大きな雲の覆いが、頭上に低く重たげにかかっている。かろうじて遠くの方に空が明るんでいる所があり、そこから薄いバラ色がひとすじのぞいて見える。がっしりしたナラの木が数本、柵で囲まれた牧場の向こうにそびえている。大昔に開墾された放牧地の名残だ。窪地に雨水と雪解け水が溜まって湖のようになっている。そこにナラの枝が映っている。トウシンソウに似た淡黄色の草が、その淡青色の水の中から生えている。一羽のセキレイがひょこひょこと水辺を通り、お辞儀をするように尾(end174)羽を低く下げ、羽毛を散らしながら飛び立つ。
表面が凍って硬くなった、まだ三日も経たない三月の雪の名残が、日陰になった芝生の隅や、トラクターのタイヤ跡のくぼみ、干草を発酵させて飼料にするための、白いシートにくるまれた円筒形の塊の陰で光っている。岸辺にはひっくり返った家畜用の餌入れが錆びている。その上にヒトシベサンザシの裸の枝が伸び、その樹皮は硫黄色の地衣類に覆われている。その時、ラッパのような鶴の声が鳴り響く。用水路の向こうに、二羽の鉛色の鳥が巨大な翼を広げて飛び立ち、すぐにまた曲線を描いて着陸の態勢に入る――完璧な調和を保ちつつ、両脚を地面に向かって伸ばしながら――そして三回短く羽ばたいて、すっと着地する。その後まだしばらく響いていた鶴の声は東風にのみ込まれる。唸り声をあげて海から吹いてくるその冷たい風は、薄鼠色のナラの葉を巻き上げる。畑の土はなめらかだ。黒褐色の粘土質の土の塊がそのまま、あるいは柔らかくほぐされて表土に載っている。畝間には菜の花が芽吹いているが、葉の縁はすでに農薬の毒のために脱色したブロンドのように変色している。色彩には生気がなく、光はまるですぐにも夕暮れが訪れるかと思うほど弱々しい。
泥炭に覆われた窪地の風陰 [かざかげ] で、ノロジカの群れが草を食んでいる。私が近づくと、お尻の毛を鏡のように白く光らせて、いっせいに森へ駆け下りていく。円形の沼のほとりに立つ櫓の、骨組みを覆う迷彩柄の布の一部が剝がれて風にはためいている。そこからさほど遠くないところ、キイチゴやニワトコ、コケモモの葉のない茂みの前に、苔むしたコンクリート板が山と積まれている。鉄筋の穴から錆びた金具が突き出ている。安物の鋼がいまや雨ざらしになっている。多孔質のコンクリートブロックには、藍墨色 [あいずみいろ] の苔が繁茂している。その向こうに、葉のない藪に守られるように、氷期にできた穴にとろりとした緑色の沼がひっそりと憩っている。ヒキガエルやトノサマガエル、スズガエルの産卵場所だ。彼らは身を潜めて繁殖の合図を待っている。冬枯れの草は蠟色に干からび、色褪せている。ただキンポウゲだけが、湿った黒土の中から元気いっぱいに濃い緑色の葉を出している。
(ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、174~175; 「グライフスヴァルト港」)
- 一年前から。
(……)うがいや洗顔、用足しをしてもどってくるとまたあおむけになって南直哉『「正法眼蔵」を読む』を読んだ。南直哉の理解(を要約するこちらの理解)によれば、道元の説く思想の要点は、この世界に本質や実体などの同一的で究極的な根拠はなくすべてが関係性の相互作用のうちから生じてくるという空=無常=縁起の次元を修行という具体的かつ身体的な実践において認識し、その認識にもとづいて現状の自己を解体するとともにあたらしくつくりなおし再構成的に生成させていくことにある、というわけで、だからやはり主体における永久革命論みたいな質感を帯びるんだよな、とおもった。この本でも、引かれている『正法眼蔵』じたいにおいても、いまのところ、それをたえまなくつづけていくのだ、というような、永久反復の様相は直接述べられてはいないとおもうが。本質をもたず条件におうじて可変的であるがゆえにいくらでも変わっていくことができるという自由と革命の思想にはそれはそれでもちろん魅力があるけれど、そのすがすがしく楽観的な野放図さはユートピア的なのかディストピア的なのかわからないし、現実いろいろ制約はあるわけで、それだけに乗るわけにもいかないだろう。
*
坂を行くあいだにウグイスの声を朗々ときいた。こちらには初音だが、たぶんもうすこしまえから鳴きだしていただろう。おもてみちまで抜けて通りをわたったところの家に藤の花が咲きだしていた。街道沿いをしばらく行けば公園の桜木はもちろんもう花は消えて若緑一色の葉桜で、繁りはまださほどでないが幹のわかれめあたりにあつまった葉叢などみずをそそぎこまれたようにいろがあきらかで、初夏を待つ身とにおわしく充実している。裏へ折れて正面の公団では垣根のむこうに白のハナミズキがちいさくいっぽん咲き群れていて、曲がってさいしょの家の庭でもさきごろから盛っているピンク色の同種がもう弱ってもおかしくなさそうなのにおとろえをみせず落花のひとつもなく、ちかく接しあった群れをくずさずにはなやかないろどりに浮かんでいる。きょうは吹くというほどのものはなく、耳の穴のまえにおとも立たず、風はながれのゆるやかさだった。庭の低木であれ丘のやわらかな濃淡であれそのへんに生えている雑草であれ、どんなみどりもみどりであればおしなべて、絵の具をそこに直に塗られたような密なめざましさに現成している。ひろい空き地の縁ではもう穂がひろがらずほそって黄みがかったススキが、巨大化したネコジャラシのようにのびあがって乾いていた。
