどってきて、いっしょにはたらいたのは昨年の二月くらいまでだったか? いまはどっかの企業の法律関係をやっているはず。大学では哲学を専攻し、レヴィナスについてとかたまにはなした。年始にスマートフォンにかえたさいにメールを送って、連休にでももどってくるようだったら会おうと言っておいたが、けっきょくその後連絡はなく、会えていない。また一通送ってみてもよいかもしれない。


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 2014/1/17, Fri.。一一時起床のすくいがたいクソ寝坊をつづける日々。アトピーでからだじゅうがかゆいらしい。「今日もまた冬らしい冷えこみで三枚の布団をかぶっていても冷たさが足に染み入るのだった」には、三枚もかぶってたんかい、とおもった。おなじ第一段落では日記について、「このような文章にこれほど時間を費やす意味があるのか疑問だったが、書きたいという気持ちがあることだけはたしかだった。このようなことを書きつけてしまうこと自体が弱気のあらわれであるにちがいなかった」とまた心情を吐露している。さらに、「ここ数日は仕事の時間の都合上、寝て起きてから前日の日記を記す形をとっているが、このやりかたはやはりなんとなく慣れないのだった。睡眠を挟むと記憶の鮮度がいくらか失われてしまう気もするし、なにより昨日を延長させて今日に持ちこんでいるような気がしてどことなく落ちつかなかった」とつづいているので、なるほどたしかに、この初期のころはその日の記事をその日のうちに完成させていたな、とおもった。そもそもまだ生活の全域にわたって書くということができておらず、終わりもかならずしも何時に寝たという文でないから、そういうことができたのだ。
 第二段落には、「松平千秋訳『イリアス』第七歌を読んだあとに今度は後半の『十二の遍歴の物語』を読みはじめ、最初の篇である「大統領閣下、よいお旅を」を読んで書きぬきを終えると同時に午後四時の鐘が町に響いた。窓外の光は薄くなり、夕刻に向かうもののさびしさをたたえた淡青色の空にはもういくらもしないうちに月が浮かびはじめるはずだった」とあるが、「午後四時の鐘が町に響いた」から後文にかけては、おそらくガルシア=マルケスを意識しているだろう。意識しているというほどではないかもしれないが、「夕刻に向かうもののさびしさをたたえた淡青色の空」とかいう修飾のしかたはかれの文章からまなんだものである。
 第三段落では帰路にBill Evans Trioの"My Foolish Heart"を聞いて感涙しており、その大仰なセンチメンタルが鼻につくがそれはともかく、「振りかえると残照が西の山の向こうを白く染め、最後の光に照らされて巨船めいた灰色の雲が浮かび上がっていた」というのに、雲を「巨船」にたとえるイメージはさいきん得ていなかったな、とおもった。むかしはけっこうしばしばその比喩を書きつけたものだが、さいきんは大陸じみたとかいういいかたをよくしたり、あと巨大な亀とかクジラの下腹みたいないいかたをしているとおもう。巨船のイメージまたこんどつかおうとおもった。


