2017/7/2, Sun.

 曇り日でありながら暑気は盛り、何をせずとも部屋にあるだけで汗が身を包んで粘る有様、七月に入っていよいよ夏も奮ってきたこの日、祖父の命日である。しどけなく転がって西行の和歌を読んだり、麻婆豆腐を拵えたりして日中の熱気をやり過ごしての暮れ方、都議選の投票に出た。七時を回っていたが、空はまだ青さが深みに入る手前で、見上げれば、綺麗に象られて浮かんだ月は上弦、樹々の間に白く重なった雲には、茜色の残骸が幽かに含まれているようだった。行く道の空気に、脇の家の花から洩れ出るものか、甘いような匂いが混ざって吸われる。
 樹々に接した坂を上って行くと、予想にないところで前がひらけたのに困惑し、そうか、こちらの道は近頃来ていなかったが、ここの林は伐られてしまったのかと気が付いた。水もほとんど涸れたらしい沢の跡を底に露わに、以前には見えるべくもなかった表の道路まで視線が通って、中途で断ち切られて残った薄色の樹の、断面から新たな枝葉が生まれ伸びているその先に重なって、青く浸った体の端をぼろぼろと零した夕雲が、残光の、最後の裾を受けていた。まもなく黄昏れても大層暑く、草間から近く叫ぶ虫の音の、耳にいかにも押し付けがましいなかに風も吹かず、汗がひどくべたついて、通りには風呂の匂いが漂ってくすぐる宵だった。
 投票を済ませると、ぽっかりと綺麗に、ちょうど半分から割られたような月を青の深まった空に戴いて、また汗をかきながら家に戻った。少々休んでから風呂に行くと、先ほど歩いているあいだはなかったはずが、外で随分と風が立って林を通っている。なかに赤ん坊の泣く声が、遠くから仄かに、伝わってきた。葉擦れが時折よほど大きく膨らむのに、枝葉を左右に揺り乱している樹々の様子を眼裏に浮かべながら湯に浸かった。

2017/7/1, Sat.

 雨の予想の、高さは聞いていた。昼を過ぎて出れば実際、散るものがあるが、降り出しというよりはむしろ降り終えのかそけさに、傘を持つ気にはならず、盛れば盛ったでどうでも、と払った。街道まで来ると落ちるものの間がやや狭くなり、顔に掛かってくる水に目を細くさせられたが、それもすぐに衰えて、じきに消えて行った。水気が宙に散っても涼しさは立たず、肌がべたついてやまない曇天である。
 立川で友人との会合、喫茶店で話して暮れ方、書店を訪れさらにラーメンを食ったのち、またもや喫茶店に入って、思いのほか長く、閉店時間まで話し込むこととなった。最寄りに着いたのは日付替わりも済んだ頃で、ぬばたまの、とはこのことか、漆黒に籠められた空のもと、足下[そっか]のホームの表面に含まれた何かの粒が、星の代理めいて、街灯の光にきらきらと応じていた。木の間の下り坂に入ると煙草のような香りが触れたのは、誰が吸っているでもなく、植物が自ずと吐く臭気なのだろう。道のあちこちから、まだ水気が散りきってもいない。風どころか空気の動きがまるでなく、周囲に耳を張っていても葉の擦れる音が一つも拾えない静寂のうちに、沢のせせらぎのみが、やがて小さく抜けてきた。
 玄関に入る間際、顔に触れるものの一滴を、その時は気にもしていなかったが、風呂に行ってまもなく、日中には結局降らなかった雨がここで始まった。湯に浸かって聞いているうちに、音は窓の向こうに浸潤し、降りは繁くなって、部屋に帰ってからも雨気が身に沁みるような具合に寄ってくる。響きからするにまっすぐ降っているようで、音も結構厚くなったが、そのわりに吹くものはないのだろう、風が室に入ってくることはなかった。

2017/6/30, Fri.

