2022/8/2, Tue.

 あなたが魂を守ることについて考えてくれていることが嬉しい、このことは多くの人たちにまったく忘れ去られてしまっているか、あるいはまだまだ何も満たされていなくてわたしたちが自分たち自身のことを今のようにはわかっていなかった過去のロマンティックなたわごとだと見なされている。しかし基本的なことは(end95)まるで変わってはいない。クソみたいなものの中にいつまでもまみれ続けていると、いつのまにかクソのようになってしまう。わたしたちがやらなければならないことは、自分が何に向き合っているのかをちゃんと見抜くことで、そうすればそんなものにまみれるようなことはない。わたしは工場でボルトを締めるのと同じぐらい、新入生のクラスで英語を教えたりするのがいやだ。どちらもとんでもなくひどい。そんなことをして生きていかなければならない時、自由にできる時間を待ち遠しく思うようになる。これが実に巧妙に仕組まれているときている。多くの場合、どれだけうまくやったところで、別の時間、ボルトを締めたり、新入生に英語を教えたりといった時間に何もかもが吸い取られてしまう。アーティストたちの中には(今よりも過去の方がそうだとわたしは思うが)労働しないことで自由な時間をより多く手に入れる者たちがいて、それはすなわち時間を手に入れるためにひもじい思いをするということで、そんなことをすれば決まって罠にはまって、とんでもない目にあうことになってしまう。自殺か発狂。今わたしは腹が満ちているので前よりもうまく書けると思うが、それは多分いつも腹ペコだった時のことを覚えているからで、またそうなる可能性は極めて高いのだ。魂を救えるかどうかは、その人が何をやっているのか、それも見てすぐにわかるようなことではなく、そして何をどれほど多く抱えて始めなければならないのか、そしてやり続ける中でどれほど多くのものを実際に得ることができるのかということにかかっているのだ。プロの魂の救済人たちやインテリたちがいて、標準的なやり方にのっとってあれこれとやってみるものの、その結果は標準的に救われるだけで、そんなものは救われたことにはまったくならない。わたしは何人かの知人から聞かれることがある、「どうして酒を飲み、そして競馬場通いをするんだ?」。わたしが家の中にひと月も籠もってまわりの壁を見つめている方が彼らは納得できるのだろう。彼らがわかっていないのは、わたしはそんなことはとっくにやってしまっているということだ。彼らがわかっていないのは、このからだの中がウイスキーとせめぎ合う言葉でいっぱいになっていなければ、わたしはもうおしまいだということで、だからこそわたしはそれに(酒瓶)(人混み)ありつける場所へと出かけていくのだ、これまではずっと。もっと先になると、多分、もうどうでもよくなるだろう。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、95~97; エドワード・ヴァン・アールスティン宛、1963年3月31日)




 覚めると八時台後半で、布団を半端にぐしゃぐしゃとどけて深呼吸をする。腹を揉んだりこめかみを揉んだり、腕を伸ばしたり。起床は九時。カーテンの裏側からもれだしているあかるみを見るかぎりではそんなに晴れ晴れしい天気ともみえず、曇りなのかなという印象もすこしあったのだが、紺色のカーテンをいざあけてみればそんなことはなく、向かいの保育園の上空には雲のすがたが見つけられない濃い青がきょうも詰まっている。洗面所に行って洗顔。シャワーを浴びずにねむったので髪の毛がまんなかあたりから分かれて前髪がもちあがったようなかたちになっている。マグカップで口をゆすいでうがいをし、水も一杯飲むと寝床へ。一年前の日記の読みかえし。それから二〇一四年の分も。このときについでにnoteでこのあいだつくった詩を読みかえしたが、いちばんさいごにある「だから」と「そして」は余計だったなとおもった。完成させたときには一行と一行のあいだの並列感というか、すきまのある感じが、うまく締めくくりに向かってながれない気がして足したのだけれど、それによってむしろいかにも終わりに向かっている感じが出てしまった。接続語の悪弊にもろにはまってしまった印象だ。埋めすぎた。散文とか小説ではなくていちおう詩としてできたものなのだから、やはり一行のあいだをそんなに埋めないほうがよかったのだ。しまったな。だが、いまさらこの二語を削るつもりはない。これはこれでもうよいのだ。
 一〇時過ぎに寝床を立って瞑想をした。二〇分少々。食事にはキャベツを切り、セロリもふだんに刻んで混ぜ、パプリカを散らし、大根をスライスして、外縁部にトマトを配置。なかなか見目の良い生サラダになった。シーザーサラダドレッシングをかけてベーコンを乗せる。そのほかニッポンハムのフランスパン風の細長いピザのたぐいを電子レンジで。食事中か食後から洗濯もはじめていた。洗い終わると干す。青空には淡い雲がさらさらと粉っぽく刷かれたようにうつっている。シャワーも浴びた。
 いま午後一一時なのだけれど、きょうはいままでずっと部屋にいて日記を書いたりウェブ記事を読んだりしていただけなので、書くほどの記憶もあまりない。いちにち部屋にこもると外出したときとの情報量の格差におどろかされる。しかしやはり毎日一回はそとの空気を浴びるべきではないのか? 用事がなく、どこかに出かけないとしても、夜、すぐそこの公園にでも行ってしばらくベンチに座って風を浴びたり本を読んだりするべきではないのか? 日記は七月三一日のものときのう、八月一日のものをかたづけることができた。勤務時のことで書く内容がおおい。なぜそんなに字数が必要なのか。情報量がおおいのか。きのうのことを書き終えて投稿したのはたぶん八時台か、九時に近いくらいだったのではないか。そこから休み、夕食を取ってウェブをちょっと見、皿洗いなども済ませたあとにこうしてきょうはみじかい文を書いている。夕食はいつもと同様、キャベツを中心にしたサラダをこしらえたが、先日買ってきたタマネギをようやくつかいだした。両端をうすく切り落とし、皮を剝いてスライサーでスライス。そのほかトマトももうないので、パプリカとキュウリとサラダチキン。それに実家からもらってきたケンタッキーフライドチキンと冷凍のコロッケをおかずに、「サトウのごはん」を食べた。フライドチキンのはいっていた密閉袋が空いたので、これでさらに生ゴミを入れられるようになった。このあらたな袋で明日を乗り切り、夜に燃えるゴミを出しておけば木曜日には自動的におさらばだ。昼間に休憩したときにカフカ全集もいくらか読みすすめたが、きょうはしたにならべたようにどちらかといえばウェブ記事をよく読んでいる。いちどめの食事のときにニュースでも見ようかなとおもって東京新聞にアクセスしたら、統一教会関連の記事がいくつかあって読んでしまったかたち。もうたぶんワイドショーとかでもバンバン報道されているのだとおもうが、自民党と同会はズブズブという感じのようですね。カフカ全集ならびに先日図書館で借りたもう二冊の返却期限は八月一一日である。いちおう二週間延長することはできるが、書抜きをできるだけはやく済ませておかなければならない。とそうおもいながらいままでひとつもできていないので、きょうこのあとやろうとおもっているが、そのほか健康保険が先月末でもう切れているので、つぎに医者に行ってヤクをもらうときまでに手続きをしておかなければならない。(……)クリニックは八月一一日から夏休みにはいる。いまのこっているヤクは二一錠で、それプラス財布に三錠。夏休みが明ける一八日以降で医者に行くとすれば、午後もやっていてこちらも休みである二三日火曜日だろう。となれば二一日後で、いちにち一錠ならちょうどくらいだが二錠飲む日もあるだろうからこころもとない。したがってやはり一〇日以前にいちど行っておくべきだが、そのためには国民健康保険の手続きを済ませなければならない。さっさと行っておかないとやばいな。あと、”(……)”の英語版も録っておきたいのだが。一四日に(……)もまじえて「(……)」の連中と会うことになっており、(……)がそこで”(……)”のはなししないかとかいっていたので、それまでに録って(……)に送っておいたほうがよいだろう。まあ一四日にカラオケに行くので、そこで録ってもよいかもしれんが、どうせだったらひとりでスタジオにちょっと入りたい気はしている。アコギで遊ぶついでに録ると。それでいま高校時代に行っていた(……)ってまだあるのかなとおもって検索してみたところ、現在はウェブで予約する無人スタジオになっているようだ。そうだったのか。むかしはけっこうフレンドリーなスタッフがいて、ややボロいけれどほかと比べて料金がすこし安めなのがけっこう気に入っていたのだが。見てみるとまあそりゃそんなもんだが、いちばん安い部屋でも一時間一六〇〇円するから、ひとりではいるとなると躊躇するな。三時間くらいははいりたいし。それだったらカラオケに行ったほうがよいか。アパートに来て以来とうぜんだが歌をうたえないので、とにかく歌はちょっとうたいたい。その他やるべきことはいろいろあって認知しているのだけれど、あいかわらず日々を記すのに追われる日々で、どうしてもそれをさきにしてしまうというか、それが済まないとほかのことに向かう心身にならず、だから一向にアイロンをかけていないワイシャツをまとめて処理したりできないでいるわけだ。


