2023/1/7, Sat.

  吹雪で凍えたハト、六十二丁目とセントラルパーク西の交差点で
  足がベンチに貼りついた状態で見つかる

 すでにあらゆる度合いの寒さを経験したつもりになっていたが、闇のなかをドレイク夫妻の家に向かう車のなかはまたいちだんと寒かった。長ズボンにムートンブーツのグロリアはなんでもなさそうだったが、街着のわたしは震えが止まらず、とにかく後部座席で縮こまってすわっているほかなかった。膝掛けなどない。五分もすると両脚の感覚がなくなってきた。わたしは身をかがめ、すべすべと冷たく感じるナイロン・ストッキング越しに足首をさすった。ワイパーがフロントガラスをぬぐうそばから霜がこびりついては曇らせる。路面が凍結した箇所はすべりやすく、アルはゆっくりと車を走らせた。これだけ寒いとありがたい面もある。寒すぎてなにも考えられないのだ。(end88)
 家に着くころには寒さで体が強ばって、車からおりるのが一苦労だった。
 
  アル・レヴァインさん、東四十二丁目に駐めた車にもどると
  フローズンデザートと化した車がそこに

頭上には破滅を思わす空が黒く撓んでいた。その空から突然なにかが落ちてきた。漆黒から無数の矢が放たれたかのようだった。空中にあるあいだは雨の長い矢柄が落ちてくるふうに見えるが、なにかに触れたとたん、片っ端から氷に変わっていく。顔に当たると鞭そのものの痛みが弾けた。
 (アンナ・カヴァン安野玲訳『草地は緑に輝いて』(文遊社、二〇二〇年)、88~89; 「氷の嵐」)



  • 一年前の記事の冒頭の引用。これを読んで、「目的なき合目的性」とか「自由な美」って音楽そのものじゃんとおもった。カントがあげているのはむろん「テーマを欠いた」、もしくは「歌詞をともなわない音楽のぜんぶ」だが。ただ、この本の後半ではカントの音楽にたいする立場も紹介されていて、そこでは音楽はある種のにおいとおなじで、きつい香水のように、嗅ごうとおもっていなくてもあちらから勝手にひろがってやってきてしまう「災厄」であるみたいなことがいわれていたおぼえがある。

 カントは当面の議論のなかで、形式 [﹅2] の合目的性と純粋さ [﹅3] とを繫ぎあわせて考えている。純粋な [﹅3] 趣味判断とはなにかを考えておくことが、美は目的の表象を欠いた合目的性であるとする発想の根底にあるものを考察してゆくうえで有効な補助線となるだろう。「完全性」の概念が美の規定根拠としては斥けられたのちに、あらためて導入される定義に注目してみる。
 美にはふたつの種類が存在する。つまり「自由な美」と「付随的な美」である。前者は「対象がなんであるべきか」についての概念を前提とせず、後者はそれを前提とし、かくしてまた当の概念にしたがう「対象の完全性」を前提としている(228)。たとえば男性の美、女性の美、あるいはまた馬の美、建物の美であるならば、それぞれが「なんであるべきか」を規定する「目的の概念」を前提としており、それゆえにこれらに帰属するのは付随的な美にすぎない(230)。それでは、自由な美の例としてカントが挙げるのはどのようなものであったのか。ちなみに、以下の引用で途中を省略した部分にかんしては、すでに本章・第一項の末尾で言及している。

 花は自由な自然美である。〔中略〕多くの鳥(オウム、ハチドリ、ゴクラクチョウ)、海の多数の貝類はそれだけで美であり、この美は、その目的にしたがって規定されている対象にはなんら(end31)帰属するところがなく、自由にそれだけで意にかなうものである。おなじように、ギリシア風の(à la grecque)線描や額縁や壁紙などに見られる唐草模様は、それだけではなにごとも意味することがなく、なにものも表象せず、かくて、なんらかの規定された概念のもとにあるようないかなる客観も表象するところがないにせよ、それでも自由な美なのである。くわえてまた音楽にあって(テーマを欠いた)幻想曲と名づけられているもの、そればかりか歌詞をともなわない音楽のぜんぶも、おなじ種類の美のうちに数えいれられうることだろう。(229)

 自由な [﹅3] 美、つまりなにかの目的や、なんらかの概念に――それが「なんであるべきか」に――依存し、それに付随することなくそれだけで [﹅5] 美しいものを、しかもその対象の「たんなる形式」にしたがい判定するさいに、趣味判断は純粋なものとなる。すなわち目的なき合目的性をとらえていることとなるだろう。そこでは「構想力の自由」がなんの目的にも拘束されず、どのような概念にも束縛されることもなく、ひたすらみずからとたわむれているからだ(vgl. 229f.)
 美しいものは無償 [﹅2] である。とりわけ自然は、多様な美しさのうちで「ぜいたくなまでにじぶんを濫費している」(243)。自然のこの意図なき贈与 [﹅2] にこそ、美がうまれる根源的な根拠がある。美が目的を欠いた合目的性であるのは、自然が惜しみなく美を与えるからなのである。
 (熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)、31~32; 「第1章 美とは目的なき合目的性である」)

