海からの石
ぼくたちの世界の白い心、暴力はなく ぼくたちはそれを今日 黄ばんだとうもろこしの葉の時刻に失った――
丸い糸玉、そういう風に それは ぼくたちの手から軽々と転がった。
そういう風に ぼくたちには 紡ぐために 新しい赤い眠りの羊毛が 夢の砂の墓場の傍に残された――
もはや心ではない、けれどおそらく深みからきた石の頭髪が、
貝や波を想っているその額の乏しい飾りが。多分、あの街の門口で 一つの夜の意志がその石を空中に高めるだろう、
石の東の目は 石に ぼくたちが横たわる家のうえで 話してきかせるだろう、
口もとの海の黒さと 髪にさしたオランダからのチューリップについて。(end48)
かれらはその石に先立って槍をかかげていく、そういう風に ぼくたちは夢をかかげていった、そういう風に ぼくたちからぼくたちの
世界の白い心が転がり落ちたのだ。そういう風に 縮れた
紡ぎ糸が 石の頭のまわりに生まれたのだ――奇妙な羊毛、
心のかわりに 美しく。おお 来てそして消え去った鼓動! 終わりあるもののなかで ヴェールが翻る。
- 一年前より。
(……)母親がまた自転車をどうしようか迷っているというようなことを口にし、ほんとうは防犯登録をさきに解除しておくものらしいとか、なまえと住所が書かれたシールを剝がさないままにしてしまったが悪用されないだろうかとか漏らしていて、ふつうにかんがえて(……)さんのほうで廃棄処理するさいにそのあたり始末してくれるはずだし、悪用すると言っていったいだれがそれを見てどのようにつかうというのか、それを見る機会があるとしたら(……)さんか業者しかいないではないか、それになまえと住所がわかったとしてそこからどのように悪用されるのか、そういった具体的なことがぜんぜんわからない。母親ももちろん、わからないわけである。わからないけれど、なにか悪用されないかという、曖昧模糊とした、漠然とした不安があるのだ。そういうことも世の中にまったくないではないのだろうが、まあひとまずは心配ないことではないかとおもう。可能性がまったくないわけではないが、常識的にかんがえて母親の懸念はまずありそうもないことだということを説得しようとして、理屈をいろいろ言ってしまったのだが、これをしても無駄だということは過去の経験からわかっていたのだ。しかしそれをわすれていて、徒労をはたらいてしまった。この件は、じぶんの行動とか暮らしぶりが近所から見られている気がして嫌だ、ということとまったくおなじ問題だ。そのばあい見られているというのはたんに見られているだけでなく、否定的な評価をされているという意味をともなうものなのだけれど、じゃあいったい近所のひとびとのうちのだれがあなたのことをそういうふうにおもっているとおもうのか、と問うても、母親の口から具体的な個人名が出てくることはぜったいにない。たとえばとなりの(……)さんがそうおもっているのか、ときくと、そういうわけじゃないとおもうけど、というこたえが返る。だから母親のうちで「近所」というのはまさしくその「近所」という総体的な概念やイメージのままで実体として存在していて、それは「近所」を構成する個々の個人とはべつのもの、そことまったく関係しないわけではないが、性質的に切り離されたものとしてある。個々人の集団として「近所」が成り立っているというよりは、すこしべつの位相にあるものとして地位を得ているのではないか。いずれにしても具体的な中身を欠いたひじょうにおおまかな、空洞的な枠組みのレベルでなんらかの感情的反応が生じ、こころに固着しているというのが母親の心理におりおりみられるありかたである。したがって、かのじょのそういう精神傾向は陰謀論と相性が良いとも言えるのかもしれない。そういう具体的な検討がすこしもふくまれていない思考を母親から寄せられたときに、ありそうもないことを心配したりそれで他人に妙なうたがいをかけたりするさまにやや苛立って、それはおかしい、とつい説得しようとしてしまうのだが、これはこれでよくないことだなとおもった。合理性の欠如じたいに苛立ってしまうところがあり、理屈でもって反論して、筋道のとおったかんがえかたに説得しようとしてしまうのだが、それはそれでこちら側のエゴである。今回の、チャリをやっぱり引き取ろうかなという件も、一般に合理的とされている理屈に沿ってかんがえてさまざまな面から検討したさいに、どうせ乗らないとおもうしあんなボロいチャリをわざわざ返してもらうのだったらあたたかくなるまで待ってからそのときの気持ちに応じてあたらしい品を買ったほうがいい、という結論にいたるのだけれど、母親の思考をそういうこちら側の理屈にちかづけようとせず、つまり矯めようとはせず、筋道が通ってはいないようにみえるけれどそのままのかたちで放っておくほうがたぶん良いだろう。倫理的・政治的な価値とかかわりがない限りではそういう鷹揚さを取ったほうが良い。人間関係においてほんとうに倫理的・政治的価値とかかわりのないことがらなんてたぶんないのだが、ひらたく言って、今回の件では母親がチャリをとりもどしたところで、だれに不利益が生ずるわけでもない。じっさい乗らなかったとしても、ゴミがただひとつ増えるだけのはなしだ。その程度のことなので、だから逆に言えば、そんなことはわざわざこちらや父親にきかず(ちなみに父親にもこの件をはなしたら、やはり反対されたと言っていた)、じぶんの好きに決断してじぶんの好きに行動しろということなのだが。どうしたらいいとおもう? ではなくて、あの自転車がなんかまだつかいたい気がするから、やっぱり廃棄処分はやめてもらって引き取ることにした、でいいのだけれど。そのくらいの、じぶんの自由であるはずのことをわざわざ他人に相談しないと決定できないという点に、やはり日本的なというのか、なんであれ他者に諮って、その意見と一致していなければ行動できない、という共同体の論理を感じる気がする。だれかに同意してもらい、賛同してもらい、肩を押してもらわなければ行為できない。いままでずっとそういうふうに育ち、そういうふうに形成され、そういうふうに行動してきたのだろうな、と。「じぶんの好きにやる」ということが、性格や性分としてではなく、主体の性質としてできないようになってしまっているのだ。
