月は悲しむ。天使は涙を出して
夢み、指に楽弓、かすんだ
花の静寂に死にそうなヴィオロンを
すすり泣き花冠をすべる
――それは君の最初の接吻の恵みの日。
殉教者になりたい私の夢想は
物知りらしく悲しみの香りに酔った、(end15)
後悔も苦い後口さえもなく
一つの夢を摘んだ心に残された香りに。
だから私は古い敷石を見つめながら彷徨った時
君は街の夕暮には髪に陽を浴び
笑いながら私の眼に現われるのであった
私はあの光る帽子を被った妖精を見たと思った
彼女は昔甘えっ子の私の麗しい夢の中を
通過した、いつも軽く握った手から香る星の
白い花束を雪のようにまき散らしながら。(西脇順三郎訳『マラルメ詩集』(小沢書店/世界詩人選07、一九九六年)、15~16; 「幻」(Apparition); 初期の詩)
はやい時間にいちど覚めたが、最終的な覚醒をみたのは一〇時二〇分ごろ。布団のしたで膝を立て、両手をからだの脇に置いて静止し、呼吸とともにだんだんからだがやわらいでいくのを感じる。起き抜けだとやはりどうしてもからだがかたいので、呼吸もしぜんさにまかせるというより、ちょっと吐くのをてつだうような感じになる。しばらくすると布団をのけて腹を揉んだりさすったり、胸や脚もさすったり。カーテンの端をめくってみると水色の空が見えたが、ひかりの感触がそこまでつよいとは見えず、その後には雲もあらわれて、午後のはやくまで晴れたりかげったりの天気だった。三時現在だと空はおおかた雲に占められて曇りに向かっている。床を立ったのはたぶん一一時前くらいだったか。洗面所に行って小便をしたり顔を洗ったり、出るとガラス製カップで口をゆすいだり。屈伸してかたまっている脚をほぐし、水を一杯飲むと布団にもどった。サボっていた二日前の分から一年前の日記の読みかえし。2021/9/9, Thu.は新聞記事を端緒に陰謀論についての考察。
(……)新聞、いちばんうしろの社会面にワクチンにまつわる陰謀論界隈のことが書かれてあった。日本でも東京(新宿)と京都で七月に、反ワクチンのデモが起こっていたのだという。ぜんぜん知らなかった。コロナウイルスは国際的な茶番であり、政府は人民を管理するためにワクチンを打たせようとしている、という主張である。そういうかんがえで活動しているふたりの声が載っていたが、ひとりは三〇代の女性で、昨年は感染を恐れてママ友と公園に行くこともできず、家でFacebookを見ているときにワクチン陰謀説に遭遇し、さいしょは半信半疑だったが関連情報を発しているページの人間が称賛されているのを見てじぶんもみとめられたいとおもい、やりとりをするようになったと。もうひとりは七〇歳くらいの、これも女性とあった気がするが、そして元教師とか書かれていたような気もするが、そういう人物で、YouTubeで関連情報に接するうちにコミットをつよめたらしく、「本当のことをつたえなければならない」というおもいでやっているらしい。第一の例からわかるのは、陰謀論への加担に実存的承認がかかわっているということで、このひとは感染を恐れていたというからおそらく不安をかんじていたとおもわれるし、公園でママ友と交流することもできなくなったというから孤独や社会的疎外や閉塞感のようなものをおぼえていたということも充分あるだろう。他者とのかかわりがそれまでよりもとぼしくなったことで、どこかでそれを補填しなければならなかった。そこに陰謀論的コミュニティがうまい具合にはまったのだろうと、記事の記述のかぎりでは推測される。「みとめられたいとおもって」そういうページに参加するようになった、と言われていたのがわかりやすい証言だ。陰謀論にコミットするひとのすべてがそうではないだろうが、こういうひともたぶん多いのだろうとおもわれ、そこで厄介なのが、この種のひとびとにあっては陰謀論とそれにもとづいた世界観や社会の認識がそのひとの実存とわかちがたくからまりあっているとおもわれるので、陰謀論を否定するということは、彼らにとってはじぶんじしんを存在として否定されたということと同義になるだろう、ということだ。ワクチンにはマイクロチップがふくまれていて政府は統治管理のためにそれを国民に埋めこもうとしている、というような陰謀論のあやしさや無根拠さ、荒唐無稽さやありえなさをいくら述べたてたり、理性的・論理的に反証しようとしても、彼らはそれを聞き入れないはずである。なぜなら、反論のただしさを部分的にでもみとめることは、その分自己の存立基盤をうしなうことになるからだ。世界認識とアイデンティティが陰謀論的なかんがえと深くむすびついている人間にあっては、とうぜん、陰謀論をうしなうことは、自己がくずれてなくなってしまうことを意味するだろう。そこでひとは自分自身として実存するための支えを欠いたおおきな不安におそわれるはずである。だから、そういう種類の陰謀論者にとっては陰謀論はなにがなんでもまもらなければならない根幹的な橋頭堡であり、彼らはそれにしがみつかざるをえず、それを破壊しようとするあいてはすべて敵だということになるはずだ。
第二の例から判明するのは、このひとにとって陰謀論的言説は端的な真実であるということであり、くわえてその真実をひろくひとびとに認知させなければならない、という義務感や使命感のようなものをこのひとがかんじている、ということである。真理への志向という性質は哲学者に特徴的なものでもあるが、みずからもとめたというよりは電脳空間上でふと「真実」に遭遇したという事情なのだとすれば、それはむしろ宗教者におとずれる啓示に似たもののようにもおもわれる。そうして得た真理を世につたえなければならないというのも、伝道者の姿勢をおもわせるものだろう。当人からすればそれはまた、正義のおこないとみなされているかもしれない。この人物や第一の例のひとが「真実」に出会ったのはインターネットであり、それも電脳空間上の一部局所である。真実はワールドワイドウェブのかたすみにひっそりと秘められていた。おそらくふたりとも、もともと主体的に「真実」をさがしもとめていたわけではなく、ネットを見ているうちにたまたま遭遇し、こころをつかまれたのではないか(第一の例においてはそれが明言されている)。したがって真実は、隠されてはいないとしても、ひとの目につきにくいある場所にひそやかに存在しており、それが偶然に発見された。この件において真実はマイナーなものとしてあらわれている。そのマイナーなものを流通させ、メジャーな認識に変えなければならないという情熱に、彼らはつきうごかされているとおもわれる。なぜ真実が世にひろく流通していないかといえば、とうぜん新聞やテレビ、ラジオなど、おおきな影響力を持った既成メディアがそれを無視し、とりあげないからである。真実がインターネットのかたすみでかたられているのにたいし、既成メディアがかたっているのは都合よくゆがめられたり操作されたりした偽の情報である(陰謀論者にとって、既成メディアの報道することはフェイク・ニュースに見えるだろう)。虚偽を流布させる主体(すなわち「黒幕」)として想定されているのは、おそらくはまず各国政府だろう。メディアはそれを知りながら政府の情報操作に加担している犯罪的二次組織か、あるいはそれじたい虚偽情報にだまされている無能集団とみなされるはずだ。メディアから情報をえる一般市民は、悪意をもって操作された情報にだまされている被害者であったり、無知で不勉強な愚者であったりとしてあらわれるだろう。そこにおいて陰謀論者は、彼らに真実の開示(啓蒙の光)をもたらす救済者となる。
