2016/6/12, Sun.

 九時台には一度覚めていた。白い陽射しがベッドに掛かる朝だったようだ。しかし瞼をひらいたままに固定できずに意識を失い、まどろみながら時計を見るたびに一〇時前半、一〇時後半と時間が滑っていって、一一時直前になってようやく覚醒が安定した。その頃には陽がやや陰っていた。窓をあけて布団を剝いで、しばし仰向けのまま脹脛をほぐして、それから洗面所に立って顔を洗い、用を足した。そして瞑想である。一一時一分から一一分までの一〇分間を枕に座り、その後また転がって、レヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』を読んだ。そのうちに、上階でインターフォンが鳴るのが聞こえる。面倒なので無視していると、ちょっと間を置いてから、今度は連続で何度も鳴りだしたので、こんなに不躾なのは他人ではなく家族だなと思いながら上がっていくと、父親だった。お母さんはと言うので階段を戻って両親の部屋に行き、イヤフォンを付けていて聞こえなかったらしい母親に呼んでいるよと告げた。一度目のインターフォンは近所の婦人だったらしく、聞こえないようだからと父親に贈り物を渡していったと言う。既に正午過ぎである。上に来たので食事を取ることにして、まず風呂を洗い、それからトマトソースのスパゲッティと味噌汁を皿に盛って卓に就いた。テレビは大衆歌唱大会を流している。それをちらちら見ながら、母親と向かい合ってものを食べて、食器を片付けると、自室に帰った。蕎麦茶がなくなってしまったので、代替として久しぶりに緑茶を注いでいたが、それを飲みはじめないうちから汗が湧く、蒸し暑い曇天である。多分茶を飲みながらインターネットを覗いたのだと思うが、そうしてから Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Cholera を読みはじめたのが一時一〇分頃だったのを覚えている。前日と同じように、黒のボールペンで意味の定かならぬ語に線を引きながら読み進めたが、例によって牛にも負けない鈍重な歩みである。読みながらしかし、ガルシア=マルケスの英訳本を英語の訓練として読むのはいいかもしれないなと考えた。彼の小説は、『落葉』と『予告された殺人の記録』および『十二の遍歴の物語』、あとは一九六八年から一九七五年までの時期の短編を除いては、すべて邦訳で二回読んでいるはずである。『百年の孤独』はたしか三回、『族長の秋』は五回か六回読んでいる。マルケスの書いたすべての小説のなかで紛うことなき最高傑作であり、最も高度な形式の操作をしている『族長の秋』を外国語で読むのはさすがに相当骨が折れるだろうが、『百年の孤独』だって何だかんだ言ってもやはり面白いし、『迷宮の将軍』だとか『愛その他の悪霊について』、『わが悲しき娼婦たちの思い出』あたりは比較的小粒でオーソドックスな物語であり、それでいて彼の文体は過不足なく締まって具体的な手触りを持つほどの肉付けがされているので、さまざまな語彙を習得するには適しているのではないか。そんなわけで、そのうちペーパーバックを取り寄せてもいいだろうと考えた。あるいはKindleを買ってもいいのかもしれないが、電子書籍を導入するのはもう少し力がついて多読の余地が出てきてからのほうが望ましいように思われた。それで二時を過ぎてから、柔軟運動と腕立て伏せ、腹筋運動をして、汗がなかなか引かないのでシャツを脱ぎながら上階に行った。制汗剤ペーパーを肌に当ててから、ついでにワイシャツ類にアイロンを掛けた。そうして室に帰って服を着替え、ベストは着ないで帽子を被って、ガムを噛みながら出発した。空は白く染まって光はもはやなくなっていたが、前日の乾いた熱波に比べると気温が低いわりに、肌に貼りついて汗と化す不快な暑気である。街道に出ると、Antonio Sanchez『New Life』を聞きだして、肌を濡らしながら裏通りを行った。駅前では、献血を呼びかけており、駅舎入口の脇に長テーブルが置かれて受付が設けられ、ロータリーのなかには赤十字のマークの描かれたテントが作られ、そのなかに隠れるようにして大きな直方体の車が停まっていた。電車の先頭車両に乗ると、遠足だったのかリュックサックにキャップ姿の小さな子どもたちがわんさかいる。一番端の席に就いてしばらく待ち、降りると図書館に行った。カウンターにCDを返して新しいものを見繕いに行き、まずRamsey Lewis Trio『The In Crowd』を取った。