2014/4/5, Sat.

 寝坊したくせに性懲りもなくまどろんでいると母から電話があって、会社をやめる子とお昼ごはんを食べることになったから、二時に髪切りにいくんでしょ、そのときに洗濯物入れてってね、ということだった。キッチンのシンクに生タンメンがぽつりと置かれていたので、つくって食べた。寝床にいるときは陽が射してひどくまぶしく、その力を借りて起き上がったくらいだったのに、だんだんと雲が広がって空気が白くなりつつあった。
 Stevie Wonder『Talking Book』、Jack's Mannequin『Everything In Transit』と流し、一時になる前には日記を書き終わった。昼食の皿を片づけて風呂を洗い、ストレッチと腕立て伏せを交互におこなった。それから、もうずいぶんと前からその惨状が目にあまりながらも放置していた床のほこりを駆除することにした。掃除機を取りに祖母の部屋に入ると、詰めこまれた衣服類と畳の臭気が混ざったようなにおいがわずかにただよい、すぐに消えた。茶をついで一息入れてから掃除をはじめ、一体どこからこれほどのほこりが生まれでるのかと不思議になるほど、床の上やベッドや机の下にたまったそれを吸いこんだ。机上は少し前に片づけたはずなのに、これも不可思議なことにまたいつの間にか雑多なものでごちゃごちゃしていたけれど、それに手をつけている時間はなかった。Jack's Mannequinが終わるとBGMをscope『太陽の塔』にして、最後の"クロニクル"まで聞いてから家を出た。
 坂をのぼって多少乱れた息をととのえながら腰掛け、髪を洗ってもらうべく仰向いているあいだ、つばが飲みこみにくく、それでいてのどが気になって飲みこまないと苦しくなるのだった。そんな息苦しさは席についてカットクロスをまとったあともつづいて、体が熱くなって意識がのぼっていくなつかしい感覚が一瞬あったけれど、深呼吸して雑談をしていると気づけばおさまっていた。切り終わって再度髪を洗い、最後の仕上げを待っているあいだ、助手の人が持ってきてくれた女性誌を試みにめくってみると、よくもまあこんなにどうでもいいような記事ばかりで誌面を構成できるものだと思わされた。美容師の人に、くだらないでしょ?とずばり代弁され、だってスケートの羽生くんですっけ、あの人が七千円のメシ食ったとかいう記事があって、それは記事にしなくてもいいんじゃないかと思いましたよ、と二人で大笑いした。
 雲にさえぎられてなおまばゆい光線が染めあげる満開の桜の花びらには、清涼な白と艶めいた薄桃とともに、空の色が映りこんだかのような青がほのかに含まれているように見えた。光を受けた雲が西空に青の影となってそびえていたが、空気は灰色に落ちこむことなくガラスめいた透明さを保って、とはいえ吹く風にパーカー一枚では肌寒かった。図書館の駅で降りるとパーマをかけた頭に白衣のような上着をまとった若い男を見かけた。最寄りの駅にもいた彼は先輩だった人間ではないかと思いあたって、向こうでもこちらの顔を認める目をしたようでもあったが、さっさとエスカレーターをあがっていった。図書館の薄緑色のガラスに空と雲が映じて鏡写しにひとつの壁のなかに浮かびあがると、それ自体ひとつの写実画を見ているような感じがした。CDを返した受付の男性はぎょろりとした目つきでこちらをまっすぐに見据え、ありがとうございましたと言いながら表情がまったく動かないものだからロボットのような印象を持った。CDは今日もドヴォルザークを借りることにしてRadomil Eliskaが札幌交響楽団を指揮して交響曲第五番をやったものをひとつは選び、もうひとつはこちらも知っているような有名所で亡き王女のためのパヴァーヌとか牧神の午後への前奏曲が入っているやつにしようかと迷いながらも、結局はDaniel BarenboimとWest-Eastern Divan Orchestraがチャイコフスキーシェーンベルクをやったものにした。この指揮者の名前はEdward Saidのインタビューを読んだときに知っていた。しゃがみこんで棚を検分していると中年の男性が横に立ち、アルバムを手にとって試聴機のほうへ歩いていったが、足で床をたたくその音に横柄さが含まれていた。試聴機はつかったことはなかった。この先つかうこともなさそうだった。