2022/9/12, Mon.

 病的な春が悲しくも追放してしまった
 冬を、静朗な芸術の季節、透明な冬を
 そして陰鬱な血液が支配する私の存在の中で
 無気力な長い欠伸となってのびている。

 古い墓のように鉄をめぐらし締めつけられる
 私の頭蓋の下では白い黄昏も生温くなったろう
 そして悲しく私は漠然とした美しい夢を追って
 無量な精気が威張って歩く野原をさまよう

 それから樹木の香りにいらだち疲れて
 私は倒れ、私の夢に一つの墓穴を私の顔で
 掘り、リラの咲く温かい土を嚙むのだ。(end29)

 私は悲しみの淵に沈み私の倦怠が起るのを待つ……
 ――だが生垣の上では蒼空は笑っている、また
 太陽に囀る数多の花の小鳥の目醒も。

 (西脇順三郎訳『マラルメ詩集』(小沢書店/世界詩人選07、一九九六年)、29~30; 「復活」(Renouveau)全篇; 『現代パルナス』から)




 またしても湯浴みをせず、明かりをともしたままに寝ついてしまった。早朝にいちど起きて、手を伸ばしてデスクライトを消したが、扉のほうにある電灯は立っていくのがめんどうくさいのでそのまま放置し、再度就眠。つぎに覚めて携帯を見ると八時五四分。さくばん何時に意識をうしなったのかよくわからないが、一時を越えて、そろそろからだも疲れたし寝床で本を読んで休んでからシャワーを浴びようとうつったので、たぶん二時ごろには死んでいただろう。ブランショを読もうとしたけれどねむくてどうにもならなかったわけである。ただふだんにくらべてそれくらいはやく寝られたのはむしろよかった。今朝は起きるといつもどおりからだの各所をさすったりして離床に向かい、九時半ごろに起き上がった。寝床からみた部屋内や天井は明かりがともっているために暖色を帯びているのだけれど、そのせいだけではなく、カーテンの上端から漏れ出るそとのあかるさのなかにも晴れの日のひかりのいろつやがわずかばかりふくまれている。とはいえからだを起こしてカーテンをひらいてみると空の青さはパウダー状の白雲を混ぜこんでもいる。からだはいつもとくらべると比較的かるく、やわらかかった。洗面所に行って顔を洗い、用を足して、出るとブクブク口をゆすいでうがいもすこしする。さくばんまた歯磨きもできなかったとおもっていたが、口をゆすぎながら感触をさぐるにどうも磨いてある。よくおぼえていないが、寝床にうつるまえに磨いたのだったとおもう。水を一杯飲むとタオルを濡らしてしぼり、電子レンジで二分。そのあいだをつかって屈伸もする。椅子について額と目を覆ってタオルを乗せ、うしろに背と首をあずけながら熱がとぼしくなるまで待ち、それから布団のうえにもどった。Chromebookで一年前の日記の読みかえし。いくつか引いておきたいところがあったが、本文中で言及するほどではないかな。「座っているあいだ、虫の声や物音のあいだに草のささやきめいたひびき、もしくは空間がところどころぽろぽろ剝がれ落ちるような音が生まれだしたので、雨が降ってきたなとわかった」というのと、「もっとてまえの川沿いや近間の樹々は、大気があかるくないせいもあろう、ならぶ緑に差異はほとんど見受けられず、風もないようで群れてやすらぐ鈍重な平原の動物のように不動の斉一性にしずまっている」というのはちょっとよかった。そのあとさいきんぜんぜん本を読めていないしやはり読まなきゃだめだとおもってブランショの『文学空間』を手に取りひらく。あおむけになったからだの顔のまえに両手でかかげつつ、主にかかとで太ももをほぐしながら読む。わたしは死ぬことができるのか? というテーマの箇所で、ドストエフスキーの『悪霊』のキリーロフ(自由意志による自殺によって神の不在とにんげんの自律性を証明しようとする)について論じられたりするのだが、このへんのはなしはまえに(……)くんにちょっと聞いたり、あと西谷修の『不死のワンダーランド』中でもとりあげられていたとおもうので、たしょうおぼえがある。ただブランショの記述はやはり晦渋もしくはあいまいで、「死」という概念ひとつとっても箇所によってそれがどういう死のことを言っているのか微妙にちがっているようで、いちおうおおまかにはにんげんがそこでおのれの自律性をあかすための自由意志による死と、もっと本質的なというか、そこでわたしが不在となる純然たる他者としての死とで二項的にわけられてはいるとおもうし、死が純然たる他的なものなのだったらそこでこのわたしはむしろ死ぬことができない、だから死ぬことができないこのわたしはいわば不死であるというはなしなのだとおもうけれど(その論点を敷衍してバタイユとかレヴィナスとかとならべつつ現代の文明や社会や医療などについて論じたのが『不死のワンダーランド』だったはず)、読んでいてそのあいだがわかりやすく区別できるような記述になっていないのでむずかしい。
 あとそういえばNotionにつくっている日記記事の下部、本文のしたには区切り線をもうけたうえでいままで「就床 - 離床」もしくは「就床 - 覚醒」、「支出」、「収支」という三つのメモ欄をつくって、日ごと睡眠を計量記録していたのだけれど、きょうの記事をつくったさいにこれももういいかなとおもって削除した。これでメモは「支出」と「収支」のみになった。一年か二年くらいまえまではそれらにくわえてもっとこまかく、読んだ本やページとか、聞いた音楽とかもメモしていて、神経症的な記録癖と管理欲求がみえていたのだが、だんだんもういいかなとゆるくなりつづけていまにいたっている。ちなみにメモ欄のさらに下部にはもうひとつ区切り線をもうけて、進行中にとどまっている短歌とか詩片とかもメモされているが、これはさいきんぜんぜん取り組んでおらず、ただいつか取り組もうとおもってまいにちの記事にうつしているだけである。読んだ本の書抜きをしたときにはさらにそのしたに区切り線をもうけてそこに記している。