- 以下のような言も。
歴史上、ひとりひとりの個人の権利や価値を優先するか、それとも集団や共同体の価値を優先するかという判断軸はおそらくずっとあって、その都度でどちらかにかたむいたり、あるいは制度や社会状況や思想においていろいろなあらわれかたをしてきたのだとおもう。それがまた大枠としては、右派と左派の区別でもあるだろう。いわゆる市民革命と人権思想の発展いらい前者の価値観がおおまかには優勢になり、個人の権利というものの価値がいちおうは前提とされ定着しながら現代にいたっているというのが標準的な歴史理解だが、それ以後でも全体主義があらわれた一時期はあり、それいぜんの歴史もながかったわけで、個人の自由や平等という人権的価値はまったくぜったいのものではないのだな、といまさらながらふとおもった。だからといってべつにそれいぜんの世界や社会がすべて全体一辺倒だったはずもないだろうが、ただ、たとえばいまも中国は国家的にウイグルのひとびとを収容所にぶちこんで拷問したりしており、実体的な関心を持てるかどうかはべつとしても、だいたいのひとはそれはマジでやばいよね、ということには同意するとおもうのだけれど、そういうことがとうぜんのこと、ふつうのこと、なにも問題のないこと、あるいはすくなくともしかたのないこととして認識されていた社会や時代もたぶんかつてはあったのだろうと(というか中国などではいま現在もまさにそうなのかもしれないが)。そして、かつてそういう状況があったということは、このさきで世界にまたそういうかんがえかたが行き渡ってきわめてふつうのこととなってもおかしくはないということ、そうなる可能性はなんの不思議もない、ごくごく尋常なものとしてありつづけるということだろう。
- Joe Satrianiの教則本に載っていたLennie Tristanoのメソッドおよびその後聞いた音源について。Tristanoもおもしろそう。似非インプロみたいなのはギターを弾くときにはだいたいいつもやっているが、さいきんは弾きながら声を出して音を追うということはやっていなかったので、こんどまたやってみよう。
- そういえばこのあいだ部屋を掃除したときに、もう捨てたか売ったかしたとおもっていたJoe Satrianiの教則本が出てきて、例のテンポ六〇で一音ずつ鳴らすというトレーニングを紹介しているぶぶんを写しておこうとおもいながらわすれていた(しかしじっさい読んでみると「8分音符を使って」とあったので、一拍一音ではなかった)。『ロック・ギター免許皆伝』(Guitar Secrets as featured in 41 private lessons)という薄いやつで、「ギター上達の41の極意!!」と謳われている。シンコー・ミュージックが九三年に出したもの。訳者は田村亜紀というひと。該当箇所は13ページ、「無調スキャット唱法」(March ‘88: ATONAL SCAT SINGING)という題のところ。以下がその全文。
「無調スキャット唱法」なんてタイトルを見た瞬間から、今月のレッスンはどうやら普段の”GUITAR SECRETS”とは違うらしいってことは君らも見当がついただろう。今回僕は、君たちのイマジネーションと心と楽器とをひとつに結ぶために、複雑怪奇な耳の持久力トレーニング用エクササイズを紹介したいと思う。このエクササイズは「クール・ジャズの父」レニー・トリスターノの好意によって我々に与えられるものである。彼はバップ全盛期に光り輝く、偉大なピアニスト兼コンポーザーである。彼は自分の教え子たちに、全てを覚えること、基本を大切にすること、そうして何より、自分のプレイしたいと思うものだけをプレイすることを説いた。僕はかつてレニー・トリスターノに教えを受けたことがある。そしてその経験は決して忘れることがないだろう。
エクササイズの時には、メトロノームは60に合わせること。8分音符を使って、フレットのどこでも、どんな所でもランダムにプレイしてみる。ダウンストロークを使うこと。これは最低でも約3分間は休まず続けなければいけない。プレイしている時は、それぞれの音がどんなサウンドをするか、予想するようにしてごらん。月並みなものやよくあるパターンで弾こうとしないこと。フリー・フォームで考え、かつプレイすることだ。形式なんてないんだよ。あるのは音だけだ。3分の壁を越えられたら、自分がプレイしている音を声に出して歌うようにしてみる。ひとくぎりの音であれば、どんな音でも好きに使って構わない。これをさらに数分、もしくはもうこれ以上は続けられないというところまで続けてやる。このエクササイズは変わっているけれど、とても美しい。僕はこれをやる度に、自分が音楽そのものにより近づけるような気がして、何とも言えない感動を覚えるのだ。
ありがとう、レニー・トリスターノ。
- このエクササイズじたいはなんとなくおぼえていたが、まさかそれがレニー・トリスターノのメソッドだったとはおもわなかった。この本を入手して読んだ時点では(たしか高校生のときにYahoo! オークションで買ったのではなかったかとおもうが)、レニー・トリスターノはここではじめて見る名前だったはず。トリスターノのレッスンを受けたことがあるなんて、Satrianiはやはりそのへんのただのハードロックのギタリストとはちがう。「形式なんてないんだよ。あるのは音だけだ」とか、「このエクササイズは変わっているけれど、とても美しい。僕はこれをやる度に、自分が音楽そのものにより近づけるような気がして、何とも言えない感動を覚えるのだ」ということばにもそれがあらわれているだろう。とはいえ、いまひさしぶりになにか聞こうかなとおもって『Super Colossal』をながしているけれど、こういうロックギターのインストをもうそんなにおもしろく聞くわけでもないが。ちなみにWikipediaをみるとこのアルバムの六曲目から九曲目ではSimon Phillipsが叩いている。