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 2014/1/18, Sat.。「昨日の夕食のときには食べなかった柳葉魚を二本電子レンジであたためてそれらと一緒に食した」とあって、一瞬読めなかったが、これシシャモだな、とおもった。シシャモの漢字表記なんてとんと見ないわ、と。柳の葉のようにほそい魚ということか? よくこんな字にしたなとおもった。
 「出勤までに残された一時間半のうち一時間と十分をガルシア=マルケス予告された殺人の記録/十二の遍歴の物語』を読むことに費やし、残り二十分で爪を切り、歯を磨いて出かける準備をした。ガラス細工のように透きとおった冬の光が部屋に入りこみ、お湯をついだ湯のみからもれる湯気を浮かび上がらせるのを見た」という一節も、やはり後文はマルケスを意識している。「ガラス細工のように透きとおった冬の光」はまちがいないし、「~を見た」で終えるのもそうだ。
 この日は午前と午後の勤務のあいだに図書館に行っており、「『エドワード・スタイケン写真集成』を返却し、CDを眺めた結果、Wayne ShorterNative Dancer』、Weather Report『Black Market』というフュージョンの二枚を借りた。階を上がった新着図書コーナーでめぼしかったのは、ル=クレジオ『隔離の島』、黒田夏子『感受体のおどり』、明治書院の『史記』十三、ワシーリー・グロスマン『万物は流転する』などであり、クレジオは言うまでもなくいつかは読まなければならないだろうし、黒田夏子芥川賞をとった作もさることながら新作もぱらぱらとめくって目についた断章めいた形式が気になるし、『史記』はいつか読みたいと思いながら読めずに人生が終わりそうな気がする。グロスマンは新作よりはむしろ『人生と運命』のほうが惹かれるのだが、三巻本であるため手を出すタイミングをつかめずにいる。借りたまままったく手をつけていない本が三冊残っているため新しく借りるのはやめようとこういうときはいつも思うが図書館に実際来てしまえば借りるだけならただなのだからと容易に気持ちは翻る。それだから今日もフアン・カルロス・オネッティ『別れ』とジョン・バンヴィルプラハ 都市の肖像』の二冊を借りた」とのこと。『感受体のおどり』はその後読んだが、これはおもしろい小説。よい小説だった。そのほかの三つはいまだに読んでいない。このとき借りたオネッティ『別れ』はほぼなにもおぼえておらず、あまり印象にのこらない作品だったが、水声社のフィクションのエルドラードシリーズの一冊のうすいやつで、オネッティが生涯政治からは距離をとりつづけたと訳者あとがきで紹介されていたのだけなぜかおぼえている。ジョン・バンヴィルは(……)さんがまえにその作品を読んで、クソセンチメンタルな紋切型表現が鼻につくみたいなことをブログに書いていたおぼえがあるが、このとき借りた一冊はけっきょく読まなかったのではなかったか。これはフィクションではなく、タイトル通り都市について書くシリーズのやつで、ほかにもそれぞれべつの作家でパリとか何冊かあったはず。これを借りたのは、街とかそこにあるものの見方をじぶんの日記に活かしたいとおもったからだろう。
 帰宅後は『アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集 ポートレイト 内なる静寂』をみている。「若いころのル=クレジオとその妻ジェミアが美男美女でびっくりした。ジェミアは不健康に見えるほど白く美しい人形のような顔だった。美しさとかわいさが共存し双方を強めているような、思わずどきっとするほどの魅力を写しとったマリリン・モンローの写真があった」と。載っている人物はそのほか、「アルベルト・ジャコメッティ、キュリー夫妻、エズラ・パウンドアンドレ・ブルトンマルセル・デュシャンウィリアム・フォークナーマーティン・ルーサー・キングパブロ・ネルーダロバート・オッペンハイマーロラン・バルトジャン・ジュネジャン=ポール・サルトルアルベール・カミュアラン・ロブ=グリエシモーヌ・ド・ボーヴォワール、エミール・ミシェル・シオランスーザン・ソンタグトルーマン・カポーティ、ミシェル・レリス、カール・グスタフユングフランシス・ベーコン、サミュエル・ベケット(表紙になっている)など」。いかにも錚々たるメンツ。で、「ニコル・カルティエブレッソンがソファベッドに寝転がっている写真にぐっときて一文をものした」といい、つぎのような描写をしている。

 仰向けに寝転がった彼女の身体に引っ張られてソファベッドのシーツはひだをつくっているが、そこに重さの印象はない。ふわりと形を変える枕に頭をあずけた細身の体躯は静かに波打つ海面の上を浮遊しているようにも見える。袖をまくった白のジャケットから伸びて頭の横に投げ出された左腕は影をまとっていてもなお透きとおった白さをうかがわせ、光輝く肘から猫の手のように曲げた指まで続く曲線は彫像のように滑らかである。すらりと伸びた身体に緊張はなく黒のスカートをまとった下半身の先は新聞で覆われ脚が見えることはない。背景の壁となっているソファベッドの背もたれの上には弾力のある花柄の布団がその身をなかば乗り出している。柔らかなものたちに囲まれたなかで彼女の表情だけが引きしまった身体と同じ凛々しさを放ち、いたずらめいた蠱惑的な笑みやおのれの美を見せつけるてらいは微塵もなく、ただ力強さと優しさの入り混じったすべてを受け止めるような女の眼差しがそこにあった。