 前夜は窓の奥、遠くで、雨の気配が幽か兆しながらも降りまで結ばれずに収まることを繰り返したのち、三時の遅きに到って、さすがにもう眠ろうという瞑目の内に始まった。午前は降り続き、墓参に出た正午過ぎ、止んだなかに風は立たず、せめて涼気が寄ってくるでもなくて、外もなかも変わらぬような空気だった。
 玉のように円く太った紫陽花の寺に、平日の昼下がりで、雨のあとでもあってひと気はなく、墓地の上空に掛かった電線に、燕が並んで声を降らせるのみである。墓所を片づけ花を供えて、線香もあげてそろそろ行こうかというところに、近くの墓石に鳩が渡ってきて、それが我が家の墓所にも近づいてくる。駅前にうろついているのをよく見る種の、灰青色に落着いて首もとに緑や紫の差し込まれたのとは違って、土埃を被って褪せたような、土着の匂いの強いような鳩で、首の脇にはこちらは、小さな縞模様が飾りのように入っていた。眺めつつ立ち去りかねているうちに、墓のあいだを来る人があって、それがちょっと離れた街に住む大叔母である。鳩に留められて、たまたま行き会った形になった。彼女の持ってきたのも合わせて改めて花を調え、米も供えるあいだ、鳩は人に怖じず、墓石に乗って無遠慮に歩き回り、米を啄みはじめて終いには、大した勢いで貪っているのに、亡き祖父の妹は、おじいさんおばあさんがやって来たのだなどと言っていた。
 両側に分かれて戒名の刻まれた墓誌に、新たな名を彫る余地があと三人分くらいしかないななどと、混ぜ返していたところ、今まで気づきもしなかったがよくよく見ると左側の、幼いうちに亡くなったらしい者ら三列のなかに一人、童女とついた戒名だけで名の記されていないものがある。昭和五年と刻まれていた。祖父は大正一三年の生まれと言うから、六つの差になる。満州事変の起きた一九三一年に生まれて嫁に来た祖母には、一つ違いの義姉となったろうその子について、あとで大叔母に尋ねてみると、この人はいま七〇過ぎの末妹で詳しいことは聞いていないが、何でも「はつこ」という名の女児がいたとか言う。墓誌には書かれていないのだから、死んだあとから与えられたものなのだろう。それぞれに老いて弱りながらも生き長らえている祖父の妹たち五人の、その先に生まれながら、名を受ける間もなく逝った長女があったらしい。
 駅まで送られた大叔母とともに車を降りて、こちらは図書館に入った。出た暮れ方、西にひらいた雲間から絹のように伸びた黄金色のなか、近間のドラッグストアへ歩いた。横断歩道に止まれば、向かいの人々の顔の、片側は光を浴びて色づき、片側は影を帯びて、誰も夏の日によく焼けたかに見える。買物が済むとあたりはもうだいぶ黄昏れて、金色は低く、建物の裏に隠れたが、西にひらいた道の果ては、埃が密に舞うかのように琥珀色に霞んでいた。

2017/6/28, Wed.

 木の下にも、暖気の漂って身に触れる曇りの昼下がりだった。空は大方白く、雲も厚く思えたが、綻びに青さがちらほらと見えてもいたようで、坂を抜ければ薄陽が眼前に浮かぶ。離れた電線で声高に、曲線的な鳴きを上げている鳥を、画眉鳥らしいと聞いてから表に出れば、少し前には宙を盛んに飛び交っていた燕の姿も声も、街道に見当たらない。裏に入ると鵯が電線に止まっていて、鳴かないなと見て過ぎた直後、一羽をきっかけに一斉に声が立ち、互いのあいだを反射して行き来し、四角い輪郭を描くように、宙に響いた。進めば森の方でも、樹々に紛れて姿は見えず、何を伝え合っているのか、鳴き交わしている。やがていくらか涼しくなったような気がしたが、吹くというほどの動きも空気にはなく、肌が暑気に慣れたというのが本当だろう。
 勤めを済ませた宵も外に出た途端に鼻に温さが匂って、夏至も過ぎて気温の高止まりした夏の夜らしい。西はやや晴れたか、空が青く深まっていた。涼しくもなく蒸し暑くもなく、ただ温いような夜気に、肌は粘るほどでないが湿りを帯びる。闇にのしかかられるような裏の通りを、ほかにひと気もなく、虫の音を共連れに一人で黙々と歩いていると、またこの道の夜を行っている反復に、何か現実感が稀薄になって、鮮明な夢のうちにいるかのような気がしてきたものだ。表で炭酸飲料のペットボトルを買い、手にぶら下げて家の傍まで来て、下り坂を出る間際、林に風が走って、なかから立った響きのにわかに雨音めいたのは、葉が揺れるだけでなく枝から離れて下のものに当たるからだろう。散った葉の、色合いは鈍く濁り気味だが、脇に転がって道を彩っているのをここ数日の日中、見留めていた。