 寝床から再度起き上がったのが一一時半ごろ。椅子について脚をちょっとさすってから瞑想したのだが、やはりしびれてながくはつづかない。二〇分強。左足がしびれるのはあぐらの姿勢が右足を左のうえに乗せるかたちだからだ。足首あたりをほんとうはもっと揉んでおくか、あるいはもっと屈伸をしておいてからやったほうがよいのだろう。とはいえからだはかなりすっきりしており、鳩尾とへそのあいだとかだいぶやわらかい。瞑想をして姿勢を解いたあとはうしろにもたれて足のしびれが治るのを待ち、それから食事へ。サラダとレトルトのカレー。食べながら(……)さんのブログを読む。九月六日分。食べ終わるのとほぼ同時に一日読み終え、洗い物へ。まな板や包丁などはサラダをこしらえたあとカレーを用意しているあいだにもう洗ってあった。食器を洗うまえにカレーのパウチをゆすぐのだけれど、ゆすいだところで内部に付着したのこり滓はそうも取れない。すこしもったいなくもあるし、ほんとうは湯煎したほうがよいのだろうなとおもう。こういう洗っても取れない汚れものはプラスチックゴミに出すのではなくて燃えるゴミにしてしまってよいと、地元ではそういうルールだったし(……)でもそうだとまえに(……)さんが言っていた気がするのでそうだとおもっているのだが、それで合っているのだろうか。食器をさっさとかたづけるときょうは勤務があるからそんなに余裕はないがやっぱりたしょう音楽を聞くかという気になったので、アンプにつながっているものをイヤフォンからヘッドフォンに替えて、Joshua Redman, Brad Mehldau, Christian McBride, Brian Bladeの『LongGone』をまた聞くことにした。"Long Gone", "Disco Ears", "Statuesque"の三曲。二周目を聞いてみれば、いやいいよな、すばらしいよな、と。聞いていてきもちのよい演奏で、とくにやはりBrad Mehldauのソロがおもしろいというかよい。Paul Bleyなんていうなまえをおもいだしたりもするが、あそこまでアウトに寄ってはいない印象。Paul Bleyもぜんぜんちゃんと聞いたことがないのでわからないが。二曲目はJoshua Redmanのソプラノソロがきもちよく、二日前にもふれたけれどブロウをせず、ほぼひたすらに八分音符のつらなりできっちりはめていきながらながれる構築を取っており、それを単調といえなくもないが、これは詰めこみ的なブロウにながれず禁欲をまもった点をこそ評価するべきなのだとおもう。
 そのあとEvans Trioもやはり"All of You"一曲だけでも聞いとくかとおもって、テイク3をえらんだ。ピアノとベースによるイントロからテーマにはいる瞬間にほんのすこしだけぐぐっと凝縮して吸いこむような溜めがあるのがテイク3の冒頭の特徴である。今回聞いてみるとこのテイクはわりとわかりやすいというか、それこそよくいわれるインタープレイ的な、対位的な調和をやっているテイクかもしれないなとおもった。LaFaroのうごきかたや、Motianのさしこみかたにもそれを感じ、だからうえで聞いた現代のひとたちが卓越しきっている緊密な相互的調和にちかいような気がする。ただそのばあいでもやはりEvansの一定性というのはきわだっていて、EvansがじぶんのペースをひたすらたもちつづけているそこにたいしてLaFaroとMotianが、そのときどきの気分とかなにやらによってちかづいてみたり合わせてみたり、はなれてみたり、じぶんのやりたいことをやってみたり、というのがこのトリオのやりかただったのかもしれないとおもった。おれはおれで勝手にやってるから、おまえらも自由に好きにやれ、と。だから平等な三位一体といわれるこの三者だけれど、厳密にはかんぜんに対等というわけではなく、やはりEvansがリーダーだという部分がのこっているような気がする。ただしそれは、Evansがこのトリオの中心だということではない。Evansは中心にはいないのだけれど、ただなにか、ほかのふたりがちかづこうとしてもちかづききれないところにいる。そうしてLaFaroのソロだが、当時これをやって、受け入れられると、理解されるとおもっていたのだろうか? という感触をやはり得る。Motianのシンバルとスネアのさしはさみによる刻みだけをバックにして、旋律感もはっきりしきらないような速弾きをガシガシやるとき、LaFaroはかなり寄る辺ない位置でそれをやっていたような気がする。足もとのたしかでないその寄る辺なさに踏み出してはいったんもどり、また踏み出してはもどるといううごきのなかで、すこしずつまだ見ぬ場所をひろげようとしているふうに聞こえる。その果敢にたいしてしかしここではEvansが、めずらしくと言ってよい気がするが、バッキングによって寄り添うすがたをみせている。ソロの終盤でピアノはかなりしずかに、ひそやかな感じでまず長音のコードを置きはじめて、じきにカードをとりあげてめくるような二連構成のフレーズに展開し、さらにその間隔をせばめて、四分の四拍子と交差するリズムですこしずつ上昇していく。ここでEvansは、そのほかのたいていの時間とはちがい、あきらかにLaFaroのほうを向いて、かれをサポートしている。ときならぬその寄り添いにまた感動して泣いてしまった。
 音楽を聞くと一時一五分くらいだったとおもう。それからきょうのことをここまで書いて二時半。シャワーを浴びたり、豆腐を一個だけ食ったり、アイロンをかけたりしたい。いいかげん放置してある私服のシャツとかも始末しなければならん。