- そんなにおもしろくないので、Lennie Tristano Quintet『Live at Birdland 1949』に移したが、こちらはかなり良い。冒頭はスタンダードの”Remember”で(と書いたときにはHank Mobley(『Soul Station』)やJoshua Redman(『Spirit of the Moment: Live At The Village Vanguard』)がやっている”Remember”のつもりで書いていたのだが、よくよくかんがえればLennie Tristanoがここでやっているやつはあのメロディではなく、”I’ll Remember April”だ)、それがながれだした瞬間からしてなんか良く、やはりジャズだなとおもった。メンツはTristanoに、サックスWarne Marsh、ギターBilly Bauerでこのふたりまではなまえを知っているが、ベースのArnold FishkinとドラムのJeff Mortonは知らない。まあたしかにいわゆるクールジャズ的な色合いで、四九年といえばMiles Davisが『Birth of Cool』をやっていたのもそのくらいではなかったか。Tristanoのソロをきく感じ、四九年とはおもえないような音とかやりかたが混じっていて、影響関係があるのかわからないが、そういう色はのちのPaul Bleyにつながっているような印象。
- 『Live at Birdland 1949』の後半はソロピアノだったのだけれど、これがなかなかすごくて、四九年でジャズでこれやってんのやばいのでは? という感じだった。#6 “Glad Am I”の和音感覚はこの時期のジャズピアニストにはまずないものではないかという気がするし、#7 “This Is Called Love”はArt Tatumがすこしひかえめになって、そこになんかへんな音が混ざってる、というような印象。
- その後、Kammerorchester Baselの『Bologna 1666』というアルバムのワントラックがながれたが、これも良かったのでメモしておく。クラシックももっといろいろ聞きたい。
- Shaad D'Souza, “Pink Floyd lyricist calls Roger Waters an antisemite and ‘Putin apologist’”(2023/2/7, Tue.)(https://www.theguardian.com/music/2023/feb/07/pink-floyd-lyricist-calls-roger-waters-an-antisemite-and-putin-apologist(https://www.theguardian.com/music/2023/feb/07/pink-floyd-lyricist-calls-roger-waters-an-antisemite-and-putin-apologist))
- Guardian staff and agencies, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 350 of the invasion”(2023/2/8, Wed.; 00.23 GMT)(https://www.theguardian.com/world/2023/feb/08/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-350-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2023/feb/08/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-350-of-the-invasion))
Ukraine’s military claimed on Tuesday that the last 24 hours were the deadliest of the war for Russian troops. It increased its tally of Russian military dead by 1,030 overnight to 133,190, the biggest increase in daily Russian military deaths since the war began in February 2022. Russia has also said it killed large numbers of Ukrainian troops in recent weeks, claiming it inflicted 6,500 Ukrainian casualties in the month of January. These figures could not be independently verified, but the assertion that the fighting was the deadliest so far fits descriptions from both sides of an escalating campaign of close-contact trench warfare in Ukraine’s east.