  • ニュース。オミクロン株が急速に拡大してきているころ。

そういえば地域面で毎日東京都内のコロナウイルス新規感染者データをみているが、あきらかにだんだん増えつつある。すこしまえから世田谷区がなぜかおおくて、ほかがまだほとんどなかったり一桁にとどまっていた時点から毎日一〇いじょうを更新していたのだが、きのうもトップで三〇人をかぞえており、ほかの各区のおおくも一〇や一五を越えていて、全体的に拡大している。(……)ここからおそらくさらに増えてくるだろう。直近一週間だか一〇日間だかで東京都の一日あたり新規感染者数は一〇倍になったらしい。

  • 一年前のこの日は家のなかにいてもそとにいても天気風景とよく感応しているし、記述ぜんたいとしてもいちにちのことをくまなく詳細に書いていて、しかも労働後に書いて現在時に追いついてもいる。とくにおもしろくはないが短歌もいくつかつくっているし、やたら活動的だ。

(……)ベランダの洗濯物をとりこむ。陽射しがとてもまぶしく、ガラス戸のまえに立ってあけた瞬間から視覚を塗りつぶされて目をほとんど閉じずにはいられない。吊るされているものをなかに入れたあと日なたのなかに出てちょっと屈伸や開脚などおこなった。屈伸をしていると、目のまえの床にちいさな蝿が一匹いるのが目にとまり、季節はずれだが暖気にさそわれて湧いたものらしく、しかし死んでいるのかとみているうちに顔のしたで糸くずの切れ端のような足をこまかくうごかしはじめたので生きていることがわかった。床のうえには陽に抜かれてちいさなすがたのさらにちいさな影もうつっており、足や翅のほうの微動にあわせて影もふるえる。屈伸から身を起こして左右の開脚にうつったところで、こちらのからだのうごきに押されたのか、飛び立ったようで一瞬ですがたが消えた。午後二時の太陽は西空にまだおおきく、冬至をすぎてこずえまでの距離もだんだんとながくなっており、身にふれるぬくみにはなかなか厚みがあって風がおどっても寒さをおぼえない。

(……)窓外の空はかんぜんに雲なしのやわらかな水色をくまなくのばされて市街のマンションへしみいるように地を抱き、南の山にはもう緑がすくなく裸木のものらしい薄褐色がひろくけむって、近間の樹々の緑も褪せ色、空間の色調がすべて淡いおちつきにつつまれている。アイロン掛けには水を入れたスプレーボトルをつかっているが、目のまえの炬燵テーブルのうえ、アイロン台のむこうがわに置いたそれに陽射しがかかって、抽象的なかたちに加工されたあかるみが周囲の天板上にちいさくひろがるとともに、ボトルの角と水の底ちかくの二箇所に真白いひかりの点がたまり、水面は衣服の皺を伸ばすこちらのうごきの波及で絶えずふるふるゆらいでいる。(……)

  • 往路は以下。なかなかよい。

三時半すぎでもだんだんとあかるくなってきてひかりの色がまえよりものこっている気がした。南の山はぼんやりとしたオレンジ色をかけられてやすらいでおり、陽のあたらないややひっこんだ斜面(何年もまえに一挙に伐採されてほかより色もかたちもさびしい一面だが)には雪の白さがあるかなしかまだらになってとどまっていた。道沿いの家にもあたまちかくから西陽をかけられたものもあり、すすめば正面奥に見えてくる木立ちはあかるみにはいりこまれていて、てまえの濃緑のなかに微風にふるえてちらちらのぞく綺羅の粒子がうかがえる。太陽は道にたいして右手に浮かんで坂脇のこずえにかくされているが、その液状光を押しとどめられるものでなく、すぐひだりでは小公園の桜の木が苔むした浅緑に黄橙をかさねこまれて輪郭線を強調するように幹のそとがわに混色の帯を一本貼られていたり、みじかく剪定された木に申しわけ程度にのこった葉っぱがさきを濡らしていたりして、そのつやめきがひかりのみによるものなのか雪のなごりで露が去りきっていないのか、見分けがつかない。

風がときおり林にふくまれて鳴りを生む日だった。坂道に折れてもすこし鳴っていたが、それが去ると木立ちの底を行く沢の少々泡っぽいような水音が浮かんできた。出口前のカーブでまた樹々が鳴り、低いうめきのような、内臓のうごくような音がまた聞こえ、先日は風に押された竹がすれあった音だろうと書いたものの、すれあうまで行かず、幹がしなったときのひびきだなとおもいなおした。ふれあえばいくらか硬い音も生まれるはずだ。駅に行ってホーム先にあるき、電車に乗って座す。瞑目のうちに待って移動。降りてホームを行くと階段付近で電車がとぎれて見える線路のむこうの小学校も校庭や建物にまだ日なたがおおくかけられて、体育館も側壁をつつまれたそのうえに裸木の影を乗せており、石段の最上、校舎の脇にはおおきなイチョウが二本裸になっているそれらはいちばんしたから生えた枝のみちょっとひろげて湾曲させつつも、すべての分枝が縦にまっすぐ屹立して、天を刺さんとこころざす立ちすがただった。

  • 帰路から帰宅後。

八時一五分ごろ退勤。きのうおとといとおなじで、もうすこしだけはやく出たいのだがどうもこのくらいになってしまう。駅にはいって発車まぎわの電車へ。席について瞑目のうちに休み、降りると帰路。夜気はつめたく染みこむようで、雪が降ったきのうよりも寒いのではないかとおもった。放射冷却というやつか? しかしあるいているうちに腹がすこしあたたまってくるようなかんじがあり、坂をおりてしたの道では風もなかったので比較的ゆっくりあるいた。おりおりに寒さが身に寄ってはくるのだが、だからといってことさらに急ぐのではなく、いまそこにあるその寒さを身にうけとめてさだかにかんじるのがやはり自由の端緒というものだろうと。帰って玄関の鍵をあけるとき、逆にまわしてしまい、すると手ごたえがないからもう開いているのかとおもったのだがそうではない、という一段があった。それではいりながら、なぜきょう逆にまわしてしまったのか? とじぶんじしんで訝った。扉の鍵をあけるなんていちいち意識してやっているものでもなし、からだにうごきが染みついているたぐいの動作なのに、と。寒さにやられたのだろうか。

