2023/2/19, Sun.

  (さあ 眠れ)

 さあ 眠れ、そしてぼくの眼は開いたままだろう。
 雨が瓶を満たした、ぼくたちはそれを空けた。
 夜がひとつの心をその心が一本の茎を 伸ばすだろう―
 けれどそれを刈りとるには遅すぎる、草刈り女よ。

 こんなに雪のように白い、夜風よ、お前の髪は!
 白い、ぼくに残っているものは、そして白い、ぼくが失うものが!
 彼女は時刻を数える、そしてぼくは年を数える。
 ぼくたちは雨を飲んだ。雨をぼくたちは飲んだ。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、92; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「逆光」)




  • 一年前の日記から。ニュース。ロシアのウクライナ侵攻まで秒読み。

(……)新聞からはウクライナ情勢をみる。一面には昨夜の夕刊と同様、米側がしめした書面での回答にたいするロシアの返答がつたえられており、NATO不拡大などの要求に米国が満足におうじなければ、「軍事技術的な措置」をとらざるをえない、と表明しているらしい。テレビのニュースでもちょうどおなじ件がつたえられ、そこではバイデンがホワイトハウスで演説し、この一週間か数日以内にロシアがウクライナに侵攻する可能性がおおいにある、首都キエフを目標にしているとおもわれる、と述べていた。そして記者の、侵攻が確実だと判断する材料はなにかあるのかという質問にたいし、プーチン大統領がすでに決断をくだしたことはたしかだと確信している、とバイデンは返答していた。たぶん米国のスパイなどがロシアにもはいっているのだろうし、諜報機関からえている情報がいろいろあるのだろう。とはいえ外交的な解決がまだできないわけではないともバイデンは言い、またブリンケン国務長官も、ロシアの回答を受けて外相による協議をロシア側に申し入れ、ラブロフは来週の後半に開催することを提案した。ふつうにかんがえればすくなくともその協議がおこなわれてなんらかの結果が出るまで侵攻はないはずなのだが、そう断言もできないだろう。ブリンケンはまた国連安全保障理事会の会合でもバイデンと同様の趣旨を述べ、ロシア側がとうぜん反発するのにたいし、情報は正確であると強調し、もしまちがっていれば批判はよろこんで受け入れると語ったと。それは二〇〇三年にコリン・パウエルが(かれじしんは戦争に反対していたというが)、その後見つからなかった大量破壊兵器の存在をしめす情報機関の誤った情報を発表し、それにもとづいて米国がイラク戦争に突き進んだ件を踏まえているのだろう、とのこと。

     *

(……)その後、部屋に持ってきていた一六日の新聞を読む。リトアニア外相のインタビューや、アフガニスタンから米国に避難した米政府への協力者のその後についてや、タイの連立与党内部で内紛が起こっているというはなしや、前首相の菅義偉が存在感をつよめているとか、立憲民主党共産党を除外した野党定期協議の場をもうけようとしつつ批判を受けて失敗し、国会対策が迷走しているとか、そういったもろもろの記事。リトアニアは台湾との窓口である代表処の開設をみとめるとともに「台湾」という呼称の使用もゆるしたということで(だいたいの国は中国に配慮して都市名の「台北」をもちいるという)、とうぜん中国から反発を受け、報復として貿易制限をされているらしい。リトアニア産の牛肉や牛乳、ビールなどが中国市場に届かなくなったと。ランズベルギス外相は、欧州のロシアへのエネルギー依存もあわせて、権威主義国家である中露への経済依存から脱却していくべきだと主張し、民主主義国家での連携や、日本やオーストラリアなどインド太平洋地域の国との関係強化をとなえたと。タイではプラユット・チャンオーチャーが首相としてもう八年をつとめ、連立与党内部に不満がつのっているという。現与党は「国民国家の力党」といって、軍事クーデターのあと軍部主導の政権をささえるために元軍人らがつくった政党が最大勢力で、第二党の「タイの誇り党」やその他とあわせて下院五〇〇議席のうち連立与党で二六七をもっている。野党のほうは最大なのが「タイ貢献党」という政党でこれは議席数としては第一党で一三一を占め(国民国家の力党は九七議席)、野党全体は二〇七議席(あわせて定数五〇〇に満たないが、現時点での議員数は四七四らしい)。「タイの誇り党」はいままでずっとチャンオーチャーにしたがってきたのだが、さいきんこの党の閣僚七人が閣議をボイコットするという事件があったり、また昨年九月の不信任決議案をめぐって副農業相が暗躍していたりと、チャンオーチャーの求心力が低下してきているという。タイではクーデター以後、若い世代を中心に、民主派や反軍派のような批判勢力が抗議をつづけてきたわけだが、しかし弾圧を受けてかれらのうごきは鈍く、与党の動揺という好機を活かせていないらしい。