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Germany, Denmark and the Netherlands have announced they plan to provide Ukraine with at least 100 refurbished Leopard 1 battle tanks. In a joint statement, their defence ministers said the shipment of the older Leopard 1 was part of an effort “to support Ukraine in their endeavour to withstand Russian aggression”. The delivery would occur “within the coming months” and include logistical support and training.
Germany’s defence ministry has said Leopard 2A6 battle tanks will be available to Ukraine by the end of March. The head of the German arms maker Rheinmetall has also said it expects to send 20 to 25 Leopard 1 tanks to Ukraine this year. Germany’s defence minister, Boris Pistorius, made a surprise visit to Kyiv on Tuesday.
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Ukraine has released extraordinary video footage that appears to show Russian fighters dragging their badly wounded commander away from the battlefield, then beating him violently with what appear to be shovels. A Ukrainian drone captured the incident near the eastern city of Bakhmut, where intense fighting has been raging for months.
Russia almost certainly lacks the munitions and units required for successful offensives, the UK Ministry of Defence has said. Its intelligence update stated it remained unlikely that Russia could build up the forces needed to substantially affect the outcome of the war in the coming weeks.
- Travis Elborough, “Buy a cat, stay up late, don't drink: top 10 writers’ tips on writing”(2018/1/3, Wed.)(https://www.theguardian.com/books/2018/jan/03/top-10-writers-tips-on-writing(https://www.theguardian.com/books/2018/jan/03/top-10-writers-tips-on-writing))
- Helen Davidson, “Surge in China’s military operations reflects ‘new normal’ under Xi Jinping”(2022/12/22, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/22/surge-china-military-operations-new-normal-xi-jinping(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/22/surge-china-military-operations-new-normal-xi-jinping))
A rush of Chinese military activity across the region this month has capped off a year of increased aggression, as President Xi Jinping displays China’s increased military might despite economic struggles and the impact of the zero-Covid policy and its sudden end.
This month the People’s Liberation Army – the Chinese Communist party’s military wing – has broadened its aerial incursions into Taiwan’s air defence identification zone (Adiz), come to blows with Indian troops in the Himalayas, run military drills near Japan and participated in major joint exercises with Russia.