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 そのあとはウェブを見たり、カフカ全集を三箇所書き抜いたり、シャワーを浴びたり、寝床でだらだらしたり。夜更かしして四時半に就寝した。


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  • 「ことば」: 1 - 8


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  • 日記読み: 2021/8/2, Mon. / 2014/1/22, Wed.


 したは2021/8/2, Mon.から。

食事にはベーコンエッグを焼いて米のうえに。新聞、一面で、クーデターから半年を期してミャンマーのミン・アウン・フライン国軍総司令官が暫定首相に就任との報。三面にも関連記事。ミン・アウン・フラインはもともと司令官の任期が今年までだったらしいが、クーデター後に定年を撤廃しており、今後も権力をにぎりつづけるもよう。二〇二三年だか二四年だかに総選挙を実施することを誓う、と述べたという。NLDが勝った選挙は不正だったとの主張にもとづくもので、今後も国軍側は民主派を拘束したり、NLDを解党したり、民主派候補の立候補をみとめなかったりして対立者を排除しにかかるはずだから、総選挙をおこなったところでかたちだけの民政移管になるだろうとの観測。民主派の側も彼らの統一政府みたいなものをいちおう発足しており、戦力をつのって「連邦軍」をつくろうとしているらしく、民主派支持の市民のおおくは武力闘争に賛同しているようだから、内戦になるのではないか。もうなかばいじょう、そうなっているようなものかもしれないが。とはいえ、少数民族武装勢力も民主派とむすびつき、市民が彼らによって訓練を受けて兵となるとはいっても、軍事力とその規模はふつうに国軍のほうが高いのだろうし、民主派の暫定政府もいわば「オンライン政府」で国内に根拠がないから政権奪還は至難だろう、との見込み。

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いま三時四〇分で、一時間まえくらいから曇って空が白くなっているのだが、それいぜんはふつうに晴れていた。とうぜん暑い。とはいえ、風呂洗いをしているときなど、はいってくる大気のながれがけっこう涼しい感触でもあった。二時ごろにベランダの洗濯物を取りこみながらちょっと陽を肌に浴びて眼下を見下ろしたが、ひとつの木の葉の先からべつの木の枝先へとわたっている蜘蛛の糸がこちらの姿勢の変化や糸のふるえにおうじてたまさか宙に浮かびあがり、飴細工のように淡く微光するそのときだけ目に見えるようになる。