     *


 椅子から立ってからだを伸ばしたり屈伸したりして、ついでにさきほど食った豆腐なんかのプラスチックゴミも始末してしまい、さらについでに床をすこし掃き掃除した。扉のほうから椅子のしたまで大雑把に。三日前に掃いたばかりなのにもうまた髪の毛がたくさん落ちていて、じぶんもそろそろ禿げはじめているのか? とおもってしまうレベルなのだが、まあこんなものなのだろう。たぶんまだ禿げはじめてはいないはず。シャワーを浴びるまえに豆腐をひとつだけ食べることに。毎食サラダに豆腐をつかっているので消費がはげしく、もうあとひとつしかのこっていない。そのほかの食べ物も豊富とはいえない。このあいだ実家に行ったときに母親がもたせてくれたピーマンとかナスとかがわるくならないうちにつかったほうがよいので、それらを炒めて醤油かけて米といっしょに食うくらいの調理はひとまずしたい。だがそのためには油がないのだった。椀に入れた豆腐に鰹節や生姜や醤油をかけて食べているあいだは(……)さんのブログをのぞき、するとおもしろいはなしが書いてある。おもしろいというか、九月九日付の以下の部分で語られていることはめちゃくちゃよくわかるなとおもった。じぶんにもこういうことあるなと。パソコンでもろもろのログインのパスワードを打つときとかにそうなることが過去たまにあった。あと実家にいたころ、帰ってきたときに玄関の鍵を逆にまわしてしまってあかない、とか。こういう、ふだん意識もせずにこなしている習慣的な動作にあるときとつぜん狂いが生じるということを、なにかしら不穏なものとして古井由吉もなんどか書いていたはずだ。

しかし共同住宅の住人同士としては、刹那的一時的と言い切れない程度には短くない時間を、壁越しフロア越しで半共有するところもあり、それはもっぱら生活音というか、人々の声によってだけど、小さな子供のいる家の独特なやかましさ、活気というのがあって、ああ今日も賑やかだなと、開けた窓の外からうっすらと聞こえてくる子供たちの声や物音で感じられるものが、それが五年とか六年とか経過したら、高い声を張り上げてやかましかった子供の声が気づけば聞こえなくなっていて、ある日突如としてエレベーターの前に、ぬーっと異様に背の高い高校生がいて、まさかあれがしばらく前まできゃーきゃー騒いでたあの子かと、見えないところで急速に成長している不気味さに、ほとんど野の雑草を連想させるほどの生命力、ならびに万年相変わらずな生活を続ける我が夫婦とはまるで異なる時間感覚のギャップの大きさを感じさせられたりもする。

話が飛んだけど、開錠番号を知って以来、鍵は使わずにオートロックの数字ボタンに連続で押下すると、開錠の音がしてドアが開くわけで、その番号を以降今まで、おそらく十年以上は打ち込んでいるわけだが、この開錠番号を打ち込む所作が、完全に自分の身体レベルの記憶になっていて、パネルの前に立てば無意識にでもそれを打ち込めるのだけど、たとえば今こうしてこの文章を書きながらそのことを思い浮かべたとき、ではその番号は何か?と自分に問うとき、信じられないことだけど、それをはっきりと意識にのぼらせることができない。もし番号を言ってみてくださいと尋ねられても、いま答えられないのだ。そもそも3×3だか4×3だかで並んだあのボタン番号のレイアウトが、どんな感じだったか、それを視覚イメージで思い浮かべられない。あの並びに対して、決まった所作でだだだっと打ち込む、それで鍵が開く、それだけの記憶しか保持していないので、それが数字で何番の連続なのかを、今まで一度も意識・自覚したことがないのだ。意識していなくても身体がおぼえている、自分のなかのそのようなレベルの記憶のひとつがそれだ。

で、さらに言えば、さすがにこういうことは後にも先にも一度だけなのだけど、ある日のことだけどふいに、その開錠番号を忘れてしまったことがあったのだ。もちろん正確に言えば、番号を忘れたのではなくて、パネルの前で、決まった所作でだだだっと打ち込む一連の行為、その「感じ」を忘れたのだ。その行為を支えていた安定感、その行為を担う身体の安定性、それを基盤にして稼働していたはずのあるサービス。。それらがふいに、意識から飛んでしまった。どこからどこまでを、どのくらいのスピードと間隔で打ち込んでいたのかを、とつぜんド忘れしてしまって、完全にその場で立往生してしまったことがあった。

このときのかすかな焦りと、…いや大丈夫、どうにかなる、ちょっと冷静になれば絶対に思い出せる、、と自分に言い聞かせたあの気持ちは、今でも思い起こすことができる。数字や文字列を思い出すのよりも、きっと容易だと思ったのだ。あの所作、あの一連のルーティン、あの確定された機械的な行為の感覚だけを、思い出せれば良かったのだから。

いったんその場を離れて、周囲を散歩しながら、つとめて冷静さを取り戻し、何事もなかったかのように再度マンション入り口に戻ってきた。リラックスした気分でパネルの前にたち、自分がいつものような自分の身体をここまで運んできたことをどこかに言い聞かせながら、あらためて開錠操作をこころみた。

鍵は開いて、いつものように自分はマンション内部を自室まで急いだ。心のどこかに、すごい、よく開けられた、なぜ開いたのだろう、奇跡的じゃないかとの思いが、抑えがたく湧き上がってきそうだったのを、どうにか無視して、無理にやり過ごして、平然とした態度を装っていた。それはいつもの行為で、それによってドアが開錠されるのは、当然のことでなければいけなかったからだ。

