2023/1/29, Sun.

 ハイネは晩年、「わたしは懐疑的な十八世紀の末に、たんにフランス人ばかりではなく、フランス精神も支配した町に生れた」と言っている。詩人が生れたライン河畔のデュッセルドルフ市フランス革命軍に占領され、封建ドイツの古くさい制度が一応のぞかれて、ハイネの幼少時代、すなわち一八〇六年から一八一三年までは、かなり明るい自由と平等の空気がただよっていた。ハイネがリュツェーウム(古典高等中学校)でうけた学問教育も、だいたい自由主義的なものであった。だが、ちいさな詩人の未熟なたましいに、じかにフランス精神をたたきこんだのは、かれの家に泊っていたフランス軍の鼓手ル・グランだった。散文『ル・グランの書』などは、これをよく証明するものであろう。ハイネが革命の詩人となる精神の息吹は、この書からも感じとることができよう。
 「ぼくが武器をとったのは、異端視された侮辱のためで、しかも素姓にたいする大胆な自負からやむにやまれなかったのであり――全生涯のぼくのたどらねばならなかった進路は、すでに揺籃のうちにきまっていた」と、ハイネは述べたことがある。まさしくその出生においてハイネは、暗いユダヤの血をうけていた。ユダヤ人が、近代のドイツ社会で有形無形の圧迫をどんなにこうむったか。それはここにくわしく述べることはできないけれども、われわれの想像を絶するものがある。ユダヤ人として幼少時代に経験した屈辱の記録は、ハイネのこころにいつまでも拭いがたく残り、晩年の『回想』のなかにも、詩人がこの地上でうけた最初の屈辱的な打撃がどんなものであったか語られている。
 一八二五年にハイネはキリスト教の洗礼を受けたが、「かりに銀のさじを盗むことを法律がゆるしてくれたら、ぼくは洗礼などうけなかったろう」と述べている。それというのも、当時のドイツがユダヤ人か(end285)らいっさいの公職を封じていたから、「ヨーロッパ文化への入場券」を手に入れるために改宗したまでのことであった。ハイネは、大学時代、はやくもユダヤ人の権利と市民的平等のためにたたかった。とはいえ、かれはユダヤ主義の純粋な体現者ではなく、しばしばユダヤ主義そのものにも敵対している。しかもなお、ハイネは徹頭徹尾ユダヤの詩人だったとみなければならない。ただこの場合、ハイネにみられるユダヤの詩人というのは、圧迫されている階級の詩人であるということと同義のものでなければならない。
 (井上正蔵 [しょうぞう] 訳『ハイネ詩集』(小沢書店/世界詩人選08、一九九六年)、285~286; 「解説」)



  • 一年前から。ニュース。

ほか、これもきのうの新聞にも出ていたが、佐渡ヶ島の金山を世界文化遺産登録へ推薦するか否かという件。けっきょく岸田首相が推薦を決定。安倍晋三を筆頭にその周辺の人間、たとえばわるくいえば子飼いといえるだろう高市早苗など、自民党内の保守派が推薦するべきだと口々に主張しており、政権安定のためにその声を優先したかたちだと。安倍は二〇日および二七日と自派の会合でつづけてこの件を口にしたといい、いわく、議論を避けるかたちで推薦をしないのはまちがっているとか、韓国に「歴史戦」をしかけられている、戦うべきときは戦い、出るときは出るべきだ、みたいな主張をしたらしい。韓国が「歴史戦」をしかけているというのは、佐渡金山は韓国人(というか朝鮮人か)が強制労働させられたばしょだという、推薦への反対意見を指している。自民党内保守派は韓国の言い分には根拠がないとか、文化遺産としての価値の対象になっているのは江戸時代の金山のことで、韓国が言っている時代とは違う、などと反論している。この件はもともと外務省が推薦見送りにむけて動いていたらしい。というのも、ユネスコの審議会はいちおう参加国(たしか二一か国とあった)の三分の二いじょうの賛成で可決できるルールなのだが、じっさいには全会一致が原則となっているらしく、となると韓国が反対するのは事前にもう見えているから、推薦をしたところで登録にまではいたらない、という見通しだったと。しかし自民党内保守派にはそれが「弱腰」と映った。それで問題をぶち上げて圧力をかけ、ほんらい首相が最終決定をする問題ではなかったのを岸田にゆだねて決めさせたと。安倍晋三とその周辺としてはうまくはたらき満足の行く結果になった、というところだろう。党内にはしかし、もっとしずかに推薦すればよかったのだ、という声もあるらしい。こんなにおおごとにすることはなかった、ということだろう。その声の主は、外務省の党との調整不足がまねいた事態だとも批判していた。保守派と折衝し、推薦は出すがあまりおおっぴらな動きにしないという合意を取りつけるべきだった、ということだろう。

  • 描写。

食器を洗い、風呂場へ。栓を抜いてのこった水がながれていくのを待つあいだ、窓をあけてそとをながめた。微風がながれており、林の最外縁の竹が薄緑の葉の群れを上下にやわらかくふわりふわりと、水中を舞う生物のように浮き沈みさせ、またなびかせている。きょうは空が曇っているので大気にこれといった色味はなく、白けたようなしずかな無色で、道路の端にはナッツをよく砕いてまぶしたような落ち葉のたまりが帯なしているが、それももう、さして厚くない。