五時に家を出たころも空は白かったというか、ますます白くなっていて、全面白くなるどころかいくらか色が濁ってきており、雨が来てもおかしくはないなという気配で、公営住宅まえまで来ると棟のうえ、空間のむこうに南の山がのぞいているその稜線に触れながら、白を背景としながらやや濃い煙みたいな色の雲が、おさない画家の手によって気まぐれにわざわざそこだけぐるぐる塗り足されたといった調子でもやもやと浮かんでいた。木の間の坂にはいればきょうは西陽の色がないからもうけっこう薄暗く、そのなかでカナカナが左右のちかくから一心にかわるがわるに声をあげて宙をこすりながら埋めており、空は白くても左の斜面下で草むらの底にのぞく水の一所はやはり銀色に染まって散乱した鏡のようになっていて、すすめばじぶんじしんの影も足もとの路面にごくあわく湧いているのが見つかるがそれは夕刻の曇り空のわずかばかりのあかるみによるのではなく、道の電灯がもうつきはじめているためだろう。

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(……)一一時に退勤。かなりひさびさのことだが、徒歩を取ることに。暗夜の印象。裏道を行きながら左右をのぞくと木をいただく庭などかなり暗いし、道の先を見ても静電気みたいな黄緑色の街灯の裏の空があまりあきらかならないというか、闇の集合がのしかかっているようなかんじ。白猫に遭遇。こちらからモーションを見せたわけでなく、立ち止まろうとしたわけでもないのに、足音を聞きつけたのだろう、当該の家のまえまで来ると車のしたからすがたをあらわした。しゃがんでむかえると、道のまんなかにごろりとねころがって身をさらすので腹をやさしくなでてやれば、からだをそらせるようにして伸ばしたり、あくびをしたり、手や足をなめたりしながら臥位のままごろごろたたずんでいて、とても可愛らしい。時間が遅いのでやはりいつもよりねむいのだろうか、道を前後に通り抜けていく微風を浴びつつしばらく触れてたわむれてから立ち上がって別れても、いつものようについてこようとせず、寝転がったままだった。あるきながら、なんといういたいけな生き物なのかとおもった。まあそのように、脆いとかこわれやすいとか、こわれもののようなものとしてとらえるのも、猫に無礼だというか、人間の傲慢というものだろうが、それにしても可愛らしい。なぜなのかわからないが、猫と遭遇してしばらくたわむれたあとの道行きは、だいたいいつもちょっと神妙なような気分になるというか、死をおもうことがおおい。生命に触れたような感覚なのだろうか。それもまたあまり当を得た見方ともおもえないが、ただたしかに、人間と接するときよりも、猫においては生命がよりむき出しにちかいかたちであらわれているような印象は受けないでもない。言語が介在しないことによるのか? あるいは身体性がよりむき出しということなのか? いずれにしても、夜道をあるいているときにじぶんの死をおもうことはおおいというか、夜道をある程度の時間あるけばかならずおもうといっても良い。じぶんもいずれ死ぬんだなあ、と毎回かんがえている。それはたぶんしずかな夜道をひとりでいくと現在がわりと浮き彫りになっていまの瞬間の生が意識されるので、そこからひるがえって反転的に死をおもうという経路なのだとおもうが、猫に触れると、じぶんではないものの死をもおもうようなかんじがある。それはあの白猫じたいの死でもあるのだろうし、あの猫もそのうち、たぶんじぶんよりもはやくいなくなるんだろうなあ、というかんじでそこにさびしさももしかしたらあるのかもしれないが、あの猫の死だけにかぎられているのではないような気もする。


 したは同日の勤務時のこと。当時は検閲していて、いまも勤務中のことはほぼぜんぶ検閲対象だが、一年経ったしまあいいかな、と。関係者だれも読まんだろうし。しかしnoteにあげるのはやめておこう。パターナリズムとか権威的なにんげんになること(そのように振る舞ってしまう、もしくはそのようにうつること)についての警戒ぶり。「恋愛にいたらないくらいのレベルで好意の機微を交換するというエロスもしくは官能性をもとめている」ということはおおいにありそうな気がする。つまり、ライトノベルの主人公になりたいということか? 幼稚なことだが。

(……)先生が朝夕の勤務で神であり難儀もしていそうだったので、ねぎらいとして菓子を買ってくると申し出た(神である(……)先生に、お菓子の奉納を、とかくだらない冗談を言いつつ)。彼女は恐縮もしくは遠慮しながらも甘いものが食べたいというので、チョコレートでいいですねと言って、駅前の自販機にいって三品購入、そのうち二品をさしあげるという気前の良さを発揮した。(……)先生はけっこううれしそうで、いぜんにもいちどこういうことはあったのだけれど、それも合わせてきょうのこの件でなんとなくわりと仲良くなったような気がされ、というのもあちらから雑談の話題をいろいろ振ってきたのだ。それは良いことである。ただなんというか、自己分析として、こういうやさしさというか気遣いって、あいてが女性だからそうしているのかな、あいてが男性だったらここまではやらないのかな、という疑問も湧いてくるもので、要するに、下心まではいかないし恋愛関係にはいるつもりもないのだけれど、異性に好かれたいとか、恋愛にいたらないくらいのレベルで好意の機微を交換するというエロスもしくは官能性をもとめているのかな、というおのれじしんへの邪推があって、そうだとしたらなんかなあ、という気にもなる。パターナリズム的でもないか? 年上の頼れる男性としての像を演出するというか。(……)

