2023/1/15, Sun.

  遺言状

 どうやら命も終りに近い
 遺言状でも書いておこうか
 これでもおれはキリスト教
 おれの敵にも遺産 [かたみ] をやろう

 尊敬すべき徳望高い
 敵の諸君に遺 [おく] ってやろう
 あらゆるおれの悪疾病毒
 四百四病の長病 [ながわずらい] を

 遺産 [かたみ] の品は 釘抜きみたいに
 腹わたを捩 [よじ] りつける疝痛
 小便詰りと 底意地悪い(end52)
 プロシャもどきのこの痔疾

 悪寒の痙攣もくれてやる
 だらだらよだれと手足のしびれ
 背骨の髄の灼けただれ
 みんなすてきな賜物 [たまもの] ばかり

 遺言状には添書きしよう
 神のお慈悲で
 てめえらの
 悔みなんざあ まっぴらだ

 (井上正蔵 [しょうぞう] 訳『ハイネ詩集』(小沢書店/世界詩人選08、一九九六年)、52~53; 「遺言状」(Vermächtnis); 「ロマンツェーロ」)



  • 「読みかえし2」より。ブコウスキーの悪口はいきおいがあっておもしろく、笑ってしまう。すぐれた作家はだいたいみんな悪口雑言がうまい。

971

[ジャック・スティーヴンソン宛]
1982年3月

 […]たいていのやつらが同じように始める。詩人たちのことだ。初めは極めて良し。彼らは孤立していて、おわかりのとおり、程度の差こそあれちょっとした刺激にも敏感な心をしていて、純真そのものだから、言葉と真剣に向き合う。最初からちょっとした気配を漂わせている。それから彼らはうまくやり始める。だんだんと朗読する回数が増え、同類に出会う。互いに話し合う。自分たちがとても賢いかのように思い始める。政治や魂、ホモセク(end239)シュアル、有機栽培などについて一席ぶつ……あれやこれやと……下水の配管工事以外あらゆることに精通するようになるが、彼らが知らなければならないのはまさにその配管工事のことで、それというのも糞ばかり垂れ流しているからだ。彼らがのさばる様子を見るとほんとうに心が折れてしまう。インドへの旅、呼吸法の訓練、肺を鍛えることでより大口を叩けるかのようだ。すぐにも彼らは教師 [﹅2] となって、人々の前でどうすればいいのか [﹅9] その方法を偉そうにまくし立てる。どうすれば書けるのか [﹅5] ということだけでなく、どんなことでも [﹅7] どうすればやれるのかということを。どんな罠にも手当たり次第すぐにはまってしまう。かつては極めて個性的だったはずの人物こそが最もしばしば、そもそも自分たちが闘いを挑み、打破しようとしていたものや存在になってしまう。彼らが朗読する場面を目撃するべきだ。彼らは好きで好きでたまらない、聴衆、可愛い女子学生たち、青臭い男子学生たち、ポエトリー・リーディングに参加する白痴集団全体が。溶けたアイスクリームのようにくっついて次から次へとやって来る尻の穴にジェリーを塗りたくり、(柔らかい)中華麺のような脳みそをしたやつら。どれほど朗読するのを愛していることか、これらの詩人たちは。詩を読む自分たちの声を宙に漂わせたくてたまらないのだ。「さて」と、彼らが言う、「あと三編だけ詩を読むことにしよう!」、そういったたぐいのことを言う、何をほざいている、誰が気にするというのか? そして当然のごとく、三編の詩はどれもやたらと長い。しかもわたしは当てずっぽうで言っているのではない。こんなふうにどいつもこいつもまったく同じなのだ。ちょっとした違いがあるだけ……黒人だったり、ホモだったり。黒人でホモだったり。しかし誰も彼もみんな退屈千万。そしてわたしはナチだ。確かに。わたしを復活させておくれ。
 わたしが考える作家とは、文章を書く人間だということだ。タイ(end240)プライターの前に座って言葉を叩き出す者。それが本質だろう。他人にどうすればいいのか教えたり、ゼミの場に座ったり、俗世間に向かって朗読することではない。そこまで外交的になるのはどうしてなのか? もしもわたしが役者になりたいと思ったら、ハリウッドで撮影されようとしたことだろう。あれやこれやで五十人ほどの作家と出会ったなかで、少しは人間らしいところがあると思えたのは、たった二人だけだ。その一人とは三、四回会ったことがあり、彼は目が見えなくて両足は切断され、七十二歳だが見事に書き続けていて、死の床につきながらも素晴らしい妻に口述筆記してもらっていた。もう一人は天然でめちゃくちゃな人物で、ドイツのマンハイムで自分の作品をタイプライターで叩き出している。
 この二人を別にすれば、一緒に酒を飲んだり、話に耳を傾けたりすることをいちばんしたくないのはわたしの場合は作家だ。歳をとった新聞配達人や雑役夫、オールナイトのしけた店で客待ちをしている若者たちの方がもっと肝の座った生き方をしている。書くことは最善のものではなく最悪のものを引き出しているようにわたしには思えるし、この世の印刷機は無能で力足らずの批評家どもが文学、詩、散文と呼ぶ、無能で力足らずの人間が書き散らかした紙の束をとこしえに印刷し続けているようにわたしには思える。ほんの時たま、何のすべも見いだせないままその場で消えてしまう微かな閃きが生じる以外、まったくの無駄でしかない。
 二本目のワインのボトルに手をつけながら、この手紙をさっと読み返してみて、ブコウスキーは黒人やホモセクシュアルたちのことを嫌っているかのような書き方をしているということに気づくことだろう。だからこそわたしに触れさせておくれ。女たち、メキシコ人たち、レスビアンたち、ユダヤ人のことを。
 はっきり表明させておくれ、わたしが嫌っているのは人間たち(end241)そのもので、とりわけ創造的な作家たちだと。今は水爆から逃れ得られない時代だというだけではなく、恐怖の時代、計り知れないほど大きな恐怖の時代だ。
 わたしは白人たちもまた嫌いだ。そしてわたしは白人野郎だ。
 わたしは何が好きかだって? わたしは二本目のワインのボトルを飲み進めるのが好きだ。今日という日を帳消しにしなければならない。今日は競馬場で10ドルすってしまった。何と無駄なことだったか。何枚も積み重ねられた蜜が滴るホットケーキめがけてマスをかきたい。
 むしろわたしはいつでも中国人たちをすごいと思っていた。それはたいていの中国人がうんと遠くにいるからなのだろう。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、239~242)

