2016/6/15, Wed.

 六時台に一度覚めた。アイマスクをずらして、かすかにひらいた目で時間を確認するとすぐにまた寝付き、次の覚醒は八時過ぎである。五時間だから、と睡眠時間を計算し、そろそろ起きたい、と言うことを聞かない瞼を、白い窓に向けて宥めすかし、八時一五分になって意識がはっきりしてきたので、ここを正式な睡眠の終わりとすることにした。従って、この日の睡眠時間は二時五〇分から八時一五分として、五時間二五分である。しかし実際にはそれから一五分間、布団のなかに留まりうごめいて、八時半を過ぎると起床して洗面所に行き、顔を洗ってきてからコンピューターを点けて、久しぶりに覚えていた夢を記録した。

・テレビ。NHKらしいニュース番組に、志村けんが出演している。姿形や声音はたしかに志村けんであるその人物はしかし、志賀直哉として認識されていた。アナウンサー、男女一人ずつ。静岡県あたりの半島やら峠やらについて志賀の知識を試すような感じ。どこどこは行ったことありますかと男が訊いて、志賀が肯定すると場がやや湧く。
・米国のヘリコプターというか、軍隊関連の航空機なのか、何か近未来的な感じの、どちらかといえばガンダムみたいな有人ロボットに外観が近かったような気がするが、あれほど大きくも派手でもなく飾り気なく質素な、おそらく一人乗り用の比較的小さな機が、高速でひゅんひゅんと日本の山や橋やらの上の空中を滑っていく映像が代わる代わる映る。降下してきては地上すれすれのところを通過して上昇していく逆放物線状のその軌跡が、映像を早送りしているかのような速度で繰り返し描かれる。
・居間。両親。食事中、蜂が出る。母親のスリッパを借りて、でたらめに振り回す。なかなか当たらず一度は見失うが、そのうちに捉えて、蜂はソファの上に叩きつけられる。二匹。全身隅まで真っ黒である。飛んでいた時よりも、大きくなっているように見えて驚く。ソファから脇の床の上に落とし、ティッシュを取るよう言う。母親が一枚取って、蜂の下に差し入れるようにするので、上から被せるのだと言う。それでくるんで丸めて捨てればいいと思っていたのだ。蜂はまだぴくぴくと緩慢に足を動かしていて、こちらは復活するのではないかとの危惧がややあったよう。あと二枚、と言うが、母親はティッシュを取らずに蜂の一匹を手に掴んで、その頭の部分を指で挟んでもぎ取ろうとするので、ぎょっとするようになって目が覚める。