2017/6/27, Tue.

 靴を履いて玄関を出る間際に、密閉された車に長く乗って酔った時のような疲労感が、鼻筋から眉間のあたりをかすかに通った。気付けば身体も、微熱ほどですらないが熱を持っており、四肢の先に頼りないようなぶれを感じる。その肉体を外の空間に慣らすようにして、病み上がりのような緩慢さでとろとろ歩いて行ったが、僅か流れる風も涼しいでもなく、停滞気味の空気だった。それでも脚を動かすうちに、血がよく巡るようになったのか、身体はこなれて、自らの輪郭に落着いて、いくらか楽な風になった。
 出掛けの薄い愁訴のわりに、長めの勤務が事なく済んで、終えれば身体は軽く、気力が残っているらしい。道に掛かる光のなかが煙いようで、水気の匂いも鼻に寄るのに、どうも雨が降ったのではと見れば、確かに路地の両脇に、濡れた名残りが薄くある。室内にいたあいだ一度、雨音らしきものを聞いた覚えもうっすらあったが、それをさして気にせずすぐに忘れて、また水溜まりも作られず、道の真ん中は既に平常の色に乾いているところでは、短く去った雨だったのだろう。それにしては空気に霧がかったようなところが残り、湿り気の匂いも定かだが、雨後の涼しさはなく、風も通らず、かと言って暑いほどでもなく、半端な夜気だった。
 帰って飯を平らげたところ、しかしすぐに椅子から立ち上がれず字義通りに腰が重いのに、体力の残っていたつもりがやはり疲れはあると見えた。湯を済ませて戻った部屋に入る外気の、深夜に到っても冷やりともせず過ごしやすい代わりに、睡気が混ざりがちの濁った読書となった。

2017/6/25, Sun.

 道を前から、風が滑ってくる。通りがかり、下方から昇って一瞬耳に触れた沢音と、肌を包む風の湿った柔らかさに、確かに雨が落ちてきてもおかしくはない気配を覚えた。高い降水確率を新聞の予報に見ていたが、玄関で傘を取る気にはならず、今更戻る気もなくて、降らば降れと払って坂を行くと、鶯が鳴く。部屋内で、文庫本を手に転がっている時から聞こえていた。窓先に何かの声を聞いたのに一瞬遅れて、文字から耳に意識が逸れた合間に、あれも鶯のものなのか、鳴ききるのではなくて二音で半端に途切れ、そのためにかえって音程を顕に旋律の破片めいて耳に残る声があるのに、鶯も近頃の暑さに参って鳴き通すにも苦労かなどと戯れに思っていたところが、外で聞けば鳴きは大きく、朗らかさに程遠く雨気の近いような曇天のなかでこそ、むしろ朗々と渡る響きのするものだ。
 空は灰に染められて、表ではよく吹いた風が、裏に入ると、森には寄るが道まであまり降りて来ない。あちらこちらで日曜らしく、ボールを投げ合っていたり縄跳びを飛んでいたり、子らが外に出ていて、草茂る空き地では幼児を抱えた父親も混ざりながら群れでサッカーボールを蹴り合って、なかで転んだか女児が一人泣き声を上げているのに、ゲームだのスマートフォンだのあっても外遊びの文化が廃れきっていない我が田舎町かと見た。
 電車内でも西行の和歌から時折目を上げて、外の色を窺うようにしていたが、東京駅を降りても落ちるものはなく、そそり立つビルに押し上げられた空が変わらず灰に淀んでいた。知人と合流し、店を移りながら夜半前まで話しこんで、別れたのちの車内は大方立ち放しで、住む町に帰る頃にはさすがに脚が疲れて、その強張りをほぐすように一歩一歩、暗夜の道を行った。既に一時過ぎ、己の足音と、重なり合う虫の音のみが響いて家明かりも定かでない路地に、時々それでも、湯の響きやらテレビの音やら、家内にいる人の気配が通りすがりに立って届く。遅い時刻に、欠伸も湧かない。思い返せば電車内でも一度も出なかったのも、人中に出て多少なりとも張ったであろう気の名残りだろうか。身体が熱を帯びているのも遅くまで人のあいだにあったせいか、涼しい夜気に肌を冷やされながら、家路を辿った。