  • 風景や往路。

ものを食べ終えて新聞も閉じると、すこしのあいだ椅子にとどまったまま窓のそとをながめた。空には浅瀬のように雲がうすくながれてあいまにのぞく水色も弱められており、宙にひかりの色味はあきらかでないがかんぜんな曇りに落ちこんでいるわけでもなく、茫洋とそこはかとないあかるみが、ながれるのではなくぜんたいにうっすらまぶされて、大気を底からささえるように馴染みひそんでいる。川沿いの樹々のうちのひとところが緩慢な馬の尻毛のように、風にくねってたわんでいた。

     *

その後歯磨きや身支度をすませて五時三五分ごろに出発。西方面は雲がまだのこっており厚くはなくかたちもなさないがさらさらとしたシートのありようで空に混ざり、陽の色のなごりもみえず、ただ東は混ぜものからのがれて青さがひろく露出していた。坂をのぼって駅へ。余裕があり、ついても数分あまっていたのでベンチにこしかけて待つ。よわい雨がはじまっていた。家を出て直後から顔にふれるかすかな感触に気づいていたが、それがよわいながらすこし増さって、ホームの屋根のしたにはいるとパラパラパチパチとうすい音響膜をつくるくらいにはなっていた。西空の青さをながめたり濡れつつある街灯柱のつやをみたり、目を閉じて車のおとをきいたりしながらしばらく待って、来た電車に乗り、移動した。

