最愛のあなた、もうまた遅くなりました。なにもしおえないで、古い習慣から、降らない雨を待っているかのように、ぼくは目ざめています。
(マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、266; 一九一三年二月一一日から一二日)
- 目覚めてちょっと深呼吸をしたり、手指を伸ばしたりして、身をいくぶんもちあげて携帯をみると一〇時四三分。まどろんでいるあいだに、外出した園児たちが帰ってくるときの声を聞いたおぼえがあったので、おおかた一〇時台だろうと時間に見当はついていた。からだの感じはなかなかよい。手をメンテナンスするとよいと気づいたのがかんぜんにブレイクスルーだったな。やはりまいにち打鍵ではたらかせていたので、知らず知らずこごりとか濁りとかが溜まっていたのだろう。スポーツ選手がトレーニングや試合の前後に柔軟をして肉体をいたわるのと同様、キーボードをつかって文を書くこちらもその道具たる手指をよくいたわり、やしなわなければならないのだ。はやくも一一時で正式な覚醒を得たが、その後一二時ごろまでとどまってしまうのはいつものとおりだ。カーテンを閉ざしているあいだは曇りの日のあかるさのように見えていたのだが、あけてみればそれどころか快晴で、きのうも雲はなかったはずだけれどきょうのほうがよりひかりにまばゆさが混ざっているように見えた。洗濯日和だが、起きたのが遅かったのでいまから洗って干してもすぐ陽が引いてしまうしあまりなあと迷って、けっきょくきょうは見送った。あしたもいちおう晴れるようなので(曇りもはさまるようだが)、金曜日のじぶんにゆだねる。寝床ではいつもどおり一年前の日記を読みかえしたり、Guardianをみたり。ウクライナの概報と、あと今年のベストアルバム五〇選という記事があって、五〇位から三一位までまずは公開されていた(https://www.theguardian.com/music/2022/dec/06/the-50-best-albums-of-2022(https://www.theguardian.com/music/2022/dec/06/the-50-best-albums-of-2022))。こういうのメモっておいてもけっきょくあまり参考にしないというか、じっさいそこに載っている音源をたいして聞かないのだけれど。一年前は勤務で(……)教室にヘルプに行っており、記憶を刺激されて高校時代のこととかつらつらうだうだと語っている。パニック障害初期のころのようすもおもいかえされており、「すこしでもなにかがずれれば発作がやってきそうだし」というこのことばがいまもひじょうにリアルに感じられる。「すこしでもなにかがずれれば」。まさにそのとおり。これいじょうぴったり来るいいかたはない。満員電車で目のまえにひとの壁ができているなか目を閉じてひたすら耐えているあの時間もおもいだされて、ああそうだった、とおもった。あらためて、よく耐えられたなとおもう。むしろいまのほうが無理だ。
(……)(……)で降りたのはマジでひさしぶりのことで、大学生のとき以来ではないか。いまとうとつにおもいだしたのだけれど、二〇一一年三月一一日にじぶんはこの(……)にいたのだ。というのはとうじまだ実家にいた(……)と会っていたからで、なぜその日に彼女と会うことになったのか理由はまったくおぼえていないのだけれど、大学に行く電車のなかで彼女とはたまに顔をあわせていたので、それであそぼうということになったのか。しかしさらにかんがえるに、二〇一一年三月というのはじぶんがパニック障害で一年休学して大学に復帰するその直前の時期ではないか? じぶんは二〇〇八年の四月に入学したから二〇〇九年四月には二年、そして二〇一〇年の四月に三年生をはじめたところがパニック障害がひどくて五月を待たず休学しようという決断にいたったのだった。過去にもしるしたことをついでにまた余談としてしるしておくが、休学の決断にいたった日のことはわりとおぼえている。