2022/9/1, Thu.

 わたしが何を言おうとしているのかといえば、幸運が巡ってきても、それを真に受けるなということだ。二十代で有名になったりすると、それに押しつぶされないようにするのは至難の技だ。六十歳を過ぎて少しだけ有名になったとしても、うまく対応することができる。エズ・パウンド老がいつも言っていたのは、「自分の仕事 [﹅2] をしろ」ということだった。わたしは彼が言わんとすることを明確に理解していた。たとえわたしにとって書くことが酒を飲むこと以上の仕事になり得ないとしても。そして、もちろんのこと、今もわたしは酒を飲んでいて、この手紙が少しとっ散らかっているとしても、そう、これがわたしのスタイル [﹅4] なのだ。
 あなたがご承知かどうかはわからない。何人かの詩人を引き合いに出してみる。最初からとてもうまくいく者がいる。閃き、燃え上がり、いちかばちかのやり方で書き留める。最初の一、二冊はかなりのものだが、やがて消え去ってしまう [﹅8] ように思える。あたりを見回してみれば、彼らはどこかの大学で創作についての講義をしている。今や自分たちはどういうふうに書けばいいのかわかっていると思い込み、その方法を他人に教えようとしているわけだ。これはむかつく。彼らは自分たちの今の姿を受け入れてしまっているのだ。そんなことができるなんて信じられない。まるでどこかの男がふらっと現れ、自分はおまんこをするのが得意だと思っているから、わたしにおまんこの仕方を教えようとするよ(end246)うなものだ。
 いい作家がどこかにいるとすれば、彼らは「わたしは作家だ」と思いながら、あたりをうろつき回り、あちこちに顔を出し、ペラペラと何でも喋り、やたらと目につくことをするとは思えない。他にやることが何もないからそうやって生きているだけだ。山積しているではないか……恐ろしいことに恐ろしくないこと、さまざまなお喋り、フニャちん野郎たちに悪夢、悲鳴、笑い声と死と何もない果てしない空間などなどが、ひとつになり始め、それからタイプライターが目に入ると、彼らはその前に座って、押し出されていく、計画など何もない、ただ出てくるだけ。彼らがまだついているのなら。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、246~247; ロス・ペキーノ・グレイジャー宛、1983年2月16日)




