2014/3/15, Sat.

 枕の上にあぐらをかいて『族長の秋』を暗唱しているとゆるく組んだ両手とそれを置いた右足が一体化したような感じがあって、それは自律訓練法が成功したときの重さと同じだった。ひどく久しぶりに携帯のアラームをセットして眠ったけれど、それが作動しはじめるよりはやく起きた。カーテンを開けると空は群青色で星もまだ残っていたものの、夜を越えた朝の気配があった。まだ黒いかたまりにしか見えない手前の森に対して、彼方の山影は薄灰色をまとい、同じ色の雲と溶けあって稜線をゆがませた。階段をあがると右の襖が開いていた。そこは仏間で、障子を抜けて射しこむ薄青い空気のなかにものの輪郭がほのかに浮かびあがっていた。祖母の遺影はまだ闇だった。電気をつけてキッチンに入り、米がたかれていること、鍋には味噌汁が残っていることを確認し、フライパンに油を落としてハムと卵を焼いた。
 六時には陽が出て、透きとおった水色の空に縁どられた雲影が浮かぶと、犬の鳴き声がどこかから聞こえた。射しこむ光は直線的で目映く、オレンジより白の色合いが強い光線が棚に置かれた本に投げかけられた。
 家を出るころにははっきりとした晴天で、山の木々のかたちがくっきりときわだった。風はなく静止した時間が流れていた。席に座ってMiles Davis『Four & More』を聞いて目をつぶったけれど、不思議と眠くはならなかった。(……)で乗りかえた。今日も高架上から空を見ることができるという期待があった。折り重なる街を抜けて昇り、茫漠たる空間が自分の周囲に広がっているのを見るだけでも気分はいいが、それが青空となればまた格別だった。今日も富士山が見えたけれど、南の水平線上に水っぽい色の雲がかかっていて、やはり上野へ行った日は特別だったと思い返した。雲を見なかった、ただそれだけのことで?
 (……)は風のある街で、ビルの陰にいるときばかりか家々のあいだを抜けるあいだもひっきりなしに風が吹いてコートを着てこなかった身を責めた。カーテンを透けて明るい陽の射しこむ会議室で三時間研修を受けた。終わると正午を四分の一はまわっていた。行きに看板を見かけていた芸術文化ホールというところに行こうとひとりでさっさと室を出た。歩いていると途中に古本屋を見つけて、ふらっと立ち寄った。幼い女児二人が遊んでいて、その相手をしながら店主夫婦が電話に出たり、どこかへ出かけたり、忙しく働いていた。入り口は広く開け放たれていて、穏やかに薄暗い店内の狭い棚のあいだにいると足下から冷気が立ちのぼった。中上健次『化粧』(講談社文芸文庫)、『新選岩田宏詩集』、『ハーバート・リード自伝』(叢書・ウニベルシタス)、アレン・テイト『現代詩の領域』を買った。奥の机の上にはPCが置かれ、そのまわりに本がところ狭しと散乱していた。取りにくいだろうと一万円札と小銭を手を伸ばしてPCの向こう側に置くと、店主はやや恐縮してみせた。
 この先右折二百五十メートルとかところどころに置かれている看板を目印に歩いた。陽はあたたかいが、風はまだ冷たかった。芸術文化センターとやらに着いてとりあえず入ってみたが、常設のギャラリーはなく、色々な催しをするホールのような場所らしくて、ならば用はないとすぐに出た。建物の脇にあった(……)市の地図を見て、太宰治の墓が近くにあるらしいのでせっかく来たし見に行くかと決めた。その前に腹が減ったので来るときに見かけていたすぐそばのガストに入った。野球部らしい高校生四人が待っていたけれど彼らだけなのですぐに入れるだろうと判断すると案の定、三分もせずに通された。駅からはやや遠く、住宅地のなかにある店だから近所の住民だろう、子連れの家族や、カップルや、こちらと同様にひとりの男も何人かいたがそのなかに仕事着姿のものはいなかった。隣の席にはこの春に幼稚園に上がろうかというところの幼児と母親が並んで座っていた。母の携帯で動画を見せられた女児は舌足らずなのんびりとした口ぶりで声を上げた。今の子どもは生まれたときからインターネットもスマートフォンもあるのだ、と当然の事実を思った。サラダは当然食べるとして、肉を食べるつもりで入った店だったがメニューをめくっているとまぐろ丼に目がいって、迷ったあげく丼を選んだ。来たものを見ると米にのったまぐろの量が少ないと思ったけれど実際に広げて混ぜてみるとそうでもなく、美味だった。