     *

974

 ギリシアの彫刻は、エジプト的な重い素朴さからしだいに軽やかな繊細さへと発展してゆくが、少なくとも紀元前四世紀にいたるまでは、個人を表現しようとはいささかも試みていない。つねに運動選手とか英雄とか神々を表現しようとしているのである。なぜだろうか。(end14)
 それは、ギリシアの芸術家たちがつねに理想を表現しようとしたからである。彼らはつねに普遍的なもの、形相的なもの、法則的なもの、理念的なものを追求している。芸術の課題は、可能なかぎり最高の美を表現することだ。もし、個々の人間が不完全なもの、劣ったもの、醜いものであるならば(もちろん、現実の人間は多かれ少なかれそういう者であるわけだが)、彼らは表現されるに値しないのである。これが、ギリシアの彫像が理想的な美のみを追求し、個人の個体的特徴に注目しない理由である。
 ギリシアの彫像は美しいが、すべて同じ表情をしている。ここには、不完全なものはいわば存在の資格において劣っているという感覚がある。この感覚にもとづけば、個体はいかなるものでもそれ自体において価値があるという思想は生まれないだろう。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、14~15)

    *

977

 しかし、同時に、クセノパネスのうちには、神が精神的存在であるという新しい洞察がある。この両者が明るいイオニアの啓蒙的知性のうちで合体し、擬人的神観にたいする壊滅的批判が成立した。

もし牛や馬やライオンに手があれば、あるいは人間のように手で描いたり芸術作品をつくれたら、馬は馬に似せ、牛は牛に似せて神々の姿を描き、彼ら自身の体のような神々の体をつくったことだろう。(断片一五)
ホメロスとヘシオドスは人間たちのもとで恥辱と非難の的であるすべてのことを神々に帰した。すなわち、盗み、不倫、騙しあい。(断片一一)

