2014/4/8, Tue.

 十時半に起きて、一晩置いたにもかかわらずたいして味が深まっていないカレーを食べた。Craig Taborn『Junk Magic』を流してたいした手間もかけずに昨日の日記を書くと、つづけて地元の図書館で借りた二枚のCDの情報を記録した。『失われた時を求めて』第四巻を読みはじめてまもなくTabornは終わりを告げたので、George Szell & The Cleveland Orchestra『Dvorak: Symphony No.8』を読書のおともに選んだ。Istvan KerteszがLondon Symphony Orchestraを指揮して同じ曲をやったアルバムをつづけ、きりのいいところで読書をとめると腕立て伏せをし、宮廷音楽めいた優雅な旋律の交響曲第八番が終わったところで上階へ上がった。風呂を洗っていると母が帰宅し、彼女が買ってきたクリーム入りの亀焼きをワイシャツにアイロンをかけたあとでいただいた。母はひどく暑かったと嘆き、こちらもたしかに上は薄いTシャツ一枚になっていた。茶をついでいると外をバイクが走っていくように風が長く尾を引いてうなった。
 部屋にもどってKertesz指揮のドヴォルザーク交響曲第九番を流し、三宅誰男『亜人bot作成をすすめた。百四十字には切りとれない息の長さでむしろこちらの息を奪い去るような一文が多々あった。「新世界より」と題された交響曲の第四楽章冒頭で鳴り響くあざといほどに大仰な、鎚を振りおろすかのようなモチーフを聞いたところで頁を閉じた。最後まで聞いて、John Lee Hooker『The Complete 50's Chess Recordings』にBGMを移して(……)図書館で借りたCDの情報を記録した。あきらかに茶の飲みすぎによる腹痛がはじまっていて、それにもかかわらずまたついでしまったそれを持てあました。いくらか腹が楽になってから無理やり飲みほし、磯﨑憲一郎『往古来今』を読むことにした。「過去の話」から一箇所書きぬき、「アメリカ」を読みはじめてすぐ、どのような刺激があったのか不明だが、今朝夢を見たという事実を思いだし、それを記し忘れていたことが過失のように感じられた。また忘れる前にすぐ記録しなければならないと思ったが、先に「アメリカ」の冒頭だけ書きぬき、それから夢を記述した。踏み切りの線路の上で中高の同級生であるU.Aが絵を描いていた。小学校への通学路の途中、図書館のすぐそばにあるよく見知った踏み切りだった。空はこれでもかというほどに青く透きとおり、U.Aはそのなにもない青空を画用紙に写しとっていた。こちらは少し離れたところで腰をおろしてアコギを弾きながら、紙を前に置き膝を立てて一心不乱に色を塗る彼女を眺めていた。図書館のほう、ということは小学校のほうから数人の女子がやってきた。そのなかにはU.Aと仲の良かったK.Kがいたが、踏み切りを通りすぎる際、彼女らはなにか侮蔑的な言葉をささやきかわしたらしかった。K.Kがこちらをちらりと見やったときの目や、唇のゆがみ具合にも見くびるような色がうかがわれた。彼女らが見えなくなってからU.Aがなにかをつぶやいた。無感情でため息をつくような静かなつぶやきだった。こちらもそれに答えたはずだが、なんと言ったのかは思いだせなかった。
 夢を書いて読書を再開するつもりがそろそろ四時なので風呂を沸かした。部屋にもどってギターをつかみ、例によってStevie Ray Vaughanを流して適当にブルースを弾いたあと、思い立ってDeep Purple "Highway Star"を音源と一緒に弾いたが、スタジオ版のテンポでさえギターソロの例の十六分フレーズが追いつかなくて気分が萎え、ギターをスタンドにもどした。最後の腕立て伏せをおこなってから入浴した。風呂場のデジタル時計は4:54を表示していた。労働の前に図書館へ行って本を読もうと思っていたが、もうこんな時間ではたいした余裕もない、と入浴しているうちに気持ちが変わって取りやめにした。部屋にもどり、Derrick Hodge『Live Today』を流して磯﨑を読んだ。胃が空っぽで腹がえぐれたように空腹だったが、労働まであと二時間しかなくてはカレーを食べるわけにもいかなかった。
 気温は低くないのに寒気がするのは空腹のせいだった。空はなけなしの青さをかろうじて残し、猫は暗がりにじっとうずくまって舌を鳴らしても顔を上げもしなかった。頭上の半月を境に後方には星が散らばり、前方の空のきわは町の明かりのせいか墨色が薄くなっていた。帰路も同じで、西空は山から影がとけだしたようにますます黒く、東はなにがある町でもないのに光がにじんだ。坂の上から眺める対岸の明かりのひとつひとつが小さく放射状に広がって花がひらいているように見えた。