2014/6/20, Fri.

 名前の知らないポルノ女優とまぐわっている夢を見た。目をさまして、もう一度寝た。そのときに見た夢は忘れてしまった。九時半ごろ起きて、上にあがってカレーを食べた。皿にわけてあるのをレンジであたためて食べるのが嫌だったから、冷蔵庫から鍋を取りだしてわざわざガス台であたためた。二杯食べると鍋のなかはほとんど空になった。日記を読み返さなくてはならなかったけれど、柄谷行人『批評とポスト・モダン』を選んだ。食べ終わってソファで読みつづけて、読み終わった。この本が出てからもう三十年たっている。ポストモダンという言葉自体がもう古くなってしまったような二〇一〇年代にいて、モダンについてもポストモダンについても全然理解していない。
 読み終わると十時を過ぎていた。部屋にもどって、UA『KABA』を流しながら日記を書いた。昨日の夜も流して途中まで聞いていたけれど、冒頭の"モンスター"が好きだからもう一度最初から流した。立ったまま作業をしたかったから、雑誌をパソコンの下に置くことを思いついた。読まないのにとってあったJAZZ LIFE誌を三冊ずつ二列に並べてPCの下に敷くと、キーボードを叩いても左手首が痛くならないくらいの高さになった。日記はそんなに量もないのに時間がかかって、書き終わると十一時半だった。それから仕事中に起こったささいな事件についての思考を乱雑に書きつけていたら、日記本文よりも字数が多くなって笑った。今日の日記もついでに書きはじめたら母から電話があって、雨が降ってきたから洗濯物を入れてくれといった。焦った声だった。母にとって洗濯物はよほど大事らしい。通話は八秒で終わった。走って上にあがってベランダに出るとたしかにぽつぽつ来ていたから取りこんだ。朝のうちはきれいに晴れているけれど午後になるとくもるのは昨日も同じだった。ここ数日それが続いている気がした。
 インターネットを泳いでいたら國分功一郎Twitterアカウントにたどりついた。AV女優とAV監督とやったイベントのTogetterがあってぼけっと眺めた。哲学者とAV女優という組みあわせはそれだけでインパクトがあった。手にはギターを持っていた。ピックアップセレクターをセンターに合わせたときの音が最近気に入っていた。固すぎずまるすぎず適度に弾力があって乾いて音がした。それでコードカッティングをすると気持ちがよかった。
 着替えて上へあがった。柄に柄だから変だといわれたけれど着る服がなかった。靴も柄だからさらに変だった。テーブルの上には母が買ってきたパンが袋からのぞいていたけれど、歯もみがいてもうすぐ出かけるから食べるのはやめた。二時半過ぎで、部屋でプルーストを読みはじめたけれどたいして時間がないからリュックに入れた。かわりにまたUAの『KABA』を流して日記を書いた。上にあがって、保険証を取って、お薬手帳を探してもないから母に聞いたらあった。リビングの隅のカーテンがかかった戸棚においてあった。薬の種類は変わっていないからずっと持っていっていなかった。前回、薬局でなにかいわれたけれどなにをいわれたのか忘れてしまった。たぶん持ってきてくださいということだったから持っていくことにした。手帳に貼られている処方の最後は平成二十四年の十二月だから、もう一年と半年持っていっていなかった。平成二十二年の二月にコンスタンをもらったのが最初の精神安定剤だった。このときは大学三年になる前の春休みだった。前期まではたまに電車内や講義室で苦しくなりながらなんとか通った。春休み中、体調が悪くなってはじめて精神科にかかって、この頓服用をもらった。四月になると少し改善して大学に通いはじめた。五月になってまた悪くなった。電車のなかではいつも不安で、発作がくると息が苦しくなって鼓動が激しくなってからだがこわばって顔に熱があがった。中野まで行ってそのまま帰ってきた日があった。発作は起きなかったけれどすごく気分が落ちこんだ。うつ状態とか死にたいという気持ちがわかった気がして、そのとき休学しないとだめだと思ったから親に話した。休学しはじめて最初のころは精神科にはいかずに自分で治そうと思っていた。だから電車で何駅か先まで乗って、帰りは運動のために歩いてくるというのをやっていた。六月くらいで、暑くなりはじめたころだった。駅で待っていると予期不安があって、乗ってもひと駅のあいだに苦しくなって降りたくなることもあった。夜はジョギングもしていた。七月くらいから暑いせいでどんどん体調が悪くなった。食事もうまく食べられなくなった。砂を噛むような、という比喩を理解した。吐き気への恐怖があって、食べると気持ち悪くなった。一日のあいだ多くの時間は横になっていた。起きている気力がなかった。寝ていると、まどろみのなかで発作が起きることがあった。午前四時くらいに頭の両側が割れるように痛くて目がさめることがあった。耳が痛いのか歯が痛いのかわからなかった。常に息苦しさがあった。家から出て近所を歩くだけで不安になっていた。八月の終わりにもう一度精神科に行って、ドグマチールワイパックスを出してもらった。それ以来、ジェネリックにはしたけれどこの薬とのつきあいが続いている。もうすぐ四年だった。