 2章「ホメロス」で論じたように、ギリシア人は神々を人間の本性の典型として造形した。それだから、神々はその生活や行為において、人間の美点と同時にあらゆる弱点をも示すものだった。このような神に対して、クセノパネスは「否」と言う。それは、人間が神を自分(end45)にかたどってつくったからである。そういうことであれば、神は牛にとっては牛であり、馬にとっては馬であるということになるだろう。この笑うべき不条理は、擬人的神観を打ち砕くに十分な巨大な一撃だった。それでは、クセノパネスの考える真実の神とはどのようなものだろうか。

唯一の神、神々や人間たちのうちで最大なるものは、その姿においても思惟においても、死すべき者とは似ても似つかない。(断片二三)
神は見るはたらきそのもの、考えるはたらきそのもの、聞くはたらきそのものである。(断片二四)

 クセノパネスが、擬人的神観の否定を跳躍台にして神の超越性、精神性、唯一性の方向に進んだことは明白である。この二つの断片には、後にアリストテレスが厳密な論理によって基礎づけた「不動の動者」という神概念を予感させるものさえある。こうして、ミレトスの理性主義は、神学の領域においても、神観念の純化を遂行したのであった。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、45~46)

     *

979

[ジョン・マーティン宛]
1991年7月12日午後9時39分

 ヘンリー・ミラーが有名になって書くのをやめたという記述を読んだ。それはおそらく彼は有名になるために書いていたということだ。このことがわたしにはわからない。紙の上に綴られる文章以上に魅惑に満ちて美しいものなど何もない。そこにすべてがある。そこにすべてがあった。書くというそのことこそが最大の褒美だ。有名になってからが単なる続きでは終わらないのだ。誰であれ書くことをやめた作家のことをわたしはまったく理解できない。自分の心を取り出して糞と一緒に流してしまうようなものだ。誰かにいいと思われようが思われまいが、わたしは息を引き取る最後の瞬間まで書くことだろう。始まりとしての終わり。わたしはこんなふうになるさだめだった。見てのとおり単純にして奥深い。こんなことを書くのはもうやめさせておくれ、そうすればもっとほかのことが書ける。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、293)