 いまもう九月二日の午前零時六分になったがここまでこの日のことを書けなかった。きょうはなぜか六時半過ぎに覚めて七時台にはやくも起床してしまい、あとでねむくなったので二時前にいくらかまどろんだが、またもたくさんあるくために出かけた休日である。(……)に出て、モノレールしたの広場を一周そぞろあるいた。歩行の熱をとどめたからだでひさしぶりに喫茶店にはいってそこでバリバリと書きものをしようかなとおもっていたのだが、(……)に併設された店にいざ行ってみるとけっこう混んでいてはいる気にならなかったので、けっきょく帰ったあとにきのうのことをわりと怒涛のいきおいで書き、さきほどしあげて投稿した。引用をのぞいても検閲されている職場のことをふくめれば一万五〇〇〇字は超えているのではないか。あるくととうぜんながら知覚刺激と印象と情報量が格段に増えるので書くこともふくれあがってなかなか追いつかない。しかし、あるかなくてももともと追いついていなかったので変わりはしないどころか、むしろ歩いたほうがまだやる気が出てよく書ける。きのう、八月三一日の記事はひさしぶりにだいぶ満足に記せたという充実感がある。きょうのこともさっさと記したいが、もうだいぶ文を書くことに心身をついやしたし、さすがにこの時間になるとここからさらにこのまま行くぞという気にはなりがたい。しかし軽いポイントだけさきに書いておくと、まず朝起きたときにそこそこはげしい雨降りだった。その後止んだが、洗濯物はなかに干した。外出はちょうど三時ごろ。帰宅後にブランショ『文学空間』を寝床でいくらか読んだところ、ようやく乗れるようになってきたような感じがあった。ここまで読み出してもそのたびにぜんぜんすすまなかったのだが、きょうは20ページくらいすすむことができた。外出の帰りにはスーパーに寄っていくらか買い物。米といっしょに食うようなものがなかったので。そもそもそのパック米じたい、あとひとつになっていた。きょうの歩行はたぶん一時間四〇分か五〇分くらいになったはず。きのうは勤務だったが、行きに三五分ほど、帰りに職場から(……)までで二〇分、(……)から家までで三五分というわけで、一時間三〇分はあるいただろう。行きにも(……)で降りてあるけばもう二〇分追加になる。晴れの日はまださすがに厳しいが、曇りだったり、これから季節が涼しくなってくればそれもできるだろう。歩行時間の記録をつくって、週ごととか月ごととか累計のデータを取るのもよいかもしれない。そういえばきのうときょうで"The Gymnasiums of the Mind"(https://philosophynow.org/issues/44/The_Gymnasiums_of_the_Mind)という記事を読んだのだけれど、これによればソローとかニーチェとかはめちゃくちゃ歩いていて笑う。おまえそれはいくらなんでもあるきすぎだろと。記述を引いておくと、ソローについては、〈In his brief life Henry David Thoreau walked an estimated 250,000 miles, or ten times the circumference of earth. “I think that I cannot preserve my health and spirits,” wrote Thoreau, “unless I spend four hours a day at least – and it is commonly more than that – sauntering through the woods and over the hills and fields absolutely free from worldly engagements.〉とのこと。一日に最低でも四時間はあるかないと健康と気力をたもてない気がすると言っているわけである。ニーチェはもっとやばくて、〈None of these laggards, however, could touch Friedrich Nietzsche, who held that “all truly great thoughts are conceived by walking.” Rising at dawn, Nietzsche would stalk through the countryside till 11 a.m. Then, after a short break, he would set out on a two-hour hike through the forest to Lake Sils. After lunch he was off again, parasol in hand, returning home at four or five o’clock, to commence the day’s writing.〉とある。かれに比べればみんな"laggards"(のろま、愚図)になってしまうわけで、というのはニーチェは夜明けとともに起き、休憩をはさみながらも午後四時か五時まで散策に行っているからだ。仮に九時から外出したとしても五時まで八時間あり、休憩を二時間と多めに見積もっても六時間はあるいている。労働者か。かれはあるきすぎてあたまがおかしくなったのかもしれない。ところでソローといえばきょう行った(……)の海外文学の棚(場所が変わりだいぶ縮小していたのだが、そもそも店舗じたい、いぜんは書店の範囲だった奥の区画が「(……)」になっており、着実におびやかされているようだ)にソローとジョン・ミューアゲーリー・スナイダーをならべて論じた九州大学出版局の四二〇〇円くらいの本があり、ソローの「野生」の哲学がミューアとスナイダーにどのように影響し受け継がれたかみたいなはなしのようで、いわば「野生」の系譜学だが、著者は高橋勤というなまえだったとおもう。このテーマはもちろんこちらの関心ピンポイントなのだけれど、きょうはなにも買う気がなかったし、買ってもすぐに読めるわけでないので見送った。これいじょうのことはあしたにしようかな。あしたは勤務なのでそう書ける気はしないが。天気を調べてみると曇りもしくは雨で、最高気温も二七度だというのでなかなか良いんじゃないか? 往路も(……)からあるけるのではないか。


