2017/7/24, Mon.

 早くに起きてまもない頃から、時鳥の声をよく聞いた朝だった。はっきりと立って膨らみ続くのは、久しぶりに耳にしたものだ。八時に出かけて街道を行くと、降り注ぐ陽射しが、まだそれほど高くはないはずだが早くも目に重く、眠りの少ない瞳に上からの圧が沁みるようで、広がる眩しさに、手を額にかざさなければ視線を上げて道の先を見通すことができない。伏し目がちに行っていると、真っ青な瓦屋根が油のような光をはらんでつやつやと照り輝き、まだ夏休みには入っていないのか、次々とすれ違う高校生らの姿も、明るさのなかに白く見える。並んだ女子高生らも暑い暑いとこぼしていたが、風はたびたび軽やかに吹き流れて、するすると身体を抜けていくように長く続く時間があった。灯りはじめたピンク色の百日紅の前を過ぎるあたりだった。
 午後に至ると雲が広くなって陽射しは中和されていたが、曇ってはいても空の腹を抱えて水も飲まずにいては、数十分の徒歩はことによると危ういと電車を取ることにした。最寄りに降りると、空は青みをなくして単調に褪せているのだが、瞬時に熱気が寄せて身を包みこむ。蟬の声響く坂を下りながら木の間に覗く空の様子に、この分ではあとで夕立が来るかもしれないという予感が萌さないでもなかった。下りきって通りへ出ると木立の奥からまた時鳥が鳴き、続けて今度は鶯の声も立つ。時鳥の鳴きは初めの一瞬間だけ鶯のものと紛らわしいと、確か『白髪の唄』だったか、古井由吉が書いていて、そうだろうかと疑問に思っていたものの、こうして連続で聞いてみると確かに、音質にしてもよく似ていて、何よりも音の高さがほとんど同じなのだと気付かされた。
 雨は結局走ることなく、深夜に入って短く、細く降っていたようである。街灯の光にでも覚まされたか、ミンミンゼミが一匹、夜の遠くで盛るのが聞こえた。

2017/7/20, Thu.

 風の多く流れる日だった。自室にいればカーテンが膨らみ、便所に行くと外の林が騒ぐのに雨が降りはじめたかと、室を出て玄関先を覗くまで錯覚させられる。夕刻五時に出た道にも風は厚く向かって来て、耳の穴を覆ってばたばたという響きをぶら下げるのが、久しぶりの感覚である。樹々のなかを上って行くと、重なりはじめたニイニイゼミの声が左右に拡散し、その向こうから鶯の音も落ちた。街道まで出れば例によって夏の太陽が身を包むが、このくらいの陽射しにはもう慣れたなと、ポケットを手に突っ込み顎を持ち上げて、余裕ぶったそぶりで道を行った。風鈴の音が、どこかの家から響いていた。
 夜は外に出た途端に空気の温さが感じ取られた。風というほどのものも吹かず、停滞気味の鈍い空気に、両の手のひらがべたついている。頭が痒くなるような生温さに、室内にいても汗をかいて垢が身体に溜まり重なっているのだろう、昼間よりも肌が粘るような感じがした。空も鈍い。思いのほか雲が出ており、家の間近まで来ると、山の姿が薄墨色の空に侵食されて、境が淡く霞んでいた。

2017/7/19, Wed.