  • 音楽。”合唱曲 スカイツリー”はたしかにけっこうへんで、プログレ的な感じでおもしろかった記憶がある。

(……)□□□の『マンパワー』をながした。□□□というのはいとうせいこうがラップをしているユニットだという認識しかなく、ヒップホップだろうとおもって、だからきいてみようとえらんだのだが、ぜんぜんそうではなかった。ポップスだった。二曲目の”合唱曲 スカイツリー”というやつがやたらながい一五分くらいの曲で、とちゅうで演劇的な多人数での会話があったりとか、合唱としての旋律のかさねかたとか、ぜんたいの構成とかもおもしろいのだけれど、いかんせん序盤の色調など、ちょっと感傷にながれすぎかな、とかんじてしまった。コードやメロディにしても、うたいかたにしても、音像にしても、そこまでストレートにやられるとのりきれないというか。そのつぎの”YOU & I”はかなりよくかんじた。そのつぎのベースのソロ曲もけっこうよかった。そのつぎはまた歌もので、ポップスとして定番の、ほとんどJ-POP的な進行を取り入れながらもそれをうまく崩すような展開をこころみているふうに聞こえたが、このユニット、もしくはこのアルバムは、ポップにするところは恥じらいも衒いもなく正面切ってひたすらポップにしよう、というやりかたを取っているのかな、とおもった。そしてその部分がじぶんにはかんぜんにはのりきれず、ほかの部分がいろいろ巧みで高度につくりこまれているのはわかるのだけれど、きいていて疲れてしまうような感覚をもった。音質にしてからがそうというか、録音とかミックスとかでなんかJ-POP的な音像、メジャーどころの音像というのはやはり一般的にあって、そういう音質と、いかにもなやりくちがむすびつくと、どうも重くきこえてしまう。三曲目の”YOU & I”はその点かなり色がちがう気がしたが。アメリカとかイギリスの、九〇年代か二〇〇〇年以降の新世代のバンドみたいな音、という印象をえた。まだ五曲目までしかきいていないし、こんどまたながしてみるつもり。

(……)この番組だと、ある一定の場所にそのとき偶然つどったひとびとがおのおの過去語りを提示して、人生の断片が集積されるのだけれど、それらのあいだにはむろん何の関係もなく、それが並べられることができるのはただそのときおなじ場所にいたという純然たる偶然性のゆえでしかない。提示される人生の断片は、不完全で、そっけなく、構成的に過不足ないかたちに収まらず、物語の切れ端にすぎないし、ひとびとが生を回顧するその言葉自体は表象力に富んだものではなく、カメラが映し続けるのは回想ではなくて、いままさにその回想を語っているひとびとの現在の姿である。そこからおのおのの時間の厚みと蓄積と、それらの集合の、抑制的な豊かさとでもいうようなものが香り立つのだけれど、こういうかたちで提示される生と、存在の感覚というものにこちらはめっぽう弱い。何かがそこにある、あった、という感覚がまざまざと立ちあらわれるとき、こちらはほぼ無条件に感動し、たびたび涙を催してしまうという性質を持っている。この番組はおりおりそういう感覚をもたらしてくれるもののひとつであり、「そこにある事物や人間や風景を、あまり演出を加えずに撮っているたぐいの番組が、テレビでは一番面白い」と上に書いたのも、そういう観点からの評価である。この番組みたいなことを小説でやるとなると、たぶん、ヴァージニア・ウルフが「キュー植物園」でやったことの発展というようなかたちになるのだと思う。そういうものを自分でもいつかやりたいような気はする。というか、『ダロウェイ夫人』がまさしくそういう作品なのではないかという気もする。テレビ番組と比較すると、あれは少々内面に立ち入りすぎではあるが。いわゆる「意識の流れ」、ひらたく言って内面性の描写ではなく、場所と事物と時間と風景を主人公にして、『ダロウェイ夫人』と似たようなことができないか。

  • 「カメラが映し続けるのは回想ではなくて、いままさにその回想を語っているひとびとの現在の姿である」という部分を読んだときにおもいだしたのだけれど、『フードコートで、また明日。』という漫画があって(作者は成家慎一郎というひと)、おおかた女子高生ふたりがフードコートでどうでもいいようなはなしをくっちゃべるだけの漫画で、いちおうふたりの関係の深まりとかも主題化されていたはずだが、けっこうおもしろくて、なによりこの漫画がよかったのは過去の回想を回想シーンとして描かないことで、会話がこれまでのふたりの関係とかにふれられるときでも焦点化されているのはあくまでもいましゃべっているそのふたりのすがたで、そこでシーンとしての回想、要はフラッシュバックの技法にやすやすとながれない禁欲性がこの漫画をむかし読んだときにいちばんよいとおもった。つうじょうの漫画とかテレビドラマとか物語的作品のたぐいは過去の回想をするときだいたいのところ回想をシーンとして、しかも現在の時間とは明確に区別されるようななんらかの脚色や装飾をほどこして提示する。かんがえてみればそのような技法をつかわねばならない必然的根拠など特段ないはずなのだが、そのほうが読むほうにとってわかりやすいということなのか、よくわからないがそうした演出は約束事としてほぼ確立されており、たいていの作品はそこになんの疑問もいだかずただそれにしたがっておなじやり口を反復している。べつに約束事にしたがうことじたいがわるいとはおもわないし、約束事にそむいてみせることじたいがよいともおもわないし、そういうやりかたの回想が必要なときもあるだろう。ただ、回想シーンという制度的技法になにかしらのうさんくささがつきまとうのは、どうしてそうなのかはよくわからないがやはりそこに湿っぽく締まりのない叙情性へのかたむきがともないがちだからではないかとおもう。『フードコートで、また明日。』はその点でべつのやりかたを導入しながら、べつのルートで感情性をあらわそうとしている作品だったような記憶がある。
  • 瞑想についての簡易的な思念。