 ガストの向かいに神社だか寺だかがあって入ろうかとも思ったがもう二時も過ぎているしさっさと太宰を拝みに行くことにした。禅林寺という寺に墓があることは先の地図看板で見ていて、それがもう少し駅の方へ行ったところにあると見えたので中央通りを戻るが、マンションや商店が立ち並ぶなかに寺なんかないし、朝来たときも見た覚えがない。間違えていると思って携帯で調べて地図を出すと、まさにさっきのガストがあるあたりに禅林寺とあって、裏道に入って引きかえし、結局レストランの前に立ち戻った。入るとしかしそこは神社で、禅林寺通りという名の通りまで通ってきたのに見つからないのはどういうわけかと敷地内を歩きまわっていると、生け垣と石塀の向こうに墓地らしきものがのぞけたので、隣だとわかった。鳥居をくぐり隣に移動してみるとまさに先ほどガストを出た直後に前を通り過ぎたところで、しかもそのときここではないだろうなと一抹の疑念を抱いたものの地図を見誤って駅の方だとばかり思っていたから足をとめることもなく、少し入れば門の上に禅林寺と書いてあるのが見えたはずなのに無駄な骨折りをしてしまった。何はともあれ門をくぐり、建物奥の墓地に入ってうろうろすると発見した。「太宰治」と彫られていて隣には津島家の墓があった。他と比べて特に立派でもないが、花受けが空の墓のなかにあってきちんと花が供えてあった。いくらかしおれていた。家紋はおそらく鶴なのだろう。斜め向かいには森鴎外の墓もあった。「森林太郎墓」と古めかしく刻まれた墓石はなかなか大きく立派なもので、それを中心に左右に二つずつ森家の墓が並んでいた。ここにも花が供えられていた。両側に手を合わせて墓地を出た。焼却炉が煙を吹きあげて、風に流された。
 (……)駅前は人通りは多いが(……)ほど雑然とはしておらず、車道もすぐ渡れるほどの広さだった。Coralというビルの五階にギャラリーが入っていることは先に「(……)市美術館」と検索したときに知っていた。入り口前を通ってギャラリーの文字を見ると入ってみようかと迷ったけれどさっさと(……)に行くべきだと思った、しかしそれもつかの間、もうひとつの入り口の前に来るとやはり入ろうと思い直して扉をくぐった。エスカレーターを上がると三階に書店があって、買うつもりもないのに勝手に体がおりてしまった。文芸の棚をひと通り見て満足してから四階へ上がるとエスカレーターはそこまでで、おりた脇に五階の告知があったけれど、そこに記された素人の同好会めいた名前を見た途端に気が削がれて、いいか、と思った。だから五階へ上がる階段を探しもしなかった。来月から始まるマリー・ローランサン展の予告が小さくあったが、いまそれをやっていれば行ったかもしれない。
 ひっそりとしたたたずまいの(……)はまだ出来てばかりのきれいな店で、カウンターのまわりには本が積んであったけれど全体としては整然とまとまった店内だった。出来たばかりだからか新しめの本が多かった。店主はまだ若い三十くらいの男性で、もうひとり、声のきれいな女性がいた。ほぼすべてじっくりと棚を見てまわって、気づけば四時半になろうとしていた。中上健次『熊野集』(講談社文芸文庫)、『岬』(文春文庫)、『井上光晴全詩集 木の花嫁』、幸田文『雀の手帖』、岩田宏『社長の不在』、アンリ・トロワイヤ小笠原豊樹訳『石、紙、鋏』、古井由吉『招魂のささやき』、J・P・サルトル『嘔吐』、『黒田三郎詩集』(現代詩文庫)の九冊で四九〇〇円だった。入店時からSimon & GarfunkelだったBGMが買う直前になって柔らかなトランペットのAutumn Leavesに変わった。Chet Bakerだろうかと適当に当たりをつけたが、そうだとしても七十年代以降の音源だと思われた。
 空はまだ明るくて暮れ方にも見えないが、陽はたしかに傾きはじめて、ビルのガラスや配達トラックの側面を真っ白に染めた。青空の色が少し薄くなったように思えた。改札をくぐると行き交う人の波に、ひとがいる、ひとがいると思った。ひとの顔をしたひとがいる。ひとの顔をした猿がいる。ひとの顔をした鬼がいる。松葉杖をついた赤ら顔の白人が突如として叫び声を上げて鬼のような顔になったのは、中年男が意図せずして通るのを邪魔したらしくて、男は予想外の激昂にひるんで恐縮していた。みんな何事かと一瞬はそちらを見るけれど、すぐにまたざわめきのなかに消えていった。
 空の色はたしかに薄くなったみたいで、電車から眺める一分ごとに光が引っこんで雲の影が残った。歩きまわって疲れた体を抱えながら大西順子『Live at the Village Vanguard』を聞いていたけれど、(……)で乗り換えて席に座ってからは眠気が頭にまとわりついて意識が飛んだ。地元の駅をおりると、黄昏時の真っ青な空に完璧に丸い月がきれいに浮かんでいた。