2014/6/9, Mon.

 起きたのは九時半だった。雨は降っていなかった。リビングにあがったらみそ汁があった。納豆で食べればいいから卵は焼かなかった。米をひと口含んだところで晴れてきたから、もぐもぐしながらタオルを外に出した。プルーストを読みながら食べて、茶も飲んだ。部屋にもどって読書を続けた。プルーストは五十ページ読んだ。それから何をすればいいかわからなかった。翻訳とか英語とか書きぬきとかやらなければならないことはあるけれど、やる気が出なかった。だからまた本を読んだ。柄谷行人『意味という病』を読んだ。パソコンのモニターは見ているだけで精神がつかれて現実感がうすくなるから、ひらく気にならなかった。ベッドに寝転がって本を読んでいるのがいちばん楽だった。
 一時になって上にあがった。昼食は食パンにした。一枚焼いておいしかったからもう一枚食べた。陽がさして暑くなったから扇風機をつけて窓もあけた。あけた途端に増水した沢の音が聞こえた。席にもどると音がなかに入りこんで壁に反射して室内に満ちた。志賀直哉嘉村礒多を分析した「私小説の両義性」まで読んで一時半を過ぎて、タオルを取りこんだ。たたもうかどうか迷っていたら母が帰ってきて、たたんだ。母は仏間にあった洗濯物を出した。そっちにあったのは気づかなかった。仏間に入る習慣がなかった。つまり仏壇に線香をあげたりする習慣がなかった。祖母が死んではじめての盆が来月来る。親戚の連中を呼ぶから母の気は重かった。
 部屋におりて、ベースを弾いた。ひたすらクロマチックトレーニングをした。雨が降りだしたとき、もうベースを置いていたかおぼえていない。ぽつぽつという音がしはじめて、天井がどたどたいうのも聞こえて、上にあがった。雨はすぐに強くなって、雹みたいに大きい粒が窓に当たるのを見てすこしわくわくした。窓ぎわに寄って外を見た。白い矢みたいに鋭い雨粒が灰色の空気を切って落ちていた。風呂を洗いにいくと暗かった。部屋も暗かったから、電気をつけた。カブトムシのバンドを流しながら、図書館で借りたCDの情報を記録した。モニターの前で作業しているとやっぱり目がつかれた。雨は夕立ちですぐやむだろうと思ったらなかなかやまなかった。斜めに吹きつけて窓を覆って外がぼやけるから、部屋が水のなかにあるみたいだった。Miles Davisの一九六〇年のアムステルダムでのライブ盤を流して、腕立て伏せとストレッチをしてから日記を下書きした。携帯が鳴って見ると、土砂災害警戒情報が出された。土砂災害警戒区域の人は避難準備をしてくださいと言った。うちはちがうけれど、道路をはさんで目の前に林がある。正面の家は古い木造で、林のふちにあるから、もし林が崩れたらつぶれるかもしれない。いまは誰も住んでいなくて、持ち主の娘さんがたまに仲間を集めて仕事で使っていた。
 五時から七時にゲリラ豪雨があるかもしれないと言ったけれど、シャツにアイロンをかけているうちに小降りになった。またすこし読書して、七時には上へあがった。トイレで用を足していると玄関の階段をあがる音がして、インターフォンが鳴った。急いで出しきって出ると、Tさんだった。母を呼ぼうとしたらいいと言って袋を差しだした。野菜をもらったお礼と言った。ずいぶん背が高いと言われた。Tさんは小さかったとあとで思いだした。九十三だからすこし前かがみになって、腰に手を当てていた。外に出ると雨はやんでいた。Tさんは手すりをしっかりつかんで降りていった。支えたけれど支えはいらなさそうだった。すごい雨だったね、あんなのははじめてだよ、と言って帰った。
 夕食にはアジがあった。育ちが悪いから魚をきれいに食べることができない。うまく骨をとれないから、太いのはとって骨ごと食べた。しばらくして風呂に入ることにした。その前に外に出た。ちょうど女子高生がひとり通っていくところだった。すこしぼさぼさした髪をまんなかで分けていて、暗いから幽霊みたいに見えた。前にも見たことがあった。空はほぼ均一に墨色だった。林の暗いところは真っ黒でおうとつがなかった。街灯の光の裏がたぶんいちばん暗い。沢の音がしていた。沢は林のなかから出ていて、小さい林だからたぶん源ではない。林に近いほうはごぽごぽいって立体感のある水音だった。道路の下を通って反対側に出ると水は落ちるから、それこそ雨みたいにうすく広がった音だけれど雨よりも高音で勢いがあった。車が坂を降りてきてカーブからあらわれると、光が濡れたアスファルトをすべってこっちまで届いた。色は白っぽい青だったりオレンジだったりした。
 風呂を出てソファに座った。テレビで加藤茶が伊勢エビかなにかを見ていて、笑福亭鶴瓶がいろいろなところへ行く番組だと気づいた瞬間に変な感じがした。昨日か一昨日くらいにも見た気がした。そのときのゲストは久本雅美で、鶴瓶はブドウ農家を訪ねていた。あれが一週間前だとは思えなくて、再放送を見たのかと思ったけれど母は先週だと言って、嘘だと思った。一週間という言葉と自分の感覚が一致しなくてしばらく呆然とした。部屋にもどってからは本を読んだり読書年表をつくったりしていたら十一時になっていた。歯をみがきながら、年表はなにかくだらないから消した。