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On Wednesday the PLA sent 39 warplanes and three naval vessels into Taiwan’s Adiz, with many on a path around the south-east corner of the island. Such a trajectory used to be rare but this year they and other escalated acts have become more common.
After the US House speaker, Nancy Pelosi, visited Taiwan in August, the PLA surrounded the main island with massive live-fire exercises, repeatedly crossing the median line, an unofficial maritime border between Taiwan and China. Such crossings have continued, significantly raising the bar of what is considered regular activity.
Last week a record number of 16 nuclear-capable H-6 bombers were among the PLA aircraft crossing into the Adiz.
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This week Chinese state media reported “unprecedented” Chinese naval exercises in the Philippine Sea, crossing the Osumi and Miyako straits between Taiwan and Japan. The flotilla contained a record number of destroyers, according to the Global Times, including the Liaoning aircraft carrier, which had not been spotted in any public exercises for months, even during the post-Pelosi drills.
It came just days after Japan announced a defence budget increase and new defence strategies in which China was labelled an unprecedented “strategic challenge”. Chinese state media characterised the mission as crossing “beyond the first island chain” to send a message amid “Japan’s recent militaristic moves”.
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The drills are a sign of China and Russia’s strengthening military ties. This year, Xi and Vladimir Putin announced a limitless friendship, weeks before Putin’s invasion of Ukraine. Xi has had to balance that friendship with global condemnation of the invasion, but the Chinese Communist party has largely been supportive of Russia – at times explicitly endorsing the invasion – and the two have grown closer militarily.
In November the two air forces flew joint patrols over the Sea of Japan and the East China Sea, with Russian bombers landing in China for the first time and Chinese bombers flying to an airbase in Russia. In September, China for the first time sent forces from three branches of the military to participate in joint exercises with Russian troops.
“Diplomatically, the exercises are a clear demonstration that China regards Russia as a security partner and will not be breaking relations because of the Ukraine invasion,” said Bill Hayton, the author of The South China Sea: The Struggle for Power in Asia.
