2023/1/14, Sat.

  世のならい

 どっさりありゃすぐにまた
 うんとどっさり殖えるだろ
 ちょっぴりしきゃ無えやつあ
 そのちょっぴりも奪 [と] られちゃう

 無一文なら仕方がねえ
 墓でも掘るさルンペンさん
 生きてる権利があるなんざ
 なにかもってる奴だけさ

 (井上正蔵 [しょうぞう] 訳『ハイネ詩集』(小沢書店/世界詩人選08、一九九六年)、43; 「世のならい」(Weltlauf); 「ロマンツェーロ」)



  • 一年前の日記から。なかなか。

三時一〇分ごろ出発。あたたかな晴天。坂道にはいって日なたにあたりながらふりむけば宙にひかりがながれてかすんでいる。空はきょうも雲ひとつなくまっさらに青で、すこしおおきくなった月が行く手のとおくにうつりはじめていた。街道では歩道をあたらしくする工事がつづいていた。いつもよりてまえ、小公園をすぎないうちに裏に折れ、路地のほうから公園をのぞくと小学校の終わりか中学生かそのくらいの男子が三人連れ立ってあそんでいた。すすむとちいさな公団にかかり、そこの樹々や建物のうえに切られたようにひかりと影の境界線が生まれていて、すぎざまにみあげれば低い裸木のこずえだけが陽につつまれて青空にあかるい。敷地を画す垣根の葉はもう緑があざやかならず酸化した金属のように鈍くひかって、なかにあれはサザンカなのかツバキなのかつねにわからないが紅の花がところどころ灯っているのも盛りをすぎてきわだたず、どちらかといえばかくれるように咲いていた。路地はみぎて、南側の家並みが影を伸ばすからほとんど全面日陰におおわれているが、それはおおかた路上でとまってひだりの家々までははいらず、塀内の庭や駐車場は陽をかけられてまだおとなしく、線路を越えて林縁の家も正面を穏和にしたそのうえに木の薄影を受けている。空き地と白塀にはさまれた一画ではきょうもこちらのすがたが眼鏡ごとうつし抜かれて影絵となり、数歩すすめば空き地が切れて家が来るからほそい木陰が道のうえに青く走ってすずやかであり、旧家らしい白塀のうちでは裸木が枝をつきあげつつ、葉に陽をはじく常緑の族もあり、籠型の植木はすこしだけかたちをゆがめて外にわずかはみだしていた。そこをすぎたあたりではじめて風らしい風がとおって道端の庭木もさわさわ鳴ったがながくはつづかず、音の消えたあとで一軒の戸口に枝葉の淡い影が、さざなみのうちの海藻のようにわさわさとゆるくゆらめいていた。バッグをつかむ手もさして冷えず、あえてポケットに入れるまでもない陽気だった。