  • めざめたのは、というか時刻を確認したのはちょうど九時ごろだった。離床は一〇時半か四〇分くらい。きょうはきのうにつづいて晴れ空のみられない、一面白く曇った薄暗い大気の日で、この朝も午後四時二二分現在も雨が降っていたのかいるのかわからないが、そとを通る車の音のなかには水音がふんだんにふくまれている。さきほどまでは気づかなかったがいま耳をむけてみると、窓外の柵がカンカン鳴る音がすこし立たないでもないので、たぶんいくらか降っているのだろう。さくばんは疲労して一一時四〇分くらいに帰ってきたあと、いつものように寝床で休んでいるうちに意識をうしなっていた。いちど覚めて明かりを消してから寝つき、それで九時というわけだ。きのう(……)くんや(……)に背面を仔細にさわって調べてもらったところ、うえのほうというよりもむしろ腰近くが凝っているということで、また背骨をたどってみてもそのあたりに一節だけ左にずれている箇所があるということだったので、なるほど腰か、とおもった。たしかにさいきんは寝床でごろごろしていてもあまり腰をほぐしてはいなかった。また、背の上方が比較的やわらかくなっていたのは出るまえに手をよく振ったり、外出路でもときどき息を深く吐いて胸郭をうごかしていたからだろう。腰もとうぜん大事なわけなのできょうはごろごろしているあいだに座布団によくこすりつけてみたが、そうするとたしかによさそうで、腰付近がほぐれてくればもっとうえの背面までうごきが波及するし、ふくらはぎを揉むときの効果もおおきくなる。背がほぐれるとからだがかなりあたたまるから、さきほどまたあおむいて『イリアス』を読んでいたあいだはここちよくてねむくなったくらいだ。
  • 離床するときょうは湿っぽい天気なので座布団や枕をそとに出すことはできない。洗濯もだめだ。しかしいま天気予報を見てみるとあしたも雨がちなようで、いくらかの晴れ間がみえるには火曜日を待たねばならないようだ。とするときょうかあしたじゅうに洗ってしまったほうがよいかもしれない。ともかく布団をたたみあげておき、水を飲むとコンピューターをつけて、さっそく音楽を聞きながら手を振る。Enrico Pieranunzi Trio『Live In Paris』のうちさいごの”Autumn Leaves”だけのこっていたのでまずそれ。すばらしい。このアルバムはあらためてちゃんと聞いてみるとかなりすばらしい、くりかえし聞きたいもので、どのトラックをとってもスリリングな部分がおおいにふくまれていて、Enrico Pieranunziというとなぜかなんとなく美麗系のピアノというイメージがあって、もちろんそういう側面もあるにしてもこのライブ音源ではむしろガンガンにアウトをしていき、コードを塗り替え、またリズム的にも巧みな遊びを入れ、三者でフリーフォーム的にやる場面もちょっとあったりしつつ、なにしろアウトのセンスがよい。楽理的にどうとかはわかるはずもないが、なにか絶妙なところがあって、ひじょうにかっこうがよく、ベースのHein van de Geynもけっして派手な奏者ではないのだけれど一筋縄では行かないところのある巧者だし、Andre Ceccarelliはとにかく瞬発力が半端でなく、シンバルにも惚れ惚れしてしまう。ヨーロッパ大陸の最選良がそろっているようなばくぜんとした印象。そのままくりかえし、もういちどあたまから聞きたいくらいだったが、しかしなんとなくMehldauを聞こうかなという気になり(Bert van den Brinkも聞きたいのだが)、何年かまえにソロ演奏をめちゃくちゃあつめたやつ出していたよなと検索してみると『10 Years Solo Live』というやつで、CD版で三枚だったか四枚だったかわすれたが、三二曲で五時間ある。これもじきに聞くつもりだが、いっぽうでむかしけっこう聞いた『Live In Tokyo』をひさしぶりに聞こうかなという気になりそちらにした。知ったなまえ知った盤ばかり聞くのではなくて、もっとあたらしいなまえにもふれていきたいのだが。でもバルトも再読をしないものは終始おなじ物語を読まざるをえない、って言ってたし……とかかんがえつつ『Live In Tokyo』は”Intro”, “50 Ways To Leave Your Love”, “My Heart Stood Still”。このアルバムは二〇〇五年にNonesuchから出ているようだ。Mehldauは七〇年生まれだったはずなので三五歳。そんな時期か、とちょっとおもう。この音源が二〇〇五年、じぶんが一五歳のときに出ていたというのもなんかしっくりこないというか、もちろんもっとあとになってふれたものだから(とはいっても大学中にはすでに聞いていたか?)、そんなにまえだとはおもっていなかった、という感じなのだろう。三五歳の演奏としては堂々たる貫禄というほかないが、すくなくとも二トラック目まではやり口はわかりやすいといえばわかりやすい。ポップスが原曲であるためかもしれないが。左は基本コードをひろげて、右の旋律もあざとさはないもののやや翳を帯びつつうつくしいというべきものを主としている。アウトとか、あからさまなリハーモナイズとか、既定の枠組みからはずれたフレーズはつくらずに、その範疇で卓越した演奏になっているようにおもう。つぎの”My Heart Stood Still”はもうすこし複雑化するというか、多彩になって、まずテーマのリズムがちょっとおもしろくて譜割りが取りづらそうだし、この曲では両手が乖離したり交錯したりする(あるいはときにそれにもとづいたかたちで協合することもあるのだが)れいのやりかたが導入されているし、フレーズのつらなりのとちゅうで左に受け渡されて、なんというかそこまでたもたれていた型が”崩れる”ような感じというか、あの瞬間はMehldau特有のものだなとおもうし、右手が高音部で翅をくりかえしひらめかせるように単位フレーズを薄く引きひろげながら、左手の低音が旋律と打律の中間みたいな感じでリズミカルに跳ねて移動するのもわりとそうだ。この曲はあとかなりいろいろ展開しており、つまりコードの塗り替えによる色彩の移行が豊富だということなのだけれど、これはもう原曲の進行にもとづいてリハモしているのかどうかぜんぜんわからない。さいしょのうちはいちおうそうしながらも、とちゅうからはもう自由にやっているんじゃないかという気がするのだが。細部の譜割り、小節の区切りやあたまの位置なんかもよくわかんねえなというところがおりおりあって、それもときどき四分の四じゃなくなって自由にやっている部分があるのでは? という印象なのだけれど、それでも色彩感の推移が明確だから、聞き手であるこちらが細部を把捉できなくともそれをゆるし、気にせずに乗っていけるような演奏になっている。
