2014/4/4, Fri.

 正午を過ぎて起きると、肩に軽い筋肉痛があった。だんだんと小説に近づいていることが感じられて、寝床でまどろんでいるときも書き出しを考えていたような気がするし、食事をとりながらもアイディアをこねくりまわした。しかし、書き出したいのはやまやまだけれど、少なくとも"Kew Gardens"を訳し終えなくてはならなかった。
 Viktoria Tolstory『Letter To Herbie』を流しながら日記を書いて二時をむかえた。その少し前に母も帰宅して、リビングに上がると買ってきたおにぎりをくれたのでいただくことにした。あとで野菜を取りにいってもらうようだと言われた。風呂を洗いながら次はなにを聞こうかと考えていると、"Left Alone"のメロディが思い浮かんだので部屋にもどってからはMal Waldronを流した。胃に食べ物を入れる前にと思ってもの悲しい旋律が響くなかでストレッチをすませ、ついでに軽く腕立て伏せもおこない、おにぎりを口に放りこんで三宅誰男『亜人』ボット化をすすめた。五十九年のLeft Aloneが終わると、Jackie McLeanMal Waldronがふたたび一堂に会して再演した『Left Alone '86』をつづけた。『亜人』は読めば読むほど、この小説がなんの賞ももらえず、一顧だにされないのにが不思議に思えてならなかった。賞をもらうかどうかなんてたいしたことではないけれど、ともかくもっと読まれるべきではあった。
 野菜を取りにいこうと上階へ上がればちょうど雨が降りだしたらしかった。先にアイロンをすませているあいだに雨脚は強まり、そのくせ雲間から光は射して、暖色に染めあげられた家壁の前を雨粒が通過していった。まもなくやんで外に出ると近所のおばさんが犬を連れて通ったのでしばしたわむれた。おとなしいブルドッグで、どこをさわってもいやがらないし、気持ちよさそうにのどを鳴らすだけで吠えないので首元や皮膚が波うった背中などを思う存分なでまわした。畑に出てキャベツやねぎやブロッコリーを収穫した。晴れてきた空には雲が夏の入道雲みたいに高く積みあがって、まだ灰色にかすんだその彼方から雷が鳴り響くと、母はこわがって声をあげた。地面から飛びたった小鳥が波を描くようにして植木を渡って空中に飛び出していった。
 部屋にもどってベッドに寝そべったまま『失われた時を求めて』第四巻を読みはじめた。読みすすめるにつれて眠気がわいてきて、バルベックの少女たちについて例のおおげさな饒舌で十五頁以上もつづく語りのさなか、布団を引き寄せて体を包んだ。はじめはひんやりしていた布団はしだいに体の熱を吸収して甘く心地よいあたたかさをもたらし、夕陽に彩られた海の挿絵がはさまれた頁を過ぎて力つきた。空に散らばった雲にはほんのわずかに赤みがさしはじめていた。ひどくなつかしい夢を見たような感触のあと目を覚ますと、すでに日は暮れて部屋にはものさびしい青さが満ちていた。まどろんでいると携帯がふるえて、先ほど取った菜っ葉を近所に届けてきてほしいとあったがそのまましばらく動けなかった。
 午後七時になろうというところで上に上がり、風呂の前に外に出た。澄んだ夜空に星が明瞭に灯り、林をかすめるように三日月も出て、明るく青い夜に染めぬかれた雲が市街の上空に見えた。涼しげな風のなかに夏のにおいをかいだような気がして、三月もすればまたあのなまぬるい夜がやってくるのだと思うとそれだけでひどくなつかしい気分になった。音の聞こえないインターフォンを鳴らして、壊れているのではないかともう一度押そうとしたところで声が聞こえて、こちらもこんばんはと挨拶した。扉をあけたのは旦那さんで、いくらかふやけた口調と赤みがかった顔からして酒が入っているらしく、袋に詰めた菜っ葉をさしだすとおおげさに礼を言った。辞去するとちょうど奥さんが帰宅して、こちらの顔など数年は見ていないはずなのに明らかに誰だか認めた様子でどうしたの、と声をかけるので、届けに来たことを告げるとこちらも丁寧に礼を述べた。
 帰宅して入浴し、夕食をすませてから今日もギターが弾きたくなってStevie Ray Vaughanを流しながらいじりはじめたけれど、指が動かずもつれるばかりなのですぐにやめにした。日記の下書きをはじめようというところで母が来て携帯をさしだすので音楽をとめて出れば父だった。雑用をこなしてほしいと頼まれ、リビングのこたつの脇で、百円均一のファイルに書類をはさみこみ、表紙にラベルを貼る、それを十八組分つくった。自室にもどって音楽を再開してKew Gardensを訳しはじめた。Ray Vaughanが終わると、youtubeでMontefiori Cocktailを検索して一番上に出てきたプレイリストをヘッドフォンで聞き、体を揺らしながら頭をひねった。