  • 短歌はしたの三つ。「有限性の泡立つ浜辺」というフレーズはちょっとよい。
  • 作: 「複雑な銀色を編めよ薔薇の花都市の終わりをおくる喪服に」
  • 作: 「時間とはわれら生者の肌であり有限性の泡立つ浜辺」
  • 作: 「天空はあらゆる比喩を受けいれて今日もことばのおごりをゆるす」
  • この日はこちらならびに(……)くんの誕生日ということで、(……)の(……)宅にお邪魔することになっていた。一九日現在、この日のことはなにひとつ書かれていなかったので、外出までのことはよくおぼえていない。三時くらいに出られればといいながらもからだをなるべくやわらげていきたかったし、だらだらしているうちに遅くなり、四時前くらいの電車に乗ることになったのだったはず。起きたのも遅めで、二食目を食ってそう時間が経っていなかったためか出る段になって腹のあたりに緊張がひりついているのに気づいたので、服薬の間隔がみじかいが三錠目をブーストした。それで道中は問題なし。(……)に寄ってケーキかなにか買っていくつもりでいたので、きょうはさすがにあるかず最寄りの(……)から乗った。(……)に着くと改札を抜けて(……)の地階へ。荷物はアコギを背負っているし、くわえて(……)が貸してくれていた低反発枕(というやつでいいんだよなあれは?)をきょうできたらもってきてくれということだったので、ニトリのおおきなビニール袋に入れたのを、そのまま提げると運びづらいから袋を巻きつけるようにしてかかえており、なかなかうごきづらかった。ビルのフロアにはいってもひとびとが通路を行き交うのをうまく避けねばならないし、会計の段などもギターケースを置いたり持ったり枕の袋も足もとに無様に寝かせざるをえないから手間がかかる。せっかくだしいつもより高めの品にしてみようかなとおもい、パフェがあるのに目を留めたりとか、あとTAKANOのショーケースをみたりもしてみたのだけれど、けっきょくはいつもどおり、Molozoffとかそのあたりに目星をつける。ケーキが前面に出されていたのはマロニエとDolce Feliceの二店で、このどっちかだなとおもいながら行き来しているうちに、前者には買うひとがあらわれていてすぐ見れなさそうだったので(ちなみにどうでもよいが、この「見れなさそう」はひとむかしまえの日本語の活用としてはたぶん二重にまちがっていて、「見られなそう」がほんらいはただしい変化形だったはずだ。「なさそう」になるのは形容詞の「ない」をもちいるときだけだったはずなので)、じゃああっちでいいやとDolce Feliceのショーケースのまえに行き、カウンターの向こうの女性店員が(こういう駅ビル地階のスイーツショップにいる店員はなぜおおかたが女性なのか? 男性店員をあいてにしたことがいままでないような気がするのだが)、ご注文はいかがしますかだか声をかけてきたので、少々お待ちくださいね、と目を落としながら受けて、品のあいだに視線をさまよわせたのち、まあふつうに定番どころでショートケーキとショコラのやつとモンブランをひとつずつに、プラスアルファ的なかんじでロールケーキもつけくわえればよかろうと決めてそのように注文した。ロールケーキはキャラメルプリンロールというやつで、これは(……)に好評だった。そうして代金を支払うと、左脇にちょっとずれて荷物を持しながら待ち、箱のはいった紙袋が完成して出されると受け取って礼を言い、その場をはなれた。来たのとおなじガラス戸の口からそとに出ると、アパートを出てからここまでずっと濃緑のストールを巻いていたのだけれど、かなり暑くなっていたのでいったん止まって首をかるくし、ストールはアコギケースのなか、ギターのボディのうえの隙間に押しこんでおいて、ニトリの袋と紙袋とを持って階段をのぼり、改札に向かった。
  • 電車内では先頭車両のいちばん隅に立って待つ。音楽をなにかしら聞いていたはず。ceroかな。(……)に着くと降りてベンチに寄り、荷物を置いて、音楽を停めてイヤフォンをかたづけるとともに(……)にいまから行くとメールをおくって階段口へ。降りる。まえはなかったとおもわれる、真っ赤なデザインの、(……)とかいうピザ屋ができていた。その脇を過ぎてトイレへ。小便を済ませてそのままそちらがわの改札から出る。駅舎部分との境にあたる道を渡るさいに、高架線路が伸びていくのに沿ってまっすぐひらいたそのさきに視線を放って、西空をみやるのがここを通るときのならいだが(むかし午後五時頃にとおったさい、淡いくれないの夕映えがプランクトンの集合のように浮遊していて日記に書きつけたおぼえがある)、この日はとりたてた印象を得たわけではなかったようだ。よくおぼえていない。天気はたしか前夜だか朝だかに降っていた雨がやんで曇りだったのではないか。それかこのつぎの日に雨が降って、この日もややあやぶまれていたのだが降りまで達しなかったのだっけ? わすれたがともかく曇りがちだったとおもう。