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 先述のようにはやく目覚めて、活動開始も応じてはやかったのだが、ウェブ記事をたくさん読んだり洗濯をしたりと、出かけるまでにけっこう時間がかかってしまった。ウェブ記事というのはまた歩行にかんするGuardianとかの英文コラムだが、歩行時の姿勢のとりかたとか注意する筋肉とかについてやたら詳しく説明した記事などあっていちおう読んでしまう。そんなにガチで、ウォーキングとしてやるつもりはないのだが。Zoe Williamsというなまえだったがこのひとが専門家にじっさいに習って書いたこのコラムでは、歩行について記した近代の作家たちはみな共通してひとつのことを書いている、つまり歩行という活動の遅さを称讃することだ、と言い、しかし適切な姿勢とからだのうごかしかたを身につけてすばやく歩くことでそれとはべつの歩行感覚や身体的感覚の領野がひらけるみたいなはなしだった。はやく歩くと歩行の詩性(poesy)がうしなわれてしまうとおもわれるかもしれないが、それとはちがった、身体じたいのポエジーがあらわれてくるみたいな、ちょっと記憶が正確でないけれどそんなことを言っていたとおもう。とはいえじぶんはそっちに向かうつもりはいまのところなく、あくまでもゆっくりかるくあるいてひとびとから追い抜かされることを愛するものであり、ウォーキング・チルの信奉者である。たんじゅんなはなし、まわりのものものをゆっくり見たい。ただ姿勢をきちんとするとかは参考にしてよいかもしれない。両手をポケットに突っこんで猫背気味にゆらゆらあるくよりは、気張る必要はないけれどもうちょい背すじを伸ばしたほうがよいだろう。そうおもってこの日はあまりポケットに手を入れずにあるいたわけだが。ウォーキングについての記事を読んでいるとちゅうで画面右端に新着としてJulian Borger in Washington, “China’s treatment of Uyghurs may be crime against humanity, says UN human rights chief”(2022/9/1)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/31/china-uyghur-muslims-xinjiang-michelle-bachelet-un)というのも見かけたので、それも読んでおいた。