  • だいたいずっと立って手を振りながら聞いているわけだけれど、これを習慣化するのはよい。ものにもよるけれどジャズはやはりBGMとして聞いてもしょうじきあんまりしょうがないような場合が多い音楽なので。とはいいつつもきちんと腰を据えて集中するのはそれはそれで敷居が高いところもある。手首をぷらぷら振って肩をほぐしからだをあたためながら気軽に聞くくらいの感じがちょうどよい。
  • 一一時半から瞑想。二〇分。よろしい。食事はキャベツに豆腐、ベーコンのサラダに即席のシジミの味噌汁、そしておとといの夜に買ってあったカレーパン。きのう(……)家から帰るさいに(……)が、こちらが買っていったキャラメルプリンロールの余りを一切れタッパーに入れて持たせてくれたのでそれも食い、さらにはおなじくもらったたべっ子どうぶつビスケットもバクバク食う。そうするあいだに食器類はかたづけているのだけれど、食後に白湯を沸かしてカップに注ぎ、ケトルをもとのばしょにもどして椅子に帰ってきたときだったか、あれもう薬は飲んだんだっけ、わすれたな、というときがあり、左手の収納スペースの最前に置いてあるロラゼパムのパッケージ集合を見て、その穴がどこまですすんでいるかを確認してもおもいだせない。たぶん飲んでいないような気がしたのだが、しかし飲まなくてもだいじょうぶそうな感じでもあったので、ここでは服用しなかった。きょうは出かけるつもりもなかったし。そしてじっさい午後五時現在でもとくに問題はないどころか、腰を中心に背面をよくほぐしたために打鍵していても苦しさがなく、ここまですらすら書けている。
  • 食後は湯をちびちびやりつつWoolfの英文を音読して、シャワーを浴びたのが一時くらいだったか。さすがに髭を剃りたかったのでそうする。ダウンジャケットを脱ぎ、椅子の背にかけるというかあいまいに乗せておき、ジャージのうえも脱いでたたんで椅子の座面上に置いておくといったん浴室へ。洗面台に向かい、水を手ですくって前髪を中心にあたまをうしろにかきあげ、それからシェービングフォームを顔の各方面になすりつけていく。顎とか口まわりは念入りにというほどでもないがくりかえしさすって毛がすこしでもやわらかくなるようこころみて、それから手を洗って拭くとカミソリを持ってあたっていく。もみあげから。そこから頬とか額あたりをあいまいになでて、眉の上端をいくらか均し、そうして口まわり。右の鼻の穴のすぐ下というか穴を画す外縁線のちょうど下あたりにちいさな出来物ができていてすこしふくらんでいるので、そこはふれないように慎重に避けつつなるべく剃れるきわまで剃った。そうして顎。このあいだ剃ったときには毛がかたくてやりづらかったのだけれど、きょうはそのときよりも感触がやわらかく、さいしょからさいごまでカミソリを洗うことなく一気にやってしまったのだが、それはやはり血がめぐって体温が上がっているために肌の質感もよいということなのだろう。起き抜けや髭剃り前に顔を洗うときに水のつめたさにひるむこともなかったし。
  • それで剃り終えるとカミソリをきれいにして、顔はまだ洗わずに室を出て、着ていたTシャツを脱ぎ、したも脱いで(バスタオルやあたらしい肌着やフェイスタオルはすでに用意しておいた)、タオルを持って浴室にもどる。出るまえにシャワーから湯をながしだしていたので、扉をあけると室内はすでに淡く白濁した湯気で満ちて空間が曇っており、鏡も写像を映さなくなっている。首のうしろあたりがかたかったので、背伸びしたり後頭部で両手を組み合わせたりしつつ上体を左右にかたむけて背面をほぐし、それから湯の熱さを調節すると浴槽内に踏み入る。そうして泡のついたままだった顔をよく洗い、からだにも湯をかけて、しゃがみこんでかけつづけ、じきにからだやあたまを洗う。
  • 出て服を身につけ、髪をかわかすと寝床に逃げて、ホメロス/松平千秋訳『イリアス(上)』(岩波文庫、一九九二年)を読んだ。353からはじめてさいごまで。すなわち訳註はそのつど読んでいるからのぞいて、433から454の訳者解説もしまえた。まだ上巻、半分なので戦況は盛り上がっているところで、トロイエ方がアルゴス勢の築いた船陣前の防壁を攻撃し、英雄ヘクトルが馬鹿でかい石を投げつけて門を破壊し、ついにそのなかに突入したというところまで。それで十二歌が終わる。おもしろいかというとことさらすごくおもしろいというわけでもないのだけれど、つまらなくは決してなく、世界最古の文学のひとつ、英雄叙事詩ってのはこういうもんかと。感想はいろいろあるにしてもいま詳述するのはめんどうくさい。ポイントとしてはいぜんにも記したひとと神の距離のちかさとか類似、つまりその非 - 超越性もしくは半 - 超越性が如実にわかるなというのがひとつで、それはきょう「読みかえし」で読んでうえにも引いた岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』の記述が語っているとおりだ。うえには引かなかったのだが、つぎのような説明もある。