 九月八日付のベルクソンのはなしもおもしろく、さいごの一段落、「もちろんこれ以上、もっともらしいことは書けないのだ。「つまりこうである」という話ではない。そもそもベルクソンとは「つまりこうである」型の話をしているわけではないだろう。あえて言うなら、とにかくひたすら「今ここ、この状態」をあらわそうとしている(「現在」は無いと言いながら…)、だとしたら僕はそこに、強く興奮するのだ」というのにとりわけ目がとまった。
 豆腐を食ったあとはつかった椀や箸をさっと洗ってかたづけ、服を脱いで全裸に。肌着だけではなくハーフパンツも洗うことにしてニトリのビニール袋に入れておき、収納スペースから下着やフェイスタオルを出して椅子のうえに置く。窓辺にかけてあったバスタオルもハンガーからはずしてたたみ、椅子の背にかける。そうしてタオルを持って浴室へ。まず髭を剃る。いったん浴槽内にはいり、壁にとりつけてあるシャワーから水を出して、それで顔を洗ったり髪を濡らしてうしろにかきあげたりする。そうして鏡のまえへとまたぎ越してもどると、シェービングフォームを手に取って顔に塗る。顎のあたりなどよくすりこんでおき、Gilletteのカミソリでもみあげの位置からあたっていく。あからさまに毛のない頬や額なども剃ってすっきりさせておき、ひととおり剃りおえるとカミソリをゆすいで、じぶんの顔はまた浴槽内にはいってシャワーで出した水で洗った。じきにそれがあたたかくなってくるのでそのまま湯浴みへ。ボディソープは素手に取ってちょっと泡立て、そうしてからだをこすっている。からだを洗った時点でいちどながすか、そのままあたままで洗ってしまっていっぺんにながすかはときどきによる。肉体をきよめると扉をあけてフェイスタオルで身を拭き、さいきんはここでしばらく立ったまま静止することもおおいがこのときはわすれたので、かわりに室を出て足拭きマットのうえで静止した。ここでいまなんか訪問があったらめんどうくさいなとおもったがありはしない。水滴が肌のうえをながれていき、だんだん皮膚から水気がすくなくなっていくのをしばらく感じ、それからバスタオルで身を始末。服を切ると机上のタップにドライヤーをつないであたまを乾かし、すると三時半すぎだった。瞑想。三時四〇分から一五分。いや、ちがうな。シャワーを終えたときはまだ三時半前だったのだ。それからワイシャツをいちまいアイロンかけしてから瞑想したはず。そのあと身支度をととのえても時間がすこしだけ余ったので、うえの(……)さんのブログの引用にふれたところまで日記を書き足し、それで四時一五分にいたったので出ることにした。パソコンを落とし、Mobile Wi-Fiも電源を切って、リュックサックを背負い、扉の脇からマスクを一枚取ってつけるとそとへ。通路端の開口部から雲混じりながら晴れている水色空がみえる。階段をおりて道に出て、左に向かいだせばあたりに陽の色もよく射している。公園の滑り台には子どもたちが数人群がり、てまえの入り口そばではふたりの男児がそのさわぎにくわわらずはなしていた。右折すると正面は西、路地はひかりでつらぬかれ、日なたがあたりにひろがるとともにひとみにもかがやきがさわり、左右に停まっている車のボディが引き締まった光球をのせて道のおちこちにきらめきをしこみ、すすむにつれそのきらめきの位置は変わって、郵便バイクもその脇をとおれば各部を光点が痙攣しながらすべっていく。目は絶えず細めざるをえない。止まってくれた車に礼を向けながら通りを渡ってさらに裏へ。みあげれば空は水色、雲もまぶされて襤褸のようにひっかかってもおおかたはさわやかな青がまさり、雲の混ざりによってかえって洗われたような磨かれたような、澄み切っていないのにまろやかなつやのようなものが生まれていた。とちゅうの一軒で、敷地を囲む木製の、塀というか壁のようなもののまえに、丸太をふたつに割られたような木片がたくさんずらりと立てかけられていた。なにとはなしにちょっと異様なというか、小脇にかかえるくらいの木片なのにキノコの群れをおもわせるようなところがあったが、その壁の内のせまい庭に生えている木を斬ったなごりだろうか。あるいは、この家は先日二階に木製のバルコニーめいたスペースを増築していたので、その作業の関連で出たものなのか。小公園をすぎるともう路地の出口も間近、右側は庭木や垣根のあるようなむかしながららしい一軒家が、左手には駐車場のおもてがかためられているような、新興住宅風のよりあたらしい戸建てがならび、宙にはひかりがとおってアスファルトには水めく日なた、緑の葉がはなつあかるみはうつくしく、すでに死後の景色のような、目のまえの光景がとおい過去の記憶のような、そんなひかりの横断歩道を渡って細道をまっすぐ行くあいだ、雲をかけられながらもものともしない太陽がまぶしく、陽射しは熱いし汗も湧くけれどさわやかで、なによりもおだやかな大気の午後四時だった。
 駅にはいり、階段通路を通って向かいのホームへ。きょうのからだはよくやわらいでおり緊張はほぼ感じない。ホームを踏んで人中にはいっても腹のあたりに検知されるものがない。携帯とイヤフォンを出してFISHMANSの『ORANGE』をながしだした。そうして目を閉じたまま立位に待って、頬をかすめるながれも生まれ、まもなく電車が来れば目をあけず耳をふさいでいても気配はあきらかで、目のまえをとおりすぎる一瞬には顔をひっかけていくような空気の跳ねが生じる。乗った口の脇でふりむくと、無人となったベンチのうしろの壁が西陽を受けて全面黄色いようにあかるんでいた。(……)まで揺られ、この時刻は乗り換えに余裕があるので降りると向かい側にうつってホーム端をべつの階段口へ。そこからのぼり、フロアを行き交うひとびとのなかに混ざりつつ、身の緊張をさぐってもやはりほとんど変化はない。緊張や不安がこわいのにわざわざそれをさぐってしまうのは、不意打ちをおそれるがゆえの管理性向で、すくなくともその存在を認知しておけば見えないところから急にやられて恐慌することがないというわけだろう。トイレに寄って小便を捨てた。手を洗って、ハンカチをつかいながら出て、電車を降りてホームからあがってきたひとびとが過ぎていくまえで止まって手を拭き、それから下りると(耳には"忘れちゃうひととき"がながれていて、ホームに下りると線路のむこうにうすめられた水色の空がひろがっており、とおくのレールに陽炎が立つような立たないような微妙な熱気の、この曲がよく合うような日だなとおもった)電車に乗った。いちばん端に着席。向かいはいつも年齢のよくわからないカップルがいるが、きょうはさらにもう一組、高校生くらいの(制服を着ていたかどうかおぼえていないのだが)カップルもいる。瞑目して静止。