二〇〇九年のおそらく一〇月のなかばから後半あたりにじぶんははじめての発作をむかえて、その後も消耗しながらも二年次はなんとか終え、春休みをはさんで三年次もどうにかかよおうとおもっていたのだけれど、症状がひどすぎて、毎朝電車に乗れば席にすわってじっとしているだけでとにかく不安でたまらず、呼吸はうまくいかないし、すこしでもなにかがずれれば発作がやってきそうだし、ここからいますぐ逃げだしたいという気持ちとつねにたたかいつづける通学路だった(大学での講義のあいだも、それとさほどちがいはなかったが)。とくに一限から授業がある日などは満員電車に乗らなくてはならず、じぶんのばあい電車の接続関係上、席にすわっていけるのはよいけれど、すわっていても目のまえをひとの列が圧迫的に埋めつくしているわけで、となればとうぜんすぐに出口にむかって逃げるということができないから、目を閉じて人間を見ないようにしながらひたすら不安がたかまらないようにやりすごす朝だった。一時間くらいずっとそれがつづくわけである。いまからかんがえてもよくがんばっていたなというか、過去のじぶんにたいしてさっさと医者に行けばよかったのにとおもうところだが、そういう日々がつづいての四月の終盤、ついにピークがやってきたのだろう、乗り換えのために(……)で降りてホームを行っているあいだ、鬱病のひとの気持ちがわかったような気がしたのだった。つまりそこで生まれてはじめてある程度明確な希死念慮をおぼえたというか、これでは無理だなと、このままだとじぶんは自殺するかもしれないという予感をえたのだとおもう。それでその日はもう大学には行かず、地下鉄にむかうのはやめてそのまままた一時間いじょうかけて帰り、その日のうちだったかどうかはわすれたけれど両親に休学したいという旨をもうしでて、二〇一一年の四月まで一年やすむことになった。とおからず医者にも行き、精神安定剤を飲みはじめることになる。
- 起床すると身をはなしたばかりの寝床にリセッシュを撒き、首をまわしたり手をほぐしたりしてから瞑想。きのうサボってしまったし、きょうは音楽を聞く気にならなかった。ゆびを伸ばしたのでからだぜんたいがすでにかるくなっており、かなり楽にすわれる。瞑想をするにもじっとしていることに耐えられるからだを準備しておかなければなかなかむずかしい。ただ座るとは言い条、その「ただ座る」が可能になる条件を事前にある程度ととのえなければ、よい時間にはなりにくい。もちろん座っている時間のあいだでととのってくるはたらきもあるのだが。ゆびをストレッチしておくと背すじが無理なくおのずからすっとした感じになって安定的だ。なかなかここちよくつづけ、たぶん三〇分いかないくらいだったのではないか。一二時二〇分ごろからはじめた記憶があり、切ったのが四八分だったので。それで食事へ。レトルトカレーをまた食うことにして鍋に水を汲み、火にかけて、水のうちからもうパウチを入れてしまう。水切りケースのなかはすでに昨晩深夜にかたづけておいた。夜食のプラスチックゴミだけ始末して、冷蔵庫のうえに置いてあったまな板を洗濯機のほうにうつし、大皿も用意して、キャベツを削るように切る。そして白菜と豆腐。豆腐もあとひとつしかなくなってしまった。基本毎食食っているしな。窓を閉ざして火をつかっていると室内の空気がちょっと暑いあたり、きょうは気温が高いらしい。すでに沸騰しているのを弱火にしておき、さきに席について野菜をいくらか食べてから、パック米を電子レンジで加熱した。まな板と包丁は野菜を切り終えた時点でさっさと洗っており、そのさい洗濯機のうえも汚れていたのでキッチンペーパーと抗菌化スプレーで拭いておいた。サラダを平らげると木製皿に米を出し、カレーを用意。席についてウェブを見ながら食す。ヤクを飲み、大根おろしを食べ、洗い物をすませたあとヨーグルトも。ぜんぶいっぺんに食べてさいごにまとめてかたづけるということをせず、ちょくちょく椅子を立っている。食後はからだがおちついてくるのを待ちながらウェブをみたり歯磨きをしたりして、そのあと音読。ここでも手指を伸ばす。伸ばしつつゆっくりといそがずに英文や和文を読む。天気は良い。レースの白さを透けて窓から来るあかるさのせいでダークモードになっているモニターが見えづらいので、画面の輝度をあげたくらいだ。しかし三時半をむかえている現在ではもはや西窓にひかりのつやもとどかなくなり、太陽ははやくも保育園のむこうへ引いているのだろう。