食後はそのまま風呂にはいった。瞑想もしくは坐禅においては身体(性)が開示されること、その身体(性)をもってひとは現在と接していること、瞑想は差異を受け止めつづけるおこないだが、差異を取りこむことは傷つくことでもあるので、それによる生成変化を無条件に称揚するのは慎重でなければならないこと、瞑想はすくなくともブッダにおいては最終的に苦痛から逃れるための手段だったはずなので、そこで差異による傷がどのようにかんがえられていたのか疑問だし、じぶんの実体験としてもいまや苦は生じないということ、苦が差異による変容のあかしなのだとしたら瞑想によって主体は変容しないのかもしれないこと、もしくはそもそも本意として変容がめざされていないのかもしれないこと、そうだとしたらそれはもともと仏教では主体の本質などというものはないとかんがえられているからではないかということ、つまり無限に持続する生成変化(永久革命論に通ずる)とはその都度とりまとめられひとまず堅固に成り立っている状態を前提するが、仏教的にはそのような状態がそもそも成立せず、永久革命がある状態をべつの段階に革命していくそのうごきが追いつかず間に合わないようなありかたがかんがえられているのではないかということ、すなわち仏教においてはわれわれが差異を取りこんで生成変化するのではなく、われわれが差異そのものなのではないかということ、もしそうだとすればそこから利他的な倫理精神が生じているのではないかということ、それは実体的なじぶんの存在を前提とする自己犠牲とはちがうだろうということ、などを湯につかりながらおもいめぐらせた。(……)

  • To The Lighthouseをまた訳してつらつら説明している。今回の部分はぜんたいてきにけっこううまく行っているようにおもわれた。

Every throb of this pulse seemed, as he walked away, to enclose her and her husband, and to give to each that solace which two different notes, one high, one low, struck together, seem to give each other as they combine. Yet as the resonance died, and she turned to the Fairy Tale again, Mrs. Ramsey felt not only exhausted in body (afterwards, not at the time, she always felt this) but also there tinged her physical fatigue some faintly disagreeable sensation with another origin. Not that, as she read aloud the story of the Fisherman's Wife, she knew precisely what it came from; nor did she let herself put into words her dissatisfaction when she realized, at the turn of the page when she stopped and heard dully, ominously, a wave fall, how it came from this:(……)


 夫が立ち去っていくあいだ、この律動のひと打ちひと打ちが彼女と彼をつつみこむようにおもわれ、また、二つの異なった音色が、一方は高いほう、他方は低いほうから行きあたってむすばれたときに分かち合うあの安息をも、二人に恵んでいるようだった。だが、その共振がおとろえ、ふたたび童話に意識を向けたとき、ラムジー夫人はからだがくたくたになっているだけでなく(彼女はいつも、出来事の渦中ではなくて、それが終わったあとになって疲労をおぼえるのだった)、別のところから来るなにか不快な感覚が、かすかながら肉体の消耗感にかさなっているのを感じ取った。とはいえ、「漁師のおかみ」の物語を読み聞かせているあいだ、彼女はその出どころを確かに理解していたわけではない。その不満感を言葉にしてかんがえようとも思わなかったが、ただ、ページをめくるために声を止めるときなど、波の砕ける響きがぼんやりと、不穏にただよって耳に入り、ああ、こういうことかもしれない、と思い当たるのだった。