975

 つまり、ギリシア人の神とは、私たちがそうありたいと願ってやまない、人間の理想化なのである。人間の生命への愛があまりにも昂揚して、神々の像へと結晶しているのである。ギリシアの詩人たちが、神々に人間のもつ苦楽や情熱と同種の、しかもより強烈な感情を与えたのは、とうぜんであった。なぜなら、神々とは永遠化された人間であり、人間の本質への賛歌にほかな(end17)らなかったからである。
 もちろん、このような擬人的神観は、神観念としては恐ろしくナイーヴであるとは言えるだろう。それは人間の美しさの賛歌であると同時に、人間の弱さや醜さの是認でもあらざるをえないだろう。それだから、後に、クセノファネスやプラトンは、その非倫理性のゆえに、ホメロスの神々をきびしく批判したのであり、真実の神は人間にはまったく似ていないと言って、その超越性を主張したのである。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、17~18)

  • プラトンがたしか『国家』のなかで、詩人という連中はイデアの模倣である現実物をさらに模倣してことばで語るわけだから模倣の模倣にかかずらって真実から遠いところにいる虚構の徒であり、いやしくも大詩人ホメロスでさえもがその叙事詩のなかではとうてい偉大なる神や英雄がいだくとはおもわれない卑しい悪意や悲しみの情などを描出しているが、あんなものは真実であるはずがないのであって、そのような虚偽を撒き散らす詩人なる手合いはわれわれがいまはなしながら研究構想している哲人国家からは放逐しなければならないだろう、なんとなればわれわれの国家はただしく真実にもとづかなければならないのだから、みたいなことを書いていたはずだけれど、うえでいわれているのはそういうことである。したがってプラトンはフィクションの敵であり、すなわち文学の敵であるところのいけすかない髭野郎であって、そもそもがプラトンいぜんに詩と哲学に区別などなかったのだ、ということはいままでなんども書いてきている(パルメニデスヘラクレイトスをかんがえるがよい)。いっぽうでそういうプラトンが対話篇という、文学的としかおもえないような形式をもっぱらえらんだことも興味深いポイントではあるのだけれど、イデア主義者どもを具体を軽蔑しくさる文学の敵だとこちらがおりに言っているのは八割方冗談ではある。ところでホメロスをじっさいに読んでみると、まあプラトンが書いていることも一理あるなというか、詩人追放説はともかくとして、『イリアス』にあらわれているゼウスはじめ神々というのはほんとうににんげんと変わらない、なんというかきわめて感情的な存在であって、その感情のもつれによっておのおのが対立したりもしているわけである。また、父神ゼウス、その(正?)妻ヘレ、娘アテネというように、オリュンポスのうえにいます神々は家族的共同体として(「共同体」とまでいうのはいいすぎかもしれず、すくなくとも家族関係・家庭関係として)表出されている。トロイア戦争の発端にしてからがきわめてプライベートなものであったのと同様に、それに介入する神のそれぞれの思惑のほうも同様にプライベートなもので、「公」というものがここにはほぼないというか、現在のこちらがかんがえるような「公」ととうじの「公」観念とではまったくちがっていたのだろうなとおもったりもするのだが、そのへんをテクストによっていくらかあとづけつつもうすこし詳しく記せたらいいなとおもってはいるもののできるかどうか。
  • あとは比喩とか、文言のくりかえしとか、語り手が人物にたいして呼びかけるような語りの技法とかについてかな。このへんは訳者解説でだいたいふれられていたが。
  • ホメロスを読み終えてちょっとウェブをみてから立ち上がるともう四時くらいだった。ここまで書いて六時前。雨は明確に降ってきたようだ。携帯には母親から誕生日おめでとうのSMSがはいっていたので返しておいた。gmailのほうに(……)さんからも来ていたので、それにたいする返信もする必要がある。あとは一一日いこうの記事をどこまで書けるかというのがひとつ。さらに、あした通話なのでUlyssesを予習しておくのと、あと(……)くんの授業でたぶん(……)大学の過去問をやるのではないかとおもうから、それも読んでおきたい。