二時半まえまで文を読むと立ち上がってちょっとからだをうごかした。そうしているとギターが弾きたくなってきたのですこしだけいじることにして、室の角であたまに埃をかぶっているケースからアコギをとりだし、似非ブルースをキーを変えつつてきとうにやる。手をほぐしてあるのでとうぜんながらゆびはわりとよくうごく。あたまも明晰なので瞑目のなかの指板表象が見えやすくなって、生まれてくるルートをゆびが追いやすい。録ればよかったかもしれない。三〇分ほどでみじかくしまえて、ちょうど三時だった。そうしてきょうのことをここまで。五日のことをしあげたいところ。
*
- その後、一二月五日月曜日の記事を書くのに邁進。四時半ごろまで。ゆびがよくうごき、記憶もするする出てくるので、勤務中のことをつらつらつらつらとどんどん書いていく。四時半をむかえるとさすがにからだがこごっていたので、いったん打鍵をやめて椅子の背にもたれ、イヤフォンをつけて音楽をながしながら手のゆびをストレッチした。音楽はceroの『POLY LIFE MULTI SOUL』である。きのうの投稿作業のあいだだったかにながしていたのがそのままだったので、つづきから。”ベッテン・フォールズ”のとちゅうからだった。つぎの”薄闇の花”がはじまってすぐ、ベースの音いいよなあと。このイヤフォンはたしか一〇〇〇円くらいしかしないDENONの安物だし、実家からもってきたSansuiの古いアンプ経由しているとはいえ、音源はAmazon Musicだし、オーディオ的になんの高度化もしていない環境だが、ベースの締まった圧感などこれでぜんぜん満足してしまう。時間をかけて両手のすべてのゆびや手首をよくほぐすと、それだけでからだがかるくなったので、このままつづけられるのでは? とおもってふたたび打鍵をはじめたのだけれど、しかしやはり疲労は否めないようすだったので、無理をするのはやめようということで寝床に逃げた。座布団を出しっぱなしにしていたのをわすれていたので取りこむ。布団のうえに膝をつき、中途半端な姿勢で窓をあけると、向かいの保育園の二階の部屋が、暮れ方の宙にだんだんと満ちはじめている薄暗さのなかで蛍光灯のあかるさをきわだたせており、なかでは子どもらがいたずら好きの妖精のようにわいわいうごきまわっているのがみられる。しかし迎えが着々とすすんでいるだろうから、その数もだいぶすくなくなったようだ。夕空は褪せつつはあるも雲を排して真っ青で、左右の果てには旅人を待つ遠い火のようなほのかな暖色が下端にあさく乗せられているのもみえる。ひさしぶりのながめだ。座布団の両面を素手でいくらか払い、なかに入れると冷たくなっているそれを腰のしたに置き、ファスナーをとちゅうまでにしていたダウンベストを首もとまで閉じて、このときは(……)さんのブログなどを読んだはず。一二月六日。とちゅう、「撤回」や「謝罪」や「転向」をゆるさない現代の空気、ならびにそこで「説得」の価値がないがしろにされているのではないかということについて語った過去記事からの引用を読んでいるあいだに、これとはちょっとずれるのだが(しかしちかい圏域のはなしではあるとおもうのだが)、じぶんも過去に教師の役割について、それは生徒を直接的に変化させることではなく、生徒がみずから変化する余地をひらくことだみたいなことを書いたなとおもいだして、その記述を確認したくなったので、ブログを「余地」で検索すると、「余地」というワードはけっこうよくつかわれるからたくさんひっかかったのだけれど、一ページ目のいちばんしたのほうに当該箇所が発見された。2022/3/26, Sat.。基本ぜんぶ検閲している勤務中の記述のなかで、この日はここだけ部分的に公開している。「承認」だけではだめなばあいもあることはとうぜんとしつつも、じぶんはここに書いてあることに現在もおおかた同意する。