  • 岩波の一文目は、「この鼓動は、夫が遠ざかっていくにつれて夫婦をゆっくり静かに包み込み、ちょうど高低異なる二つの音調が同時にかき鳴らされることで、微妙に溶け合い、たがいに与え合うような安らぎが、その時その場に醸し出されていた」(71)。「この鼓動は」とそっけないが、everyと言っているし、じゃあ「ひと打ちひと打ち」ではなかろうかと。さいしょは「ひと打ちごとに」とかんがえたのだけれど、ここはそういうふうに程度がたかまっていくイメージなのかあやしかったので、それはやめた。every throb seemed to encloseなので、たぶんeveryのひとつひとつは平等で、加算ではないとおもうのだが。
  • two different notes, one high, one low, struck together, seem to give each other as they combineは、struck togetherに注目されたもので、strikeなわけだから、逐語的には衝突とかぶつかりあいである。で、ひとつは高い音、もうひとつは低い音と言っているので、それなら「~~から」、両側から、をつかうべきだろうと。衝突の意は打撃感をやや弱めて「行きあたる」にした。ここもさいしょ、「行き逢って」としていたのだが、それだとstrikeの打感が出ないし、イメージとしてもロマンティックで情緒的にすぎる。その要素はその後の「分かち合う」にたくすことにしたのだ。as they combineは結合の意なので、「むすばれたとき」。give each otherが「分かち合う」である。二つの音調がぶつかり合って結合したときにたがいにあたえるsolaceという直訳なので、一体になってひとつのあらたな状態を生み出すイメージと取った。giveはあたえる、each otherはたがいにということで、これをいいかえれば交換だろう。だから「交わし合う」の訳語もかんがえたが、そうすると、ある状態、もしくはsolaceが衝突いぜんに二音のそれぞれに持たれていて、結合のさいにすでに成立していたそれをたがいに送りあう、という含意になりうる。そうではなくて、むすばれたことでsolaceが生まれて、一体となった二音がそれにつつみこまれたというイメージで理解するので、となると「交わし合う」はつかえない。で、そのthat solaceをevery throbがgive to eachするわけだけれど、このeachは夫人とラムジーのことである。giveを尋常におさめてもよかったのだが、ここも「与える」から「恵む」というややニュアンスを帯びたことばが出てきたので、それを採用した。that solaceはふつうに「あの」をつかって問題ないとおもう。それがどういうものなのか読者に共有されていること、読者がすでに知っておりいわれたことを思い当たるであろうことを前提するこういう修辞法は日本語でもつかわれる。
  • 二文目もわりと苦労して、意味を取るのは容易だが、それをベストな日本語にうつしかえようとするときわめて骨が折れる。前半はたいしたものでもなかったが、後半のbut also there tinged her physical fatigue some faintly disagreeable sensation with another originに時間がかかった。tingeのニュアンスをどういう語にするかも難点だったし、各所の要素を日本語としてどうならべるかがむずかしかった。結果、faintlyは原文ではdisagreeableに直接はかかっているのだが、だから「かすかに不快な感覚」が忠実といえばそうなのだが(岩波文庫もまさにそうしている)、これをずらして、「かすかながら肉体の消耗感にかさなっている」とtingeにつなげるかたちになった。しかし、いま気づいたが、「かすかながら」と留保的な逆接の「ながら」をもちいているので、そのまえの「不快な感覚が」とのつながりも充分にかんじとれる。で、問題のtingeは辞書を引くと、うっすらと色づけるとか、なにかの色合いや気味を帯びさせるみたいな動詞なので、肉体的疲労をべつの不快感が色づけている、うっすらとそのうえに塗られている、かさなっている、かな、と。岩波は「混じっている」にしていて、これもじゅうぶん成立するが、色づける、帯びる、という意から、じぶんはうすぎぬをまとったように淡く塗られて二重化しているイメージをもったので、「かさなっている」にした。
  • あとむずかしかったのはさいごの、nor did she let herself put into words her dissatisfaction when she realized, at the turn of the page when she stopped and heard dully, ominously, a wave fall, how it came from this: で、このあとに、ラムジー夫人の独白的な調子が入ってくるのだが、そこにどうつなげるか? というのが厄介だった。岩波文庫の訳で文脈を確認しておくと、「ジェイムズに「漁師の妻」の話を読み聞かせてやりながら、夫人がその不快感の出所を正確に理解していたというわけではない。ページをめくる際など、岸辺を打つ鈍く不吉な波音を耳にしていると、ふと思いあたることもあったが、わざわざそれを言葉にしようとは思わずにいた。