2017/6/24, Sat.

 窓から覗く空気の日影に色付いて、部屋内にも暑気が入ってわだかまる夏の風情に、この陽のなかを歩いて行くのはと怯んでいたところが、昼が下るといくらか雲が掛かって和らいだ。三時過ぎの坂には大きな葉鳴りが渡り、吹く風は厚いが重みはない。しかし途切れれば、熱の籠った空気そのものが粘って嵩張る。坂を抜けると一軒の屋上に、風に上下に煽られる蜘蛛の巣とともに鵯が一羽、白さに巻かれた太陽を逆光に、立っても飛ばずにその場で低く跳躍を繰り返してから、やがて移った樹の緑葉の、弱く艶めいていた。この日も身体が固くて歩みは鈍く、矍鑠と歩く老婦人にも抜かされながらのろのろ行くあいだ、背は濡れるが、風がよくあって不快ではなく、蒸し暑さで言えば昨日の方が強かったようだ。
 図書館の席が空いていなかったので、コンビニ前のベンチでおにぎりを食ってから喫茶店に入り、文字を打ち続けて数時間、そうして涼しくなった家路を辿って、扉をくぐる前に蛍は今日もいるかと林に寄れば、初めは暗闇だけだったが気配を殺すように待つうちに灯りはじめた。目に街灯が掛かってくるのが邪魔臭くて、暗がりに数歩踏み入って眺めると、木の間を虚ろに浮遊しながら小さく明かる光の、ありがちな形象ではあるが、花のゆったりと闇にひらいては閉じるがごときさまである。しばらく見てから離れて、時計を確認すると九時を示しているのに、もっと夜の浅いつもりでいたと困惑が差し挟まったのは蛍につられたか、涼しいような温いような夏の宵の口を思っていたらしい。

2017/6/23, Fri.

 仄かに陽の色の窓にあるなかで起き、枕の上に就いて瞑目しているそのなかで、風が一度、窓外に膨らんだ。カーテンをすり抜けてその裾が肌に触れてくるのが、起き抜けの、まだ暑さの移っていない身体に爽やかだった。その後の日中は蒸し暑く、服を脱いで肌を晒す時間も多くあり、暑気のせいかやけに気怠く睡気が湧くのに、英語を読んだあとには微睡みもした。
 夕刻に出れば薄白い曇天が涼しくなっており、これならと思ったところがそれは錯誤で、涼気を覚えてから三分も経たず、坂を上りながら既に汗が滲みはじめる。風はある。街道では正面から走ってきて身を柔らかく包み、道中もそれなりに通って、空気に熱の籠った感触も定かにないが、湿り気はよほど強いらしく、背に肌着が寄り付いてきて冷たくなるのに、梅雨入り以来最も蒸した夕方ではないかと見た。
 前日と同様、帰りは身体が、とりわけ腰がこごっており、今週の勤めはこの日で仕舞いだが、解放の気楽さも特段なく、丹念なように歩を運んだ。星も前夜と同じく、赤味がかった一つが明かり、しかし少々低くなったようで、加えて今夜はその上方、天頂近くにもう一つ、仲間があった。帰り着いたあとは久しぶりに、服を脱いですぐ食事に向かわず横になってしばらく休み、風呂を済ませたあとにも眠ってしまい、そのうちに夜半に深く入りこんでいた。書くことを書かねばと椅子に腰を据えて三時を回り、目はモニターの光を受け脳は言葉を巡らせたためか、意識が興奮して固く冴えたようで、睡気の小さな灯しもない頭を、西行の歌を読みつつ落着けて、未明の青さが洩れてこないうちにと明かりを消した。