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 この日の道行きのことを。すでに九月四日の午前零時にはいったところなので、けっこうわすれてしまっているが。ほぼ三時に外出した。この日はアパートを出て左折するのではなく、きのうとは違う道から行こうということで右へ。角を出ると通りをわたって左折、西にすすんでいくととちゅうに学習塾があるわけだが、いつも自転車が停まっているその一階部分のスペースできょうは男性がなにかに黒いラッカースプレーをかけていた。突き当たると右に曲がりつつ向かいに渡り、左折して通りにはいる。まっすぐすすめば(……)通りに出るが、きょうはそこで横断歩道をわたったさきの裏道から(……)のほうへ行ってみることにした。まわりの建物はとうぜんながらだいたい住宅である。じきに踏切りに当たるがここが西国立駅からほんのすこし北上した地点で、渡りながらひだりを見れば、なんどかそこに立ったことのあるホームの端もすぐちかくに見えており、そこにないじぶんのすがたをみるような逆転の感が立つとともに、反対側を向けばホームからもたびたび望んだことのある赤白の電波塔がとおくに見える。あれは高校時代の通学路とちゅうにあったものだとおもっていたが、先日その横をとおった(……)の敷地内に立っているものかもしれない。レゴブロックを組み合わせたおもちゃのようでもあるし、巧みな手のあやとりによるみごとな一造形のようでもあるが、いずれにしてもその遊び手たる子どもは巨人である。踏切りを西に越えてからは裏道をそのままひたすらまっすぐ。よくわからんガールズバーみたいな店がとちゅうにあったり、建物から出てきた老人が上下オレンジいろのずいぶん派手なかっこうをしていたり。そうして出たのは堂々たるホテルが角にそびえている交差点で、つまり(……)の実家の通りをあるいてきたときとおなじ地点であり、まあ予想通りだ。そこを向かいにわたってそのまますすめばさくばんエッチなキャバクラにさそわれたのとおなじ道を反対からたどることになる。まだコロナウイルス状況はつづいており、東京都でもさいきん減ってきているとはいえいちにちの新規感染者は一万数千人規模のはずなのだが、このへんの飲み屋は夜にとおりながらなかをのぞくとふつうに席は埋まり、にぎわって繁盛している。みんなもうあまり気にしていないのだろう。感染したとしてももういいやというか、いちいち騒ぎ立てるようなことではない、くらいの感覚になってきているのではないか。じっさいのところ、比較的若い世代にとっての心配の種は感染症状そのものというよりも後遺症のほうだろう。パンデミックがはじまって序盤に「自粛警察」と呼ばれたような行動を取っていたひとびとは、いまどうおもっているのだろう?
 (……)駅に着くときょうは階段をのぼって駅舎に入り、北へ抜ける。特に目的地はなかったのだが、とりあえずモノレール下の広場をぶらぶらあるいてみようとおもっていた。それで北口広場に出ると左折し、高架歩廊上をたどっていって、モノレール駅のしたの通路を抜けて端まで来ると階段を下りて広場にはいった。広場は中央の頭上にモノレールの線路がとおり、そのしたは植込みがあったり草木があしらわれたり、その縁にベンチがもうけられたりしている。ベンチは左右にひろく幅をとられた通路の端などそこここにたくさんもうけられており、ひとびとはおもいおもいに腰掛けて飯を食ったり携帯を見たり、談笑したり愛を語らったりしているだろう。家からここまであるいてきてベンチに座り、あたたまったからだで風を浴びながら書見をするというのもわるくはなさそうだ。いかにも文学青年じみているが。それで右側の通路からあるきだして一周することに。ほかにもあるくひとびと、自転車で通るひとびと、ベンチに座っているひとびとはたくさんいる。しばらくすすむと中央部に草木が増えて木の間隔がせまくなり、するとセミの声がまだいくらかのこっている。あるいているとこちらを追い抜かすものがひとり、ヒップホップが好きそうな、ちょっとだぼっとした感じのストリートファッション風の若い男で、からだのゆれかたや歩調にはたしょうそういう生意気そうな威勢がみえないでもないが、しかし顔は終始うつむき気味で、うしろすがたにもかかわらず浮かない雰囲気が見えなくもない。じきに右端の店舗がならぶほうにはいっていって建物のまえを行ったかとおもいきや、ちょっと見ていなかったうちにすがたを消しており、そこにあった美容室か薬局かにはいったようだった。さらにすすんでいって広場端から左の通路にうつり、逆方向に振り向いてあるきだすから視点としてはまた右側の道をもときたほうに戻ることになる。そこには(……)なんとかいうカフェがあって(検索すると(……)だった)、ずいぶん洒落ていそうなようすでこんなところにこんなカフェあったのかとおもったが、(……)のライブホールに併設されたものだから、駅からわりとはなれていてもイベントに来た客がよくはいるだろう。ヤサにはしづらいのではないか。まあ、もうそとで作業をする気になることもまずないが。