“The Indian government may, however, be unhappy that its main strategic partner, Russia, is exercising with its adversary, China, at a time of confrontation.”
Last week it was revealed that Indian and Chinese troops had fought in disputed Himalayan border regions in the most serious confrontation since the Galwan Valley clash in June 2020, when dozens were killed in hand-to-hand combat.
Lewis [independent defence analyst, Ben Lewis] said the clash, which occurred around the line of actual control (LAC) in Arunachal Pradesh, shared similarities with the Taiwan Adiz flights in that they appeared to be attempting to raise the bar of normal activity.
“The PLA has diverted significant resources to develop military infrastructure and forces near the LAC,” he said. “They used this attack to change the status quo in the area while pretending that their high number of forces pulling back from the LAC was a de-escalation.”
- 覚醒はけっこうはやく、しかもめざめはかるく、すぐに身を起こして時刻をみると八時半ごろだった。しかしそのまま布団を抜けることはできず、臥位にもどって、鼻から息を吐いたり胸をさすったりしながらしばらく過ごす。窓外では保育園の門が開閉する音、ならびに扉のロックをはずす電子音がひっきりなしにつづいている。天気はいちおうの青空、といったところだが、のちにかけてだんだんと淡い雲が全面を覆うようになり、正午前くらいにはまだかろうじて青さが透けていたものの、午後二時現在は陽の気配もとおくてかんぜんな曇天にいたっている。八時五〇分ごろ起き上がって首を回し(カーテンをひらいたのはこのときだった)、立ち上がるとマグカップに水をそそいで飲み干して、そのまままた布団のしたに帰っていく。あおむけになったさいにあたまのうえ、枕のさきの壁と布団のすきま部分に置いてあるChromebookを手に取り、ひらいてウェブを閲覧したり、Notionにきょうの記事をつくって日記を読んだりする。きょうは比較的はやく、一〇時にいたらないうちに床を抜けた。座布団二枚を窓外に出して布団をたたんでおき、トイレに行って用を足すとともに顔を洗ったり、腕振り体操をしばらくやったり。一〇時すぎから瞑想した。なかなかよろしい。安住の感がある。はじめてまもなくは左の肘と肩甲骨がちょっと痛んで、やはりあきらかに対応しているなとみえたが、目を閉じてじっとするとそれまでそこになかったそういう刺激が顕著にあらわれてくるというのも不思議なものだ。瞑想や坐禅をやるにあたって、道元は坐禅を「安楽の法門」と言っているらしいのだけれど、しかしその「安楽」をおぼえることのできる心身とできない心身というのはあきらかにあるよなとおもった。よくもわるくも、そのときのじぶんの心身の状態が明確に浮き彫りになってくるのが瞑想的な静止なのだ。いまはもうそういうことはないが、パニック障害全盛のころに瞑想をやったさいには、不安がかえって増幅されて発作じみてくるのでやむなく止める、ということもよくあった。それはそれでその不安のうごきを観察し対象化することでかんぜんに飲みこまれなくなるという耐久力をやしなうのに寄与したともいえるのだが。心理面は措き、またもっとひらたくさいきんの感触にかんしていえば、腰をよくマッサージするようになってからのほうがあきらかに瞑想をしていても楽でここちがよい。だからからだがこごっていたり、なにかしら歪みがあったりすると、むしろその苦しさのほうが前面に出てきてしまって、ただじっと座っているというのがなかなかむずかしかったり、そうできてもあまりよい感覚がおとずれてこないということは往々にしてあるだろう。もちろん瞑想じたいがそういうからだの凝りや歪みをたしょう是正してくれるという効果もあるだろうが。座っているあいだ窓外では子どもたちが、たぶん園庭であそんでいるらしく、ふたりいる女性の保育士が、まてまてまてまてぇ~、とか、逃げろ逃げろー! とか、ちょっとおどかすふりをするような、子どもたちにとっては滑稽にうつってキャーキャー歓声を呼ぶような、そんな言い方で声を発して追いかけっこをしているようだった。