(……)さんもあたるのはひさしぶり。あいかわらず授業中にノートに絵を描いて取り組まない、という時間がままある。しかしこちらはそれをあまりせっつかずゆるしていく所存である。かのじょがどれくらい絵を描くことが好きなのか、たんに退屈な勉強の間の手慰みとしてやっているのか、それとも家でもよく描いているのかわからないが、後者だったらそれをもっと肯定したいとすらおもっている。かのじょは見たところではひととのコミュニケーションが得意なタイプではなく、まあいわゆる「陰キャ」と言ってさしつかえないだろう雰囲気であり、質問をしてこたえてくれるときにもちょっとどもったり詰まったりするようなかんじもあり、こちらが指示を出してもすぐにはとりかからず絵を描いているあたりなど特有のじぶんのペースや雰囲気もたしょうあるのだけれど、この日なんだかじぶんはこの子をかわいらしくおもってしまって、といってももちろん容姿がきれいだとかかわいいとか恋愛感情として好みだとかそういうことではなく、じぶんの娘がいたとしたらおぼえるようなたぐいのかわいらしさなのだけれど、だからそれはいわゆる庇護欲、といわれるようなものなのだろう。そしてその庇護欲と、かのじょを肯定し承認してあげたいというきもちのなかには、一種の傲慢さもまたふくまれている。つまり、「陰キャ」とみなされるような子を承認し、自信をつけさせて、よりたのしい、自己実現できるような生へとみちびいてあげたい、みたいなきもちがおそらくあるはずで、これこそパターナリズムというものだろう。まあそれを言ったら教育すべておおかれすくなかれそうとも言えるのかもしれないが、いずれにしても失礼なはなしではある。そもそもかのじょがいまのじぶんに満足しているのか否か、じぶんのありかたを変えたいとおもっているのか否か、じぶんの生をつまらないとおもっているのか否か、そのあたりはまったくわからないのだから。ことさらにつまらないとおもっているだろうともおもわないが、うえのようなこころのなかには、じぶんがかのじょをより良いありかた、生きかたにむかわせてあげられる、というようなおもいが混ざっているはずである。そして、それはあまりよくないことだとかんじる。もちろんそれがなければ教育にたずさわったところで意味はないのかもしれないが、それをはじめから意図してしまっては、危険なことにもなりかねないのではないか。ここで(……)のことをかんがえるに、かれは塾にかよってこちらと接していたこの一年強のあいだにあきらかににんげんとして成長したと言えるはずで、それにじぶんの存在が幾許かは寄与したという自負もこちらにはある。しかし、(……)と接しているとき、じぶんはかれを成長させようとかにんげんとして変えようとかはかんがえていなかった。おしえるものごとをできるだけしっかり理解させようとか、かれのできる範囲ですこしでも勉強をできるようにしようというあたまはもちろんあったが、それは塾講師のしごととしてとうぜん意図することであって、それをのぞけばこちらがやっていたのは、ただかれと接し、やりとりし、はなしていただけのことである。そして(……)のばあいは、それがたまたまいくらかは良いように作用したのだとおもう。かれを変えようなどとかんがえていたら、おそらく(……)はその傲慢さ、押しつけがましさを敏感に嗅ぎつけ、察知し、こちらのことを嫌っていたのではないかと推測する。推測というか、じぶんはそれをほぼかんぜんに確信している。ほかの講師にたいするかれの態度からして、それはあきらかだとおもえる。もちろんさまざまな面でちがいはあり、年齢や経験や知識などからくる格差はあり、また立場上平等で対称的な関係ではありえないにしても、ただたがいにひとりのにんげんとして接し、やりとりし、はなすこと。承認とはそういうものなのではないか。生徒を変えようなどというのは教師の傲慢である。しかし教育とは、生徒を変えることいがいのなにものでもない。だから、教師は、生徒を変えるために、それをはじめからの目的としてあいてを承認するのではなく、ただたんににんげんとしてあいての現在を承認すること、それをつづけ、関係をきずくことで、生徒を変えなければならない。偶然の変化がそこに呼び寄せられることが可能であるようなスペースを、余地をひろげ、つくらなければならない。そこにじっさいに変化がまよいこんでくるかどうかは、偶然である。