(……)(……)先生は趣味は、と問いが来て、読書ですかと、いぜん文学が好きで、みたいなことをはなしたのを踏まえてだろう、つづいたが、まあそう、読み書きを、と受ければ、書くほうもやるんですかとかえるので、大学四年のときに体調が悪くて就活をまったくやらず、どうしようかとおもっていたところでいぜんから興味をいだいていた文学というものに手を出して、するとおもしろくてはまり、そのままいまにいたっている、と説明した。それを受けて(……)先生が、つぎの授業であつかう作品として『塵埃』というものをあげて、聞いたことがなかったのでだれだろうと疑問していると、(……)先生じしんも作者名をおもいだせなかったのでタブレットで検索してみたのだが、これが正宗白鳥のものだったので、正宗白鳥なんて読むのか、かなりマイナーなところを行きますね、と評した。マイナーなんですかというので、正宗白鳥読むひとはあんまりいないでしょう、と受ける。さすが国文学科だ。正宗白鳥などという作家は、よほど日本近代文学が好きなひとか、もはや国文学科の人間くらいしかほぼ読まないのではないか。しかしその『塵埃』は、いちおう読みはしたようだが、ぜんぜんわからなかったので、ほかに候補として挙がっていた泉鏡花にしておけば良かったか、と後悔しているようだった。僕はどちらも読んだことないですけど、とことわりながらも、泉鏡花幻想文学方面のひとだし、そっちのほうが読みやすかったかもしれないですね、という(たしかここで、たぶん過去に読んだらしい雰囲気で「外科室」の名を(……)先生は漏らしていたのだが、こちらは読んだことがないのでひろえなかったのだけれど、きちんとひろってなにかきくか、『高野聖』の名でもかえしておけば良かったかもしれない)。正宗白鳥は、まあ読んだことないんであれですけど、たぶんいわゆる私小説方面のひとだとおもうんで、だから身のまわりのささやかなことを書いたり、じぶんがおもったことをうだうだ書いたり、で、ああいうのとか文学とかって、だいたいあんまり物語性がないんで、ストーリーで引っ張っていくかんじじゃないものがおおいんで、そこで読んでるとまああんまりおもしろくないとおもいます、とかたり、それよりも、なんかここの描写いいなとか、このかんがえかたおもしろいなとか、このことばづかいすげえ、とか、そういうかんじで読んだほうがおもしろいとおもいますよ、と助言。せっかく国文学科にいるわけだし、文学というもののおもしろさをぜひ体感し理解してほしいものだが、そうやって無批判におのれを知っている者としての立場に置きながらあまりいろいろかたるのもなんか衒学っぽかったりそれもパターナリズム的だったり権威的だったりするので嫌だ。


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「旧統一教会と岸一族と北朝鮮 この奇妙な三角関係をどう考えるべきか」(2022/7/30)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/192732(https://www.tokyo-np.co.jp/article/192732))

 兄の安倍氏の銃撃事件以降、同氏と旧統一教会の関係が取り沙汰されてきた。源流をたどると、教団の日本進出のほか、反共産主義を掲げる政治団体国際勝共連合」の設立を冷戦下に後押しした祖父の故・岸信介元首相に行き着く。
 「反共」を名目に接点を持った岸一族と教団。両者の関係を考える上で気になる存在がある。共産主義を掲げて誕生した北朝鮮だ。教団は冷戦末期から同国とつながりを深めてきたからだ。
 教団のサイトによると、教祖の故・文鮮明氏は現在の北朝鮮平安北道出身。1954年に韓国で教団を創立して信者を増やした一方、91年に北朝鮮側の招きに応じて電撃訪問。文氏は主席の金日成 [キムイルソン] 氏と会談し、南北の離散家族を捜す事業の推進などで合意した。
 その後、金正日 [キムジョンイル] 、金正恩 [キムジョンウン] 両氏ら後継指導者とも関係を築いた。2012年9月に文氏が死去した際は、正恩氏が「民族の和解と団結、国の統一と世界平和のために傾けた先生の努力と功績は長く伝えられる」と弔文を遺族に送った。一周忌を前にした13年8月にも追悼メッセージを出すなど、教団への配慮を見せた。

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 反共を掲げる教団が北朝鮮と接近したのはなぜか。文氏訪朝時に教団系の日刊紙「世界日報」記者だった元信者で、金沢大の仲正昌樹教授(思想史)は「文氏には祖国統一の理念があった。教会としても、訪朝目的は北朝鮮共産主義を克服するために指導者に働きかけ、悔い改めさせるとの理屈が成り立つ」と語る。
 教団とつながりを持つことは北朝鮮にもメリットがあったとみる。「教会信者の経営する会社が北朝鮮に協力するなどし、利益をもたらした面はある」
 朝鮮半島問題の専門誌「コリア・レポート」の辺真一編集長は「一九八九年にベルリンの壁が崩壊してから東西陣営の緊張緩和が進み、反共一辺倒だった統一教会の姿勢も変わった」と指摘。「北朝鮮統一教会の資金力に加え、米共和党へのコネクションを利用する思惑もあった。北に強硬姿勢だった同党との関係を改善しようとしたからだ」

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 山口大の纐纈 [こうけつ] 厚名誉教授(政治学)は「岸氏や兄の安倍氏の選挙区がある山口県は、朝鮮半島に近い。岸一族はさまざまな『半島ルート』を持っている」と語る。その力を思わせる一件として、2002年の拉致被害者5人の一時帰国を挙げる。当時、官房副長官として小泉純一郎首相の訪朝に同行したのは安倍氏だ。
 「北朝鮮との公式なパイプが細っている今、外交、国防、拉致問題の解決といった問題には、私的ルートを頼らざるをえない。ただ、それを持つ人物が防衛相だと、安全保障上、大いに問題だ」と纐纈氏は話す。
 「教団側はさまざまな政治家とパイプを持ち、政治家をコントロールしうる立場にある。そんな集団と防衛相が近しいと、日本を危機に追い込みかねない」
 岸氏はこれまでの会見で、選挙で手伝いをした教団所属の人物が「(投票を呼びかける)電話作戦などはあったと思う」と明かした。お膝元の選挙区は、米軍と海上自衛隊が共同使用する岩国基地のある山口県岩国市が含まれている。「教団関係者が電話作戦をしたのなら、岸氏の事務所から支持者名簿が教団に渡っていないか。それがどこまで流れたのか、検証しなくては」と纐纈氏は訴える。


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「旧統一教会自民党国会議員、接点次々と明らかに…関係を断てないワケとは」(2022/7/29)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/192403(https://www.tokyo-np.co.jp/article/192403))