  • 第一次の起床は一〇時。それいぜん、七時台にもいちど覚めたが起きられず、息を吐いたりしながらまどろんでその時刻。臥位の姿勢からカーテンの端にもれるあかるみを見るに、九時一〇時くらいでこの色だときょうはかんぜんな晴天というわけではなさそうだなとはかった。あけてみればあたりで、空は水色ではあるものの青さは薄く、ぜんたいに雲混じりの希薄さがひろがっている。それでも昼過ぎには陽のつやがレースのカーテンにみられる時間もあったが、いま午後四時前だと水色が駆逐されて白々としているようだ。カーテンと雲によってかすまされたその向こうで、なんとなく極北地域をおもわせるような西陽のすがたが、暖色をひかえめにはなちながら保育園の屋上の線にかかっている。いちど立ち上がったあと水は飲んだが、きょうは腕振り体操をまだやらず、布団のしたにもどってChromebookをからだのうえに乗せるとウェブをみたり日記を読んだりした。「読みかえし2」も。離床は一一時半前くらい。ごろごろしているあいだ鼻から息を出しつつふくらはぎを揉んだり腰をもぞもぞやったりしていたので、そうするとからだはやはりかなりあたたまる。覚醒後に息を吐く日とそうでない日があるのだが、起きてすぐに深呼吸まで行かなくとも呼吸を意識して吐いておくと、からだもぜんたいてきにほぐれるし、その後の日中もしぜんと息の幅が深めになっていたりして、ストレッチなんかもしやすくなる。だからまいにち目覚めたら意識して呼吸したほうが良いのだろうが、わすれてしまったり、なぜかそうする気にならなかったりする日がたびたびある。
  • 瞑想はサボって、腕振り体操をやったり、背伸びして左右にかたむいたり腰をまえに突き出してちょっと左右にうごかしたりと身をやわらげて、食事の支度へ。ヨーグルトや豆腐の容器をスリッパを履いた足で踏み潰して始末。温野菜をこしらえる。キャベツに白菜にウインナーに豆腐。電子レンジでまわしているあいだはきょうは腕を振るのではなくて椅子についてゆっくり呼吸していた。そうしているあいだに、また離床後すぐにも詩片をおもいついていたのでNotionの記事下部に書き足しておく。食事中も序盤はそちらにかかずらっていた。ほぼおもいついた文言をそのままならべているだけで、てきとうにやりすぎている感もあるが、詩というものをほかにどう書けばよいのか知らない。言いたいこと伝えたいことや、つくりたい意味や世界観、イメージなどもとりたててないし……。ほんとうはもっと象徴や対応の関係などをかんがえこんで構築するものなのだとおもうが。その後ウェブをみつつ食事をすすめて、スチームケースを空にするとながしにはこんでおき、冷凍の竜田揚げを三粒椀に出してレンジで加熱。そのあいだにスチームケースは洗って水切りケースにおさめてしまい、鶏肉があたたまるともうひとつの椀に米をよそってともに食す。食後は二時くらいまでウェブをみて怠け、そのあと寝床に。きょうは半端な天気だったので洗濯をしなかった。ヴェルナー・ヘルツォーク/藤川芳朗訳『氷上旅日記 ミュンヘン―パリを歩いて』(白水社、二〇二二年/新装版)を読みすすめる。106まで。感想というか特徴もしくは主題の整理はあたまのなかでしているが、それは措いておき、いずれ書けたら。三時くらいまで読んだのち、湯を浴びることに。髭がうっとうしいのでまずはそれをあたる。ダウンジャケットとジャージのうえを脱いで上半身を黒い肌着のかっこうにして、浴室にはいると顔を洗うとともに髪の毛もすこし濡らしてかきあげる。シェービングフォームを顎や口のまわりや方々に塗りこむと剃刀をちょっとゆすいでから剃りにかかる。このときじぶんの手や剃刀をきちんと拭いて水気を取っておかないと、剃っているあいだ縦向きになった腕を水滴がつたってきてわずらわしい。終えると剃刀をゆすぎ、顔は洗わずにシャワーから湯を出させておいて、室を出ると服を脱いで(あたらしい肌着などは椅子のうえにすでに用意してあった)タオルを持って湯浴みへ。湯がすこし溜まるまで待ち、浴槽内に入りこむと顔を洗ってそのままからだへ。体温があがっているので裸でも寒くなく、湯を浴びても刺激がつよくない。
  • 出て水を飲むときょうのことを記述。ここまでで四時一七分。ちょっと眠い。日記をぜんぜん書けていないのでどうにかしたい。とりあえず一三日のことをたしょう記して、そのあと二食目を取ろうかとおもう。
  • きのう帰ってきたあとLINEをみると(……)くんから、『BLUE GIANT』の映画を観に行かないかと誘いがはいっており、いいよ、いつにする? と気軽にこたえておいたのだけれど、きょう見たら候補日があげられてあったので、じゃあ三月四日の土曜日にしようと返しておいた。『BLUE GIANT』という漫画を読んだことはないがジャズをあつかった作品だということは知っており、その映画がやられているというのも、ちょうど数日前に電車のなかの中吊り広告でみかけて認知していた(その広告に記されていた、正確なところをわすれたが、「全力でやれ。そうすれば伝わるものがある」みたいな文言には、なんやねんそれとちょっとおもい、ややいけすかない感じをおぼえたが。全力神話とでも呼ぶべきか、みんなそういうのほんとうに好きだよなと。要するにマッチョイズムが。マッチョイズムとヒロイズムが。