2023/4/4, Tue.

 パーカを着、登山靴を履いて外に出ると、まっすぐに森へ向かった。アオガラがさえずり、クビワツグミが高い声で鳴き、窪地には残雪がきらめいている。蛍光緑色に発光する、彫金細工のように繊細な腕を持つ繊維の塊がそこかしこの木の幹を覆っている。これもまた、自然界にはきわめて人工的に見える生物すら存在しうるという私の主張を裏づけるものだった。緑色の塊は簡単に樹皮から剝がれ、私の上着のポケットの中で乾いた苔のような感触を与えた。三十分ほど歩くと、峡谷がまるで傷口のように山腹にぱっくりと口を開けているところに出た。手の甲ほどの幅しかない細い橋板が、暗く湿った深淵にかかっていた。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、67; 「ゲーリケの一角獣」)



  • 一年前より、ニュース。ブチャの虐殺があきらかになっている。

(……)新聞一面をみるとキーウ州(数日前に日本政府が、キエフは今後ロシア語の読みにもとづく「キエフ」ではなく、ウクライナ語にそくした「キーウ」と呼び、表記するということを発表したので、新聞の表記もそれにもとづいている)全域をウクライナ側が奪還したと。ただ、近郊のブチャという町では、市長がAFP通信の取材にこたえて、街中に遺体が散乱している、女性や子どももふくめたすくなくとも二八〇人を集団墓地に埋葬した、遺体はすべて後頭部を撃たれていたとはなし、現地入りしたBBCも路上などですくなくとも二〇人の遺体を確認していると。民間人とおもわれ、後ろ手に縛られた遺体の映像も報道しているという。バビ・ヤールをおもいださざるをえない。地下室に手足をしばられた一八人のバラバラ遺体が発見されるということもあったらしい。ロシア軍が民間人虐殺をくりかえしていたのではないかとみられる。撤退するまえにさいごに、ということもあったのかもしれない。ロシア軍は死体や家屋などに地雷をしかけていったといい、その調査などがなかなか難航しているようだ。ほかの各地でも略奪や女性暴行の報はあるらしく、軍紀が低下しており脱走兵も出ていると。ロシア軍に包囲されているマリウポリでは赤十字国際委員会(ICRC)の支援で民間人の退避がすすめられているというが、ロシア側は、ウクライナ赤十字の準備不足のためになかなかすすまず遅れていると批判したらしい。いっぽう、首相の特使としてポーランドをおとずれている林外相は、ウクライナ人難民を政府専用機で日本に連れてくるかんがえをしめした。いまのところ二〇人が希望を表明しているという。今夜にも帰国する予定らしい。また、停戦交渉およびウクライナの安全を保証する条約にかんしては、ウクライナ側はロシアに拒否権をあたえるような枠組みは賛同できないと。そうなればとうぜん安全の保証がそこなわれるだろうから順当なことだが、ロシアはロシアで米欧と対等のたちばで参入したいだろうから、拒否権をもとめて同意しないだろうと。ウクライナ側はゼレンスキーとプーチンの会談への準備はかなりととのったと自信をしめしたものの、ロシア側はまだその段階にはないと否定している。