Almost 60,000 people have died of Covid in Chinese hospitals since early December when the country relaxed its strict lockdown restrictions, authorities have announced.

     *

The shortfall in reported numbers was due to stringent definitions of how a death is attributed to Covid in China. Only people who died of respiratory failure were counted. The World Health Organization last week criticised the new definition as too narrow and warned that it was an under-representation of the true impact of the outbreak. But Chinese authorities responded that it was not necessary to attribute every death to Covid.

However, Jiao Yahui, the head of the Bureau of Medical Administration, on Saturday announced there had in fact been 59,938 Covid deaths between 8 December and 12 January. This figure included about 5,500 individuals who died of respiratory failure, while the rest also had underlying health conditions. The average age of those who died was 80, Jiao said, with 90.1% aged 65 and above.

The death toll includes only those who died in hospital and is probably still lower than the true total, while there have been major concerns about a further spread of the virus before the lunar new year holiday, which begins next week. The holidays in China officially start on 21 January and involve the world’s largest annual migration of people. Some 2bn trips are expected to be made and tens of millions of people have started to travel – although they have been urged not to visit their elderly relatives, in order to prevent them becoming infected.

Jiao claimed case rates were declining and the peak had passed in most areas. She said the daily number of people going to fever clinics peaked at 2.9 million on 23 December and had fallen by 83% to 477,000 on Thursday. “These data show the national emergency peak has passed,” she said.

Republicans approved the formation of a subcommittee on the “weaponization of the federal government”, to serve as a main vehicle for scrutinizing the administration. They launched an investigation of the Afghanistan withdrawal and commissioned a panel to look into the government’s response to the coronavirus pandemic. At least one Republican filed articles of impeachment against Biden’s secretary of homeland security, Alejandro Mayorkas, over his handling of migration at the southern border.

     *

Far-right Republicans who won concessions from McCarthy in exchange for their support for speaker have raised the specter of government shutdowns or even a debt-default as a means of forcing spending cuts, and vowed to examine the business dealings of the president’s son, Hunter Biden. Some have called for the president to be impeached.

Americans should brace for a “period of ugly conflict” in Washington that echoes early clashes between Bill Clinton and the Republican speaker Newt Gingrich, whose party stormed to victory in the 1994 midterms, said Russell Riley, a presidential historian at the University of Virginia’s Miller Center.

Gingrich’s conservative majority ushered in an era of political gridlock that culminated in a 21-day shutdown. But, Riley said, Clinton presented himself as the “voice of reason”, demonstrating a willingness to compromise but not capitulate. He easily won re-election in 1996.

     *

Riley, who has examined how presidents navigate divided government, said a hostile Republican House could prove an effective foil for Biden should he seek a second term.

“This will be a burden to Biden in the short-run – he’s yoked by the constitution to a dysfunctional governing partner – but it will benefit him in 2024,” he said. “Most of the country will not rally to the incendiaries.”

Biden sought to offer a contrast last week, visiting a dilapidated bridge in Kentucky to tout a $1.2tn infrastructure bill signed into law with Republican support, even as McCarthy suffered rounds of humiliating defeats in his quest to be speaker. Biden was joined by the Senate minority leader, Mitch McConnell, and other Republicans.