 母は障子のはりかえを頼めるかとどこかに電話していた。ステンドグラスみたいな柄の靴を履いて、かかとをととのえていると電話が終わったから、行ってくるといって家を出た。はっきりしない天気だったけれど、頼りなげな陽ざしにも木の葉はつやめいていた。坂を入ってすぐにまわりの緑から浮きあがった青紫が見えた。小さなガクアジサイが咲いていた。近づいて、中心の粒々のまわりの花びらを見た。青のグラデーションが内側では薄緑をほんのかすかに含む白に変わって、高級な和紙みたいな色合いだった。アジサイは何色でもアジサイにしかない色を持っているけれど、花はどれもそうなのかもしれない。時間を思いだして、急いで坂をあがった。腕立て伏せをしていたからあまり息は切れなかった。駅にはTさんがいた。会釈すると、これからですかといわれたから、はいと答えた。Tさんはいつもこっちを見ると笑ってにこりとあいさつする。
 ちょうど電車が来た。乗ると小さい子の声がまっ先に聞こえた。幼い女の子が座席の上に置かれた黄色いリュックにすっぽり入っていた。両側に両親らしき人が座っていた。女の子はたまに大きな声をあげて、しかたないなあとあたたかく見守る視線があった。イヤフォンをつけて、"No Woman, No Cry"が流れた。南の空は東側が青くて、西側が白かった。青の上には白くとけた雲があって、白の上には青く暗い雲があったから、左右で色が反転しているみたいだった。
 降りて、むかいの電車に乗って、先のほうで座った。音楽は保安官を撃ち殺した歌に変わっていた。レゲエで好きなのはいわゆるルーツ・レゲエというやつで、よく知らなくてBob MarleyとLucky DubeとFreddie McGregorくらいしか聞いたことがないけれどダンスホールみたいなやつはあまり興味がなかった。だいたいどのジャンルでも生音でバンドが好きだった。リズムにのっているだけで気持ちがよかった。降りたころにはBob Marleyが、起きあがれ、立ちあがれ、と叫んでいた。単純なリフのくりかえしからなるから、プロテストソングに向いていた。愚直な音楽だった。
 トイレに寄ってから駅を出た。空の西側は沈んだ青で、東のほうは乾いた青だった。その中間あたりの白い雲に陽があたって、蜃気楼みたいにうすくかたちが浮かびあがっていた。"Kinky Reggae"にのりながら歩いた。近畿大学が英語だとkinkyに聞こえるから名前を変えるとか少し前にGuardianで読んだ。
 医者のある小さなビルは、低いスロープをあがって自動ドアをくぐると目の前は壁際で傘立てが置いてある。うしろを向くとエレベーターがあるけれど、いつも使わないで隅の階段で三階まであがった。三階で階段室から出ると右側はエレベーター、正面は狭いほうの待合室で、左に入ると奥に細長い待合室がある。イスはけっこう埋まっていた。入って右側にある受付に保険証と診察券を出した。人が多いから薬だけにしてもらおうかと思ったけれどやめた。プルーストを読むつもりだった。保険証を受けとって、狭いほうの部屋に入るとおじさんがひとりいた。右の窓際に座っていた。その向かいの壁際にイスに荷物を置いて、奥の窓をあけた。青灰色の空と民家の屋根が見えた。部屋のなかは蒸し暑かった。窓をあけたけれど風が吹かなかった。扇風機が置いてあったけれど使う気にならなかった。カバーのまん中にクマのプーさんのシールが貼られていた。座ると正面のおじさんは体を横にむけて、くつろいだ感じで窓の外を眺めていた。その窓はあいていなかった。プルーストを読むはずが、日記の下書きをはじめたら全然書き終わらなくて四十分くらい書いていた。左のあけた窓からは駅前のマンションが見えた。赤っぽい茶色だった。下の道を通る小学生が、カマキリ!と叫ぶのを聞いた。