 坂に降る蟬の声が、まだ合唱というほどでもないが厚くなりはじめている夕方、空は晴れ晴れと穏やかに青く、陽射しのなかにあってもさして背が粘らず、路上に掛かった蔭も水を含んだようにさらさらとした質感で伸びている。雲はほとんどなくて、僅かに混ざったそれよりも、膨張した太陽から押し寄せる光の波のほうが空に白さを刻印して、振り向けば西が一面、洗われたようになっていた。道行く男らの、シャツから伸びた腕がどれも血色良く染まっているのに引き換えて、自分の細腕は殊に青白く映るのだろうとふと思われた。こちらはそもそも夏であっても半袖を好まず、長袖を捲りながら毎年やり過ごしているのだが、この日はその袖を肘まで引き上げる必要を感じない、爽やかな空気の晴れの日だった。
 帰りは雲が湧き、煙に纏わりつかれたような濁った空に、昨夜はなかった背のべたつきが戻って、行きは引き上げずとも良かった袖を深く捲らされる。特に何があったわけでもないが、人のあいだで働くというのはいやに面倒だと、肉体と言うよりは精神の疲労倦怠に思いが流れて、周囲の物々もあまり耳目に入らず、自宅間近の下り坂の末端まで来てようやくひらいた景色に意識が向いて、黒影と化した木立の奥に川向こうの灯が、こちらの歩調に合わせてゆっくりと萎んではまたひらくように見え隠れするのに、侘しさの情が薄く滲むようだった。

2017/7/18, Tue.

 前夜の帰路には既に雨の近づきを感じていたが、それがこの昼の二時前、驟雨となって顕在化した。窓の外が暗く沈んできたのにそろそろ来るなと洗濯物を仕舞ってからまもなく、降り出しから棕櫚の葉に当たる音の高くて、水を一気に零したような雨が始まり、早々に盛って、一時は窓ガラスに打ちつけるもので景色が歪んで流動化するほどだった。じきに終わって晴れの気配が見えたかと思いきやまたにわかに曇って降りはじめ、続くあいだも振れ幅が大きく、雨音が高まっては次の瞬間には収まり、近間に素早く滑りこんでは引いて行くのが、妙な言い方だが、機動性の高い雨だった。
 続いた時間は短く、三時半に出る頃には止んでいて、また降ってはと念の為に傘を持ったがこれは使う機会がなかった。まだ雨が残っているかのような水音が林のなかから立ち、露わになった陽射しにアスファルトからは湯気が立って、空気の流れに合わせて低く這いながら回転している。光には力があるが、たびたび流れる雨後の風が涼しくもある。裏道に曲がると、集合住宅の横、小公園の木からだろう、陽色の通った空気のなかにミンミンゼミの声が響くのが、夏めきを感じさせないでもなかった。数日前、自室にいるあいだに遠くで立つのを耳にしていたが、すぐ近くで鳴く声を受けるのは今夏初である。
 前日に続き、夜道には風がよく吹き通る。今日は冷たさを感じるほどの涼気ではないが、昨日より全体に気温が低いようで、実に久しぶりに、シャツの内が汗でべたつくことのない、心地の良い夜歩きだった。

2017/7/17, Mon.

 蟬の羽音のばちばちと響く正午前の林から、夜の更けかかった帰り道まで、風の多い一日だった。夕刻の往路には熱が籠められて漂っていたが、柔らかな風が生まれて吹きこんで来ると、糸のように腕にまつわって、暖気を搔き混ぜ乱してくれる。陽射しは幸い雲に絡め取られて、街道を行く車の底から、影もほとんど湧かない。新聞屋の前、丁字路の角で白の百日紅が咲きはじめており、きめの細かい清潔な泡を丸く膨らませて枝先に受けたようになっているのを、遠目に見留めた。無造作な雲に濁りつつも明るい空に、西では大きな塊が丘の向こうから伸し上がるようにして天頂に突き出し、それとて暗むではなく、陽をしっかりと包みながら内からその光に浸されているのだろう、毛布のように穏やかで涼しい青に一面染められていた。道の終盤で振り返ると、光の切れ端が雲の際から沁み出して、空との境界部分が灼きつけられたように輝いていた。
 建物を出ると路面に水気が小さく残っているから、屋内にいるあいだに一雨通ったらしい。威勢の良い風が道を埋めるようにして正面から吹き流れ、そのなかに久方ぶりで、冷涼と言うべき感触の含まれているのが、更なる雨の予兆めく。雲はほつれながらも黴のように湧き、合間から暗みの覗く下を街道まで来ると、風がさらに勢いを増して草を煽り、木立からは葉擦れをざわざわ立てさせるのに、いよいよ雨の近いかと、いつ来るとも知れぬものが落ちはじめるのを窺うような目になったが、顔に触れるものはなかった。今夜中か、それとも明日にはと思って帰れば、翌日は雨だと聞かれて、さもありなんと得心が行ったものだ。

2017/7/13, Thu.

