九時に目覚めてカーテンを開けると晴れわたった空から送られる黄金色の陽光が目を刺したが、その熱は布団のなかまでは届かず、三枚の布の下で身体を丸めて冷えた足をしばらくこすり合わせた末に無駄だと悟って決然と起床した。米、味噌汁、野菜炒めの残り、豆腐を食べた。朝食とも昼食ともつかぬ時間に食事をとったあとは夕食まで何も食べない生活に慣れて久しいが、今日は食後に白湯を飲みながら兄が残していったベルギー王室御用達だとかいうビスケットをつまんだ。Twitterに流れていたStyle Council "Shout To The Top"を聞きながら次回(……)図書館に行ったときに彼らのCDが置いてあったならば借りようと決めた。Hank Mobley『Thinking of Home』を流しながら松平千秋訳『イリアス』の第十一歌を読んだが、狭い部屋とは言えこの冷えこみのなかでは小さな電気ストーブの出力だけでは心許なく、半身まで布団に包まれてベッドボードによりかかっていると窓辺の陽光に誘われて幾度か意識を飛ばし、四十頁足らずを読むのに十一時過ぎまでかかってしまった。気を取り直してHerbie Hancock『Maiden Voyage』とKendrick Scott Oracle『Conviction』を続けて流しながらギュスターヴ・フローベール/渡辺仁訳『ブルターニュ紀行 野を越え、浜を越え』第三章をつい先ほどまで眠っていたその同じ場所で読んだが一度眠ってしまえば眠気は打ち払われ、さすがに二度目の昼寝におちいる愚は犯さなかった。フローベールは読みにくいというわけでは当然ないはずなのに読むのに時間がかかるのは、フランスの歴史を彩る数々の固有名詞のいちいちに註が付されていることも無縁ではないが、それをおいても軽くすらすらと読めない妙な重みが文章にあり、だから一日一章と決めてきっちり読み進めていくのが賢いやりかただろうと見極めた。書き抜きをすると午後一時を過ぎていたが顔の皮膚が突っ張っているような疲労と肩にのしかかる不定形の重さを感じた。
風呂を洗うブラシの柄とブラシ部の繋ぎ目が老朽化し、数日前から抜ける寸前の歯のようにぐらぐらしていたが構わず使っているとついに分離した。洗濯物を取りこんでたたみ、部屋に戻ると腕振り運動をおこなってから呼吸四十回分の時間瞑想をした。Lauren Desberg『Sideways』を流し、歯を磨きながらフアン・カルロス・オネッティ/寺尾隆吉訳『別れ』をいくらか読んだ。微熱めいた頭の重さがあったがゆっくり風呂に浸かっていくらかましになったようだった。
空気がとまったかのような穏やかな日だった。立ち並ぶ家々の先に小さく突き出たマンションの彼方まで空にはひとかけらの雲も存在しなかった。表通りを歩くのは久しぶりだった。辺鄙さを自認する田舎町とて日中の街道は次々と車が行き交い、ほとんど絶え間なく耳に侵入する無個性な風切り音でipodを持つのを忘れたことに気づいた。昨日のように意図的に持たなかったのではなくてその存在を忘れていたのだった。だから周囲の世界から聴覚を遮るものはなく、下校中の女子高生の嬌声がよく聞こえた。とりわけてゆっくり歩いているつもりもなかったが、男子高校生だけでなく歩幅の小さな女子高生たちにも次々と追い抜かされた。小学校低学年の児童が三人、丸めた色紙を腕に装着してチャンバラごっこを楽しんでいた。横断歩道に差しかかると同時にひとりの児童がどーん!と大きな声を上げて相手に切りかかった瞬間、弾かれた武器は車道の真ん中に転がり、児童は慌てて拾いながらもこれ以上楽しいことはないというような心底からの笑い声をあげて渡り去っていった。
いよいよ推薦入試を間近に控えて危機感というものを持ちあわせていないかのように見えた呑気な生徒たちもいくらかの不安を覚えはじめているようだった。十年近く前になるおのれの高校受験を思い出してみてもなんら助言につながるものは引き出せなかった。そもそも昔から面接というものが嫌いだったからその機会は私立の一回だけで済ませようと都立高校の推薦入試は受けなかったのだった。大学も同じだった。それでも志望動機の口述版をまとめるのを手伝ってやったりはした。
信じがたい冷えこみの夜でマフラーをつけていても身体の震えがとまらず風邪をひいたのではないかと錯覚するほどだったが、歩いているうちにだんだんと寒気がおさまってきたので安堵した。それでも今冬一番の寒さだと感じた。くもりひとつなく磨きあげられた鏡面のようにまっさらな空が藍色に濡れた夜を映しだし、その上に星々が点々と宿ると、地上では氷の粒を含んでいるかのような風が身を切ったが、今にも切れそうなピアノ線めいて冷たく張りつめた空気のおかげでかえって夜空の美しさがきわだっているようにも思えた。米、麻婆白菜、ヤマメ、シシャモ、味噌汁を食べた。十センチ足らずのヤマメをまるごと焼いたものは、母がぎりぎり東京のなかなのかそれとも山梨に入っているのかわからない山林の地域へ仕事に行く日は毎回、その地の食堂で昼に食べたものの残りを持って帰ってくるのだった。母が風呂に入っているあいだにCarlo de Rosa's Cross Fade『Brain Dance』を流しながらオネッティ『別れ』を読み、入れ替わりで入浴を済ませるとFred Hersch『Alone at the Vanguard』を流しながら日記をつづった。夜にもっとも合う音楽の形態はソロピアノなのかもしれなかった。