 すると八時五〇分だった。比較的猶予のある時間に覚めたので、読書の時間を確保することにして、寝床に戻って転がり、レヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』を読み進めた。白さに混ざって明瞭に見えないが、窓外にはおそらく雨が降っているようで、流れてくる空気が肌寒い。窓を閉めて、一時間ほど読書を続け、九時五五分から瞑想をした。ややいい加減に八分で終えて、階を上がると、母親は電話をしており、台所の調理台には凍りついたおにぎりがいくつか乗っている。まず風呂を洗った。それから釜を覗くと多少残っていたので、ハムと卵を焼くことにして、フライパンにそれらを落とし、冷蔵庫に入っていた豚汁の鍋もその隣で温めた。釜の米をすべて払ってしまい、その上に焼いたものを乗せて、汁物と合わせて卓に並べて食べはじめた。母親は料理の音を避けたようで、階段の下に行って通話を続けている。相手は口ぶりからすると母方の祖父の末の妹、七〇いくつかの大叔母らしい。母親が時折りわざとらしい声音を洩らすのに、内容を聞かずともその響きだけでかすかに苛立ちを感じながらものを食っていると、電話を切って上がってきて、大変なことになっちゃったよ、と言う。その言い方のわざとらしさにもまたちょっと嫌気を感じて、全然聞きたくないなと黙っているとしかし、訃報である。先の大叔母の姉である別の大叔母、その息子が死んだのだと言う。それは確かに大変なことだと思って聞いてみると、何でも少し前から行方不明になっていたとかで、仕事のほうも、退職ということでいいですねと、職場から大叔母のほうに連絡がされていたらしい。最後の所持金が二〇円だとか言って、だから、自殺じゃないの、と大して声をひそめる素振りもなく母親は言う。いつ死んだのかと訊くと、昨日らしい。どこでかといえば、埼玉の病院とか言う。どうも細かい状況がわからないのだが、それ以上は尋ねる気も起こらず、また黙っていると、先の七〇いくつかの大叔母に先日、息子の名を騙る電話が来たらしく、すぐに切ったというのだが、それが件の男だったのではないか、金をせびろうとしたのではないかと、大叔母と話した内容を母親は語った。男の顔を見た機会は、過去にそれほどない。祖父母の法事の時の二、三回くらいだろうが、その人の名前から浮かぶ顔が二つあって、そのどちらが正しいのか、それともどちらも正しくないのか、わからない。そのくらいの間柄だが、しかしそんな悪どいような人間だったのだろうかと、話を聞いて意外に思った。それで葬式に、悪いけど行きたくないよねえなどと、大叔母とのあいだでは同意したのだが、件の人の親であるほうの大叔母は、顔を見てやってほしいと言っているらしく、母親は、ちょっと信じられない、と困惑していた。食事を終えると室に帰って、Richie Kotzen『Mother Head's Family Reunion』を流しながら、前日の新聞の記事を写した。終えると歌を何曲か歌ったあとに、音楽をNirvanaNevermind』に据えて、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらいて辞書を繰った。意味調べがようやく読書の最前線まで追いつくと、ベッドに寝転がって読みだしたが、溜まった意味調べが面倒くさくなるのを避けて、今度はわからない語が出てきたら一段落ごとにまとめて辞書を引くことにした。そうして一時四〇分まで進めるとまたちょっと歌を歌ってから服を着替えて、上に行き、出発した。雨は空中に線を刻むほどの固さはなく、霧に近く拡散して空気を石灰水の色に濁らせていた。傘を差して歩いていき、街道に出るとAntonio Sanchez『Live In New York』を聞きはじめた。裏通りの途中から表に出て、郵便局に寄って通帳を記録するとともに金を下ろした。そうしてまた歩いて、職場に出勤し、奥の一席に就いた。前日の諸々の記録を付けてから、三時過ぎに書き物を始めた。音楽はAntonio Sanchez『Three Times Three』を選んだ。前日の記事にけりを付けると四時二〇分で、五時から上司と同僚と三人で話し合いをすることになっていたので、焦りが生じた。便所に行って尿意を解放してから、この日のことを忘れる前に少しでも綴っておかなくてはとふたたびキーボードを叩いたが、結局朝の母親の話までしか書けなかった。中断してミーティングをし、その後働いて、八時過ぎに退勤である。雨はもはやないが、広がった水気に街灯の色が忍びこんで、駅前の通りに金色の靄が生まれていた。裏通りを行きながら民家の向こうを縁取る林のほうを眺めても、白濁した夜空が降りてきて樹頭の輪郭線が霞んでおり、地と空が繋がって白灰色の壁を作っているために、ビニールハウスのなかに包まれているような感じだった。帰宅すると、母親がちょうど玄関にいた。兄たちが先日部屋の片付けをした時に、資源回収に出すように縛って置いておいた本のなかの一束を、市内の本屋に見せに行ったが、洋書は値段が付かないと言われたとか話すのを、どうでもいいと聞き流しながら、金を下ろしたことを思いだしたので五〇〇〇円を差しだした。室に帰ると服を脱ぎ、母親の話で思いだしたので兄の部屋に入って、自由に売っていい類の本を集めた棚を眺めた。古本屋に買い取ってもらいたいほどの本は、ほとんどない。それからギターを取って弄り、自室に戻ると瞑想をした。それで九時を過ぎて、食事に行き、食欲をそそる匂いの肉の炒め物をおかずに米を食うと、ここに到って疲れを感じたので卓に突っ伏した。しかしすぐに父親が帰ってきたので立って皿を洗い、入浴に行った。出てくると、一〇時半である。蕎麦茶を持って部屋に帰って、一一時過ぎまで新聞を読んだあと、読みたい論文を整理することにした。Evernoteに「論文管理」というカテゴリを設けて、まずローベルト・ヴァルザー用の記事を作り、Ciniiで無料公開されている論文を検索して、年月順に著者やタイトルやURLを記録していった。カフカは数が多すぎるだろうから、ひとまず先日見つけた古川昌文の三つだけを記録しておき、次にロラン・バルト用の記事を作成して、コピーとペーストを繰り返して一つ一つ並べていった。一時前になると蕎麦茶ではなく緑茶が飲みたくなって上に行き、すると飲むだけでなく何か食べたくなったので、例によってカップ麺を求めて棚を探り、カップ蕎麦を出して作った。そうして室に下りて啜っているうちに、論文記録は今日はここまででいいかという気になった。空にしたカップを洗って始末して、緑茶を持ってきてから、試みにヴァージニア・ウルフの名前で検索してみると、さすがに数が多く、インターネット上に公開されているものでも四〇〇ほどある。しかし多くは『ヴァージニア・ウルフ研究』というそのものずばりな刊行物の収録論文で、それは定額で金を払わなければアクセスできないようになっていた。坂本正雄の名が付された「グレイ婆さん」というのをちょっとひらいてみると、翻訳だった。底本は、The Death of the Moth and Other Essays (1942)とある。ほかにもう一つ、「サセックスの夕べ: 車からのながめ」というのもあって、ああウルフのこういうエッセイも読んでみたいなと思い、同時に、やはりこうやって訳している人もいるのだなとも思った。それでコンピューターを閉じ、残りの時間はレヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』を読むことにした。ベッドに移って読書を進めているあいだ、窓をひらいていたが風も明確には入ってこず、肌寒さはなかった。三時を過ぎると五分から一〇分間、瞑想をして、上着を脱いで消灯した。それなりに眠気が厚くて、寝付くのに苦労はしなかった。