駅からまっすぐに伸びる広めの車道沿いをすすむ。街路樹が多数ならんでいるし目抜き通りと言ってよいのだとおもうが、商店のたぐいがそんなに詰まっているわけではなく、むしろもうひとつとなり、内側の通りのほうが飯屋やもろもろおおくて商店街となっている。交差点を越えてしばらく行ったところにあるマンションが(……)宅。はいり、事前に聞いていた(わすれていたので)部屋番号(……)を機械にうちこんで話通させるとガラス扉がひらいたのでなかに。エレベーターで上階に行って部屋へ。チャイムを鳴らし、出てきたのにあいさつ。お邪魔しますといいながらあがり、ケーキをわたしてからさっそく手を洗い、居間のほうにはいるとはやくも袋をもったふたりがならんでまちかまえていて、いっしょにもった袋をさしだしながら、お誕生日おめでとうございます、お祝いのきもちです、だったか、わすれたが示し合わせておいたらしい文言を唱和してきたので、ありがとうございますとあたまをかるくかたむけて品を受け取った。くだんの枕である。カバーもふたつつけてくれたとのこと。
  • それから居間にギターケースを置き、アルコールスプレーない? と聞くと洗面台のところにあるとのことで、さきほどそれらしきものをみていたのだがそれが除菌液なのかわからずにつかわずにいたそれだったので、水場に行ってマスクの表面にかけておき、そのマスクはギターのポケットに入れておいた。それでさっそくアコギをとりだして、ヘッドにはさむタイプのチューナーをつかってチューニングし(六弦とも半音くらい下がっていた)、てきとうに弾き出す。(……)はケーキをもう食べたいと言って用意し、(……)くんもコーヒーを用意していっしょに食べていたが、こちらはまだ腹が減っていなかったので遠慮し、白湯をもらってちびちびやりつつギターをいじる。それから(……)は買い物に出かけ、われわれふたりはだいたいギターで遊びつづけていた。
  • この日の訪問はあとそんなにおおきなこともなく、だいたいのところギターを弾いていただけだし、そのほか(……)がつくってくれたほうとうとケーキを食ったくらい。ギターは主にブルースで遊び、また昨年中から”My Favorite Things”でセッションできるようにするのはどうかというはなしがあがっていて、その進行を決めようということで、(……)くんがYouTubeにあがっているセッション用動画をいろいろ探って、このあたりがいいんじゃないかというのをさだめた。たしょうの差異がある。”My Favorite Things”なんてColtrane版とSarah Vaughan版しか知らないのだけれど、Coltrane版ではまずさいしょのEmのつぎにF#mがはいっているとおもう。McCoy Tynerがソロというか分厚いコードで間奏やるときに強調しているとおもうが。
  • ほうとうは美味かった。一杯のみならずおかわりしたいくらいだったが、プライベート空間とはいえまだ出先で飯を食うのに慣れていないような感じがちょっとあり、ケーキもあるからとおさめておいた。ケーキはこちらはなんでもよかったのでふたりにさきに決めてもらい、(……)がチョコレートのやつ、(……)くんが渋皮栗のモンブラン、こちらがショートケーキになって、ふたりはさきにもう食っていたわけだけれど、(……)がショートケーキも一口だけほしいというのであげ、その他ロールケーキも食したが、これは食べきれないからということで帰りに一切れパックに入れてもたせてくれた。あと昼につくったのだったか、鮭とか野菜とかがすこし煮られたようなおかずも。これは翌日にいただいた。
  • あとはさいきん手首を振ったり腕を振ったりするのをよくやっていると言ったり。パニック障害再発いらいこちらが日々じぶんのからだをいわば研究してどのようにほぐすのがよいか探り、あらたな発見を会うときにおしえるのを(……)くんはちょっとたのしみにしているらしく、きょうも来た、と言っていた。肩甲骨のあいだの背骨付近がなにかしら歪んでいるというのはまえにもつたえているのだが、それでふたりは背中を触診してくれて、しかし背面上部のほうはさほど凝っておらず、むしろ腰のあたりが固くなっていると。腰か、とおもった。たしかにさいきん寝床にころがってもあんまり腰のほうはほぐしていなかったのだ。背面上部が比較的ほぐれていたのは手首をよく振っておいたからだろう。あと(……)が背骨をたどるには、やはり腰にちかいほうに一節だけ左にずれたものがあるというから、これもなにかしら関係しているのかもしれない。また、あぐらをかいてすわってすこし前傾して背をゆだねていたわけだけれど、そうすると背骨のしたのほうが出っ張るのも、おそらくふつうはこんなに出っ張らないだろうとのことだった。前後の曲線もたしょう過剰なのかもしれないが、しかし背骨はつうじょうでもカーブしているはずで、またじぶんは肉がなさすぎるから骨が浮かび上がりやすい可能性もあり、これが平均からして誤差の範囲なのかそうでないのかはわからない。