Donald Byrdの『Blackbird』やSantanaの最新のライブ盤を見かけて迷ったがひとまず放置して棚を見ていると、D'Angelo And The Vanguard『Black Messiah』を発見したので喜んで保持し、ロック・ポップスの棚を見終えてジャズに移り、もう目ぼしいものなどほとんどないのだが、ジャズファンク系が以前よりも楽しめるようになったし、Lou Donaldsonでももう一度聞いてみるかと『Alligator Bogaloo』を選んで、上階に行った。席は空いていないだろうと思っていたが、幸運に恵まれて端の空席に荷物を置き、CDを借りてから便所で用を足した。戻ってくるとコンピューターを用意して、書き物を始めた。Ryosuke Hashizume Group『As We Breathe』を流して、四時一〇分過ぎに開始である。前日の記事に一四〇〇字足して仕上げると、前々日の医者との会話で書き漏らしたことを思いだしていたので少し書き加えて、すると一時間経って五時一〇分だった。二つ目の音楽はNick Drake『Bryter Layter』、それでこの日のことも覚めた時間から思いだして記述していって、区切りにたどり着くと六時だった。残りの時間は書き抜きに当てることに決めて、ページを押さえるための本を求めて席を立った。新着図書の棚にある明治書院の和歌文学全集、正岡子規『竹乃里歌』を取り、ただ使うだけではなく借りてしまうことにした。加えてもう一冊、ロラン・バルト著作集の三巻でも借りようかと頭に思い浮かべながらフロアを進んでいく途中、プルーストのことを思いだしたので、『失われた時を求めて』をふたたび読みだすことに決めて棚に行くと、鈴木道彦訳の薄青い背表紙は二冊分しかない。以前はまだしも六巻くらいまでは並んでいた記憶があるのだが、棚のなかからこの大小説の置かれる余地がさらに縮小されているということは、一〇万人もの人間が住んでいるこの街にあっても、もう一〇〇年も昔の、邦訳版で一三巻もあるやたらと長々しい小説などに興味を持つ者はほとんどいないらしい。それで『失われた時を求めて』の一巻と正岡子規を貸出手続きしてから席に戻り、Nick Drake『Five Leaves Left』を流して、『ローベルト・ヴァルザー作品集5』の書き抜きを始めた。打鍵を進めつつ、七時前になると次の音楽を同じくNick Drakeの、『Pink Moon』に移して、するとその頃には窓外の日暮れ模様も半ばを回って、青い粒子が無数に群れなして空中に混ざりこみ、建物の側面にぴったりと貼りついている。後ろを振り向くと人の去って空いた席がいくつも連なっているので、音楽の音量を上げて打鍵を続けた。それで八時直前に切りの良い場所まで打ちこむことができたので、机上を片付け、退館に向かった。出ると夜空は光なく黒々として、三日月の姿もこの日はなく、霊体めいて丸い、壊れやすそうで幽かな繭の存在にかろうじてその痕跡が窺える。駅に入り、ホームに下りていくと、エスカレーターを出た口のすぐ脇で若い男女が集まって、なかに一人白人の、周りと比べて頭一つ抜けた背丈の男が混ざって、何か話していた。彼らと反対側を向いてAntonio Sanchez『New Life』を聞きはじめ、電車に乗ると席に就いて脚を組み、瞑目して到着を待った。乗り換えてしばらく、そして最寄り駅で降りると、ここの空にもガラス窓に親指を押し付けたくすみのような、月の霊体が見える。ホームを辿っていくと、電灯の下では細かな羽虫の類が宙を彷徨っており、顔に当たってくるのを手で払いながら階段通路を進んだ。出口に掛かると、蜘蛛の巣が張っている。下をくぐって抜け、振り向いて、手ではたくようにして一方に伸びた糸を切断し、すると巣は片側にゆっくり萎んでいって、縁にいた主が慌てたように天井へ繋がった糸を上っていった。音楽を聞いていい気分で坂を下って通りを行き、帰宅すると母親の頭にラップが巻かれ、なかはチョコレート色のムースに塗られている。母親が風呂に入る前に洗面所で、なおざりに手を洗って、それから自室に下りて、服を脱ぐと寝転がり、レヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』を読んだ。それで八時五五分になると瞑想を始めて、九時六分まで座ってから階を上がった。食事は肉じゃがに大根の味噌汁、そしてアジのひらきのおかずにして白米を食べた。