ジブリ作品があるかとアニメDVDの棚をのぞいたのは先日寝床でまどろんでいるときに、たとえば『魔女の宅急便』なんかを小説にするというアイディアが思いついたからだった。言ってみれば二次創作で、ジブリアニメでなくても一向にかまいはしないけれど、良質な物語がある映像作品を利己的に利用して原型など気にせずに勝手に細部をふくらませて小説に落としこみたいという欲望があって、新着図書にあった丸山健二『白鯨物語』のいわば映像をもとにしたものをやってみたいわけだった。タイトルから想像がつくようにメルヴィルの有名作をもとにしたこの本は当然おもしろそうだし、新着図書にはあと岩波文庫ジュリアン・グラック『シルトの岸辺』と、残雪の小説があった。学習席のほうを見ると土曜日らしく人影が多く見られたので、読んでいくのはやめてさっさと帰ることにした。
 図書館隣のローカルデパートに入った瞬間、いわば空気が変わったようで、呼びこみの声、親子連れの低くまた高く響く話し声、レジを打つ電子音、カートが床をすべる音、そういったものが渾然となったざわめきが奥からわき立ち、フロアをすすむにつれて身を囲んで、隅までくまなく照らしだした無害そのものみたいな照明と、その明るさを聴覚的に表現したような慇懃この上ないトーンのアナウンスとがその上に覆いかぶさった。ここもまた一種ひどく不自然な空間だという気がした。たび重なる寝坊に危機感をつのらせて寝起きに効果のある亜鉛サプリメントを買いに来たのだったが、以前はスーパーマーケットの奥にあった薬局が姿を消していた。アナウンスをしていた男性になくなったのかと聞いてみると、そうなんですよ、採算がとれなくてですね、我々としてもぜひ残したかったんですけど、と本当に悔しそうな様子で語った。わざわざ薬局に行かなくともコンビニにもあるだろうと駅前の店に入ってみるが見当たらず、ならばもはやサプリメントなどに頼るまい、おのれの力で生活を改善してみせると決意をかためて帰路に着いた。
 ホームで電車を待つ正面、先日飲み会をおこなった居酒屋の壁についた看板は薄汚れて、趣味の悪い赤がいくらかどす黒くなっていた。その下の駐車用の空間を透かして駅前のロータリーにバスが到着するのが見え、老人や子どもを含む一団が規律正しくゆっくりと乗りこんでいった。雲が多くなって、風が吹くと明確に寒かった。正面の空は青いが、少し右に目を移すと、駅舎や居酒屋の建物にさえぎられた空で雲が光をはらんでいるのが見えた。イヤフォンから流れるAntonio Sanchezにじっと耳を傾けたが、部屋のなかでは音楽を聞き流し消費してばかりで、集中して聞くのが外にいるときとはなんとなく皮肉なものだった。電車は遅れていた。アナウンスがされた気配があったが聞こえなかった。
 帰るとすぐさま日記を下書きし、米が炊けるのを待って夕食をとったあとにさらに書き忘れていたことを書いた。茶葉をキッチンの流し台に捨てるとき、三角コーナーに白く小さな花びらの草が捨てられているのが目に入った。これなんて言うの、さっき駅にも生えていたんだけど、と聞けば、少し考えたあとに思い出した母はユキヤナギだと答えた。名を聞いた瞬間に花壇の一角でびっしりと花びらが連なった光景を思いだして、ぴったりの名前じゃないかと笑った。
 Helen MerrillClifford Brownとやった例のアルバムを流し、『亜人botのアカウントでフォロー攻勢をはじめた。こちらのまわりの人々からフォローしていき、「ムージル」「三人の女 ムージル」、そしてついでに「族長の秋」で検索して出てきた人々もフォローし、ひとまず二百弱を数えた。見る人が見れば一発で度肝を抜かれるほどの文章自体の強さと魅力があるのだから、ともかくまずはこちらの存在を知らせることが重要だった。その後、Herbert von Karajan & Wiener Philharmoniker『Dvorak: Symphonien No.8 & No.9』を流して三宅誰男『亜人』ボット化をすすめ、第八番が終わったのを機に入浴をすませ、もどってからは第九番を聞きながら日記をつづった。Karajanが終わるとYes『Fragile』を流したが、今日こそは早寝をしようと十一時を待たずにPCを閉じた。瞑想めいて『族長の秋』を暗唱してから電気を消したが、意識は明瞭そのものだった。しかたなくじっと動かずに呼吸を数えはじめるとサブリミナルのように幻覚や幻聴がはさまれはじめ、やがてそうしたおのれの精神を観察する意識も薄れていった。