じぶんもふくめて、陰謀論にとりこまれていないひとびとが、既成のメディアの報ずることをおおむね信用しているのは、ひとつにはいままでの歴史がメディアにあたえる権威のためであり、もうひとつにはその権威がじぶん以外の他者においても共通了解として共有されているためである。ちょうどきのうまで読んでいたミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』において、「信じること」の問題がかたられている。いわく、現代社会においては、「信」は主体と情報のあいだで直接的になりたつのではなく、他者を経由することで成立している、と。あるテレビ視聴者は、「自分がフィクションだと知っているものをそうないと保証してくれるような別の [﹅2] 社会的場があると思っているのであり、だからこそかれは「それでも」信じていたのである。あたかも信仰はもはや直接の確信として語られることはできず、もっぱら他の人びとが信じていそうなものを経由してしか語られないかのように。もはや信は記号の背後に隠された不可視の他性にもとづいているのではなく、他の集団、他の領域、あるいは他の専門科学がそうだろうとみなされているものにもとづいている」(428)、「どの市民も、自分は信じていないにもかかわらず、他人が信じていることにかんしてはすべてそうなのだろうと思っている」(429)。われわれがメディアによって流通する情報をある程度まで信用するのは、歴史的権威や書物のネットワークなど、われわれにある情報を事実として信じさせるもろもろの装置が成立しているからであり、その作用がじぶんいがいの多数の他者においても確実に機能しているからである。メディアによって報じられるということじたいが、それがひとつのたしかな事実として共有されうるものであり、共有されるべきものだということを担保しており、それがひろく共有されるということがまた反転的にメディアの真実性を強化する。みんながそれを事実だとおもっているのだから、それは事実なのだろう、というわけだ。陰謀論者においてはこの論理が逆転されるだろう。みんながそれを真実だとおもっているということは、それは真実ではない、と判断されるだろう。大多数の他者が真実とみなしていることは、虚偽である。あるいは彼らにあっては、「信」を成立させるために経由するべき準拠枠である「他者」の範囲や種類がことなっているとも言えるかもしれない。
陰謀論は無根拠なものである。とはいえ、媒介された情報はどれも最終的には無根拠だとも言えよう。世に流通している情報は、それが真実なのか虚偽なのか、そのあいだであるとしてもどの程度真なのか偽なのか、最終的にはわからない。ある事象が真実や事実であると主観的に確信するいちばんの方法は、それをじぶんの身でじっさいに体験することである。しかしメディアによってつたえられることがらは、その存在条件上(メディアとはひとびとが直接体験しないことを伝播させる仲介者なのだから)、基本的に直接経験することはできない。ひとはじぶんの身に起こっていないことをいくらでもうたがうことができるし、デカルトをまつまでもなく、みずから体験したことでさえいくらでもうたがうことはできる。そうしたもろもろをかんがえたうえでしかしながら、陰謀論はその無根拠さが、つうじょうの情報に根底でつきまとう無根拠さとはことなっているというか、端的に言ってそれは荒唐無稽なものである。そして、だからこそときに強固な信を生み、情熱的に擁護されるのではないか、という気がする。陰謀論的言説が無根拠であり、しかもその無根拠の質が、荒唐無稽であるがゆえに理性的判断や論理のつみかさねによってついに到達しえず、検証しえない性質のものであるからこそ、それをつよく断言的に信じることが可能になっているのではないか。かりに陰謀論が合理的な根拠をもったたしかな言説だったら、つまり事実として相当程度共有されうるものだったとしたら、そのように熱狂的に支持され、後押しされることはないのではないか。
2021/9/10, Fri. にも同様の記述。
(……)新聞、きのうにつづいて社会面に「虚実のはざま」。ひきつづきコロナウイルスにまつわる陰謀論についてで、三人の例が紹介されていたはず。ひとりは居酒屋をいとなんでいるひと、ひとりは二〇一九年にゲストハウスをはじめたひと、あとひとりはわすれた。ふたりだけだったかもしれない。居酒屋の店主はコロナウイルスで店を閉めているあいだに客がはなれてしまい、再開してもふるわず、賃料も重くのしかかって、店をつづけられないなら生きている甲斐がないとまでおもいつめたところに妻がネット上で見つけた言説を見せてきて、それを信じるようになったと。いわく、コロナウイルスは富裕層がもくろんだ事件で、小規模自営業をつぶして金を吸い上げるためにやっている、と。それでいまは感染対策お断りという状態で営業しており、批判もされるがそれでとおくから来てくれるひともいるという。ゲストハウスのひとも詳細はわすれたが、二〇一九年に営業をはじめてすぐにウイルス状況になったので、なんでこんなことになったのか? と疑念をいだきネット上を探索して陰謀論的言説を発見した、というはなしだったはず。きのうの記事を読んだときも陰謀論というのはひとつには心理的・実存的問題であるという従来からのかんがえを再生産したが、きょうの記事はそれをはっきりと強調するような仕立てかたになっており、ひとはじぶんのちからではどうにもならない不安な状況におちいると極端な言説を信じやすくなるとか、疎外感をかんじているひとのほうが陰謀論を信じる傾向がつよい、という研究結果が述べられていた。コメントを寄せていた識者も臨床心理学のひとで、陰謀論は心理的要因や社会的要因などさまざまな要素が複雑にからみあってなりたっているもので、単にただしいことを言えば是正されるものではない、というようなことを言っていた。むしろ正論をさしむけることで、あいてをよりかたくなにして、じぶんの見地に執着させ過激化させるおそれすらあるわけだ。おおきな不安のなかにあると極端なかんがえに飛びつきやすくなるというのは、けっきょくひとは意味のないことに耐えられないということだとおもわれ、今回のようなウイルスの蔓延だとか、地震のような自然災害におそわれたとき、それがなんの人間的な意味もなく自然発生的に起こったという事実とじぶんの不幸を釣り合わせることができないので、そのあいだの齟齬を解消するためにひとは事態になんらかの意味づけをする。