2014/2/13, Thu. - 2/14, Fri.

 九時起床。直前まで見ていた夢の記憶が起きた瞬間に霧消した。昨夜は頭痛があったし、今日は通夜なので零時をまわったところでさっさと眠りについた。朝食はカレーだったのかなんなのか忘れたが、いくらか食欲がおさまったような感じをもった。十時になって家族四人で流れや諸々の注意事項を確認した。十二時頃にはもう礼服に着替えた。最初の親戚がやってきたのは午後一時ちょうどくらいだった。二時ごろまでにはだいたいそろった。人数に比して狭いリビングでこたつを囲む親戚のあいだをまわって黙々と茶をついだりゴミを片づけたりした。二時半を過ぎて出棺の際には近所の人々も見送りに出てきてくれていた。時折り光が見えはしたもののおおむね灰色の空で、のちに降りしきる雪の予感があった。
 四時過ぎまでふたたびたまに立ち働きつつも一同でのんびりと過ごし、斎場へむかった。親戚連中に挨拶をしたり、生花および果物籠の代金集金の役を果たしたりしながら気づけば六時前になっていて着席した。緊張も大きな感情の動きもなかった。僧侶が入場して経を読み、父が涙をこらえながら挨拶をし、集まった人々が焼香を済ませるのを淡々と眺めた。祖母の写真は九年前のもので健康的な色の顔がふっくらしており、柔和な笑みを浮かべていた。通夜振る舞いの席では父方の祖母と父の兄妹の前に兄と並んで着座した。伯父と会うのはひどく久しぶりだった。もしかしたら父方の祖父が亡くなったとき以来かもしれない、七年前だっただろうか、だとすると自分は当時高校生である。父と並ぶとやはり似ているものだが、伯父のほうが刑事をやっていただけあっていくぶんか厳しい顔つきだった。父方の祖母と会ったのは、二〇一一年、大学三年時の夏休みが最後だった。あのときはまだ病気もそれなりに勢力をたもっていたのに、薬をもっていくのを忘れていくらかひどい目にあったのを覚えている。小さくなったのかもしれなかった。曲がった背骨が突き出して礼服の背中を盛り上げていた。食欲はあるようで色々と食べていたのはよかったが、以前の記憶よりも声がかすれているような気がした。
 通夜振る舞いの席が終わり、控え室に引き上げて、我が家といとこ一家だけであまった寿司などを食べた。兄と従弟のKと泊まることになっていた。九時前にみんなが帰宅して三人だけになった。線香番の名目で残っているわけだが、螺旋状にまわって一晩もつ線香があるので、特にすることはなかった。しどけなく寝転がってコーラを飲んだり、寿司やサンドウィッチを食べたりしながら話をした。兄だけが酒を飲んだ。学生であるKに学生を終えた二人が余計な助言をするという構図にいきおいなった。文学や小説の話にもなったのでいくらか語っておいた。二時を過ぎて布団を敷いて床につくころには兄はかなり酔っていた。人は酔うと黙ることができなくなるらしく、どうでもいいことをつぶやいたり声を上げたりしていた。

 八時直前に設定したアラームで起きた頭は重かった。障子窓をあけると、外が白く染まっていた。いくらもしないうちに母と父がやってきた。母がタオルと下着の替えをもってきてくれたので、シャワーを浴びに行った。さっさと礼服に着替えて、Kと二人でカップラーメンを食べた。兄はこういうときいつも鈍重で、給湯制限時間の九時直前にシャワーを浴び、親戚連中がおおかた集まっても即席麺を食べており、僧侶が来たころになってようやく着替え出した。
 告別式の際は前夜とはちがって、最初と最後に、親子である僧侶二人のうち、祭壇の正面にいる住職のほうが鉦を持って鳴らし、脇につく息子はそれに呼応していわば和様のシンバルを、クラシックの演奏のように打ち合わすのではなく、上下にこすり合わせるようにして鳴らしていた。経に耳を傾けていると、日本語の部分は意外と聞き取れて意味がわかるもので、祖母のことを述べるオリジナルの部分があることに気づいた。事前にいくらか考えてあるのだろうが、経も鳴らされる木魚や鉦の音と合わせて一種の音楽だとすれば、歌詞を書くようなものだろう、慣れてくると即興でつくれるものなのだろうか、などと考えた。
 経と焼香が終わってからは一同で棺に花を入れて最後の対面となった。そこここから涙声が起こった。いとこのK子は感極まって嗚咽をあげていた。外は雪なので、地下道を通って遺体とともに斎場のむかいにある火葬場に移動した。棺が壁の奥に吸いこまれていくのを見届けたあとに、また同じ道を戻って食事の席となった。集めた金を数え、業者の方と確認し、領収書を受け取って配ったりしていると食事をしている時間がなくなって半分ほどしか食べられなかった。再度火葬場に移動して骨を拾った。一時間前まで少なくとも肉体を保っていた存在が今はこうして骨となっている。死というものがよくわからなかった。自分に見えた死とは、脈動がとまっていく祖母の首、いくらか人形めいて横たわった体、額の冷たい固さ、ばらばらになった骨のかけら、そういうものだった。
 斎場に戻って解散となった。雪は先日の大雪にも劣らず勢いを増していた。葬儀社の人が来て後飾り壇をつくって帰って行くとようやく終わりだった。ひどく眠かった。五時から布団に入って、気づくと九時過ぎまで眠っていた。夕食をとり、風呂に入り、ギターをだらだらと弾いてから日記を書きはじめた。そろそろ終わろうかというときに一瞬、部屋の電気が消えてまたついた。