(……)この写真に、最愛のひとよ、あなたは慣れることができるでしょうか? この人間はあなたをまだキスできるのでしょうか、それともキスしないで署名しなければならないのですか? しかし結局のところ写真はまだ我慢できますが、人間自身が現われたら? ――あなたは彼から逃げ出すかもしれません。考えてもごらんなさい、あなたは彼に一度しか、それもガス燈の下で会っただけで、そのときは特に注意して見たわけではありませんでした。彼はしかし昼間ほとんど外に出ず、そのためまったく夜の顔になりました。ぼくにはあな(end140)たがよく分ります。しかしそれでもあなたは彼に慣れるかもしれません、最愛のひと、だってごらんなさい、あなたがあんなに親切に扱ってくれる手紙の書き手であるぼくもまた彼に慣れないわけにいかなかったのですから。
(マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、140~141; 一九一二年一二月五日)
意識をとりもどしてしばらく呼吸し、携帯を見たのは八時をまわったころあい。まもなくカーテンも開けて布団をかぶったままChromebookを持つ。しかしきょうは日記の読み返しもせず、ずっとウェブをだらだら見回ってしまった。天気はきのうほどの快晴ではなく、このときの空はいくらか雲混じりだった。いま一一時半過ぎだが、窓辺に寄ってカーテン越しに見てみると、空は水色をひろげて地面や保育園の庭に日なたもつくられているものの、空気の色はやはり薄めで、雲もまぶされているようだ。カーテンにあかるみも宿っていない。しかし西窓なので、これからもうすこしあかるくなってくるかもしれない。九時四〇分ごろに離床した。水を飲み、トイレに行って顔を洗うなど。そうして背伸びをしたり、寝床に行って脚をちょっとさすってから瞑想。もう時間をみていないが、そうながくはなかったはず。一五分くらいか。きょうは脚を組まずにたたみつつも並行に置く感じで座ったのだが、やはり左足がしびれてくる。やるまえに足首をまわしておいたほうがよいのかもしれない。座布団にあたる外側のくるぶしあたりがほぐれていないとしびれてくる気がする。姿勢を解くと四つん這いになって背中を伸ばしたり、そのまま正座みたいになりつつ両腕をまえに伸ばしてぺたんとする姿勢を取ったり。たしかヨガのさいちゅうはこの姿勢で休憩を取るのが基本みたいなことをどこかで見たおぼえがあるが、たしかに、なぜなのかわからないが落ち着いてきもちがよい。ほか、胎児のポーズを取りつつ左右に揺れたり。そうして食事へ。れいによって大皿にキャベツと豆腐。そのほか即席の味噌汁と、冷凍の唐揚げをおかずに米を食うというわけで、きのうの晩とおなじ。ウェブを見つつ食べて、食器類を洗って水切りケースへ。プラスチックゴミは食事の前や合間合間で始末している。きょうは水曜日であしたが燃えるゴミの回収日なので、夜に出しておかないと。とはいうものの、袋にけっこう余裕があるにはあるんだよな。生ゴミもたいして溜まっていない。
食後は白湯をちょっと飲み、歯も磨き、うがいをして、龍角散のど飴をなめながらきょうのことをここまでさっさと書いた。きのう一一月五日をおもったよりもすすめられなかったので、きょうはなんとかやりたいが、さいきんもう記述にやる気がなかなか出ない。いよいよ衰退・縮小の時がやってきたか?
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とうえに書きつつもそのまま五日の記事に取りかかり、いま一時四九分だが書き終えた。きょうはなぜかからだが軽くて、ゆびもかろやかにうごく感じがあり、この分だと、六日は外出時のことだけ書ければ良いし、七日は籠もったから特段の記憶もないし、きょうじゅうにきのう分まで行けるかもしれない。あしたからまた労働というタイミングでかたづけておきたいいっぽう、しかし無理も禁物ではある。まあ一日だけなので、あしたを越えればまた月曜まで休みだが。正午を越えてカーテンにはやはり陽がともり、いまはレースのうえからしたまでひろくあかるみがひらかれたうえに、そとの柵や棒の横線が襞にあわせて波打ちながら影を引いたり、縦は縦でところどころ細く太く帯なしていて、左側半分は窓をあけて網戸にしているのでそのぶんひかりが通って色もつよいが、下半が影におおわれた右側はガラスに織りこまれた斜めの格子線が布に合わせてやわらぎながら鱗模様をつくりだしており、ガラスの色と、レースにはいっているアクセント的な縦線の青緑とであかるみが涼しく抑えられ、ぜんたいに森の空気をおもわせるようなさやかな色合いを発している。
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いま五時三八分。一一月五日の記事を投稿し、六日分にJoyce翻訳の註釈まで書いたあと、さすがに腰のあたりが疲れて椅子に座っているのが難儀になってきたので、一時寝床に逃げて休憩した。それがおそらく四時前くらいか。そとに出しておいた座布団と枕をこのとき入れた。Chromebookでウェブを見つつだらだら休み、寝床を立つとひとまずトイレに行って膀胱を軽くし、ついでに手と顔もよく洗っておく。あしたひさしぶりの労働だし、シャワーを浴びるときに髭も剃っておきたい。あとワイシャツに限らずずっとアイロン掛けをサボって放置してある衣服類も始末したいところ。出るとさきに野菜スープをしこんでおこうかなとおもっていたが、時間を見ると四時五〇分、良い時間ではあるけれど、六日分があと外出路のことだけだし、そっちに取り掛かってみるかと椅子についた。それでさきほど終了。七日分はもう良いので、六日七日を投稿したあと料理をする。
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投稿したあと料理をして、それで七時くらいだったのだが、あしたが勤務復帰なので(……)さんにメールを送っておこうと携帯でしたため、送信したあとに八日の外出路のことを書いていると、じきにからだのぜんたいが緊張に浸食されだして、鼓動は昂進するし胃液も分泌されたようで塩っぽい感じが口内に生まれて、今回の休みの発端時とおなじような状態になった。それだからこれだいじょうぶかな、やばいかな、けっきょくあしたまた行けなくなるかなという危惧もとうぜん生まれたのだが、ただ発端のときよりもからだはほぐれているから、まだしも余裕はあった。とりあえず文章を書くのはもうやめたほうがいいなとそれは明確なのでやめ、ひとまず瞑想というかうごきをとめてみるかとおもって椅子のうえで目を閉じて静止すると、そうすればそこそこおちつくものだから、やっぱり無動の時間をつくるのがじぶんにとっては大事なんじゃないかとおもった。それでこの日のあとの時間はけっこうそうしてなにもしない時間をつくったり、休んだり、あとは放置してあったワイシャツにアイロンをかけたり、スーツやスラックスの埃をテープで取ったりして、翌日の準備をととのえた。危惧はあったが、まあなんとか行けるだろうというくらいの心身ではあった。最悪ヤクを三錠飲んで、ひとまずあしたを乗り切ればよいわけだし。寝るのもけっこうはやめだったはず。零時をまわったころあいだったのではないか。