2014/4/11, Fri.

 携帯が震えて八時半に目ざめ、めずらしく二度寝をするほどの眠気もなかったので寝床に入ったまま高橋源一郎『さよなら、ニッポン』を読んだ。起きて台所にいくとなにもないので例によってハムエッグを焼きはじめると、こうしてフライパンにハムを四枚敷いてその上から卵をふたつ割り落とす遅い朝は一年前となにひとつ変わっていないことに気づいた。食事を終えて自室にもどり、Mose Allison『I Don't Worry About A Thing / Mose Alive』を流しながら正午前まで高橋源一郎を読んだ。家事をすませるあいだは、小説をどう読めばいいのか、あるいは小説や本を読んでいるときのことをどう書けばいいのか、小説を描写できないのかということを考えていた。
 Richie Kotzen『Break It All Down』を流しながら日記を書いて、洗濯物を入れなくてはならない時間になった。ベランダに出た瞬間に鳥の声と、その向こうから風の音にも似た川音が響いてきた。普段意識することはないが、歩いて十分もかからない川は生活の背景で常に鳴りつづけ、耳をすませばいつだってそこにその音があるのだった。雲はなく、陽はあたたかいが、時折り強めの風が吹いた。梅の木には太い主枝から細めの枝が何本も生えのびて、それは前からそうだったのかそれとも春になると装いを変えるものなのか知る由もないが、緑色に染まっていた。黒っぽい茶から突如として園芸に使う支柱のような緑色に変わっているため、接ぎ木したようにも見えた。短い斜面に生えた木の足下には薄紫の花が咲いていた。
 Mongo Santamaria『Mongo at Montreux』を流し、ファンク調のラテンサウンドのなかでストレッチをおこなった。曲が移って、靄に煙る雨降りの青い朝めいた電子ピアノとフルートの響きがはじまると腕立て伏せに移行した。それから『失われた時を求めて』第四巻を読みはじめたが、わずか一ミリほどしかのびていない爪の感触がそれでも気になって、ベッドの上にあぐらをかき、ティッシュを前に敷いて切りはじめた。終わると思い立ってHさんに会合の誘いを送ってから読書にもどった。彼に会ったのはひと月前の新宿が最後で、そう考えるとMさんと会ってからももう一か月が経ったのだった。そのMさんからは昼前にメールが来て住所を教えると、「ちかぢかええもん届く」というので礼を述べた。Mongo Santamariaが終わるとThe Monterey Quartet『Live at the 2007 Monterey Jazz Festival』を流した。冒頭はEric Harlandが自身のリーダー作でもやっていた"Treachery"で、そこでの演奏よりもだいぶテンポが落ちるのでテーマ部分は間延びして聞こえたが、アドリブに入るとGonzalo RubalcabaとChris Potterが熱気をまき散らしていた。
 窓から射しこむ光はぼんやりとしているが薄影に包まれた浴室を斜めに横切って、白い光の筋道をつくっていた。髭を剃った。女性の無駄毛処理事情なんて知るはずもないが、顔だけでも面倒なのに腕やら脚やらも手入れしなくてはならないのかと推測するとはなはだわずらわしそうだった。高校のころ、体育館での集会のおりだったか、近くの女子の脚が目に入って、スカートの裾のあたり、すねの側面に産毛を見てとって、なるほど女子も結構毛が生えるのだなと思ったことがあった。出て、歯を磨きながらまたプルーストを読んだ。返却日が二日後に迫っていて、それが読書のモチベーションに変わるぶんには悪くないが、先を急ぐと小説は死んでしまう、そのくらいのことは知っていた。返却日を過ぎたって、どうせ現今この市で『失われた時を求めて』を借りている人間は自分しかいないのだからかまうことはなかった。
 なににもさえぎられることのない陽光が家壁にそそがれているのを見た。透きとおった空には白い卵のような月が上の半分だけ顔を見せていた。裏道を好んで歩くのは乾いた静けさのなかに人家から洩れる人々の音が聞こえるからだった。表通りから家を何軒か隔てただけで車の音は驚くほど薄くなり、難儀そうなくしゃみや、子どもの叫びや、台所で食器を鳴らすような音が聞こえてきた。散歩をしていて民家から洩れ聞こえるピアノの音にもっとも心を打たれる、そのようなことを書いたのはヴァルザーだった。少し前を女子高生が歩いていた。前方から自転車に乗ってやってきた二人の男が止まって彼女と話しはじめた。高校の教師のようで、話はよく聞こえなかったがどうやら不審者が出るから気をつけろと注意しているらしかった。振り向いた女子高生の唇はどぎつい赤さで彩られ、さようなら、と挨拶をしたその声に記憶が刺激される気配があったが、どこで聞いたものなのか思い出せなかった。なるべくなら駅まで表を歩けと言われたにもかかわらず女性徒はかまわず裏道を歩いた。実際人通りはそれなりにあったし、まだ明るいのでどうなるとも思われなかった。うしろを向けば入り陽があさましいまでに光を放ち、通ってきた道が白く染まって見えないほどだった。駅のロータリーに出ると正面のマンションが全面に陽を浴びて、黄土色の壁のタイルのひとつひとつが織りなす微妙な濃淡があらわになり、映画に出てきてもおかしくないような古びたもののなつかしい趣をかもしだした。
 夕食とともに帰りに買ったコーラを飲み、甘味を含んだ炭酸の刺激を堪能した。食後、母が入浴し、帰ってきた父も湯を浴びるのを待つあいだ部屋でプルーストを読んだ。茶をつぎながら鼻歌で"The Girl From Ipanema"のを鳴らしている自分に気がついた。メロディがどこからやってきたのか思い返してみれば、食事中にテーブルの上にあったTOTOからのダイレクトメールを目にしたのがきっかけで、その封筒には「おいしい水」がどうのこうのとわざわざ括弧つきで書かれていたが、しかし連想したのは"Aqua De Beber"ではなかった。口ずさみながら茶を飲んでいるとまたなぜか、風呂を出たらBill Evansを聞こうと妙に強い決意がどこからか訪れた。入浴をすませて決意通りにBill Evans Trio『Portrait In Jazz』を聞きながら、思い立って日記の更新通知用にしていたTwitterアカウントを削除し、Twitterにも読書メーターにも更新通知はしないことに決めた。そんなに多くの人が楽しめる文章というわけでもなかろうし、好きで読んでくれる何人かはもういるのだからそれでよかった。削除した代わりというわけでもないが落書き用の新アカウントを取得した。プロフィールアイコンや背景画像に落書き感を出そうとジャクソン・ポロックの絵を探しているとThe Stone Rosesを思い出した。デザインがかたまると早速落書きをはじめ、そうしてはじめてTwitterは落書きに向いているのではないかと気づいた。一四〇字という少ない字数でひとつひとつ積みあげつつ、一度投稿してしまえば訂正がきかない点がなによりもよかった。以前にも少し落書きをしたことはあったが、そのときよりもおもしろくてプルーストを読むはずが二時過ぎまで適当な文章を書き流していた。