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 記述がめんどうだしよくおぼえていないのでもうだいたい省略したいが、広場をもどっているあいだに、ここまでで一時間弱くらいぶっつづけであるいていたとおもうのだけれど、さすがに疲れたようでちょっとふらついてくる感じがあり、なんか飲んで休んだほうがいいなとおもった。とはいえもともと喫茶店にはいろうかとおもっていたので、(……)まではがんばろうとゆっくりあるき、広場に面した一階の入り口からビルにはいると息をつきながらエスカレーターをのぼっていって(……)へ。しかしいざ書店にはいってみて併設されている喫茶店をのぞいてみればけっこう混んでいるわけである。それなのではいる気が失せて、まあちょっと見ていくかということでそのへんの美術とか音楽とかの本を見たり。壁際は映画のコーナーで、ここに復刊されたヴェルナー・ヘルツォーク『氷上旅日記』が表紙を見せて置かれてあったので買ってしまおうかともおもったがおもいとどまり、そのすぐちかくには蓮實重彦の『ジョン・フォード論』があって、あ、知らないうちについに出てたのか、とおもった。奥付を見てみるとたしか七月だったとおもう。むろん読みたいは読みたいが、ジョン・フォード論を読むよりジョン・フォードをみることのほうが大事だろう。映画というものをみる習慣がぜんぜんない現状、映画の本を読むよりそもそももっと映画を見たほうがよいに決まっているのだが、どうしてもそうできない。それからまた振り向いて棚のあいだにはいってみるとおどろいたことにここに海外文学が移動しており、いぜんは人文書方面の壁際にあって、それよりもまえ、何年もまえはレジやエスカレーターそばの区画に何列かつかって取り揃えられており、そこでミシェル・レリス日記とかムージル著作集全九巻とかをすこしずつ買ったものだが、ついに縮小の一途でここまで来てしまったのだ。そればかりでなく、通路を行ってみるとレジの向こうの区画は、いぜんは受験参考書とかがあったとおもうのだけれどなんともはや(……)ですらなく「(……)」になっていた。(……)というのは(……)が同人誌を通販で買うのにつかっていた店だから、そういうアニメ・漫画・ゲーム方面の店だとおもっている。つまりとらのあな的な。やはりそちらのほうがつよいのだ。海外文学なんてたいして読まれやしない。時代は漫画とアニメだ。言語的構築物などという手間とエネルギーのかかるものなど読んでいられないのだ。あっという間に映像とVRとAIとテレパシー技術が言語造形を過去の遺跡とするだろう。もっとも、アニメや漫画や映像だってみるほうはともかく、つくるほうはめちゃくちゃな手間と労力がかかるはずだが。それは文学や哲学や言語的著作物にかけられるもののおおきさとなにひとつまったく変わりはしない。ばあいによってはそれよりもおおきいだろう。また、(……)がここまで衰退しているのはなんねんかまえに(……)に(……)がはいったという事情がかなりおおきいとおもうのだけれど、それいぜんはこの(……)こそ、(……)市の海外文学頒布を一手にになっていた功あるすばらしい店であった。それで海外文学の棚をみていると、ソローとジョン・ミューアとスナイダーを系譜的に論じたらしい本をみつけたというのはうえに書いたとおりだ。あとなんといったかわすれたのだけれどなんかアルトーとかブルトンとかが好きだったみたいななんとかいう作家の著作集みたいなものが二巻あるのを見かけたおぼえがある。ほか、ホフマン小説全集(だったか?)も。国書刊行会から上下巻で出ているでかいやつ。
 それでもう帰ることにして、エスカレーターをくだってフロアを下り、出口までのあいだに自販機があるのでそこで買ってなにか飲んでも良かったのだが、どうせだったらモノレールした広場で風を浴びながら休もうとおもってそとに出て、階段をまた下りるとそのへんの自販機まで歩き、キリンのスポーツドリンクを買うと手近のベンチに腰をおろして水分補給した。けっこうながくとどまる。そのあいだときどきボトルを取っては飲み物を飲むだけで、あとは目の前を行き過ぎるひとのすがたを見たりとかあたりを見回したりとかでなにもやっていない。このころには雲行きがだいぶあやしくなってきており、頭上は薄墨色にほぼおおわれつくしたような感じだった。左のほうのベンチには、さきほど広場のさきからもどってきたときにすでに見とめていたが、インドか東南アジアかそのへんの外国人男性がふたり腰掛けてなんとかはなしており、なんとなくひとりが職場の上司とか、年上の相談相手みたいなかんじで、もうひとりがなにか悩みをはなしたり問題を相談したりしているような感じで、そこそこ深刻そうな雰囲気だった。
 帰路へ。帰路もよくおぼえていないので省くが、ルートだけ記しておくと、広場から出ると映画館のあるそこの通りに沿って東進し、交差点を駅のほうへ、つまり南へわたるともうすこしすすんだところで対岸へ渡り、(……)の横の路地を行く。それで郵便局の角を出れば駅北口を出てすぐ東にはいった線路脇の道のとちゅうに出るわけで、つまり高校時代の通学路である。こんな店はなかったなとか、あーこれはあった、まだあんのか、とかならびを見ながらすすむ。(……)がバイトしていた中華屋もまだ生き残っていた。Family Martと寿司屋もそのまま。そのFamily Martのとなりがとくになんの思い出もないがなつかしき(……)ビルであり、その横がセンスの悪いカプセルホテルで、そこから向かいにわたったところに地下通路があるのでそれでもって南に抜けることに。抜けたあとはすぐ左折してほそい道を行ったがそのへんはラブホテルなのかよくわからんがたぶんそうらしい薄寂れたホテル類がいくつかあって、このへんこんな感じだったのかとおもいつつ行っていると線路脇に公園もあり、曇り空のうえに木蓋にふさがれて薄暗いそこの滑り台だかなんだか真っ赤なやつが妙なかたちをしていたので、ああこれがれいの「(……)」か、こんなばしょにあったのかとおもった。そのあとは公園のまえで右折しておもてに出て、来たときもあたった巨大なホテルがある交差点にいたり、そこから裏通りをおなじくもどるのは芸がないから(……)の実家のある通りをすすみ、線路に沿って曲がってみようかなとおもいきや踏切りを越えるとすぐには右にはいれない。ちょっといったところの口から折れて行っていると、行きもとおった(……)駅のほんのすこし北にある踏切りに出て、そこに線路脇をあるける細い通路があるので(帰ってきて電車から降りたさいによくホームからここを行くひとのすがたを見ていたものだが)、そこを行って駅前マンション敷地の脇を抜けてなじみのばしょへ、それでいつものまっすぐな細道を行ってスーパーに寄ったのだがこの時点で空がもちこたえてくれずすでに降り出していた。買い物後もいくらか降っていたが、そこまでではないのでいそがずあるいて帰宅。その後は前日のことをよく書いた。