手を洗って帰室し、コートを着たままヒーターをつけ、ベッドに腰掛けてからだや手をあたためたのだが、そうすると特有のこころがおちつくかんじ、なごむかんじがあって、狩猟採集時代の穴居人などが焚き火にあたって暖をとり生をつないでいるさまがイメージされて、オレンジ色に染め上げられたヒーターの芯が銀色をした背後の板面にその色を反射させながら熱をはなっているのをみながら、人間が火を獲得していらい、そのそばで身をあぶりあたためながらこのようにしずまるというのは本能のようなものとして受け継がれているのかもしれない、とありがちなことをおもった。部屋のうちはじつにしずかでなんの物音もなく、ただそとで(……)さんが吹いているらしく祭り囃子の笛の音が背後の窓からうすくつたわってくるばかりだった。マルグリット・ユルスナールの『黒の過程』のことをおもいだした。主人公はたしかゼノンというなまえだったはずで、錬金術師であり、この作品は一五〇〇年代だったかのヨーロッパを舞台にした長編小説なのだけれど、そのゼノンがスウェーデンだか北欧に一時行って宮廷にめしかかえられるみたいな一幕があり、そのなかに火にあたる描写がふくまれていて、たしかそこでゼノンは火にあたるとともに酒を飲んでからだをあたためていたとおもうのだけれど、いま目のまえにしているこのおなじ火がエールに熱をこめてからだをあたためるよすがにもなれば、ときに天空を駆け荒れ狂う暴威にもなりうるという事実にゼノンは不可思議をおぼえてうたれるのだった、みたいな一文があったはず。これがそんなにたいした描写の場面ではなかったのだけれど、なんとなくよくて印象にのこっているのだった。

  • 「読みかえし2」より。

814

 テクノロジーは効率性の名のもとに増殖し、生産に充てられる時間と場所を最大化し、その間隙の構造化されえぬ移動時間を最小化する。そうやって空き時間を根絶してゆく。多くの労働者にとって、新しい時間節約の技術は世界を加速させて生産性を向上させはしても、ゆとりを生み出すことはない。こうしたテクノロジーには効率性というレトリックが付きもので、そこでは数値化されないものは評価され得ない。つまり、たとえば放心する、雲を眺める、そぞろ歩く、ウィンドー・ショッピングをする、といった何もしないことにカテゴライズされる楽しみの多くは、もっと確かで生産的な、あるいはもっと性急なもので埋められるべき空隙に(end21)過ぎない。岬へと続くこの道には意味のある目的地はない。楽しみのために歩くことがそのたったひとつの意味なのに、効率性の追求がもう習い性になってしまったと言わんばかりに、蛇行する山道にはショートカットが拵えられている。いろいろな発見をもたらしてくれるぼんやりとしたそぞろ歩きが、能うる限りの速度で踏破すべき、確定された最短ルートにとって替わられてゆく。電子通信もまた、実世界の移動の必要性を減らしていく。テクノロジーが節約してくれた時間を夢想や散歩につぎ込むこともできるはずのフリーランスのひとりとして、わたしもこうした技術がそれなりに有用であることは認めるし、実際その恩恵を受けている。つまり自動車、コンピュータ、モデムといったものだ。ただ、それらの偽りの切迫感やスピードへの妄信、そして移動よりも到着することの方がよほど重要であるという主張は恐ろしいものだとも思う。わたしはその緩慢さのゆえに、歩くことが好きなのだ。そしてわたしたちの精神も肉体の足取りと同様、時速三マイルで動いているのではないかと思っている。もしそうならば、現代生活は思考のスピード、思慮のはたらきを越える速度で営まれていることになる。
 歩くということは外部に、つまり公共の空間にいることだ。歴史ある都市ではこの公共空間にも放棄と侵食が及んでいる。外出を不要にするテクノロジーやサービスによって忘れられ、不安感によって敬遠されている場所は数多い(そして見知らぬ場所は慣れた場所よりも恐しい。出歩かないようになると、ますます街は不安に満ちたものになり、遊歩者が減れば減るほど、実際に寂しく危険な場所になってゆく)。他方、歴史の浅い場所では公共空間がそもそもデザインの対象となっていない場合も多い。かつて公共空間だったはずの場所は自動車という私空(end22)間を迎える場所となり、メインストリートはモールに替わられ、通りには歩道がなく、建物には車庫から直接入るようになり、市庁舎には広場がない。あらゆる場所に壁や柵やゲートが設置される。とりわけ南カリフォルニアの建築と都市のデザインは恐怖に支配されており、多くの土地やゲーテッド・コミュニティ [﹅6] において、歩行者には不審の眼差しが向けられる。その一方で、田舎や、かつて魅力的であった都市の郊外は自動車通勤者の私有地に飲み込まれるか、隔絶されてしまった。もはやパブリックな場に出てゆくということが不可能になった場所さえある。これは孤独な遊歩者の頭のなかの閃きと、公共空間が担うべきデモクラシーの諸機能のいずれにとっても危機的事態だ。かつて、束の間の広場のような公共性を帯びた砂漠の大空間でわたしたちが抵抗の声を上げたのは、実はこの個々の生と風景の断絶に対してだったのである。
 公共空間が失われると、わたしたちの身体――ソノの言い方を借りれば、自分で動き回ることのできる身体――も失われてゆく。ソノとわたしはおしゃべりをしているうちに、ベイエリアで最も危険とされる地域に含まれた自分たちの住む界隈が、それほど敵意に満ちたものではない(とはいえ身の安全を忘れて過ごせるほど治安がいいわけでもない)ことに気がついた。かなり昔、路上で恐喝や強盗に遭遇したことはある。けれども、それとは違う出会いの方が数え切れないほど多かった。友人とばったり会うことや、探していた本を本屋のウィンドウで見つけること。話好きの隣人に挨拶されること。あるいは、目をよろこばせる建築や、壁や電柱に貼られた音楽会のポスターや政治的な皮肉の効いた落書き、占い師、ビルの谷間から上って(end23)くる月、見知らぬ人びとの生活と家々、鳥がにぎやかに騒ぐ街路樹といったもの。雑多で選別されていないものごとは、知らず知らずに探し求めていたことを見つけてくれることもある。その土地に驚かされることがないうちは、まだまだ界隈をよく知っているとはいえない。歩くことは、こうした内面や身体性や風景や都市の豊かさが失われてゆくことに抵抗するための防波堤を維持するひとつの手段だ。歩行者は誰もが言葉に表現されないものに目を配る守衛なのだ。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、21~24; 「第一章 岬をたどりながら」)

