二十三日の日記を書き終えると既に零時半に達していた。今日もなんとか生きて日記を書くことができたことを感謝したい気持ちが湧きでた。感謝の対象は神かもしれないし、言葉かもしれないし、身のまわりの世界そのものかもしれなかった。一時ごろ床についてまどろみのなかの散漫とした思考ではじめて書くべきかもしれない小説のアイディアがいくらかまとまりを見せたが、実行に移すためには何を差しおいてもヴァージニア・ウルフ「キュー植物園」を読み直さなくてはならなかった。
例によって身体のかゆみで入眠に苦戦し、おそらく二時近くになってようやく寝ついたあとに目を覚ますと六時だった。短い睡眠時間にもかかわらず不思議にはっきりと目が覚めたが太陽が顔を出すまでは寝ていたいのが心情であり、とはいえ二度寝するほどの眠気もなかったので布団のなかでOscar Guardiola-Rivera "Latin America is being transformed by a vision of post-human rights"(http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/jan/23/latin-america-post-human-rights-ethical-politics)、Peter Thompson "Eastern Germany: the most godless place on Earth"(http://www.theguardian.com/commentisfree/belief/2012/sep/22/atheism-east-germany-godless-place)を読んだり日記を読みかえしたりし、部屋が一日の始まりを告げる朱色に染まるのを待ってから起きだした。どうせあとでまた眠くなるにちがいなかった。鍋には肉やねぎの入った汁が用意されていたのでゆでてあったそうめんを煮込んでどんぶりいっぱいによそって昨夜の残りのシシャモと一緒に食べた。食べながらフアン・カルロス・オネッティ/寺尾隆吉訳『別れ』を読んだ。リビングに既に母の姿はなく、出勤前の父がまだいた。ここ数日父とは「おはよう」、「いってきます」「いってらっしゃい」、「ただいま」「おかえり」以外の言葉を交わした記憶がないがどちらも特に快活ではない男の親子同士ではそんなものだった。対外的には申し訳程度の社交性を見せるものの家のなかでは寡黙でひとりを好むのは父も息子も同じだった。父がいくらか偏屈とも思える寡黙さを見せるようになったのはもともとの性分もあるとはいえ、一日の大半を占める労働の負担が原因だと息子は無根拠に信じこんでおり、その息子が種類はちがえどやはりいくらか偏屈とも思える寡黙さを見せるようになったのはこれももともとの性分もあるが、父が従事する労働への嫌悪とやや世間ずれした音楽や文学への傾倒が原因だった。
Carla Bley『The Lost Chords』を流してホメロス/松平千秋訳『イリアス』第十二歌を読み上巻を読了したところで九時を過ぎていたように思う。それからPablo Casals『A Concert at the White House』を流してギュスターヴ・フローベール/渡辺仁訳『ブルターニュ紀行 野を越え、浜を越え』の第五章を読んだが、例によって窓辺のベッドでうつらうつらし、というか四時間の睡眠では心もとなかったのでなかば意図的に眼を閉じて眠りについた。正午になると母親が帰宅した音がしたので起きることにした。彼女が買ってきたパンと昨日からあった焼き芋を食べた。
Paquito D'Rivera Quintet『Live at the Blue Note』を流しながら五十九の英文を音読し、続けてガルシア=マルケス『族長の秋』一四三頁から一四九頁も音読した。寝間着からジーンズとジャージに着替えて大根をとりに畑に出た。正午までは燦々と光を放っていた太陽は今や雲に隠れ、灰色の寒々しい空が広がっていたが気温はそれほど低くなく、風もないので拍子抜けした。三本抜いた。残りは少なく、ざっと見て十本もなかった。玄関の外にしつらえてある水道で洗った。部屋に戻って読書を続け、フアン・カルロス・オネッティ『別れ』を読み終わった。
リビングに上がると父が帰ってきていた。近所の家に不幸が出たため、この近辺の組長である我が家が何かしらの手伝いをする必要があるのか話し合いにいき、それが終わると再び会社に戻るのだという話だった。風呂に入って『族長の秋』を無声音でつぶやきながら、母が玄関先でばたばたと慌ただしく誰かとやりとりをするのを聞いた。仕事の前に図書館に行くというと母が用事のついでに送ってくれるというので甘えることにした。
最初に軽い吐き気に気づいた。車に酔ったのだろうかと思った。次に息を大きく吐いたときに腹が痛むことに気づいた。その腹痛を通じて吐き気が生じているような気がして、だとするとこれはもしかして今猛威をふるいはじめているウイルス性胃腸炎ではないかと不安になった。寒気もどことなくあるような気がした。ウイルス性胃腸炎だったらすぐに症状が肥大化をはじめるはずだった。このまま寒気も吐き気も増していって身体が通常のコントロール下から脱してしまうのではないかという危惧を感じた。ともかく図書館でおろしてもらい、フアン・カルロス・オネッティ『別れ』とCDを返した。階段をあがる身体が重かった。CDは新しくUA『KABA』とHerbie Hancock『Mr. Hands』を借りることにした。階を上がってふらつきながら本を見て、あまり長居する気力もなかったので早々に『古井由吉自撰作品 二』とマルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 1』を借りることに決めた。図書館を出ると吐き気も腹痛もおさまっていたものの、空の胃から臭気がたちのぼり胃液とも唾液ともつかぬ液体が喉の奥にたまって油断のできない不穏さが残っていた。本当にウイルス性胃腸炎だったら何の効果もないが安定剤を一粒ずつ追加して職場へむかった。今日の勤務が一時限のみで助かった。教室を出るころには特に気分も悪くなく空腹に食欲が頭をもたげるような状態に回復し、さきほどの吐き気の名残りはつゆほども見えず、帰宅してからもそうめんとメンチとキャベツを食欲旺盛にばくばくと食べた。