  • 往路。よく書いているといわざるをえない。

雨降りである。しかし玄関を出てみれば空気に暗さはまったくなく、曇天でもあかるく抜けるようなかんじで、空は真っ白だけれど沈滞や陰鬱の気は皆無で外気の開放感が顕著だった。肌寒いにはさむいものの、コートをまとえば首もとをまもらずともたいしたこともない。林の外縁にあたる石段上に、あれも桜なのかそうともみえないが、あるいは桃の木なのかつよいピンクの花の立ち木が二、三本あざやかで、みちに出ればそのいろがアスファルトのほころびであるみずたまりにとおくからでもうつってぼんやりと赤みを添える。降りはけっこう濃いものだった。頭上にはじけるものもボタボタというよりはバチバチというひびきにちかく、車庫のまえをとおれば瞬間生じた幻影の川に接したようなおとがふくらむ。公団の敷地脇まで来ると前方に付属小公園の桜があらわれ、ここが満開らしく和菓子のあまやかさを白っぽい薄紅にこめて雲のすがたにひろげているが、雨を吸って重ったようすもみせず、浮遊するいろどりからかけらのはがれる気配もなく、まさしくいまを盛りの充実で打つものに負けずしずまっているらしく、ちかづけばさすがに路上に付された小粒もあって、ふよふよ群れをはなれる白片も気のせいのごとくひとひらみえたが、いずれにしてもこのみずをいっぱいに吸ってきょうをすぎれば一気に散り時だろうなとおもわれた。坂へ折れてのぼっていく。ひだりのガードレールのむこうは下り斜面、そこをかんぜんに満たし埋め尽くした葉っぱの層が、きょうは褐色を雨に濡らして色濃く深め、みずあめを塗った栗の表面のような光沢にひかり、それが濃淡で一面にモザイクのごとくおりなされながら枝にかかったみどりの葉っぱのこれもてらてら濡れかがやいているのと対照されて、陽射しがなくともうつくしかった。出口まで来て樹冠がなくなり頭上が空漠となれば路面に反映する空とひとつの雲の白さの、やはり足もとからほのかに浮かびあがってかもされるようなあかるさだった。