Ukraine’s military intelligence has claimed Russia is set to order the mobilisation of as many as 500,000 conscripts in January in addition to the 300,000 it called up in October. Vadym Skibitsky, Ukraine’s deputy military intelligence chief, said Ukraine believed the conscripts would be part of a string of Russian offensives over the spring and summer in the east and south of the country.

The new generation contains a striking proportion of prominent African American politicians. Record numbers of Black women and men stood for elected office in 2022, and the impact is starting to show.

The Collective Pac, which aims to increase Black representation in elected positions, endorsed 252 Black candidates across the country this cycle. It pumped more than $1m into supporting those campaigns, with 117 so far winning.

“We are seeing a new wave of everyday folks who are bringing their lived experiences to the table and becoming decision-makers in their communities by being in public office. That’s here to stay,” said Stefanie Brown James, The Collective’s co-founder and senior adviser.

For James, one of the standout qualities of the next generation of Black leaders is that several of them are first-time candidates with no prior political experience. That goes for Wes Moore, 43, now about to become Maryland’s first African American governor, a Rhodes scholar whose career has ranged from investment banker and TV producer to head of the anti-poverty non-profit the Robin Hood Foundation.

  • さくばんもまた疲れのうちにいつか意識を落として、気づけば二時四〇分ごろ、起き上がると冷蔵庫からペットボトルを出してマグカップに水をそそぐがその間からだが重って少々ゆらぐ。水を飲むと明かりを落としてそこで正式に就床。そうして覚醒し携帯で時刻をみた朝は七時二四分で、ここさいきんはなかなか早起きだ。身を起こすまえに覚醒はしているので、しばらく布団のしたで深呼吸をしていた。起き上がっても立ち上がりはせず、息を吐きながら首や肩をまわして、カーテンをひらいてまだひかりの弱く色のうすい青空をあらわにすると、エアコンをつけてふたたびあおむけに。しばらくはさむいので脚を出さずに腰をもぞもぞやったりしながらChromebookでウェブをみた。その後日記を読んだり、「読みかえし」ノートを読んだり。それでだらだら九時半まえまで過ごす。離床すると水を飲み、また首や肩をまわしたり、手を振ったり、背伸びしたり腕を前後に伸ばしたりとからだをやわらげていく。小便も。椅子にすわって携帯をみてから目を閉じたのが九時四四分だった。しばらく瞑想。すわっているなかでTo The Lighthouseの文言がおのずと浮かんでくるのであたまのなかでどこまで暗唱できるかとためしてみたのだが、一段落目はたぶんもうほぼかんぜんに行けそう。二段落目はとちゅうまでしかおもいだせないし、そこまででも細部があやしいところはある。おぼえている文が音でつながって出てくるというのはとうぜんあるし、あたまのなかで黙読するのではなくてじっさいに口をうごかせばなおさらそうだが、脳内に文章がそのまま視覚的に再生される側面もけっこうある。