The president then traveled to the US-Mexico border, as Republicans blame his immigration policies for the record number of migrants crossing into the country. This week, Biden wrote a Wall Street Journal op-ed that urged Congress to work together to hold big tech accountable.

“There will be many policy issues we disagree on in the new Congress,” he wrote, “but bipartisan proposals to protect our privacy and our children; to prevent discrimination, sexual exploitation, and cyberstalking; and to tackle anticompetitive conduct shouldn’t separate us.”

     *

The discovery of classified documents at Biden’s home in Delaware and an office in Washington has already pushed his relationship with hostile House Republicans into further jeopardy. On Thursday, the attorney general, Merrick Garland, appointed a special counsel to investigate the matter. Biden said he was “cooperating fully and completely”.

Republicans seized on the revelations, accusing Biden of hypocrisy for his criticism of Trump after FBI agents retrieved classified materials from the former president’s Mar-a-Lago estate in Florida.

“There’s always a double standard,” tweeted Steve Scalise, the House majority leader, asking: “Where’s the raid of Biden’s garage?”

  • (……)さんへの返信。あちらのメールもいちおう記録しておく。

(……)

     *

(……)

  • あと、「(……)」さんがnoteでサポートとメッセージをくれていたので、それにも返信。

(……)

     *

(……)

  • いま一六日の午前一時前。うえの返信を記したあと、休みをはさみながら一一日の記事を進行。手指はよくうごく。ただ勤務時のことで書くことが多く、まだ終わらない。しかしきょうのところはこのくらいにとどめておいたほうがよいだろう。背中もピリピリこごっている。腰や背面をこすりつけてほぐすのをきょうはよくやったので、そのためにからだがあたたまっており、それで手指もうごくのだけれど、椅子について書いているあいだ背すじを伸ばす姿勢を取っていると、やはりどうしても背中が疲労しこごってくる。それでベッド(じゃなくて布団なのだ)に逃げたりもしていたが、再開すればまたすぐこごってしまう。とはいえ腰を中心に背面をほぐすのは正解で、食事から時間が経って腹が空になっても胸のなかの詰まりめいた感覚が生じていない。手もうごくからここさいきんではいちばんのいきおいと軽さでどんどん書くことができた。
  • 一一時半くらいだったか布団から立ち上がったさいに、そういえばあしたが燃えるゴミの日だから出しておくんだったとおもいだして、ゴミ箱の袋をとりだして縛り、また冷凍庫に溜まって凍っている生ゴミを、先日実家からソーセージをもらってきたさいにそれをいれていたジップロックの袋を取ってあったので、おおきめのその袋に入れて密閉し、五リットルのゴミ袋におさめた。ジップロックにはいらない包みが数個のこったのでそれもなんとかゴミ袋内に押し入れて、口をしばると袋ふたつを持ってそとへ。雨は降っていないようだったが空気と路面はしとどに濡れている。しとどにはおおげさか? アパートの建物脇の空間に袋を置くと、地にぐちゃっと死に体となって濡れているごわごわの古ぼけたネットをもちあげ、そのうえにかぶせておいて部屋に引き返した。その後、煮込みうどんをこしらえるために野菜を切ってスープに。ひとと町がねむりしずまるこの深夜、このあとそれを食うかどうかはべつとしても、あしたは通話も労働もあるしつくっておいたほうがまあ楽だろうとおもったので。先日スーパーに行ったさいにあご出汁も買ってきてあったので使った。やっぱり麺つゆだけだといまいちピンとこない味になりがちですからね。
  • イリアス』のあとは図書館で借りてきている中島隆博『悪の哲学 中国哲学の想像力』(筑摩選書、二〇一二年)を読みはじめて、いま35まで。わりとすらすら読めそう。きょうはひさしぶりにかなり書いているという感覚で、一一日の記事を終えることはできず、一二日一三日は休みだったしもうよいとしても、きのうのこともちっとも書けていない。しかしよくがんばったと言うべきだろうというこころだ。書くことが多すぎて終わらないのはおれのせいじゃあない。この世界のせいだ。


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  • 日記読み: 2022/1/15, Sat.
  • 「読みかえし2」: 958 - 987
  • 「ことば」: 40, 31