こちらももちろん、いっぽうでいけすかないとおもいながらも同時に、それにふれればときには楽しんでしまったり、ときには感動したりもしてしまう感性の持ち主ではあるけれど。しかしヒロイズムにはつねに最大限の警戒をはたらかせなければならない)。しかしそれはともかく、ジャズをとりあげた作品ということで劇中の音楽はたぶん楽しめるだろうし、いま公式サイトをみてみれば上原ひろみが音楽を担当、登場人物の演奏もやるようで、そのほか馬場智章(サックス)と石若駿のなまえがあがっている。石若駿マジでここ五年くらいで押しも押されぬ引っ張りだこの、やたらいろんな方面でなまえをみかけるミュージシャンになったなとおもう。『坂道のアポロン』のドラムもたしかやっていたはずだし。あれはいつだったかおぼえていないのだけれど、いまは亡き鈴木勲のOMA SOUNDでやっているのを吉祥寺のSOMETIMEでいちどだけみたことがある。そのほか渡辺翔太のトリオで飯田橋でやっていたのもみたから生でみたのは二回か。ジャズのライブって、というかジャズにかぎらないがライブイベントのたぐいってたいして行ったことがなく、ジャズをみたのもSOMETIMEに数回行ったくらいで、もっとそういうところに気軽にひょいひょい行くようなフットワークの軽さを身につけたいところだが。金はないが。もうすこし体調が万全になってこないとすこしむずかしいかな。
  • 一三日のことは書き終えた。それで六時前くらいになっており、疲れたのでふたたび寝床に全力で逃走してしばらく休み、それから二食目。温野菜と納豆ご飯とバナナにヨーグルトと、一食目とほぼ変わらない。食後は洗い物を済ませ、米がなくなったので炊飯器の釜は水に漬けたままにしておき、椀もそこに入れて、納豆のパックも水を溜めておいたが、それらもさきほどかたづけた。歯を磨き、一三日から一五日まで記事をブログおよびnoteに投稿。一六日からはまだ書けていない。しかし手帳にいくらかの情報はメモしてある。一七日とうじつの記事にもふれるとおもうが、二日前の金曜日に、むかしやっていたように電車内で手帳にメモを取ってみようかなとおもい、じっさいそうしてみたのだった。むかしやっていたときはとうぜん書くべきこと(つまりできるかぎりすべて)をわすれないうちになるべく記憶とことばにとどめておき、あとでパソコンで日記を綴るときのたすけにしようという目的でやっていて、いまももちろんそういう目論見があるのだけれど、それとはちょっとべつのところで、とにかくなんでもメモを取るような習慣をやってみたらどうかなというあたまもないではない。メモされたそれが最終的に日記に書かれるかどうかとははなれて(だいたいは書かれるとおもうのだが)、とりあえず気になったこと、記憶にのこったこと、念頭に浮かんできたことをメモするだけはメモすると。手帳を日記との関係に拘束しきらず、いぜんよりは独立性の高いものとして取り扱う習慣を。メモ習慣をつくればいちにちのはしばしで記憶を振り返ってさぐる時間が生まれることになり、それだけでもたしょうはものごとをおぼえていやすくなるかもしれない。じっさいにメモ書きされればその対象は、もちろんよりいっそうのこりやすくなるだろう。また、手書きでメモを取るときにあたまのなかに浮かんでくることばのありようは、こうしてパソコンで文章を書いたり、その他あたまのなかにめぐったりするときのことばのありようとはとうぜんながらぜんぜんちがうから、そういう「文体」(かんぜんな文はむしろすくないが)になるというだけでもすこしおもしろく、それがまた思考のほうにも影響をあたえるかもしれないという期待もないではない。ありていに言って、断片を拾うようなあたまになるかもしれないと。そしてその断片が日記の文章に乗らないとしても、手帳へのメモなら拾えるわけだ。パソコンでやるのではなく、あえて手書きでメモするというのがたぶん重要な要素になるだろう。ささやかな、どうでもいいような記憶とかおもいつきとかをさっとメモするというのもよいだろう。早撃ちのように? なんかバルトが『小説の準備』のなかで作家のメモ書き(そしてそこからどうやって作品へと発展していくか)について考察しているところでそんな比喩をつかっていたような気がしないでもないのだが、たぶんこれは誤記憶だとおもう。ちなみにたしかバルトは、手帳にメモしたアイディアをまたべつのノートにうつしていたのではなかったっけ。そうすると絶対にわすれないのだけれど、じぶんのばあい、メモされなかったことがらは絶対にわすれてしまう、と言っていたような気がする。しかしこれも誤記憶かもしれない。ちなみに作家のメモ書き行為の例としてシャトーブリアンがとりあげられていたはずで、たしかかれについての記述だったとおもうのだが、パーティーのとちゅうで場をはなれてメモをしに行くふるまいにたいして、「まるで頻尿症のようだ」というコメントがつけられていたのもいまおもいだした。とこう書いてくると該当箇所をたしかめたくなるので、Evernoteをひらいて同書の記事をのぞいてみたが、以下の部分が典拠だ。「早撃ちのように」という比喩は、「これらすべてが意味しているもの : 瞬時に手帖を取り出してしかるべきページを開くひとつながりの動作のイメージ、そしていつでも書く用意ができている書き手 : まるでギャングが拳銃を取り出すように[﹅18]」から来たものだったのだろう。