(……)をわたってすこし行ったさき、(……)の駐車スペース的な土地(もくもくとしたおおきな常緑樹と車庫らしきものがある)と一軒のあいだの小敷地にチューリップをみた。地面は草が覆い、ネギボウズもなんぼんか立って、そこの端にあるユキヤナギはもう白い細片をほとんどたもたず茶色によごれて溶けきる寸前だった。(……)に寄って小用。出ると男子高校生の三人、ついで女子高生ふたりがみちを来ており順々にぬかされる。女子のほうからは、あんまりかっこよすぎても逆にダサいっていうか、とまずきこえて、アイドルのはなしでもしているのだろうかとおもいつつ、いまの時代や若者の感性を象徴するひとことのようにもきいたのだが、どうもアイドルのはなしではなく、おそらくダンス部かなにかで校庭かどこかでやる演目を相談しているような雰囲気だった。時期から推して部活紹介とかか? 細道が切れてあいまにはさまる横道からつぎの細道にはいっていくそのあたりでひとりがうたをくちずさみだし、その曲めっちゃいいともうひとりが同じていた。ある種の女子高生というのはなかまとそとをあるいているあいだ、ごくしぜんに、ふつうのこととしてうたをうたいだす。すばらしい。
- 「読みかえし2」より。
1410
『創世記』は「はじめに神は天地を創造された」という言葉ではじまる。すなわち、天地創造以前の神については一言も触れていない。「天地創造以前に神はなにをしていたのか、(end92)という問いは意味をなさない」とは、アウグスティヌス(三五四~四三〇)も言っていることである(『告白』第一一巻第一三章)。なぜなら、時間は天地創造とともに始まったのであるから、「以前」も「以後」もすべて天地創造以後において意味のあることがらだからである、と。
このことは、いちおうアウグスティヌスの言うとおりだとしておこう。しかし、とにかく天地創造以前の神への言及がないことの意味はなんであろうか。それは、イスラエル人の神が、つねに世界との相関関係のうちで語られるということである。世界のないところで唯一独存する神というものは考えられていない。彼らの神は、パルメニデスの存在のように不変不動の永遠性のうちで微動だにしない絶対者ではないのである。イスラエルの神は他者を呼び求める神なのである。
こうして、この神は言葉によって「世界」を無から呼び出した。このことの意味はなんであろうか。
まず、この神は他者を呼び迎えるというしかたで、自己充足から脱出する神である。「他者を呼び迎えること」とは愛であるから、この神は本質的に「愛」なのである。愛は絶対的に他者を必要とする。だから、この神は「無から」でさえ他者を創造するほど徹底的に愛なのである。モーセがシナイ山で神の名をたずねたとき、神の自己啓示として語られた「私はあなたたちと共にあろうとする者である」(『出エジプト記』三の一四)という言葉は、この神の(end93)本質をあらわしている。
第二に、神は「言葉」を発して世界を創造した。バビロニアやギリシアの神話におけるように、原初の混沌から分裂と結合によって世界が生成するという物語とは、この「言葉による創造」ははなはだしく異なっている。このことの意味はなにか。言葉は本来応答する者を期待して発せられるものである。それゆえ、神は応答する者を期待して世界を創造したのである。しかし、人間以外の自然的な諸存在者は厳密な意味で「応答するもの」とは言われえないだろう。それだから、言葉を語る人間が、世界を代表して神に応答する者として、世界創造の意味を担っているのである。
後に、二〇世紀になって、ハイデガー(一八八九~一九七六)が、「人間の使命は、存在の声を聞きとり、それを言葉によって歌うことである」と言ったとき、この思想のはるかな淵源が、このヘブライの神への応答にあった、という解釈も存在するのである。
いずれにしても、神はすべての自然物を創り終えた後、最後に人間を創り、「地に満ちて地を従わせよ、海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(『創世記』一の二八)と言ったのだが、その意味は、人間が全被造物の代表者であり、したがって、それらのものに責任を負いながら、神の呼びかけに応答する者である、という点にあるだろう。すなわち、人間は自然の一部分であると同時に、自然を超えてゆく者という二重の性格をもつのである。(end94)
第三に、神が世界を「無から」創造したということの意味である。「無から」とは、世界には固有の質料がないということだ。ギリシアやバビロニアの神話における原初の混沌のようなものにせよ、プラトンの場所(コーラー)にせよ、アリストテレスの第一質料(ヒュレー)にせよ、そこから万物が生成する不滅の根源的素材はなにもないということである。このことは、もちろん世界には本来固有の存在根拠がないということを意味しているが、同時に、神は世界から絶対的に断絶しており、世界を超越しており、世界内のいかなる存在者にも帰属しない、ということをも含意している。
すなわち、神に対する世界とは、神に対する無なのである。それゆえ、私たちが存在(現代哲学の言い方では現象)と呼ぶものが、時間・空間・形象に制約された世界内の存在者としてしか了解されえないとすれば、神は「存在」ではなく、「存在のかなた」でなければならない、ということにほかならない。
(岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、92~95)
1411
天地創造の最後に、「神は自分にかたどって人を創造された」(『創世記』一の二七)と記されている。だから、人間は神に似ているのである。
では、神に似るとはどういうことか。神は切に他者を求めて世界を創造した。そうであれ(end95)ば、人間も本質的に他者を求める者だということである。このことが「愛」という言葉で表現されるのであれば、人間は本質的に愛する者なのである。「神は愛である」とは後に新約聖書でヨハネも強調していることだが、そうであれば、神に似て創られた人間も愛なのである。
ところで、愛しうる者は自由な者でなければならない。選びうる者、否を言いうる者、拒否しうる者、憎みうる者でなければ、愛することはできない。なぜなら、けっして否を言いえない者とは、因果法則にしたがって必然的に運動する無機的な自然物、あるいは機械のごときものであり、いわばロボットであり、せいぜいのところ奴隷であるにすぎないからである。
それゆえ、愛し合う者どうしは自由意志の根源から相手を肯定するのであって、けっして支配・被支配の関係にあってはならない。なぜなら、支配・被支配の関係はそれ自体が愛を破壊しているからである。だから、切に愛を求めた神は、自分を拒否しうる者、自分を否定しうる者、すなわち罪を犯しうる者を創りだしたのである。なぜなら、ロボットをつくりだしても、愛の相手にはならないからである。けっして否を言わない応答機械をつくりだしても、それは他者ではありえず、呼びかけはむなしく虚空のうちに消滅してしまうであろう。
ここに、人間の創造の恐るべき秘密があるにちがいない。人間の愛を切に求めた神は、愛(end96)を求めたがゆえに、ついに、人間を自分と対等な者にまでしてしまうという、パウロの表現を使えば、「神の愚かさ」にまでいたってしまったのだ。
「神の似姿」としての人間のもう一つの特徴として、人間の唯一性、絶対性、現在流行の表現を使えば、「かけがえのなさ」があげられるであろう。神が唯一、絶対なる者であるように、その似姿である人間も、一人一人が唯一、絶対なる者なのである。
このことの意味は、いかなる分類原則にしたがうにせよ、人間を類的普遍者として一括してはならないという点にある。「自由な者」であるということそれ自体が、そのような存在者には類的普遍者などというものはありえない、ということをすでに含意しているのである。自由な者である他者を、自分の同類としてくくりうる根拠はどこにもない。
このことを無視して、人間を、理想によるにせよ、思想によるにせよ、宗教によるにせよ、イデオロギーによるにせよ、類的に全体化して一括統制することが、二〇世紀に荒れ狂った全体主義なのである。一人一人がみな異なった絶対者なのだ。
愛とは、一人の絶対者が一人の絶対者へと呼びかけることである。類的な同一性の中へ相手を同化することではない。それゆえ、罪とは、他者のこの呼びかけの拒否以外のものではない。他者との対面を拒否すること、他者を避けること、あるいは逆に、他者を奴隷化すること、言いかえれば、自己を絶対化すること、それが根源の罪であるだろう。同化ではなく、(end97)呼びかけである。神が人間を呼んだように、人間も人間を呼び、それを通して神を呼ぶのである。それが、「神の似姿」であることの意味である。
(岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、95~98)
- Guardian staff and agencies, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 421 of the invasion”(2023/4/20, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2023/apr/20/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-421-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2023/apr/20/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-421-of-the-invasion))
The European Commission is proposing €100m (£88m) in compensation for EU farmers affected by the recent influx of Ukrainian grain as well as restrictions on selling wheat and maize in affected countries, in a move to calm tensions with central and eastern Europe. Ursula von der Leyen, the head of the commission, has written to the leaders of Bulgaria, Hungary, Poland, Romania and Slovakia, setting out support measures after four of those countries banned the import or sale of grain and other food products inside their borders earlier this week. Bulgaria had confirmed its temporary halt on Wednesday.