 正午過ぎ、食器を空にしたまま卓に留まっていると、突然の雨が落ちはじめた。曇ってきたなとはぼんやり見ていたものの、風もなく、予兆らしいものも感じ取れず、降りはじめから間を置かず一挙に速度を上げる雨に、急いで立って洗濯物を取りこんだ。雨は短い一過性のもので、それから三時間ほど経って出かける頃にはふたたび陽射しが戻っており、脇から突き出した山百合が大口ひらいて斑点を晒している坂を上って行くと、駅の階段は光と熱の回廊と化していて、入れば液体じみた陽光に濡れそぼって激しく漬け込まれる有様、屋根の下でシャツの背をばたばたやりながら電車を待った。
 東京ではこの日が盆の入り、暮れには仕事で暇がなかったのだろう、夜道、料理屋の戸口で老夫婦が迎え火を焚いていた。斑状に掛かった雲の隙間に青が深く溜まって、なかに星が瞭然と灯ったその下、地上は気温が比較的低いようで、肌を撫でる微風のなかに涼しさの感覚が小さく含まれていた。月はそろそろ会えない頃かと見廻しながら、家の近間の坂の上まで来ると、出たばかりらしく赤みがかって低い姿が市街の空に見られて、揺らぐ水面[みなも]に映った鏡像さながら、細い雲を差し込まれて折り目を付けられたように乱れていた。

2017/7/12, Wed.

 振り向いた窓が、いつの間にか仄暗くなっていた。流していた音楽の裏に風の音を聞いたように思ったのは、あれはどうやら遠い雷の響きだったらしい。時刻は二時、洗濯物を取りこみに行くとベランダには既に散るものがあって、吊るされたものを室に収めてまもなく、夕立めいて駆け出した。地上は薄暗いが南の空には青さが見えていて、明るみが半端なように混ざって不調和ななかを雨はしばらく盛り、止まったあとには遠くから、気早な蜩の声が一つだけ、細くかすかに伝わった。
 夕刻、風が林を駆け回り、大きな鳴りを起こす。坂に入っても頻りに周囲が立ち騒ぎ、目を落としていると車が来たかと錯覚するほど、そのなかを抜けて出口間際で、木立の一番端に立った樹が搔き回されるのを見上げていると、にわかに動きが強まって、既に乱れていたものに拍車が掛かってさらに荒れ、くっきりと重いような響きの降ってくる下を過ぎたあとから、遅れて厚く、風が正面から顔に吹きつけて来た。道中も風が時折強く走るなかを、吹き飛ばされる落葉のようにして雀が宙を滑り、飛び交っている。家の傍ではかすかな滴が顔に散って、瞼のあいだに入りこんでも来たが、それもいつかなくなって、傘を使う用は生じなかった。
 帰路、道端の樹の木末が黒くわだかまり、縺れたような影となって、その向こうに覗く空は樹影とほとんど色の差異も見られず、月も星もなくて暗く墨色に沈んでいた。前日までは歩いていれば、足を炬燵に突っ込んだように靴のなかが温もったものだが、この夜は雨のあとで、大層緩いが風があり、暑気は多少ましなようだった。それでも血が身体を巡るうちに、襟足がやはり濡れてくる。家の前、戸口のすぐ下まで来たところで東南の空に、不注意でちょっと擦り付けてしまったかのようなオレンジ色の断片を見つけた。見つめていると目の錯覚でその輪郭が膨張と収縮を繰り返すのだが、それにつれて色の範囲も実際にゆっくりと広がって円みを帯びて行き、少々欠けた月の形を成したかと思うと、膨らんだ時と同じ緩慢さで周縁部から少しずつ嵩を落として行くのに、完全に消えてしまうか否かと物語の先を予想する心で見守っていると、月は果たしてくすんだ雲の膜に呑みこまれ、表面に何の痕跡も残さず隠れきって、綺麗な終演が訪れた。

2017/7/11, Tue.