人間は不幸であることじたいよりも、その不幸に意味がないということにこそ耐えられないのだろう。そこに現世的な主体が想定されれば、世のどこかに「黒幕」がいて状況をしくみ、あやつっているのだ、というかんがえになる。宗教者だったら神の罰だとかんがえるかもしれない(ユダヤ一神教はバビロン捕囚という災禍を全能たるヤハウェの罰だとかんがえることで唯一神教として確立したのだし、ショアーですら神が信者にくだした罰だとかんがえた宗教者の囚人は多くいたはずだ)。人間社会の範囲はともかくとして、いわゆる「自然」とか、この世界そのものの成り立ちとか存在には最終的なところでなんの根拠も意味も必然もなく、根源的に不確かであるというのが現実なのだとおもうし、それを前提として受け入れながら生きるというのが仏教でいう無常観念なのだとじぶんはおもっているのだけれど(さらには、そういう所与の意味体系が崩壊していわば世界の非 - 絶対性が露呈された地点から、みずから積極的に意味体系を構築しなおしていくというのが、いわゆる能動的ニヒリズムと呼ばれる姿勢だとも理解しているのだけれど)、そういうかんがえになじめなかったり、気づいていなかったり、それを実感させるような体験をしたことがないひとはその無意味さにとどまって耐えることができず、不安を埋め合わせるためにわかりやすくお手軽な意味づけをもとめてじぶんを安心させようとする。そのひとつの受け皿やよりどころとなっているのが陰謀論的言説なのだろう。それがすべてではないだろうが、そういう側面はたしかにあるはずだ。
三人目の例のことをおもいだしたが、このひとはたしか五〇代の人間で、いままでの人生でひととかかわることが苦手だったといい、やはり承認をもとめて陰謀論的活動にコミットしはじめた、というようなことがかたられていた。ビラをつくってくばったりとかもやっているようだが、「こういうかたちでしかひととつながることができない」という本人の述懐があった。しかし、ひとが承認をもとめるのは自然としても、さまざまな場のなかからなぜよりにもよって陰謀論的コミュニティをえらんだのか? という疑問は解が不明瞭なものである。いわゆる陰謀論者、陰謀論的言説を支持するひとびと、あるいは過去にそれを信じていたひとびと、こういうひとたちにたいする聞き取り調査をして、みずからの世界観や信念や物語や具体的経緯をかたってもらい、それらナラティヴを集積して資料体をつくるという研究は重要なものだろう。もうある程度やっているひともいるだろうとおもうが。
この日はそれいがいにもいろいろとおもしろいところがある。まずどうでもいいような小挿話だが、ナメクジとの遭遇。
皿をかたづけ、風呂洗い。風呂場にはいると浴槽の縁、窓のしたの壁のきわで浴槽の上辺と壁がつながっているところにナメクジが一匹いたので、ナメクジがいるわと母親におしえた。浴槽の蓋を取ってそのまま排水溝にながせばよかろうとおもっていたのだが、台紙みたいなものを持ってきた母親が、かわいそうじゃんと言って、その紙で取ってそとに捨てるようもとめたので、そのようにした。しかし、母親がそうしようとしたのは、畜生をあわれむ殊勝なこころからというよりは、排水溝にながすとなんとなくまたあらわれてきそうで嫌だ、という心理があったのではないかという気もするのだが。ナメクジはぬるぬるしていてなかなか紙ですくいとれなかったのだが、ついに乗せることに成功して窓から捨てようとすると、もっととおくにやりたいというわけで母親が紙をうけとり、勝手口からそとに出していた。けっきょくちかくのコンクリートのうえに落ちてしまった、と言っていたが。
さらに一年前の九月一一日からは(……)さんの『双生』仮原稿を読んでの感想を引いている。「まあまあの書きぶり」とのこと。
(……)「波のまにまに接近するそのひとときを見極めて勇敢な跳躍を試みる腕白ややんちゃも少なからずいたが、せいぜいが三つ四つ続けば上出来という中で仮に七つ八つと立て続けに成功することがあったとしてもどこに辿り着くわけでもないという現実の困難に直面すれば、その意気も阻喪せざるを得ず、慣れない夜更かしに疲れた者から順に、或る者は女中におぶられて、或る者は年長者に手を引かれた二人揃っての格好で、耳を澄ませば自ずと蘇る賑わいをこの夜ばかりの子守唄とする寝床の敷かれた自宅へと去っていった」の一文に含まれた「耳を澄ませば自ずと蘇る賑わいをこの夜ばかりの子守唄とする(寝床)」という修飾がなんか気になった。挿入感が強いというか、英語を読んでいるときに関係代名詞のいわゆる非制限用法で長めの情報が差しこまれているのに行き逢ったときと似たような感覚を得た気がするのだが、ただべつにこの箇所は後置されているわけではない。「耳を澄ませば自ずと蘇る」という言い方で、子どもたちが寝床に就いたあとの時間を先取りし、なおかつその時点から(「蘇る」と言われているとおり)過去を想起する動きまでも取りこんでいる往復感が、英語で挿入句と主文を行き来するときの迂回感に似ていたということだろうか。
*
「分かつ力のゆく果てに待ち受けていた神隠しだった。傷口ですら一晩のうちに揃いのものとする妖しい宿縁を有する子らともなれば、失踪に続く失踪などありえぬと見なす根拠のほうこそむしろ薄弱であったかもしれない」という言い方はちょっと奇妙だというか、語り手の立ち位置に困惑させられるところだ。この話者はいったい誰の視点と一体化(あるいは近接)しているのだろうか? と感じさせるということで、いわゆる「神の視点」と言ってしまえば話はそれまでなのだが、事態はそう単純でもないだろう。このすぐあとで明らかになるが、死んだ祖父を送る小舟に乗って運ばれていった双子の片割れは、その失踪に気づかれないのでもなく忘れ去られるのでもなく、その存在がもとからこの世界になかったかのように失われるのだから、家の者や町の人々はそもそも「神隠し」を認識していないというか、端的に彼らにとってそんなことは起こっていないわけで、したがって「失踪に続く失踪」について「根拠」をうんぬん判断できるわけがない。ところが上記の文では双子が「子ら」と呼ばれているように、この視点の持ち主は双子が双子であったことを知っているし、「妖しい宿縁を有する」という風に彼らをまとめて外側から指示しながらその性質について形容してもいる。「神隠し」が起こったことを知っているのは残されたほうの「片割れ」である「彼」か、あるいはこの物語をここまで読んできた読者以外には存在しない。そして「彼」自身が自分たちを「妖しい宿縁を有する子ら」として捉えることはなさそうだから、話者はこの部分で明らかに(純然たる)読者の視点を召喚しているように思われる。「失踪に続く失踪などありえぬと見なす根拠のほうこそむしろ薄弱であったかもしれない」という言葉は、その身に降りかかる運命をまるごと共有する双子において、第一の失踪に続いて第二の失踪が起こるに決まっているという読み手の予測に対して向けられた牽制のようにも感じられる。