*
A joint investigation by the public broadcasters of several Nordic countries alleges that Russia has established a programme using spy ships disguised as fishing vessels aimed at giving it the capability to attack windfarms and communications cables in the North Sea.
The Kremlin critic Ilya Yashin has lost an appeal against what his supporters say was a politically motivated decision to jail him for eight and a half years – in a case that has echoes of Monday’s jailing of Vladimir Kara-Murza. The former Moscow councillor’s appeal was rejected as authorities continue to repress freedoms in Russia, with independent media shut down and leading opposition figures behind bars or in exile.
Russia has said it summoned the UK ambassador Deborah Bronnert on Tuesday after she criticised the 25-year jail term given to Kara-Murza. She spoke to reporters outside Moscow city court alongside the US and Canadian ambassadors, describing the sentence as “shocking” and called for Kara-Murza, who holds joint UK and Russian citizenship, to be released immediately.
- Murong Xuecun, “China’s ‘zero Covid’ policy was a mass imprisonment campaign”(2023/4/18, Tue.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2023/apr/18/china-zero-covid-policy-xi-jinping(https://www.theguardian.com/commentisfree/2023/apr/18/china-zero-covid-policy-xi-jinping))。これはけっこうな記事で、いまさらではあるけれど中国がいったいどういう国なのかというのがじつにまざまざとよくわかる。ほんとうは著作権上だめなんだろうがしたに全文うつしてしまう。Murong Xuecunというなまえは漢字だと慕容雪村となるらしい。
In one week last December, five members of Guan Yao’s family in Beijing died, including his father, his father-in-law and his grandmother. In an interview with a journalist, Guan, who lives in California, appeared powerless and dejected. Yet – for reasons that anyone from China understands – he chose his words carefully. Avoiding directly mentioning the Chinese government, he referred only to an ambiguous “them”. “It is difficult to understand,” Guan said, “why they abruptly lifted all restrictions.”