 自民党青山繁晴参院議員が18日、ブログで「自由民主党の立候補者と(旧)統一教会の関係をめぐって、わたしが参院選の前に行動したこと」と題し、文章を書き込んだ。
 ある「派閥の長」が青山氏に対し、「各業界団体の票だけでは足りない議員については、旧統一教会が認めてくれれば、その票を割り振ることがある」と話したというのだ。さらに、旧統一教会の支援を受けていることを明らかにしないのは問題だと指摘すると、「業界団体の票だけでは届かない議員は、別の手段も考える。選挙が意外に弱い候補者が多いからね」と言い放ったという。
 青山氏は旧統一教会との関係を「見直すべきです」と進言したが、派閥の長は具体的に答えなかった。「(派閥の長は)やむを得ないとは、最後まで仰いませんでしたが、そういう趣旨だと考えます」と推測した。

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 安倍氏実弟岸信夫防衛相は、教団所属の人物から選挙の手伝いを受けたと認め、「ボランティアとしてお力を頂いた。(投票を呼び掛ける)電話作戦などはあったと思う」と話した。二之湯智国家公安委員長も関連団体のイベントの実行委員長を務めた。末松信介文部科学相は教団関係者にパーティー券を購入してもらったことを認めた。
 工藤彰三衆院議員(愛知4区)は関連団体から選挙の応援を受けてきたことを認めたが、「破壊的なカルトや反社(反社会勢力)と認定されている団体なら付き合わないが、決してそういうわけではない」と述べ、今後も付き合いを続ける意向を示した。
 さらに、第1次安倍政権で政務秘書官を務め、10日の参院選比例代表で当選した井上義行氏は、教団の「賛同会員」だ。事務所によると、教団の信条と掲げる政策が一致したことを理由に挙げる。ただ、会費や寄付は互いになく、選挙での動員もないという。
 野党もわずかだが、関係が明らかになった。立憲民主党の複数議員も教団や関連団体が開いた会合に祝電を送り、国民民主党玉木雄一郎代表は、教団と関係が深いとされる会社の元社長から寄付を受けていた。

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 鈴木 [エイト] 氏の独自調査によると、旧統一教会と関連がある国会議員は100人を超える。このうち約9割が自民議員という。「祝電を送るだけの関係から、教団関連団体の会費を払ったり、献金を受けるなどさまざま。双方が隠しながら関係が広がっている」と指摘する。
 全国霊感商法対策弁護士連絡会全国弁連)は2018年と19年、全国会議員に対し、「反社会的団体の違法活動にお墨付きを与えかねない」として旧統一教会関連のイベント参加やメッセージの送付、選挙で信者らの支援を受けるなどしないよう要望していた。
 鈴木氏は、当時の旧統一教会側の反応について「要望書を出した直後に全国弁連に『要望書を回収しろ』とクレームがあり、その反応の速さに驚いた。議員事務所内に関係者がいるということだろう」と振り返る。それだけでなく「議員に対するブリーフィングやセミナーで原理教育を刷り込むなど、かなり深く入り込んでいた」と説く。

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 「要するに『使えるから』に尽きるのだろう」。こう話すのは、北海道大大学院の桜井義秀教授(宗教社会学)。「選挙応援や私設秘書の派遣といった無償の労働力は献金などと違って外から見えない形で使えるので、政治家にとってありがたい」と説明し、旧統一教会にとって「政治家が祝辞や賛同メッセージを送ることは、教団の信頼を高めることになるし、結果的に勧誘に協力することになる」とメリットを強調する。
 これだけ自民党内に関係が広がっていれば、政策がゆがめられる恐れはないのか。「霊感商法により、1980、90年代に問題視されても、国会で野党から批判があっても免れてきた。結局、もみ消されているということだ」
 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏は「議員は選挙に勝つため。教団は政治とのパイプをつくるため。互いにウィンウィンで付き合っていた」と両者の関係を言い表す。「表立った利益誘導などはないだろうが、教団の関連団体はかなり多く、問題が潜んでいるかもしれない」とみる。


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「旧統一教会側と自民党改憲案が「一致」 緊急事態条項、家族条項…濃厚な関係が影響?」(2022/8/2)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/193136(https://www.tokyo-np.co.jp/article/193136))

 渡辺氏 [国際勝共連合の渡辺芳雄副会長] は先の動画で、憲法に「家族保護の文言追加」を主張。「家庭という基本的単位が、最も社会国家に必要。だから保護しなきゃいけないという文言を、何としても憲法にいれなくてはならない」と強調する。これに対し、自民草案で新設された24条条文には「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」とある。双方の「家族重視」は、よく似通っている。
 旧統一教会は2015年の改称で家庭連合と名乗っている通り、関連団体を含めて「家庭」「家族」はキーワードだ。創始者の故・文鮮明氏を「真のお父さま」と呼び、「神様の下に人類が一つの家族である世界」を理想に掲げる。
 こうした教団の「家族観」について、北海道大の桜井義秀教授(宗教社会学)は「目指しているのは文氏を中心にした『真の』家族。自由恋愛や婚前交渉は論外で、信者には合同結婚式で相手が選ばれる」と解説する。
 こうした教義に基づく家族観は、自民草案のうたう家族とは似て非なるものだ。ただ、桜井氏は、勝共連合が教義に基づく家族観を前面に出さず自民草案に同調していると指摘。その思惑について「教義を真正面から説くだけでは、多くの人々は受け入れず信者も増えない。だから教団側に都合の良い自民の改憲草案に乗っかり、利用しようとしている。実際に関連団体は『家庭づくり国民運動』などの講座を開き、旧統一教会の名を出さずに布教につなげてきた」と述べる。