とはいえ、この物語の主人公の座はここに至って明確に「彼」ひとりに集束させられている。したがって、片割れの運命を追って「彼」までもがこの世から「失踪」してしまっては、作品はすぐさま終わりを迎えてしまうということに読者もすぐさま気づくだろう。だからわざわざ先回りして読み手の予測に釘を刺す必要はないような気もするのだが、そう考えてくるとこの一文はむしろ、読者というよりも、この物語の文を書き綴る作者(語り手や話者ではなく、作者)の手の(そして思考の)動きの跡のようにも感じられてくる。つまり、作品のこれまでの部分にみずから書きつけて提示した「運命を共有 - 反復する双子」というモチーフの支配力、みずからが書きつけたことによって力を持ってしまった物語そのものの論理に書き手自身が抵抗し、そこから逃れてべつの方向に進むための格闘の痕跡のようにも見えてくるということだ。たぶんのちほど下でも多少触れるのではないかと思うが、(……)さん自身もブログに記していたとおり(『双生』は、「ここ数日ずっと『金太郎飴』を読んでいたために磯崎憲一郎的な文学観にたっぷり染まっていたはずであるにもかかわらず、それをしゃらくせえとばかりにはねつけるだけの強さをしっかりもっている」)、テクストや物語に対してあくまで対峙的な闘争を仕掛けるというこうした姿勢を、保坂和志 - 磯崎憲一郎的な作法(それは物語に対して「闘争」するというよりは、「逃走」することに近いものではないだろうか)に対する身ぶりとしての批評と理解することもできるのかもしれない。もっとも、保坂 - 磯崎路線もまたべつの仕方で物語と「闘争」していると言っても良いのだろうし、それを「逃走」的と呼べるとしても、物語から逃れようとしたその先で彼らは今度は「小説」と「闘争」している、ということになるのかもしれないが。
語り手の位置の話にもどって先にそれに関してひとつ触れておくと、「日射しの下に立つときには必ず赤地に白抜きで蔓草模様の散りばめられているスカーフを頬被りする習慣のためにか、未だ大福のように白く清潔に保たれているその肌の瑞々しさばかりは生娘らしく透き通っていたものの、盛り上がった頬骨の縁に沿って落ちていく法令線は、微笑ひとつ湛えぬその面にも関わらず指で強くなぞられた直後のようにくっきりと跡づけられていた」という箇所でも話者の立場が気になった。「日射しの下に立つときには必ず赤地に白抜きで蔓草模様の散りばめられているスカーフを頬被りする習慣」という一節のことだが、この文が書きつけられているのはフランチスカが二年ぶりに「彼」の前に現れて二度目の邂逅を果たしたその瞬間であり、そしてこの場面には「彼」とフランチスカの二人しか存在していない。フランチスカは「彼」の妻候補として二年前に三日間、屋敷に滞在したが、言葉も通じない「彼」と仲を深めたわけでもないし、そもそも「その間フランチスカと彼は一語たりとも言葉を交わさなかった」し、記述からして二人が一緒に出歩く機会があったわけでもなさそうなので、「彼」がフランチスカの「習慣」を知ることができたとは思われない。したがって、ここで話者は明らかに「彼」の視点とその知識を超えており、語り手固有の立場についている。この作品の話者は基本的に物語内の人物にわりと近く添って語りを進めるように思うのだけれど、ところどころで誰のものでもないような視点にふっと浮かび上がることがある。それをいわゆる「神の視点」と呼ぶのが物語理論におけるもっとも一般的な理解の仕方だと思うのだが、そんな言葉を発してみたところで具体的には何の説明にもなっていないことは明白で、とりわけこの作品だったら語り手は(全知全能か、それに近いものとしての)偏在的な「神」などではなく、ときにみずから問いを発してそれに答えたり答えなかったりもしてみせるのだから、語り手としての独自の〈厚み〉のようなものを明確にそなえている。それを「神」と呼ぶならば、欠陥を抱えた「神」とでも言うべきだろう。
*
今日のところまで『双生』を読んできてこちらに際立って感じられたのは端的に語りの卓越性であり、物事を提示する順序、情報の配置によって生み出される展開の整え方がうまく、ひとつの場面をどこまで語っておいてあとでどこから語り直すかというようなバランスが優れており、全体に物語が通り一遍でない動き方で、しかしきわめてなめらかに流れている。象徴的な意味の領域にも色々と仕掛けが施されているのだと思うけれど、それを措いても単純に物語としての面白さが強く確保されているということで、起こる出来事もそれ自体として面白いし、ごく素朴に次はどうなるのだろうと思わせて誘惑する魅力が充分にある。上にも言及したけれど、文体の面でも語りの面でも意味の面でもきちんと作品を作りこんでいこう、しっかり成型して道を整えていこうというこの姿勢は、磯崎憲一郎的な文学観、つまり言語(テクスト)自体の持つ自走性に同化的に従おうとするというか、すくなくともそれをなるべく引き寄せていこうというようなやり方に強力に対抗しているのではないか。磯崎憲一郎(ならびに保坂和志)は、作者(人間)よりも小説そのもののほうが全然偉くて大きい、みたいなことを言っていた記憶があり、それもまあもちろんわかるのだけれど、『双生』はあくまで人間主体として小説作品に対峙し、交渉し、できるところまで格闘しようというような、高度に政治的とも思えるような実直さが感じられる。(……)
同様に2020/9/11, Fri.から出勤路の記述を引きつつ、一段落目について、「ここが正直かなりうまいというか、なんか文が相当ながれている感覚があって、いや、俺、うまいな、とおもった。べつにそんなに大した表現ではなく、ふつうの文といえばそうなのだが、音律やこまかいことばえらびや意味のつらねかたがととのっているようにおもわれ、かたくもならず弛緩もせずにとにかくなめらかにながれている、という感覚をえた。一年前のじぶんの書きぶりがどんなかんじだったかおぼえていないのだが、けっこう苦心して丁寧に書いたのかもしれないけれど、そうだとしてそれをうかがわせず、さっとかるく書いたような、熟練めいたスムーズさがある。脱帽した」と自画自賛しているが、いま読んでみるとそこまでとはおもわない。いちおう再掲しておく。
(……)玄関を抜けた瞬間から風が走って隣の敷地の旗が大きく軟体化しており、道に出ても林の内から響きが膨らんで、その上に秋虫の声が鮮やかともいうべき明瞭さでかぶさり曇りなく騒ぎ立てていて、歩くあいだに身体の周囲どの方向からも音響が降りそそいで迫ってくる。坂の入口に至って樹々が近くなれば、苛烈さすら一抹感じさせるような振動量を呈し、硬いようなざらついた震えで頭に触れてきた。
もはや七時で陽のなごりなどむろんなく、空は雲がかりのなかに場所によっては青味がひらいて星も光を散らしているが、普通に暑くて余裕で汗が湧き、特に首のうしろに熱が固まる。髪を切っておらず、襟足が雑駁に伸び放題だからだろう。駅に着いてホームに入ると蛍光灯に惹かれた羽虫らがおびただしくそこら中を飛び回っており、明かりのそばに張られた蜘蛛の巣など、羽虫が無数に捕らえられてほとんど一枚の布と化しているくらいだった。