  • めざめてしばらく鼻から深呼吸し、起き上がって携帯をみると九時半。カーテンをあければひかりのあかるさがある。布団をいちど抜けて水を飲んだり腕振り体操をしたり、トイレに行って放尿したり顔を洗ったり。それから寝床にもどるとChromebookでウェブを見るいっぽう、一年前の日記を読んだ。けっこうだらだらとどまってしまい、正式に離床するころには一一時半。膝立ちになり、座布団と枕を窓のそとに出しておくが、そのさい向かいの保育園の屋上に青空を背景にして男性の保育士らしきひとがいて、まともに見下ろされたわけではないが平日のこんな時間から寝間着すがたでもぞもぞ起き出しているのをみられたとおもうといかにもな体たらくにうつりそうですこしばつがわるい。布団をたたんでおき、また腕を振ったり立位でからだを伸ばしたりして、食事へ。温野菜ではなく野菜が生のままのサラダを食べることにした。トマトの三個セットが安くなっていたのをせんじつ買ったのだけれど、それをつかってしまったほうがよいので。それでひさしぶりに大皿にキャベツと白菜を切り、カットしたトマトを周縁部にならべ、ベーコンを乗せてドレッシングをかける。いっぽうで即席の味噌汁をつくり、からだが空っぽでたよりないのでそのあたたかい汁物から体内に入れていく。サラダのほか納豆ご飯にバナナ、ヨーグルトといつものメニュー。洗い物は立ったついでにちょくちょくかたづけるが、ご飯の椀や納豆のパック、米のなくなった釜は水に漬けておいてのちほど洗った。晴れの日だが洗濯はしていない。あしたの天気がどうかというのも確認していない。食後はしばらくしてからWoolfの英文を読み、するともう二時をまわっていたはず。書見へ。窓のそとから座布団や枕をはたきながら入れ、ハンガーにつけて窓辺に吊るしてあるバスタオルを、陽がよく射していたのでレースのカーテンの裏側にかけておき(むしろそとに出せばよいのだが)、寝転がって本を読む。ティム・インゴルド/柴田崇・野中哲士・佐古仁志・原島大輔・青山慶・柳澤田実訳『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)。79からいま123まで。やたらおもしろい。ほとんどつねに書きぬこうとおもうようなはなしばかりがつづく。精神と物体の二元論を問い直し、ものをその物質性・(にんげんがそれにはたらきかける面としての)対象性ではなく、その前段階とみなされていた素材の領分でとらえかえし、その素材が生成変転する無数のながれの束、織り物のようなものとして世界を構想するとともに、にんげんも特権的な存在ではなくそのなかに参与し関係し位置づくひとつの有機体としてかんがえられ、すなわちにんげんの文脈で石をとらえるのと同時に、石もまた周辺世界・環境との関係のなかで独自の発展的な歴史や展開をもっているのだから、石の文脈においてにんげんをとらえることもしなければならない、というようなところがこちらなりに理解したここまでの中心的な著者の立場の要約になる。これはいうまでもなくじぶんの関心とドンピシャという感じだ。水声社の真っ赤なカバーのシリーズ、人類学のなんだっけ? 転回だっけ? いつもシリーズ名をわすれてしまうのだがあのシリーズにフィリップ・デスコラというひとの自然と文化の二元論を克服するみたいな本があって、それもまえから気になっているのだけれど、たぶんそれと軌を一にするはなしだと推測され、じっさい謝辞のなかにデスコラのなまえもふくまれていた(24)。ちなみに川田順造の名もあげられている(15)。うえの要約は第一部「地面を切り拓く」のうち「2 素材対物質」という章の内容のごくいちぶで、いま「3 地面の文化 足を通して知覚される世界」にはいってもう終盤であり、ここもいろいろおもしろい。はじめはダーウィンの進化論からはじまって、とうじのトマス・ヘンリー・ハクスリーという学者が(このハクスリーはたしかこのあいだ読んだ松井竜五『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶應義塾大学出版会、二〇一六年)にも出てきたハクスリーのはずで、ダーウィンの所論を忠実に引き継いで「ダーウィンの犬」だったかわすれたけれど、そんな呼び名をされたひとだとおもう)著書に載せた類人猿とヒトの骨格図をしめし、ヒトの特徴として直立姿勢と二足歩行、それによる手の自由化および操作性の確保をあげつつ、それが要は人類種を人類たらしめ動物よりも優位に置いた生物学的主要因であるというとうじの観念を説明するとともに、足にたいする手の相対的重要性、踵にたいする頭の優位という神話は西洋において古典古代までさかのぼることができるという指摘もなされている。またにんげんの感覚のなかで圧倒的に重視されるのは視覚および聴覚だが、その他の知覚、とりわけ触覚、かつ足による地面とのふれあいの観点から研究がすすめられるべきことを著者はうながしており、ブーツのような足を拘束する履き物の開発、また椅子の開発によって、西洋社会が足という人体の側面を抑圧してきたこと、ひるがえって手と、それにむすびついた知性を優勢化する発想を歴史的にはぐくんできたことを語る。その足にたいする手(および頭=知性)の優位というのはおそらく、身体と精神の二元論、物質(自然)とそれを対象化して操作するにんげんというよく知られた主客二元論と優劣評価の同一性とオーヴァーラップする、ということになろう。
  • きのうの帰宅後、零時四〇分くらいに母親からSMSがはいっていて、五日の夜に兄が来るというから来れないかとあり、しかしわりとめんどうくさいし六日には通話があるしどうしようかなとまよっていたところ、きょうの二時くらいに父親からも同趣旨のSMSが来ていたので、さきほど日記を書き出すまえに、六日に用事があってバタバタしてしまうからべつの日に行く、金曜日がしごとなのでそのあとが良いかもしれないとまったく同一の文面で両方ともに返信しておいた。ここまでで四時四六分。
  • 数日前の記事に書いた、まいにちいちどすこしでもいいからそとに出てあるくという習慣を、まあどうせ無理だろうやらないだろうとおもっていたところが意外とやっており、この日も夜からあるきに出て、詳細はもうわすれたけれど、出勤時とおなじように南の車道沿いをまっすぐ西に行って、踏切りを渡ったあたりで駅のほうにずれてもどってこようかなとおもっていたところが、予想外に興が乗ってこのまま(……)通りまで行こうとなり、病院などのおもてがわをすすんで幹線にあたると、いっぽん北にずれて裏の通りをひきかえしてきて、四〇分強あるいたのだったはず。ちょっとこの記憶が、この日のものだったか翌日のものだったかさだかでないが。帰りはスーパーの向かいの口から裏にはいったが、そのとちゅう、赤いひかりが家屋にひらひら反映しているのが前方にあらわれて、すすめば路地に接した駐車場スペースに救急車が一台停まって屋根のうえの赤灯をまわしつづけていた。過ぎがてら横を向いて目をおくると、後部のドアのまえで隊員がなにやら作業をしていた。たしかにあるいているあいだどこかで救急車のサイレンのおとを耳にしていたので、あれがこれだったのかなとおもった。


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  • 日記読み: 2022/4/4, Mon.
  • 「ことば」: 1 - 3