2014/6/12, Thu.

 目をあけてから起きるまで一時間かかって九時半になった。雨降りの朝だった。いつもどおり卵を焼いた。油を熱しすぎた。卵を割って入れたらばちばち言って、すぐに端が茶色くなった。フライパンにくっついて、箸でひっくり返そうとしてもうまくいかずにぼろぼろ崩れた。しかたないから崩しながら米の上に落とした。すこしだけ残っていた野菜スープといっしょに食べた。
 Brad MehldauVillage Vanguardでのライブ盤を流しながら、日記を書いた。十時に終わって、そこからプルーストを読んで、柴崎友香『ショートカット』も読んで読み終わると十二時前になった。このころまだ雨が降っていたかおぼえていない。空は白いけれどずいぶん明るかったからもうやんでいたのかもしれない。風が吹いてシュロの葉の端から滴がぼたぼた落ちるのを見た。
 風呂を洗って、シャツにアイロンをかけた。それからゆで卵と昨日のサラダの残りを食べた。机の上の新聞にはSTAP細胞の実験に使われたマウスが存在しなかったかもしれないと書いてあった。中国の戦闘機が自衛隊の情報収集機にまた異常接近したともあった。部屋におりると一時だった。Hからメールが来ていて、今日飲みに行くが来るかと言うので了承した。それからBob Dylan『Blonde on Blonde』を流して蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』を書きぬきはじめた。金井美恵子との対談まで読みかえすと二時前だった。もう雨はやんで、雲の隙間から青空が見えていた。雲と混ざっていない青を見たのは久しぶりだった。
 風呂に入ってひげをそって、くるりをうたったり、プルーストを読んだりしてから家を出た。靴が土で汚れていたから靴みがきでこすったら黒が深くなった。雲はまだ多くて、陽ざしはうすかった。ホームから見える南の空の青が妙にみずみずしくつやめいてつくりもののようで、だからそのまわりを囲む灰色の雲も精巧に描きこまれたCGみたいに見えた。
 四時間くらい働いた。つかれた。最近はますます労働が面倒くさい。
 いちばん端の四人席に三人がいた。座ると、前がYでその隣がH、自分の左隣はFさんだった。Fさんは小学校で同じクラスで、中学校もいっしょだったけれどたぶん一度も話さなかったから、話すのは小学校六年のとき以来だった、ということは十二年か十三年ぶりだった。顔も忘れていたけれど、見た瞬間にこんな顔だったと思いだした。めっちゃ仲良かったよね、と言われた。たぶん仲は良かったけれどあまりおぼえていなかった。ふたりとも勉強ができるほうだったから休み時間にドリルを競争していた、と言ったけれどまったくおぼえていなかった。Fさんはにこにこしてよくしゃべる人で、こんなにしゃべる子だったかと思ったけれどたぶんそうだった。変わってないねとも言われたし、変わったねとも言われた。全然動じないところが変わっていないと言われたけれど、昔はただおとなしいだけだった。顔は変わったらしい。小学校のころは丸顔だったけれど、中学二年くらいから背が伸びて顔も細くなったと言われた。よくおぼえているものだった。こっちは中学時代のFさんのことはなにもおぼえていない。いまは看護師をしていた。Yと会うのはたぶん成人式のときにすこし立ち話をして以来だった。Yはたいして変わってはいないけれど、ずっと金髪だったのをつい昨日黒くしたと言った。公認会計士の試験を受けて一次は通って二次は八月で、明日から就活だかなんだかよくわからないけれどなにかするらしくてそれで髪を黒くした。Hは去年の秋から冬くらいに多少会っていた。
 HとFさんはわりと酒が強くて日本酒を飲んでいた。Yも飲んだけれどあまり強くないらしくて、煙草を吸いながらちびちび飲んでいた。こっちはひとりでジンジャーエールを飲みつづけた。それぞれ近況や高校や大学時代のことや家庭のことやこれからのことを話した。だらだら長居しすぎて、店を出るのは一時に近くなった。本当はまずい、と思いながら帰るきっかけを見いだせなかった。次の日に寝坊することが決定した。
 電車に乗ろうとしたら入り口のふちにそって吐瀉物があった。ピンクと紫の中間みたいな色だった。ほかの三人はみんな同じ駅で降りて、ひとり残った。職場の駅から歩いて帰った。満月が出ていて夜がすごく明るかった。明確に藍色の空で、月の光に照らされて雲のかたちがよく見えた。つかれていたけれどあまり眠気はなくてむしろ頭が冴えているような感触があって、午前一時半というよりは仕事終わりに帰っている午後十時の道のような気がした。家の近くに来ると月が雲のなかに入って、だけどまったくぼやけも崩れもせずに明るく浮かびあがるから月が雲より近くにあるようにしか見えなかった。透明な明かりが白くたなびく雲を包んで、光の円のふちはかすかに赤く染まった。
 なんとなくそんな気はしていたけれど、勝手口があかなかった。鍵は持っていた。勝手口にはふたつ鍵があって、上のものは外につながっていないから、それを閉められると外からはあけようがなかった。玄関ももちろんあいていなかった。下の階の物置の扉もあいていなかった。兄の部屋の窓もあいていなかった。家の下にまわって、ベランダの柵の隙間から手をのばして自分の部屋の窓を調べたけれど、やっぱりあいていなかった。同じ事態におちいったときにベランダをよじのぼってここから入ったことが何度かあった。残ったのは部屋の南側の窓で、ここから入ったことはいままでなかった。普通だったらまず壁をのぼれない。だけどいまは植木鉢を置いたりするための緑の台ができていた。狭いから横向きになってそこにあがって、ゴーヤのネットの内側にからだを入れて窓をずらすと動いた。助かった。窓枠に手をかけてからだを持ちあげて、上体を部屋のなかに入れながら足を枠に移すと、そのまま正面からベッドにゆっくり倒れこんだ。からだを横にひねって天井を向いた足から靴を取って、ごみ箱の上に横向きに乗せた。ほっとした。外に置いておいたバッグを取りにいって、スーツを脱いでシャワーを浴びた。歯をみがいてプルーストをすこしだけ読んで、寝るのは二時半になったからアラームは十時にした。