むしろこの日のいちばんしたに記されている出勤路の描写のほうが良いような気がした。一文目からして、空の果てを越えてみえないぶぶんの雲から残光がわずかに漏れ出しているという観察がこまかく、「(空の)下端の境界線をまたいだ雲」とか、「落日のオレンジをかそけくもふくんで」とかの言い方に、まだ言ったことのない言い方で書いてみようという、微細な点においてではあっても日々あらたな表現を探究しているこころを見るような気がする。さいきんはたぶんそれをきちんとできていない。
空は雲もいくらかなごっているものの大方水色に淡く、道の正面奥、西の際では梢や家並みにかくれながら下端の境界線をまたいだ雲が茜の色をほのかに発しているようだった。坂道をのぼって駅へ。階段から見るに西空は弱い稲妻の残影みたいなすこしジグザグした薄雲がしるされていて、これも落日のオレンジをかそけくもふくんでおり、ホームにはいってベンチについてからまた見やれば、先払いめいたそのほそい突出はからだいっぱい青く染まったおおきな母体雲からカタツムリの触角めいてのびだしたものだった。ベストを身につけては暑いだろうとわかっていたが、この時期になってまたワイシャツだけにもどるのもなんとなくなじめず、羽織りとネクタイをよそおってきたので、上り坂をこえてきたからだはとうぜん暑くて汗をかいていた。ベンチにすわってじっとしながら風を身に受けて汗をなだめる。
さらに、瞑想についての考察。ほかの箇所に、「やはり瞑想とストレッチだ。心身をととのえることこそが最重要だ」ということばもあるが、ここ数日のじぶんもそれを再実感している。
瞑想。四時二八分から五一分くらいまで。かなりよろしい。やはり静止だ。あたまではなにをかんがえてもおもってもかんじてもよく、精神の方向はどうであろうと自由だが、からだはしずかに座ってとまっていなければならない。というか、その非行動性ができていればあとはなんでもよろしい。瞑想をしているときの状態を言語であらわすと、「座って動かずただじっとしている」という言述に尽きる。身体の状態としてこれいがいの要素、この外部がないというのが瞑想ということである。道元のいわゆる「只管打坐」もそういうことではないかとおもうのだけれど。只管打坐というと、曹洞宗とか坐禅にまつわる修行のイメージがつきまとうから、ただひたすらに、一心に、という勤勉さとか熱情の意味合いがいままでなんとなくふくまれていたのだけれど、そうではなくて、ただ座る、単に座っているだけ、という、そういう意味合いでの「ただ」なのではないか。只管は「ひたすら」の意らしいが、ひとつのことや一方向に脇目も振らずひたすらに集中する、という意識のありかたと、瞑想や坐禅をやっているときのじっさいのありかたとはちがうとおもう。たとえば呼吸を操作して意識するような一点集中型の方式もむろんあって、それは仏教においてサマタと呼ばれるが、ヴィパッサナーをめざす立場からすれば(そして仏陀以来、仏教の根本目標やその瞑想における本義はヴィパッサナーのはずである)それはあくまで通過点であり、自転車に乗れるようになるための補助輪のようなものにすぎないはずである。瞑想をしているときの集中のありかた(それを集中と呼べるのだとすれば)は、語義矛盾のようだが拡散的な集中というべきものであり、一字変えて拡張的と言ってもよく、また回遊的なものでもある。そこで意識や精神は開放的・解放的で自由である。たいして身体はほぼ不動にとどまりつづける。精神がいくら自由だといっても、それがあまりに散乱しすぎて困惑を呼び、動揺をきたしては害となる。だから精神がいくら拡散的に遊泳してもそれを最終的につなぎとめる一点がどこかに必要となり、それが不動の身体と呼吸の感覚であるとかんがえればわかりやすい。実態として、また仏教の正式なかんがえかたとしてそれがただしいのかはわからないが。ただそうかんがえると、一点集中型のサマタ瞑想は、そういう楔としての身体感覚をまずある程度つくって得るためのものだと想定することができる。おそらくたいていの人間はもともと精神がかなりとっちらかっていておちつきがないため、さいしょからふつうにヴィパッサナーをこころみると、とっちらかっている精神をさらに拡散させてしまうことになりがちなのではないか。そこからはさまざまな精神的害が生じてくる。精神疾患をわずらっているひとは瞑想をやらないほうがいいと警告されるのは、ひとつにはそういう事情があるだろう。まずある程度意識の動揺をおさえ、またそれに耐えるちからを身につけてはじめて拡散型に移行できるわけである。
この日つくった「旅立ちを言祝ぐ空の青さとは記憶は無窮であるその証明」という短歌はすこし良い。あと、碧海祐人 [おおみまさと] を聞いてceroみたいだとも言っている。また聞いてみたい。そうして出勤路。遭遇しているのは(……)さんだが、「言ってみれば目がほそいイシツブテみたいなかんじで」という顔立ちの形容が的確すぎて笑った。
往路。(……)さんに遭遇。家を出て西にあるいている道のとちゅうで。顔が視認できずすがたもまだまだちいさいとおくから見ても、あるきかたのかんじからしておそらく(……)さんだな、とわかった。ちょっとたちばなし。きのうも駅のまわりをあるいてましたよね? と聞き(ホームから見かけたのだ)、お元気そうで、と笑いをむけたが、本人はそれを肯定するでもなく、めだった反応は見せずにむっつりしてうーん、みたいなようすでいる。もともとこのひとは顔がいかつく、あたまのかたちも四角く角張っているようで、まあ言ってみれば目がほそいイシツブテみたいなかんじで、仁王像とはちょっとちがうがある種の仏像なんかにありそうな顔立ちをしている。しかし、片手に杖をつきながらではあるが、スニーカーを履いて(毎日ではないかもしれないが)夕べごとにあるいているのだから、まだ気力はあるわけだ。これから行って、何時まで? と聞くので、きょうはさいごまでなんで……遅いと、一一時くらいになっちゃいますね、とこたえた。その後も二、三、かわして、じゃあ、お気をつけて、とさきにすすもうとすると、ありがとうございます、と丁寧な礼をかえしてくるのは律儀で、がんばって、と言われたのにこちらも礼のことばで受けた。
九月一〇日分まで読むと正午前、床をふたたびはなれた。空に青さがみえたしきょうは洗う服もすくないから衣服ではなくてシーツを洗う良いタイミングなのではとおもっていたのだけれど、おもいのほか陽が出ず、出るときは出るがかげっている時間のほうが多い調子で、時間も遅くなったし、洗ってもいまいち乾ききらなそうなので踏み切れず。しかし洗わないまでも干して風に当てるだけはしておくかとおもい、寝床のうえの座布団とかChromebookとか本とかを掛け布団といっしょにどかして、シーツを取ると窓外の棒にかけて干した。そとに出しながら表面のこまかなゴミや埃を払っておく。敷布団も同様にゴミを払いながら柵にかけようとしたのだけれど、ピンチでうまく留められず、といっていぜんはそれでがんばっていたのだけれど、なんか風で取れそうな気もしたし、しかたがないから窓ガラスと柵とのあいだの狭いスペースにたたんで出しておくだけにした。のこった部分に座布団も一枚出しておく。