たとえば夫のこと。わたしは自分が夫より優れているなどとは一切思わないし、夫をなだめる時だって、本当のことしかしゃべっていないつもりだ。(……)」という感じで、岩波の訳は従属であるwhen節をさきに持ってくるという、日本における一般的な英語理解の原則にしたがった順序になっている。しかしこれだと、「わざわざそれを言葉にしようとは思わずにいた」のに、直後に独白がはいってきて、心中で言語化してるやん、という印象が生まれてしまう。そこでじぶんは、逆にした。不快感をおぼえていながらもそれをわざわざしっかりことばでかんがえて追及しようとはおもっていなかったが、波音に触発されてふと思い当たり、心中に浮かんでくることがあった、という理路である。これならそのつぎの独白にうまくながれる。岩波はまた、stopの意を盛りこんでいないが、これは読み聞かせている発語を、声を止めたということだろう。だからその空隙のなかに波の音がおのずと聞こえてくるわけである。したがって「声を止める」の一節は必要だし、heardを自発のニュアンスでとらえれば「耳に入り」が適切となる。wave fallとfallを言っているから「砕ける」の一語もあったほうがよいだろう。dullyとominouslyは直接にはheardにかかっている副詞だが、heardは能動性のつよい語ではないとおもうし、この副詞は夫人の心象を言っているはずなので、かのじょの心理を経由してwave fallのほうに転嫁できる。dullは鈍いの意だが、「ぼんやり」もあるのでそれにして、そうすると明瞭でない波の響きが声のとぎれた静寂の間にとおくからただよい入ってくる、というイメージで理解されたので、それに即して「ただよって」をくわえた。さいご、むずかしいのがhow it came from this: で、それがこのことからどういうふうにやってくるか、という直訳だが、itというのは夫人がいま身にかんじているdisagreeable sensationもしくはdissatisfactionのことだろう。thisはコロンがついているから、このつぎにつづく内容を指しているとかんがえられる。だから、不快感のよってきたる原因として、はっきりと考えようとはしていなかったけれど、あ、こういうことがあるんだ、このことからこういうふうにして来ているんだな、と思い当たる(realize)ことがあった、という感じだと理解した。そういうわけで、「その不満感を言葉にしてかんがえようとも思わなかったが、ただ、ページをめくるために声を止めるときなど、波の砕ける響きがぼんやりと、不穏にただよって耳に入り、ああ、こういうことかもしれない、と思い当たるのだった」とおさまった。
  • いちどたしか七時台に時間をみたようなおぼえがあるのだが、そこではまだ意識が分明ならず、あいまいにねむりに落ちて、ふたたびもどってくると息を吐いたり胸や腕をさすったり揉んだりしたのち、九時五〇分を確認した。もうすこし布団のなかにとどまって、一〇時過ぎにからだを起こした。天気は快晴。いちど布団を抜け出して水を一杯飲むだけするとまたもどり、Chromebookでウェブをちょっとみてから一年前の日記を読む。ながい。いろいろ書いていて読むのに時間がかかった。それで一一時をまわって正式に離床し、また水を飲んだり、トイレに行って顔を洗ったり(さくばん寝るまえに「トイレ洗浄中」のタブレットを便器にほうりこんであり、青白い泡でいっぱいだったのでまずそれをながし、水音が止まるまでにけっこうかかるのでそのあいだに顔を洗って、それから小便をした)。出てくるとダウンジャケットを脱いで寝間着も脱ぎ、たたんで布団の足もと隣に置いてある段ボール箱のうえに置くと、かわりにジャージを取って着る。ダウンジャケットもふたたび羽織り、ちょっと体操とかしてから椅子にすわって瞑想。一一時一六分から四〇分まで。なかなかよろしい。順当にほぐれた。足の先もきのうよりつめたくなかった。それから食事へ。キャベツと白菜と豆腐をスチームケースに入れて、電子レンジでまわして温野菜をつくる。あいまはまな板と包丁を洗い、椅子について後頭部をマッサージする。加熱が終わると洗濯機のうえにとりだして蓋をひらき、蒸気を逃がしてカバーについた水滴もちょっと落とすようにうごかしてから、塩や醤油をかける。いっぽうできのう買ってきたパック米と三元豚ヒレカツののこりを順番にあたためて席につく。ウェブをみつつ食す。というかカツをあたためている時点ですでに座って野菜を食べはじめていたのだ。かたよらずまんべんなくすこしずつ食べるようにという古き良き食事のおしえにしたがわず、野菜をぜんぶ食ってからスチームケースをながしに持っていき、水につけておいてレンジから肉をとりだすと、ソースをかけて米といっしょに食した。カツのはいっていたパックは加熱によって端のほうが曲がったうえにそのへんにのこっていたソースの染みた衣のカスがかたまってしまっていたので、水でながし、そのまま漬けてある。その他洗い物をすませるとヨーグルトも食べて、あときのうきょうで油っぽいものを腹に入れたし、ひさしぶりに大根おろしもすこし食べておいたほうがいいかなとおもって少量椀におろした。それなので一回洗った箸をもういちどつかうことになった。
