岸 政彦「断片的なものの社会学: 第一回 イントロダクション」(http://asahi2nd.blogspot.jp/2013/12/danpen01.html)を読んでから眠った。
九時半に起床した。目が覚めてからも夢のなかにいるような浮遊感を覚えた。混ぜご飯、野菜スープ、肉の炒めものを食べた。昨日熱を出して会社を休んだ父は今日もまだ眠っているようだった。
『古今和歌集』を読んでいると、母から電話がかかってきた。祖母の具合が悪いのでできるだけはやく病院に来るようにとの連絡があったという。夕方からバイトだったが上司にその旨を伝えて、風邪ひきの父と病院へむかった。美しい日だった。峠道の左右を囲む木々の葉の一枚一枚に午前十一時の陽光が刺さるようにそそいで白くたまっていた。光は車のフロントガラスにも眩しい膜をつくり、視界が全体として発光していた。父は時折り発作的な咳をもらし、呼吸も荒かったので車の運転が危ういのではないかと思われたが、危なげなく到着した。プリウスは駆動音がほとんど聞こえないほど静かで滑るように走る車だった。
祖母の意識は朦朧としているようだった。青白い顔で、緑色の酸素吸入器をつけていた。頭がくらくらした。体が不安の膜で密閉されたような息苦しさを感じた。父と二人で言葉も交わさずベッド脇で祖母を眺めていると、看護士が来て点滴を外した。もう管が入っていかず、入ったとしても液体がもれてしまうのだという。いよいよこれで栄養も水分もとる手段を失ったわけだった。十二時過ぎに一人でロビーへおりて飲み物を飲んだ。
病室に戻ってすぐに母とYさんが到着した。彼女らはことさらに慌てても悲しんでもおらず、表面上はいつもどおりに見えた。本当だったら倒れたその日に失っていたはずの命をかろうじて拾って一年と五か月伸ばしてきたのだから、誰も心の準備はできているのだった。
医者に呼ばれて話を聞いた。不在の主治医の代理医はこちらの感情に気を遣いながらも冷静に事実を伝えようとしたが、迂遠な説明を取り払ってしまえば今日もつかもたないかだろうということだった。呼ばれる直前に祖母は目を見開いて苦しげな様子を見せた。咳をしたいのにできないような表情で、何かいいたくてもいえないようなうめき声をもらした。戻ってくると眠っていた。このまま二度と目を開けることはなく、静かに眠るように逝くのだろうかと思われた。
二時前に祖母の弟であるHさんを母がむかえにいって連れてきた。八十年近くも生きていると肉親の死にも慣れたもので、姉さん寝てんのかや、このまま永遠に眠っちまうだんべ、などと不謹慎な言葉を吐いたが、その無遠慮が無礼や侮辱にはならない親しみが言葉のうちにあった。このぶんだと朝までもつかもしれねえぞ、Iさん(祖父)が連れていっていいもんか迷ってんだ、もうすぐそこには来てんだろうけどな。
二時を過ぎて母が持ってきたおにぎりをラウンジで食べた。病室に戻ったあとはどうにも眠くてベッド脇の車椅子に座ってなかば眠っていた。待つということは――とりわけその先にあるものがひとつの生の終わりであるときには――気力のいる仕事だった。
四時過ぎに不安げな顔のI.Yさんが到着した。Hさんを送りがてら、母とともにいったん帰宅することになった。食糧の調達をしたり、泊まりに必要な用品を持ってこなくてはならなかった。峠を越えてHさんを自宅へ届けたあと、近くのコンビニでおにぎりやパンを買いこんだ。それから帰宅し、カーテンを閉め、風呂を洗い、祖母に最後に着せる服や歯ブラシなどを用意して病院へ戻った。
六時半ごろに祖母の姉の息子であるIさんが到着した。Iさんは祖母の顔をのぞきこむと早くよくなって畑でもやりなよ、などと声をかけた。事がここにいたっているのにそのような場違いな言葉を吐くのに最初は無言で苛立ったのだが、しばらく挙動を見ているとそれも彼なりの優しさなのだと理解した。彼はI.Yさんと一緒に昔話を色々語ってくれた。祖父母の結婚前のエピソードがおもしろかった。当時はHさんが市内で乾物屋だかなにかをやっていて祖母がそこにつとめていた。そこにIさん(祖父)がよお、自転車に乗って誘いにくるんだわ、んで乗ってけよ、なんつってよ。Mさん(祖母)もうしろに乗っていっちまうんだわ、結婚前でな、二十五、六だったんじゃねえかなあ――なんということだ! あの二人にもそんな時代があったのだ。もちろんどんな老人にも青春時代はある、しかし祖父母のそれを聞いたのははじめてだったため、自分の知らなかった過去の存在がまざまざと迫ってきた。以前にも一度こういうことがあった。祖母と畑に出たときのことだった。畑の隅に立った祖母が雑草の葉を手にとり、両手で口にあてがって背すじを少し伸ばして草笛を吹こうとした、その姿を見た瞬間に、彼女が幼い子どものように見えた、想像上の少女の姿が現実の老いた祖母に重なって見えた、そして瞬時に、祖母にもこういうときがあったのだということがなかば衝撃とともに感得されて、泣きそうな気分になった。無邪気に草笛を吹いていた少女の時分から数十年もの時を重ねて、それらの厚みを背負って祖母はそこに立っているのだった。今やそのときと同じことが起ころうとしていた。実際には写真ですら見たことのない若かりしころの祖父が祖母を迎えに来て、幸せそうに二人で笑いあう情景が脳裏に描かれた。感傷を禁じ得なかった――なぜ過去は過去であるというだけでこんなにも美しいのか!