     *

 自民草案は、現憲法20条にある「いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならない」の文言を削除。さらに、国とその機関の宗教活動を禁じた点も変え、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」とする。政教分離の原則を緩めるとの批判はかねてあったが、旧統一教会自民党との関係が問われている今、これを許していいのか。
 恵泉女学園大の斉藤小百合教授(憲法学)は「自民草案にはもともと、政治家による靖国神社参拝の違憲性を払拭し、国家神道復権させるもくろみがあるとみていた。さらに旧統一教会との関係も浮き彫りになり、政教分離のハードルを下げる方向で改憲が進むならば、憂慮すべき事態だ」と警鐘を鳴らす。
 斉藤氏は、自民草案と旧統一教会の考えに類似するのは「個人の尊重を退け、父権主義的家族の中に埋没させる危うさ」とみる。「立憲主義の柱となる個人の尊重をないがしろにするかのような改憲に、自民と旧統一教会が足並みをそろえているように見える」と問題視する。
 ただ、自民草案への影響が取り沙汰される主張を展開してきたのは、旧統一教会勝共連合に限らない。宗教団体の言説に詳しい評論家の古谷経衡氏は「日本会議神社本庁などの『宗教右派団体』は、自民草案に一定の影響を与えてきた。旧統一教会とも共通するのは、復古的な家族観、夫婦別姓反対などだ。そうした『雑念』が自民草案には入っているといえる」と説く。


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宇山卓栄「旧統一教会はなぜ日本に進出し、世界でも稀な規模に勢力拡大できたのか 『民族と文明で読み解く大アジア史』増補編5」(2022/7/23)(https://gendai.media/articles/-/97078(https://gendai.media/articles/-/97078))

日本での布教にあたり、朴正熙への接近の際にも利用された反共理念が再利用されます。旧統一教会は1958年から日本で布教をはじめ、反共親米を掲げていた岸信介政権に接近しました。多くの在日韓国人もこうした動きに呼応していきます。

意外に思われるかもしれませんが、今日でも在日韓国人は反共保守で、自民党支持者が多いのです。彼らは日韓関係を重視することを前提に、自由主義陣営の盟主としてのアメリカを強く支持し、共産主義を敵対視するという思想構図が自ずと形成されており、旧統一教会が掲げる反共姿勢に共鳴したのです。

統一教会の反共理念は日本人保守層にも浸透していきます。当時の日本人で「勝ち組」とされていた勢力は、いわゆる敗戦利得者たちでした。彼らは戦前からアメリカに近く、アメリカにより政財界で枢要な地位に就けられていました。彼らが共産主義と戦う保守主義者として大きな力を持っていました。こうして反共親米路線を明確に掲げた旧統一教会は、日本人保守層(特に学生たち)を一気に取り込むことに成功します。

     *

統一教会は、1964年に日本で宗教法人の認証を受けます。1968年に「共産主義に勝つ」を名称に込めた「国際勝共連合」を設立し、「政治的な布教」の拠点とします。同時に、霊感商法まがいのことも行い、多くの社会問題を引き起こしていくことになります。

統一教会が日本進出を狙ったのは経済的動機が大きかったと述べました。現在、旧統一教会に集まる資金のおよそ5割から7割は日本からのものだと言われています。世界の中でも突出して多いのです。


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「安倍元首相銃撃事件でジャーナリスト・青木理氏が感じた「不気味な兆候」とは〈dot.〉」(2022/7/9, Sat.)(https://news.yahoo.co.jp/articles/f9f08c76a796faacdfc5eee7e5cda75400634e09(https://news.yahoo.co.jp/articles/f9f08c76a796faacdfc5eee7e5cda75400634e09))

 昨年亡くなったノンフィクション作家の半藤一利さんと生前対談した際、半藤さんが「社会が戦争に向かう危険な兆候」をいくつか挙げていたのを思い出します。(1)被害者意識と反発が国民に煽られる、(2)言論が不自由になる、(3)教育が国粋主義に変わる、(4)監視体制が強化される、(5)ナショナリズムが強調される、そして(6)テロの実行が始まるーー。


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K ヒロ「「東京ドームに押しかけて接種妨害」反ワクチン団体に参加しているのはどんな人々なのか 根底にあるのは、知的エリートへの劣等感と医療への不信感」(2022/3/31)(https://president.jp/articles/-/56072(https://president.jp/articles/-/56072))

筆者がこれまでに経験した反ワクチン派への取材では、注射で体内に異物を入れることに、経口薬よりも一層強い抵抗感を抱いているケースが多かった。また、いくらやさしく説明されても、(ワクチンに限らず)科学的な話題を理解できない人が多い。「専門家の説明はわからないことが多くて頭に入らない。聞きたくなかった」といった言葉を、反ワクチン集団の内情を教えてくれた人々はよく口にしていた。

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過去に取材したケースの中から、実際の声をいくつか紹介したい。「尾身さん(尾身茂・新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)のことが気に入らない人はみんな、『偉そうに指図しやがって』と思っている」(元陰謀論者の40代男性)。「そうなったらいいなと思っていることを、専門家に『間違っている』と言われるのは嫌がらせをされているように感じる。こんな雰囲気が仲間うちにあった」(元陰謀論者の20代女性)。「アトピーの治療で医者が信じられなくなった。どうして嫌みを言われていじめられなくてはいけなかったのか」(ワクチンが信じられない男子大学生)。

科学的な説明を理解できない、あるいは理解する気がない。専門家が難しい話をしていると「偉そうだ」と劣等感を募らせ、自分の願望どおりの話をしないことに嫌悪感を抱く。医師への不信感を拭い去れない――。こうしたタイプの人々が、ワクチンを勧める専門家や医師の話を信用できないと、かたくなになっているケースが多かった。彼らはワクチンを批判する情報に感化されて反ワクチン派になったのではない。まず知的エリートへの劣等感や医療への不信感があり、そうした感情を正当化したり肯定したりしてくれるものとしてワクチン害悪論や陰謀論に引き寄せられた面が大きいのではないか。

反ワクチン派が他人のワクチン接種に干渉するのは、それが一層の自己肯定感を得られる行為だからだ。会員制交流サイト(SNS)やデモで「ワクチンを打つな」と声をあげたことがある人々は、主張しているときとても気分がよかったと語っていた。

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家族が反ワクチン派になってしまったという30代女性は言う。「(問題の家族にとっては)『反ワクチンの先生たちは自分たちをわかってくれている』という信頼感がすごい。わかってもらえたり認めてもらえたりした経験がきっかけで、深入りしていったみたいです」