- 何時になって起き上がったのかおぼえていないのだが、寝床をはなれるとふたたび五日の日記を綴ったはず。しかし記憶がさだかでない。いずれにせよ六時くらいだったとおもうが、煮込みうどんをつくることにして、洗濯機のまえにしばらく立った。鍋に水を汲んで火にかけ、ニンジンから切って放りこんでいく。大根、白菜、タマネギも。麺つゆをすこし入れてベースにしておき、味付けはのちほど味噌でやることに。それで最弱の火で煮込んでいるかたわら、ふたたび五日のことを書いたのだが、さいごまで行ったころには七時を越えていたか? わからない。そのころには空腹ということもあって、からだが、こごっているというか、内側から違和感がそとに向かって圧迫しているような感じになっていて、要はこれに緊張がくわわれば吐きそうになるのだけれど、喉の奥のほうに痰がのぼってきているような感じと(じっさいにたしょうひっかかっているのだが)、さらにそのなかに胃液っぽさもすこしだけ混ざっている。打鍵にながくはげんだことでなにかしらからだの芯のあたりがこごってきたのと、あと空腹なのでエネルギーがなくなって体温が落ちていることが多分に関係しているのだろうと推測する。そうなるとやりづらいし、これをそのまま無視して押すと吐きそうになるので、また手指をストレッチした。いちおうもうさいごまで書いてあって、通話時のこともすこしだけでも書こうかなとおもったのだが、やる気が尽きたのでそれはいいやとして、からだがたしょうおちついて軽くなると立ち上がり、鍋に豆腐とうどんを足して味噌で味付けした。沸騰しないように火は最弱に保ったままだが、それでもすこしだけ青く微小な炎片の高さを伸ばして、またしばらく煮込む。そうしてそろそろ食おうという段でシーフードミックスがあることをおもいだしたからそれも入れて、ちょっとあたためてから食事。二杯。ゆびを伸ばしたおかげで体内の感覚に問題はない。それでも一気にばくばく食ってはあまりよくないとおもい、いちばんさいしょはスープをちょっとずつ口にふくんで胃に落とし、それからやわらかくなった野菜をつまんでよく噛みつつ食べすすめた。うどんのほか、弁当のおかずにはいっていそうなスパイシーチキンスティックみたいなやつもレンジで加熱して食った。
- 夕食後はからだがちょっと落ち着いてWoolfの英文ふたつを読み、「読みかえし」ノートを二項目だけ音読したあと、投稿作業。一二月五日からきのう、七日まで。六日が引用もふくめると二七〇〇〇字とかになっていてやたらとながく、手間がかかってかなりめんどうくさかった。あいだはceroをながしていたのだが、さいごの”Poly Life Multi Soul”が終わってもそのままランダムの自動再生にまかせてつづける。これはなにかなというのをだいたい一曲ごとに確認したが、ながれたなかで好きだったのはOvallと、Alfred Beach Sandalかな。じぶんの好みに意外性と新奇さがなさすぎてなんかあれだが。まあこういうドラムを打たれたらもうそれだけでよくなってしまうよね、と。Alfred Beach Sandalのほうは+ STUTSという名義になっていて、そのSTUTSという、これがひとがソロでやっているのかユニットなのかグループなのかなにも知らないのだが(ほかふたつもなにも知らないが、Ovallだけは高校卒業後、大学三年くらいの一時期になぜかたまに会っていた(……)(高校時のバンドで、ボーカルをつとめてくれたダンス部のおちゃらけ男子で、とうじはDJをやって都心のほうのクラブ界隈にも出入りしていたはずだ)がおしえてくれて、これいいじゃんとなったことがあった。(……)が聞かせてくれた音楽のなかで、あれはなんだったんだろうというのがひとつあって、なんかプログレジャズというか、ジャズ風味のおもくない、洒落た感じのたぶん歌もはいった演奏がつづいたあとに、曲調が急に変わって(拍子も変わっていたような気がする)、サックスがメインになったインストパートが展開するもので、その組曲的な感じをいまプログレと仮に言ってみたわけだが、あれはけっこう良かったおぼえがあるので、なんだったのか知りたいが、記憶がうすすぎるので該当曲をいま聞いても、これだとはならないとおもう)、これ単体の音源も出てきて、アコギとピアノを左右に据えて装飾も入れたインストで、なんか小沢健二がやりそうなインスト、とおもい、なかなか好きだった。あととちゅうで、これは空気公団では? というイントロの雰囲気のやつがあり、しかしすすむとミスチルっぽさがちょっと混ざりつつ、さらに歌がはいったあたりからはスピッツもちょっと連想されるなとなったのだけれど、これは見てみるとスカートというバンド(なのか?)で、ああこれがスカートなのかとおもった。なまえだけはどこかで目にしたことがある。