 おじさんが出ていってしばらくすると呼ばれた。予想よりずっとはやくて、返事が一瞬遅れた。部屋を移るともう二、三人しかいなかった。奥の扉をノックして診察室に入った。あいさつして、黒の革張りのイスに座った。状況は変わらないからあまり話すことはなかった。前は苦しかったり、不安だったり、気持ち悪かったりしたけれど、最近は意識が飛ぶではないけれど頭がくらくらするようなことが多いといった。外で暑いときとか、だから熱中症なのか精神のものなのかわからないというと、先生は、まあ神経症状なんでしょうねといった。塾で仕事中にもそういうことがあるので、塾がある日は飲んでいますといった。塾は週何日くらいですか? いまは、週四日くらいです、だからまあだいたい毎日飲んでいます。先生はノートパソコンにこっちのいったことを打ちこみながら話をしていた。机のこっち側にはカレンダーが置いてあって、先生の顔から目をそらすといつもそこを見た。左の奥の机にはもうひとつパソコンがあって、いまはスクリーンセーバーが映っていた。真っ黒な背景に白いバラみたいな花の映像だった。就活はやっていますかというから、やっていませんといった。笑みが出てしまった。先生も笑いながら、今年はスルーという感じですか、といった。この先どうしたもんかなあという感じです、と答えた。まあ塾の先生ならいくつになってもできますかね、五十くらいでやっている人もいますよね。でもアルバイトですから。ええ、そうですよね。正直、いまの生活が、わりと理想というか、つまり、本を読む時間がたくさんありますから。自分でもものを書いてみるんですか? いちおう、書いています。なるほど、そうですか。なので、このまま親元で経済的に頼って生きていくか、どこかに就職するか。その次をいうのは気恥ずかしさがあったから間があった。それか作家を目指すか、という感じになっています。そうですか、自分で作家になろうという気はあるんですか? うーん、と少し間を置いて、あんまりなりたくないんですけど、と小声でいった。先生は笑った。こういう生活を維持するための手段としてはまあ、そんなに簡単ではないでしょうけど。そうでしょうねえ。
 薬はいつもと変わらず、だんだん頓服にすることを目指すのも変わらない。失礼しますといって部屋を出た。支払いはいつもすぐだけれど今日はなぜか少し時間がかかったから、そのあいだにまた日記を書き足した。千四百円だった。階段をおりて外へ出ると雨が降っていた。薬局は隣だからあまり濡れなかった。保険証とお薬手帳と処方箋を渡して六十七番の紙を受けとって、黄色いイスに座った。正面上に取りつけてあるテレビは、アンパンや食パンが活躍するアニメがやっていた。いつも子どもがたくさんいるけれど、今日はひとりもいなくて、人が少なかった。六十四番の人が呼ばれた。おばあさんになりかけの女の人で、薬剤師の人にペラペラとなにか話していた。しばらくするとまた電子音がして、部屋の右上についている電光板に67が灯って呼ばれた。いつもと変わりありませんね。はい。調整して使われてますか。はい。袋に入れますかと聞かれたので入れてもらった。レジで七八〇円支払った。前は八四〇円だったからなぜか少し安くなった。
 雨はやんでいなかった。傘はないから駅まで走った。チェックのシャツの前に無色の点が浮かんだ。駅の通路を渡って反対側に出て、今度は走らないで図書館に入った。廃棄本コーナーは児童書でいっぱいだった。蓮實重彦『随想』を返した。新着CDに新しいものはなかった。最近は音楽を聞く時間もますます減っているから迷ったけれど、とりあえずジャズの棚を見た。Sonny Rollins『Newk's Time』とMiles Davis『On The Corner』を借りることにした。Milesは前に借りたけれど、エレクトリックになじめなくて消してしまった。階段をあがった。このときはまだ雨が降っていた。新着図書にも目新しいものはほとんどなかった。内村鑑三の宗教対話みたいなものがあった。岩波文庫で、うすかった。講談社学術文庫グノーシスの本があった。グノーシスについても少し知りたかった。このあいだ蓮實重彦の『魂の唯物論的な擁護』を読んだとき、中沢新一との対談で、グノーシスニヒリズムの起源みたいな話をしていた。みすず書房から出ているペスト菌を発見した人の伝記っぽい小説も読んでみたかった。丸山健二トリカブトの花の咲く頃に、とかいうのが上下巻であった。ナボコフの『マクダ』もあった。I・ミネロフスキーみたいな名前の人のなんとか事件もあった。この人は最近邦訳がたくさん出ていて、本屋に並んでいるのを見た。『フランス組曲』を読んでみたかった。講談社ブルーバックスの理科の教科書みたいな本があって、理数系の本もいつか読みたかった。