2017/6/22, Thu.

 モニターに向かい合っていると身体が温みを帯びて蒸し暑い曇天で、夕方に到っても雲は晴れず、出ると前日の水気がまだ残っているところに、気温が上がって染み出したものか、湿った植物の匂いが大気に混ざっていた。木の間の坂を上るあいだは正面から風が走って続くが、平ら道に出ればその恩恵もない。太陽は洩れて来ず、北西の空の表面に光を留められ、円く小さく溜まっていた。身体がいくらか淀んでおり、歩調は自ずと鈍くなり、出るのが若干遅かったので腕時計を見ながら間に合うかと危ぶまれたが、急ぐのも億劫で、構うまいと払って気怠い歩を続けた。
 遅刻は免れた。夜、大した勤めでないけれど身体はさらに疲労し、腰から下がこごって、踏み出しが硬かったが、欠伸を洩らしながら行くうちに脚はほぐれて、肉と節の推移が滑らかになるようだった。雲はいくらか薄くなったようだが、星は一つ、空の中央に明っているのみ、あとはほとんど沈みきっている。自宅への分岐点まで来ると、西空がひどく黒いのに目を瞠らされ、落ちていくような、と自ずと浮かんだ。地上との境など消滅し、樹々もなかに溶けて見えない濃密な闇の、その真ん中にしかし、先の一つ星が変わらず、針で突いたように点っているのが遠かった。
 家のすぐ傍まで来たところで、林の方の暗がりに何か浮かんで滑るものがあって、目の錯覚かとも思えたが直後、また浮かんだのに、蛍ではないかと脚を停めた。幼い頃にはよく目にしたものだが、その後消えて、ふたたび見るのに十数年は隔てている。折角だからと眺めていると、樹々の奥の方にももう一匹現れ、はっきりと光りはしないが沢のなかにもいるらしい。光を柔らかに、ゆっくりと灯しては落としながら漂い滑る姿のいかにも霊体めいて、なるほど、魂というものがもし目に見えて現れるならば、確かにこんな風かもしれないなどと、ありがちなことを思った。歌でも詠めれば風流なものを。

2017/6/21, Wed.