 風の厚く吹き流れて葉擦れの賑やかに膨らむ日中、走るものに拍車が掛かって、甲高く細い唸りの鳴り出す時間があった。四時前ではまだ陽も盛って侵すように肌に沁み入るそのなかを、近間の最寄駅へと向かって行く。坂に入ると正面の樹々が木洩れ陽と緩い風を受けて、天然の電飾さながら、ゆったりと明滅する光をあちらこちらに湛えて緩慢に騒いでいる。駅に着くまでのあいだに既に汗にまみれ、やっと入った屋根の下にも北から明るい陽射しが寄せており、ベンチに座っても脚から腰まで分厚い熱に浸される有様、堪らず立って、ホームの端に僅か残った日蔭のなかに避難した。外では草が緑のなかに、磨きすぎたあまりに削れてしまったような純白を宿して、鷹揚に揺らぎながらもしかし同時に、硬化して金属に変じたかのごとき感触を表面に貼り付けていた。屋根に遮られて小さくなった空の隅、溜まった雲の、光に貫かれて浮き彫りとなっているのが蔭のなかから眺めていても大層眩しく、そこばかりを見つめているとその輝きに中てられたのか、見慣れた平生の居場所を離れて、旅の途上で初めて見る空の下にいるような、そんな錯覚が兆しかねない瞬間もあったようだ。
 月は出が遅れて低く、昨夜は真白く照り映えていたのがこの晩は黄味を強めながら右肩を隠しはじめていた。暑い夜道に、髪の内に湧く汗がくすぐったい。下り坂に入るとこの日も、風に触れられて回転しているかのような虫の音が周囲に立ち、それはあるいは、ぜんまい仕掛けの玩具が木立の奥で駆動しているかのようでもある。そのなかを通って、木の伐採されてひらいた斜面の脇に掛かると、寝かされた丸太の放つ香りか、熟したような甘さが立ち昇って鼻を刺激した。

2017/7/10, Mon.

 大きな風が吹き、草葉の擦れる音がたびたび広がって響く昼間だったが、ベッドに横たわっていると背に熱が籠って、枕の端に載せたうなじが湿るのも煩わしかった。身体を拭いてから出かけた夕刻、風は残っており、坂ではニイニイゼミの声が薄く立ち上がる。丘とのあいだにまだ空を残した太陽が、背から尻から膝の裏まで照らすのに包まれて緩慢に行っていると、紅色の百日紅が咲きはじめているのを一軒の塀に見留めた。腹を白く晒して飛び立った鳥の頭上を渡るさまが、水のなかを泳ぐ魚のように映った青空である。街道にいるあいだ、視界の上端に空が入って釣られて仰いだ青の淡さに、陽が昇りはじめた朝の道を歩いているような錯覚が挟まる瞬間があった。
 前日がちょうど望の日だったらしい。帰路、星の散らばって澄んだ空を東に振り仰げばこの日も円い十六夜の月が浮かび、まさしくそこだけ刳り貫いて夜の裏を覗かせたかのように白々と、清く照っている。暖気の漂って残り、温い道だった。肌を濡らしながら街道まで行くと、夜でも公園の灯りに誘われたようで、桜の木からか柳のほうか、浮かぶ緑のなかからニイニイゼミの声が響いていた。道端の紫陽花が腐りはじめているのが、暗がりにあっても目にわかる。下り坂に入ると僅かずつ異なった虫の音が、遠く近くから次々と、替わるようにして立って重なるそのなかを抜けて、家の間近でもう一度月を眺めると、明るい空を下から浸潤している山影が、墨で描かれたように柔らかく映った。

2017/7/8, Sat.