  • 食後はウェブをちょっとみたりきのうとおなじく背もたれに身をあずけてゴロゴロやりながら休んだりして、そのうちに時刻は一時を越えて、天気もめちゃくちゃいいしひとまわりあるいてこようかなという気になったので、椅子から立ち上がってジャージのしたをズボンにきがえ、靴下を履き、モッズコートを羽織ってファスナーを閉めるとともに首もとのボタンを留めただけのかっこうで靴を履く。扉の脇の無駄にスペースのおおい靴箱のうえに置いてある箱からマスクを取ってつけるとそとへ。鍵を閉めていると上階からひとの気配がして、袋をがさがさいわせながら下りてくるすがたがあったので、階段のほうに踏み出しつつもうしろを向いてこんにちはとあいさつを交わした。ぜんぜんほがらかな声が出なかったが。あいてはパーカーかなにかのフードをあたまにかぶせたかっこうで、一見して外国人、髪は茶色でやや無精っぽい髭をすこし生やした白人種とみえたが、異国出身なのかハーフとかなのかはわからない。あいてもこちらと同時にこんにちはと言ってきたが、表情はすこしだけ気後れしているような、理由もなく困ったり申し訳なくおもったりしているようなニュアンスが一抹ふくまれていたけれど、もともとそういう顔立ちのひとはたまにいる。黄色い袋を持っていて階段から下りるとこちらの階の通路を内側にはいっていたが、それはそこに据えつけられてある洗濯機をつかうためで、上階から下りてきて部屋のそとの洗濯機をつかっているひとがたまにいるなとおもっていたがそれはこのひとだったわけだ。散歩からもどってきたときも稼働していた。先日書いたおっさんっぽい印象のひとがこの男性なのかはいまいちわからず、行きあった感じではとくにおっさんっぽくも見えず、まあ三〇代か四〇代かという感触がのこっているが、しかしいまいちつかめない。こちらがおっさんっぽくおもった印象はたまに聞こえる声の色もあったのだけれど、こんにちはのひとことだけではそういう印象も受けず、そもそもこのひとが真上の部屋の住人なのかもわからない。ただ、帰宅後に頭上に聞いた気配からするとそんな気もするのだが。洗ったものを干すためだろう窓を開けている音も聞こえたが、そのさいひとりごとなのかわからないがなんとかことばを発してもいて、その声はくだんの声色とおなじだったような気もしたが、やはりいまいち確定しきらない。
  • 陽の照るあかるい道に出ると左へ。ストールは巻いていない。南の車道沿いに出るといつもは(……)駅やスーパーにむかうから右に曲がるわけだが、きょうはそこを左に折れて、東方面をぐるっとあるいてこようとかんがえていた。日曜日の昼過ぎということで路地にはこちらとおなじく散歩に出たらしい高年のすがたなどいくらかみられる。公園では親に連れられたちいさな子どもらが遊び、きのうの宵にも目をあげた裸木の突き立った枝先は、青空にかすまずか細さながら夜よりもくっきりかたどられている。敷地縁の垣根の葉がみずみずしくもないけれど白いつやを溜めて半端にかがやいているのを見下ろしながらすすみ、建設中の施設はきょうは無人にしずまりかえって、こちらのあゆみとともに黒い柵の横棒のうえを水路を行く水のごとくきらめきがゆっくりすべってすすんでいき、風が外縁端のほうに低く張られたオレンジ色のネットをいくらかゆらがせる。建物の側面は濃褐色の土がむきだしになっている部分がだいぶ減って、だいたいの範囲は灰白の砂や小石が敷き詰められて地面が生み出されていた。ちいさな煉瓦をすきまなく交差もなく整然と積んで切り落とした風なデザインの建物が微風のなかで無人のしずけさにぴたりとうごかずあるのを振り返りながらまえを過ぎて、南の車道沿いにたどりつくと思惑にしたがって歩を左に切った。日なたのあたたかな道である。間近の対岸にセブンイレブンがあって、そういえばいちどもおとずれたことがないけれど、この近距離でここにセブンイレブンがあるんだよなとおもった。おなじくらいの距離のところにローソンもあるわけだが。セブンイレブンより向こう、さらに南にはよく夜が降りてきてから目にしてその整然としたひかりのつらなりを、ひかえめながらいくらか華やぎとみているおおきなマンションがあり、そこは団地をなしているのだけれど、昼間にその棟をみるに黒い土台のうえに乗った薄黄色の光点と化している夜とはぜんぜんちがって、砂をかためてつくったような古ぼけの感がややあって、しかもこちらを向いているのは北面だからそのどこにも陽がかかっておらず面のすべてが陰に沈んでいるので余計にくすんでみえたのだろう。そのまま道をすこしすすむと(……)の敷地があらわれ、柵の内側をのぞけばずいぶんだだっ広いなという平らな土地の向こうに、寮かなにかかとおもうような窓のおおい真っ白な棟がいくつかみえるのだけれど、じっさいここの施設の土地はおおきくて、こちらの足でまわりを一周すれば優に一五分はかかるのではないかというくらいにあたりを占めているのだ。道との境を画す黒柵は石造りの土台のうえに乗ったかたちになっており、その土台の最上部がそのまま内側の地面の高さと一致していて、すぐ目のまえは刈られたようなちいさな雑草がバサバサ生えて乗ったなかに木がいくらか立っており、木のさきにひろがった地面には最寄り駅そばの空き地を満たしているのとおなじような老いの白さの茎っぽい草もみえる。なにかちょっと香るなとおもっていると、柵のむこうのすぐ間近にロウバイがあらわれて、これかとおもった。すこし石鹸っぽいようなにおいだったが、すぎればこんどはギンナン特有のあの臭気がたがえようもなくただよって、しかしこんな時期ににおうものなのか? と不思議におもった。