それで瞑想。あるいは瞑想が先だったかもしれない。一二時九分からはじめて三七分までだったかな。三〇分弱だったはず。わりとよろしい。すでに夏ではなくパソコンの右下の気温表示も二七度とかなのだけれど、座ってじっとしていても暑く、からだがじわじわと熱を帯びてくるのが顕著だ。むしろ夏ごろよりも暑い気すらするというか、基本的にやはり室内が暑いのだ。そとに出れば外気のながれが涼しいはずなのだが。このときは窓もあけていなかった。あけると車の音がやたらうるさかったりするので。あと、これは瞑想中ではなくて寝床から立つ直前のことだったが、そとを男児がふたり駆けてくる音と声がして、そのことばが日本語ではなく、英語でもなく、たぶん中韓でもなく東南アジアとかインド方面のことばであるようにおもわれた。すがたはみなかったが、スケボーかキックボードか、カシャンカシャンと地面に当たる音とかゴロゴロ地をこする響きをともなっていた。
プラスチックゴミをちいさく切って始末し、食事はいつもどおりまずサラダをこしらえる。キャベツは半玉をつかいおわった。このとき取り出した豆腐の一パックがなんだか皺を寄せてちぢんだようになっており、汁気も出ていて、開封して嗅いでみるとわずかに饐えているような気もしたので、なんで? とおもいながら捨てた、というか生ゴミとして出すためにラップにつつんで冷凍室に入れておいた。賞味期限は九月二二日でまだまだであり、冷蔵庫のいちばんうえの段に置いておいたのだけれど、おなじ段にあったほかの豆腐は変わっておらず、その一セットのやつだけほかのふたつもすこしだけ汁気がおおくなっている。夏場よりも気温が下がったはずなのにかえって饐えるとは? と解せなかったが、しかしもしかするとあれは、冷気が出てくるであろう奥にちかく置いてあったから、饐えていたのではなくて冷やされすぎてちょっと凍ったようになって変質をこうむっていたのかもしれない。わからない。サラダには汁気がすこし多くなっていた一パックをこれはだいじょうぶそうだと判断してつかったが、変な味もしなかったし、腹も痛くなっていない。サラダのほかはレトルトのポモドーロカレー。パック米はサトウのごはんではなくて(……)の自社製品をこのあいだは買った。サトウのごはんのほうがあきらかに味がよいのだけれど、ちょっと高くつくので。食事中は(……)さんのブログを読んだ。九月四日。中国事情として以下の記述。顔認証で支払いとかできるのか、とはじめて知った。今後あたらしいかたちでの全体主義が絶対に出てきて二〇世紀の惨禍をくりかえすとおもうというか、中国やロシアはすでにかなりの程度それを現実化してしまっているとおもうのだけれど、高度IT技術とむすびついた全体主義国家ほどおそろしいものはない。これが二一世紀か。世界はそれをどうにかして避けなければならないし、避けなければならなかったのだが。
あらためて二階に移動。セルフレジに並ぶ。ふたりとも顔認証で支払いをすませた。こんな田舎でも顔認証で支払いをすませることができるのだ。こちらがセルフレジを利用するときは、商品のバーコードを自分の手で読み取らせるところまでは同じなのだが、その後画面に表示されるQRコードを微信で読み込んでパスワードを打ち込んでという手続きが必要になる。顔写真と紐づけられた身分証明書を有している中国人の場合はそんな面倒な手続きは必要なく、バーコードの読み取りを終えたところで機械を顔認証モードにし、そこにじぶんの顔をうつせばそれで支払いが済む。おそろしい。
あとわすれていたが、布団を干したときにそのしたの床の掃き掃除もした。枕元の壁際とか髪の毛や埃がたくさん溜まっているのを気にかけながらも一向に始末せず放置していたので、良い機会だった。カレーを食べたあとは先日実家からもらってきた天麩羅ののこりも食べてしまおうとおもって、冷凍されていたやつを椀にうつして電子レンジであたためて食す。食欲はわりとあるというか、三品食ってもなんか甘いもんでも食べたいなという欲求を感じた。さいきんはけっこうスーパーでアイスを買ってきて食後に食うことも多かったし、脳が砂糖にやられているのかもしれない。洗い物を始末すると一時半過ぎくらいだったか。
きょうも日記を書き出すまえに音楽を聞くことに。きのうにつづいてJoshua Redman, Brad Mehldau, Christian McBride, Brian Bladeの『LongGone』。このアルバムタイトルはどうもあいだにスペースがはいっていないのが正式なようだ。きょうは後半の三曲、"Kite Song", "Ship to Shore", "Rejoice"。きのうは比べなくてもよいところをわざわざ比べて自明性がどうのなどと述べてしまったが、この演奏だってすごいものであることはまちがいなく、くりかえし聞きたいとおもうアルバムだ。Brad Mehldauのプレイにやはり気にかかるものがふくまれていて、きのうも書いたけれど、尋常なアプローチとアウトとのあいだでまだ開拓されていない未知の部分を見つけだそうという志向をもってやっているような気がする。それはコードとかモードとかなんとか既存の枠組みの問題ではなく、それらをもちろん踏まえながらも、もっと微妙な、見過ごされているところをさぐりつつ独自の地点にいたろうとしているように聞こえる。Brad Mehldauは端的にインテリで(まえになにかのライナーノーツでミシェル・フーコーを引いていた)、楽理とか理論とかにも精通しきっているにちがいなく、そのプレイだって知性的とか内省的とかなんとか形容されることがたぶん多いとおもうし、じぶんの作品づくりでもそういう面はおおいに出ているとおもうのだけれど、ここでのMehldauはそれらもろもろの知的領域を消化し下敷きにしながらも、あくまでときどきの感覚にしたがってなにかを探りあてようとしているような、ここからまたこれまでにないあたらしい場所へ行こうとしているようなかたむきを感じる。Mehldauを多く聞いてきたわけでないし、きちんと聞いてきたわけでもないので、確かな言い分ではないが。あとさいごの"Rejoice"はライブ音源で、さいしょにこれはじぶんの曲でとかいっているのはたぶんChristian McBrideだとおもうのだけれど、このメンツでライブで一二分となればそれはすごいに決まっていて、これは端的にすごい。やはりスタジオ音源よりも各人の持つものが十全に展開されているなという感じがする。そもそもそれいぜんの五曲で、たとえばベースソロがあるのは五曲目だけだったとおもうし、ドラムソロはバースチェンジですら一曲も取り入れられていなかったのではないか? どっかあったかな? メインはJoshua RedmanとBrad Mehldauのふたりで、Christian McBrideとBrian Bladeのふたりは、このライブにくらべれば、いわばスタジオらしいおとなしさ、行儀のよい巧みで的確なサポートにほぼおさまっているわけである。しかし"Rejoice"ではとくにChristian McBrideが、じぶんの曲ということもあってかかっ飛んでいて、Joshua Redmanも流麗をきわめてすばらしい。Mehldauはここではスタジオ音源のようにあらたな方向を探るというよりは、もうライブらしく、じぶんの手札をいっぱいもちいて盛り上がるぜというおもむきのほうがつよいように聞こえ、ソロ中でMcBrideと交感したりもしているけれど、やはりすごい。しかしこの四人でライブやれば、だいたいのところこういうレベルにはいつだってできるのだとおもう。それはそれで化け物だ。