 正午前の炎天下、不要な木材を鋸で切り分け汗だくになって以降、肌のべたつきが取れなくなって、夕刻、職場に出る前に湯を浴びることになった。浸かっていると、外から虫の音が入って来て、随分と蜩に似た声だなどと思っていたところが、支度を整えて居間のソファに座っていると薄明のうちにまた立ち昇った声が、蜩以外の何ものでもない。今夏、初めて耳にする。錯誤が挟まったのは、どういうわけかまだ時期ではないと勝手に思いこんでいたらしいが、過去には夏至を過ぎて間もない頃に聞いた覚えもあるのだから、むしろ遅い方なのかもしれない。家を出て坂に入り、まだ隙間を広く鳴いているのを聞いてもしかし、夏の到来をしみじみと感じ入るでもなかった。いつの間にやら七月に入って気温も高止まりし、朝ごとに汗に濡れながら起きて日中も絶えず肌を粘らせていても、季節に対する感慨をあまり強く覚えないようなのは、過去の日記に書いた言葉を使えば、歳月とともに時間というものも形骸化していくと、そういうことだろうか。一匹、鳴きはじめたと思った途端に声が途切れたものがあって、見ればそちらから鳥が立ったのに、まさか食ったのだろうかと、何故だか信じられないような気持ちでいると、頭上に移った鳥の方からぎぎ、と軋むような声が落ちたので、やはり食ったのだなと樹々を渡る影を見上げた。
 空は黄昏の青さに入る直前で、雲が含まれているとも見えないが淡白に褪せて、なかに赤く、桃色めいても見えるような満月が低く掛かっていた。風呂の直後から肌は湿り続けており、汗の玉が背に流れるのが感じられる。裏路地に添った森からは蜩は立たず、静けさのなかに夕餉の匂いを嗅いだり、食器の触れ合う音を聞いたりしながら歩いた。頭痛の芽生えがあって既に疲れたような、気怠い道だった。
 職場で会議を済ませた帰路は空虚な気分になって、どこにも所属したくないと例の倦怠を繰り返す。鼻水が少々湧き、くしゃみも出るのに風邪を思ったが、じきに温まった身体が落着いて、頭痛も芽のままに留まっていた。夜になって空に雲が混ざったらしく、南の正面に近くなった月はいくらか靄って、橙色の光をぼんやりと広げていた。

2017/7/7, Fri.

 洗濯物を取りこもうとベランダに出ると、光線が肌に強く、染み入るようで、陽の色に明るく照らされた眼下では、緑が絶えず緩く揺らいでいる。このなかを歩いて行くのはさすがに骨折りだと、出かける母親の車に同乗させてもらい、医者の間近で降りた。身を包む液体めいた陽射しの大層厚くて、途端に肌が粘りはじめる。それでも晒されて道を行くうちに、暑気の身体に馴染んで軽くなってくるような感じがあった。
 診察は五分程度で終えて薬も貰って出たのが三時過ぎ、陽はまだ旺盛で、目を細めて睨むようにしながら行く線路脇、低く植え並べられた名も知らぬ草の、無装飾に葉茎を突き出して濃緑に調ったものがてらてらと光を溜めて、まるでプラスチックで組み合わされた模型のように映った。図書館に入って作業を進めているうちに、五時に掛かると大窓を塞いでいたカーテンが上がって行き、現れた外の景色はまだまだ明るく暑気もいくらか残っていそうだが、風は走っているようで、コンビニの外に立てられた旗が悶えるように震え、ぼさぼさと乱れ繁った街路樹の枝葉が下から煽られてうねる。階上まで繋がっている大窓は首を傾けて目の届く端まで一面、薄雲混じりの穏和な青に満たされて、窓は南に面しているので夕陽は見えないが、空に流し込まれたような白さを背にビルの輪郭が滑らかに象られているその境を見つめていると、光の感覚が目に強く、逸らして眺めた南の果てには丘陵が、ちょうど顔の高さでほとんど上下もせずに、なだらかに空の下端を縁取りながら淡い陰影を施されていた。
 それからしばらくのち、休憩がてら水分を摂りに行くことにして席を立ち、西窓の彼方に剝き出された夕陽を見ながら階段を下り、入口外の飲食スペースで柑橘類のジュースを飲んでからなかに戻ると、陽はやや低くなっており、奥の階段口から照射された朱色が濃厚に、油をぶち撒けたようにしてフロアに流れている。人が階段を下りて来ると、床の上に傾いでそこだけひらかれた暮れ色の矩形を影が埋めるようにして、しかし埋めきれず、人はまだ階段を踏んでいるのに驚くほどに長く伸びてこちらの目の前にまで届くのだった。自分の顔もいま赤く染まっているなと思いながらそのなかを通り、席に戻って書き物を始めたところがうまく行かなかった。閉館まで時間も少ないのに記事が二日分残っているのが焦りを呼んだようで、二日前だと記憶も薄くなって容易に掴めず、作文が空回りに終わって退館した宵、月は東の満月で、星も見えず暗いが滑らかに冴えた夜空に暈も作れず、ただこちらの歩みに応じて刻々と角度を変じながら両側に突き出す光線を、放つと言うよりは上から次々と被せられるようにして輝いていた。

