2023/3/30, Thu.

 「歴史的資料は何を保存しているか。リエージュ占領の際に踏みつぶされたスミレたちの運命でも、ルーヴェン焼き討ちの際の牛たちの苦しみでも、ベオグラードの雲の形でもない」と、テオドア・レッシングは第一次世界大戦中に成立した著作『無意味なものへの意味付与としての歴史』の中で書いている。そこで彼は、理性的に進歩するものとして歴史を叙述するすべての試みが、形のないものに後付けで形を与えたにすぎないことを暴いている。初めと終わり、台頭と没落、開花と衰微という語りの原則に従った物語にすぎないと。
 どの生物が一定期間存続するかは、偶然と適応が複雑に絡まり合った相互作用により決定されることを進化の法則は示してきたにもかかわらず、啓蒙主義的な進歩信仰がほとんど無敗のまま命脈を保ちつづけているのは、立身出世的な歴史年表が単純な魅力を持つことと、それが西洋文化の直線的な文字の形に相応することによるのかもしれない――こうした状況を前に、信仰が意味を失った後ですらなお、人はあまりに易々と所与の現実を望ましい意味深いものと見なす誤った自然主義的推論に傾きがちである。不断の進歩という単純だが非常に説得力のある筋書きにおいて、過去の唯一の利用価値は新しい物よりも劣っていることと、歴史を――個人の歴史であろうと、国家や人類の歴史であろうと――必然的な、いずれにせよ偶然ではあり得ない進歩の歴史として思い描くことにある。しかしながら疑う余地なく、年代順に並べる方法、収蔵品が新たに加わるたびに連続した番号をふる方法は、どの保管員も知っての通り、その救いがたい首尾一貫性ゆえに、あらゆる組織体の原理の中でもっとも独創性を欠いている。秩序はただの見せかけにすぎないからである。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、20; 「緒言」)



瞑想するまえにまた書見したのだった。トーマス・マンの『魔の山』の下巻で、いとこたちがナフタの家を訪問したところに同宿人であるセテムブリーニもやってきて、また高邁な思想的な議論がはげしくかわされるのだが、ナフタはどうもイエズス会士らしく、原罪いぜんの神と直接につうじていた人間の原初的状態への回帰をとなえるというか、このさきで世界が神の国にいたるというのはそういうことでそれこそが人類の救済であり、その至上目的においてこそ科学も国家も意味をもつのであって(というかんがえかたはセテムブリーニからは「主意説」と批判される)、そこからはなれた純粋無垢な真実などは存在しない、世界は善悪、肉体と精神、精神と権力、自我と神などの相克をのりこえて国家も階級も存在しない原始的ユートピアにひとしい神の国をつくりださねばならない、そのためにはそれらの葛藤を止揚するためのテロリズムが必要である、そして現今の資本主義による金権的な世界、ほんらい「普遍的な神的組織」(121)であるはずの時間というものを悪用した利子のとりたてや経済的利益の追求などは端的な堕落なのであり、キリスト教は農民や職人など生産物をうみだして糧をえるものたちをつねに尊んできた、現代の社会主義共産主義の信奉者たちはこの点でわれわれと一致しており、無産者階級のつとめは恐怖政治を経由して神の国を実現することにあるのだ、というあたりがかれのかんがえのだいたいのところで、かんぜんにやばいやつなのだが、上巻のカバー裏にかかれてあった「独裁によって神の国を樹立しようとする虚無主義者ナフタ」というのはこういうことかとよくわかった。「虚無主義者」についてはどのあたりがそうなのか、まだよくわからないが。ハンス・カストルプはいろいろな知見やかんがえかたにふれながらどれにもかんぜんに染まらないで留保をたもちつつ、興味をひかれるぶぶんをつまみ食いするような「実験」的態度、セテムブリーニのいわゆる「試験採用(placet experiri)」の姿勢をナフタにたいしてもはたらかせており、じぶんのかんがえと一致する点を断片的に称賛したりしている。かれの教育者を自任するセテムブリーニは、ナフタの思想はみずからの立場をいまだ確固とさだめてもっていない青年に悪影響をあたえかねないとおそれて、その交際をこのましくおもわず、気をつけるようにと忠告している。

  • 往路。なんてことだ、すばらしいといわざるをえない。よく書いている。「うつむき顔にまとうた髪のごとく枝垂れた枝にまだ花をともさず赤みをためるにとどまったものもあり」の一節がいちばんよくかんじる。