  • 一〇時八分くらいまで静止し、食事へ。洗濯機のうえでキャベツと白菜を切り、手のひらのうえで分割した豆腐も乗せる。すりおろし玉ねぎドレッシング。その大皿を机上にうつすと、つかったまな板と包丁をすぐさま洗ってしまい、こんどは冷蔵庫から即席味噌汁の小袋を取って、鋏で開封するとなかみの味噌を椀にひりだす。そうして電気ケトルに水道水をそそいで加熱をはじめ、あいまに味噌汁のちいさなビニール袋もゆすいでながしのしたの戸棚にはいっているゴミ用の袋へ。湯が湧くと椀にそそぎ、それだけだとあまってしまうのでマグカップにもそそいで食事。食べつつGuardianをみたり。皿と椀を空にすると、それからパック米をレンジであたためだし、冷凍の竜田揚げももうひとつの椀に入れて追って加熱するのだが、あいまに洗い物をしたり洗濯をはじめたりときれぎれのおちつかない食事である。
  • 食後は歯を磨いたり白湯を飲んだりしながら英文記事を読む。洗濯が終わると干す。すくない。天気はよくて風もとぼしく、窓をあけてもたいした冷気はやってこない。向かいの保育園は土曜日なので園児がすくなく、一時あそんだり泣いたりしているのが聞こえていたが、おおかたしずまっている。正午になったくらいで布団に逃げた。たたみあげていたものを床におろし、窓外に出していた座布団二枚も入れて、ごろごろしながらやはり英文記事を読んだり、ホメロス/松平千秋訳『イリアス(上)』(岩波文庫、一九九二年)を読んだり。78からはじめていま98まで。きのうはたしか28くらいからだったか。第三歌のとちゅうまで行っている。第二歌のさいごでいわゆる「軍船の表」がはじまって、ギリシア側とトロイエ側の武将やその根拠地や率いる船の数がそれぞれ語られるのだが、いったいだれやねんどこやねんという固有名詞のオンパレードで、たしょう知ったなまえもあるもののそんなに興味深いものでもなく、ここを読み飛ばさずにきちんとぜんぶ読むにんげんは少数派だろう。これを観衆のまえで朗誦したであろう詩人どもも、ここを正確に記憶するのはかなりの労苦だったのではないか。聞き手のギリシア人たちのほうは、それぞれおれの出身地だ、とか、地元につたわっている英雄だ、とかおもってたのしんでいたのだろうか。しかしギリシア都市国家間でそんなに容易に移住ができたのかどうか、ある地域にほかの地域出身のにんげんがどれくらいいて暮らしていたのかさだかでない。たしかほかの都市国家から来たにんげんには市民権はふつうにないのではなかったっけ? それこそソクラテスが死刑になるとき、つらい生活だろうけれど国外に逃げたほうがよいんではないかみたいなことを言ってクリトンが説得しようとしていたはずだし、たしかフーコーが『パレーシア講義』で引いていたプラトンのなにかの対話篇(だったとおもうのだが)のなかでは、異国のにんげんとして自由に言いたいことを言えないのはまことにつらいものだ、みたいな場面があった記憶もある。紀元前五世紀くらいと、『イリアス』が口承で語られたであろうもっとまえ(成立は紀元前八世紀とかいわれているが)では状況がちがうのかもしれないが。
  • きょう読んだトロイエ側の「軍船の表」のなかで目にとまったのは、「ダルダノイの一族を率いるのは、アンキセスの優れた息子アイネイアス、女神アプロディテがかつてイデの山裾で、神の身ながら人の子のアンキセスと契って産んだ子であったが」(80)というところで、まずダルダノイというのはダーダネルス海峡のことだなと、いまもそういうかたちでなまえがのこっているのだなとおもいあたった。訳註によれば、「ダルダノイ(またはダルダニオイ)一族の名祖ダルダノスはゼウスの子で、第二十歌二一五以下にアイネイアスが自ら語るように、プリアモス王家とは同族である」(402)という。そのアイネイアスというのはウェルギリウスが書いた『アエネーイス』で名高いなまえだが(京都大学学術出版会西洋古典叢書のやつを(……)の古本屋で入手して持っているが、まだ読んでいない)、アイネイアスってこういう出自だったのかとおもった。
  • よくいわれることだろうが神とにんげんとの距離はちかい。アイネイアスもアプロディテがアンキセスとのあいだにつくった子だとうえでいわれているし(だから半神ということになろう)、ギリシア方の英雄アキレウスもそうである(父はペレウス、母は海底に住んでいるらしいから海の女神であろうテティス)。女神がにんげんとまじわるだけでなく、ゼウスもにんげんとのあいだにたくさん子をなしていたはず(牛に化けて無理やり強姦したみたいなはなしがなかったっけか)。アキレウスが「女神を母に持つ身」(24)だということ、つまり半神だということはまわりにも認知されている(ここでそう言っているのは老ネストルであり、だからといってアガメムノンのほうが広大な領地をおさめて身分も高いのだから、そなたは逆らって争ってはならぬといさめているのが興味深い。神の血を引いているからといって、それが無条件で立場がうえということにはならないのだ)。オリュンポスにいる神々はあるものはみずから出張り、またあるものは、というかほぼゼウスだが、使いとしてべつの神を地上に向かわせ、にんげんたちのあいだにさまざまなかたちで介入している。まずもって第一歌のさいしょ、語りはじめからして、アガメムノンがうばって妾としたクリュセイスの父親であるアポロンの祭司クリュセスが、娘を解放してくれるよう嘆願にくるけれどそれを王が傲岸に拒絶したことでアポロンが怒り、「陣中に悪疫を起し」て(11)ギリシア側に打撃をあたえる、という事情からはじまっている。「悪疫」とは言い条、アポロンがオリュンポスから降りてきて銀 [しろがね] の弓を引くさまがけっこう詳しめに描写されている。