- 一〇時半ごろまで座り、そこから食事の用意。水切りケースがそろそろ汚くなってきているので洗いたいがまだやらず、プラスチックゴミをスリッパの底でつぶして袋に始末し、まな板や包丁やスチームケースを出してまた温野菜をこしらえにかかる。キャベツ、白菜、豆腐。レンジをまわしているあいだはまな板包丁を洗ってしまい、腕振り体操をして待つ。そのほか納豆ご飯とバナナ。きのうの夜にサランラップが切れてしまい、バナナの皮をつつむものがないので、ひとまずそのままで冷凍庫に入れておいた。きょうの帰りに買ってきたい。食事中はウェブをちょっと見回ったり、Guardianの記事を読んだり。うえのRoger Watersにかんしての記事を読んでいちばん感想としておもったのは、イスラエルが国家として(国家的な政策や制度として)パレスチナのひとびとを抑圧している、ということをいうだけでも、反ユダヤ主義のレッテルを貼られてしまうのだなということだ。Roger Watersの発言にも、”the Israelis are committing genocide”とか、巨大な用語なのでそこは慎重にならなくてはならないだろうという部分もあり、また過去にもくりかえしイスラエルとナチスドイツを比較する発言をしてantisemitismだと非難されてきたともあるから、もっとへんなことも言っているのかもしれないが、この記事を読むかぎりではRoger Watersのイスラエルにかんすることばにそんなに危ういところはないというのがこちらの判断だ。たとえば、“the Israelis are committing genocide. Just like Great Britain did during our colonial period … We believed ourselves to be inherently superior to the indigenous people, just as the Israelis do in Palestine.”とあるけれど、一文目はさきほどふれたとおりとして、二文目いこうはわりとそうなのではとおもう。また、イスラエル国家とナチスドイツとの比較、というか、ここでいうcomparisonはたんにニュートラルな比較ではなく、そのふたつを同列化し、イスラエルがやっていることはナチスドイツと規模でも質の面でももちろんおなじではないとはいえ、すくなくとも類似した部分があるという認識をしめす、というあたりが実質的内容だとおもうのだけれど、その点はやはりかなり慎重にならなければならない。とはいえ、Rabbi Shmuley Boteachの、〈Waters had “no decency, you have no heart, you have no soul” for comparing “Jews to monsters who murdered them”〉という非難にたいするWatersの、〈acknowledged that “the Holocaust was brutal and disgusting beyond our imagination,” but that he “deplore[s] the policies of the Israeli government in the occupied territories and Gaza,”〉という返答には問題があるようにはみえない。イスラエルがパレスチナのひとびとに国家的におこなっていることはdeplorableな所業いがいのなにものでもないとおもうからだ。文脈から推すに、たぶんこの前段階で、イスラエルがやっているのはホロコーストと同じだくらいの発言があったのではないか? それでWatersの返答にもほんらいそのニュアンスが染み込んでいるのではないかとおもうが、切り取られたこの意見表明だけ読むかぎりではこちらもこの言に同意する。そこでおもったのはうえにも記したとおり、イスラエル国家の政策を批判することがそのまま即座にantisemitismといわれてしまうという短絡状況がやはり存在しているのだということで、antisemitismというのもかなりひろい範囲の内容をふくむことばである。そしてなによりもそれは、ほぼどんな文脈下でもナチスドイツと結びつけられる含意をもっている。だからおまえはantisemitismだという非難は、おまえはナチスだと言っているのとおなじことになってしまうというか、まさしくそのような主張として発せられることが往々にしてあるのではないかと推測するのだけれど、そんなわけがないのだ。antisemitismとナチスはおなじものではない。ナチスドイツという国家体制が集団的に制度的におこなったantisemiteな行為と、個々人の心性としてのantisemitismもレベルとしておなじものではない。antisemitismというのが、人種としてのユダヤ人を対象としたものなのか、宗教としてのユダヤ教を対象としたものなのか、もっとべつのなんらかのユダヤ性を対象としたものなのか、それらすべてをまとめた総合的な「ユダヤ」を対象とするものなのかも判然としないし、それは発言者や行為者におうじてその都度ことなっているだろう。ところが、antisemitismというレッテルが貼られた瞬間に、そういったもろもろの要素が一緒くたにされてしまい、なおかつナチスドイツと特権的にむすびつけられてしまう。だからイスラエル国家の政策に異を唱えるということ、つまりあくまで政治的主体としての国家の行動が(「人権」とか「公正」のようないちおう世俗的な原理にしたがって)問題にされているところで、人種・民族・宗教などの要素をはらんだantisemitismということばが汎用的なカウンターとして用いられ、対向者は即座にナチス認定されてしまいかねない。それはまさしくイスラエルという国家がもっぱらユダヤ人の国家とされているということからして順当な事態でもあるのだが。つまりイスラエルでは国家と世俗的政治、人種・民族、ならびに宗教、これらの領域がかなり密に絡まり合って、総体のなかに溶け合って存在しているということなのだろう。だからイスラエル国家のやったことを批判するのは、「ユダヤ人」一般、すべての「ユダヤ人」にたいする批判(攻撃)であるということになってしまい、したがってそれは「反ユダヤ主義」だということになる。