そのあとにまたきのうと同様六一年六月二五日のEvans Trioも聞いた。ディスク2のさいご、きのうも聞いた"My Romance (take 2)"と、"Milestones"。"My Romance (take 2)"のピアノソロは完璧を具現化しているように聞こえるときのう書いたが、とりわけLaFaroがそれまで攻めるようにガシガシうごきまわっていたのをやめて、めずらしくふつうのフォービートに徹しているあいだのEvansを聞いてみてくださいよ。この闊達さ。踊っているとしかいいようがないじゃないですか。それでワンコーラスだかやったのち、つぎのコーラスのとちゅうからLaFaroが好機をうかがっていたかのようにとつぜん高音部にあがって、衝動にまかせるようにして同音を連打する箇所がある。こういうアプローチはいまではわりとふつうのことで、それこそ"Rejoice"でのChristian McBrideもMehldauのソロのとちゅうでおなじように急にしかけていた。そうしてMehldauもそれを受け返して合わせるようにリズムを刻んでいたわけだけれど、Bill Evansが特異ですごいのは、LaFaroがこういうことをやってもぜったいに受け返したりなどしないというところなのだ。ふつうは受ける。そしてそこに成立しているのが音楽を言語とした対話だとか、演者のあいだの交感だとかコミュニケーションだとか、まさしくインタープレイだとかいわれるわけだ。それはちっともまちがってなどいない。ところがEvansはLaFaroがそういうアプローチをしたとしても、すくなくとも明示的にはぜったいに受け返したりしないし、それまでのペースとなにも変わらず、ただひたすらにじぶんのしごとに専心している。影響を受けるということ、揺るがされるということがない。それはなにもLaFaroのことを無視するというわけではない。LaFaroがそういう振る舞いを取るということは、このトリオにあってはすでにしぜんなこととなっており、いまさらとりたてて受けるでも無視するでもないLaFaroのありかたなのだ。LaFaroがLaFaroとしてそういうことをやっているのだから、じぶんもじぶんのしごとをただすればよい。そのようにしておのおのがじぶんのことをやれば、それらがおのずからひとつの秩序をとりむすぶだろう。だからそこに生まれているのは対話的な調和ではなく、それとはべつのかたちの、並行共存的な音楽のありかたなのだ。それでいてもちろんかんぜんに離散しているわけではなく、頻繁にふれあいはしながらも、しかし決してたがいに目を合わせることがなく、ひとつの空間のなかですれちがいをつづけることで、接触にとどまり一致することのないその軌跡があるかたちとある模様をえがき、空間そのものを浮き彫りにし、成り立たせている。そのような、ある意味ですきまのおおい、風通しのよい、ことさらにバラバラになろうとするでもなく、ことさらに手をとりあおうとするでもない、しかしむすばれている、つねにつかずはなれずの絶妙な間合いをたもった集合性が六一年のBill Evans Trioのありかたである。おそらくジャズ史上、ほかになく稀有なありかたのひとつである。それを成立させたのは、ひとつにはもちろんScott LaFaroの攻撃性、破壊性、その革新性である。しかしそれよりも重要で本質的だったのが、たぶんBill Evansの特質、これいじょうなくひとりになることのできるかれの才能である。三者で演奏し、ほかのふたりをまえにしていながら、ただじぶんひとりになることができるというのがBill Evansの特異性であり、その孤高さである。それがなければ、このトリオの並行共存的なかたちはありえなかった。そして一九六一年につかの間えがかれていたこういう音楽のありかたは、その後さまざまなピアニストにおいてそれぞれに変質しながら学ばれつつも、その根本の部分はついに十全には受け継がれず、黎明のままに終わってしまい、再開を待っているというのがこちらの認識である。モダンから現代までジャズをそんなに幅広く聞いているわけでないから、あまり根拠のある認識ではなく、たんなる直感的なものにすぎない。けれどそれがもしいくらかなり正しいとするなら、後継が生まれ得なかったのは、Bill Evansほどひとりになれる才能をもったピアニストがほかにいなかったということなのだろうとおもう。
"Milestones"でのLaFaroのベースソロは、やはりなにか執念的なような、得体の知れないようなものを感じるというか、支えのないところで、ベースという楽器になにができるのか、じぶんになにができるのかあらかじめわかっていないところで、土や岩盤を掘り進めるようにしてフレーズを刻んでいるように聞こえる。太いトーンもそうだけれど、そこにLaFaroの開拓者的な豪腕を感じる。Motianの刻みだけをバックにして、コードの援助を排して、こういうベースソロをやるということ、しかもあれだけのトーンとこまかさと音使いでやるということ。それはやっぱり六一年当時ではほかにまずだれもできなかったことなのだろうし、ここのLaFaroは枠組みやフレージングはともかくとしても、精神性としてはかんぜんにもうアヴァンギャルドのほうに行っているとおもう。そしてこのLaFaroはまだ完成などしておらず、じぶんのいまに安住しておらず、執念的になにかを探りつづけている。Scott LaFaroはここでまだとちゅうだった。かれが生きていたら、ここからよりじぶんにできることを突き詰めていったのはまちがいないとおもわれる。ひとつにはたぶん、かんぜんに無伴奏のベースソロを探究したのではないか。
音楽を聞いたあと、雲が増えてカーテンに陽が射さないようになっていたので、もう出していてもあれだなとおもって布団を入れた。そういえば音楽を聞いているさいちゅうにも、窓をカツカツ叩く音が響いて、ちょっとびっくりしておもわず目を開けてしまったが、それはシーツが風にあおられてそれをはさんだピンチがガラスにぶつかる音だったのだ。寝床をしつらえておき、三時ごろからきょうのことを書き出して、ここまで記すと四時五〇分。きょうは八時から通話。日記は九日のとちゅうまで書いてある。それをすすめるとともに、ワイシャツや私服のシャツやハンカチなどにアイロンをかけたり、できれば(……)くんの訳文添削も済ませてしまいたい。あした出勤前に出来ないこともないとおもうが、やはりできるときにさっさと済ませておきたい。