  • 飯を食っているあいだはBGMでさいしょはMy Favorite Thingsがながされたのだったか? それに(……)が、ほうとうにぜんぜん合わない、合うやつにして、和のやつにしてとケチをつけ、しかし和的要素のあるBGMってなんやねん、雅楽か? とおもいつつ、こちらはRobert Glasper Experimentかけようぜとか、竹内まりやにしようぜとか言っていたのだけれど、はじめのうちはアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の曲がいくつかながされた。これは昨年中ふたりで会ったときに(……)くんが今期のおもしろいアニメとしてひとつあげていたもので、はなしのすじを聞くにそれおれじゃん、と笑ったやつだが、ぼっちがバンドやるアニメにしては曲がじつにストレートでぜんぜんひねくれてねえなとおもった。それからこちらが勝手に、YouTubeでいろいろながしたのだけれど、Robert Glasperと竹内まりやいがいになにをかけたんだったかわすれてしまった。竹内まりやは『LOVE SONGS』がなぜか聞きたくなったのだけれどあがっておらず、そのうちとくに”五線紙”が聞きたかったのだけれどスタジオ版はあがっておらず、ライブ音源をかけたがそうすると竹内まりやの声色や節回しがスタジオ盤よりもだいぶくどくなっていて、演歌っぽいこぶしみたいな表現もふくんでいて、さいきん(だったのかわからんが)だとこんな感じなのかとおもった。まあ『LOVE SONGS』の時点からあまり若い声や歌唱とは言えないと言えばそうだが。”September”はあったのでそれはながしたのだった。ほか、われわれがMy Favorite Thingsの動画を探ってはなしているときに、(……)がいまなにやってるの? とか、ジャズはどういうふうにやるの? みたいなことを聞いてきた時間があって、(……)くんが、大枠の進行は原曲に沿うけれどリハモしたりもするというと、リハモがどういうものなのかわからんということだったので、じっさいに聞いたほうがはやいというわけでこちらがSomeday My Prince Will Comeをれいにとって音源をながした。ひとつめはMiles Davisのやつ。それをながしつつ、原曲のテーマメロディをさいしょに提示して、それとおなじ進行でソロをやるのだという仕組みも説明し、ついでにEvans Trioのそれもながしてこういうメロディでしょ? と確認しつつ(この曲はディズニー・ソングだったはずで、だからだろう、(……)は「いつか王子様が」という邦題を聞いておもいあたっていたようだし、メロディもたぶんすこし聞き知っていたのだとおもうが)、それをリハーモナイズしてかなり違ういろあいにアレンジした例として、ちょうどこの前日だかに聞いていたEnrico Pieranunzi Trio『Live In Paris』の音源をながした。しかしわかりづらかったかもしれない。
  • さらに、ジャズだとボーカルはどうなるのかという質問も来たので、べつにそれは変わらん、ふつうに歌うだけ、それでそのあいだに楽器のソロがはいると言って、例をもとめられたのでまあ代表的なものとしてHelen Merrillの”You’d Be So Nice To Come Home To”をながし、いっしょにちょっと口ずさんだりする。まあこれはひじょうに古典的なかたちでのジャズボーカルなわけだけれど、(……)はそれでひとまず理解したというか、とっつきどころを得て安心したようなようすだった。しかしかんぜんに曲を無視して全編スキャットをやっているやつなんかもあると言って、Sarah Vaughanの”Autumn Leaves”をながすと、笑いつつも、芸術はむずかしいんだよなあみたいなことをもらしていた。
  • 食後もギターをいじったり、疲れたのでヨガマットのうえにあおむけにころがって、そのとき(……)くんがYouTubeで”Just The Two of Us”の進行をながしていたのでそれに乗せて”丸の内サディスティック”を、歌詞がかんぜんにはわからないので一部ごまかしながらてきとうに歌ったりしていたのだが、そうこうするうちにいつの間にか一〇時半かそのくらいになっていたので、長居しすぎてしまったとすこし申し訳なくおもい、もう帰るわと告げた。それで帰宅の準備をして出る。ふたりも駅まで同行してくれる。駅までの道中やその後のことは特段の印象もないしカットしよう。


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  • 日記読み: 2022/1/14, Fri.
  • 「ことば」: 40, 31, 9, 22 - 24