発車していこうしばらくのあいだはやはり緊張がないとはいえない。からだのうちに違和感がちまちま起こるし、喉に圧迫感が生まれもする。ただそれはとおくにあるような、かなりちいさなものである。しかし、二粒飲んだ薬の作用とやわらいだからだがなければ、これがもっと迫ってきて苦しいのだろうなとおもわれた。それであまり音楽に耳も行かなかったし、からだがよりしずまればあとにはねむくなってきてたいして聞くでもない。(……)に着くよりまえにイヤフォンを外し、耳をさらしながら静止に待つと、降りて駅を抜けた。ここでは雲がもっと多くて太陽もそれに固着して白い。また勤務前にちょっとひとまわり歩くかとおもった。それで裏路地にはいり、ぶらぶら行って、抜けて右折するときょうはおもてまで行かずとちゅうの路地にはいってすすむ。もうよほどあるいたことのなかった道である。子どものころによく風邪を引いて世話になっていた(……)があり、そのまえに停めた車のそとにギャル風の若い女性がもたれて、なかにいる子どもをあやすような感じだった。通りのなかに一軒、こんなカフェできてたんかという、こんな町でわざわざ小癪にもあたらしぶった店があったが、去年職場を去っていった(……)先生が、あっちのほうのカフェではたらくことになりました、来てください、とか言っていたのがもしかしたらこれかもしれない。
 勤務中のことはあとにまわして帰路をさきに書く。職場を出たのは一〇時二〇分くらいで、きょうも(……)まであるくことにした。そのまえに公衆トイレに寄る。入り口前にはバイクから降りた若い男がけらけら笑いながらなかまひとりとはなしており、ぶらぶらうろうろするのでうしろから行くこちらが進路をふさがれるようなかたちになった。はいって用を足すと、洗った手を拭きながら出てきて、駅前の自販機でアルフォートなんかちょっと買い、それから徒歩へ。街道に出て南側を東進。とくにみるべきものもない表通りだが、さびれた町のことでひともすくなく、車がとぎれて虫の音だけがひびく時間もおりおりあって、そのしずけさがなによりなじむ。飲み屋のたぐいももうしまっているが、一軒だけ通りに面したガラスのむこうで年嵩があつまって談笑しており、ここの店はさいきん夜に通るたびいつもそうなっている。そのへんの常連があつまる場なのだろう。東南のほうには月が出ており雲がかりの夜空に暈を茫漠とひろげて、円周先端はわずかに赤らんだ黄色い封じのなかであいまいに白いのがまさしく目玉の様相である。暈がそんなようすだから雲はおそらくぜんたいにうすく混ざっているのだろうが、西かたをふりむけば青みもそれなりにふくんで見える。ひたすら車道沿いをあるきながら浴びる風に、しずかな夜道をこうして歩くというのは、曲がりなりにも実社会ではたらいてきた身のよどみ、よどみなどといっては無礼に過ぎるけれど、ひとのあいだにはいって浴びたことばのにぎわいやら表情やら、身にまといついてべたつく澱のような意味とちからの残存を、風に洗われ落としていくかのような感じだとちょっとおもった。踏切りを越えると二度折れれば駅の口だが、きょうは反対の口から行ってみようとそのまま直進した。すこしまえから駅前マンションの灯が家並みのむこうに望見されており、南を向けば空が、北を向けば闇と化した丘しかみえないこの町ではそんな高さのつらなりもすくなく、オレンジめいたひかりが二列縦にざーっとならんでいるのが滝のようで、最上で各方の角を赤色灯がいくつかかざっているのもおもむきがあった。道沿いにもうひとつ高いマンションがあってそれもちかくに見ればなかなか威容で、地元のくせに(……)で降りたときにみるあちらのものにも負けないくらいで、横幅や住むひとの多さはあちらのほうがまさっているが、縦にながい灯の整然としたならびや、規格化されておなじかたちがいくつもつながっている非常階段や各階の外観をみるに、どこかおもちゃめいていて、いかにも建造物、ひとの手によってつくられたまさしく近代の建造物だなと、そんな感をつよくした。いままでまったく知らなかったが(……)前の(……)は二四時間営業だった。
 駅舎の階段にはいる直前、フェンスや柵のむこうに電車がちょうど来たのが見えたが、走る気力もなし、つぎと見送ってだらだら行き、ホームにはいるとベンチで水を飲みながらちょっと待ったあと、先頭のほうに出ていった。こんな時間の先頭車両でもふたりひとがいて、ひとりはこちらと入れ違いに降りていった。着席すると瞑目にひたすら休む。(……)までほぼ目を開けず。意識もうしなわなかったし眠気というほどのものもなかったが、疲れてはいるのでたしょう精神はゆるかったらしく、虚構的な物語風のヴィジョンを眼裏に見はしたようだ。ただしそれはすぎればもうおもいだせない。(……)に着くと降りて階段をのぼり、(……)線へ。すでに一一時半前である。(……)行きの最終が行くところで眼下のホームでは駅員がライトをもちながら呼びかけており、走れば間に合うが気力なしだからもういいやつぎで行こうと階段をくだりはじめたところ、エスカレーターを行く女性を駅員は待って、最終です、お乗りになりますかとまだ待ってくれたのでそれならと小走りに乗りこんだ。扉際で立って待ち、(……)で降りると帰路へ。駅前細道を行っていると背後から来る足音が高くはやく、抜かしたのを見ればワイシャツにスラックスで黒いリュックサックを片方だけかけて背負ったサラリーマンで、帰りがこんなに遅いのにずいぶん軒昂なのか足取りはおおきくすばやくて、出口で曲がっておそらくスーパーに寄ったようだった。そのあとから来たもうひとりもやはり見ていればスーパーに寄っていって、すでに一一時半で、こちらなどとちがってたぶん正職なのだろうから勤務もながかったはずなのに、それでも帰りに買い物に寄る気力があるのかとおもった。裏道を行きながら我が身にひるがえってみると、五時半くらいにはたらきはじめておおむね一〇時までだから労働としてはたかだか四時間半、ドア・トゥ・ドアでかんがえても四時二〇分から一一時四〇分として七時間二〇分にすぎない。良心的な職場にあたった公務員の実労働時間よりもすくないくらいなのだが、そんなこちらは疲労のためにさすがに寄っていく気は起こらない。黙々とあるいて帰るとしかし、今夜は勤務後のわりにいくらか文を書けたのは事実だ。とはいえやはり昼間に書くのとでは軽さがまったく違うから、無理をせずにさっさと休むか、起きているならものを読んだほうがいいなとおもった。あたまが重いから文もなかなか出てこないし、目を閉じてからだをとめて待ってもことばではなく眠気のほうが来てしまう。食事中は(……)さんのブログを読んだ。以下の箇所に、なるほど、こういう西洋人もいるわけだなと。