1) メモ書きの日常的な実践
まずは簡単な話題から : 日常的な実践の問題である :
a) 「道具をそろえること[﹅9]」。なぜこれが問題なのか? メモ書き=ノタチオ[﹅4](行為としての)であるからだ、そしてノタチオ[﹅4]であるのは、現在の削り屑[﹅3]があなたの観察に、意識に飛び込んでくる[﹅7]がままに、これをとらえてやらなければならないからだ : 1) 削り屑[﹅3]? その通り : 私の個人的・内面的なスクープ[﹅4](スクープ[﹅4] scoop とは本来、スコップ、柄杓、スコップですくい上げる行為、全部さらうこと、投網であり、したがって〔ジャーナリズムで言う〕先駆け報道である) → 私にとって感覚に訴え、人生からじかに「全部さらい」たいと思う(ほんのささやかな)消息。2) 突然性 : cf. 悟り[﹅2]、カイロス[﹅4]〔絶好の機会〕、好機、一種の「ルポルタージュ」、大きな現実からではなく、私のささやかな個人的現実からじかに得られるもの : ノタチオ[﹅4]の欲動は予見不可能である。3) ノタチオ[﹅4]はしたがって、戸外[﹅2]活動である : 行なわれるのは私のテーブルにおいてではなく、街路で、カフェで、友人たちと、等々なのだ。
「手帖」 → 私はもうずいぶん古くから実践している : ノトゥラ[﹅4] notura 〔ちょっとしたメモ〕とノタ[﹅2] nota 〔ちゃんとした記録〕。頭に浮かんだ「アイデア」(どんな(end156)アイデアかはさしあたり措くとして)を思い出させてくれるような単語をとりあえずメモしておき(ノトゥラ[﹅4])、翌日自宅でそれをカードに書き写す(ノタ[﹅2]) → メモすべき現象 : 私は、たとえまったく省略した形であってもいいから何か符牒(ノトゥラ[﹅4])を残しておかないと、そのアイデアを忘れてしまう ; その代わりノタ[﹅2]にしておけば、アイデアの全体を、さらにはその形式(文)までもはっきり思い出すことができる → かなり眩暈がするような感覚だ : ある「アイデア」は、ほんの短い時間しか覚えていられなかったとしたら、それ以上の重要性を、必然性[﹅3]をもたないということになるのだろうか? それがいかなる結果ももたらすことなく無に帰することもありうるのだろうか? まさにこれこそが、エクリチュールの(少なくとも私のエクリチュールの!)贅沢さ[﹅3]の定義なのである。
ノタチオ[﹅4]のこうしたミクロ技法の些細さ[﹅3]を検閲したいとは思わない : 手帖、分厚くないもの(→ ポケットに入る? 現代の服装では上着を着なくなっている≠フロベールの手帖、横長で、黒いきれいなモールスキンの表紙 ; プルーストの手帖。夏は〔上着を着ないので〕メモは少なくなる!) → 万年筆 : ボールペン(すぐに書ける : キャップを外さなくていい) : 本当の(重みが乗った、筋肉を使った)エクリチュールではないが、別にかまわない。なぜなら、ノトゥラ[﹅4]はまだエクリチュールではないのだから(≠ノタ[﹅2]、あらためて書き写されたもの) → これらすべてが意味しているもの : 瞬時に手帖を取り出してしかるべきページを開くひとつながりの動作のイメージ、そしていつでも書く用意ができている書き手 : まるでギャングが拳銃を取り出すように[﹅18](cf. ペンカメラ[﹅5] : しかし大事なのは見せることではなく、文[﹅]を胚芽の状態で存在させることである ; cf. 後述箇所)
b) 時間の自由[﹅5]。どんな目的のためであれ、また(書物からではなく)人生からじかに――あるいは人生という書物、たとえば小説、エッセーなどからじかにメモをとるにせよ、ただメモする快楽だけのためにメモをとるにせよ、以下の(end157)ことをよく理解すべきである : ノタチオ[﹅4]の実践が達成され[﹅4]、これで満足だ、大いに享楽した、「十分に使った」という実感をもたらすためには、ひとつの条件が必要だ : 時間があること、たくさん時間があることである。