- 投稿作業をようやっと終えるとランダム再生を切り、せっかくなのでOvallの『DAWN』というやつ(ランダム再生のときのジャケット画像がたしかこれだったとおもうので)をながしながら立位でしばらく手をプラプラ振った。四曲分。二曲目がfeat. さかいゆうとなっているが、このひとはジョンスコに客演でソロを弾いてもらっていたひとのはず。Ovallはけっこうギターソロをやるんだなと、それもこういうトーンで、まあフュージョン的と言って良いのか、こういうギターソロをやるんだなとおもった。
- そのあとここまで書いて、一〇時四〇分。いったいいつぶりになるのかわからないが、現在時に記述を追いつけることができた。つまりここにおいて書くことが生きることの背中に一瞬触れ、そしてつぎの瞬間から避けられずまたそのあいだに距離が生じていき、書くことがけっして勝利することのない追いかけっこがはじまるのだ。これでひとまず書くことがなくなった、という感覚をえたのはほんとうにいついらいかわからない。
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- そういえばさきほどの2022/3/26, Sat.をみたときに、該当箇所いがいのところもちょっとみてみたのだが、往路の記述がなかなか書いているなというものだったのでそれも引いておく。「駆けたとてつめたさにむすぼれることのない、たましいをすくいとっていくような春の風」。すばらしい。
(……)コートがなくてはさむいかとおもっていたのだが、そとに出れば風のつよいわりに大気の質感じたいはおだやかで、ながれるものの感触もかるくやわらかく、駆けたとてつめたさにむすぼれることのない、たましいをすくいとっていくような春の風だった。路上にはそれによって剝がされた杉の茶色い枯れ葉やら、なにかべつの緑葉がついた枝片やら、また木からいくつも落とされた柑橘の黄色い実などが散らかっていた。空は端まで雲につつまれかさなりが薄く灰色がかり、風はやわらかくとも厚くはやいから雨が来てもおかしくなさそうとみれば、はやくもあるいているあいだに落ちてきて、はじめはいたいけなはぐれ粒だったがすぐに少々数を増し、ななめに飛ばされて路面にぽつぽつ模様をつけながらもこのときはまだ盛らずに、降りになるまえにとどまった。
十字路にかかればちょうど風が木立のあたまを薙ぐようにゆがめて、坂に折れるとその風からわかれたなかまによって落ち葉たちがぱちぱちとおとを立てて一斉に、回転しながら走りおりてきて、小学校の運動会にでもありそうな全員競走の様相、しばらくのぼっていくと前方に、家の入り口で木立がとぎれひらかれたその縁に立った一本が、やはり風に揉まれてもだえるように枝葉をこまかくまわしているのがみあげられた。出口てまえの右手の壁にはのり面のくぼみに雑草があつまっているが、そこを風がびしゃっと通るさまが草の折れるののつたわりかたでみてとられ、バケツからみずを投げ捨て撒き散らすときのようなすばやいいきおいの通過だった。
最寄り駅では桜がいくらか咲いていた。といってまだにじんだ程度の、溶けかけのシャーベットがのせられた程度の風情ではある。時間はもどるが坂下の、公団に接した小公園の木も花はまだだがつぼみにいろをためつつ枝のうえに整列させていた。階段通路をとおってホームにむかうと、駅の反対側ではもうそれなりにいろの揃った桜木も一個あり、ホームのさきのほうに出て見れば、丘のてまえの家の敷地にはあれは桜ではないとおもうのだけれど、丸く刈りととのえられたちいさな庭木の、鈍い葉叢の端からはんぶんくらいがいろを横から吹きつけられたように、黴が生じて浸食しているように、桜によくみられるあの浮遊的な薄紅色に、和菓子めいてかすかに甘さの香るような粉っぽい淡色に染まっていた。