 (……)中国ではいろいろ旅行したのとたずねると、北京、上海、広東などに出向いたという。本当は去年政府の支援で新疆に旅行する予定だった、covid19のせいで延期になってしまったが、現地の様子をリポートするという趣向のものだった、と(……)は続けた。あ、きたな、と思っていると、ほら、アメリカやほかの国がいろいろ現地のことをいろいろ言っているだろう? でもじぶんは新疆は十分うまくやっていると思う、そういう現実をちゃんとリポートしたいんだ、みたいなことをいうので、マジで典型的なパンダハガーだなと内心苦笑せざるをえなかった。ちなみに(……)の奥さんである(……)はminorityらしい。何族であるかは聞かなかったが。

 またしたの箇所には、いい親じゃないか、ずいぶんまともな親じゃないかとおもった。

 (……)(……)は国際関係学部の授業も担当しているわけだが、そうした学部にすら最近ではagressiveなことをいう学生がいるといった。たぶんペロシの台湾訪問を受けて、米国といますぐ戦争せよと息巻いていた学生がいたのだろう。じぶんはそういうとき、すべての国の人々は基本的にpeaceを愛している、まずはそう考えるべきだと学生に言っている、みたいなことを(……)はいった。また、娘からはあのひとはいい人なのか悪い人なのかという質問を受けることがあるので、そういうことをぱっと見で判断することはできない、そのひとがどういう行動をとるのかをゆっくり観察してはじめて判断を下すことができるのだと教えるようにしているみたいなことも言った。(……)は(……)から日本人は悪者なのかと質問を受けたことがあるといった。そういうものの見方はしないようにと毎回強調して教えていると続けたのち、女性を平等に扱うようにという話も同じくらい強調しているといった。(……)もこの方針に同意した。日本でもそれは深刻な社会問題になっているよとこちらは受けた。


     *


 あとは勤務中のこと(……)
 (……)


―――――

  • 「ことば」: 11 - 15
  • 「読みかえし1」: 395 - 399
  • 日記読み: 2021/9/12, Sun.

 イマージュの散乱、射映の揺らめきを〈語られたこと〉においてとらえ、それになまえをあたえること、つまり「命名すること」が、存在者の同一性を「指示」し、意味を「構成」する。ことばとはそのかぎりで「名詞の体系」にほかならない(61 f./76 f.)
 そうだろうか。感覚は揺れうごき、感覚的経験は移ろう。その感覚的次元につきしたがっているかぎり、言語もまたたんなる名詞にとどまりうるであろうか。そこでは、ことばとは「むしろ動詞の異常な増殖」(61/76)となるのではないか。動詞 [﹅2] であるのは、感覚的経験がまさに刻々とかたちをかえるからであり、動詞が異常 [﹅2] に増殖 [﹅2] するのは、その(end198)移ろいには休止も終止も存在しないからである。あるいは、こうもいえるのではないだろうか。

 感覚的質がそこで体験される諸感覚は、副詞的に [﹅4] 、より正確にいえば、存在するという動詞の副詞として響くのではないか。
 このように、諸感覚を〈語られたこと〉のてまえでとらえることができるとするならば、諸感覚は他の・もうひとつの意味作用を顕わにするのではないだろうか [一文﹅] (*ibid*.)。