角まで来ると左折しようとしたところが道路の左側、つまり西側にあたるその歩道は日陰にすっぽり覆われていたので、ここを行けば寒かろうとおもいなおし、横断歩道を待ってから陽の恵みのある対岸に渡って北上した。どちらの岸にしても歩道はせまい。犬の散歩をするひとなどがまえから来るのにこころもちからだをそとに寄せてすれちがう。施設の正門前からはゆるく北東に伸びるかたちで通りがはじまっており、それは(……)駅のほうへとむかうなんとかいう通りだが、その起点部の短い横断歩道をわたったさきにはもう北に向かう歩道はなくて、車道の端をあるけなくもなさそうだがここで向かいに渡ることにして信号を待った。背にするのは、駄菓子屋だかなんだか看板をよくみなかったが、昭和五〇年代くらいかとおもわれるようなおもむきを帯びた黒褐色の古い家屋で、その側面にあたる足もとには紫色の微小花やなにかの葉っぱなどつつましい鉢植えがいくつかあって、後者に刺された袋、もともと種がはいっていたものではないかとおもうが、それには「花菜」という文字がみられて、どうやら食えるらしかった。対岸にわたると敷地のきわをなぞるように歩道をすすむ。書きわすれていたが日なたのなかを北上しているあいだに向かいで柵のうちに立ちならんだ裸木の一群をながめていた。白樺色までは行かずも白っぽい、丸太くらいのけっこうな太さがある幹からとつぜんの断絶をはさむようにして細くするどい裸の枝が無数に生えて伸び上がっており、まっすぐにはなりきらないそれぞれの軌跡でもってどれも一律に空をめざし、古井由吉にならっていえば癇性じみたとでもいうようなある種の苛烈さをしめすようで、なんの木かわからない、梅か? とおもったが、梅ならそろそろ蕾がついているころだろうか。しかし地元とここではちがうだろう。裸木の列が終わったさきでは常緑のともがらが風にこずえをうごめかせており、無駄におおきな白一色の棟もちかくにあるそのうえで、青空のなかに洗剤を丹念に泡立ててすりつけたような雲が少々ただよっていた。角まで来るとふたたび左折。そこも日陰ではあるが、棟の上端に太陽がちらちら見えないでもなく、車道のほうからわずかばかり日なたが浸食してもいるのでそこまで寒くはない。やたらと窓のおおくついた建物をみやりつつ、こんなにいくつもおおきな棟があっていったいなににつかうのかわからないし、たぶんそんなに活用されてもいないのだろうなとおもった。民営化がおこなわれるいぜんに見通し甘く公費でおおきくつくったのがいま持て余されていたりするのだろうか。北西の角まで来るとそこには郵便局が併設されており、きょうは日曜日なので無人だが、入り口のガラスにある掲示をみてみるとATMは五時までやっているとのことだったので、そういえばきのう書店とスーパーで財布から札がなくなっていたのだったとおもいだし、いったん帰ってからまた来て金をおろそうと決めた。アパートはもうすぐそこである。ペットボトルが大量にあつめられた籠が二、三出ているべつのアパートまえを過ぎ、路地をのぞけば主の居場所がわからないがおおきな声の女性訪問者が、うん、だいじょうぶ、わかりました! すみません、ありがとうございます~! とかいっているのが聞こえてきて、道の果てにみえるのは公園先にある建設中の施設の色で、さらにてくてくすすんでいくとクリーニング屋の店先でエプロンをつけた女性店員と、ちいさな犬を連れた老人とが顔見知りらしくはなしており、店員はしゃがんで犬を愛でつつときおり顔を老人のほうにあげながら、きょうは~~さんは? とか聞いていた。奥さんのことらしく、いま買い物に行ってる、ミッチー(と言っていた気がするのだが、たぶん犬のなまえだろうか)がいないうちに行ったほうがいい、と老人はこたえていた(あるいは奥さんが不在のうちに散歩に出てきたほうがいいということだったのか)。かれらの横を通り、そうして路地に曲がるとアパートの階段をのぼって部屋へ。
  • 便意が来ていたのでとりあえずトイレにはいってクソをした。それから財布と通帳を持ってまた扉を抜ける。トイレから出た時点で時間を確認するとほぼ二時だったので、四〇分くらいはあるいていたのではないか。意外とけっこうな道のりになる。ふたたび道に出ていくとクリーニング屋のまえにすでにふたりと一犬のすがたはなく、なかをみやればおなじ女性のはずだが店員がべつの女性客とカウンターをはさんではなしていた。風がながれ、道の向かいにちょっと生えている草木を揺らし、まえからは若いカップル、男性は黒っぽい服装で目に立つところもなく女性のほうは金髪の、なんとなくちかくの家を出てきたらしき雰囲気がただよっているからおそらく同居(あるいは結婚)しているのだろうというふたりが来てすれちがった。郵便局に行くと自動ドアをくぐり、無人のしずけさのなか閉まったシャッターのまえでATMを操作して金をおろした。出るとひかりのなかで通帳の記録をみて貯金の減りと見通しを確認する。
