2014/6/18, Wed.

 くぐもった振動音で目をさました。メールの受信音でも着信音でもないし、アラームも鳴らなかったから不思議だった。布団を出て携帯を取ってもどって通知を確認するとカレンダーにつながった。設定したはずのない予定が出てきて、英文が並んでいた。眠い頭で拾い読みすると、チュニジアから送っていますとか、結婚した夫が死んでしまいとか、後半にはブルキナ・ファソがどうのこうの銀行がどうのこうのお金がどうのこうのとあったので、よくある迷惑メールみたいなものだった。会議に参加しますか、はい、いいえ、みたいな選択肢が出ていたけれどどちらにも手をつけないで予定ごと削除した。
 昨夜の筋肉痛が残っていた。まだ五時だったのでさすがにはやいと思って寝ようとしたけれど、三十分くらいしても不思議と眠らなかった。だから起きて上へあがった。母はまだパジャマ姿で、洗濯物を干したりしていた。みそ汁がつくってあったのでそれと、焼き鮭と米を食べた。サラダは食べなかった。食べ終わって、どうせまたあとで寝るだろうと思いながら下へおりて日記を書いた。書き終わってもまだ七時だったけれど、もう七時だともいえた。
 それから午後一時まで絶望的なまでにだらだらした。ギターもベースも弾いたけれどきちんとした練習はしなかった。上にあがって、昼食をなににしたのかおぼえていないけれど、どうせいつもと変わりなく米と納豆でも食べた。柄谷行人『批評とポスト・モダン』を読んでいた。ソファで読んでいるとここになって眠気がやってきて、意識が飛びそうになった。下におりると母が帰ってきてバイクを片づけているのが廊下の窓から見えた。窓をあけて、これから寝るから、といって部屋にこもった。三十分後にアラームをセットして、二時過ぎから布団に入ったけれど、三十分後には起きられなかった。何度も目をさましたけれど不思議なくらい起きられなかった。三十分後が一時間半後になって、なんとか起きたときはもう四時前だった。あいまいさに包まれた頭で、隣のTさんの家に人が来ている声を聞いた。たぶん人足みたいな人で、なにかの作業をしに来ていた。Tさんの声も聞こえた。たしか三時ごろに母が部屋に来て、私も休むから、といった。
 水を一杯飲んでから風呂に入った。母が先に使って少し減ってぬるい湯に入っているとだんだん頭がさめてきた。東にひらいた窓から見える道ではさっきまで知らないおじさんが草を刈っていて、チェーンソーのような機械の音が寝ているあいだも響いていたけれど、いまはもういなかった。風呂を出て部屋にもどって、シャツとスラックスを着て歯をみがいた。ベッドの上で足を伸ばしてミシェル・レリス『幻のアフリカ』を読んだ。ワイシャツやスラックスがしわにならないように、足を伸ばしつつもだらけない姿勢だった。十ページくらい読んだらちょうどいい時間になったから家を出た。
 川の浅瀬みたいに小さく波打っているような雲の広がりだった。薄暗い青と灰色がまざっているなかで、西の空の奥がぼんやりと光っていた。光は雲に隙間があればどこからでも顔を出した。表通りを歩いた。民家のガラス戸に映るワイシャツ姿を見て、なんとなくげんなりした。せっかく早く起きたのに時間をいかせず、ほとんどなにも読まないうちにこんな格好をして歩いている。そんな生活ではしかたがなかった。表通りを通ったから、高校生のころにバイトしていたチェーンの寿司屋を見た。横目で店のなかを見ると、奥の作業場に七年前の上司らしい姿が見えた。当時の自分は十代で、自信がなくて、兄のおさがりの垢抜けないジャケットを着て自転車で通勤していた。ずいぶん遠くまで来たような気がした。
 四時間くらい働いた。つかれた。
 職場を出るともう発車してしまったと思った電車がまだいたから、急いで駅に入った。いま着いたばかりの電車から吐きだされた人たちに逆流しながら階段をあがって、飛び乗った。扉のそばに立って息をついた。降りると、暗い空だった。林のなかから見える光は街灯だけだった。黒い影になった木は背景の空とほとんど混ざっていた。見慣れない看板があると思ったら街をきれいに、とかたばこのぽい捨てはしない、とか書いてあった。市のほうで新しく設置したものらしい。それがくくりつけられた街灯の深緑色の柱に、カミキリムシがとまっていた。長い触角を左右にまっすぐひらいて、ぴくりともしなかった。首を上に向けると街灯の白さのなかに八つ円が見えて、そこを中心に光のすじが雨みたいにそそいでいた。坂を降りたところの自販機にはちょうどいいサイズの炭酸がなかった。集合住宅は明かりがまばらについていて、静かな夜のなかでたくさんの人たちが息をひそめていた。階段の踊り場で胸の高さの壁にもたれて男の人が電話をしていて、その人の声よりも電話から洩れる女の人の笑い声のほうがよく聞こえた。
 夕食は素麺だった。畑で取ったナスも少しだけ炒めてあった。母のあとに風呂に入って、十一時から読書をはじめた。時間の半分はプルーストを読んで、半分はJonathan Culler, "Literary Theory"を読んだ。同じ時間でプルーストは三十ページ読めるのに、英語のほうはせいぜい五ページだった。少しずつでいいからなるべく毎日読むしかなかった。十二時を過ぎるとほどよい疲労と眠気がやってきたから電気を消した。