 この文について(……)さんとはじめて会ったときに、あれはよく書けていたと褒められた記憶があるので、かれとさいしょに会ったのはなぜか秋だとおもっていたが、そうではなくて、このあとの二月三月くらいだったのだろうか? いま読んでみるとべつにたいして書けてはおらず、うまい下手というよりもやはり文体やリズム感が確立されておらず、かたくて、しぜんなながれかたになっていない、という印象を受ける。書き方としても、写真を見て目についた要素をただひとつずつ羅列していったという感じで、順序とかつながりとかは考慮できておらず、まだそんなレベルに達していなかったことがうかがえる。さいご、表情に行き、そこだけ過去時制で終わるのはなんとかまとめて落とそうとしたのだろう。描写としてのうごきと、有機的な統一性みたいなものがない。たんなる羅列で、それは並列的な秩序というものにいたっていない、それいぜんの羅列でしかない。いまはむしろ要素をかんたんに、無造作につなげすぎてしまうきらいがあるかもしれないが。
 とはいえこの時期のじぶんはがんばった感を得たらしく、じっさいがんばっていたとおもうが、この日のさいごの段落はつぎのようになっている。

 今日はなぜだかここ最近にしてはよく書けた感触があった。単純に三千字という最近にしてはわりと多めの量をかけたのもいいが、写真を一応は言葉におとしこめたのがよかった。日記とはちがうひとつの文章を一応はつくったという満足感があった。事実だけを書くとほとんど変わり映えしない毎日になってしまうが、そこで生ずる感情にもっと注意深く目を向ければ、いくらかは毎日をちがった風に書くことができるのかもしれない。とにかくひとつひとつ丁寧に考えながら書くこと、惰性におちいらないこと、それしかなすべきことはないようだ。しかしたかが日記にそこまでの強度を傾けるのはまちがっているのかもしれない。本当だったら小説、自分の作品にたいして傾けるべき態度だろう。Mさんはあれをほとんど手癖で書いているらしい。せめてそのくらいにはならないと話にならない、そしてそのためには今はよく考えながら書かなくてはならないだろう。


 このMさんはあきらかに(……)さんのことだから、この時期、やはりもうさいしょの邂逅を果たしていたのだろうか? そうでないとたぶんじぶんのブログ内で言及しないのではないかとおもうが。それかもう勝手にMさんと呼んでいたのか。不明。


