2014/1/16, Thu.

 八時にメールがあって目覚めるも再度寝てしまい、最終的に十時半に起床した。米、納豆、けんちん汁、肉の炒めものを食べた。リビングで母が悩ましげにため息をついているのでなにかと思えば祖父のときの葬式代を見ていた。内訳を少し見せてもらったがまことに莫大な金がかかるものだった。
 十二時まで昨日の日記を書いてから風呂を洗った。今日も厳しい冷えこみの日だが、昨日とちがって快晴なのが救いではあった。Freddie Hubbard『Open Sesame』を流して腕振り体操をし、ガルシア=マルケス『族長の秋』を冒頭から六頁音読した。瞑想をしてから部屋に軽く掃除機をかけた。
 車中のラジオからはなんとかいうシンガーソングライターを招いたインタビューがかかっていたが、それが終わって流れはじめた彼女の曲を聞くと、質は高めにまとまってはいながらなんの食指も動かない、売れそうではあるがどこにでもあるような毒にも薬にもならないロック/ポップスだった。気にかかっていたのはこの日これまで本を六頁しか読んでいないことと、それにもかかわらず病院、仕事と間断なく続くタスクのために今日は寝るまでにこれ以上読書量を増やせないだろうことで、四時から、準備も含めれば三時半から九時過ぎまで働かなくてはならないことを思うと先取りした疲労が重くのしかかってくるような気がした。最近絶望的に日記が書けていないのは仕事が忙しいこともあるが、無邪気に楽しくなんでも書いていたころの気分を忘れてしまったようだった。自分でいい文章を書いた、よく書けたという実感を得ることがほとんどなくなってしまった。字数を書けなくなったのもひとつの気がかりで、量を書けばいいというものではないという当たり前の認識にいたって久しいものの、量による満足感というものもやはりあって、一日数千字、ときには一万字も書いていたころのことを思うと一抹のさびしさはあった。量を書けなくなったのは思考を書かないというルールをおのれに課したことが大きいのだろうが、例えば読んだ本の感想などを日記の一部として公開するということはもはやする気にはならなかった。自分語りこそがおもしろいのだと思いこんでいたころの気分はなくなってしまった。他人のそれは別だが、どのような思考を書きつけたところでおのれのそれは愚にもつかない駄言に思えてしかたがなかった。日記である以上自分語りであることは避けられないが、だとしたらなるべく自分を出さない自分語り、客観的な自分語りとでもいうようなものをしたいのだった。一人称をなるべく使わないようにしているのも、「僕は」「俺は」「私は」「自分は」どのようなものでさえ、一人称主格単数を示す代名詞を書いた途端にわきあがってくるおのれのにおい、存在感のようなものが鼻につくからだった。そうした基準からしてみれば今日のこの文章は自己言及をしすぎ、自分を出しすぎであることはちがいない。ともあれ本当に書きたいのは自分自身よりも身の回りの世界で、日常の具体性の襞のようなものに迫っていきたいのだったが、肝心の実力がこれではどうしようもなかった。すれ違う散歩中の犬や小学生や木々のざわめきや家々のきらめきや午後二時のゆるくほどけたような空気などを書きたかったがどのように書けばいいのかわからなくて車中で途方に暮れた。文章を書くにあたっては記録欲と描写欲とでもいうようなものが渾然としているが、ただ羅列すればいいというものではないはずだった。
 迎えにいったHさんは細かな陰影が刻まれた藍色のスーツになかにはセーター、そして丸い帽子を身につけて八十とは思えないほど洒落た姿だったが、足下のスニーカーがそれだけで全体の調和をぶち壊していた。車中でぺらぺらとしゃべる母親の声は大きく高く、Hさんを迎えた瞬間によそ行きの、つまり電話口に出るときのようなものになったことに気づいたが、その声でラジオからひかえめな音量で流れだしていたMr. Children "Innocent World"はかき消された。
 目をあけた祖母を見てHさんは、このぶんならまだ大丈夫だわ目が大きくひらいてら、と言った。本当にそうなのかわからなかった。目は力なく落ちくぼみ半分までしかひらかず、顔を寄せても視線が合うことはなくどこともつかない空を見つめて、口も白痴のようにぼんやりとひらいてあるかなしかの呼吸が静かに胸を上下させた。ただでさえなかった生気がさらに失われてしまったような気もした。八十五になりたいんじゃねえの、と口に出してはみたものの、あと二か月持つのかどうなのか誰にもわからなかった。
 スーパーでキャベツと豆腐を買い、路上に止めた車に戻って母に渡してから仕事へ向かった。一日三時限でしかも帰りが十時近くなるというのは重労働で、二つ終わった時点でまだひとつ残っていると思うとうんざりしかけた。中学生たちも毎晩のように遅くまで勉強させられているのを見るとまったく大変なものだと思われた。高偏差値の高校を目指すひとりの生徒などは一日四時限こなすこともあり、もともと物静かで口数も少ないから目立たないものの疲労しきっているようにも見えた。していないわけがなかった。何かしらがまちがっているような気がした。
 電車に乗れたから十時前には帰ることができたものの、夕食をとって一息つけばもう十一時で、風呂に入ってから夜更かしをする気力もなく床についたが、アトピーにみまわれた身体のかゆみのせいで寝るまでに時間がかかった。