If you choose to believe official Chinese government documents, the deaths of Guan’s five relatives had nothing to do with Covid. They may have been infected with Covid, but government rules – rules that can’t be made public and can’t be questioned – required that doctors who issue death certificates come up with other causes of death. Guan’s uncle died of Parkinson’s, his grandmother of kidney failure.
During this time, not a single citizen of China, a country of 1.3 billion people, officially died of Covid. A tidal wave of coronavirus was inundating cities and villages, leaving piles of corpses in mortuaries; crematoria working day and night could not keep up with demand. But in order to prove its accomplishments in the anti-Covid battle the Chinese government persisted for almost two weeks with its claim that no one had died of Covid.
This is nothing new. From the moment Covid-19 first appeared, the Chinese government assiduously controlled the mortality figures in the same way an unfaithful husband under interrogation by his wife at first denies everything. Then, when he can no longer continue with his denials, he tries to limit the damage. “Um, all right, but it was just once or twice.”
No wife ever believes such lies; neither do the Chinese people. Supporters of the Chinese Communist party tend to walk a careful line. A businessman friend is an example. “The government’s numbers are not necessarily accurate, but you have to look at the positive side,” he told me. “They did it for us.”
Not that you need to be concerned for the Chinese government. It is not suffering a crisis of confidence. China has hordes of police, both uniformed and plainclothed, with ample ability to make people believe the government. A secret policeman once said to me directly: “You don’t believe it, but what are you gonna do about it?”
My businessman friend is not alone. Inside China, government-controlled media and covert propaganda officers are sparing no efforts to sing the praises of the pandemic-prevention policies: “Thank you, Chairman Xi! Thanks to the Communist party!” “Our policy has the approval of the people, and it will stand the test of history.” “The state protected us for three years. The government did its utmost!”
Outside China, some western observers employ “although … but … however” syntax to express their own often fulsome support: Although Xi’s policies may have seemed a little extreme, the initiatives characterized by the People’s Daily as correct, scientific and effective not only reduced the transmission of the virus but also reduced the death rate to well below that of other countries …
I disagree. As I see it, Xi Jinping’s measures have very little to do with public health. They have been a masterclass in dictatorship with an underlying theme of “how to more effectively control society after a disaster strikes”. The primary objective is not protecting people’s lives and health, but protecting and expanding his power as much as possible. Totalitarian pandemic-prevention policies have no obvious efficacy other than to wreak havoc on hundreds of millions of people. Such policies do not merit any praise. They are the source of an anti-scientific humanitarian catastrophe.
Before 7 December 2022, Xi’s government pushed a “zero Covid” policy. That is not as benign as it sounds. In essence, it is a mass imprisonment campaign. In my book Deadly Quiet City: True Stories from Wuhan, I report on how the Chinese government turned Wuhan, a city of 11 million people, into a massive and miserable prison.
Then Xi obviously realized that the anti-pandemic measures brought him benefits. He doggedly expanded the policy to encompass the whole country. In many places, just one positive case or sometimes not a single positive case, resulted in a district or even an entire city being completely locked down, transportation links severed, shops closed, and residents confined behind layers of fences topped with razor wire. No one could leave their homes even to exercise their most basic of rights – the right to food and to seek medical attention.
This is how the Chinese government accumulated ever more power. No warrants are needed to storm into residences. Thousands and tens of thousands of people can be forced into isolation at any time, transported to facilities resembling concentration camps with insufficient food and a total lack of privacy. If anyone is brave enough to resist, a succession of punishments relentlessly rains down – policemen, government officials and so-called volunteers, often in full white PPE, need no authorization to surround and kick and punch their victim, who is then dragged to jail or publicly humiliated.