逆説的なこと : メモは時間をとらない、どこでもとれるし、いつでもとれると思われるかもしれない ; それは散歩、時間待ち、集まりなど、何か別の主たる活動に重ねて行なわれ、これを補うだけのことだと。ところが実際にやってみるとわかることだが、「アイデア」が浮かぶには自由な時間がなければならない。むずかしいことだ : というのも、絶えず手帖を取り出すためにわざわざ散歩してはいけないのであって(→ 不毛なこと)、腐植土のように時間の自由の重み[﹅2]が必要だからである。まさに浮遊する注意[﹅6]の典型だ : 注意に意識を向け[﹅5]ないこと、しかしながらあまり脇のことに激しく熱中もしないこと → その究極の形は、少しばかり空っぽな(自ら進んで空っぽにした)カフェテラス生活である → ある意味で、年金生活者の活動とも言える(フロベールゴンクール、ジッド) : たとえば、講義の準備をすること=ノタチオ[﹅4]の逆。
この逆説の論理 : ノタチオ[﹅4]に専念するような人は、結局ほかのあらゆるエクリチュールへの熱中を拒否するにいたるであろう(たとえその人がノタチオ[﹅4]を作品の準備と考えていたとしても) : 脇に逸れるがままにはならないこと[﹅16] → Nihil nisi propositum(*6)。
c) 私は時々、以下のことを確認する : しばらくのあいだメモをとらずに、手帖を取り出さずにいると、私は欲求不満に陥り、味気ない気持になる → ノタ(end158)チオ[﹅4]に戻る : 麻薬、避難所、心の安寧としての。ノタチオ[﹅4] : それは母性[﹅2]のようなものだ → 私は母親のもとに戻るようにしてノタチオ[﹅4]に戻って行く ; これはおそらく、ある種の教養(教育)の様態に従属した心理的構造である : 安心できる場所としての内面性[﹅3] ; cf. 内面性の「プロテスタント」的伝統とノタチオ[﹅4]の実践 : 自伝的日記(ジッド、アミエル)。歴史的断絶 : 北方ヨーロッパ(中世末期)、新しき信仰[﹅5] Devotio moderna の信奉者たち : ウィンデスハイムの共同生活修道士や修道参事会員たち → 教養ある俗人たち(実業中産階級) : 集団での典礼的礼拝の代わりに、個人的瞑想、神との直接的接触を置き換えること → 個人的読書の誕生 → ノタチオ[﹅4] : 媒介者(司祭あるいは慈善団体)の不在 : 思考する主体の、言葉を発する主体への直接的連結。
d) ここまで私はノタチオ[﹅4]について、それがありのまま[﹅5]の把捉であるかのように語ってきた。見られたもの、観察されたものと、書かれたものとの、瞬間的な一致であるかのように → しかし実際は、ノタチオ[﹅4]が事後的[﹅3]になされることがきわめて多い : ノタ[﹅2]は、その価値を証明するための一種の潜伏期を経た後で、それでもなお心ならずも戻ってくるもの、執拗に持続するものなのだ → 記憶が保存しなければならないもの、それは事物ではなく、事物の回帰である。というのも、この回帰はすでに何か形のようなもの――文のようなものをもっているのだから(cf. 後述箇所) → ノタ[﹅2]は「後知恵」という現象に少しばかり近い : 場違いなひらめき、遅ればせのひらめき。
e) ノタチオ[﹅4]については、持続性をためすための一次試験がある : 手帖からカードへ、ノトゥラ[﹅4]からノタ[﹅2]へ移行する時点だ → 書き写すという行為は、十分な強さのないものを評価しない : 書き写すだけの筋力が湧いてこないのだ、筋肉というのはそうするだけの価値があるかどうかを自問させるものであるから(end159) → おそらく、(複合的で完全な行為としての)エクリチュール[﹅7]は、筆写[﹅2](ノタ[﹅2])の時点で生まれるものだろう : エクリチュールと筆写[コピー]との、謎めいた関係 ; 価値の贈与としての筆写 : 「自分のために」書くことはできるが(新しき信仰[﹅5])、書き写すのはすでに誰かのためであり、外部とのコミュニケーションを、社会への参入を目指してのことである(そこから『ブヴァールとペキュシェ』の逆説的なインパクトが出てくる : 彼らはついに、自分のために[﹅6]筆写するようになるのだ ; 閉じられた環 : エクリチュールにたいする、最終的な嘲弄)。
 (ロラン・バルト石井洋二郎訳『ロラン・バルト講義集成3 コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度と1979-1980年度 小説の準備』筑摩書房、二〇〇六年、156~160; 「結論」; 「移行」; 1) メモ書きの日常的な実践)