高齢者が陰謀論に染まって反ワクチンデモに参加する場合も、承認欲求やプライドを刺激されているケースが多い。若い人たちが参加を歓迎してくれるだけでなく、役割を与えられた気がする。運動に貢献すればするほど、自分本来の能力に見合う尊敬を得られる気がする。次々と新しい情報が耳に入り、未知のできごとが発生し、みんなで協力して乗り切る充実感がある――。そんなポジティブな精神状態になれるのだ。

東京ドームで接種阻止をもくろんだ陰謀論団体は、「神真都Q(ヤマトキュー)」という名を名乗っている。構成員は40代から50代がボリュームゾーンで、次にそれ以上の高齢者が多い。デモや実力行使の様子を見ると、地方ではむしろ高齢者を中心にした組織のように思われる。

父親が主催者のYoutubeをきっかけに神真都Qの構成員になった女性は、筆者の取材にこう答えた。「もう誰も父を止められません。うれしそうにデモに行っていた頃とも別人になってしまった。正義の味方ごっこだったのが、ほんとうに正義の味方になったと信じ込んでしまっているんです。やめてほしいと家族が言えたのは(2022年)1月ごろまでで、飲みかけの缶ビールをぶつけられてからもう何も言えなくなりました。私のことを悪の手先だと思っているんだと思います。おまえが二度と来られないように玄関の鍵を替えると言われました」

ワクチン害悪論や陰謀論には、大抵「敵」が設定されている。金もうけをする製薬会社や医師、世界を支配しようとする権力者や民族などさまざまだが、神真都Qの場合は「悪い宇宙人」が敵だ。こうした敵と闘う仲間同士が助け合い、尊重し合うことで、それぞれの自尊心が満たされる。社会から期待されるものがなくなり人付き合いが減った高齢者にとって、世のため人のために貢献できる集団の心地よさは格別だ。


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佐々木敦「小説家蓮實重彦、一、二、三、四、」(https://sasakiatsushi.tumblr.com/post/165923041553/小説家蓮實重彦一二三四(https://sasakiatsushi.tumblr.com/post/165923041553/%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E5%AE%B6%E8%93%AE%E5%AF%A6%E9%87%8D%E5%BD%A6%E4%B8%80%E4%BA%8C%E4%B8%89%E5%9B%9B))




マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)


 それでカフカの「本当の意志」はどうなのか? フェリーツェにあてた終りごろの手紙(一九一七年一〇月一日)で、彼は自分のなかに戦っている二つの存在について語っている。この二つのものの戦いが彼なのであり [﹅5] 、その戦いのなかで自分は滅びるだろう。そして、彼の胸のなかで戦う心の数については、いわば自分の都合のいいように、数えちがいをするけれども(そこには多くの戦士がおり、めいめいが戦っているのだから)、作品が問題になると突然始まるのは、いつも二つのものの決闘である。作品については、敵対者たちは有名な二つの役割、ファウストメフィストフェレスの役を、カフカ晩年の疲れた調子ではあるが、たがいに分担しているようだ。いったい作品からなにが読みとれるのか? と一方がきき、永遠に空虚なものこそむしろ望ましいという。すると相手は、地上の生活の痕跡が、もしかして永遠に消えることがないとすれば、それは作品のおかげではないかと、ほのかな希望をこめた疑いをいだく。すると前者が、それにしても、いったいそれがなにになるだろうとたずねる。「でも、かまわないさ!」というのが、カフカの時代的言語的な仲間たちの共通用語だった。しかしカフカは、この無関心の誘惑には、抵抗するほかはなかった。徒労の虚無への傾向と、時間が成就されることへの欲求とは、おなじように情熱的であったから、彼の芸術と生活のどんな瞬間にも、そうした懐疑をいだくことはできなかった。そして芸術と生活のあいだには、この場合ひとつの「と」が無意味な役目を果し、言語上やむをえず連結しているが、あとでわれわれが見るように、その連結は実際のところ同一をも和解しえない対立をも、おなじように意味している。こうしてカフカが、繰返し新たに、調和できない可能性の前に――たとえば、詩人の名誉か忘却の救いか、結婚か禁欲か――立ったとすれば、それはただそのたびに、両者の実現が彼に、ほかならぬ彼に課せられているように思われたからだ。だから彼は、しばしばあれほど烈しくまた集中的に動揺したので、その動揺は遠くからみると、ほとんど確乎としてみえた。そのようなパラドックスのなかに、カフカの風変りな天才は根ざしており、だからこそ、その天才を最初にみとめたマックス・ブロートは、カフカの意志の原文通りに行動しなかったのだ。カフカの意志の? しかし、カフカの意志は原文をもたなかったし、彼の原文は意志をもたなかった。
 彼以前にハムレットが似た状況にあった。だからハムレットの「自己断罪」はおなじ根源から、つまり人間の内なる心が、外的生活からますます離れる方向へ動くよう、始(end11)めからきめられている場合に生じる。フォーティンブラスはなぜ「ハムレットがすぐれた王者の実を示した」と信じることができたのか、とカフカは一九一五年九月末の日記で問う。内部と外部の一致の上にこそ成りたつ「真正な生活」が幻想となり、ためらいが唯一つ「ほんもの」の行動となる場合、王者の実とは? 精神と環境のこの不均衡、ヘーゲルが世界精神の現在の歴史的状況自体に責任を負わせた、世界からの人間の「疎外」を自分自身の責任として、演技とか、いや、虚偽とか欺瞞とか自己非難するのは、倫理的に最も敏感な人々である。その場合、すべての外面的なしるしは――両親の家にたいする拒否であれ、煩わしい職業の放棄であれ、または結婚にふみ切ったり、ただ単に書いた言葉でさえ――内的状況のひどく誤まった表示のようにみえる。カフカが一九一七年一〇月一日の恐しい衝撃的な手紙――自分の病気を「外的」兆候だけでみれば結核だが、「内的」には彼が自ら人生を獲得しようとつとめる武器であるかのように述べ、だから自分はまた「もう決して健康にならないでしょう」と書いている手紙――を婚約者にあてて書く前、つまり彼が「外的な」肺結核すら「うその」しるしと見なすこの手紙を書く前に、彼女はカフカが自分にたいして、いつも誠実であったかどうか、彼にたずねたにちがいない。上に述べたように、彼自身によって避けがたいと見ぬかれている困った状況すら、自分の倫理的過失のせいにする人間の道徳的ヒポコンデリーでもって、彼はつぎのように返答する。自分は「大変少し」しか嘘をつかなかった、ただし、自分には「そもそも〈大変少しの〉嘘というものが存在しうるとしての話ですが。ぼくは嘘つきの人間です、平衡をそれ以外に保ちようがないのです、ぼくの小舟は大変壊れ易い。」 嘘なしには保てない平衡とは、きっと内的ならびに外的条件のあいだの平衡のことだろうし、小舟の壊れやすさは、この舟が、意地の悪いことにカフカがなかで動くようきめられている世界の自然法則にしたがっては、作られていないことから明らかとなる。嘘についてのこの告白は、その「外的な」単純さで「偽って」いるが、そのあとにカフカ独特の複雑化がつづき、真実に近づく。しかし、もうとても言い表わせぬことを、省略符号で表現するようなものである。そうだ、自分はだましたい、「ただし欺瞞なしに」とカフカは書いている。
 ハムレットの「偽装」が、内的人間が外部で行動するやいなや別人となるように強いられるある事情の、舞台向きの暗号にすぎないように、カフカの「欺瞞なしにだますこと」とは、内部と外部のあいだにひらく深淵のふちで支払われる、正直な橋通行税にすぎない。「欺瞞なしにだます」――それは、三年以上も前、一九一四年七月二三日の日記に、ベルリンで最初の婚約解消をしたときの家族の光景を(end12)描いて、「まったく潔白でありながら悪魔的」と自分を呼んだ言葉の、すこしおだやかな言い直しである。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、11~13; エーリヒ・ヘラー「まえがき」)