終えると一度室に帰って、どういうわけか皿を洗っている最中にMr. Bigの "Colorado Bulldog" のことをまた思いだしたので、それを始めとして彼らの曲をいくつか流し、一〇時を越えてから風呂に行った。身体をたわしでよく擦って出てくると一〇時半、 "Colorado Bulldog" のライブ動画を眺め、関連動画から再結成後のMr.Bigの四人が武道館で演奏している映像も視聴しながら、彼らは最近何をやっているのだろうとそれぞれのメンバーの情報を調べた。するとまずPat Torpeyがパーキンソン病で闘病中、ドラムの演奏もできず、バンドの新作のリズムは打ちこみであるとあり、またPaul Gilbertも難聴が悪化しているという情報を見ると、少々寂しい気分にもなるものである。Billy Sheehanはおそらく順調に活動しているようだが、もう六〇も越えているのだから、そろそろそんなに激しい音楽を続けていられる歳でもあるまい。Eric Martinは多分ポップス寄りのキャッチーな音楽なのだろうが、昨年ソロで来日もしていたようで、その際空港でファンに囲まれているところを、テレビ番組『YOUは何しに日本へ』が偶然見つけて茶の間にちょっと姿が流れたというので、その映像を探したが見つかったものは削除されていたので諦めた。それからまた動画視聴に戻り、Mr.Bigの次にRichie Kotzenの二〇一五年のライブ映像があったので流してみると、一聴して音楽性に新鮮な変化発展はないが、何だかんだでああいうブルースやらファンクやらソウルの風味が入ったロックが性に合っているのだろう、いまでも十分格好良く思われて、彼の最近のアルバムを入手してもいいなと思わされた。次に、同じリッチーで連想したわけでもなかろうが、Ritchie Blackmoreのことも思いだして調べてみると、もう七〇歳である。相変わらずバロック音楽を探求し続けているのかと思いきや、昨年の発言として、来年の六月、つまりいまこの六月に、Rainbowで公演をやるとの言が聞かれたらしいので、往年のファンは大喜びだろう。それでRainbowの一九七七年のミュンヘンでの "Kill The King" の動画なんかも眺めていると、そういえばRonnie James Dioはもう死んだのだと思いだして、また少し寂しい気分になった。二〇一〇年だかの五月一六日、同じ日にHank Jonesも死んだのを覚えている。その後John MayerB.B. Kingがセッションしている動画なども見て、いつの間にか零時を過ぎてしまった。歯磨きをして、Nik Bartsch's Ronin『Llyria』をイヤフォンで聞きつつ、Love in the Time of Choleraをひらき、ちょうど読む箇所が邦訳版でも書き抜いた箇所だったので、両方の文をつぶさに照らし合わせていった。すると明らかに基にしている文言が違うのではないかと思われるほどの意味の違いが散見されるのだが、版の関係なのか、それとも印欧語族内での変換とその枠を超えての翻訳とではそれほどの差異が紛れこむものなのか、不明である。そうこうしていると一時、その頃には雨が降りはじめており、葉を叩くぱちぱちという音が外から聞こえた。転がってレヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅰ』をまた少し読んだあとは、懶惰な夜更かしに精を出した。三時前になるとふたたび本を読んで、三時二七分から瞑想を始め、この日の来し方を、絶えず逸れていこうとする思念に妨げられながら一つ一つ思いだしていき、目をあけると二〇分が経っていた。水を数口飲んでから消灯して布団に入っても、眠気はない。雨は強まって、空間を縁取って背景をなすように持続性の薄い雨音が響き、それよりも近くで猫の足音のような、屋根から雪が落ちる音のような、固く籠った押印が緩やかなリズムで聞かれた。それを耳にしながら仰向けになって、自律訓練法を試みた。目に見えない意識の手で、身体の両側に伸ばした二つの腕を撫でるようにしていると、そのうちに腕が固定されて膜が掛かったようになってきて、さらに深みに進むと久しぶりに心臓のほうが気になって、胸の内容物が息を吐いたその先の瞬間に流れだしてしまうかのような不安を思いだすようだったが、もはや大したことにはならない。自律訓練法に疲れて、眠気が来ないままに横に向き直ると、やがて恩恵がやってきたようである。