 *6 エクリチュールの作業から注意を逸らす数々の要請について手短に脱線した後で、ロラン・バルトはこのラテン語の銘句を自分の便箋に印刷したいと思ったと語っている。この言葉は「何もない、人から勧められるもの以外には」という意味であるように思われるが、実際には「何もない、私が自分自身でやってみようと思ったこと以外には」という意味なのだと、彼はコメントしている。

  • もうひとつ、ざっとみてみておもしろかったところを。

e) こうしたすべてのことにもかかわらず、文をひとつの人工物[﹅3] artefact とみなすことは可能である(cf. 後述箇所、最後の問題)。
メモ書きに戻ろう → ラテン作家たちは三つの連続する動作を行なった : 1) ノターレ[﹅4](メモをとる)。2) フォルマーレ[﹅6](書いておく――最初に浮かんだことだけでもいいし、非常に詳細なプランだけでもいい)。3) ディクターレ[﹅6](常に人前で読まれるためのテクストを書く) → メモ書き[﹅4](私が思い浮かべるような)においては、ノターレ[﹅4]とフォルマーレ[﹅6]の圧縮がある : ノタチオ[﹅4]の唯一の確実な点は、(よく練った)文を構想する(想像する、思い描く、作り出す)ことだ。(ディクターレ[﹅6] : 訂正文となったもの : タイプ書きへの移行という形で客観化すること)。
手帖[﹅2]の概念(たとえば、仮想の作家の手帖)の意味するところはただ、重要なのは必ずしも目ではなく(私はペンカメラの例を出したが、この喩えは誤っている)、ペンなのだということである : ペン - 紙(手) → 手帖=観察 - 文 : ちょっとした手の動きから、見られかつ文にされたもの[﹅12]として生まれるもの。
ここにひとつの「哲学的」問題がそっくり見られる : 人間主体はただ「話す」ものとして、ことばを話せるもの[﹅9]として定義される : ということはつまり、それは話すことしかできないということ、いつも話してばかりいるということだ ; 生きること、それは話すことである(外的にであれ、内的にであれ)。無意識の水準では、生と言語を対立させてみても意味がない : われ話す、ゆえにわれあり(何者かが話す、ゆえにわれあり) → しかしさまざまなタイプの人間から成る集合の中には、教育によって、感性によって(社会階級によっても)、文の領域[﹅4]である文学の刻印[﹅2]を受け取っている人々がある → この水準で見れば、最も能動的で、最も自発的で、最も真摯で、さらに言えば最も野蛮な意味にお(end171)いて生きること、それは私たちに先立って存在するさまざまな文の生の―ー私たちの内にあって私たちを作っている絶対文の―ー諸形式[﹅3]を受け取ることである → 区別すること : 書物のように話すこと≠書物として、テクストとして生きること。
したがって、文学的あるいはテクスト的想像界[﹅15]とでも呼べるものを研究してみる余地があるだろう(しかもこれは広大な分野になるだろう、「良い」文学にはいっさい限定されないのだから) : 「想像力」(冒険する子供たちのようにお話を作り出すこと――あるいはファミリー・ロマンスのテーマ)が問題なのではなく、文[﹅]を媒介として自我[モワ]のイメージを形成することが問題なのだ → ファンタスムと文の関係 : たとえばエロティックな(あるいはポルノグラフィー的な)テクストの問題、エロティックなファンタスムの(ファンタスム化された実践の)文[﹅] : サドと文、従属節。
→ 最も危うい、最も取り返しのつかない意味において、その生が(文学的な)文によって形成され、造形された[﹅9](遠隔操作された)登場人物の原型は、ボヴァリー夫人である ; 彼女の好みも嫌悪も文から来ているし(修道院での読書とこれに続く箇所を見よ)、彼女は文によって死んだ(この場面全体がフラゼオロジーの場面であると言えるだろう――弁論術でいう意味〔美辞麗句を駆使した雄弁〕ではなく、むしろ辞書の見出しの最後にある、よくできた文のちょっとしたコーパスという意味において)。
私たちは――全員とは言わないが――多くがボヴァリー夫人である : 文がファンタスムのように(そしてしばしば人を惑わせる幻影のように)私たちを導いて行く。――たとえば、私はヴァカンスのタイプをひとつの文に従って決める[﹅3]ことができる : 「二週間、モロッコの浜辺で、魚とトマトと果物を食べながら静かに過ごす」。これは地中海クラブそのものだ、まさしく[﹅4]文学的である食事の計画(エピクロス主義)を別にすれば。幻影として、文はそれ以外のすべてを廃棄し、否認する : 天気、退屈、小屋のわびしさ、夜の人けのなさ、人々の(end172)俗っぽさ、等々を。それでも私は切符を買うだろう → こんなふうに言ってもいい : 文の生産者として、作家は誤りの名人なのだと ; しかし作家は免疫ができている ; 幻影を自覚している ; インスピレーションを受けて[﹅13]はいても、幻覚にとらわれて[﹅8]はいない ; 作家は現実と想像を混同せず、読者が代わりにそれをする ; プルーストヴェニスや聖堂に関するラスキンの文によって「幻覚にとらわれた」かもしれない ; だが、彼はこの幻覚を言述[﹅2]した : ラスキンはただ彼にインスピレーションを与えただけである → とはいえ同時に、幻影からじかに[﹅7]、文学的な文は導入的な役割を果たしもする : それは導き、教えるのだ、まずは欲望を(欲望とは学ばれるものである : 書物がなければ欲望もない)、次いでニュアンス[﹅5]を。
私が文――絶対文、文学の貯蔵庫――について計画しているこの一件資料は、その未来の問題を提起しないかぎり完全にはならないところだし、実際ならないであろう。というのも、文とはおそらく永遠ではないからだ。すでに風化の徴候は見られる : a) 話し言葉の中で : 構文の喪失、言葉の埋没、重複、従属節の位置のずれ → 話し言葉のフランス語を記述しようと思ったら、おそらく新しい工夫が必要だろう ; b) 書かれた文章の中で : 「詩的」テクスト、前衛的テクスト、等々 : 措定命題の(中心化された意識の)破壊、言語の「法則」の破壊 → 絶対文の芸術家にして形而上学者であるフロベールは、自分の芸術が滅ぶべきものであることを知っていた : 「私は<……>現在の読者のために書いているのではありません。言語が生きつづけるかぎりこれから現れるであろうあらゆる読者のために書いているのです」。私はこの言葉が好きだ、謙虚であ(end173)り(「これから現れるであろう読者」)、悲観的とまではいかないが現実的であるから : 言語は永遠ではないだろう、そして言語はフロベールにとって、文体ではなく(一般にはそう思われているが、じつはフロベールは美しい文体の理論家ではない)、文なのだ → フロベールの「未来」が脅かされているのは、彼が描く内容の歴史的性格、時代遅れの性格のせいではなく、彼が自分の運命を(そして文学の運命を)文に結びつけたことによるのである。
文の未来 : そう、これは社会の問題なのだ――ただしどんな未来学も扱っていないが。
 (ロラン・バルト石井洋二郎訳『ロラン・バルト講義集成3 コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度と1979-1980年度 小説の準備』筑摩書房、二〇〇六年、170~174; 「結論」; 「移行」; 3) 文の形をした生; 1979/3/10)