- また、帰路の記述もけっこうおもしろかった。「おれはぜったいにゆるさんぞ」という、じぶんにはめずらしいつよい怒りの表明には笑ってしまう。三回もくりかえしているから、よほど苛立っていたらしい。
八時半ごろの退勤だったか? もうすこしはやかったか。職場を出たとたんに雨がぱらつきはじめ、しかも駅に行くまでのあいだにすばやく勢力を拡大し、本式の降りになってきたのでコンビニで傘を買ったほうがよいかもしれないとまよったが、最寄り駅についたときに止んでいる可能性もあり、降られるか降られないか運否天賦にまかせようとさだめて改札をくぐった。しかし、通路を行くあいだにも屋根を打つ雨粒のおとは盛んにひびき、ホームについてベンチにすわるとさらに嵩増して、しばらくはげしい音響がつづいて目を閉じている顔に水粒がちょっとふれてくるくらいだったので、これはどうも止まないのではと負けをおもったが、まもなくピークは過ぎて電車に乗ったころにはだいぶ弱くなっていたようだ。瞑目して休みつつしばらく待ち、最寄りで降りてみても、まったく降っていないわけではないがたいした量でもないので、まあ賭けには勝ったと言ってよいだろうと判断した。しかし駅を抜けて街道に出るあいだにもまたちょっと粒が増えたりして、変化のこまかくておちつけない雨である。とおりすぎる車のライトが黄色くひらいた空間のなかに雨線の軌跡が詰まっているが、意に介さずに街道をあるき、「(……)」のまえの自販機でコカコーラゼロの缶をひとつ買った。それからひきかえして駅正面の木の間の坂にはいる。このころにはまた止みかかっていたが樹冠のしたにはいれば枝葉からしたたる粒のためにかえっておとは繁くなり、しかもしたのみちに出て行くうちにまた本降りになってきて、それでも急がずに頑迷とも言える態度で一定の速度を踏みつづけたが、だから賭けは最終的には引き分けというおもむきになった。この日、来週の労働が増えてしまうことが判明し、月曜から木曜までずっとまいにち三コマという絶望的というほかない状況におとしいれられてしまったのだけれど、帰路をあるくあいだはそのことをかんがえていた。そのことにうすい怒りはおぼえるが、それは(……)さんがわるいわけではない。(……)さんに怒りをおぼえるのではなくて、そのことじたいに怒りをおぼえる。怒りをおぼえるのは正確にいえばはたらかなければならないことではなく、それによって記したいことを満足に記すことがますますできなくなるという予測にたいしてである。それもだれがわるいわけでもなにがわるいわけでもない。こちらじしんがまったくわるくないとはいえないだろうが、かといってとりたててわるいわけでもないだろう。世界が社会がわるいという観念的なロマン主義をとることもむろん可能だが、それはクリシェであり、とうぜんながらそういったところでなにをもとらえたことにはならない。とはいえ、ひとはつねに行為と行動に、やらなければならないことや、やるべきこと、やりたいことに追われている。ただ追われているのではなく、追いこまれ、追いまくられている。現代世界はそれがこれまでになく細分化され、ひとはより緻密なかたちで、芸術的なほどに精密なかたちで追われるようになったとは言えるのかもしれないが、しかし歴史上、大多数のひとが行為に追われるということはだいたいのところつねに変わらない状況だったのだとおもう。なにかしら、なにかのためにやらなければならないことがいつもあり、それをのがれることができたのは極々小数の特権者のみである。ひとはひたすらずっとやらなければならないことに追いこまれ、それによって心身や自己や主体や存在を支配され、占拠されてきた。それはとうぜんのことである。そして、そのとうぜんのことをおれはぜったいにゆるさんぞとおもった。ありていに言って、じぶんはいそぐことと焦ることがとにかく嫌いなのだ。急ぐことはまだよい。いそがされ、あせらされることがとにかく苛立たしい。やらなければならないことややりたいことややるべきことに囲いこまれて、じぶんの心身のなかに焦りの感触がはいってくることが嫌いである。いまの状況がまさしくそれである。日記をじゅうぶんに書き、書けることをできるだけ記録したいが、労働やらなにやらもろもろのやることや事情のためにそれが満足に果たせず、この不一致やジレンマによって怒りや苛立ちや欲求不満が生じ、焦りが生まれる。