ガルシア=マルケス『族長の秋』を冒頭から五頁音読してから寝た。
朝の仕事がない日だったので久方ぶりに九時前まで眠った。昨日とおなじくすさまじい冷えこみの朝だった。チーズバーガーとカレーパン、麻婆白菜の残り、大根の味噌汁を食べた。ホメロス/松平千秋訳『イリアス』の第三歌を読んだ。
十時二十分から散歩に出た。風はゆるやかで陽射しも暖かく、マフラーをつけて歩いているとしだいに汗ばむくらいだった。晴れわたった空に絵筆を無造作に落としたような雲がいくすじか引かれていた。その下に広がる暗色の山林の麓から煙が湧き立ち、風に流されて家々を覆った。坂をおりていつもは渡る橋の手前で右に折れて裏道に入った。I.Tの家を何年かぶりに、もしかしたら中学生のとき以来に見た。きれいに整地された畑が広がり、葱と白菜が立ち並んでいた。少し上がったところの街道の車の音が鳥の声を邪魔しない程度に伝わってきた。頭上を低く烏が滑空して空き地に降り立った。森の上空を鳶がゆっくりとまわっていた。オレンジ色の帽子をかぶった幼稚園児たちの列とすれちがった。小学生のころにN.Nの祖父母宅を訪れてビリヤードなどに興じたのはこの界隈であったはずだが、どれがその家なのかもはや思い出せなかった。
降り注ぐ乳白色の光のヴェールをまとった山河を橋の上から見た。はるか下を流れる川の表面がきらきらと輝いていた。ドラッグストアに寄ってかゆみ止めとじゃがりことカルピスウォーターを買い、たいして冷えていないそれを飲みながら帰路についた。今日が始業式の中学生も続々と帰宅しはじめており、これは誰か塾の生徒に出くわすなと思っていたら案の定遭遇した。バス停の屋根の下にいる四人の女子生徒のうちの二人に見覚えがあることをすでに遠くから気づいていた。通りすぎる際に視線を送ると柵に腰掛けていた少女が気づいて、あーっ、と声をあげた。二言三言交わして別れた。行きにその前を曲がった橋を反対側から渡ったが、この橋は歩道がほとんどないと言っていいほどに狭く、車がやってくると必然欄干の際まで寄らないといけないので恐怖を感じた。橋にさしかかった直後から不安による浮遊感を覚えはじめ、冷や汗がわき出てきた。『族長の秋』をぶつぶつつぶやきながら帰って来た。片道四十分、往復で一時間二十分も歩くとさすがに足が疲れた。
買ってきたじゃがりこを食べながら日野=菊地クインテット『Counter Current』を流し、G・ガルシア=マルケス/高見英一他訳『落葉 他十二篇』を二〇七頁まで読んだ。ベッドの上に座って瞑想をした。わずか呼吸三十回分の時間だったが、意識がふっと浮かんで頭が前後に倒れかける瞬間が何度もあった。
風呂から出てスーツに着替えたあたりから、白雲に覆われた窓外の空と呼応するようにして心中にもやが立ちこめはじめ、吐き気未満の不快感と得体のしれない不安による息苦しさを感じた。今まさにストレスを感じていると自覚した。普通に立っていてもなんとなくふらふらするような感じがあり、最初の発作を起こす以前の微熱が長く続いた時期に似た印象を受けたため、これはまずいなと薬を二粒ずつ飲んだ。午前には澄み切っていた空はいつの間にか白に染まり、家から出るころにはぱらぱらと雨さえ降りはじめていた。母が医者にいくついでに送ってくれるというので甘えた。教室に入ってしばらくのあいだ目の前の空間を正常に認識できていないような離人症めいた感覚がつきまとっていたのだが、仕事に集中したためか薬がきいてきたのか、いつの間にか消えていた。
とはいえストレスを感じているのはまちがいないようで、帰ってきて食事をしていると妙に皮膚が敏感になったようでかゆくてたまらず、あっという間に腰回りや腕に蕁麻疹めいた発疹が広がった。風呂に入っているあいだもかゆく、もともと乾燥するこの時期は体はかゆいのだが、いつにもましてひどかった。Jose Feliciano『And The Feeling's Good』を流しながら日記を書いた。