- Lowry Pressly, “Being Known”(2014/11/14)(https://thepointmag.com/criticism/known/(https://thepointmag.com/criticism/known/))
- 瞑想のさいちゅうにbye bye, loveとうたう声がメロディとともに想起されて、これだれの歌だったかなと気になった。hello, sweet lonelinessともいっていたとおもうのだけれど、曲名はまさしく”Bye Bye Love”だったはずとおもってのちほど検索してみたところ、The Everly Brothers。そうか、とおもった。なまえは聞いたことがある。たしかThe BeatlesだかPaul McCartneyだかが影響受けたバンドではなかったっけ。しかし音源は聞いたことがないはずで、検索結果をもうすこしみるとSimon & Garfunkelのなまえが出てきたので、ああこれだわとなった。『Bridge Over Troubled Water』、アルバムタイトルもこれでいいんだっけ? あのいちばんゆうめいな作品のなかにはいっていたはず。
- この日は労働。といっても授業ではなく、五時半から面談の同席だった。いつもの電車で行くと五時半を過ぎてしまうので、一本か二本はやいのに間に合うように行った。往路の前半はわすれたが、施設裏の道をとおって(……)通りまで来ると、たまにはちがうルートから行くかとおもい、交差点をわたらず右に折れてしばらく北上、駅にいちばん近い通りにつながる交差点で西に渡った。北東の角に高いホテルが建っている場所である。おもいだしたが、雨降りの道だったのだ。アパートを出た直後からぱらぱらと来はじめて、しかしもどるのも面倒くさかったので盛るか止むか運否天賦と払ってそのまますすんだところ、降りはしだいに増してきて、モッズコートが跡をつけるくらいになってきたのだが、とはいえ本格に降るまでは行かず、髪の毛も濡れはするけれどびしょびしょになるほどではなくて、しんなりと湿る程度にとどまったので助かった。それでも駅のそば、(……)のまえまで来たあたりではけっこう盛っていて、若い女性ふたりが駅ビル側面からいそいでなかにはいって逃れたくらいだったし、こちらもそうすればよかったのだが習慣からはずれることをおそれる神経症者の枷か、ふつうに濡れながらビルのまえをとおりすぎ、駅舎につづく階段まで行ってそこからのぼった。電車内はそこそこの混み。先頭の角をいつも狙うがこの日は先客がいて隅っこは取れず、扉前にはいる。しかも先頭車両の端でもけっこうひとがいて、密度が高く、まわりとの距離がちかく、そうなるとまだすこし緊張する。ちいさくかすかなものでこれなら問題ないなというくらいとはいえ喉に圧迫をおぼえ、目を閉じて耳をふさいでいても、なんとなく居心地が悪い、息苦しいような、からだが圧されているような感覚があった。呼吸のしかたにもそれがあらわれていた。つまり、しぜんにしていてもときどきからだがおのずからおおきく吸おうとするのだ。しかしだんだんとひとが減ってくれば問題はない。ところが(……)と(……)のあいだだったか、(……)と(……)のあいだだったか、電車が急停車して、しばらく停止した車内の密室に閉じこめられる時間があった。つうじょうよりもはるかに長時間、逃げ場がないままで耐えなければならないわけで、とうぜん苦手であり、パニック障害全盛のときにはこういうときに発作にちかくなってもいた。今回はどうかというとさいしょのうちはたいしたこともなかったのだが、車内放送を聞くために音楽を止めて耳を解放したあと、閉じこめられて待っているあいだにだんだん緊張してきて、カフェインを摂ったときのようにからだがそわそわするぐあいで、いちどしまった携帯とイヤフォンをとりだしてまた音楽をながしてまぎらわせようとしたのだった。電車が停まったのは異常音かなにかを検出したということで、乗務員が車両をたどって安全確認をするあいだ、一五分くらいは停まっていたようだ。そわそわしながらも大事にはいたらず、ヤクをブーストすることもないままどうにかなったが、職場に着くころにもたしょう身の上ずりがのこっていた。
- そういえば電車が停まっていて面談の時間に間に合わないかもしれないということを、停止中に(……)さんに連絡しようとはおもったのだが、どれくらい停まるかもわからなかったし(とはいえアナウンスではそこそこ長く停まるような口ぶりで、それを受けてこちらの脇の座席に座っていた女性はさっそく電話をかけていたし、ほかにも同様の行動を取ったひとはいたはずだ)、なにより緊張でどうも電話をかける気にならなかったのだ。停止車両内のしずけさのなかでまわりに声を聞かれるという気後れもあった。それなのでとりあえず様子見の姿勢で過ごし、運転再開すると無事なんとか間に合う時刻には着くなとわかったのだが、ふだんギリギリの時刻には行かないからむしろあちらから電話が来てしまうかもしれないとおもい、走っているあいだに連絡をしておいた。緊張がまだのこっていたので声やことばがすこしぎこちなくなった。走行中の車内で聞こえにくいとおもってイヤフォンをつけたまま電話したのだが、そのやりかたに慣れていないので、電話を耳もとに寄せる必要はないのにそういう構えを取ってしまった。
- そうして職場着、勤務。(……)
- (……)
- 面談同席だけだったので勤務は一時間程度ではやばやと終わり、帰宅へ。帰路に雨は降っておらず、スーパーに寄った。前日にも寄ったが、ラップが切れていたので買わねばならなかったのだ。米もあるしなんか肉の惣菜をおかずに貪りたいとおもい、いつもそれにしてしまうが三元豚のヒレカツも購入してしまった。あと冷凍の唐揚げやあご出汁なども。ワイドハイターもほぼ尽きていたので詰替え用を買っておいた。帰宅したあとのことは忘却。
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- 日記読み: 2022/2/8, Tue.