 (……)ポイボス・アポロンはその [クリュセスの] 願いを聴き、心中怒りに燃えつつ、弓とともに堅固な覆いを施した矢筒を肩に、オリュンポスの峰を降る。怒れる神の肩の上では、動きにつれて矢がカラカラと鳴り、降 [くだ] りゆく神の姿は夜の闇の如くに見えた。やがて船の陣から離れて腰を据え一矢を放てば、銀の弓から凄まじい響きが起る。始めは騾馬と駿足の犬どもとを襲ったが、ついで兵士らを狙い、鋭い矢を放って射ちに射つ。かくして亡骸を焼く火はひきもきらず燃え続けた。
 (ホメロス/松平千秋訳『イリアス(上)』(岩波文庫、一九九二年))

  • 太陽神なのに「夜の闇の如く」見えるの? とおもったが。いまだったら怒りで「闇堕ち」したとかいわれるところか。あと、「悪疫」とされつつもそれがどういった「疫」、どういった病として現象したのかはなにも描かれていない。
  • アキレウスアガメムノンの口喧嘩のとちゅうで、アテネも降りてくるのだが、注目される点はふたつで、ひとつは、「女神の姿はアキレウスのみに現われて、他の者の目には映らない」(20)とされている点だ。だからアキレウスはこの点で特権性をえている。伝令役をつとめる神が人物らのまえにあらわれるときは、いまのところかならずだれか既存の人物のすがたを取ってと描写されているから、たぶん半神であるアキレウスは神じしんのすがたをみることができるということなのだろう。もうひとつは、アテネは「ペレウスの子の黄金色の髪を摑んだ」とも書かれていることで、テティスもやはり「やさしくわが子を撫でてやり」(28)と書かれているから、アキレウスは神と肉体的接触ができるという点でもうひとつの特権性をそなえている。いまのところ神が直接その身にふれているのはアキレウスだけだとおもう。
  • アキレウスアガメムノンが口汚く口論するのは女性をめぐってのことで、それはこの時代文化でいえばすなわち戦利品の配分をめぐってのことなのだが、まずさきのアポロンによる「悪疫」の原因はアガメムノンが祭司クリュセスに屈辱をあたえたからだということが占い師カルカスによって指摘される。娘を解放してさらに生贄をとどけなければアポロンは怒りを鎮めないだろうといわれてアガメムノンは怒り、娘を返してやってもいいが、「ただし即刻わしに代りの取り分を用意するのだぞ」(16)と命令し、それにアキレウスが、「あなたは世にも欲の深いお人だな」と対抗することで口論がはじまるのだが、クリュセスのもとめを(しかもほかの兵らはみな「口を揃え」て(12)、「見事な身の代を受けるがよいと叫んだ」にもかかわらず)拒絶したあげくにこうも言っているアガメムノンは、わりとクソ野郎というかかなりわがままで独善的で傲岸な王であるといわざるをえない。「誉れも高きアトレウスの子よ」(16)とか、「神とも見まごうアキレウスよ」(17)とか、たがいにあいての高貴さをたたえる形容辞を付して呼びかけながらも批判しあって口喧嘩しているのがちょっとおもしろいのだが、口論がエスカレートしていくと、アガメムノンは、じぶんの取り分がなくなるのはゆるせないから、「そなたの手柄の印である頬美わしいブリセイスは、わしが自らそなたの陣屋へ赴いて連れてゆく」(19)と宣言する。つまりおまえの女を奪うぞとおどしているわけである。かんぜんにクソ野郎で、アキレウスもはらわたが煮えくり返って、あやうく太刀を抜くところまで行きかけるのだけれどそこにアテネが介入してきておちつくように説得する。その後けっきょくアキレウスは頬美わしきブリセイスをアガメムノンがつかわした使者にわたして手放すことになり、このあとはじまる合戦にも参加しないのだが、トロイア戦争それじたいがやはりヘレネというひとりの女性をめぐって起こった戦争であり、女をめぐった対立構図というのは『イリアス』の劈頭からこのようなかたちでより小規模に反復されているわけだ。そのヘレネはといえばいまはトロイエ方のパリスの妻となっており(もとは総大将アガメムノンの弟であるメネラオスの妻だった)、トロイエの本拠である城に暮らしているのだが、ギリシア勢はかのじょをとりもどしに来たわけである。スカイア門付近の城壁上で櫓につどっている長老たちは、やってくるヘレネのすがたを目にすると、「声をひそめて」つぎのように述懐しあう。

 「これほどの女子 [おなご] のためならば、トロイエ方もアカイア勢も、長の年月苦難を嘗めるのは無理からぬことじゃ。こう見たところ、いかにも不死の女神方に怖ろしいほどよく似ている。とはいえ、これほどの美女ではあっても、やはり船に乗せて国に帰らせるのがよかろう。われらにとっても子孫にとっても、禍の種になってはならぬからな。」
 (94)