2017/7/6, Thu.

 午後三時を過ぎた頃、窓の外に葉を打つ音が散らばりはじめて、詰まった響きの雨が始まった。しかし同時に、白い家壁に重なる陽の明るさも垣間見える。前日は持っても使わなかった傘を今度はひらいて家を発つと、坂の上から風が、大きく涼しく走って来たが、表に出る頃にはぱったりと空気の動きが止まっていた。頭上は青く暗んでいるものの、降るものは弱く、西空が薄くなってもきている。路地に入ると背後から暖気の気配が寄ってきて、蒸し暑さが裏に籠るので傘を閉じ、ぽつぽつと落ちるものを構わず受けて歩いて行った。
 勤務が長い方の日ではあったが、世の尋常に比べればよほど短いところを、人のあいだにあって寄せる外圧にいつまでも強くならない身体らしく、勤めを終えると頭痛が始まっていた。今週の労働はこれで仕舞い、しばしの解放が訪れたはずが、前夜の道で覚えたほどの自由も感じない。雲の多い空に月は生え初めた芽のようで、それでも光は白く明るくて、雲の脈が分かれて作る複雑な模様を顕に照らし出す。傘を杖のようにこつこついわせながら行く脚の、頭痛と繋がってもいるのか大層疲労し鈍くこごって、ゆったりと歩く間に、月はだんだんと雲のなかを抜け出して、街道を渡って路地に入る頃には、もうかなり円くなった姿を晒していた。それを見上げているところに背後から車が来たので、脇に避けて目を落とした先、ヘッドライトを投げかけられた紫陽花の、瞬間浮かんだ赤紫が鮮やかだった。

2017/7/5, Wed.

 陽の色の窓に見えて、爽やかな空気の流れるなかに起きたところが、午前が尽きるにつれて曇り空となり、モニターを前にした肌にいつの間にか汗をかきはじめている。出かける直前には雨が始まって、ざっと流れてすぐに衰えはしたが、大気の気配の定めがたさに、昨日は余計な荷物と払った傘を今日は持つことにした。坂から遠くに見下ろす川は前日の雨に増水し、土色に濁りながらそのなかに、黄緑の感触を僅か混ぜてもいる。街道では久しぶりに、燕が曲線を描いて宙を駆けるのが見られた。見上げれば雨雲が淀んでいるが、離れた空は色が薄く、明るいような暗いような、しかし歩くうちに陽が出て影の浮かぶ時間もあって、傘を使うことはなかった。
 帰路、夜の路地を行っていると、大きな風が走って久しぶりに涼しさというものを感じさせるようで、頬に寄せて続くのに軽い恍惚感らしきものが滲む。解放の感覚に浸ってゆったりと行く脚に、荷物だと思っていた傘の杖つく音がこつこつ添って、そのリズムさえもが心地良いようだった。どこにも属さず何をもせずただ脚を動かしているだけの、どこかからどこかへ移り渡っている歩のあいだの宙吊りこそが、自分にとっては自由というものを如実に感得させるらしい。またすぐに、どこかに止まってしまうのだが、いまこの時ばかりは、と風を浴びていた。

2017/7/4, Tue.