風が林に厚くながれてこずえのつらなりから切れ目なく持続するざわめきを吐きださせていた。公団脇の公園の桜は嵩を増し、集合した花びらの織りなすかたちが明確になってきている。まだ散り時がはじまっているともみえないのだが、端のほうにはつつましやかな葉っぱの若緑がのぞくところもあった。坂をのぼっていき、最寄り駅の敷地にはいって階段通路に踏み入りながら付属の広場のほうをみやれば、花開いた桜もあるのだがもういっぽん、うつむき顔にまとうた髪のごとく枝垂れた枝にまだ花をともさず赤みをためるにとどまったものもあり、そちらのほうが白さを知った開花樹よりも赤のいろみがつよく塗られて、それでいて誇らずひかえめなので粋なようだった。ホームさきに行って線路をまえに立てばきょうも丘のきわの一軒の脇で木叢が風にかたむかされて、段上てまえにはみえないが畑がひろがっているはずでいまそこを男性がひとりいきつつ袋をたずさえているようなのは、たぶん土や肥料を撒くかなにかしていたのだろう。野球の実況のような、スポーツの試合をつたえる調子とひびく音声が、内容はききとれないうすさで線路むこうのどこかからただよっていた。微風が前髪をながし肌をなでるなかにウグイスらしき鳥の音をきく。