  • ギリシア側(というかこの時代ではトロイエのある小アジアギリシアというべきなのかもしれないから、アルゴスとかアカイア、ダナオイと呼ぶべきなのだろうが)ではオデュッセウスも、「ヘレネゆえに(われらが)蒙った苦労と悲歎の報復のためにも、トロイエ人の妻を抱くまでは、帰国を急いてはならぬぞ」(59)と言っている。これはかならずしもヘレネじしんが「苦難」や「悲歎」に責があるという意味ではなさそうで、いまはかのじょの舅となっているプリアモスは、「わしの思うにはそなたに罪はない、責 [せめ] はアカイア勢との悲しい戦いを、わしの身に起された神々にある」(94)と言っているものの、それでも長大な時をわたっていまにつたわっている世界最古の文学のひとつが、女性を「禍の種」として表象し、かのじょをめぐる奪い合いのたたかいを描いたものであることは、現代の観点、そしてこちらという個人の観点から見たかぎりではなんとも情けないはなしだ。
  • イリアス』の感想はまだあるのだけれど、うえまで書いたところでちからが尽きたので寝床に逃げてだらだら休んだ。五時くらいまで。文を書いたためにものを読む気力が湧かなかったので、てきとうにウェブをみたり。下世話なはなしだが、このときちょっとエロサイトをみて、さいきん朝起きるといわゆる「朝勃ち」が起こっていることがままあるのだけれど、それはここ一〇日間くらいオナニーをせず精巣から精を抜いていないこともあろうけれど、体調の全般的な回復と安定化をしめしていると言ってもよいかもしれない。ただ、朝そのように股間の性器が固化していたり、日を過ごしていてもときおり下腹部が重ったり、射精をしたい気分になることがないではなくエロサイトを瞥見してみたりもするものの、そこからじっさいにチンコをいじくりだして精を吐かせるというところまでは行かない。それはひとつにはロラザパムに性欲をすこし減退させる副作用があるからだとおもわれる。ちょっとムラムラしても行為連鎖がじっさいに射精するまでにはいたらないくらいには抑制されるわけだ。それでもそこそこ勃起するのは脚をほぐして下半身に血をよく送っているためだろうが、しかしそれで性と精と肉の快楽の面へとやる気が出るというよりは、むしろもっと読んで書いてしたいというそちらのほうにながれているようで、これが昇華というものか?
  • 起きるとめんどうくさいのでカップラーメンで腹を埋めることに。さくばんもそうだったが(さくばんは野菜も食ったが)。日清のカップヌードルのカレー味。それを用意するまえに水を飲み、首をよくまわしたり、しばらく手を振ったりした。脚とおなじく手から腕にかけてをやわらげるのも大事で、手や指や腕の皮膚をさするとあたまのほうにも血が行くのか意識がはっきりしたり、あと視界が見えやすくなる気がする。つまり目にも血が行くのではないかと。それできょうは食後に英文記事を読んでいるときとか左右の腕をよくさすっていた。わすれていたがきょうの日記を書きはじめるまえにはシャワーも浴びている。そのさい髭も剃った。
  • それでカレー風味ヌードルを食い、アルフォートやヨーグルトも食うとともにヤクをもう一錠のみ、しばらく英文を読みながら手と腕をさすって、そうして一月四日の日記を書き出した。夜のスーパー行きだけなのでわりとすぐ終わる。ほんとうはもうすこし印象があったはずだがおもいだせない。投稿してからこの日のことにうつり、ここまでで七時を越えているが、このあとは「(……)」さんへの返信をまず優先して書きたいとおもっている。そうでないと日記にかかずらっていつまで経ってもつくれなさそうなので。あとは主にラップを入手するため買い出しにも行きたい。
  • 投稿作業のさいにnoteにあげてあるギター演奏一〇番をBGMとして聞きはじめて、書いているあいだもながしている。アヴァンギャルド方面(でなくてもよいのだが)、というかフリーインプロ方面でギター独奏やっているひとの音源をさぐりたいところ。まえになんとかいうひとのを持っていて、とうじはあまりよさがわからなかったがいま聞けばちがうかもしれない。なんかフリー方面の音源をいろいろ出しているレーベルがあって、そこから出ていた気がするのだが。自宅の浴室だかどこだかで録ったもので、ラジエーターの音がはいっているみたいな、こちらとおなじようなあれだったはず。Mary Halvorsonとかなまえよく聞くけど、そういう方面のこともやっているのだろうか? 独奏はあまりやっていないのかな。いかんせん聞いたことがない。Derek Baileyでいいじゃんという気もされて、もちろんかれの音源も掘らなければならないが(『Ballads』とか独奏で、だんだん崩れていくのがけっこうおもしろい)、あそこまで行くとあまり参考にならんような。
  • いま九時二四分。「(……)」さんへの返信を完成させて送信。こんな日記を日々書いていることからしてあきらかだろうが、性分としてある種の業であるかのように語り好き、説明好きなので、書いているうちにどうも常識はずれのながさになってしまう。他人の文の引用なんかもしてしまった。

(……)

  • 引用文をさがすためにウルフの日記からの書き抜きをざっとみかえしたのだけれど、『波』が終わったときの言及があり、以下のように記されてあった。ここを読むに、さいごのところの調子というのはやはりウルフのなかでもそれまでとちょっとちがっていたのだな、一種の神がかり的なかんじになっていたのだな、とおもった。それをじぶんは雄々しさにすぎるとかんじたのだったが、そういう状態だったのならもうしかたがない、それでよいだろうとおもう。