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 創作、作品の成就と名誉にたいする彼の関係は、結婚にたいする関係と変らなかった。だからフランツ・カフカの「真の」遺言執行人は魔術師、一連の神話的場面を監督できる者でなくてはならなかっただろう――焼却が行われたあと、灰のなかから比類のない純粋さと美しさで、浄化された作品が、「ただ、光、自由、力のみを示し、翳りも限界もない作品」がふたたび現われる。そういう言葉で、ドイツ文学史上もう一人の純粋主義者が、あるとき彼の最高の詩人的要求を表現し、その実現には、自らまったく消磨しつくすとしても、彼の資質の「全能力と天上的部分のすべて」をあげて当ろうとした。シラーが一七九五年、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトにあてて、そう書いたのだ。そしてカフカは、その短編『田舎医者』を書きおえて、一九一七年九月末の日記に、こういう仕事の完成は「しばらくの満足」を与えてはくれるが、幸福になれるのはただ、「世界を、純粋で真実で不変のものに引き上げることのできる」ときだけだと書いた。カフカはそれ以外の意志はもたなかったように、しばしば思われるが、その意志はしかし、意志の世界の否定であるような世界、あの「精神的世界」にむけられていた。それは彼がかつてそれしか存在しないといった世界だ――「我々が感覚的世界とよぶものは、精神的世界の悪である……」 そして芸術が、ただ一つ真の世界である精神的世界を、そのなかの悪から浄める――言語的内実の絶対的完成によって――ことこそ、芸術への、自分の芸術への、けっして止むことのない彼の要求だった。たしかに言語は人間相互間のまったく普遍的なもので、ねずみ族のどれもが鳴くように、だれもが話す。しかしカフカの芸術家、ねずみの歌姫ヨゼフィーネが鳴くときだけ、「鳴くことは日常生活の束縛から離れ、我々をもしばしの間解放する」のだ。フローベールカフカにとってきわめて重要な意味をもっていたので、フェリーツェあての葉書(一九一六年一〇月二六日)でストリンドベリについていったことを、彼にもいえたであろう――「眼を閉じさえすれば、自分の血がストリンドベリについて講義します。」 そして、「まったくなにものをも扱わない本、外的世界に少しも関係をもたず、その文体の内的力によってのみ成立しているような本を書くこと」を、かつて夢みたのはフローベールだった。フローベールの場合しかしまだまったくの審美主義だったものが、カフカにおいては絶対芸術の仮面をぬぎ、あからさまに彼の宗教的相貌を現わしている。カフカはその書きものを、かつて祈りの一形式と呼んだし、(end14)自分が結婚できないことをフェリーツェに説得しようとするとき、ほとんどいつも作家としての生活を、それが修道士的な結婚禁止の掟への服従に依存してでもいるかのように、引きあいに出したのだ。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、14~15; エーリヒ・ヘラー「まえがき」)

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 書くことがうまくいくときだけ、生きる力も湧くと、カフカはくりかえし彼女に断言する。きわめて早い時期、一九一二年一一月一日にもう彼は、「薄弱な書き方しかできないときは、けっして貴方に向う勇気をもてなかったでしょう」と告白している。しかし、このような力の過剰がまれに生じた場合、それを人生に浪費してはならない。なぜなら、芸術に見捨てられれば、彼は神に見捨てられたと感じ、人間関係にも堪えられなくなる。――循環論法というものがかつて存在したとすれば、これこそそうだ。文通のはじめ数週間過ぎるとはや、彼女は明らかに――強力な競争者に脅やかされる女性の本能をもって――書くことに節度をもつよう忠告する。いや、もし彼女の要求通りにすれば、自分は「どうしようもない愚か者」だろうと一九一二年一一月五日に彼は答える。「その点で私が自分をいたわるとすれば、正しくみれば、本来いたわることにならないで、自分を殺すことです」(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、15; エーリヒ・ヘラー「まえがき」)