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したは何日付だったかわすれたが、(……)さんのブログに引かれていた描写。夏目漱石やっぱさすがだなとおもう。「眼に入らぬ陽炎を踏み潰したような心持ちがする」、すばらしい。
どこへ腰を据えたものかと、草のなかを遠近(おちこち)と徘徊する。椽(えん)から見たときは画になると思った景色も、いざとなると存外纏まらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしか描(か)く気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐った所がわが住居(すまい)である。染み込んだ春の日が、深く草の根に籠(こも)って、どっかと尻を卸(おろ)すと、眼に入らぬ陽炎を踏み潰したような心持ちがする。
(夏目漱石「草枕」)
この日のことはあと通話時のはなしくらい。(……)
(……)
(……)
後半は、『文学空間』のつぎなに読みます? みたいなながれになって、ひとまず『パンセ』と決まっているのだけれど(いちおうこちらの選択になっている)、あらためて「必読書150」のリストを見て、あれも読みたいこれも読みたいとか、これは読んだどうだったとかいうはなしになった。こちらはレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を読んでおもしろかった、ブラジルに行くとちゅうの船のこととかも書いてあるんですけど、そこでやることないからずっと甲板にいて雲を見てるんですよ、で、その雲がどんなふうに変化するかっていう記述を八ページくらいずーっとやってたりして、あれはすごかったな、そういうのを読むかぎりレヴィ=ストロースって文学的な能力もそうとうあったひとで、なんか若いころ小説書いてたらしいんですよね、小説とか戯曲とか書いてたみたいで、未発表だとおもうんですけど、などと語って紹介した。こういうはなしはいつものことで、あれ読みたいこれ読みたいとみんなで言い合っては一生あっても時間が足りないと嘆いたり、もっと読まなきゃなあと奮起したりするわけで、これじたいが不毛な時間といえばそんな感もなくはないが、ただそういうはなしをしているとやはり、読まなくては、本を、日々着実に読まなくては、というきもちが再燃するもので、だからこの日のあとかこのつぎの日にはさいきんなかなか読めない『文学空間』を読んだりもした。日記やその他のことに追われつつも、やはり日々着実に読んでいかなければならない。日記はもう基本、コンスタントに満足に書きながら現在時に追いつくのは無理だという現実ができているので、それをみとめ、もうすこしゆるくかんがえて、さきにほかのことにも時間をつかったりしていくべきだろう。日記を書くことを優先してしまうと、それだけで時間がつぶれて心身も疲労するから、たとえばアイロン掛けとかをあとでやろうとおもっていてもできなくなる、ということがあるのだ。(……)だから日記は、そもそも終わらないものなのだと、満足に書くことはできないし、きょう終わらせることは土台無理なものなのだということを前提にして、とりわけ書きたいことがあったらそれをさきに書いたり、比較的重要度の低いことはわすれてしまってよいと妥協したり、書くべき日が溜まっていてもほかのことをさきにやったりと、そういうスタンスにしていくべきだろうとおもう。ただ、ここにしていくべきだろうとおもう、などと済ました顔でかしこぶって書きはしても、じっさいそうできるかというと、こちらの心身が日記を書くことのほうに優先的に向かってしまう傾向があるとおもわれ、こういうことを書きつけたときにその後ちょっとのあいだはそうなっても、しばらくするとまたもとのような状態にもどっているという事態はいままでくりかえされてきた。とはいえすでに事実、うえに書いたような妥協の状態が恒常化してはいるのだけれど。ただとにかくほかのことができない。書抜きができないし読書もできないし、日記いがいの文章を書いてなにかしらのものをつくっていくこともできない。それが問題だ。
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- 「読みかえし1」: 388 - 394
- 日記読み: 2021/9/9, Thu. / 2021/9/10, Fri. / 2021/9/11, Sat.
テレビのニュースには二〇〇一年九月一一日のテロから二〇年という報がうつしだされ、それを見た母親は、もう二〇年も経ったんだ、ともらして、あのときは(……)(兄)もオーストラリアに行ってて、お父さんもアメリカに行っててふたりともいなかった、みたいなことを言ったのだが、それは記憶ちがいではないかという気がする。兄はたしかに高校時代にオーストラリアにホームステイをしていたことがあるのだが、二〇〇一年九月だとこちらは一一歳、兄は五歳上だったはずだから一六歳で、高校一年だろう。ホームステイが高校一年だったかさだかでない。二年時ではなかったか? という気がするのだが。それにホームステイは夏休み中だったというから、だとすれば九月にはもう帰ってきていたのではないか。父親が当時アメリカにいたというのもたぶんまちがいで、たしかに父親も会社の出張だかなんだかで短期アメリカ(ハワイなどだったはず)に行っていた時期はあったものの、滞在中にテロが起こったということではなかったとおもう。渡米が二〇〇一年だったかどうかもさだかでない。母親の言い分には、記憶の物語化作用による事実の改竄がいくらか起こっているのではないかという気がするのだが。
もう二〇年も経ったんだと印象深そうにもらした母親はしかし事件そのものにはひどい出来事だったという以上とりたてて関心はないとおもわれ、彼女にあって同時テロはただ二〇年というおおきな時間の経過を確認させる指標としてのみ機能したようで、二〇年だから生まれた子どもが成人するくらい、もうそんなに経ったのか、とつづけたあとそこから、八〇歳まで生きるとしてあと二〇年もあるでしょ、それなのに山梨に行ったり畑やったりばっかりで、といつものごとく、再就職しない父親への不満につながった。すごい。あらゆる物事や情報や言説が最終的にそこへとつうじてゆく。飛躍をおりおりはらんだその論理や意味のうごきは、隙間がありさえすればどんなほそいそれでも見出しはいっていける水のようでもあり、『テニスの王子様』にいわゆる「手塚ゾーン」のごとき強烈な引力の磁場が発生しているようでもある。