 目覚めると、雨の響きのなかにいた。枕に腰を乗せ、瞑目して耳を寄せるうちに宙を走る雨音の拍車を掛けて迫るのに、耐えるようにしていたが、じきに音がほぐれたようになって空間に沁み、耳にも馴れたなかから、救急車の音が薄く伝わってきた。雨はなかなかに厚く降り続いたが、三時頃に外を見ると山の姿が霞まずにあって、その頃にはもうそれほど密に詰まってもいなかった。
 疎らになった雨のなか、坂を行くと風が走って、煽られた木の葉が裏返って薄色を覗かせる曇天に、大気は蒸すともなくて馴染みやすい。街道に来ると雨はさらに衰えてほとんど消えかかっているところ、しかしその衰退の急調子に不規則を感じてまたすぐに来るのではと、傘も持たずに髪を濡らした女児の、何かを待つようにして道端に佇んでいる傍を過ぎて見ていれば、果たしてまもなくふたたび始まって駆けるのに、あの子はさらに濡れそぼっただろうなと背後を思った。雨はそれから、道中幾度か不安定に満引きを繰り返した。裏路地の初めにはもう弱まっていたが、中途、電柱に乗った鴉が背を伸ばし、羽を後ろにちょっと広げながら飛ばず、間の抜けた声で鳴いているのを見た直後、また盛って、前から傾いて流れるものにスラックスを濡らされているうちに、空き地に掛かる頃には早くも落着いて、耳も空いたなかに届いてくる虫の音の、蟬のそれに似て撓み波打つのを聞けば、アスファルトから陽炎の立つ炎天の景色が眼裏に映り、夏が香った。その後、降りながらも影が薄く浮かぶ間もあり、職場に着けばほとんど止んでいて、傘をばさばさやりながら見た空に雲は素早く滑って、なかに入ってしばらくすると陽の気配も見えた。
 夕方は雨中に涼しさが馴染んでいたが、帰路に雨はなくなって、いくらか蒸した感覚が出てきていた。裏路地を抜けてきて表を行きながら、蟋蟀らしき虫の音の間遠く渡ってくるのに秋めいて、稀薄に拡散するようによく鳴いているのはやはり、三〇度まで上がった気候に活発化するものかと思ったところに、直後、いや今日の昼は雨だったのだと気づいて打ち消した。前日の暑気を引きずっていたらしい。緩い上りを定かに踏みしめて萼紫陽花を過ぎ、街道が僅かな下りとなっても変わらず丹念なような足取りに、道が長いなと浮かんできた。それは苦しさではない。またどうせすぐ、気づかぬうちに流れ過ぎるようになるのだろうが、いまこの時ばかりは長いなと、充実のようなものが幽かあるなかに、自足とは結局、存在の感覚ではないか、現在を見つめ続けることとは、世界のそこにあることを通して己のそこにあることを絶えず確認し、感得し続けることに等しいのではと、分岐路を入りながら思念がどこからか飛躍してきたが、それからいくらも経たないうちにその存在の感覚も、流され忘れられたのだろう。

2017/6/20, Tue.

 昼下がりに到ると淡い雲が出てきて、陽の色味がやや抑えられ、粉っぽいような明るさの南窓だった。久しぶりに三〇度まで上がるらしく、シャツを着るとそれだけで、肌に触れる布地の感覚が煩わしいような夏日である。木の下の坂を行くあいだから既に汗が滲み、抜ければ肌はさらに粘る。街道は、前日は道路いっぱいを覆われていたものだが、この日は時間が早くて北側の家々から湧く蔭の丈がまだ短く、辛うじて歩道を隠す程度であまり恩恵にもならないそのなかを行きながら、これから二時間ののちには、蔭が対岸に届くほどに伸びるわけだと、その成長を思った。
 まさしく身を包みこむ種類の暑気のなかにあっては湯を浴びているのとさして変わりもないかのようで、路地を行くうちに気怠さが湧き、熱の厚さ重さに、不安はないが、このまま知らぬうちに意識をふっと落としたりはしないかなどと、ちょっと頭に過る。風は道の端々にあって、盛ると背は強く熱されたまま身体の前だけが涼んで汗が冷えるのに、思わずくしゃみが飛んだ。小学校では水泳が始まっているらしい。通った女子の小脇に抱えた色鮮やかなプールバッグがきらきら光るのに、まるでブランド物の鞄を抱いて毅然と街を行く婦人のようではないかと、大人びて映った。
 夜気も涼しいというほどでなく、温さが残って、襟に囲まれた首もとがとりわけ湿る。往路の終盤でも陽が少々減じてはいたが、それから本式に雲が湧いたらしく、いまはなべて均質に空は曇って星など一片も現れず、西では山影さえ霞んでほとんど吸収されかかっている。道には虫の音が、オーディオノイズめいてまっすぐじりじり伸びるもののほかに、同じノイズでもいくらか音が高くて撓むものなり、それらとは異なって空気をはらんで震える翅の軽い響きの明瞭なものなり、種類が増えて夏めいていた。

2017/6/19, Mon.