  • いま三時直前。ここまでのながれがあまりにもいつもどおりすぎて書くことがたいしてないのだが。離床は九時と一〇時過ぎ。午前のあいだは白曇りだったがきのうの天気予報ではきょうのほうが気温が高くあきらかに晴れるということで、寝床でふたたびみてみても午後からは晴れになっている。そのわりにそとが白いのでほんとうに晴れるのかとおもっていたが、じっさい正午前くらいから気配がみえはじめたので洗濯もやり、その後たしかに空が青くなり、雲もあってときおりかげるものの陽射しがレースのカーテンに吊るしたものや棒の影をうつしだす昼下がりとなっている。しかし、最高気温も二〇度とあったのだけれど、室内にいてなぜか肌寒く感じがちで、ジャージのうえにダウンジャケットを羽織ってしまう。食事なんかはいつもどおりなのでよいとして、そういえば朝方はやくにいちど覚めたさい、ゆめをみた。同居していた母方の祖父が出てくるもので、じいさんの顔なんぞひどくひさしぶりにおもいだしたが(実家の仏壇に祖母のものとあわせてちいさな写真がかざってあるのでたまに瞥見してはいるが)、実家のななめ向かいにある林縁の土地のところに祖父がいて、じぶんは行ってくるよとかはなしかけていた。そのさいの祖父の顔が生気のない、憔悴したような、死にそうなもので、ゆめのなかのじぶんも、死にそうな顔をしている、あれじゃもうながくないなとおもったはず。べつの場面として高校に向かってあるいているときがあり(ただし道は知らないもの)、高校生の身分にもどっていたのかそれとも意識はおとなのままだったのか判然としないが、日時は卒業か学期終わりか節目らしく、それまでサボっていたのだけれどこの日はさすがに行かなければならないみたいな感じだった。(……)に電話をしてそのへんのことを聞いたおぼえがある。
  • 覚醒後は鼻から深呼吸をしばらくして、離床したあともストレッチしながら息を吐いたり瞑想時にもそうして、すると背中は比較的すっと立ってこうして椅子にすわっていても楽ではある。書見は『イリアス』下巻のつづき。いよいよさいごの二四歌にはいった。二三歌の後半はパトロクロスの葬送としてアキレウスの呼びかけにおうじてアカイア勢の勇士たちが戦車競争とか相撲(「角力」と表記されている)とか槍や弓での競い合いとかさまざまな競技をおこなうのだが、註にもあるようにここのさいごのほうの叙述はとちゅうでやる気なくしたのか? という感じの、それまでとくらべると雑で簡易なものになっていて、後世の挿入ではないかといわれているらしい。二四歌にはいるとあいかわらずアキレウスパトロクロスをうしなったかなしみと怒りから解放されずヘクトルの死体をひきずりまわして傷つけているのだが、さすがに神々もそれを見とがめて、ゼウスがテティスアキレウスの母である海のニンフ)につたえてヘクトルを侮辱するのをやめさせようというところまで。352からはじめていま383。
  • 二食目はブロッコリー入りの温野菜とレトルトカレーとバナナ。『イリアス』はその後417まで行き、つまり本編は読み終え、あとは「伝ヘロドトス作 ホメロス伝」がのこるのみ。さいごの二四歌はゼウスに命じられた神ヘルメイアスのたすけにより、老王プリアモスはだれにもみとがめられることなくアカイア勢の陣中に、さらにはアキレウスの陣屋にはいりこむことができ、莫大な身の代とひきかえに息子ヘクトルの遺体をかえしてくれるようかれに嘆願し、聞き入れられる。食事を供され、ゆたかな寝床も用意されてねむっているあいだにふたたびヘルメイアスがプリアモスをみちびきだしてヘクトルの遺体は聖都イリオスへと帰還し、盛大に葬儀がおこなわれた、というところで終了。だからトロイア戦争じたいは終わっておらず、ヘクトルを悼む一一日のあいだはたたかいを起こさないようアキレウスプリアモスに約束したけれど、その後戦争は再開されたはずで、明確な終幕感はない。ゆうめいな「トロイの木馬」のはなしも『イリアス』中には出てこず、というのもあれはたしかイリオス城にしのびこんでついに陥とすというときの作戦だった気がするし、訳注によれば『イリアス』の後日談にあたり、どうも『オデュッセイア』でそのへんにたしょうふれた箇所があるらしい。だから『イリアス』の範囲ではイリオスじたいはまだ落ちていないし、アキレウスも死ぬことが予言されているがまだ死んでいない。そもそもホメロスいがいにトロイア戦争をかたった作品ってなにがあんのかと、「トロイの木馬」の原典はなんなのかといまWikipediaをみてみたが、「この伝説の主な典拠はウェルギリウスの『アエネーイス』である。またホメロスの『オデュッセイア』でも言及されている」とあったのでウェルギリウスだったのか。アエネーイス、すなわちアイネイアスはたしかに『イリアス』中にもトロイエ方の英雄のひとりとして出てきており、ちなみにかれの家系はプリアモスの家系とは折り合いがわるかったらしい。巻末の家系図によればトロイア王家の祖はゼウスの子どもダルダノスであり、そこから二代した、プリアモスからさかのぼって三代目にトロスというものがおり、これがイロス、アッサラコス、ガニュメデスという三人の子(それいがいもいるのかもしれないが)を生んでいて、ガニメデはよく知らないが神話に出てきてゆうめいななまえだったはずで、星座にもなっていなかったか。そのうちアッサラコスのあとがカピュス、アンキセスとつづき、そのアンキセスがアプロディテと交わって生まれたのがアイネイアスらしい。『イリアス』の冒頭では話者=詩人がムーサらに物語を語りたまえ歌いたまえと呼びかける前置きがあるのだけれど、二四歌のさいごにとくにそういった意匠はなく、まあ神話なので完成はないということなのだろう。膨大なる神話的時空が後世もふくめた多数の詩人らの著作によって部分的に拡張されたり掘り下げられたり異伝があったりというのは、現代の二次創作文化とある種似ているような気がしないでもない。さいご遺体としてもどってきたヘクトルは妻アンドロマケや母ヘカベ、そしてギリシアから連れ去られてパリスの妻となったヘレネから悲哀と悼みのことばをかけられるのだが、そのなかでヘレネは、よそものとして悪意にさらされるじぶんにもヘクトルはいつもやさしく、意地の悪いことばをかけられたことはなかった、というようなことを言っており、プリアモスにとってもヘクトルがもっとも可愛い、誇らしい息子で、たいして生き残った息子らには、「お前たちが、ヘクトルの身代りとなってみな一緒に船の辺りで死ねばよかった」とか、「あとには恥かしい屑ばかりが残った」(391)とそうとうな言いようをしている。ヘクトルはまたトロイエのひとびとにとってはにんげんの身でありながらほとんど神のような存在だったということもたびたび言われており、なんかアカイア側の英雄たちよりもかれのほうが英雄的に描かれているような気もしないでもない。たちばとしても侵略者から城都をまもりぬこうと奮戦するほうなわけで、イリオスの女子供たちをまもって勇敢にたたかったということもなんどか言及されている。たいしてアカイア方は総大将アガメムノンは冒頭からして傲慢な言動をみせてアキレウスを激怒させ、その後ながくかれが戦闘に出ない理由をつくってしまうし、そのアキレウスも怒りすぎでしょという、いくらなんでも引っ込みすぎでしょという感じで、アカイアの兵らがばたばた死んでいっているにもかかわらずかたくなをまもってなかなか戦場に出ようとしない。オデュッセウスは機略縦横と称されるがそのとおりでずる賢い感じもないではないし、両アイアスはけっこう粗暴、ディオメデスはバランスの取れた冷静な戦士かもしれないが、かれはたしか第五歌あたりでアテネにまで斬りかかろうとしていたはずで、勇猛さが蛮勇じみて行き過ぎな感もある。そもそもたぶん『イリアス』の価値観において英雄を英雄たらしめる徳性の条件はなによりもまず勇敢さとちからの強大さのはずで、仲間同士の友情からくる親愛とか気遣いとか礼節とかはあるにしても、他人にもしくは女性に優しく接するということがそんなに高い価値としてはみとめられていないのではないか。そもそも侍女が高価な釜よりもはるかに安い値と評価されながら競技の景品になったりしている世界なわけだし。だから町のひとびとから慕われ、ゼウスからも可愛がられ、ヘレネにうえのようなことをいわせるヘクトルが、素朴なはなし、いちばん「いいやつ」のようにみえてしまう。そもそもオリュンポスの上天にいます高貴の神々でさえ、たがいにいがみあったり意地の悪いことを言ったり罵り合ったりしているしな。


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  • 日記読み: 2022/3/30, Wed.
  • 「ことば」: 1 - 3