2023/1/31, Tue.

  獣脂蠟燭

 毛むくじゃらの指をした僧侶たちが 本を開いた――九月。
 イアソンはいま 雪を 萌し始めた種に投げる。
 手たちでできた首輪を 森がお前に与えた、だからお前は 死んだまま 綱を渡る。
 ひとつのもっと暗い青を お前の髪が受ける、そしてぼくは 愛について語る。
 貝たちを ぼくは語る、そして軽やかな雲を、そして一叟のボートが 雨のなかで芽ぐむ。
 一頭の小さな雄馬が 本をめくる指を越えて 駆けていく―
 黒々と 門が跳ね開く、ぼくは歌う――
 どんな風にぼくたちはここで 生きていたのだろう?

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、25; 『罌粟と記憶』(一九五二))



  • 覚めてしばらく呼吸したり胸をさすったり。肩とか鎖骨のあたりもかるく揉んでおく。合蹠の姿勢になって股関節や太もものマッサージも。窓外にあまり声がないから、ずいぶんはやく覚めてしまったのではないか、もうすこしねむったほうがよいのではないかとおもったが、しばらくして時刻をみてみると九時過ぎだった。各所を揉んだりしたのはそのあとだったか。九時半をまわって起き上がり、カーテンをあけた記憶がある。きょうも快晴。もっとも午後三時半前現在だと曇り空になっており、いましがた洗濯物を入れた。首や肩をまわしたり背伸びしたりしてから立ち上がり、水を飲んでしばらく腕振り体操。それからまた布団のしたにもどるとChromebookで一年前の日記を読む。引いておくほどのことはなかった。この時期は(……)さんがだんだん体調がわるくなってきたころで急遽欠勤ということもおおくあり、職場をなんとかまわすためにいろいろできることはやってサービス残業もしばしばやっていた。その後けっきょく室長交替となり、(……)さんが来た。三月からだったか? 「読みかえし」ノートも読んで、一一時まえになって床からはなれた。腕振り運動をよくやっており血がめぐりやすくなっているので、寝転がってふくらはぎなど揉んでいてもやわらかくなりやすい。瞑想はサボった。洗濯は洗うものがたいしてなかったのだが、せっかく晴れているしきのうワイシャツも着たし……みたいな、たまらないうちにすくなくてもやってしまいたい欲があってやはり洗うことにし、着ていた寝間着もくわえて洗濯機を稼働。ドライ設定でやるようになったので、序盤の音は標準コースよりかなりしずかで低く、洞窟の奥でねむっている動物がいびきをかいているみたいな、みじかくひかえめにゴロゴロいうような調子で、水音もほとんど立たない。水切りケースからまな板包丁を出して洗濯機のうえに置き、温野菜のためにキャベツを切りはじめてもぜんぜんふるえないからやりやすいなとおもっていたが、じきに振動がはじまった。白菜がなくなったのでスチームケースにはキャベツのほか大根とシイタケも入れた。そして豆腐。電子レンジに突っこんで回転式のノブを六分か七分くらいに合わせ、いっぽうで鍋も最弱の火で加熱する。麺が汁気を吸って液体がすくなくなっていたのですこし水を足した。おのおのあたたまっていくあいだはまた腕を前後に振る。そうしてデスクについて食事へ。ウェブを見つつ食い、スチームケースと椀をながしにうつしておくと、ラップをランチョンマット上に引いてバナナをいっぽん食べ、皮はそのラップのうえに置いてすぐにつつんで冷凍庫へ。先日スーパーに行ったさいに入り口をはいって目のまえの果物コーナーでイチゴが売り出されてあって、そこにロッテのチョコパイのイチゴ風味のやつ九個入りも合わせてあったのにまんまと引っかかって買ってしまったのだが、デザートの甘味としてそれも食した。洗い物をすませると、飯を食ってもまだやや肌寒かったので電気ケトルで湯を沸かし、マグカップにそそぐとさきに歯磨きをする。そうしてちびちび飲みながらスワイショウ、つまりいまやっている腕振り体操の効能を解説するYouTubeの動画を閲覧した。静的ストレッチをやると筋肉がむしろかたまってしまいがちということを言っていて、やっぱりそうだよなとおもった。さいきんの体感では、ちからをあまり入れずにかるくうごかしたり揺らしたりするのがいちばんからだがやわらかくなる気がする。