 覚めた窓は白く満たされていたが、じきに晴れに移行し、久しぶりに気温も高くなった日で、温めた豆腐を食えば肌着の下の肩が熱を溜める。それなのでシャツを脱いでアイロンを扱ったあと、仕事着になって出た夕刻、木蔭の坂を行くあいだは空気の軽さ柔らかさに仄かな恍惚が滲むようでもあり、梢も鳴って横枝が煽られ涼しいが、街道まで来ると西陽の照射が強い。通りを渡って逃れた先の家蔭は広く、向かいまで掛かって輪郭はしっかりしているが、まだなかに青さは見えず、かと言って黒と言うべき強さもない、乾いた夕影の色である。脚の下端まで背後を照らされて路地を行くあいだ、前方を帰る高校生らの背負ったリュックサックが揺れる拍子に、金具が光を跳ね返して、あるものはシャッターを切るように間を置いて、またあるものは道の果てから信号灯を送るように素早く明滅するのだった。
 帰路も夜気に温みが残って、肌に水気が浮かんで袖を捲らせる。月は下弦も過ぎて出はよほど遅く、夜半過ぎらしく、空は暗みながら澄んで、星の灯しが太い。勤務後の渇きに誘われて久しぶりにと自販機で缶を買い、右手に持つと掴んだ指から冷たさが伝わって、身体の方まで涼しくなるようだった。下り坂を行くうちに何か聞こえてきたのは、鳥の声かと思っていれば木の間の先、下の道の家から叫ばれる女性の声で、言葉は定かに聞き取れないが、よほど耐えかねることがあったのか、近所に憚りもなく、まさしくヒステリックなと形容するべき激しさで喚き散らしているのを、どこも大変だなと静けさのなかに聞いて過ぎた。
 風呂のあとにまた涼みに出ると、先ほどは晴れていたはずの夜空がもう曇ったようで星が一つもなくなっていた。葉擦れもなく、細かな気配が点々と立つのみの林を抜けて、電車や車の音が伝わって来るのを耳に受けながら、肌を冷ました。

2017/6/18, Sun.

 玄関を出ると、夕刻に、雨がぱらぱらと落ちはじめていた。身一つならば気に掛けるものでないが、紙袋に詰めた本を見れば、繁くなった場合にそれらを守る術がないのは難儀で、傘を持つか少々迷ったが、持てば持ったで荷の多さが煩わしく、募るまいと根拠なく振り払って踏み出した。最寄りの駅までは降り増さず、蒸した電車に乗って乗り換えで席に就くと、西行の歌を読みながら移動を待った。『山家集』の春歌に触れる折々に窓の外を見やると、空気は仄暗いものの傘を差している姿も見えず、停まった際に線路を確認してもさして濡れたさまでなく、粒も目に映らない。これなら、と思っていたところが裏切られ、三鷹は雨、ホームのあいだの宙に白糸が間断なく垂れていた。
 駅舎内の商店でちゃちなビニール傘を買い、袋を身に引き寄せながら、小さなそれで何とか雨を防いで歩き、古書店に到った。覚えず長居となって迎えた九時にも降りは続いており、二つに増えた袋をまた身に寄せて駅に戻ると、電車はやはり蒸していた。帽子の縁に触れられて頭の周りが一周、湿る。
 最寄りに降りると、止んでいたのがちょうどいましがた、また降り出したところらしく、足もとに黒い点模様が次々と付されていく。帰って食事と風呂を済ませると涼みに出た玄関先、続くのはしとしとと、盛らぬ雨で、風も呼ばず葉鳴りも生まず、断片的な、揉むような音だけが林から立つ夜半前、薄布をふわりと広げたように涼気が漂い掛かってくるのを、風呂上がりの温んだ肌に受けていた。

2017/6/17, Sat.