 「感覚的生」とは「時間化」であり、「存在が存在すること」(essence de l'être)である(*ibid*.)。その感覚的な生にあって諸感覚は、「存在するという動詞の副詞」となる。どういうことだろうか。「他の・もうひとつの意味作用 [﹅12] 」とはなにか。順を追って、論点をすこしだけ具体的に考えてみよう。
 感覚的諸性質はたんに「感覚されたもの」ではない。それは同時に「感覚すること」でもある(56/70)。とりあえず「情動的な状態」(*ibid.*)については、ことがらはあきらかであろう。喜ぶことと喜ばしいものはわかちがたい。ひとは喜ばしいものを喜び、悲しむべきことを悲しむ。つよい情動を感じる [﹅3] ことと、感じられた [﹅5] 激しい情動は区別できな(end199)い。情動的な状態は感じられるものであると同時に感じることである。
 感覚的性質一般についてはどうだろうか。痛みにかんするベルクソンの例をとってみる [註114] 。右手でもったピンで左手のゆびさきを突きさしてみる、としよう。まず接触感があり、やや遅れて鋭角的な痛覚があって、鈍重な痛みの拡散が生じる。このそれぞれの段階にあって感じられているのは、ゆびさきに刺さったピンの感覚 [﹅5] であるのか、それともピンが貫いたゆびさきの感覚 [﹅7] なのか。痛みを感覚する [﹅4] ことと、感覚される [﹅5] 痛みとはこの場面でもわかちがたい。ここでも「なにごとかが対象と体験とに共通している」(56/71)。
 ベルクソンの例は、継起する感覚がかならずしも質において連続的ではないことを示していた。(おおきくは痛みとして括られる)ピンもしくは [﹅4] ゆびさきの感覚は、刻々と推移し、質を変容させる。ふくまれている論点をはっきりさせるために、べつの場面で考えなおしてみよう。触覚を例にとる。暗闇のなかを壁づたいに手さぐりですすんでゆく、としよう(廣松渉の挙げた例 [註115] )。歩をすすめるにつれ、感覚の変容が感じられる。壁の亀裂と凹凸にそって、手のひらの感覚が移ろい、入れ替わってゆくことだろう。
 確認しておきたい論点が三つある。第一の論点は、ベルクソンによる例のばあいと共通である。ゆびさきに感じるざらついた壁 [﹅6] の感覚は、壁に触れたゆびさきがざらつく [﹅9] 感覚でもある。ざらつきを感覚することと、感覚されるざらつきは不可分である。第二の(end200)論点が、さきの引用の理解にかかわっている。壁はところどころ脆く、場所により窪みがあるとしよう。感覚し・感覚される「諸感覚」はここでは「副詞的に [﹅4] 」あたえられる。「より正確にいえば」、感覚があたえる副詞はすべて「存在するという動詞の副詞」として響いて [﹅3] いる(前出)。壁はときどき「柔かく」感じられ、ときおり「凹んで」感じとられる。壁は「ぐにゃりと」存在 [﹅2] し、「抉られて」ある [﹅2] のである。――最後に、最大の論点がのこる。「印象が時間化する」こと、自己差異化する [﹅7] ことのうちに「存在するという動詞」(既引)があらわれる。「感覚的生」とは「時間化」であり「存在が存在すること」であった(同)。ここで存在する [﹅4] とはなんであり、時間が時間化する [﹅8] とはどのようなことなのか。
 さきの例にもどる。私の掌につぎつぎと、壁の起伏が感じられる。ここで起伏は副詞的に [﹅4] 感じられ、壁は「突き出て」存在 [﹅2] し、「窪んで」ある [﹅2] 。そのばあい、壁の感覚はおなじ [﹅3] 感覚として継起し、しかもことなって [﹅5] ゆく。同一のものが差異化している。つまり「感覚的印象が、異なることなく異なって、同一性において他のものとなっている(autre dans l'identité)」(57/71)。――同一性における差異化のありかは、副詞が不断にえがきとる。あるいは、動詞としても表現される。壁は掌を押しかえし [﹅5] 、ゆびを引きこむ [﹅4] 。壁はそのとき凹凸である [﹅3] 。壁に起伏が存在する [﹅4] 。このある [﹅2] 、存在する [﹅4] 、という動詞そのものはなにを示しているのであろうか。(end201)
 動詞「ある」を修飾する副詞が示すのは、とどまるところのない感覚的変容のさまである。これにたいして、Be動詞がえがきとっているのは、「感覚が現出し、感覚され、二重化されながらも、みずからの同一性を変化させることなく変容する」過程そのものである。この変化なき変容 [﹅6] である「時間的変容」が、「時間の時間化」、つまり時間が時間であるということであり、「存在するという動詞」なのである(60/75)。存在する [﹅4] (*essence*、もしくは「存在する [﹅4] という語の動詞的な意味」をつよく示すために、正書法からの逸脱をデリダに倣ってあえて犯すとすれば、ess*a*nce avec *a* [註116] )とは、時間が時間化する [﹅8] ことである。時間の時間化とは、同一性そのものの変容、同一性の自己差異化なのだ。
 カントの超越論的感性論ふうにいえば、時間とは、それをあらかじめ(ア・プリオリに)考えることで同時性と継起とがはじめて意味をもつにいたる「純粋な形式」である [註117] 。個々の感覚は継起する。だがしかし、継起する感覚の質の変化それ自体が時間ではない [﹅2] 。時間とは継起ということがらそのものであって、それ自身は継起し変容しながら、しかも変化しない [﹅2] 。存在すること [﹅6] が、時間であることそのものであるとすれば、感覚的経験があかす、それぞれの存在者から区別された存在そのものとは「時間的な奇妙な痒み」(61/76)にほかならない。だからこそ、時間 [﹅2] (の時間化)と(存在者の)存在 [﹅2] はさしあたり解きがたい謎なのである。――静まりかえった夜の闇のなかで、家具がわずかに軋む。(end202)それはほとんど「無声の摩滅」である。いっさいは「すでに質料を課せられて、生成」し、時のなかで「剝がれ落ち、みずからを放棄して」ゆく。すべての〈もの〉は、ほんとうは(色が輪郭をはみだし、輪郭にとどかない、デュフィの絵画のように)じぶんとそのつどずれて [﹅3] おり、みずからと重ならず、たえず移ろっている。時間とはだが、よりとらえがたく「形式的」な、「すべての質的規定から独立の、変化も移行もない《変容》」なのである(53/67)。

