2014/6/16, Mon.

 起きるとまぶしい晴天だった。そのおかげかそんなにからだは重くなくて、すっと起きた。上にあがってハムエッグを焼いて、みそ汁と変わり映えのない朝食をとった。蓮實重彦『随想』を読み終わってから日記を書いた。書き終えてもたぶん十二時にはなっていなかった。Chuck E. Weissを流してギターを弾いてだらだらした。はやく弾けるに越したことはないけれど、日に日に音の肌理というか質感のほうに惹かれている。チョーキングはおもしろい。
 また卵を焼くのもなんだから、昼食は納豆にした。みそ汁は変わらない。食べ終わって皿を洗って、アイスでもないかと冷凍庫をあけたら食パンが見えたから食べることにした。一枚焼いてバターだけのせて食べた。暑かった。久々に夏っぽい日だった。冷たい飲みものがほしくて戸棚を見たらサイダーの缶があった。氷を入れたコップにそそぐと泡がはじけて広がってすぐに消えた。炭酸はうすかった。飲みながらソファに座ってプルーストを読んだ。二時前になって洗濯物を入れた。もう晴天ではなくて少し雲が出ていて、目を細めるほどのまぶしさもなかった。
 プルーストは一日三十ページは読むことにしている。今日のノルマを達成すると、Jonathan Culler, "Literary Theory"を読みはじめた。OxfordのA Short Introductionシリーズは多種多様な事項についての入門書を提供していて、いま現在全体で何冊か知らないけれど、Cullerのこの本のうしろには二七六のタイトルが並んでいる。よくある概説より著者の色が濃く出ている印象がある。邦訳は岩波書店から出ているけれど、シリーズ名を「一冊でわかる」としたのはあまりよくない。英語を読むのはひたすら時間がかかって、四時半前になっても十ページしか読めていなかった。買ったばかりで革の装丁が真新しい英和辞典も使ったけれど、あまり調べないでどんどん読んだほうがたぶんいい。それから日記を下書きした。空に雲がまざってだんだん色がうすくなってきていた。
 風呂を洗っていなかったので洗った。母はリビングの隅に寝転がっていた。もどって、ブログのアクセス解析で検索キーワードをあらためて見てみるとけっこうおもしろかった。「山田フライパン」というのは意味がわからないけれど少し芸名っぽい。「カラスが窓ガラスをたたいて中の様子をうかがってくる」「幼児ししゃもを食べたら吐く」「食べたあとへその下でる」の三つが非常に散文的だけれど何を求めているのかわからなくて笑った。こっちの関心の文学や小説関係のキーワードはほとんどなかった。本の感想を書いていないからかもしれない。
 J・J・アルマス・マルセロ『連邦区マドリード』を読みはじめた。五十ページくらい読んだところで上にあがると、もう六時半はこえていた気がする。外に出て、家の下にある植物たちに水をやった。ゴーヤはだんだん伸びてきている。またすぐにネットを覆いつくして窓をふさぐ。夏の日光を防いでくれるのはいいけれど、窓ひとつはさんだところでハチがぶんぶん飛びまわったり、カマキリが大量に生まれたりするのはあまりいい気分ではない。ムカデが侵入しやすくなるのは特によくない。水をやり終わって家の前に上がってくると、林の隙間から見える北の空が白くてほのかに明るんでいて、たぶんいまあの向こうでは陽が沈んでいくところだった。南側はその反映があるわけでもなく、水色だった。もうそろそろ七時という感じがしなかった。昨日よりもさらに日が長くなったような気がした。
 夕食は米、納豆、みそ汁、兄が送ってきたややスパイシーなハムと野菜を炒めたもの、シーチキン入りのサラダだった。下に降りてからはだらだらして、またギターを弾いたようなおぼえもある。蓮實重彦『随想』とJonathan Culler, "Literary Theory"からそれぞれ一箇所ずつ書きぬきもした。Miles Davis『Nefertiti』を流したのはこのときだったのか夕方だったのかおぼえていない。『Four & More』を聞きながら柄谷行人『意味という病』を読みかえして、Milesが終わったら"Seven Steps To Heaven"からの連想でAlvin Queen『I Ain't Looking At You』にした。歯をみがいたらもう十二時前になって、ベッドでミシェル・レリス『幻のアフリカ』を少し読んで、『連邦区マドリード』もほんの少し読んでから眠ることにした。窓を片面全部あけているとカーテンを閉じていても下の隙間から冷気が差しこんできて、かなり涼しかったからほとんど閉めた。