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 2014/1/19, Sun.は(……)に出て図書館に行っている。いまと変わらん。いちおう地名はいまのルールにあわせて検閲しておいた。駅前に、「田母神俊雄都知事選にむけて遊説に来ている」と。この時期の記述は、うえの写真の描写とおなじようなことだが、やはりぜんたいにぎこちなく、不自然な感じがつきまとう。それは上述したガルシア=マルケスへのとらわれがあるからだ。たとえば、「風がなければ寒いどころかむしろ室内の暖房でいくらかほてり気味になった肌に外の清涼さが快いが、ビルの合間を吹き流れる冬の風のなかに入ってしまうとつのるマフラーへの恋しさに冬の実感を覚えずにはいられなかった。狭い空間のなかに無理やり押しこめたように急傾斜をなす階段をおりてコンビニに入り一万円をおろした」という文がある。この後段、「狭い空間のなかに無理やり押しこめたように急傾斜をなす階段」というのは、こちらは読めばあああそこのことだなというのはわかるのだけれど、文の冒頭で「階段」にたいする修飾をわざわざこんなにつけなくてもいいだろう、というながれのわるさがある。まあいまもわりとおなじことはやってしまっている気もするが、これはガルシア=マルケスをならって、この世の事物や瞬間はすべて相応の具体性や特殊性をはらみもっているのだから、それをなるべくうつし取りたいというおもいがあったために、すこし無理をしたかっこうだろう。過去時制にこだわったがために不自然になっていることもときにある。このころはとにかく現在形で文を終えると、それが文を書いている実存的なじぶんじしんにつながってしまうようにおもわれて、ほぼつかわなかったし、つかうときは自意識のにおいが出ないようなことがらにかぎり、注意警戒していた。先述したように、じぶんを小説の登場人物化したかったのだが、あきらかにそれを意図しているなという記述がこの翌日の記事にある。しかしそのまえに一九日の記事のさいごで、入浴時に冷たい水を浴びては湯船に入ることを繰り返す温冷浴について、「初日は足先に水をかけただけで体全体がびくついていたのに今はもはや何ともなくなっていた」とあって、「初日は足先に水をかけただけで体全体がびくついていた」の部分に、やっぱりこの時期はいまと比べると体調は総体としてかなりわるいなとおもった。アトピーになっているのもそうだし、布団を三枚かけて寝ても足が冷えるというのもそう。いまはもう足なんて冷えない。血のめぐりがわるく、いわゆる自律神経のととのいのレベルがかなり低かったのだろう。
 2014/1/20, Mon.の問題の記述はふたつあって、ひとつはこれ。

 (……)今日もまたいつの間にか午後三時を過ぎているのにカフカをいくらも読み進められていないおのれの不甲斐なさに対する焦りがあった。読みたい本はいくらでもあった。アイロンをかけていると母が、またもう三時になって時間がないね!と悲痛な声をあげたが、まったくそのとおりだった。生きてきて今ほど人の一生が短いものだと思われた時期はなかった。その生涯の大半も生計を維持するための労働に費やされるのだから生とはやるせないものだった。いつだったか兄が送ってきたメールのなかで、一生を費やしてもわれわれは世界のうちの一パーセントでも知ることはできないのだろうと書いていたことはまったく真実に他ならなかった。時間は日に日にその速度を増しているかのように感じられ、二十四になってからはやくも一週間が経とうとしていた。


 「生きてきて今ほど人の一生が短いものだと思われた時期はなかった」の一文が、あきらかにじぶんを登場人物化しようとしている。いまだったらもうふつうに、「思われた時期はない」と言っちゃう。それ以降のくだりもおなじで、おのれのいだいた感慨をマルケス風に書こうとしている。ちなみに、「いつだったか兄が送ってきたメールのなかで、一生を費やしてもわれわれは世界のうちの一パーセントでも知ることはできないのだろうと書いていたことはまったく真実に他ならなかった」というこのことは、いま進行中の詩の一行に盛りこんでいる。
 もうひとつはそれにつづく段落で、おなじような時間経過にたいする感慨。

 家事を終えると部屋に戻り、歯を磨きながらカフカ『城』を読み進めた。Kiss『Destroyer』を流しながら一六四ページまで読むと四時を過ぎたので『族長の秋』をぶつぶつとつぶやきながら湯に浸かった。ひげをそった。髪も伸びてわずらわしくなってきたが、記憶のなかではついこのあいだ切ったように思われる髪の毛も正確にいつ切ったかと問うてみても思い出せず、日記を検索してそれが一か月前であることを知った。あれから一か月経ったとはどうしても思えなかった。かといって二か月前だとも思えないし、二週間前だとも思えなかった。くり返される日々が平板すぎて、一か月という客観的な時間のイメージと主観的な記憶の距離が一致しないのかもしれなかった。一日に厚みというものがもしあるとしたら、今やその幅は着々と小さくなりつつあり、一週間前も一か月前もほとんど同じように稀釈された薄い記憶としてしか感じられなかった。