 (註114): Cf. H. Bergson, *Essai sur les données immédiates de la conscience*, 155ème èd., PUF 1982, p. 31 f.
 (註115): 廣松渉『世界の共同主観的存在構造』(勁草書房、一九七二年刊)一三九頁参照。同書は、講談社学術文庫(一九九一年刊)で再刊されているほか、『廣松渉著作集』第一巻(岩波書店、一九九六年刊)に再録されている。言及した論点は、それぞれ、文庫版では二〇二頁、著作集版で一四四頁以下。
 (註116): E. Lévinas, De la déficience sans souci (1976), in: *De Dieu qui vient à l'idée*, p. 78 n. 1. 講義録にも「存在が存在する [﹅2] こと」(l'ess*a*nce de l'être)とある。Cf. E. Lévinas, Dieu et l'ontothéologie, in: *Dieu, la mort et le temps*, Grasset 1993, p. 147.
 (註117): I. Kant, *Kritik der reinen Vernunft*, A 30-32/B 46-48.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、198~203; 第Ⅱ部、第二章「時間と存在/感受性の次元」)

     *

一二時一三分離床。瞑想。天気は水っぽいような、かすみがちの曇り。窓をあけて目を閉じれば風がやわらかくながれこんできて涼しさと外気のにおいが身に触れる。座っているあいだ、虫の声や物音のあいだに草のささやきめいたひびき、もしくは空間がところどころぽろぽろ剝がれ落ちるような音が生まれだしたので、雨が降ってきたなとわかった。(……)

     *

(……)米同時テロから二〇年でバイデンが式典に参加して演説し、団結こそが米国のちからだと述べた由。ページをめくっていくとうしろのほうに、単身者の記者(五七歳男性)がコロナウイルスにかかったときのことをつづり、どういう状況になるかどういった点にこまるかを述べた記事があった。感染がわかったのは七月のあたまあたりで、それまで食事はつねにひとりで取っていたし会食も避けていたので感染経路は不明と。毎日体温をはかっていたところそれが三八度を越え、たまに世話になっていた近所の医者に連絡して徒歩ででむき、PCR検査をすると陽性が出たと。そこで保健所に連絡がいき、自宅隔離かホテルかという選択肢を提示され、ひとりもので自宅にいたときに容態の急変がこわかったのでホテルを選んだ。ただ、受け入れ態勢がととのうまでのあいだは自宅待機しなければならない。このひとは前々からそなえて保存食を備蓄しておいたといい、レンジであたためれば食べられるようなそれを食ってしのいだ。熱は変わらず三八度以上がつづき、頭痛もあって料理をするような気力も起こらないので、レンジですぐ食べられるものがあって良かったと。それで待機しているうちにしかし症状が悪化してきたので、保健所に相談すると医師の判断で入院となり、はいったのが七月九日、退院は一六日目の二四日だった。あいだ、発熱、頭痛、下痢の症状がつづき、肺炎も見つかってただ息を吸うだけで胸が痛いという状態になって、中等症Ⅱと診断されたらしい。退院後はしばらく在宅勤務をして、いまは職場に復帰していると。こういった経験からひとりものが感染したときにこまりそうなこととして、食事の確保や日用品の用意などを挙げていた。このひとのように備蓄をしておくのが良いと。また、外出もできなくなるので、買い物などに行ってくれるひとをあらかじめ見つけておくと安心と。おなじひとりものの仲間と協定を組んでおくという手もある。このひとのばあいは大学時代からずっとつづけているサークルの先輩が近所にいて、差し入れをしてくれたのが助かったという。ほか、入院のさいに必要な品々もあらかじめ買っておかないと困るし、また気力を保つために気晴らしは大事だけれど多くの病院はWi-Fiをつかえないので、スマートフォン電子書籍とか好きな音楽とかを入れておくと良いということだった。

     *

上階へ行ってアイロン掛け。窓外は石灰水をわずかばかり注入されたような色合いで、雨が降っているのかいないのかよくわからないもののたぶん降ってはいなかったとおもう。山はしかしビニールの膜を一枚かけられたように色がうすれている。もっとてまえの川沿いや近間の樹々は、大気があかるくないせいもあろう、ならぶ緑に差異はほとんど見受けられず、風もないようで群れてやすらぐ鈍重な平原の動物のように不動の斉一性にしずまっている。聞こえる音は居間の端に吊るされた洗濯物に焼け石に水にもならない微風をおくる扇風機のひびきや、大気をつたわってくる近所の子どもの声くらい、母親はソファでタブレットかなにか見ていたが、じきに天麩羅をやるといって台所にはいり、そうすると油がはねる泡立ちの音もくわわった。