 偏執
唯一の欲望[﹅5]としての<書く欲望> : 夜の「殴り書き」を自分の唯一の欲望[﹅2]と考え(end232)ていたカフカ ; フロベールは「書きたいという抑えがたい気分」について語っている(1847年、26歳)。ここでは<文学的絶対>を提起したロマン主義以降の文学から、書く欲望の過剰な諸特徴を――あるいはこの欲望が過剰なものとしてしか存在しないようにさせる=すなわち作家をラ・ブリュイエールの言うひとつの肖像にしてしまえるような諸特徴を、抜き出してみるべきところだろう。――シャトーブリアンはある会話の中で、(ロンドンの)ド・マルセリュスに向かってある文をふと口にしてから、それが「すばらしい」ものであることに気付いている : 「シャトーブリアン氏は、ロンドンで私たちが差し向かいで交わした文学談義のなかでこの文を口にすると、言葉を中断してそれを書きに行った」 : まるで頻尿症の発作だ! こんな気紛れは私にもあって、友人と一緒のとき、いっさいの礼儀をないがしろにして(ただし相手との友情のおかげで、つまらない礼儀や社交上のくだらない超自我を気にしなくて済むときにしかそんなことはしないが)、手帖を取り出して強い印象を受けたことや気がついたことを文にしてさっと書き留めておくことがある → <書く欲望>の中にはしたがって、偏執的な[﹅4]側面がある。(end233)
作家(さしあたり書く欲望をもっている者と定義しておく)というのは、見ていて[﹅4]面白おかしい人物だ : 「いつも欲望に駆り立てられている」 ; 偏執的欲望にはどこか滑稽なところがある(ただし、笑っている連中にはわからないけれども、一段階上のレベルでは滑稽さにもどこか偉大なところがあるものだ、それが排除・孤独である限りにおいて)。フリードリッヒ・シュレーゲル(『断章』) : 「聖なる天命の導くままに、唇に微笑を浮かべながら作家であることの滑稽さを克服しさえすれば、もはやこまごまとした滑稽さなど存在せず、私はそんなものはまったく気にしなくなる」。
 (232~234; Ⅰ. 書く欲望; 「書く欲望」; 「偏執」; 1979/12/1)

  • ここまで記すと一〇時前。
  • 日記とはべつの(それ未満・未然の?)、もうひとつの、文の、ことばの、思考の、記憶や記録の、生の形成の場として手帳という領域をつくり、活用したいということだろう。
  • 二食目の納豆はひきわり納豆を食った。子どものころ、ひきわり納豆にやたらはまって、ふつうの納豆ではなくもっぱらそれしか食べようとしなかった一時期があった。なぜあんなに好きだったのかわからないが、こまかな粒のある種ジャリジャリとしたような食感が好みだったのかもしれない。たいして兄は、ひきわり納豆はなにがあっても食おうとしなかったらしい。とうじの兄の態度をおぼえているわけではないが、数年前に、おれはひきわりを納豆とはみとめていなかったし、にんげんの食べるものだともおもっていなかったくらいのことを言っていたおぼえがある。豆の完全性にこだわる非分割原理主義のやからだったのだろう。果たしていまはひきわりを納豆としてみとめているのかさだかでないが、兄もそれから歳を取ってもう四〇にちかいころあいだし、鷹揚なおとなの態度を身につけておそらく原理主義者はやめているのではないか(子どもというものは得てして原理主義的なこだわりをもつことでみずからの存在を証明しようとするものである)。


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  • 日記読み: 2022/2/19, Sat.
  • 「読みかえし2」: 1240 - 1243