I.YさんはIさんがしてしばらくして帰り、Iさんもおむつの交換で外に出たのを機に帰った。残った四人は一度休憩室へ行って食事をとった。休憩室は八畳くらいだったのだろうか、片隅にテレビが置かれ、もう片隅には流し台があり、流し台の傍らの壁にそって本棚が並び、なかには雑多な本が詰めこまれていた。だいたいは興味のわかない社会時評や政治評論のようなものだったが、種田山頭火著作集が一巻、湯川秀樹自選集が二冊あり、一番右の大きなガラス棚のなかには「日本の文学」という古い全集がすべて揃っているのではないかと思うほど入っていた。大棚のなかには他に、世界大百科事典や会社年鑑やたしか平凡社のものだったと思うが、馬鹿みたいに大きくて格調高い辞典があった。その棚の前に置かれている黒い革張りのマッサージチェアめいた椅子に父が座り、他の三人は部屋の中央に置かれた長方形のテーブルの周りに座っておにぎりやパンを食べた。
病室へ戻って、『古今和歌集』を読みながら祖母を見守っていたのだが、午後十時にもなると誰も疲れを隠せなくなっており、母が休みにいくというので同道した。駆動音がごうごうとうるさいエアコンの下で眠ったが、深い眠りにはつけず、一時間もしないうちに母が出ていった音が聞こえた。しばらくうとうとしていると誰かが入ってきた音がして、見るとYさんだった。そこからはかろうじていくらかは眠ったが、明らかに睡眠は足りなかった。
午前一時すぎに病室へ戻った。父は枕元でじっと祖母を見つめていた。三時間のあいだほとんどそこを動かずずっと見守っていたようだった。祖母の容態は安定していたので、再び母と二人で一度帰宅することになった。外は凍るような寒さで、実際車のガラスに白く霜が氷結しており、しばらく温風を窓にかけて融かさなくてはならなかった。人も車も動物も絶えた夜道を走って二時前に自宅に着いた。すぐに風呂をわかして交代で入った。再び無人の夜を抜けて病院へ戻ると三時過ぎだった。氷のように透きとおった夜空に月はなく、星だけが輝いていた。
父はやはり同じ場所に座っていたが、二人戻ったのを機に休みにいった。ほとんど眠らず朝を迎えようとしているときの気だるく弛緩した空気が室内に充満していた。祖母は一時持ち直したようなので、Yさんは朝の電車で帰ることを決め、他の三人も彼女を駅まで送ったあとで帰宅することになった。
五時半過ぎに帰宅して、冷えきった布団のなかで凍えながらも眠りについた。起きたのは十時過ぎだった。前夜の残りであるおにぎりやスティックパンを食べ、豚汁を飲んだ。電話が来て出ると兄で、祖母の容態について話した。暗く悲しげで常に嘆息しているような声音だった。クリーニングを出しに行っていた母が折よく帰ってきたので電話をかわった。「酒を飲んでいたんじゃないの?」通話を終えると母は訝しげに言った。「声の調子がなんか。向こうは夜中だから眠かったのかな」。兄は数日前に日本を発ったばかりだが、状況によっては帰ってくるつもりだということだった。
本を読もうという気分が起こらない上に、そのことに対する自覚すら欠けている端的な無為のなかにいた。日記を書こうとしてもうまく書けず、ぼけっとしたり、どんなページを見たかすら覚えていないほどどうでもいいネットサーフィンをして時間を潰した。昼過ぎに部屋から出てトイレへ行くと上階のリビングに上がりこんでいるらしい来客の声が聞こえた。親戚の誰かだろうが、このようなときに家まで訪ねてくるのはいささか無思慮なふるまいだと思われた。あとで聞いてみると、祖父の姉妹の一人が息子と一緒に病院に行ったあとに寄ったのだという。父はすでに先に病院へ行っており、昨日に引き続いてIさんやI.Yさんとその娘さんも訪れたらしかった。
午後三時前に病院へ着いた。祖母は再び点滴をつけられており、酸素吸入器も外されていた。小康状態といってよかったが、依然として予断を許さぬ状況であることに変わりはなかった。『古今和歌集』を読みながら四時半頃まで見守った。時折り顔をのぞきこんでみるとうつろな瞳がこちらの目とあう瞬間がたしかにあったのだが、その目の奥で彼女が目の前の人間を理解しているのかどうかはわからなかった。十四日が俺の誕生日だからな、それまではもってくれよと言い残した。父は六時まで残ると言った。
六時半に夕食をとった。Chet Baker『My Old Flame: Chet Baker Quartet Live Volume 3』『Playboys』を流しながら日記を書いた。二日分の日記を一気に書くのははじめてだった。Weather Report『Heavy Weather』。