ただこれはある程度いじょう血行がよくなっていることが条件で、からだのベースがそういう方向になっていないと効果はそこまでかんじられない。つまり積年の凝りが溜まってかなりかたくなっていたりすると、かるいやりかたではすぐにほぐれないから楽になりきらない、物足りないという感じがあって、それでちからを入れて伸ばしてしまったりする。だがそうするとけっきょくそのときは改善されても反動でかたくなったりして、長期的にはあまり楽にはならないのだろう。時間はかかるがちからを抜いてからだをほぐすたぐいの運動を習慣化すると、だんだんとからだのベースがほぐれやすい状態になってくるというのがこちらの理解だ。そのためにスワイショウはかなりよいし、あとはまあ深呼吸と、手首を振るのもよかった。けっきょくたぶん肩の周辺がこごっているのが恒常的な緊張のおおきな原因のひとつだったはずで、腕と手を振るようになって肩まわりから背にかけてがやわらぐようになったのが体調改善におけるひとつの画期だったな。
  • (……)
  • 一時過ぎからギターを弾く気分になってしまい、部屋の隅のケースに寄ってとりだし、椅子にすわっててきとうにつまびいた。しばらくAブルースと似非インプロをやってそこそこ行けそうな気がしたので、ひさしぶりに録ってみることに。携帯をランチョンマットのうえに置き、ボイスレコーダーアプリの赤い丸にゆびをふれててきとうに開始。序盤はれいによってAブルースだが意外とうまく行かないというか、さきほどやったときよりのびのびならず、だんだん行き詰まってきた感があり、それで似非インプロにながれてしまう。インプロはなんかしずかにおさまったところとか、後半の一拍一音でやっていきじきに八分音符に増やしてつらねるところとかはそこそこうまくできた気がしたのだが、あとで聞いてみるとべつにという感じだった。さいごもAにもどったはいいが終わりへの向かい方がつかめず、これどこで終われるんだ? と弾きながら惑いつつもとまれず惰性でつづける時間がちょっとあり、けっきょくなしくずし的にEにうつって手癖的にしばらくやってなんかぐだぐだ終わるような感じになってしまった。二〇分。携帯にファイルを保存してからもまたちょっと弾いていた。切りをつけるとファイルをGoogleドライブに送り、ダウンロードしたのをnoteにアップロードし(https://note.com/diary20210704/n/nd52248eaf988(https://note.com/diary20210704/n/nd52248eaf988))、湯を浴びようとおもっていたのだがそのまえにちょっと聞いてみることにして、イヤフォンを耳につけて立ち、手首をふりながらきいてみたのだがイヤフォンで手をふるとうごきがつたわってしまうのだろう、聞こえるものがちょっとくぐもるような感じになって、ヘッドフォンのほうがほんとうはよい。ちょっとだけ聞いて湯に行くつもりがけっきょく二〇分ぜんぶ聞いてしまったが、まあふつうで、よくもなくわるくもなくという印象だった。
  • そうして湯浴み。浴槽のなかにすわりこんで底とか壁とかにゆびがふれるとかなり汚れており水垢が溜まってざらざらしたりちょっとぬるぬるしたりしているのがわかる。ほんとうは浴槽も掃除をしなければならない。いぜんにそれ用のスポンジを買ってあるのだが一向にやらない。便器のなかも同様。出てくるとバスタオルでからだとあたまを拭き、寒いのでさっさと服を身につけ、ドライヤーを収納部に置いてあるタオル保管用のケースから取り出し、机上の電源タップにつなぐと布団をたたみあげたあとの床に立って髪をかわかす。陽射しはうすれ、ただでさえ低くなって保育園の屋上線までまだわずかあるかなしかというぐあいなのに、いつのまにか雲が精力的に湧いており青空が駆逐されていた。それで洗濯物を取りこんで、きょうの記述にかかってここまで記すと四時一〇分。
  • いま二月三日金曜日の午後一一時三七分だが、この火曜日のことはもうわすれた。夜にスーパーに行ったのだけれど、その道中のこともちっともおぼえていない。


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  • 日記読み: 2022/1/31, Mon.
  • 「読みかえし2」: 1178 - 1186