 鶯の鳴く声の、久しぶりに窓の外に盛んに立って、その合間に時鳥の音も差し込まれて届く賑やかな昼間だった。そこから少々下ってから出た往路、夜から台風が来るとか聞いていたが、確かに涼風の先触れはなくとも、真白く起伏のない空と小暗くくすんだような空気に、雨の雰囲気が籠っている。大方降る気色に見えたが、傘に片手を奪われるのが煩わしくて、降れば降ったで、と軽く払った。コンビニでちゃちなビニール傘を買っても良いし、最寄りまで電車を使ってそこから一〇分足らずの道を濡れながら駆けても良い。そんなわけでいつもと同じ、何も手に持たない身軽な格好で発ったが、軽く気楽な身のはずが脚が速まっているのに途中で気づき、そこからはポケットに両手を突っ込み歩調を落として、ぶらぶらと緩いように行った。職場に着いたのは、ぎりぎりだった。
 夕刻から降り出して、勤めたのちの夜にも落ちるものは厚く、薄青いシャツに水玉を付けながら駅へ駆け込み、最寄りまで来ると今度は急ぐ気にもならず、平然ぶって濡れるに任せて雨のなかを行った。坂に入れば木蔭に少しは和らぐかと思いきや、樹の下は葉に溜まった粒が大きく強く落ちてきて、それは髪に吸収されずに顔のほうまで流れてくるから、かえって難儀である。通りに出る頃には頭から膝までそぼ濡れて、前髪を掻き上げた顔面に水が絶えず縦横に蠢いて切りがないが、あくまで走らず、来たるものを浴び続けた。

2017/7/3, Mon.

 布団の下で、肌に汗を溜めて寝覚めた朝だった。東京でも三五度に迫る猛暑で、雲はあって晴れきるでないが、眠りの少ない身体が暑気に頼りない。一一時を迎えて出た道に風はあり、坂の落葉は乾いて茶色く左右に積まれ、そのなかを駅まで行ってベンチに座ると、西行の和歌を読みながら電車を待った。屋根の下にあっても光が照って明るさに囲まれれば、熱気が日蔭のなかまで身を包むように迫って頭に上り、熱中症を思いもするが、折々に風が波打って寄せ、熱を散らす助けとなり、外では線路の周りに立った雑草が水底の海藻のように揺らいでいた。
 図書館で文を綴り、軽食を取りに出た午後、気温の調った屋内から一歩出た途端に、熱が群がって身の周りをぴったりと固めるのに、夏の空気とはこういうものだったなと思い出した。とは言え、おにぎりを買って座ったベンチの、風は弱く揺らぐ樹の蔭はこちらを逸れているが、陽は空に止まっており、三時まで来てさすがに盛りも過ぎて、さして暑いわけでない。周りで遊ぶ鳩のなかに、恋人同士のように連れ立った二匹がいて、熱情的な接吻を押し付けるように相手の顔周りを繕う片方に、もう片方は成されるがままになっていた。
 五時に到って館を去ると、先ほどの軽食時よりもよほど暑く感じられ、ホームに立っても頼りなげな身体に、高まっているわけでもないのに心臓の鼓動が煩わしく響く。眠りの少なさと猛暑とで既に疲れはじめていたようで、勤めを済ませた夜には身体が大層重く、頭痛が始まっていた。甚だしい疲労感に、慣れた夜道が長い。月は雲を煙らせるのみ、風があっても涼しさというものを忘れてしまったような夏夜で、じきに襟足が濡れるほどに汗が浮かんだ。帰って服を脱ぐと床に転がり、文庫本を手に休んでから、食事を取って風呂に疲れを溶かしたあとの夜半過ぎ、頭痛は収まったが、ふたたび本を持った手の先が、不健康に痺れていた。