 一冊返したから一冊借りられた。哲学の棚を見にいった。特に新しく見かけるものはなかった。ドゥルーズの入門書とメルロ=ポンティの入門書が特に読みたかった。濃紺のカント全集が十二冊くらい並んでいたけれど、この町で借りる人がいるのか疑わしかった。前はみすず書房メルロ=ポンティ著作集も六冊くらいあったけれど、書庫入りしてしまった。哲学の裏のフロアでいちばん端の通路に入った。ここにサイードの『人文学と批評の使命』があって、これも前から読んでみたかった。反対側の壁には大活字本があって、その先には新書が並んでいた。中公新書、柱をはさんでブルーバックス岩波新書だった。中公の『治安維持法』を借りることにした。借りる前に歴史の棚を見た。具体的な日本史、世界史もだけれど、歴史哲学や歴史記述についての本を読みたかった。そういう本は数が少なかった。そのあたりの語りの問題は小説にもかかわってくるはずで、少し前にみすず書房から出たルカーチの本がそういうことを扱っていたけれどタイトルは忘れた。歴史のコーナーの隣、宗教の本たちの最後に『一神教の起源』という選書があって、おもしろそうだった。柄谷行人が『批評とポスト・モダン』のなかで言及していた『イエスという男』もあった。改訂版だった。
 貸出機で借りた。雨がやんでいなかったら席に座って日記を書こうと思っていたけれど、もうやんでいるみたいだから帰ることにした。その前にトイレに行った。いちばん端の個室からひとり言がぶつぶつもれていた。出て、階段の前で立ちどまった。踊り場の壁を全面埋めるガラスの向こうを見た。雲間から光が落ちて隣の小さいデパートの入り口を彩って、濡れた路面や乱雑に置かれた自転車を白く染めあげていた。並ぶビルのなかのひとつの屋上に光のかたまりができていた。空の大部分はまだ青に包まれていて、遠くの山のシルエットが青い層の向こうにあいまいに見えた。西陽を見たから、階段を降りて図書館を出ても目のなかに緑の円が残っていて、他人の顔が見えなかった。
 駅に入るとちょうど電車が来て、改札から人が次々と出て流れていた。それを端によけてなかに入った。エスカレーターをくだってホームにおりた。イヤフォンをつけて音楽を流そうとしたところでまた外した。線路の上に組まれた鉄骨から水の粒が落ちてぽたぽたいっていた。音楽を聞きはじめてからもそれを見ていた。粒がレールの上に当たると、はじけて小さな霧ができてうすく広がってすぐに消えていった。"Kinky Reggae"が終わって、『James Farm』にした。
 リュックを背中からおろさないで席に座った。目の前のおばさんはくたびれた顔をしていた。左を見ると、塾の同僚がいた。たぶんむこうも気づいていたけれど、目をそらしていた。目をつぶって音楽を聞いた。駅について降りてだらだら歩いていると、階段をおりるときに横を抜かしていった。改札を通って駅から出るとそこの壁際に立っていたから、右手をあげて無言で会釈して通りすぎた。
 歩いて帰った。久々に音楽を聞きながら歩いた。高校生とたくさんすれちがった。裏道をひとりで歩く女子高生は足がゆっくりだった。六時くらいで、電灯がついていたけれど光は広がらなかった。路上は濡れているから白く見えて、踏みだすたびにその白さが逃げていって足もとはアスファルトの色になった。水たまりに電線とそのむこうの空が閉じこめられていた。空にかかる雲はうすくて、西のほうで綿をちぎったように口をひらいていた。そこから陽がもれだして雲の輪郭が白くふちどられていた。オレンジ色があちこちに散って、空はまばらに明るかった。
 帰宅して、部屋のベッドの上で日記を下書きした。いつの間にか一時間たっていた。日記に生活が侵食されていた。上にあがって夕食にした。米、サバ、野菜スープ、サラダを食べた。サバはフライパンで焼いて、上になにかの香辛料や生姜がかかっていた。母の脈絡のない話を聞き流した。これからのことを少し話していると九時になった。いよいよとなったら家を出て、ひとりで貧しく生きていくしかない。それかパトロンになってくれる女性を見つけるかだった。茶を飲んでひと息入れて風呂に入って、出てから部屋でプルーストを読んだ。UA『ハルトライブ』を流していた。音楽を流したままパソコンを閉じて、その上に本を乗せて立って読んだ。『失われた時を求めて』七巻はあと三十ページになった。同じようにミシェル・レリス『幻のアフリカ』も読んだ。読み終わると音楽も最後の"太陽手に月は心の両手に"だった。自然発生的にラフに演奏がはじまって、ひとり興奮して叫んでいる客がいた。歯をみがくと十一時で、そこからまた日記を書いた。はやく寝るつもりが十一時半も過ぎて十二時近くなって終わった。久々に一日の最初から最後まで下書きした日で、六ページになった。