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  • 「ことば」: 1- 5
  • 「読みかえし1」: 354 - 368
  • 日記読み: 2021/9/1, Wed. / 2014/2/12, Wed.


ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)より。

229: 「よく知られていて、すぐそれとわかる話では、「時々の情況にあった」ディテールひとつで、そのもてる意味をくつがえすことができる。話を「語りきかせる」ということは、決まり文句というありがたいステレオタイプのもとにこっそり忍びこませたこの余分な [﹅3] 要素を活かすということなのだ。もとになる枠組みにさしはさまれた「ふとしたもの」は、その場に、ちがった効果をうみだすのである。聞く耳をもった者にはそれがわかるのだ。さとい耳は、きまった語り [﹅2] のなかから、いまここで(それを [﹅3] )語る行為 [﹅4] ににじみでるなにかちがったものを聞きわけるすべを心得ていて、語り手のその巧みなひねりに耳をこらすそぶりをみせたりなどしない」

236: 「そうした神をよそに、都市の日常的な営みは、「下のほう」(down)、可視性がそこでとだえてしまうところから始まる。こうした日々の営みの基本形態、それは、歩く者たち(Wandersmänner)であり、かれら歩行者たちの身体は、自分たちが読めないままに書きつづっている都市という「テクスト」の活字の太さ細さに沿って動いてゆく。こうして歩いている者たちは、見ることのできない空間を利用しているのである。その空間についてかれらが知っていることといえば、抱きあう恋人たちが相手のからだを見ようにも見えないのとおなじくらいに、ただひたすら盲目の知識があるのみだ。この絡みあいのなかでこたえ交わし通じあう道の数々、ひとつひとつの身体がほかのたくさんの身体の徴を刻みながら織りなしてゆく知られざる詩の数々は、およそ読みえないものである。すべては、あたかも盲目性が、都市に住む人びとの実践の特徴をなしているかのようだ [註5] 。これらのエクリチュールの網の目は、作者も観衆もない物語 [イストワール] 、とぎれとぎれの軌跡の断片と、空間の変容とからなる多種多様な物語をつくりなしてゆく。こうした物語は、都市の表象にたいして、日常的に、そしてどこまでも、他者でありつづけている」; (註5): すでにデカルトは『精神指導の規則』において、視覚のあたえる錯覚と誤謬にたいし、盲目が事物と場所の認識を保証するとしている。