A notorious photograph from 17 November 2022 showed two young women who were beaten and humiliated after allegedly refusing to cooperate with pandemic-prevention officers: one lay prone, bound hand and foot; the other, hands tied together, was forced to kneel.
Punishments were not limited to the purported offenders. Entire families were dragged into the maelstrom. In Shanghai, in May 2022, police threatened a youth who expressed mild objections: “Your punishment will affect you for three generations!” The youth retorted loud and clear: “We are the last generation, thank you very much!”
China’s pandemic-prevention policies led to countless deaths and tragedies: ill seniors killing themselves because they couldn’t get medical treatment; youth jumping off buildings because they couldn’t make a living; unborn babies dying in their mother’s wombs while their mothers awaited treatment. When a fire broke out in an apartment building in the far western city of Urumqi, on 24 November 2022, the pandemic prevention policy of turning residential zones into prisons prevented fire engines gaining access. Residents struggled to escape the inferno. Ten died and many more were injured.
Two weeks later, on 7 December, the government made an unexpected 180-degree turn. No more city-wide lockdowns, no more forced PCR testing. In fact, no effective mitigation measures at all. It was like a flood control officer opening the floodgates and standing on high ground to coldly watch the raging torrent surge towards cities and villages.
In the following days incalculable numbers of people died, including respected scholars, journalists, film directors, celebrities and even some high-level Communist officials and military officers. Even in a wealthy city like Shanghai, there was a severe shortage of medicines, including the most basic fever medications and painkillers. Every hospital was overcrowded. Doctors and nurses – some themselves infected – endured the wailing and moaning of patients as they filled out a cascade of death certificates.
This was when Guan Yao’s relatives died. There were so many deaths that cremation fees doubled and tripled. His family spent 30,000 yuan – about $4,300 – for his father’s cremation. His grandmother had to wait 10 days for cremation. Hospital and mortuary freezers were filled with bodies. In many cities, local governments requisitioned seafood and meat-storage freezers to hold the deluge of corpses.
And then there are the remote townships and hamlets that on a map of China are like a tiny fold in the Mariana Trench where there are no lights and where the party’s kindness never reaches. According to investigations by citizen journalists, many rural villages are experiencing widespread infections but are virtually without medicine. Impoverished farmers scramble like their Stone Age ancestors for herbal remedies. Some have never heard of coronavirus or the Omicron subvariant and have no idea how to treat them. They believe that a broth made with pears can suppress coughing; that is all they have to fight the virus, and in some remote hamlets old people struggle to shake the leaves and flowers off loquat trees in the belief they will save their lives.
Yet the endless tide of death and suffering has so far been insufficient to prove to Xi’s government that any mistakes were made. In fact, party officials hold grand celebrations and publish volumes of self-congratulatory articles. They know that in an autocratic society, the truth is what you say it is.
Four months ago, Xi broke with convention and got his wish for a third term. Soon he, like Chairman Mao Zedong, will in effect become emperor for life. Over the past 10 years and especially in the last three years of Covid, this overconfident author (Xi has more than 100 books to his name) and ruler has fully demonstrated his ability to wreak suffering. In the future, how much suffering at his hand will China and the whole world experience?
To ring in the new year, Xi appeared on TV wearing a dark blue suit with a red tie. He smiled wryly and announced a line that he may not himself believe: “We have always insisted upon the primacy of the people and their lives …”
A few days later, the Chinese government entered a new round of negotiations with Pfizer. For the past three years, the Chinese government refused to import efficacious western coronavirus vaccines and treatments while strenuously pushing domestic vaccines and promoting herbal concoctions.
This latest round of negotiations – which many believe was just for show – not unexpectedly failed because the Chinese government says Paxlovid is too expensive. Pfizer’s CEO, Albert Bourla, responded: “They have the second largest economy in the world, and I don’t think that they should pay less than El Salvador.”
Heated discussion in China ensued. One of my friends had an interesting point of view. “It’s not about the price of the Pfizer drug.” To the Chinese government, “our lives are not worth the money”.
―――――
- 日記読み: 2022/4/20, Wed.
- 「読みかえし2」: 1398 - 1419
- 「ことば」: 1 - 2, 3