 残る二、三分の間に、ここに記入しておかなくてはならない。ありがたいことに、『波』は終った。十五分前に「おお、死よ」ということばを書いた。最後の一〇ページはときどきあまりにも熱烈に、陶酔して(end239)いて、まるで私自身の声、とほとんどいえるもののあとをよろめきながら追っているだけのように思えた。それは(私がきちがいだったときのように)だれか話す人のあとを追っているようで、以前にいつも私の前を飛んでいた声たちを思い出して、ほとんど恐かった。ともかく、これは済んだ。そしてこの十五分間、栄光と平静の状態で、じっとすわっていた。それからトービーのことを考えて少し涙を流しながら。第一ページに「ジュリアン・トービー・スティーヴン 一八八一 - 一九〇六」と書いてよいだろうか、と考えていた。そう書いてはいけないだろう。勝利と安堵の念というのは何と肉体的なものであろう。よかれ悪しかれ、ともかく終えたのだ。そして終りにたしかに感じたように、単に終えただけでなく、みがきをかけ、完全なものにし、肝腎なことを述べた――どんなに性急に、どんなに断片的にやったかは知っている。でも『燈台へ』を終えようとしているとき、ロッドメルの私の窓で、沼の上にあらわれた水の茫漠たる広がりの中にいた魚を網でとらえたと言いたい。
 最後の段階で興味があったのは、用意していたイメージやシンボルをぜんぶ私の想像力が拾いあげ、使い、そして投げすてた、あの自由と大胆さだ。これこそああいうものを正しく使う方法だと確信する――はじめにやろうとしたように、首尾一貫して、固定した組み合わせとしてでなく、ただイメージとして使うのであって、決してそれらを展開させず、ただ暗示するにとどめるのだ。こういうふうにして海と鳥たちの音と、あけぼのと庭とを無意識の中に存在させ、地下で働かせておくことができたと思う。
 (ヴァージニア・ウルフ福原麟太郎監修・黒沢茂編集・神谷美恵子訳『ヴァージニア・ウルフ著作集8 ある作家の日記』みすず書房、1976年、239~240; 1931年2月7日)

  • メールを書いたあとは買い物に行こうとおもっていたのだが、寝床にうつって休みはじめるとけっこうだらだらしてしまい、一一時をまわってようやく外出する気になった。かっこうはいつもどおりモッズコートにしただけジャージからズボンに替える。リュックサックを背負って部屋を出て、階段を下りて道へ。先日は右方面から行ったけれど、きょうはもう時間もおそいし、最短距離で行くかと左にあるきだし、公園のほうへ。視界の端で夜空に星が明瞭で、首を曲げてみあげれば月も直上付近に太ったすがたを皓々と浮かべている。公園の横から細道に折れて、もうこんな時間だし通るものもないかとおもっていたらまえから自転車がやってきてすれ違った。車道を越えて裏道をつづけても女性がひとり通ったり、とちゅうにある貧相な公園を過ぎたところでは、大学生くらいの雰囲気をまとった若い男がふたり、自転車に乗って滑ってきて、いっぽうは地味な青年、たほうはピンクか赤っぽい髪の色が顔貌のみえない夜のなかでもうかがえたが、前者が寿命、とか口にしたのにたいして後者は、はーお前? 金がなきゃ長生きしてもしょうがねえだろ、みたいなことを、派手な髪色にふさわしく投げ出すような、やや粗い口調で受けているのが、過ぎざまに耳にのこっていく。そのあとからこんどはキャリーケースをガラガラいわせて引く男性とすれ違ったが、このあたりで歩調がおそくなって心身がおちつき、いまこの時間とじぶんの存在に焦点が合うような意識になっており、わずか一〇分足らずあるくだけでもちがうな、やっぱり夜道をゆっくりあるくことが最大の自由と解放だなとおもった。ゆっくりあるくことが大事なのだ。
  • スーパーではラップを買いに来たのでそれはわすれない。いままでクレラップをつかっていたが、なんとなく今回はサランラップのほうにしてみた。そのほか白菜やエノキダケ、ハム、惣菜パンなど。バナナも買った。野菜の区画と肉の区画のさかいあたりに安くなっている野菜果物を置く棚というかラックがあるのだけれど、バナナはだいたいいつ行ってもそこに安くなった品が載せられている。いちばん安い品だと八〇円くらい、高いやつでも一五〇円くらいになっているからじつに都合が良い。たいがい四本ははいっているので、いちばん安いやつだと一本二〇円くらいになるわけだ。二〇円で腹にもそこそこ溜まるし、腸にも良いだろうし、なんとこころづよい果物なのか。フィリピンに感謝。
  • あとトイレットペーパーももうひとつくらいしかなくなっていたので購入した。帰路は裏路地にはいるとはじめは両手にそれぞれビニール袋とトイレットペーパーを提げていたのだが、手が露出しているとなかなか冷たいので、じきに右手にふたつともあつめて左はコートのポケットに入れた。みじかい道だからと横着してきょうもストールを巻いてこなかったが、からだのほうはさほどでなくとも手指はやはり冷やされる。風というほどのものはない。けれど空気にながれがないわけでなく、まったく停まる瞬間は見受けられず、微妙ながら夜気がうごいているのが肌には即座に、そして絶えず感知され、あつまった四本指からひとりはぐれた右手の親指がさらされてだんだんじりじりしてきたが、そうした空気の冷たさをむしろ避けず受け止めるように、この瞬間を生きるのだと足ははやめずゆっくりあるいた。貧相な小公園前で敷地の果て、家屋のすきまにマンションのならぶ灯がみえて、あれは南の団地だろうか、ここからみえるとは知らなかった、はじめてだ、とおもった。アパートに着くころには指だけでなくさすがに身も冷える。
  • 帰宅するともう零時前だったはず。ちょっと休んでから食事。サラダと味噌汁に買ってきたパンを食おうとおもっていたところが意外と腹が減っておらず、二品で満足してしまったのでパンはあしたにまわすことにした。その後はしばらくしてから寝床にうつって、また半端に意識を落としてしまったはずだがよくおぼえていない。


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  • 日記読み: 2022/1/7, Fri.
  • 「読みかえし2」: 801 - 822