245~246: 「歩く行為 [アクト・ド・マルシェ] の都市システムにたいする関係は、発話行為(speech act)が言語 [ラング] や言い終えられた発話にたいする関係にひとしい [註13] 。実際、もっとも基本的なレベルで、歩く行為は、三重の「発話行為的」機能をはたしている。まずそれは、歩行者が地理システムを自分のものにする [﹅8] プロセスである(ちょうど話し手が言語を自分のものにし、身につけるのと同様に)。またそれは、場所の空間的実現 [﹅2] である(ちょうどパロール行為が言語の音声的実現であるように)。最後に、歩く行為は、相異なる立場のあいだで交わされるさまざまな(end245)関係 [﹅2] を、すなわち動きという形態をとった言語行為的な「契約」をふくんでいる(ちょうどことばによる [ヴェルバル] 発話行為が「話しかけ」であって、話し手と「相手をむかいあわせ」、対話者どうしのあいだにいろいろな契約を成立させるように [註14] )。こうして、歩くことはまず第一に、発話行為の空間として定義されるだろう」; (註13): 次をはじめ、この問題にとりくんでいる多くの研究を見られたい。J. Searle, 《What is a speech act?》, in M. Black (ed.), Philosophy in America, Allen & Unwin and Cornell University Press, 1965, p. 221-239.; (註14): E. Benveniste, Problèmes de linguistique générale, t. 2, Gallimard, 1974, p. 79-88, etc.


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Julian Borger in Washington, “China’s treatment of Uyghurs may be crime against humanity, says UN human rights chief”(2022/9/1)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/31/china-uyghur-muslims-xinjiang-michelle-bachelet-un(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/31/china-uyghur-muslims-xinjiang-michelle-bachelet-un))

Over the past five years, China swept an estimated million Uyghurs and other minority groups into internment camps which it termed training centres. Some of the centres have since been closed but there are still thought to be hundreds of thousands still incarcerated. In several hundred cases families had no idea about the fate of relatives who had been detained.

Out of 26 former inmates interviewed by UN investigators, two-thirds “reported having been subjected to treatment that would amount to torture and/or other forms of ill-treatment”.

The abuses described included beatings with electric batons while being strapped in a “tiger chair” (to which inmates are strapped by their hands and feet), extended solitary confinement, as well as what appeared to be a form of waterboarding, “being subjected to interrogation with water being poured in their faces”.

The US and some other countries have said the mass incarceration of Uyghurs and other Muslims in Xinjiang, the destruction of mosques and communities and forced abortion and sterilisation, amount to genocide. The UN report does not mention genocide but says allegations of torture, including force medical procedures, as well as sexual violence were all “credible”.

It said that the authorities had deemed violations of the three-child official limit on family size to be an indicator of “extremism”, leading to internment.

“Several women interviewed by OHCHR raised allegations of forced birth control, in particular forced IUD [intrauterine device] placements and possible forced sterilisations with respect to Uyghur and ethnic Kazakh women. Some women spoke of the risk of harsh punishments including “internment” or “imprisonment” for violations of the family planning policy,” the report said.

“Among these, OHCHR interviewed some women who said they were forced to have abortions or forced to have IUDs inserted, after having reached the permitted number of children under the family planning policy. These first-hand accounts, although limited in number, are considered credible.”

In the report, Bachelet, a former Chilean president, noted that the average rate of sterilisation per 100,000 inhabitants in China as a whole was just over 32. In the Xinjiang Uyghur Autonomous Region it was 243.