 風が吹いている。道には降りて来ず、林の高く、梢のあたりを流れて揺らすそのさざめきのなかに、雨の予兆をかすかに感じ取るような気もする暮れ方である。とは言えすぐには、おそらくは今日中には降らないだろうと思われた。街道に出ても、道端の旗は絶えず揺らめいてはいるが、身になかなか空気の流れの定かに触れてこなくて、膜のなかにいるような停滞感に包まれる。裏路地に入るとようやく、森に沿った東風が道にも通って、方々で葉鳴りを呼んでいるそれは時に速まって耳を覆うが、途切れれば温む肌に、服の内に湿り気の溜まっているのが感じられた。
 職場で会議を済ませて帰り際に飲み会に誘われ、一、二時間だけいるつもりでたまにはと出たところが思いのほかに安らいで、帰りは結局、未明三時の遅きに到った。街道では燕が既に、細かい声を散らしはじめていた。明けの気配はまだ見えず淀んだ空のもと、暗さに紛れるようにして、ともすればこちらにぶつかって来ないかと思われるものの、支障なく宙を渡っているのは燕は夜目が利くのか、それとも表道の街灯の白い光に誘われて起きたものか。途中、一軒の横に細く設けられた車庫の簡易な屋根の上から、猫がこちらを見下ろしているのを見つけた。まさしく深夜の象徴であるかのごとき真っ黒な体のなかに唯一刻んでひらかれたその目と向かい合ってしばらく凝視を交わしたが、こちらが多少の動きを見せても意に介さず、あちらは堂々たる佇まいを微塵も崩さずにまっすぐな眼差しを返してくるだけだった。
 飲み会のあとにはままあることで、歩きながらしゃっくりが出た。酒は呑んではいない。摂っている薬の作用があるのだと思うが、ジュースを多く飲むとどうも、おそらくは胃酸が増えるらしい。軋みが頭にまで及んだ身体を運んで帰り着くと四時も間近、服を替えてなおざりな歯磨きをし、風呂も浴びずにそのまま床に就いた。遅くまで外にいたせいか、布団の下で身体が熱を籠めていた。腹から胸のあたりもまた軋んでなかなか寝付かれないなかに、ひらいた窓の先から、普段は渡ってくる川の響きが耳に触れないのに気づき、空も白みかけているのに囀りも生まれず、ただ静寂が平板に沁みているのを訝しむようにしていると突然、何の鳥のものか、悲鳴のように潰れた叫びが激しく立ち、それが遠のいたあとから時鳥も鳴いた。

2017/6/16, Fri.

 起きた時から窓辺の空気が柔らかくほぐれており、午前はそのまま晴れていたはずだが、二時頃、ヘッドフォンを頭につけてモニターに向かい合っていると、いつか葉を打つような響きが耳に混ざりだし、背後で急な雨が始まっていた。ざっと一挙に盛り、雷も遠くから頻々と鳴って、時刻はやや早いが夏の夕立のようだった。引きも早く、家を出る頃にはもう、粒は確かな形を保って傘を鳴らすものの、ぱらぱらというほどに弱まっている。街道に出て望んだ空は薄白く濁りながらも明るく、北側は既に青さが現れているような具合で、雷の唸っていた南の方は一面霞み、雨はそちらに逸れたらしい。裏路地を行くあいだには、落ちるものが止みきらないままに陽射しが出てきて、頭部に楕円を描いたこちらの影が道に宿るとともに車のガラスに白さが収束して震えると、傘の下が熱っぽくなり、並んで既に傘を下げた小児らも暑さを零していた。
 図書館で過ごして七時前に帰路に就いたところ、宵どころか黄昏にもまだ到っていない明るさで、時刻から受ける感覚と実際の空の色との差に混乱を来たすような夏至前の日永に、西に浮かぶ雲が残照をはらんで、目から入って触覚を刺激するかのごとく滑らかに艶を帯びていた。乗り換えに一度電車を降りて、もう反映もないかと見回せば背後に、薔薇色の残骸が緩くくゆっている。最寄りに着く頃にはさすがに黄昏に入ったが、そこまで深くもなく、空にはまだ青さが明らかな下、道の空気は肌に涼しさが強かった。