  • またみじかい道をたどって帰ってくると、廊下の洗濯機はもう数分で終わるところだった。部屋にはいり、服をジャージにきがえ、文を書くまえにゴロゴロやすもうかなとおもって布団をおろし、そのうえにあぐらをかいたところ、白いシーツのうえについているこまかなゴミをとっておくかという気になって、テープを取ってペタペタやり、窓際の床のうえとか手近のコットンラグの端とかもやっていると、机の下のほうも汚れているのが目にはいったので、立ち上がって椅子をどかしてしゃがみこんで、机のしたにあたまを突っこんだかたちでしばらくペタペタやっていた。そうして切りをつけると窓外から座布団をふたつ入れて寝床に置き、あおむけになって書見。きのう買ってきた吉田満戦艦大和ノ最期』(講談社学芸文庫)。きのうすでにちょっとだけ読んだが、きょうは14からいま41まで。おもしろい。こまかい感想はいま疲れたので省くけれど、わりと第一級のドキュメントの感がある。ゴロゴロして下半身をやわらげながら読んでいたのは三時四三分までで、起き上がるとそこからきょうのことを書き出し、とちゅうにたびたび背もたれに避難したり、手が冷えているなとおもって立ち上がって振ったりしつつ、ここまで書けばもう六時一五分でレースのカーテンのむこうがみえないくらいそとは暮れてはや宵である。ひさしぶりにこんなに一気に、しかもこまかく書いたのではないか。なんか食ったほうがよい。
  • わすれていたが一年前には詩篇八月の光」も完成させていた。読みかえしてみるとそんなにおもしろくはない、たいした詩ではないなという印象。うごきがなくて平板である。もっとも、「八月の光」というタイトルおよびテーマからおそらくこちらがイメージしたであろうような、ある種こおりついたような普遍的あかるさみたいなものを表象するには、そのうごきのなさはむしろふさわしいのかもしれないが。とはいえあんまり、という感じ。「しるべとしるしを欠いた生でも/まぶしさのなかに連帯を知ろう」という一節だけはちょっとよいとおもったが。あとはさいごをやはりいかにも終わらせにかかっているの感がつよくて、じぶんはそうしてしまいがちだ。じぶんにかぎらず、一般にこれを避けるのはかなりむずかしいことなのだとおもう。ところでこの作は、頌歌などとはとても言えないが、いちおう範疇としては讃歌のたぐいに属するものとみなしてよいのだろうけれど、古代でもロマン主義でもないこの時代に讃歌とかオードみたいなことを、滑稽にもならず格調をもってやろうとするのは至難のわざなのだろうとも漠然とおもう。感情性と宗教性にかわるなんらかの基盤が必要になるのではないか。あるいはいくばくかでもその内実を身に引き寄せることができなければとてもつとまらないのではとおもわれ、ただ感情性を歌い上げようとしても不可避的に空転して滑稽なものになってしまうのが、生まれたときから多かれ少なかれひねくれものとなることをさだめられているこの現代なのだろうし、それはべつに近代時点でも変わらなかったのかもしれないが、いずれにしても感情やものごとをうたいあげるになんらかの屈折やアイロニカルな解体による段階的経過のようなものが要請されざるをえないのだろうと。それが歴史と系譜というもので、歴史を知らないものはただただ空転をくりかえすほかはないとおもうのだけれど、ところが感情のおおきな空回りに巻きこまれてその周囲にあつまるものもけっこうたくさんいるというのが、良くも悪くもこの世の中のおもしろいところで、いっぽうではおもしろいがたほうでは危険だったり鬱陶しかったりする。
  • あと昼頃にSMSがとどいていて母親か? とみればいぜんもあった荷物宅配業者をよそおったスパムのメッセージで、このような姑息なことはやめてまっとうに生きるがよろしいとこころのなかで呼びかけながら即座に迷惑通報し、ブロックもした。中学校までの勉強を復習して学習塾で子どもたちをおしえるがいい。ばあいによっては復習しなくてもいける。おもしろいぞ!
  • 日記を書いて暮れ方をむかえたあとは二食目を取る段だが、そろそろ炊飯器をつかって米を炊くかとおもったのだけれど、いかんせんどこに置くかというのがさだめづらい。床のうえで炊くってのもなんかなあと。もともと冷蔵庫の脇に置いてあったわけだが、電子レンジが鎮座している靴箱のうえにうつすか? 換気扇もそこにあるし、とおもっていちどレンジのうえをかたづけて移動させたものの、そこにはコンセントがひとつしかない(厳密にはレンジの裏側にもあるがかくれていて挿せない)。となるとレンジと炊飯器を同時に挿しておくことができないわけで、やはり冷蔵庫の横かとまよいつつも、そちらにつかっていた電源タップを靴箱のほうに持ってくるかとやってみたのだけれど、タップがながいしどうにもおさまりがわるい。けっきょく、靴箱のうえは炊飯器とその他もともとレンジのうえに置いていた小間物、歯ブラシとコップとか、歯磨き粉とか食器用洗剤とかのばしょにして、レンジはいぜんそうしていたのだが冷蔵庫のうえにうつすことに。配置が決まってもレンジのうえがべたついていたので抗菌化スプレーとキッチンペーパーでそれを拭ったり、冷蔵庫のうえもやや汚れているのでおなじく拭いたりして時間がかかった。それでものの移動と整理を完了させたころには疲れてしまい、米を炊くのめんどくせえなという気分になってしまったのでけっきょく炊かず。温野菜とチーズ蒸しパンとバナナなんかを食った。
  • 食後はなんだかやる気が出ずとちゅうから寝床にうつってだらだらなまけてしまい、油断して気づくと一一時を越えており、そこから椅子にうつって書き抜きなんかをしたい、日記も書きたいとおもっていたところが、ここでもいつの間にか意識をてばなしていて、復活するともう一時をまわったころあい、翌日通話だからちょうどいいやとおもってはやめにねむることとして、布団に横たわって就眠に向かった。


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  • 日記読み: 2022/1/29, Sat.