だれかやなにかやじぶんじしんや、状況や環境や条件の総体が、じぶんのなかにそういう感覚や心情や思考を発生させることを、おれはぜったいにゆるさない。現実にはそれは無理だが、ともかくも抵抗はしていく。いそがしい状況であっても、いそがしいという感覚によってじぶんの心身をかんぜんに占領されることをおれはぜったいにゆるさない。とにかくいそがしいとおもって焦りたくない。じぶんの心身がいそがしさに明け渡されることをどうにかして回避していく。どこかに抵抗のスペースをかたちづくり、そこを拠点にしてできるだけのことをやっていく。
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- 湯を浴びたのは零時を過ぎていたか。またきょうも栓をはめて、シャワーの湯がだんだん溜まっていくやりかたにしてみて、そうすると浴槽の底に座ったときに脚くらいは浸かるのでまあいちおうわるくはないのかもしれないが、しかし壁にとりつけたまま水を吐き出させているシャワーが溜まった水のうえに落ちるから、響きがより増幅される気がされて、この時間に浴びると上階のひとにとっては迷惑かもしれないなとおもう。シャワーが浴槽の底にかたくあたってもうるささとしてはあまり変わらんのかもしれないが。上階のひとはたぶんけっこう寝るのがはやい。いつも一一時くらいには寝ているのではないかとおもう。というのは、それらしき、いびきまではいかないけれど、寝ているにんげんの呼吸が天井のほうからうっすら聞こえてくるからだ。なんのしごとをしているのかは知らないが、朝ははやいのかもしれない。とはいえもういっぽう、このこちらの真上の部屋のひとだとおもうのだけれど、平日でもアパートにいるらしき気配があったり、階を下りてきて通路のとちゅうにある洗濯機をつかったりしていることもある。こちらと同様非正規か、シフト制だろうか。
- 湯浴みののち、夜食をまた食ってしまった。それもけっこう。うどんと茶碗蒸しと、ナンとチキンスティック。愚行だ。事実、そうしてものを食ったあとはからだが重くなり、あたまも重くなってなにもできず、椅子についたまままどろんでしまい、気づくと三時を越えていたからそのまま寝床にうつって眠りへ。
- あと、一〇時四〇分まで日記を書いたそのあとだったとおもうが、立って背伸びするか手を振るかなにかからだをうごかしているあいだに、つぎに読む本として、あ、そうだ、ウルフの『波』を読もう、と啓示のように来たときがあった。くわえて、To The Lighthouseも、訳すまではいかなくとも、岩波文庫の訳と照らしながらすこしずつちびちびと原文を読みすすめておきたいなあともおもった。いちにち一段落とか。そうして気づいたことを日記に書いておき、いずれ翻訳するときの準備のようにすると。
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- 「ことば」: 40, 31, 9, 24, 16 - 20
- 「読みかえし2」: 576 - 577
- 日記読み: 2021/12/8, Wed.
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Guardian staff and agencies, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 288 of the invasion”(2022/12/8, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/08/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-288-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/08/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-288-of-the-invasion))